第11話 深い溝
「その情報屋の名は?」
「本名は知らねえ。ただ、みんなはそいつのことを《スケアクロウ》って呼んでる」
「《スケアクロウ》……」
聞いたことの無い名だった。各務の説明は続く。
「《スケアクロウ》が人気なのは《中立地帯》だけじゃない。《アラハバキ》や一部の《死刑執行人》も《スケアクロウ》から積極的に情報を買ってるって話だ。一時期、エニグマっていう有名な人気№1の情報屋がいただろ? 今は《スケアクロウ》が人気№1だよ」
「そいつが東雲探偵事務所の悪評を流しているのか?」
「まあ、そーいうコト。元もと《スケアクロウ》は《Zアノン》信奉者なんだよ。だから《Zアノン》思想を広めるためにも、敢えて東雲の《死刑執行人》を貶めてるんだろ。『《死刑執行人》なんて不正だらけで当てにならない、この世界を救うのは《Zアノン》だ』ってな」
「《Zアノン》……か」
《Zアノン》が何なのか、具体的なことは未だに何も分からない。おそらく大衆に拡散するには、それくらいふんわりしていた方が都合がいいのだ。何しろ、各々が勝手に解釈してくれるのだから、布教の手間も省ける。
ただ、《Zアノン》のネタの出所ははっきりしていた。
(《Zアノン》は、元はといえば《突撃☆ぺこチャンネル》という動画チャンネルで、動画配信者のぺこたんが広めた一種の陰謀論だ。あの頃、ぺこたんは頻繁に京極と会っていたみたいだった。京極はぺこたんを利用して《Zアノン》という言葉を意図的に拡散させ、後の《グラン・シャリオ》の壊滅に利用したんだ。つまり、今回広がりつつある《Zアノン》信仰も、京極の手によるものなのか……?)
確証はない。だが、《死刑執行人》がかつてないほど信頼を失い、それと入れ替わるように《Zアノン》が持て囃されている現在の状況は、どうしても自然発生的に起こったものであるとは思えなかった。
ある程度、京極によって仕組まれていると考えた方が自然だ。
問題は《スケアクロウ》という情報屋がどこまで京極に関わっているのかということだ。
(……ともかく、《Zアノン》のことは、たかが陰謀論と放置しておくべきじゃないのかもな)
それから深雪は各務に質問を重ねる。
「因みに、各務はその《スケアクロウ》と実際に会ったことがあるのか?」
「まだ無いッス。でもいつかは会ってみたいですね。《スケアクロウ》は金で相手を判断しない。正義の戦士・《Zアノン》に共感した者なら、誰でも歓迎してくれるそうなんで」
(それでさっき、《Zアノン》信奉者の演説を熱心に聞いていたのか)
各務はどちらかと言うと現実主義者で、偏った思想とは無縁のように見えたから、なぜ《Zアノン》信者に交じっているのか不思議だった。彼は《Zアノン》に関心があったのではなく、《スケアクロウ》に接触する糸口を探っていたのだ。
各務は最後につっけんどんな態度で尋ねる。
「知っていることは全部話したんで、もう行っていいっスか?」
「あ、ああ。話してくれてありがとう」
「……次に会う時は敵同士ですね。《死刑執行人》だからってこっちも手加減はしないんで」
突き放した口調でそう告げる各務。その瞳は冷ややかで、こちらに対し、明確な徹底抗戦の意思を見せている。しかし深雪は笑顔を返した。
「そうか。俺もまだ《コキュートス》を《アラハバキ》から引き離すこと、諦めてないから」
それを聞いた各務は、心底、嫌そうな顔をする。
「マジで変なヤツ……キモ」
居心地が悪くなったのだろう。各務はぶつくさ言いつつ、足早に立ち去った。それを見送ってから、深雪とシロは人通りの少ない路地へ入った。
先ほどまで何十人もの人だかりでひしめいた通りにいたからか、ちょっとした解放感に包まれる。
ほっと一息をついてから、深雪はシロに声をかけた。
「シロ、《スケアクロウ》って情報屋のこと、聞いたことある?」
「ううん……最近は《ニーズヘッグ》の皆にもあまり会わないから、シロよく分からない。静紅や銀賀なら何か知ってるかもしれないけど……亜希がまだ怒ってるから」
「そっか……」
東雲探偵事務所は《死刑執行人》の事務所ということもあり、ストリートの事情にはどうしても疎くなりがちだ。
以前は《ニーズヘッグ》と情報交換をすることで、その穴を埋めていた。しかし、今は頭である竜ケ崎亜希が深雪たちを避けており、情報が入手し辛くなっている。
