第85話 復讐の連鎖
ぺこたんはそう捲し立てると、深雪の手からカメラをひったくり、よろめきつつも立ち上がった。そして覚束ない足取りで深雪の元から走り去っていく。
「ぺこたん……」
深雪もまた立ち上がり、夜闇に消えるぺこたんの後ろ姿を見つめた。
彼がこれからどこへ向かうのか、深雪には分からない。《突撃☆ぺこチャンネル》を支えた二人の仲間を失ったのだ。これまで通り動画の配信を続けるのは難しいかもしれない。
やがて深雪の隣にウサギのマスコット――マリアが浮かび上がる。彼女もまた逆上し、走り去るぺこたんの様子を見ていたようだ。
「あーやだやだ。ああはなりたくないわね~、見苦しい。完全に洗脳状態じゃん、あんなの」
マリアは嫌悪も露わにそう吐き捨てた。深雪は彼女を窘める。
「言いすぎだよ、マリア。ぺこたんにも悪いところはあるけど、諸悪の根源ってわけじゃない。あいつはただ利用されただけなんだ」
「そうかもだけどさー。大体、数字欲しさにつけ込まれて利用されてばっかなの、あいつ気付いてんのかしらね?」
すると、雨宮が口を挟む。
「俺たちから見れば、お前たちも似たようなものだ」
「な……何よ!? アタシもあいつと同じだっての!?」
「そうだろう? 隠されていたらそれを暴きたいと思う。わざわざ鍵をかけてやれば、それを解錠してでも中身を知ろうとする。犯罪行為であろうとお構いなしだ。……知ることの欲求は決して消えることはない。ヒトがヒトである限り、永遠にな」
マリアは何か思い当たる節でもあるのか、むっと言葉を詰まらせた。そして、もごもごと言葉を濁らせる。
「そ、それは……あんた達がお兄の消息を教えてくれないから、仕方なく……こっちだって好きでやってるわけじゃないっつの!」
深雪はそれを聞き、内心で小さく驚いた。
(お兄……? そういえばマリアは以前も、誰かを探しているみたいな事を言っていたな。お兄さんを探していたのか)
ひょっとすると、彼女がその卓越したハッキング能力を発揮するようになったのも、家族を探すためだったのだろうか。そう考えると、マリアに対して俄かに同情心が沸き上がってくる。もっとも、それで犯罪行為が全て肯定されるわけではないが。
かくいう深雪も雨宮の言うことを否定することはできないし、マリアのことをとやかく言える立場でもない。自分もさんざん雨宮を問い詰めてきたからだ。本当のことを教えてくれと。
そして深雪もまた、それを後悔していなかった。
正しい情報が無ければ、正しく判断し行動することはできない。『知ることの欲求』とは即ち、前に進みたいという気持ちの表れでもあるのだ。
そう考えると、情報とはつくづく取り扱いに注意が必要なのだと思い知らされる。情報とはあくまで事実やデータの羅列にすぎない。それをうまく使えば、未来を切り開き前進する大きな力を秘めている。だが一方で、悪用すれば待っているのは破滅と混乱のみ。世界を変える武器にもなるが、一歩間違えれば人を殺す凶器にもなり得るのだ。
手にした情報をどう使うかは各々に委ねられており、それ故に個人の良識が大きく問われるのだ。
しばらくして、深雪は路上に何か落ちているのに気づいた。先ほどまでぺこたんが座り込んでいたその場所に、カラーサングラスが落ちている。ここ最近、ぺこたんが気に入ってよく身に着けていたものだ。それを見た深雪は、ふと気づく。
(そうか……ぺこたんの仲間たちは《ヴァニタス》で操られていたのに、何故ぺこたん自身は《ヴァニタス》の影響を受けていないのか不思議だったけど、このカラーサングラスがその理由だったんだ。《ヴァニタス》は視線を介して作用するアニムスだ。ところが、このサングラスはたまたまその効能を削ぐ働きをした……だから三人の中でただ一人、サングラスをしていたぺこたんだけ《ヴァニタス》にかからなかったんだ)
もっとも、それがぺこたんにとって幸せなことだったかどうかは分からない。彼は二人の仲間を失い、これからたった一人でこの《監獄都市》の中で生きていかねばならないのだ。
それがどれだけ孤独で過酷なことか。深雪も《監獄都市》に収監された際に感じた不安や恐怖を今も鮮明に覚えているだけに、ぺこたんの行く末を気の毒に思う。
(ぺこたんも京極の被害者には違いないんだ。早く洗脳から醒め、立ち直ってくれるといいけど……)
今の深雪にできるのは、ぺこたんが二度と悪意のある勢力に利用されることがないよう祈る事だけだ。一時は利益を得、正義に酔いしれることができたとしても、後で手痛いしっぺ返しを食らうのはぺこたん本人なのだから。
ぺこたんが去ってからほどなくして、突然、ぽこんという軽快な効果音が響いた。それと共に、マリアのアバターとよく似たウサギのマスコットが五体、浮かび上がる。マリアが彼女のアニムス・《ドッペルゲンガー》で複製したAIだ。
