第9話 不協和音
オリヴィエの年齢ははっきりと聞いていないが、だいたい二十五才前後くらいだろうか。ゴーストがこの世に現れるようになって三十年は経つ。そういう、いわば新世代が出てきていても、何らおかしくは無い。
オリヴィエは淡々と言葉を続ける。
「……詳しい話は知りませんが、おそらく彼らも、似たり寄ったりの境遇ではないかと思います。私達にとって一番の脅威はゴーストです。ゴーストがいかに恐ろしい存在か……その事を、身を以ってよく知っているからです。ですから常に相手を警戒し、簡単には信用しません」
「そんな……でも、俺は別に」
誰かを傷つけるつもりなんてない――そう言おうとして、すぐに言葉を呑み込んだ。敵意がなくとも、相手を傷つけることは十分あり得る話だ。現に深雪は、過去に仲間だった《ウロボロス》を壊滅させている。オリヴィエの言わんとすることは、痛いほどよく理解できた。
「――勿論、信頼関係を築くことは重要です。でなければ、組織は回っていきませんから。ですが、決して互いに心を許すことはない」
「………」
「そうしたくても……できないのですよ」
「……敵じゃなくても?」
「ええ」
「それって……何か、淋しくない?」
「そうかもしれません。しかし……私達は、ゴーストですから」
オリヴィエは、はっとするほど静かな表情をしていた。それはまるで、自らがゴーストである限り、人の温もりは求めないと完全に割り切っているかのようでもあった。
深雪は戸惑いを隠せない。孤児院を案内してくれた時の事を考えると、目の前のオリヴィエは同じ顔をした別人のようだった。弱き者に対してあれほどやさしさを見せる彼が、今は誰をも寄せ付けない氷のような空気を纏っている。
そして、唐突に気づいた。奈落や神狼は確かに自分を信用していないが、だからと言ってオリヴィエや流星が信用してくれているかというと、そういう訳ではないのだ。そして、彼らは互いに信用し合っているわけでもない。この組織は目的も感性も考え方も違う、バラバラな者の寄せ集めなのだ。似たような考え方を持つ、似たような境遇の者が寄せ集まってできていた《ウロボロス》とは、根本的に関係の在り方が違う。
――でも。
(ゴーストだからって、互いを信用しちゃいけないのか? 俺たちは人間じゃないって、そう割り切らないといけないのか)
深雪の胸中には、強い疑問が残ったのだった。
だが、オリヴィエの話を聞いて分かったこともある。オリヴィエや奈落、神狼はおそらく、自分はゴーストだと割り切って生きている。それに比べると、深雪にはどこかにまだ自分が人間だという感覚が残っている。
どちらの考え方が正しいという訳ではない。オリヴィエの言う通り、それは境遇の差から来るものだろう。
(確かに俺も、この街に来たばっかりの頃は、周りが全部敵なんじゃないかって、すっげえ怖かった。びくびくして、過剰に警戒して……。でも、多分……オリヴィエや奈落、神狼たちは、ずっとそういう環境で生きたんだ)
そうであるなら、深雪はどう彼らと接するべきなのか。そして、深雪自身、どう生きていくべきなのか。
確かに、自分たちは普通の人間ではない。しかし、全てを捨ててゴーストとして生きていくのにも抵抗がある。
どちらかを選べと迫られても、深雪にはどちらか片方だけを選択することはできなかった。
(何か……もっと別の生き方だってあるんじゃないのか)
深雪はそう思ったが、それがどのような術なのかはわからなかった。
(そう言えば……)
その時、ふと、エニグマの情報が蘇る。
『ああ、何て恐ろしい事でしょうか! 普段は慈悲深い神父である彼が、実は大量虐殺者だったなんて!』
(あの話は本当なんだろうか……)
オリヴィエの事を何から何まで知っているわけではない。だが、深雪の知る彼は、大量虐殺者から一番遠いところにいる存在だ。それでも気になって、昨晩ネットで調べてみた。すると、そういう事件があったのは確かであるようだったが、詳しい地名や関係者の名前は全く出てこなかった。
勿論、オリヴィエの名前も、だ。
ことが事だけに、本人に確認するのも抵抗がある。
(何か……気になるな)
オリヴィエがゴーストを簡単に信用しないのは、その事と何か関係があるのだろうか。