《Zアノン》信者の台頭を許したのもそれが原因の一つだ。
(《ニーズヘッグ》の方もこのまま放ってはおけないな。一刻も早く解決しないと……)
すると、深雪の影から突然、にゅう、と細い手足が生えてきた。それらはどんどん伸びていき、頭部や胴部分も露わになると、やがて人のかたちを形成する。
姿を現したエニグマは、いつものとらえどころのない口調で言った。
「《スケアクロウ》……ですか。確か『案山子』という意味ですね」
「……!」
ぎょっとする深雪だったが、シロは嬉しそうに声を上げる。
「あー、エニグマのおじさんだー!!」
「はい~、エニグマのお兄さんですよ~。どうも、どうも~」
「エニグマ、隠れていなくていいのか? 誰かに俺たちと話しているところを見られたら……」
人けのない路地を選んだため、一見したところ深雪たちの他には誰もいないようだ。だが、《監獄都市》は狭い割に人口密度は高い。壁に耳あり障子に目ありで、誰がどこで目を光らせているか分からないではないか。
するとエニグマは、何食わぬ顔をして答えるのだった。
「まあ、私と東雲探偵事務所の関係は《中立地帯》でもかなり有名になっているようですからねえ。もはや伏せることにあまり意味はないかと。
どうやら先ほど《コキュートス》の頭が言っていた通り、その《スケアクロウ》という情報屋が《収管庁》や《死刑執行人》……特に東雲探偵事務所に関する悪評を積極的に流しているようですね。抱えている顧客も多く、今や《アラハバキ》や他社の《死刑執行人》事務所、《収管庁》の一部官僚までもが彼らから情報を買っているとか。
……しかし《スケアクロウ》はかなり風変りでしてね。本来の目的は《Zアノン》思想の普及のようです。そのついでに情報屋も兼ねているのだそうですよ」
「エニグマは《スケアクロウ》や《Zアノン》についてどこまで知っているんだ?」
一縷の望みをかけ深雪は尋ねるものの、エニグマは口惜しそうに首を振る。
「残念なことに私はここ最近、情報屋としての信頼を失墜させてしまいましてね。それもこれも元は《スケアクロウ》のせいなのですが、ともかく人々に『東雲探偵事務所に雇われているスパイ』と認識され、詳細な情報が得にくい状況なのですよ」
「《Zアノン》は《突撃☆ぺこチャンネル》を介し、京極が広めた陰謀論だ。つまり、《Zアノン》信奉者は直接的、ないしは間接的に京極の影響を受けているということになる」
「そうですね」
「それじゃ、《スケアクロウ》は? 《スケアクロウ》も《Zアノン》信者と聞いたけど、京極と繋がっていると思うか?」
「それは何とも……繋がっているとは言っても程度はさまざまで、ただ京極の思想に共感しただけのフォロワーかもしれませんし、そこそこの顔見知りだったとしても用が済めばポイ、というパターンあり得るでしょうしね。それこそ、どこぞの動画配信者のように」
(ぺこたんか……)
動画配信者のぺこたんが今どこで何をしているか、深雪は知らない。
ぺこたんは、以前は特ダネを探し求めて深雪の周囲をちょろちょろしていたが、最近は全く姿を見せなくなった。時おり彼のチャンネルを確認してみるものの、新たな動画が更新されている気配もない。
ぺこたんもまた、京極の陰謀に巻き込まれてスタッフを失っている。それが物理的にも精神的にも、大きな痛手になっているのだろう。
エニグマは思い出したように付け加えた。
「ただ、《スケアクロウ》は非常に謎めいた人物であるようですね」
「謎……?」
「ええ。《スケアクロウ》は人前では常に仮面を被り、誰もその素顔を見たことがないそうです」
「仮面……? たとえば、夏祭りの屋台とかで売ってる?」
「いえ、そういうタイプのものではなく、真っ白いペストマスクのようです。中世のヨーロッパで黒死病が蔓延した際、医師が装着したと言われている鳥の嘴のようなマスクですね」
「ああ……うん、分かるよ。確かに変わってるな」
「それだけではありません。《スケアクロウ》は相手と話す時は変声機を使うため男性だか女性なのかすら分からないのだそうです。そのため、《中立地帯》では彼、もしくは彼女の正体についてちょっとした論争になっているのだとか」