AIたちは、とてとてとマリアの元に駆け寄ってきてさっそく報告をする。
「マリアちゃーん! 仲間が一人、行方不明になってるみたい」
「はあ!?」
マリアが眉を顰めると、他のウサギも続々と口を開く。
「生配信の動画を削除しまくってた時に、はぐれちゃったのかな?」
「全然、見当たらないの」
「何せ、《壁》の外のネットワークにも総突撃したもんねー。あ~、疲れた!」
小さいウサギたちは報告を終えると、ごろんと寝っ転がったり座り込んだり、めいめい好き勝手に寛ぎ始めた。マリアは腕組みをし、すっかり呆れ顔だ。
ウサギたちは独立思考型AIなだけあり、性格や考え方もそれぞれ違う。マイペースで個性に溢れているため、マリアでさえも彼女たちを持て余し気味であるようだ。
「もー、仕方ないわね。どうせ、どっかその辺で遊んでるんでしょ。テキトーに探しといて」
「ほーい」
「ホント、どこに行っちゃったのかなあ?」
ウサギたちはしきりと首を捻っている。その可愛らしい仕草を見ていると、何だか心が和んでくる。
緊張が抜けたからか、寒さで体に震えが走る。長い間、体が外気に晒されているため、体は芯から冷え切っていた。指先もかじかんで、ほとんど感覚がない。
そろそろ深雪も事務所の中に入ろうか。そう考えた時だった。碓氷が深雪に向かって不意に口を開く。
「……おい」
振り返ると、碓氷は事務所の向かいに伸びる路地を冷ややかに見つめていた。随分と警戒している。どうしたのだろうか。
不思議に思い、深雪もまた碓氷の視線の先へと目を向けた。するとそこに聖夜が立っていた。
豊や涼太郎はおらず、一人きりで。
初めて会った時と同じ黒いサングラスをしていて、表情はよく分からない。
「聖夜! 無事だったのか!!」
深雪はほっとし、聖夜に駆け寄ろうとする。二代目桜龍会の事務所で別れてから消息が掴めず心配していた。見たところ、特に怪我もしていないようだ。
今までどこにいたのだろうか。豊や涼太郎の姿が見えないが、一緒ではないのか。聞きたいことは山のようにあった。
ところが、雨宮と碓氷が身を乗り出してそれを遮る。
「……!? 二人とも、そこを通してくれ!」
「駄目だ。あいつは何か様子がおかしい」
「な、何を言って……?」
確かに深雪も疑問に思う点はいくつかある。だが、相手はあの聖夜なのだ。そこまで慎重になる必要があるとは思えない。
だが、雨宮と碓氷は頑として警戒を崩さなかった。深雪の前に立ちはだかり、決して聖夜へ近づかせてくれない。
当の聖夜も相変わらず無言であり、サングラスのカラー濃度が濃いせいもあってどこへ視線を向けているのか掴み辛い。この状況は何なのだろう。深雪はその場の異様な雰囲気に戸惑いつつも、再び聖夜に声をかけた。
「聖夜、一人なのか? 豊と涼太郎はどうしたんだ?」
「豊は死んだ」
「え……!?」
聖夜が何を言ったのか、一瞬、理解できなかった。死んだ――あの豊が?
二代目桜龍会の事務所で別れた時は、血の気を失いつつも何とか気丈に振舞っていたではないか。それなのに、何故。
ただ、聖夜は嘘を口にしているわけではなさそうだった。深雪は呆然と呟いた。
「一体、何があったんだ……?」
聖夜は静かに語り出す。
「俺たちもあの後、拠点に戻ったんだ。動画だけではとてもみなが殺されたなんて信じられなかった。この目で確認しないと、到底、納得できなかった。だから三人で相談して……戻ったんだ」
深雪は絶句した。《グラン・シャリオ》の拠点の内部がどれだけ陰惨なことになっているか、実際にこの目で見て知っているからだ。
「まさか……あれを見たのか!?」
ビルの中の至る所に亡骸が横たわっており、その多くは原形を留めぬほど損壊させられていた。どの階のどの部屋も、直視できない惨状の連続だった。
大量虐殺と表現するのさえも憚られる、圧倒的な殺戮。血と肉にまみれた、およそ常識では考えられないほどの地獄。
部外者である深雪でさえ、正気を保つのがやっとなほどの凄まじい光景だったのだ。身内である聖夜たちは言葉にならないほどの精神的なショックを受けたことだろう。発狂したとしてもおかしくはない。
本当にあれをその目で見てしまったというのか。あれだけは、見るべきではなかった。たとえどんな理由があろうとも。
聖夜たちがどれほど傷ついたか、そしてどれほど絶望したか。彼らの心情を考えると、深雪も胸が張り裂けそうだった。
ところが、聖夜の声は恐ろしいほど淡々としている。
「酷い有り様だったよ。《ガロウズ》から襲撃を受けた時もひどかったが、今回はそれの比じゃねえ。なんせ俺ら三人以外、みな死んじまったんだ。慎人も刀馬も翔平も勝広も、みんな、みんな……!