しかし、深雪はすぐに頭を振ってその情報を追い払った。どの道、ここでは真偽は確かめられないことだ。
怪しげな情報屋のエニグマと、オリヴィエ。どちらを信じるかなど明白だった。
とりあえず、今は目の前の事件に集中することにした。
深雪は奈落とともに事務所を出る。
と言っても、奈落が一方的に歩いて行ってしまうので、深雪はその後ろを追いかけるだけだったが。
奈落は終始、不機嫌そうに煙草をふかしている。深雪と組まされたことが不満なのであろう事は言わずもがなだった。深雪としては、気まずいことこの上ない。
ただ、いつまでも無言を貫き通すわけにもいかないので、後ろからしずしずと話しかけてみた。
「……それで? これからどうするの」
「知るか。それくらい、自分で考えろ」
即答だった。こちらを振り返りもしない。
(うわ、態度悪っ……)
案の定というべきか、非協力的な態度を返す奈落。深雪はため息をつきつつ、嫌々ながらも提案した。
「それじゃ、被害者の情報収集に行くってことでいい?」
「ああ?」
「だ・か・ら、情報収集!」
(聞こえてるくせに)
わざとらしく質問を聞き返され、若干苛つきながら大声で繰り返すと、ようやく奈落はこちらを少し振り返った。
「ふざけるなクソガキ、俺に指図するんじゃねえ」
細められた隻眼は物騒な殺気を盛大に放ち、声にはこれでもかとドスが利いている。とどのつまり、話しかけるなという事らしい。
「………。あのさ……だったらどうするの? っていうか、どうしたいんだよ⁉」
深雪とて、好きで奈落と組まされているわけではない。できるならこのままサボりたいところだが、仮にも連続殺人事件に関わっているのだ。学校の授業のような無責任な真似はできない。
すると、奈落は「ちっ」と舌打ちをして、不愉快さを滲ませた。
「俺は子守をするためにこの事務所に雇われたんじゃねえ」
「そりゃ、こっちだって同じだよ。別にあんたと一緒にいたくてここに居るわけじゃない。だいたい、態度悪すぎだろ。何でいちいち睨むんだよ⁉」
「殺すぞ、極チビ。人の目つきに文句垂れんじゃねえ。こっちはな、てめえのためにわざわざ眼球を下方移動させてやってんだ」
「……はあ⁉」
「ありがたく土下座でもしてみせろ。……できなきゃ、させてやってもいいんだぞ?」
「何でだよ、どんだけ眼球運動ケチってんだよ、ワケわかんねーし! っつーか、極チビってほど小さくねえぞ、俺‼」
言い返すと、奈落は深雪の胸倉を掴み上げる。
「キャンキャン喚くな。うるせえガキは嫌いだ」
奈落の射るような鋭い目が、深雪を見つめる。その迫力たるや尋常ではなく、免疫のない者だったなら、あまりの恐ろしさにがくがくと震え上がっていただろう。深雪も一瞬、心臓が凍り付きそうになったが、負けたくない一心で奈落を睨み返した。
「……だったらどうする? 殺すか?」
「………」
「あんたは元・傭兵で、そういう世界で生きてきたんだろ。だから人が死んでも平然としてるし、相手を脅せば、すぐに思い通りになると思ってる。
でも、俺はあんたの『下僕』になるのはご免だ。俺はあくまで俺の判断で動く。協力するところは協力するけど、あんたに従うってわけじゃない。だから、いくら脅したって無駄だ。それだけは最初に言っておくからな!」
こういうのは最初が肝心だ――深雪はそう思った。最初に舐められたら、主導権を握れなくなるどころか、こちらの意見を通すのにも莫大な労力が必要となってくる。奈落相手にそういった状況に陥るのは避けたかった。あくまで対等に事を進めたかったのだ。
奈落は冷ややかに深雪を凝視していたが、やがて胸ぐらを掴んでいた手を唐突に放した。そして、たたらを踏む深雪にニヤリと笑う。
「……いい心がけだ。その虚勢がいつまで続くか、見ものだな」
背筋が寒くなるような、凄みのある笑い方だった。深雪は思わず息を呑む。
一体、何をされるのかと、パーカーのポケットに潜ませたビー玉を握りしめるが、予想に反して奈落はそれ以上何もしてこなかった。くるりと向きを変えると、そのまま深雪を振り返りもせずに歩き出す。深雪はそれを見送りながら唇を尖らせた。
「……。虚勢じゃねーし……」
しかし、気づけば手の平にじっとりと汗をかいていた。自分でも気づかなかったそれを、奈落には見破られていたらしい。
(何で六道はあいつと俺を組ませたんだ……?)
