第12話 久藤衛士の窮状
「……亜希! 今は確かにいろいろ難しい時期かもしれない。でも、もし何か困ったことがあったら、遠慮なく俺やシロを頼ってくれ! 俺たちは『友情ごっこ』なんかじゃない……本物の友だちだって、そう思っているから!!」
「……」
しかし、それでも亜希は振り返らずに行ってしまうのだった。
シロは固く唇を引き結ぶが、それでも涙は止められず、次から次へと溢れ出す。
「亜希……シロたちのこと、本当に嫌いになっちゃったのかな? シロたちが《中立地帯》で嫌われ者になってしまったから……愛想を尽かされちゃったのかな?」
深雪は首を振った。
「いや、亜希が俺たちを避け始めたのは、東雲探偵事務所に関する噂が出回るずっと前だ。だからそれは多分、関係ない。きっと他に何か理由があるんだ」
「どうして亜希は何も話してくれないんだろ? 前は何でも話してくれたのに……」
「それは分からない。でも一つ確かなのは、亜希は感情に振り回されるタイプじゃないってことだ。いつも慎重で、軽率な言動はしない。とても理知的なタイプだ。だから、さっきの亜希の言動は、何か……少しわざとらしい感じがする」
「亜希はわざと怒っているふりをしたっていうコト?」
「あくまで俺がそう感じただけだけどね」
シロは涙を拭う。
「どうしてそんなことをするんだろう……? シロたち、どうしたらいいのかな?」
「今すぐ亜希との関係を改善するのは難しいと思う。もう少し待って、少しずつ話しかけてみよう。多分だけど……亜希は何か問題を抱えている。それを突き止めることが現状を打破する鍵になると思う。それまでは事務所の仕事に専念しよう」
亜希の問題はきっとすぐには解決しない。何故なら、亜希自身が深雪たちの関与を拒んでいるからだ。
だから、今は時期が来るのを待つしかない。
するとシロはようやく少しだけ笑った。
「……うん、分かった。それならシロもユキと一緒に頑張る! この街を守ることが、亜希や銀賀、静紅たちを守ることにも繋がるんだもんね?」
「ああ、そうだね」
まだ関係修復の望みが完全に絶たれたわけではない。それを悟り、シロは俄かに元気を取り戻したようだった。
彼女にとって《ニーズヘッグ》は家族も同然だ。それはチームを離れた今でも変わらない。それだけに、《ニーズヘッグ》の存在がモチベーションの源となっているようだった。
その気持ちは深雪にもよく分かる。かつての深雪にとって、《ウロボロス》がそうだったからだ。
深雪を含め、《ウロボロス》のチームメンバー全員が悲惨な末路を辿ってしまったからこそ、シロと《ニーズヘッグ》はいつまでも円満でいて欲しいと心から思う。
予期せぬ再会はもう一つあった。
亜希と別れたあと、三時間ほど街中を巡り、東雲探偵事務所に戻って来た時のことだ。
見覚えのある男性が事務所の前で深雪たちを待ち構えていた。
シロは嬉しそうに声を上げる。
「あ、えーじだ!」
すると、髪を茶色に染めた細身の若者は弾かれたように顔を上げた。そして深雪とシロを目にするや否や、半泣き状態になって駆け寄ってきた。
「あっ……あ、あ、雨宮さん~っ! シロさん~っ!!」
久藤衛士は囚人護送船、《よもつひらさか》で《監獄都市》に運ばれる際、たまたま深雪と同室になったことで知り合った。
見た目よりはずっと真面目で働き者なのだが、気が弱く暴力沙汰や流血沙汰が苦手なため、特定のチームに属すことができず《監獄都市》で生活するのに苦労しているようだった。
そこで深雪は、穏健派の《ニーズヘッグ》を衛士に紹介したのだ。
ところが衛士は深雪の預かり知らぬ間に、《ニーズヘッグ》を辞めてしまったという。
「衛士……!? どうしたんだ、こんなところで? 《ニーズヘッグ》を抜けたって聞いたけど、何があったんだ!?」
深雪が尋ねると、衛士は肩を落として説明した。
「そ、それが……以前、働いていたバイト先が、運悪く《アラハバキ》構成員とトラブっちゃいまして。
俺たち従業員はすぐに謝罪すべきだと店長に訴えたんですけど、その店長がちょっと気骨に溢れすぎてる人で、『誰がヤクザごときに頭なんぞ下げるか、この店は俺が守る!』とか言って徹底抗戦の構えになってしまったんです。
