第89話 共に
深雪は知っている。《グラン・シャリオ》と逢坂を引き合わせる計画を実行するため、六道が《収管庁》長官の九曜計都を根気強く説得してくれたことを。
当然と言うべきか、九曜計都は当初、東雲探偵事務所が《アラハバキ》と独自に接触することに対し良い顔をしなかった。
九曜計都はゴーストに対する不信感が強い。《アラハバキ》はもちろんのことながら、《死刑執行人》のことも、全くと言っていいほど信用していない。
だが、六道がそれを説き伏せ、押し切ってくれたのだ。《東京中華街》の動向が読めない以上、こちらも早めに手を打つべきだと言って。
確かに表だって動いたのは深雪だったが、六道は裏方に回り一貫して深雪のサポートをしてくれた。そして《リスト執行》もやむなしという状況に陥った際には速やかに《リスト登録》を肩代わりし、深雪の負うべき全ての責任を引き受けてくれた。
六道がそうまで手を尽くしてくれたにもかかわらず、深雪は京極に敗北を喫してしまったのだった。
六道がいずれ《収管庁》から呼び出され、再度、責任を問われるのは間違いないだろう。
だがそれでも、彼は深雪を責めない。六道が深雪に求めるのは気持ちを切り替え、次へ備える事だけだ。
六道の目は常に過去ではなく、未来を見据えている。その強靭な精神力を目の当たりにすると、深雪も改めて身が引き締めなければと思うのだった。このままいつまでも落ち込んでいてはいけないと。
「あの……ありがとうございます。いろいろと話をしていただいて」
六道は深雪を見上げる。
「もし、所長とちゃんと話をしていなかったら……もし『墓所』での話を聞いていなかったら、俺は《中立地帯の死神》のことを、何も理解できなかったかもしれません。今ごろ、わけも分からずただ絶望し、自暴自棄になっていたかもしれない。だから……あの時、所長の話を聞いておいて本当に良かったです。ありがとうございます」
すぐに立ち直れるほど、深雪はまだ強くない。だが、深雪にはこうして支えてくれる人がいる。一人ではないのだと思うと、少しだけ胸に溜まった淀みが洗い流される気がする。
六道は僅かに目を見開き、そして静かにそれを閉じると、最後に付け加えた。
「どれだけ辛くとも、心折れそうでも、乗り越えねばならん。お前も私も、共に……な」
「……はい」
六道の瞳に宿る鋭い光が一瞬、少し和らいだ気がした。気のせいだろうか。
ともかく深雪は報告を終え、六道の執務室を後にする。
扉を開くと、ちょうど流星が部屋に入って来るところだった。左手には分厚いファイルを携えている。
「流星……!」
「おう、深雪か。先に来てたんだな。お疲れさん」
「うん、流星もお疲れ」
深雪は弱々しく微笑むと、先に執務室の外に出る。それと入れ替わるようにして、今度は流星が部屋の中へ入っていった。
深雪は再び扉が占められるのを何とはなしに見つめていたが、やがてすぐにその場から離れた。
一方、所長室に入った流星はまっすぐに六道の執務机へ向かうと、手にしていた分厚いファイルを提出した。
「所長、最新の《監獄都市》の情勢をまとめました」
「ああ、ご苦労だったな」
六道はそう言うと、さっそく流星の持ってきたファイルを開く。報告すべきことは全て中に記してあるが、流星は念のため口頭で概要を一通り説明する。
「まず《東京中華街》の方ですが、紅神獄と黄鋼炎亡きあとの街の様子は相変わらず詳細が分からず、《レッド=ドラゴン》とも全く接触が取れていません。神狼がいろいろと手を尽くしてくれていますが、それでも内部の様子を探るのは難しいようです」
「そうか……」
「一方、《アラハバキ》は上松兄弟の対立がいよいよ深刻化していますね。それに伴って《中立地帯》の抗争も激化し、件数そのものも増加傾向にあります。当面、奈落やオリヴィエにも巡回に加わってもらい、ローテーションを組む予定です」
「うむ、それが良いだろう」
「それから先日、《収管庁》から最新の序列が発表されたので、そちらの資料も添付してあります。やはり下桜井組構成員の順位の変動が激しいですね。序列153位だった逢坂忍が大幅にランクを下げ、それと入れ替わるように京極鷹臣が大きく順位を上げています。
