第10話 逆境
「……氷河、先ほどの東雲探偵事務所に関する情報をどこで手に入れた?」
「さあ? 自分で調べてみたら? ただ、早くしねえと、街中に拡散するのも時間の問題だと思うけど」
片手をひらひらさせながらそう言い残すと、氷河凍雲も会議室を退出する。残るは六道、九曜計都、朝霧隼人と深雪・流星のみだ。
朝霧隼人は、やれやれとばかりに小さく溜息をついた。
「約束をした以上、人員は出すが、こちらも日常業務がある手前、何人でも出すというわけにはいかん。やはり他の事務所を説得し、もう一度会合を持つ必要があるだろうな」
「……ああ、そうだな。協力には感謝する、朝霧所長」
朝霧は立ち上がると、今度は九曜に向かって一礼する。
「九曜長官、本日はお招きいただき感謝申し上げます。我があさぎり警備会社は、長らく《収管庁》とは距離を置いてきました。しかし昨今の情勢はどうもキナ臭い。東雲探偵事務所の提案する合同事業は今後必ず必要となるでしょう。何か決まりましたら、ぜひ私どもにもご連絡ください」
「うむ、そうしよう」
返事こそしたものの、九曜が怒り心頭であるのは火を見るより明らかだった。ただ《収管庁》長官としてのプライドが、辛うじて彼女に平常心を保たせているのだろう。
それからあさぎり警備会社の所長も退出すると、会議室の円卓を囲むのは九曜と六道のみとなった。九曜は射殺さんばかりに六道を睨む。
「……東雲、氷河武装警備事務所の所長が言っていたことは本当か? 『東雲探偵事務所は《リスト登録》すらされていないゴーストを独断で殺している』というのは?」
六道は何食わぬ顔をしてそれに答えた。
「まさか。あれはあくまで、ただの噂ですよ」
「そうか? 確かに氷河凍雲の言っていたことは噂話だと本人も前置きをしていたが、他の二件に関しては事実だったぞ」
「……」
本当のところはどうなのだろう。深雪は横目で隣に立つ流星の様子を窺った。
流星は無表情だ。まったく顔色を変えない。
――不自然なほどに。
そこから深雪は悟る。九曜の懸念は事実なのだと。
冷や汗が頬を滴った。会議室の空気がピンと張り詰める。
「……まあいい。氷河凍雲は此度の合同事業に反対し、計画そのものを潰したいと考えているようだったからな。奴の思惑に乗って今ここで貴様を処罰するような真似はせん。だが、今後もこの《収管庁》に出入りしたければ、二度と勝手な行動はするな。いいか、ゴースト風情が我々国家権力に逆らえばどうなるか……よく考えるんだな」
忌々しそうに吐き捨ててから、九曜は立ち上がった。
「他社の《死刑執行人》はよほど東雲探偵事務所を嫌っていると見える。だが、走り出したからには今さら止めることなどできん。早急に奴らを説得し、合同事業に参加させよ。できなければ……その時は分かっているな?」
そして踵を返すと、六道らの方は一顧だにせず、荒々しい足取りで会議室を出て行く。
六道も流星も無言だ。深雪は一人、唇を噛む。すんなり事が運ぶとは思っていなかったが、五大《死刑執行人》事務所が結束するにはかなり時間がかかりそうだ。
その後、深雪らも東雲探偵事務所へ戻ることになった。事務所の車に乗り込み、《収管庁》の地下駐車場を後にする。
事務所へ戻る道中、誰も口を開かなかった。深雪もまた、これからに対する不安が胸に圧し掛かってきて、とても何かを喋る気にはなれない。
重々しい空気が車内を支配する。
事務所に戻って業務連絡を終えると、深雪と流星は着替えをするため更衣室に向かった。一張羅とも言っていいスーツを汚すわけにはいかない。
《収管庁》で氷河凍雲が言っていた、「東雲探偵事務所は《リスト登録》すらされていないゴーストを独断で殺している」というのは事実なのか。気になって仕方なかったが、それを直接、流星に聞くのも躊躇われた。
とはいえ、無言というのもどうにも落ち着かなくて、深雪は無難な話題を口にした。
「氷河武装警備事務所の所長、めちゃくちゃ俺たちのこと嫌っていたね。正直、想像していた以上だったよ」
すると、流星はネクタイを緩めつつ苦笑する。
「まあ、俺たちの場合、好かれてることの方が少ないからな。あんまり気にするな」
「氷河武装警備事務所の所長、もとはうちの《死刑執行人》だったんでしょ? 流星は一緒に仕事をした事があるの?」
「いや、俺が東雲探偵事務所に入った時には、氷河凍雲は既に退所したあとだった。ただ、大揉めに揉めた末の退所だったとは聞いている」
「《収管庁》でもそう言っていたね」
