第30話 直接対決③
こうも劣勢だと、愚痴の一つも出ようというものだ。
だが、深雪は諦めない。どれほど《ルーナノヴァ》で《ランドマイン》の発動を阻まれようとも、果敢に攻勢をかけ続ける。
攻撃の手数を増やすことで圧倒すれば、さしもの京極もいつか捌ききれなくなるのではないかと考えたからだ。
そして深雪の推測は的中した。《ランドマイン》を付着させたコンクリート片のいくつかは、《ルーナノヴァ》を免れ爆発する。その数は徐々にだが確実に増えていく。
《ランドマイン》と《ルーナノヴァ》の撃ち合いによって大気がビリビリと振動した。轟音と衝撃派が《監獄都市》の上空を激しく揺るがす。だが、そこまでしても京極に直接、攻撃を与えるまではいかない。
そうこうしているうちに、深雪の方に限界が訪れる。屋上を常に全速力で移動し続けているため、息が上がってきたのだ。
「くそ……このままじゃ、いずれやられる!」
深雪は焦りを禁じえなかった。京極の《ルーナノヴァ》は破壊力もさることながら、防御面においても一分の隙も無い。よほど自信があるのか、京極は高圧的な態度を隠しもせず深雪に宣告した。
「お前に最後の機会をやろう、雨宮。今ここで選ぶといい。俺と共に来るか、それともここで大人しくその生を終えるか」
深雪は相変わらず京極の放つ《ルーナノヴァ》を全力で回避し、合間を縫って《ランドマイン》で反撃しながら叫んだ。
「ふざけるな! そんなのどっちもお断りだ!! 俺は何があろうとお前の言いなりにはならない!!」
だが、対する京極は一歩もその場から動かず、深雪を翻弄するように幾度も《ルーナノヴァ》を発動させる。その口元には冷笑が浮かんでいた。
「いい加減、諦めたらどうだ? お前は俺に勝てない。《ウロボロス》の時も《ガロウズ》の時も、そして今回も。お前は一度たりとも俺の計画を止められなかったじゃないか」
「……!! それは……!」
「二十年前の愚を繰り返すな。《暁星=シリーズ》も劣勢に立たされているようだし、たった一人では何もできんだろう?」
なるほど、確かに深雪は絶体絶命だ。京極を組み伏せていた時に比べると、形勢は完全に逆転してしまった。今の深雪は京極を殺すどころではない。むしろ自身が《ルーナノヴァ》で切り刻まれないよう、逃げ回る他ないのが現状だ。
エニグマも先ほど以上に月城の猛攻に手こずっている。深雪のことは気にかけてくれているようだが、月城の執拗で巧みな攻撃に阻まれているため、こちらには近づけそうもない。誰が見ても間違いなく深雪たちは万事休すだ。
しかし、それでも深雪は観念する気はさらさらなかった。京極に向かって不敵な笑みを浮かべてみせる。
「……お前もしつこいな、京極。何度も言っているんだろ! 二十年前とは違う、俺はもう一人じゃないって!!」
「何……!?」
京極は訝しげに眉根を寄せた。深雪が何を言っているか全く理解できないという顔だ。
確かに京極は強い。戦闘力だけでなく知力や精神力、ありとあらゆる能力の全てが深雪のそれより上回っているのだろう。これだけの実力差を見せつけられたのだ、深雪もそれを否定することはできない。
だが、深雪には京極にはないものがある。この《監獄都市》にやって来て、自らの力で一から築き上げたもの。何よりも信頼できる仲間たち。深雪は彼らとの絆を信じている。一人では全く歯が立たないほどの困難でも、皆となら乗り越えられる。
(そうだ……俺は一人じゃない! 出来れば俺一人の力で京極を仕留めたかったけど……それができなかったとしても他に必ず方法はある! みんなを信じるんだ!!)