それだけではありません。逢坂忍は現在、行方不明になっており、逢坂忍の事務所・二代目桜龍会の管理や、奴が担っていた例の大型観光事業の一部などを全て京極鷹臣が引き継いだようです。まさに、完全乗っ取りの様相を呈していますね」
流星がそう告げると、六道は突然ファイルのページを繰る手を止め、落ち窪んだ眼にギラリとした鋭利な光を閃かせた。
「……。京極め、とうとう《監獄都市》の表舞台に躍り出てきたというわけか」
静かだが、激しい感情を秘めた言葉だった。流星も眉をひそめ、六道に尋ねる。
「京極鷹臣とは何者です? カジノ店・《エスペランサ》の店長で、《アラハバキ》の構成員としては珍しく若手で成功しているという印象ですが……。所長は以前からこの《アラハバキ》構成員のことを気にしておられましたよね?」
最初は何故、六道が下桜井組の下部構成員にすぎない若造のことを、そこまで気にかけるのかと不思議だった。
だが、今ならそれが分かる。あの逢坂忍をここまで露骨な方法で追い落として台頭するなど、どう考えても只者の仕業ではない。
しかも、京極の縄張り(シマ)であるカジノ店・《エスペランサ》は以前にも増して客足が増える一方で、大層な繁盛ぶりだという。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだ。
すると、六道はふと口元のところで両手を組んだ。そして思わぬことを口にする。
「……。赤神、お前は悪魔の存在を信じるか?」
「悪魔……ですか。あまりピンときませんね。もちろん、概念として理解はしていますが」
そもそも流星はそれほど信心深い方ではないので、神とか仏とか悪魔という言葉そのものが遠い世界のもののように感じる。六道は頷き、言葉を続けた。
「奴は……京極鷹臣は甘言を弄し、人心を惑わして思いのままに操る、まさに悪魔そのものだ。自らは動かず、代わりに多くの人間を巻き込んで洗脳し、手足として操るゆえに奴の動向を把握するのは非常に難しい。また、こちらから動きを牽制することも困難であるため、奴の思惑次第でいくらでも被害が拡大する。気づいた時には莫大な犠牲を払う事態に陥った後だということにもなりかねない。間違いなく今後の《監獄都市》における中心人物であり、我々にとっては最大の脅威となるだろう。それは同時に、我々が何としてでも打倒しなければならない相手だということでもある」
本当にそんな恐ろしい人間がいるとしたら。そして、そういった人間の思い通りにさせてしまったら、この閉鎖された《監獄都市》など瞬く間に混沌に呑み込まれてしまうだろう。
《死刑執行人》としてこの街の秩序を守ってきた流星だからこそ分かる。この街は外界から完全に閉ざされており、おまけにひどく狭い。それ故に、内部崩壊には脆い面を持つのだ。崩壊を外から止める手段がないため、一度崩れ出したらドミノ倒しのように崩壊が広がっていく。
また、狭い故にそのスピードも速い。そして逃げ場がないために、莫大な被害者が出る。
だがそうと分かっているにもかかわらず、精神支配のアニムスに対する対処法は確立されていない。ひょっとするとそこが一番の問題かもしれなかった。
そもそも、精神に作用するアニムスは対応が非常に難しい。存在そのものが稀少であるため、出くわすことは殆どないが、その凶悪ぶりには世界的にもよく知られている。
たとえば、かつて奈落が属していた対ゴーストを専門とした傭兵部隊・《ヘルハウンド》は、たった一人のゴーストが使った精神支配のアニムスによって、組織そのものが一夜にして壊滅してしまったという。
つまり言い換えるならば、精神支配のアニムスを持っていれば、どんなに高アニムス値のアニムスを持ったゴーストであろうと、精神を乗っ取って自らの傀儡として操ることができるという事だ。
最悪の場合、同じ東雲探偵事務所の仲間が洗脳の対象となるかもしれない。そうすると、仲間とも戦わねばならなくなる。
考え得るありとあらゆる可能性を鑑みても、答えははっきりしていた。京極鷹臣は大きな脅威であると。