俺はあくまでただのバイトだったんですけど、その騒ぎに巻き込まれて《アラハバキ》から命を狙われるようになってしまって……《ニーズヘッグ》のみんなに迷惑をかけたくなかったから、泣く泣くチームを抜けました。
せっかく雨宮さんに紹介してもらったのに……本当にすみません!」
「それは別にいいけど、よく無事だったな。《アラハバキ》には今も命を狙われているのか?」
「それが……今、《アラハバキ》の御三家の一つで跡目争いが起きてるじゃないですか。そっちが忙しいのか、おかげで最近は付き纏われることもめっきり減りました」
「そうか……大変だったんだな。俺たちに言ってくれたら、力を貸したのに」
確かに、《アラハバキ》に目をつけられたとなれば厄介だ。彼らに対抗することができるのは、同じ《アラハバキ》構成員か《死刑執行人》くらいのものだろう。衛士は荒事が苦手だから、余計に怖い思いをしたに違いない。
すると、衛士は今にも泣き出しそうな顔になる。
「『《死刑執行人》を頼ったら殺す』と脅されていたんで、どうしても決心がつかなくて……でも、このまま狙われ続けるなんて絶対に嫌だから、勇気を出してここに来ました。
……一生のお願いです、雨宮さん! ここに俺を置いてください!! 《アラハバキ》の魔の手から俺を救ってください!!
身勝手なお願いだと分かっています! それでも……どうか見捨てないで下さい!!」
深雪としても、衛士の助けになりたいのは山々だ。できることなら手を貸したい。
しかし今、東雲探偵事務所では轟寧々と朝比奈小春の二人を匿っている。
(衛士まで事務所で寝泊まりするとなったら、寧々はともかく朝比奈は大暴れしそうだな……)
懸念はそれだけではない。
「その……衛士も知っていると思うけど、いま《中立地帯》では、東雲探偵事務所の悪評がしきりと流されているんだ」
「ああ……何となくは知っています。めちゃくちゃに言われてますよね。でも、あれはあくまでただの噂じゃないですか。俺が知ってる雨宮さんたちとは、実像がかけ離れてますし」
「まあ、真偽はともかく、《中立地帯》のゴーストたちはそれを信じている。中には何をしでかすか分からないほどの嫌悪や憎悪を向ける者もいて、その数は決して少なくない。だから、俺たち東雲探偵事務所の《死刑執行人》と一緒にいると、衛士にまで危害が及ぶんじゃないかって……それが心配なんだ」
いくら東雲探偵事務所の《死刑執行人》が敵視されているとはいえ、シロや奈落、流星、オリヴィエ、神狼といった面々が攻撃されることはさすがに無いだろう。みな有名で実力の高さも知られているし、何より恐れられているからだ。
しかしそれ以外のメンバーは何をされるか分からない。
それほど人々の東雲探偵事務所に向ける視線は厳しく、剣呑さを増している。
深雪でさえ、巡回していてたびたび身の危険を感じることがあるほどだ。
衛士が東雲探偵事務所に出入りしていることが広まれば、格好の標的にされてしまうのではないか。
「そう……なんですか……」
衛士はひどく落胆したようだった。《ニーズヘッグ》を離れた今、彼には他に頼れる先が無いのだろう。深雪としても、このまま衛士を見捨てるのはあまりにも忍びなかった。
「もし良かったら、他の《死刑執行人》事務所を紹介するよ。その方が衛士にとっても安全だと思うから」
「あー、いや……それはやめときます。バイトが首になったせいで、その……今はあまり持ち合わせがないんです。《死刑執行人》事務所で護衛を頼むとなると、相応の報酬を支払わなきゃじゃないですか。それで、ひょっとして雨宮さんならと思って、頼って来たんですけど……ちょっと虫が良すぎだったですかね、はは……」
「衛士……」
虫が良すぎなどと、そんな事を思うわけがない。上松組の内部抗争のせいで街中が荒れ果て、まともに営業が出来ない店や事業所も増えていると聞く。
ただでさえ《監獄都市》の人々の生活は貧しいのに、その上、生計を立てる手段が立たれてしまったのだ。金銭的に困窮するのも無理からぬことだった。
加えて物資不足に、暴走気味の《Zアノン》信者。
身の危険を感じても、普通の人々はひたすら不安に耐えるしかない。