「そうか……マスクはともかく変声機まで使うなんて、絶対に素性を知られたくないという強い意志を感じるな。何か理由があるんだろうか?」
「それは本人に尋ねてみないと何とも……何度か尾行を試みているのですが、ことごとく撒かれてしまいましてね」
「エニグマが……!? 《ベゼッセンハイト》を使ったんだろ? それなのに、か?」
驚いてつい大声を上げると、エニグマは両手で顔を覆い大袈裟に打ちひしがれる。
「ええ。全く我ながら、面目ないことこの上ない! 雨宮さん、どうか不甲斐ないこの私めを罰してください!!」
「いや、別にそういうのいいから。それに、エニグマほどの情報屋が撒かれたのには何か理由があるんだろ?」
すると、エニグマはニヤリと笑みを浮かべる。さすがは雨宮さん――そう言わんばかりに。
「……そうですね。彼は人間による尾行はもちろん、おそらくアニムスを持ったゴーストの尾行をかわす技術も兼ね備えている。あれはその辺の一般人に可能な芸当ではありませんよ」
仮面を被り、性別や年齢も不祥、変声器すら用いているとは。
個人情報を秘匿したいのは分かるが、さすがにちょっと徹底しすぎではないか。情報屋とはいえ商売なのだから、あまり素性を隠し過ぎると逆に相手に警戒感を与えるリスクもあるのに。
おまけに、それだけならまだしも、エニグマの尾行まで撒いてしまうなんて。
それらを総合しても、どう考えても《スケアクロウ》はただの情報屋ではない。何かよほど後ろ暗い過去があるか、それとも人には言えないような悪巧みをしているかだ。
(《スケアクロウ》……一体何者なんだ……?)
一度、直に会ってみたいが、エニグマの話から察するにこちらから接触を持つのも難しそうだ。できれば情報収集したいが、今の東雲探偵事務所の立場を考えれば、それもうまくいきそうにはない。
この街では、情報は命に関わる。
信頼のおけない相手に命を預ける真似をする者などいるわけがない。
一体、どうしたらいいのか。
深雪が考えこんでいると、シロが不意に声を上げた。
「あっ……!」
「シロ? どうしたの?」
「あれ……あそこ! 亜希がいる!!」
シロは通りの奥を指さした。確かに誰か歩いているのが見えるが、遠すぎてよく分からない。しっかり目を凝らして、ようやく亜希だと分かった。シロでなければ気付かなかっただろう。
「あ、本当だ。シロ、よく分かったね」
「ユキ……!!」
シロは亜希の元へ行きたくてうずうずしている。深雪としてもこのチャンスを逃したくはなかった。この機を逸すれば、またいつ話せるか分からない。
「ああ、行こう!」
深雪とシロは、揃って亜希を追いかける。
一方エニグマは、するりと深雪の影に戻った。自分は居合わせない方がいいと判断したのだろう。
シロはぐんぐんスピードを上げていく。深雪も全力で走っているが、彼女との距離は離されるばかりだ。
絶対に亜希を逃したくない。シロの強い気持ちが伝わってくる。
「亜希!」
ようやく亜希の後ろに追いつき、シロが声をかけると、亜希はびくりとして振り返った。
「シロ……!?」
「何か久しぶりだな。元気だった?」
深雪も何とか置いて行かれることなく追い付くと、肩を上下させながらも笑顔で話しかける。
「深雪まで……!」
亜希の猫のような弧を描いた瞳は、さらに大きく見開かれた。そこには不安と動揺、それに輪をかけて強い恐怖が滲んでいる。まるで肉食獣に命を狙われ、逃げ惑っている小動物のようだ。
(やはり、俺たちのこと警戒している……)
ここは慎重になった方がいい。深雪はそれ以上亜希に近づかず、さり気ない口調で尋ねた。
「どこか出かけてたんだ?」
「……。バイトだよ、《タム・リン》の。これから《ニーズヘッグ》の拠点に戻るとこ」
「そっか。ちょうど良かった。ずっと話したいと思っていたんだ。少しだけ時間をもらえないかな?」
「……いや。悪いけど今、急いでいるから」
亜希の声音は、これまで聞いたことが無いほど固く強張っていた。深雪たちに対し、はっきりと拒絶の意思を感じる。それに堪りかねたのだろう、シロは悲痛な声音で訴えた。
「あ、亜希! シロ、亜希とお話しできなくて寂しかったよ! ずっと……ずーっと寂しかったよ!!」
「……」
