第13話 天海と志摩
幹部たちを前にし、舎弟頭の天海龍源はさっそく口を開いた。
天海龍源は齢六十三。禿頭で、白髪交じりの立派な顎ひげを蓄えた人物だ。
迫力のある目元、意志の強そうな唇。そこに刻まれた数々の皺も厳かで荒々しい。長年の風雨にさらされた巌の、苔生した表面を思わせる。
額を覆うほどの大きな十字の傷跡は、若い頃の大規模抗争で負ったものだ。幾度もの抗争を経験し、生死の境を彷徨ったことも珍しくないが、その度に生還した。その経験が、天海のいかにも歴戦の猛者といった風貌を作り上げたのだ。
普段から和装を好み、今日は薄墨色をした羽織と長着、そして仙台平の袴を着用していた。
「おう、お前ら! 聞いたところによると、志摩と将人の奴がえらくはしゃいでいるそうじゃねえか!」
天海龍源の大声が部屋に響き渡る。腹に響くほどの重低音だ。すると、集まった幹部たちは、みな一様に苦々しい顔をした。
「悔しいですがその通りです、兄貴! 奴らは堂々と俺たちのシマに手を出し始めている。おかげで最近は上納金(吸い上げ)もぱっとしないっていう有様ですよ」
「間違いねえ! 奴ら将来的には、上松組兄派のシマやシノギをごっそり掠め取り、手中に収めようって腹積もりなんだ!!」
「大悟さんの弟で、上松組本部長でもある将人さんは、もともと自分こそが若頭になるべきと憚ることなく公言していたくらいの野心家だ。亡き組長――将悟の親父さんがいなくなった今、とうとうその野望を隠さなくなったんだろう! 自らが上松組組長になるという一世一代の野望をな!!」
「くそっ……だからと言って、四十九日も終わったばかりだというのに、抗争のどさくさに紛れて好き放題しやがって! 卑劣極まりない連中だ! 亡き組長の遺言を考えても、跡目の正当性が大悟さんにあるのは明白なのに、それすらもないがしろにするつもりですぜ、奴らは!!」
「まったく、なんて親泣かせな奴らなんだ!! あの不義理者どもが!!」
「あんな仁義にもとる腐った連中が、万が一にも上松組の看板を背負うようなことがあっちゃいけねえ! そうなる前に、カチコミをかけてでも将人と志摩さんを潰すべきだ!!」
「そうですよ! こんな話はしたくないが、もし万一、我々兄派が弟派に敗れるようなことがあれば、俺たちの面目は丸潰れだ。最悪、《アラハバキ》にはいられなくなっちまうかもしれねえ……何が何でも奴らを潰し、落とし前をつけさせるべきです!!」
幹部たちの中には、怒りのあまり気炎を吐く者もいる。松瓦屋蔵人もその一人だ。
天海龍源はそれらをぎろりと睨みつけつつも、噛んで含めるように言い聞かせる。
「まあ、待て。確かに志摩や将人の卑劣な手法は許せねえ。だが、連中がどんな主張を掲げようとも、現時点での上松組組長はうちの大悟なんだ。今は亡き先代の組長、上松将悟の遺言書もここにある。この中には組を大悟に任すと、はっきり書いてある。つまり大悟こそが本物の上松組組長正統後継者だってことだ」
「し、しかし……!」
「それだけで弟派が納得するでしょうか?」
幹部たちは迷いを見せた。ただでさえ守りに徹するには忍耐がいる。加えて先が見えないとなれば、葛藤が生じるのも無理からぬことだった。
本当にこのままでいいのか。打って出た方が効果的なのではないか。
だが、天海龍源はそれを喝破するのだった。
「奴らが事実を受け入れるかどうかなど関係ない。我々は連中を排除したその後のことも考えねばならん! ……いいか、大義は我らにあるのだ! 大悟こそが上松組組長なのだから、堂々としていればいい!!」
「天海さん……」
「向こうは失うものがないからな。なりふり構わずやりたい放題やれるんだろうが、こちらは筋の通らねえ姑息な戦い方はすべきじゃない。……何故か分かるか? 力尽くで組長の座を奪ったとて、そこに大義がなければただ『反逆者』、『裏切り者』のレッテルを貼られるだけ……それではこの《アラハバキ》では生きていけぬからよ!
どれだけ実力があろうとも、筋を通さず大義や道理を軽んじる者は、必ずや足元を掬われる。それが組で生きる者の逃れられぬ宿命だからよ!!