「氷河凍雲は所長となった今でも、自ら現場に出て《リスト執行》を行う。所長格の《死刑執行人》でそこまでするのは氷河凍雲ただ一人だ。それもうちの所長を反面教師にしてのことらしい。所長はほら、手足が不自由だから、現場に出ることは滅多にないだろ?」
つまり氷河凍雲は、六道のやり方を徹底的に否定した事務所運営を行っているのだ。
「ああ……そうだね。でも、だとしたら、ますます氷河武装警備事務所が新しい協力体制に参加することは無さそうだけど……」
「まあな。最低でも対面での説得は必須だろうが、向こうさんは東雲探偵事務所の関係者とは会うのも避けるからな」
「……」
六道は言っていた。この合同事業は、五大《死刑執行人》事務所の全てが参加して初めて意味があると。《死刑執行人》全員が団結しているというその姿を見せるのが、何より大切なのだと。
しかし、計画には早くも暗雲が漂い始めている。
「所長はどうするつもりなんだろう……?」
深雪が呟くと、早くも着替えを終えた流星は、励ますように笑みを見せつつロッカーの扉を閉めるのだった。
「心配なのは分かるが、考えすぎてもしょうがない。今は一つずつ、やれることをやっていくだけだ」
「……うん、そうだね」
現に事務所の仕事は増加傾向にある。上松組の内部抗争のせいで《中立地帯》には日増しに不穏な空気が濃く漂うようになっており、実際にゴーストどうしの衝突も増えている。そのため、巡回も増やさざるを得ないからだ。
翌日、深雪は日課である雨宮との訓練を終え、事務所のミーティングに出たあと、シロと共に街の巡回に当たる事になった。
今のところは喧嘩や抗争には遭遇していない。だが、《ストリート・ダスト》たちの深雪たちを見つめる目はこの上もなく剣呑だった。嫌悪を軽く通り越し、殺気や敵意すら感じるほどだ。
シロも周囲を警戒しながら深雪に身を寄せる。
「何だか……シロたち、ずっと睨まれてるね」
「シロもそう思う? まあ立場上、あまり仲良くするわけにもいかないけど……ここまで敵意剥き出しなのは初めてだな」
小声で会話していると、通りすがりの若者たちが荒々しい口調で毒づいた。
「けっ、東雲探偵事務所の《死刑執行人》かよ……《収管庁》の犬が!」
「何が《死神》だ、既得権益で旨い汁を啜ってるだけのクソどものくせしやがって……! やっぱりこの街には革命が必要だ! 今こそ《Zアノン》と共に立ち上がろうぜ!!」
(《Zアノン》……か。最近、《中立地帯》でよく聞く言葉だな。かなり広く浸透しているみたいだ)
また、別の通りでも、聞こえよがしに吐き捨てられた言葉が耳に入る。
「おいおい、《死神》がこんなところで何やってんだぁ?」
「どうせ獲物でも探してんだろ。次に《リスト執行》する獲物をよ!」
「そうまでして権力に媚を売りたいのかよ? 腐ってやがるぜ! やっぱ俺らの味方をしてくれんのは、《Zアノン》だけだよな!!」
「……。ここでも《Zアノン》、か」
これまで、東雲探偵事務所の《死刑執行人》は良くも悪くも恐れられてきた。好かれることは皆無だったが、その存在感ゆえに侮られることも無かった。
アニムスを使った抗争が起きても、東雲探偵事務所の《死刑執行人》が駆けつけたと分かれば、みな裸足で逃げ出す。そういった意味では、《監獄都市》の抑止として機能していたと言えるだろう。
しかし今、《ストリート・ダスト》たちは東雲探偵事務所の《死刑執行人》に対し、激しい嫌悪と軽蔑、そして憎悪すら向けている。
代わりに彼らが信奉しているのが《Zアノン》だ。
彼らにとっては《Zアノン》こそが正義を司る存在であり、それに比して東雲探偵事務所の《死刑執行人》は悪そのものであるらしい。
もっとも、《Zアノン》の正体ははっきりせず、《ストリート・ダスト》たちもまたその具体像を把握していないように見える。それなのに、何故そこまで《Zアノン》を信じることができるのか。深雪にはいまいち共感できない。
だが、《ストリート・ダスト》の多くはすっかり《Zアノン》の虜となっているのだ。
おまけに街の一角で集会のようなものまで行われていた。お立ち台に立つ一人の若者が、《Zアノン》について熱弁を振るっている。ストリートの若いゴーストが数十人ほど集まって彼を取り囲み、その言葉に耳を傾けている。
「……つまり、《Zアノン》はこの街の腐敗と戦う、正義の戦士なんだ! 暴力や恐怖による支配じゃない、ゴーストによるゴーストのための世を作るため、神聖なる革命を起こそうとしているんだ!!