……豊はめちゃくちゃ自分を責めたよ。俺のせいだ、俺が判断を誤ったからこんなことになったんだ……ってな。元もと責任感の強い奴だった。今回も責任を取ると言って……拠点の屋上から飛び降りたんだ。俺たちがちょっと目を離した隙に。……即死だった」
「ゆ……豊が……、自殺……!?」
頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。よりにもよって、豊は自ら死を選んだというのか。俄かには信じられない。いや、信じたくない。
けれど一方で妙に納得してしまう自分もいた。豊は責任感の強い性格だった。《グラン・シャリオ》の頭であることに誇りと強い自負を抱いていた。あのような光景を目の当たりにし、自らを激しく責めたとしてもおかしくはない。
(豊……!!)
しかし、聖夜の言葉はそれだけにとどまらなかった。
「……それだけじゃない。豊の死を目の当たりにした涼太郎は、とうとうおかしくなっちまった。涼太郎はああ見えて、繊細なところのある奴だ。そして誰よりも豊を慕っていた。それもあって、とても現実を受け入れられなかったんだろう。その結果、あいつの心は粉々に壊れちまったんだ。今はもう、どんなに話しかけても返事をしない。まるで魂を失い、人形になっちまったかのようだ」
「そんな……涼太郎まで……!!」
目の前が真っ暗になった。あんなに溌剌としていた涼太郎が。
しかし深雪はすぐに考え直す。涼太郎の反応は何もおかしくない。むしろ当たり前だ。家族と慕った仲間があのような惨憺たる殺され方をすれば、誰だって心を病む。おまけに豊まで目の前で身を投げたのだ。
深雪の脳裏に涼太郎の姿が浮かんだ。体は大きいが威圧感はなく、聡明で人懐っこい青年。ファッショナブルである一方で親しみやすさも感じさせ、でも確かにどことなく繊細な感じは受けた。あの明るい彼はもう二度と戻って来ないのか。
「聖夜……」
深雪は聖夜に何と声をかけていいのか分からない。何と言って励ませばいいのか、どう接すればいいのか。そもそも自分に、聖夜に何かを伝える資格はあるのだろうか。
言葉を失うばかりの深雪の前で、聖夜は不意にその大きな体を震わせた。それまで抑え込んでいた感情がとうとう爆発してしまったのだろう。
そして、肺の奥から絞り出すような声で深雪に訴える。
「……なあ、教えてくれよ。何で俺たちがこんな目に遭わなければならないのか。俺たちが何をしたって言うんだ? どうしてここまで尊厳を踏みにじられなけらならないんだ? 俺たちみんな、笑って明日を迎えるはずだった。……なあ、返してくれよ。俺のチームを、仲間を……あるはずだった未来を返してくれよ!!」
「せ……聖夜……!」
深雪の声は我知らず震えを帯びる。
どうすればいいのか。どう償えば聖夜は納得してくれるのか。
いや、何をしたって《グラン・シャリオ》の死を埋め合わせることなどできはしない。彼にとって《グラン・シャリオ》は唯一無二の仲間であり、代わりなど存在しないのだ。
それなのに、深雪は彼から仲間を奪ってしまった。
そう、全ては深雪が招いたことだ。深雪が《グラン・シャリオ》と二代目桜龍会を引き合わせたりしなければ、こんなことにはならなかった。深雪が京極の陰謀を見抜いてさえいれば、こんなことには。それを考えると、聖夜にはいくら謝っても謝り切れない。
深雪は呆然と聖夜を見つめ返す。しかし、すぐに聖夜はかぶりを振った。
「……いや、分かってる。悪いのはあんたじゃねえってことは。悪いのは《エスペランサ》の経営者、京極鷹臣とかいう奴なんだよな?」
「!! どうしてそれを……!」
それを知るのは深雪と京極、そして通信を介しその会話を聞いていた逢坂だけだ。
(通信……まさか!?)