深雪が両手の拳を握りしめた、その時だった。京極の背後に突如として小さな影が躍り出す。
その動きから察するに、影の主はこのビルの壁面を垂直に駆け上がってきて、その勢いのまま上空へと跳躍したのだろう。翻る濃紺のセーラー服、頭上には三角形をした二つの獣耳。深雪は、はっとした。間違いない、シロだ。
「シロ!!」
でも、どうしてシロがここに。彼女は六道と共に《収管庁》へ向かったはずではないか。
いや、自分が京極に連れ去られたことは事務所の仲間や所長である六道も既に共有しているだろう。だとしたら――まさかシロは深雪の援護をするため旧都庁からこのビルまで疾走してきたのだろうか。だとしたら、何という身体能力なのだろう。
シロも深雪に気づき、一瞬、安堵の表情を見せた。しかしすぐに京極を睨みつけると、その円らな瞳に煌々とした赤い光を宿らせる。そして腰に下げた《狗狼丸》を一気に抜き放った。冴え冴えとした月光がその刃の輪郭をくっきりとなぞる。
「お前! よくもユキを連れ去ったな!! お前なんかにユキは渡さない!!」
シロは《ビースト》のアニムスを発動させ、その並外れた身体能力を極限まで高めて京極へと斬りかかった。どうやら既におよその事情は把握しているらしく、初対面である京極を敵と認識している。
一方の京極も《ルーナノヴァ》を発動させたようだった。シロのセーラー服が切り刻まれ、全身から血飛沫が舞い散ったからだ。だがシロはそれに臆することはない。《ビースト》を発動させたまま、まっすぐに京極へと突っ込んでいく。彼女のアニムスの力をもってすれば、生身の人間の身体など、紙を裂くがごとく軽々と真っ二つだ。
「京極!」
月城も京極の身に迫る危機に気づいた。エニグマとの戦闘を切り上げ、すぐさまこちらへ戻ってくる。
シロの放った白刃が京極に届くかと思われた、その寸前。月城は己の影化した右手をさっと伸ばした。それは闇の中を音もなく急速移動し、シロの足首を掴む。そして彼女の小柄な身体をぶうんと大きく振り回すと、屋上の外めがけて投げ飛ばした。
「シロ!」
深雪は思わず声を上げる、しかし、心配は無用だった。シロは空中で器用にくるくると体を回転させ、うまく体勢を整えたからだ。
彼女が投げ飛ばされた先には避雷針が設置されている。シロはそれを片手で掴み、大車輪のようにくるりと一回転したのだった。そしてさらにその避雷針を足場にし、大きく跳躍すると再び《狗狼丸》を構える。彼女が狙うのはただ一人、京極のみだ。
京極は瞳に赤光を灯し、シロに向かって《ルーナノヴァ》を発動させる。しかしやはりシロは全く意に介さない。屋上の床に着地すると、左右にステップを踏み、驚異的なまでの動きで《ルーナノヴァ》を避けていく。そのいくつかは彼女の身体を掠めたものの、シロは全く怯まない。《狗狼丸》を携え、凄まじいスピードで京極へと肉迫する。
京極は忌々しそうに吐き捨てた。
「《斑鳩》で作られていた亜人兵か」
「腕力にものを言わせるしかない連中だが、お前との相性は悪い。亜人兵は俺が引き受ける。お前は一刻も早く雨宮の六番を抑えろ」
月城はそう言うと、京極を庇ってシロの前に立ちはだかった。同時に彼の漆黒の体は変形し、その背中から無数の影が手のように四方八方へと伸びる。まさに千手観音像だ。月城はその背中から伸びる無数の触手を自らの手足のように操り、シロへと襲い掛かった。
いくつもの黒い手がシロを捕らえ、或いは薙ぎ払い、刺し貫こうと苛烈に身を躍らせる。けれど、シロは前進をやめない。それどころか、目にもとまらぬ速度で日本刀を振るう。そして、その白刃を縦横無尽に閃かせ、月城の放った影の手、全てと互角に戦い弾き返す。
凄まじい剣戟だった。深雪の目ではシロの太刀筋を捉えることさえできない。ただ火花が散り、そこかしこで大輪の花を咲かせているのが分かるのみだ。月城はシロを退けることはおろか、触れる事さえできない。シロは咆哮を上げた。
「邪魔をするなぁぁっ!!」
月城もまた声を荒げる。
「邪魔なのはお前の方だ、亜人兵! ヒトにもなりきれん獣風情が出しゃばるな!!」