《死刑執行人》を雇う事ができるのは、経済的余裕や縁故のある一部の『富裕層』のみなのだ。
「ごめん、こんな時じゃなかったら歓迎したんだけど」
深雪が声を落とすと、衛士は慌てて両手を振る。
「あ、いえ。気にしないで下さい! 一応、住むところはまだあるし、何とか生活はしていけてるんで。ただ……時どき雨宮さんやシロさんに会いに来てもいいですか? 《ニーズヘッグ》の皆に不義理を働いてしまった手前、ちょっと会い辛いですし。俺、この街で他に話しができる人があまりいなくて……最近の《中立地帯》、すげえ荒れてて何か怖いし。その……他に頼れる人がいないんです」
断る理由など、どこにも無かった。そもそも彼が《ニーズヘッグ》を離れることになった原因も《アラハバキ》であって、衛士には何ら非がないのだ。
「分かったよ、衛士。俺で良かったらできる限り力になる。困ったことがあったらいつでも言ってくれ」
「シロも衛士が元気になれるよう、お手伝いするよ!」
「あ……あざっす!! すげえ助かります!!」
「もう少し街が落ち着いたら、一緒に衛士の身の振り方を考えよう。《ニーズヘッグ》に戻るのもありだと思うし、それがどうしても嫌なら他のチームを探すという手もあるし」
深雪がそう提案すると、衛士も頷く。
「そうですね。少し……安心しました。やっぱり雨宮さんたちのところへ話をしに来てよかったです」
安堵からか、衛士の表情は少し明るくなった。ここに来るまでよほど心細い思いをしていたのだろう。
衛士の窮状を根本的に解決するには至らなかったが、相談相手ができたというだけでも大きな安心材料となったようだ。
それから衛士は今日のところは家に戻ると言って帰って行った。
彼の背中を見つめつつ、シロはぽつりと呟く。
「衛士、少しやつれてたね」
「ああ。衛士は妙に巻き込まれ体質なところがあるから、抗争の餌食にならないよう気を配るようにしよう」
ただ、深雪たちの日常業務も爆発的に増加する中、どれだけ衛士を守れるか分からないし、そもそも衛士一人だけ助かっても意味がない。
より多くの人を救うには《監獄都市》全体の状況を改善する方法を探らなければ。
その点を鑑みても、五大《死刑執行人》事務所の結集は必須だ。
シロはさらに疑問を口にした。
「衛士は亜希が怒ってる理由、知らないのかな?」
「……!」
シロに指摘され、深雪も初めて気づいた。そういえば、衛士が《ニーズヘッグ》を去った時期と、亜希が深雪たちを避け始めた時期はちょうど重なる。ひょっとしたら、衛士は何か知っているかもしれない。
「そうだね。今度、聞いてみようか」
そう会話しつつ、シロと深雪は東雲探偵事務所の中に入るのだった。
✜✜✜
上松組の兄派と弟派の抗争は、激化の一途を辿っていた。
東雲探偵事務所を始めとした各《死刑執行人》事務所は事態を重く捉え、それぞれ巡回の頻度を増やしたり範囲を広めるなどして対策に乗り出す。
だが、抗争激化はそれを上回る速さで進み、規模も巨大化する一方だ。
結果として《死刑執行人》側はその全容を掴むことすらできず、対応が後手に回っていた。
もっとも、現状を把握しきれていないのは当の上松組も同じだった。
兄派にしろ弟派にしろ、互いの派閥どころか自陣の戦力すら冷静に分析できていない。そんな有り様だったから、ましてやコントロールなどできるはずもなく、抗争が激化するのもさもありなんという状況が続いていた。
そもそもの事の起こりは、前上松組組長・上松将悟の死去にある。
上松将悟には上松大悟と上松将人という二人の息子がいた。
兄が大悟で弟が将人だ。
二人は年子ということもあり、幼いころからライバル関係にあった。
おっとりとして穏やかな兄・大悟、それに対して弟の将人は気が強く、常に兄に負けまいと努力を重ねてきた。また、実際に将人は頭の回転も速かったため、兄より優秀であると評されてきた。
人柄の大悟に、実力の将人。
上松将悟はきっと二人が手を取り合って、自分の亡き後の上松組を支えてくれると信じていただろう。
その証拠に、彼は長男の大悟を若頭に指名し、次男の将人を本部長に据えた。上松将悟は兄の大悟を後継者に選び、そのサポート役を弟である将人に期待したのだ。