つい手の込んだ嫌がらせではないかと疑いそうになるが、できるだけそういう方向には考えないように努めた。ただでさえ、六道は何を考えているかわからない。あれこれと邪推するだけ気力の無駄だ。
それに六道の真意がどうであれ、同じ事務所に在籍している以上、いずれは奈落とも向き合わなければならない時が来る。ただ、それが少しだけ早まったというだけだ。
(何が目的か知らないけど……やれって言うなら、やってやる……!)
奈落と行動を共にするなど、まるで猛獣の檻に放り投げられた心境だ。だが、うまくいかないと投げ出すのだけは絶対に嫌だった。無力感や敗北感を味わうのは一度きりで十分だったからだ。
深雪は、もっと冷静に《東京》の事を知ろうと、自ら決意を固めたことを思い出す。
(俺は変えたい。この監獄都市の状況も、自分自身も……!)
自分が変わりさえすれば、何かが変わるなどという幻想は、ここでは通用しない。でも、自分すら変えられない者に、何かを変えることなどできる筈も無いということも、また事実だ。
深雪は大きく深呼吸し、両手で自分の頬をぴしゃりと叩くと、奈落の後ろを追いかけた。
結局、何とか話し合いを行った結果、各々が行くべきだと思った場所を順に回ることにした。
その間に三回ほど胸倉を掴まれ、蹴りを二回、拳を四回ほど叩き込まれたが。因みに深雪は命からがら逃げまわって、何とか大事に至らずに済んだのであった。
とにかく、まずは深雪の提案通り、被害者の家族や知人から情報を収集することにした。
最初に第一の被害者、山下ヒロコの働いていた風俗店へと赴く。ド派手な文字の描かれた雑居ビルの一室には、香水と化粧のどぎつい臭いが充満していた。
深雪たちは、山下ヒロコの同僚だったという、金髪にばっちりマスカラメイクを施したギャル風の女性たちを数人ひっ捕まえ、話を聞くことができた。
「ああ、ヒロコ? かなりヤリまくってたわよ、あの子。十代でしょ? しかも十七! 男は好きなんだよね~、そういうの。プレミア感っていうの?」
「性格もいいってわけじゃなかったけど、何か深刻なトラブルを抱えてるって程でもなかったわ。実際、そんな話聞いたことないし。ま、こういう仕事だし、ゴーストを相手にすることも多いから、危険な事は結構あるけど。運が悪かったのね、あの子も」
「それにしたって、割に合わないわよ! アタシ達だって生活の為なのにサ! だからゴーストは嫌なのよ‼ 全員、いなくなっちまえばいいのに……!」
彼女たちはちょうど営業前だったのか、各々、煙草を吸ったりメイクをしたりしながら、好き勝手に喋った。そして、最後に気だるげに付け加える。
「……永野エリ? 誰それ。聞いたことないけど。」
次に、二番目の被害者、永野エリの実家へ向かった。彼女の家は、古い商店街の一角にある豆腐屋だ。事件のせいか店舗は閉まっており、シャッターには休業を知らせる張り紙が貼ってあった。豆腐屋の裏手に回ると、憔悴しきった様子の両親が対応する。
「エリですか。ええ、あの日、豆腐の配達を言いつけたんです。近所に馴染みのお客さんがいましてね。高齢で外を出歩けないんですよ。今は《東京》も随分物騒になりましたしね。ですから、三日に一度、豆腐をマリに届けさせるのが習慣になっていたんです。でも……! あの時……使いに出さなければ、こんな事には………!」
通された座敷には、簡素な仏壇が設置してあり、位牌と遺影が飾ってあった。父親はそちらに視線を送り、目頭を覆って声を殺し、泣き始める。隣に座っていた母親も涙を流しながら、憎しみの籠った眼で憤った。
「ゴーストのせいだよ! 《東京》がおかしくなったのだって、全部奴らのせいなんだ‼」
「おい、やめないか!」
永野エリの父親は静止するが、母親は堰を切ったように言葉を続ける。
「おまけに人を殺しても、罪に問われないなんて……私達はどうすればいいんですか⁉ ただでさえゴーストに怯えて生きているのに、これ以上、何を私達から奪うって言うんですか‼」
手に持ったハンカチをこれでもかと握りしめ、肩を震わせる永野エリの両親。深雪は完全にその場の空気に呑まれ、口を開くこともできなかった。事件の犯行の卑劣さや酷さを今更のようにひしひしと実感する。