「その京極鷹臣のそばにあいつがいるというわけですね。俺と同じ関東警視庁ゴースト対策部・機動装甲隊に所属していた裏切者、月城響矢が」
「……。雨宮から聞いたのか」
「はい」
月城が《監獄都市》に戻って来ていたことは知っていた。しかしまさか、それが六道や深雪にとっての因縁の相手と行動を共にしているとは思いもしなかった。
(一体、何の因果やら……世界は狭いということか。だが、それはこっちにとっても好都合でもある。戦力を下手に分散させず、真正面からぶつかり合う事ができるからな)
ただ、条件は月城にとっても同じだ。これから戦いはどんどん熾烈になるに違いない。あちら側とこちら側、まさに死力を尽くした総力戦となるだろう。
《監獄都市》最強の名を馳せてきた東雲探偵事務所の《死刑執行人》だが、今後は苦戦を強いられることも覚悟しなければならないかもしれない。
それにもかかわらず、深雪の元気が無いことが流星は気にかかった。深雪は《中立地帯の死神》の後継者だ。その立場を考えれば、いずれこの事務所の中心的役割を果たすことになるのは間違いない。
要であるからこそ、深雪はどっしりと構えていなければならないのだ。六道がそうであるように。
もっとも、流星は深雪と頻繁に打ち合わせを重ねてきたので、およその事情は把握している。深雪の気持ちもよく理解しているだけに、無理からぬことだとも思うが。
「ところで……深雪は精神的に相当、参っているようですね。《グラン・シャリオ》の迎えた結末を考えると、無理もないことだとは思いますが」
六道はどう考えているのか。流星はそれとなく話題を振ってみた。すると、流星と六道の会話を聞いていたのか、突然マリアがウサギのマスコットの姿で浮かび上がっった。
「ホント、いつまでうじうじしてるつもりなのよ、深雪っちってば!? これからぜーったいに忙しくなるに決まってんのに!! どうせまた、『俺のせいで』とか必要以上に責任感を感じちゃってるんだろうけど、そういうのいらないから! マジで今の仕事に集中しろっての!!」
マリアは腕組みをし、イライラと不満をぶちまける。
「……とか何とか言いつつ、マリアはいつも深雪のことを気にかけてるよな。何だかんだでよく励ましてるし」
流星や他の《死刑執行人》にはそれほど干渉しないマリアが、深雪のことにはよく首を突っ込んでいる。それが純粋な好意によるものではないことは流星も何となく察しているが、それでも心の底から嫌っていたなら、普通はそこまで踏み込むことはないのではないか。
情報屋であるマリアは他の《死刑執行人》と違って深雪と物理的に接触する必要は無く、無関心を決め込むこともできるのだから。
流星が笑ってそう指摘すると、マリアはムッと唇を尖らせた。
「あ……あたしはただ、情報屋の仕事の足を引っ張られたくないってだけ! 流星こそ、いつも深雪っちには甘いんじゃないの!?」
「当然だろ。っつーか、俺は事務所の《死刑執行人》には誰でも平等に甘いつもりだぞ?」
「うーわ、キモッ! そういう上から目線、キモッ!! オッサンくさ!!」
マリアの容赦ない突っ込みに、流星はたちまち頬を引き攣らせた。
「……。マリアちゃーん、そういう風にすぐにオッサン呼ばわりするの、やめよっか? なにげに傷つくんですけど?」
「何よ、ホントのことじゃん! っていうか、傷つくってことは図星ってコトだし? やっぱあたし嘘は言ってないっしょ。や~い、オッサン、オッサン~!!」
マリアはそう言ってケタケタ笑う。本来、可愛らしいはずのウサギのマスコットが、この上なく憎たらしい。流星はついムキになって反論した。
「あのなあ、そもそも俺はお前と同じ二十代だっつの!」
「ん~、そういうことじゃないんだよね~。これは魂の在り方っていうかぁ、流星はソウルがオッサン色に染まってんのよ!」
「ソウルがオッサン色って……どういう色だ、そりゃ!?」
流星が意地になればなるほどマリアは喜ぶ。いつもそうだ。
出会ったばかりの頃はおちょくられているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。本人はおちょくるというより、じゃれ合っているつもりなのだろう。