そう、もう一人だけいる。通信を介し、深雪たちの会話を聞くことができた人間が、もう一人だけ。彼女――乙葉マリアは深雪のそばに姿を現した。
「悪いけど、逢坂忍に聞かせた通信内容を、そのまま九鬼聖夜にも伝えさせてもらったわよ」
「どうしてそんなことを!!」
「当然でしょ。うちの事務所の落ち度でもないことで逆恨みされちゃ、たまったもんじゃないし。事務所を守るためよ」
そう言われてしまうと、返す言葉もなかった。確かに、真実を知らなければ聖夜は永遠に深雪を恨み続けたことだろう。その憎しみが東雲探偵事務所全体へ波及する可能性も十分に考えられる。マリアが事務所のためにもそれを避けたいと判断したのも理解できることだった。
だがそれが分かっていても、深雪は聖夜に京極の存在を知らせたくなかった。彼を京極に近づけたくなかった。京極に接近して徹底的に利用され、ごみのように捨てられるくらいなら、まだ何も知らず深雪のことを恨み続けていた方が聖夜にとって幸せなのではないかと。
けれど、聖夜は既に真実を知ってしまったのだ。《グラン・シャリオ》の大量虐殺事件には黒幕がおり、カジノ店・《エスペランサ》の経営者、京極鷹臣こそがその張本人であると。
やがて聖夜は深雪から顔を逸らし、くるりと踵を返す。その背中が、石蕗診療所を出た時に別れた逢坂の姿と重なった。全てを拒絶し、復讐へと突き進む男の背中と。
――まさか、聖夜まで京極を討ち果たそうというのか。深雪はぎくりとし、慌てて彼の背中に声をかける。
「聖夜、待て! どこへ行くつもりなんだ!!」
「……。あんたにゃ関係ねえだろ」
「京極に復讐するつもりなのか? 仲間の仇を討ちに行くのか!!」
「……」
「早まっちゃ駄目だ!! 京極は一人で立ち向かったところで、敵う相手じゃない!! 返り討ちにされるどころか、もっと酷い目に遭いかねない!! 仲間を奪われて悔しい気持ちは分かるけど……」
ところが、深雪がそう言った次の瞬間、静かだった聖夜の口調が一変した。
「『分かる』だと……!? ふざけるな!! あんたに俺の何が分かる!!」
聖夜はわずかにこちらを振り返る。サングラスの隙間から深雪に向けられた瞳は怒りで燃えたぎっていて、どす黒い殺気すら放っていた。深雪はすっかりそれに気圧される。聖夜とはそれなりの付き合いだが、彼がそれほど憎しみに満ちた目をするところを見たのは初めてだ。
「聖夜……」
「あんたには仲間がいるじゃねえか! 俺と違って何一つ失っちゃいねえじゃねえか!! そんなあんたに俺の気持ちなど分かるわけがない!!」
「聖夜、落ち着いて……俺の話を聞いてくれ!!」
深雪は聖夜に駆け寄ろうとするが、やはり雨宮と碓氷がそれを許してくれない。
「頼む、二人とも! そこを退いてくれ! 聖夜と……聖夜と話をしないと!!」
深雪は必死で二人の包囲網を突破しようとした。だが、実力を上回る者たちから二人がかりで押さえられ、振り切れるはずもない。雨宮は抑揚のない声で深雪に忠告する。
「やめておけ。それがお前のためだ。あの男はもう、話ができる状態じゃない」
「そうだとしても……放っておけないよ! こっちを向いてくれ!! 聖夜! 聖夜!!」
けれど聖夜は、もう深雪のことなど見てもいなかった。全身から殺伐とした憎悪を陽炎のように揺らめかせながら、どことも知れぬ虚空を睨み付ける。そして、ぶつぶつと独り言ちた。
「返り討ちだと……? それがどうした!? 死なばもろとも、望むところだ! 俺にはもう何もない。仲間も帰る場所も……もうどこにもありはしない!! 破滅がなんだ? 死がなんだって言うんだ!? そんなもの、今となっちゃこれっぽっちも怖くはねえんだよ!! 何せ俺にはこれ以上、失うものなど何一つないんだからな!!」
「駄目だ、聖夜! 自暴自棄になってはいけない!!」
しかしその言葉も、もう聖夜には届かない。彼は完全に深雪へ背を向けると、もはやこちらのことなど一顧だにせず静かに立ち去っていく。
「一人になるな、聖夜!! 聖夜ぁぁーーーっ!!」