だからこそ……あくまで大悟が何ら非のない正当なる組長であることを周囲に示すためにも、俺たちは正々堂々と構えていなければならん! そして、大悟を中心に今こそ組織の結束と守りを固めるんだ!!」
「天海の兄貴……!」
「いいか、今は重要な時だ! 弟派連中の汚ねえやり方にむかっ腹が立つのも分かる。だが、こういう時こそ慎重に動かなきゃならねえ! 奴らの安易な挑発には乗るな! 守りを固めて隙を与えるな!! 最近、組に入った新参の三下どもを盾にすりゃあ、徹底防御も容易いだろう。駒は《中立地帯》でいくらでも手に入る! こちらの形勢が有利になるまで耐え忍ぶんだ!! そうすりゃあ、相手は自ずと自滅する!!」
天海龍源にそう言われると、本当にそれが正しいような気がしてくる。彼の言う通りにしてさえいればすべて上手くいく、そう思わせてくれる。
そして実際、これまで天海の判断は常に正しかった。
幹部たちはみな歓声を上げた。
「おお……おおおお!」
「さすが龍源さんだ! 長年、舎弟頭として亡き組長を支え続けてきただけのことはある……!!」
龍源は隣に座る上松大悟に視線を向ける。
「……お前も分かったな、大悟?」
「はい、俺もそれでいいと思います。さすがお義父さんですね」
「……」
天海から見た大悟は、決して無能ではないが、いささか要領が悪く不器用なところがある。朴訥としていて年長者の言うことはよく聞くが、どうもパッとしない点があるところは否めない。組を背負うにはあまりにも性格が大人しすぎるのだ。
事実、こうして天海が喋る間も、全く口を挟まなかった。
これではどちらが組長だか分からない。
(……まあいい。男ってのは、立場が変われば大きく成長していくもんだ。今はまだ若干、頼りないが、この内部抗争が終わって組が安定すりゃあ、いずれ立派な組長になってくれるだろう。それまで俺がそばにいて、しっかり支えてやりゃあいい。それだけの話だ)
幹部会が終わり、集まった構成員たちはみな続々と帰宅の途に就いた。
大多数の幹部は天海の言うことを理解しているし、支持している。だが、中には血気盛んな者も少なからずおり、彼らをどう抑えるかが天海の目下の悩みだった。
数々の抗争を生き抜いてきた天海は、味方の暴走が敵の攻勢よりもよほど厄介であることを知っていたからである。
屋敷がようやく静かになると、凛子が顔を出した。
凛子は天海の娘であると同時に大悟の妻だ。荒れ地に咲く一凛の白百合のような、清楚で品のある娘だった。見た目に違わず、性格も淑やかだ。
凛子は大悟と天海に歩み寄ってくると、いたわりの言葉を口にする。
「今日の幹部会は終了したようですわね、あなた。お父さんも……お勤めお疲れさまでした」
「おう、凛子か」
「どうした? 何かあったか?」
凛子の表情がいつもより冴えないのに気づき、大悟が尋ねる。
「あ、いえ。その……最近、街の方が何か騒がしいようですけれど……」
凛子はこの広々とした屋敷から外に出ることは殆どない。そもそも上松組本家のある旧品川区西部は《新八洲特区》の中でもいわゆる高級住宅地であり、《中立地帯》から離れているため跡目争いのゴタゴタも及びにくい。だがそれでも、不穏な気配はそれとなく察しているのだろう。
「大丈夫だ。俺とお義父さんで必ず組の問題は解決する。お前は心配するな」
大悟が答えると、天海も頷いた。
「そうだぞ、男の世界のことは男に任せておけ。女の仕事は家庭を守ることだ」
「……。分かりましたわ。でも、お二人とも無理はしないで下さいね」
「ああ、分かっている」
「お茶でも淹れましょうか。ゆっくりなさって下さい」
そんな会話を交わしていると、二人の子どもが天海と大悟の元へ走り寄ってきた。
小学校中学年ほどの女の子が一人、それより少し小さい男の子が一人。大悟と凛子の間にできた子で、天海にとっては孫にあたる。長女の大空と長男の源悟だ。
「お父さん!」
「おじいちゃん、遊んでー!!」
大空と源悟は大悟と天海に飛びついて来た。
「こら、大空も源悟も、お父さんとおじいちゃんを困らせては駄目よ」
凛子は慌てて子どもたちを窘めるが、大悟と天海は相好を崩し二人を抱き上げた。
「おお、よしよし。大きくなったな、大空」
「良いじゃないか、年寄りから孫を抱く楽しみを奪ってはいかんぞ」