詳しくは知らないが、マリアには行方知れずの兄がおり、非常に仲が良かったようだ。流星と接していると、その兄を思い出すのかもしれない。
一方、六道は部下の繰り広げる馬鹿馬鹿しくも長閑なやり取りを、苦笑半分で聞いていた。しかし、やがてふと真顔になり、口を開く。
「……二人とも、頼みがある。どうか雨宮を支えてやってくれ」
「……!」
「所長……」
流星とマリアは、はっとして六道の方を見る。六道は己の義手・義足と化している半身を見下ろして続けた。
「私ももちろん、できるだけ雨宮を援護する。だが、体の自由が効かない私では、肝心な時に雨宮のそばにいて支えることはできない。だから、お前たちが雨宮の支えになってやってくれ」
「……ええ、もちろんです」
何だかんだで面倒見の良い流星は、元からそのつもりだったらしく、快く六道の頼みを受け入れた。
「ったく、しょうがない奴ねー。ホンット手がかかるんだから!」
マリアも毒づいてはいるものの、六道のたっての要望に嫌とは答えなかった。
二人とも、所長である六道の要請だから引き受けたというだけではない。深雪を支えてやりたい、もしくは支えてやらなければならないと思っているから、応じたのだ。
少なくとも二人にそう思わせるだけの関係を、深雪は自らの手で築いてきたのだろう。
その様子を見ていると、六道は思う。
今の東雲探偵事務所の《死刑執行人》は数こそ少ないものの、戦力的には過去最高のメンバーだ。《ウロボロス》で仲間を失った経験や《監獄都市》で多くの部下を死なせてしまった過去もあり、六道は人員の質を数でカバーするやり方は好まない。どれだけ人員の数がいても、意思統一がうまくいかなければその強みを生かすことができないからだ。
また、命が失われてしまったら全てが一瞬のうちに元の木阿弥と化してしまう。それまで蓄積された経験やノウハウ、信頼関係も全て。それ故、試行錯誤の末に現在の少数精鋭という現在の体制に辿り着いたのだった。
しかし実力や生存率を重視したその結果、ドライでやや協調性に欠けるチームになってしまったのは否めない。職業、人種、出身国、全てバラバラなので、致し方ないところもあると割り切っていた。それでもチームが回っていたのは、ひとえに個々の《死刑執行人》が卓越した実力を持っていたからだ。
でなければ、東雲探偵事務所はとうに崩壊していただろう。
しかし深雪が来てチームは少し変わった。相互不干渉でドライ、統一性に欠けていた雰囲気が少しずつまとまりつつある。
その中心にいるのは深雪だ。彼がうまく『繋ぎ』となってチームに一体感を齎す機能を果たしているのだろう。
それを目にすると少しだけ希望が持てる。自分がやろうとしていることは順調に運んでいるのだと実感することができる。
最近、六道は身を焼き尽くされるような激しい焦燥感を覚えることが増えた。自分が死ぬまでに本当に間に合うのだろうか。全てを深雪へ引き継ぐことができるだろうか。
また、底冷えのする恐怖心を覚えることもある。自分は間違っていないか、かつてのように自らの弱さのせいで選択を誤っていないか。
残されている時間はあまりにも少ない。にもかかわらず、乗り越えなければならないことは山のようにある。
(焦っても仕方がない。目の前の一つ一つをクリアしていかねば。その先にしか未来はないのだから。それに……雨宮の言う通り、二十年前とは違う。我々は一人ではないのだ……!!)
何があっても、この東雲探偵事務所なら乗り越えられる。これまでもそうだったのだ。京極の企みすらも、きっと退けられるだろう。
なにしろ、そのために用意したチームだ。数えきれない失敗の末、ようやく手に入れた最強で最高のチーム。
六道は決意を新たにする。事務所のことはみなに任せておけば大丈夫だ。自分は自分の果たすべき役割を果たす。
何があっても京極鷹臣だけはこの手で始末をつけなければならない。自分が死ぬ時は京極が死ぬ時でもある。
そして、必ず京極を共に地獄へ連れていくのだと。