みな、うすうす勘付いているだろ? 《収管庁》や《死神》みたいな傲慢な上流階級の奴らが支配している限り、この街に未来は無いってことを!!
いちど全部ぶっ壊すくらいじゃないと、この街は変わらない!! いま俺たちに必要なのは、革命を成し遂げることのできる《Zアノン》の存在なんだ!!」
お立ち台に立つ若者はかなりの話し上手だ。講談師のように巧みに緩急をつけた話術で、聴衆の心を掴んでいる。ストリートのゴーストたちはすっかりのめり込み、大きな歓声を上げた。
「そうだ、そうだ!」
「腐敗した《収管庁》や《死神》はぶっ殺せ!!」
「真の自由を取り戻せーっ!!」
彼らはお手製の旗まで振っていた。鮮やかな赤い布時に『Z』の文字。まるでスポーツ観戦に用いられる応援旗のような、洒落たデザインだ。
その様を見て、深雪はふと街頭演説を思い浮かべた。《監獄都市》になってからすっかり絶滅してしまった光景だが、二十年前は選挙シーズンになるたびに様々な関係者が街角で演説を行っていた。
とはいえ、《Zアノン》支持者の熱狂ぶりは、街頭演説とは少し種類が違う。どちらかと言うと、バンドやアーティストのライブみたいだ。
その取り巻きの群衆の中に、見覚えのある顔があるのに深雪は気づいた。二十代前半の若者で、群衆に交じって熱心に《Zアノン》支持者のスピーチを聞いている。
「あれは……《コキュートス》の頭、各務……!?」
《コキュートス》は中堅規模のチームだ。そこそこチーム歴が長く、それ故に上松組の跡目争いに巻き込まれてしまった。今では上松組兄派の傘下組織となっている。
《コキュートス》の頭、各務もまた深雪に気づいた。深雪に対し、どこか小馬鹿にしたような視線を向け、口元を歪める。
「……おっと、これは次期・《中立地帯の死神》さんじゃないですか。こんなところで何してるんスか?」
「見ての通り、巡回だよ」
「そいつは御苦労なことで。でも最近、《中立地帯》では《死神》や《収管庁》に対する風当たりが強い。ぶっちゃけると、あんたらは完全に嫌われ者の鼻つまみ者だってことです。ここに居たら何が起こるか分かりませんよ。早く立ち去った方がいいんじゃないっスか?」
「ああ、君の意見は参考にさせてもらうよ。ところで……各務のチームは《コキュートス》だよな? まだ上松組兄派の言いなりになっているのか?」
深雪が尋ねると、各務は途端にしかめっ面になった。
「……。何スか。また上松組とは手を切れとか言うつもりっスか?」
「今ならまだ間に合う。チームには主だった被害が出ていないし、君たちもまだ手を汚していないんだろ? けどこのままじゃ、近いうちに必ず取り返しのつかないことが起きる! 転がり出したらもう誰にも止められない!! チームに犠牲が出てからでは遅いんだぞ!!」
「よくもそんな事が言えますね。上松組に入らなかったら、あんたら東雲探偵事務所の《死刑執行人》が俺たちを殺すじゃないですか! 何も非がなくても……《グラン・シャリオ》の時みたいに、権力闘争に利用されてボロボロになるんだ!!」
「……!!」
深雪は眉根を寄せた。《グラン・シャリオ》の壊滅に東雲探偵事務所が関与していることは、一部の者しか知らないはず。どうしてそれを各務が把握しているのか。
「何だそれ? 誰がそんなことを!?」
問い詰めると、各務は呆れた顔をして肩を竦める。
「知らないんスか? 今かなり噂になってますよ。《グラン・シャリオ》が《彼岸桜》とかいう《アラハバキ》構成員によって壊滅させられたのは、実は東雲探偵事務所の《死刑執行人》が仕組んだことだって。
……東雲の《死刑執行人》は己の権威を保つため、《アラハバキ》構成員にわざと無関係の《グラン・シャリオ》を襲わせた。そうすりゃ、東雲は堂々と《アラハバキ》構成員を《リスト執行》できるし、自らの恐ろしさを改めて《監獄都市》中に知らしめることができる。
要するに、一番の悪は《アラハバキ》じゃなく東雲探偵事務所――つまり、権力を乱用し無力な善人を陥れ、裏で全てを思い通りに操っている《中立地帯の死神》だってことになってるんです」