永野エリの実家を出ても、二人の痛々しい姿が脳裏から離れなかった。自然と、足取りも重くなる。
(何だか……気の毒すぎて、見ていられないな……)
今日会った山下ヒロコや永野エリの関係者たちはみな、ゴーストではなく普通の人間だった。思いの外、そういった普通の人も多いようだ。
この監獄都市は、低アニムス値のゴーストでさえ生きにくい街だ。ゴーストではない普通の人々にとって、ここがどれほど危険か。どれほど怯え、肩身の狭い思いをして生きているか。それを考えると、彼らがゴーストに憎しみを募らせるのも無理はない。
深雪は誰ともなしに話し出していた。
「――むかしから、《東京》って余所者の多い街だったんだ。二十年前――まだ首都だった頃も今みたいに地方から大勢の人が来てたけど、あの頃はそれがエネルギーになってた。だからそういう人たちが来ても、何とか耐えられたんだ。でも、それが今じゃほとんどがゴーストだからな。彼らにしてみたら、イカレた凶悪犯と隣り合わせで住んでいる様なもんだし。軋轢を生むなって方が無理があるのかもな………」
深雪は殆ど独り言に近い状態で話し続けた。しかし、ふと気づくと奈落がじっとこちらに視線を向けている。
「な………何だよ?」
ぎょっとして立ち止まると、奈落も立ち止まった。
「まるで、二十年前に生きていたかのような台詞だな?」
深雪はどきりとする。そしてすぐに、自分が余計なことを喋ったのだということに気づいた。
奈落は不思議と、情報収集の間は大人しくしていた。あれほど深雪に向けていた殺意もどこへやら、そこにいるのかどうかも分からない空気ぶりだった。完全に気配を断ち、己の存在を周囲に感じさせないようにしていたのだ。
それが証拠に、風俗嬢や永野エリの両親は、奈落の方を特段に注視もしなかった。目立つ風貌をした男だ。何か一言あっても良さそうなものだが、誰一人として奈落に関しては突っ込まなかった。
だから深雪もつい気が緩み、あれこれと喋ってしまったが、奈落はそれをちゃんと聞いていたらしい。
「そ……そんなわけないだろ。何言ってんだよ。教科書とかで習っただけだって」
できるだけ自然さを装ったつもりだったが、若干、声が上擦ってしまった。
自分が二十年前に冷凍睡眠によって、いわば未来にタイムスリップしたも同然の身であることを、何となく奈落には知られたくなかった。過去のことを話し始めると、《ウロボロス》の事まで説明しなくてはならなくなるからかもしれない。いずれにせよ、あまり自分の過去を事務所の面々に知られたくなかった。知られたところで不都合があるわけではないが、心理的に抵抗があったのだ。
不自然だったろうかとドキドキしていると、奈落はフンと鼻を鳴らして歩き出す。
「まあ、別にそんなことはどうだっていいがな」
「どこ行くんだよ?」
「説明が面倒だ。黙って歩け」
その言葉通り、心底面倒臭そうな返事だった。あまりにぞんざいな扱いに、深雪はついジト目になって文句を言う。
「あのさあ、傭兵ってみんなそーいう俺様なノリなの?」
「……」
(今度は無視かよ)
こちらを一顧だにせず、ズカズカと前を歩く奈落に、さすがの深雪もむっとした。ただ、不満をそのまま口にしても、悪態をつかれるか蹴りが飛んでくるだけに決まっている。そこで、そっちがそのつもりならと、嫌がらせのごとく質問を浴びせ続けてやった。
「ずっと思ってたんだけど、あんた日本人じゃないだろ。でかいし、雰囲気がそれっぽいし。『不動王奈落』ってのも、本名じゃないんじゃないの? 何かいかにもわざとらしいっていうか、作った感があるもんな。……どっから来たの? アメリカ、カナダ、オーストラリア……それともヨーロッパ?」
するとさすがに五月蠅かったのか、奈落は振り向くと同時に回し蹴りを放ってきた。深雪はかろうじてしゃがみ込み、それを避ける。
すると奈落のブーツは深雪の斜め後ろにあった標識の柱に激突した。すさまじい重低音を響かせ、鉄柱はぐにゃりといとも簡単に曲がる。
「…………‼」