「もう……腰を痛めないように気を付けてくださいね。お父さんも、いい年なんですから」
くすくすと笑いつつ、凛子は台所へ向かう。
天海が言うのもなんだが、凛子は大悟と結婚してから一段と美しくなった。家庭がうまくいっている証拠だろう。孫たちもすくすくと育っている。この子たちのためにも、絶対にこの跡目争いに敗れるわけにはいかない。
「……大悟、今が踏ん張り時だぞ。組を、そして家を守る。男たるもの歯を食いしばり、這ってでも苦難を乗り越えていかねえとな……!」
「分かっていますよ、お義父さん。俺は必ず上松組の内紛を制して見せる。大空や源悟のためにも……!」
子供と接する時は、大悟も父親の顔になる。それを見ていると、天海もしみじみ思う。大悟が凛子の婿で良かったと。
大悟を誰からもケチの付けられないほど立派な組長にしなければ。
天海は改めてそれを心に誓うのだった。
一方、上松組弟派の上松将人とその義父・志摩国光も、膠着した事態の打開に向けて動いていた。
もちろん兄の大悟や天海龍源と和解などするつもりは無く、どうやって兄派に打ち勝つか、その計画を練っていたのだ。
兄である大悟と弟である将人は何もかもが真反対だった。
それは性格だけでなく、趣味嗜好にも如実に表れていた。
たとえば、弟派の事務所は兄派の拠点である上松組本家と違って、現代的な造りをした荘厳なビルだ。外観は《アラハバキ》の事務所らしく質実剛健だが、内装は派手でギラギラしている。
大理石の床に金ぴかの壁、高級家具や調度品の数々、そして眩いシャンデリア。完全に成金趣味だ。
それらは将人の自己顕示欲が強く、負けず嫌いな性格をよく表している。
その弟派の事務所内でも、上松組の分裂抗争に対する対策が話し合われていた。といっても、実態は上松将人の一方的な八つ当たりだ。
「おい、お前らァ! 一体どうなってやがんだ!? いつまで兄派の連中に手こずっているつもりだ!! 俺たちには時間がねえんだ! あとになればなるほど下克上は難しくなる……!! 街が混乱をきたしている今が最後のチャンスなんだ!! それなのに、何、呑気かましてやがるんだ!?」
「し……しかし……」
「いいか、まずは大悟と龍源の叔父貴を引きずり出さなきゃならねえ! 連中が上松組本家の屋敷に居座り続ける限り……そして親父の遺言書を握っている限り、遺産も組も全部連中のものなんだからな!! このまま手をこまねいていりゃ、俺たちは永遠に本家の連中から格下扱いを受け続けるぞ!!
……せっかく、最近、組に入った《ストリート・ダスト》っていう鉄砲玉がいるんだ! 奴らをどんどん兄派の連中の元へ送り込め! 札束でもぶら下げて、焚きつけるんだ!! 数で押しまくりゃ、さすがの本家の連中もいつか守り切れず、組織の結束にほころびが出る……! そこを突き崩し、瓦解させるんだ!!」
「は……はあ。そいつは分かっちゃいるんですが……」
「向こうの陣営には舎弟頭の天海さんがいることもあり、兄派はやたら士気が高い。あれを攻め崩すのはさすがに……」
「ごちゃごちゃごちゃごちゃ……言い訳ばかり並べたててんじゃねえ!! てめぇら、本当に上松組構成員か!? 盃を交わした親分や兄貴分に対して、恥ずかしいとは思わねえのか!!」
将人はあたりかまわず怒鳴り散らした。
将人は確かに優秀なのだが、負けず嫌いが高じるあまり短気であるのが欠点だった。
弟派についた幹部は、兄派幹部に比べると若干、年齢層が若いものの、それでもほとんどが将人より年上だ。しかし将人の剣幕に押され、反論もままならない。誰も将人を諫めることができず、完全に持て余している。
事務所内には気まずい空気が漂った。その中でただ一人、女性が優雅に煙管をふかしている。将人の妻、穂波だ。
彼女は真っ赤なワンピースにシルバーのショールを羽織って、イギリスの高級アンティークチェアに腰かけていた。メイクも濃い。これまた、大悟の妻である凛子とは正反対の女性だった。
因みに穂波は志摩国光の一人娘でもある。
真っ赤なルージュを引いた唇から、ふうっと紫煙を吐き出すと、穂波は将人へ冷ややかな視線を向ける。
「うるさいねえ! 黙って聞いてりゃ大の男が、自分の思い通りに事が進まないからって、ピーピー泣き喚くんじゃないよ!!」
「ああ!?」
「兄派を倒せば、将人、あんたが上松組組長なんだ! 女々しい癇癪なんぞ起こしてないで、ドンと構えてな!!」