「……なるほど。みなその話を聞いているから、東雲探偵事務所に対する風当たりが強くなっているということか。因みにその話、どこで聞いたんだ? これだけ短期間で広まったんだ。誰かが故意に広めたとしか思えないんだけど」
「知らねーっスよ。もし知ってても、あんたに教える義理なんてないでしょ」
各務はすげない態度でそう言うと、そっぽを向いてしまった。何か知っているようだが、それを深雪に明かす気はさらさら無さそうだ。
シロもその気配を察したのか、頬を膨らませる。
「む~! この人、何か知ってて隠してる顔をしてるよ!」
「……はあ? 何言ってんだよ!?」
「めんどうくさいし、うっとうしいから、ユキのこと困らせてやるって思ってる!」
「う……うるせーな、放っとけよ!」
図星を指されたのか、各務は慌てて反論する。そのあまりにも分かりやすすぎる反応に、深雪は思わず笑ってしまった。
「へえ、そうなんだ。でもそれが本音なら、なおさら放置ってわけにはいかないな。一刻も早く、上松組から抜けさせて元のチームに戻さないと、だ」
にっこりと笑う深雪。各務はげんなりした様子で呻く。
「あんた……何考えてんだよ? 自分が嫌われてるってことの意味が分かってねえのか!?」
「もちろん分かってるよ。ただ、こういうのは慣れているから。好かれていようが嫌われていようが、やるべきことはやる。何より俺は鏡たちに親近感を抱いているんだ」
「は? 親近感? 《死神》が俺らに?」
「ああ。《コキュートス》は安易に武闘派を気取らず、手堅いチーム運営をしていた。地味だけどチームメンバーへの負担が少なく、みんなのことを考えていて良いチームだったと思う。そこはもっと評価されるべきじゃないかなって」
深雪はかつて、《ウロボロス》の№3としてチーム運営に関わっていたから余計にそう思う。
どれだけ堅実であっても、地味なチームは評価されない。《監獄都市》とはそういうところだ。あっという間により強いチームに食われ、それで終了。だからほとんどのチームが武闘派に染まっていく。
しかし《コキュートス》はそうではなかった。手堅くチームを運営し、なおかつ存続させ続けた。極端な暴力に走らず、自力でこの《監獄都市》を生き延びてきたのだ。
それがどれだけ大変なことか。そしてどれだけ貴重なことか。
深雪が《コキュートス》にしつこく干渉し続けるのも、そこに理由がある。
各務は困惑を浮かべた。
「……。あんた、変な人だな。《死刑執行人》でそんなところを見てる奴なんていないのに」
「だからこそ《アラハバキ》とは距離を置いて欲しい。君たちのようなチームには生き残って欲しいと思うから」
「……!」
各務は瞳を揺らし、両手を拳にして握り締める。
「……もう遅ぇんだよ。今さら、そんな事を言われても……!!」
「いや、まだ遅くない。諦めるな、各務! チームみんなの命が頭であるお前にかかっているんだぞ!!」
しかし、各務はきっぱりとそれを遮った。
「分かった。俺が知っていることを全部話す! だからこれ以上、《コキュートス》には関わらないでくれ!! 何がどうあれ、俺たちはもう上松組の一員なんだ! 《アラハバキ》で生きていくって、そう決めたんだからな!!」
「各務……」
それから各務は顎をくいっと上げ、深雪とシロに移動を促す。それに従い、《Zアノン》信奉者の群れから離れて人けのない路地の端に身を寄せると、各務は渋々話し始めた。
「あんたら東雲探偵事務所の評判が下がってるのは、ある情報屋のせいだ。
最近、とある新しい情報屋が人気を得ている。そいつはただ情報を売ってくれるだけじゃなくて、他では聞けない裏話や、とっておきの話もたくさん聞かせてくれる。俺たち《ストリート・ダスト》じゃ簡単に知ることのできない《収管庁》や《アラハバキ》、それに《中立地帯の死神》の真実もな。
今では『本当のことを教えてくれる正義の情報屋だ』って《中立地帯》のゴーストから厚い信頼を得ているんだ」