だが、現実はそううまくはいかなかった。
自分の方が兄の方より優秀なのだから、当然、組を継ぐ立場にも相応しい。そう考えた弟の将人は、兄に反旗を翻した。
通常であれば、彼はすぐさま重い処罰を受けていただろう。「将人の行動は筋が通らない。親に対する不義理だ」、と。
だが上松将悟が亡くなった直後であったこと、そして弟・将人の方が兄より遥かに優秀であったことが事をややこしくした。
何せ上松組は構成員数・八千を誇り、傘下組織は九次団体にまで及ぶ巨大組織だ。これほどの規模は《アラハバキ》の中でも最大であると言っていい。それほど巨大な組織の頭を張るにしては、おっとりとした長男の大悟では力不足なのではないか。そう案じる構成員は少なくなかったのだ。
折悪しく、長男・大悟と次男・将人は若い頃からライバル関係にあったため、それぞれの息子を中心とした派閥が既に出来上がっていた。そのため、弟・将人の『反乱』を支持する者は多く、一大勢力を築いたのだった。
一方、兄・大悟を支持する者も決して少なくなかった。大悟は前組長である上松将悟から指名された正統な後継者だ。特に上松将悟に恩義を感じている構成員は、大悟を支持した。世話になった親分に忠義を尽くそうと。
こうして最終的に上松組は真っ二つに割れたのだ。
とはいえ、《アラハバキ》構成員はその殆どが強力なアニムスを持つゴーストだ。特に現役構成員は厳しい序列の競争を生き延びてきた猛者揃いだ。
そんな彼らが全面的にぶつかって『戦争』したらどうなるか。
血みどろの争いに発展するくらいならまだしも、上松組どころか《監獄都市》そのものが吹き飛びかねない。
それでは、さすがに跡目争いの意味がなくなってしまう。
そこで行われたのが、《中立地帯》での代理戦争だ。
上松組の兄派と弟派は、それぞれ《中立地帯》の有力なチームを自陣に引き込み、彼らを自分たちの代わりに争わせることで、互いの出方を探ったり牽制し合ったりし始めた。
自らは一滴も血を流すことなく、最大限に安全を確保しながらも、成果を得ることができる。当初、それは相応に効果があった。
しかし、過度な競争は全てを狂わせる。兄派も弟派も競うようにして《中立地帯》のチームを取り込み続けた結果、新参の構成員がうなぎ上りに増え、気づけば上松組幹部たちがコントロールできる範囲を超えるほどの大所帯と化してしまったのだ。
新参構成員どうしの諍いも増え、それが旧来の上松組下部組織に飛び火するケースもまた激増している。あわや《リスト執行》かというほどの衝突が起こることも珍しくなくなった。それぞれの派閥の組幹部がもみ消しているため、辛うじて《死刑執行人》がしゃしゃり出るほどの事態にはなっていない。
だが、それもいつまでもつか。
もっとも上松組兄派と弟派は、その現実に必ずしも悲観し、嘆いているわけではない。むしろ相手がいつ弱るか、いつボロを出すかと互いに舌なめずりをしながら、虎視眈々と勝利を掴むチャンスを狙っていた。
たとえ抗争が露見し《死刑執行人》が介入してきても、代理戦争が行われている現状において実際に《リスト執行》されるのは《中立地帯》出身の元・《ストリート・ダスト》たちだけだ。
ゴミが掃除されれば世の中はむしろきれいになる。
それよりは、いかに主導権を握るかが重要だ。
上松組本家では、その日も兄派幹部による会合が行われていた。
上松組本家の屋敷はいわゆる日本の伝統建築を踏襲した豪邸だ。重厚感のある大黒柱、真っ黒い屋根瓦は艶やかで、周囲は広大な日本庭園で囲まれている。植木はもちろん、池も橋もきれいに手入れが行き届いており、当然のことながら屋敷にも塵一つ落ちていない。
その屋敷の一室に、上松組組長の上松大悟、そして舎弟頭の天海龍源とその弟分や子分たちが集結していた。
天海龍源と上松大悟が上座に並んで座り、下座には長年、上松組を支えてきた重鎮幹部たちがずらりと並ぶ。
その中には松瓦屋蔵人の顔もあった。
松瓦屋は兄派の中でも屈指の武闘派であり、次期・《中立地帯の死神》である雨宮深雪の命を白昼堂々と狙ったことさえある人物だ。
上半身に見事な倶利伽羅紋々を入れており、今も大きく開いた胸元のシャツからその勇壮な入れ墨の一端が覗いている。