すると、将人は穂波の前へずかずかと近づき、思いきり彼女の頬へビンタを食らわせた。バチンという大きな音が響き渡る。その弾みで口の中が切れたのか、穂波の口の端から血が滴った。
「黙ってろ、このクソアマが!! これは男同士の命を懸けた戦いなんだ! 女の分際で男の戦いに口出ししてんじゃねえっ!!」
しかし、穂波はぎろりと将人を睨み返した。
「『男同士の命を懸けた戦い』……!? そんな甘っちょろい認識だから、出来の悪い実の兄相手にいつまでも手こずらされるんだよ! いい加減、覚悟を決めな!!」
「何だと!?」
「大悟は故・上松組組長であり、父親でもある上松将悟の寵愛を受け、特別に優遇されてきた! 子どもの頃から利発で聡明だったのにもかかわらず、徹底して冷遇されてきたあんたに比べると、その扱いは天地の差だ!! そんなことは、《アラハバキ》では誰もが知っていることさ!!」
「黙れ、穂波! そんなに俺に恥をかかせたいか!?」
「馬鹿だね、よく考えてごらん! 『親の力がなけりゃ何もできない、依怙贔屓された頼りないボンボン』……そういう大悟のイメージに不信感を持つ者は多い。だからこそ、これだけ多くの構成員がアンタの元に集まって来たんだ! みな、あんたの才を信じ、あんたに上松組の将来を預けようってね!! そういう奴らの前で、あんたはこれ以上、醜態を晒すつもりかい!? キャンキャン喚けば兄派は壊滅するのかい!?」
「くっ……!!」
「……あんたに必要なのは覚悟だよ! 上松組の将来のため、ここに集まったみなのため、どんな手を使ってでも実の兄と天海龍源を殺し、上松組を必ず手中に収める……その覚悟だよ!!」
「そんなことは言われなくても分かってる!! 俺は必ず上松組の組長になる……必ずな!!」
幹部たちは目の前で繰り広げられる上松夫妻の激しい応酬にただただ呆気に取られ、眺めているしかなかった。将人も穂波も烈火のごとき怒りを互いに容赦なくぶつけ合っており、まるで真剣を用いた斬り合いをしているかのようだ。たとえ《アラハバキ》構成員といえど、この夫婦げんかを止めることはできない。
するとその時、初めて志摩国光が立ち上がった。
志摩国光は六十二歳、非常に小柄で柔和な顔立ちをしている。派手な装いを好む将人とは違って服装も地味で、とても《アラハバキ》構成員には見えない風貌だ。
だが、彼もまた天海龍源と同様に大抗争時代を戦い、生き抜いてきた強者だ。志摩国光は将人と幹部たちに向かって、穏やかな口調で語りかける。
「そうだ、将人。お前はこれまで、その能力を不当に貶められてきた。本来、《アラハバキ》は序列を前提とした実力主義組織だ。このまま、能力的に劣った大悟を上松組の頭にするなんて情けねえ事態だけは避けなきゃならねえ。
前組長の将悟の兄貴は偉大な組長だったが、唯一、大悟を寵愛した点に関しては間違いだったということだ。組長も……それに天海もそれは分かっていただろうが、親子の情には勝てなかったんだろう。
……だが、それで組を潰すわけにゃあいかねえ。俺たちはこの《監獄都市》で、《アラハバキ》構成員として生きていく他ないんだからな」
「志摩の兄貴……」
「だから……みんなどうか頼む。将人に力を貸してやってくれ。この通りだ」
志摩は弟派の幹部メンバーに向かって深々と頭を下げた。突然のことに、幹部たちはみな驚き、慌てふためく。
天海龍源と同じく、志摩国光も上松組の構成員たちから慕われていた。実のところ、みな上松将人より志摩国光を信頼し、ついて来たのだと言っていい。その志摩国光から頭を下げられたのだ。黙っていられようはずもなかった。
「し、志摩さん!」
「そんな……どうか頭を上げてください!!」
「叔父貴……!」
自分のために頭まで下げた志摩の姿を目にし、将人にもようやく冷静さが戻ってきたらしい。
「……すまねえ、叔父貴。それに穂波も、俺がどうかしていた。あんまり兄派の連中が粘りやがるもんだから、ついカッとなっちまって……!」
それから将人は、目の前に座る組員たちに向かって
「みな、聞いてくれ! 俺は必ず上松組組長になる! そして親父の時よりさらに組を成長させ、発展させてみせる!! それを信じ、俺について来てくれ! お前らの未来をどうか俺に預けてくれ!!」