「シロもこう言ってるし、どうかな? 亜希が俺たちに反感を持っていて、近づかないようにしているのは分かってる。その理由までは分からないけど……でもこれは決して解決できないものじゃないんじゃないかな? きちんと話し合えばきっと……」
深雪は努めて穏やかに振舞ったつもりだった。静かに、そしてできるだけ相手を刺激しないように。しかし亜希は、深雪の言葉を遮るようにして絶叫する。
「もう……もうやめてくれないか、そういうの!!」
シロは蒼白になり、体を硬直させた。頭頂部の獣耳も毛が逆立ち、細かく痙攣している。
もともと亜希は理知的で物静かな性格だ。こんな風に感情的になって怒鳴り散らすなんてことは、今まで一度もなかった。
シロも亜希の態度にショックを受けたのだろう。身を縮ませ、声を震わせる。
「あ……亜希……? シロたちのこと、嫌いになっちゃった……?」
「君たちに関わること、それ自体が僕たちにとってはリスクなんだ! 好きとか嫌いとか、そういう事じゃない!! こっちは生きるか死ぬかの境界線上に立たされているんだぞ!!」
「亜希、それはどういう事なんだ? 《ニーズヘッグ》に一体何が……」
深雪が尋ねると、亜希は冷淡な瞳をこちらに向けた。鋭利な刃物で突き刺すような、棘々しい視線だ。
「東雲探偵事務所が今、《中立地帯》でなんて噂されているか知ってるか?」
「……!!」
さすがに深雪も息を呑む。《コキュートス》の各務でさえ、東雲探偵事務所の悪評を知っていたのだ。情報に敏い亜希は当然、その内容を把握しているだろう。
亜希は吐き捨てるような口調で捲し立てる。
「以前は東雲探偵事務所と手を組むことにそれなりの利益があった。でも今は、全く逆だ! 《中立地帯》で東雲探偵事務所は信用を失い、『残忍な殺戮集団』とか『既得権益にしがみつく腐った独裁者』とか、『《収管庁》の犬』とまで言われてる。そんな東雲探偵事務所に対し、《ニーズヘッグ》が近づくことにどれほどのリスクがあるか、君たちなら分かるだろ!!」
「亜希……」
「これを機に、僕たちとはもう二度と関わり合いにならないでくれ! 君たちは僕たちに対して友だち気取りなのかもしれないけど、こっちは迷惑でしかないんだよ!!
……うちはそもそも武闘派じゃない! 抗争に巻き込まれたりでもしたら、そこから逃れることすらできないんだ! 分かるか? 《死刑執行人》とのくだらない『友情ごっこ』で周りのチームから疑惑をかけられたり不信感を持たれたら、その時点で終わりなんだよ!
頼むから少しはこっちの立場も考えてくれ!! いい加減、自分たちが厄介者の嫌われ者なんだって自覚してくれよ!!」
亜希の言うことはあまりにも正論で、深雪は何も言い返せなかった。
これまでは東雲探偵事務所が《中立地帯の死神》として機能していたからこそ、《ニーズヘッグ》も関わりを持つことにメリットがあった。
だが東雲探偵事務所の信頼失墜と共に、今やそのメリットは完全に失われてしまったと言っていい。
それどころか、街中で勢いを増す《Zアノン》信者たちは、東雲探偵事務所の《死刑執行人》に激しい憎悪すら抱くあまり、敵対行為も辞さない姿勢を見せている。
そんな中、《ニーズヘッグ》が東雲探偵事務所と関係があると分かったら、どんなとばっちりを食うか。それを考えると、亜希の主張は頭としてこれ以上もなく真っ当だ。
ただ一つ、彼が何かにひどく怯えているように見える点を除けば。
その違和感のおかげで深雪は冷静だったが、シロは違う。
シロは亜希の辛辣な言葉の数々に絶句してしまった。大きく見開かれた瞳から涙が溢れ、その粒が彼女の丸みを帯びた頬を滴り落ちていく。
「ごめん……ごめんね、亜希……。シロ、いつも亜希に迷惑ばかりかけて、ごめんね……!」
「……!!」
シロはポロポロと涙を零した。頭上の獣耳は元気がなく、すっかり伏せ耳になってしまっている。
それを目にし、さすがの亜希も動揺したようだった。そして強い罪悪感に駆られたのだろう、シロから顔を背け、小さく唇を噛む。
だが、彼の考えが覆ることはなかった。
「とにかく、もう……二度と僕には話しかけないでくれ。《ニーズヘッグ》もそうだ。金輪際、近づかないでくれ……!」
そして、逃げるようにして深雪たちの元を立ち去った。
深雪は亜希の背中に向かって呼びかける。