シロの瞳に灯った赤い輝きが、さらにその強さを増す。《ビースト》をよりいっそう増幅させたのだ。
「よく分からないけど……シロ、お前たち嫌い! 大っ嫌い!!」
信じがたいことに、月城の方が押されている。さんざんエニグマを圧倒し、深雪を翻弄し続けたあの月城が。
シロはおそらく、全力で戦っているのだ。
これまで深雪が見たことのないほどの跳躍力で地を蹴り、はるか上空から月城へ斬りかかる。かと思えばもはや目視では捉えられないほどの無数の斬撃を繰り出し、そして鞘に刀を収めると、轟、と居合を放つ。日本刀・《狗狼丸》が月光を反射し、その残像が鮮烈な弧を描く。
筋力、持久力、瞬発力、心肺持久力、敏捷性、平衡性、柔軟性。全ての身体能力が異次元のレベルだ。シロの動作全てがヒトのそれを遥かに凌駕している。
しかも、どれだけ京極の《ルーナノヴァ》を食らっても彼女が足を止めることはない。痛覚が麻痺しているのだろうかと心配したが、それにしては出血量が少ない。どうやら軽い負傷なら瞬く間に回復してしまうらしい。《ビースト》によって治癒能力も劇的に向上しているのだ。
これがシロの本当の実力なのか。深雪は思わずごくりと喉を鳴らす。
これまでも、シロは幾度となく《ビースト》を発動させてきた。その強さを非常に頼もしく思う一方で、正直なところ危なっかしいと感じたことも幾度かある。しかしそういった時でさえも、彼女は何だかんだで己のアニムスを抑えていたのだ。深雪が知るシロは、一度もその実力を完全に発揮したことはなかったのだ。
だが今や、彼女の能力に足枷をかけるものはない。強敵を目の前にしたことで全ての束縛から解放され、まさに『狂戦士 (バーサーカー)』のような戦いぶりを見せている。彼女をそうさせているのは間違いなく深雪の存在だろう。
「シロは絶対、ユキと東雲探偵事務所に帰るんだ!!」
深雪を取り戻したい。そして深雪とずっと共にいたい。彼女が戦う理由はいたってシンプルだ。故に迷いがなく、その意思は鋼のように強い。どんな強敵が相手であろうと簡単に揺らぐことはないのだ。
月城も決して攻撃の手を緩めているわけではないが、シロのあまりにも真っ直ぐな太刀筋には対抗しきれていないようだった。
京極はそれを目にし、深雪へ鋭利な視線を向ける。そこには、先ほどまでの上から目線で見下すような気配はない。冷静沈着に目的を達成しようとする機械のような瞳。深雪は悟った。京極は今ここで決着をつけようとしているのだと。
その刹那、京極は瞳に赤い光を閃かせ、《ルーナノヴァ》を放つ。深雪は真横に跳躍してそれを避けた、そのつもりだった。ところが《ランドマイン》や《ルーナノヴァ》によって抉られた床の凹みに足を取られてしまった。
「くっ!?」
深雪の体はバランスを崩す。
(……くそ、京極のアニムスが直撃する!!)
《ルーナノヴァ》の姿が見えなくとも、これまでの経験で分かる。一瞬の後、深雪の体はズタズタに引き裂かれるだろうと。
京極はおそらく、ここで深雪を殺すつもりは無い。ただ、目的を遂行するためなら、多少は痛めつけても構わないと計画を変更した可能性はある。動きを封じられカジノ店・《エスペランサ》に連れ込まれたら、もう二度と東雲探偵事務所には戻れないかもしれない。それは深雪にとって、敗北以外の何ものでもなかった。
心臓が大きく鼓動を打ち、冷や汗が噴き出した。何だか周囲の時が止まったように見える。まるでスローモーション映像のように。
だが《ルーナノヴァ》が深雪の体を傷つけることはなかった。間一髪のところでエニグマが深雪の元へ戻って来て、盾となってくれたからだ。
「エニグマ!!」
深雪は思わず弾んだ声を上げた。エニグマはいつも深雪をサポートしてくれる。今回もエニグマがいてくれたから、どうにかここまで持ち堪えることができた。それを考えると、エニグマに対する感謝の気持ちでいっぱいだ。
ところがエニグマの様子は何だかおかしい。月城の戦闘でよほど消耗したのか、反応が鈍くいつもの元気がない。全体的に、海中に漂うワカメみたいにヒラヒラしている。おまけにその体もビリビリに破けており、心なしか透けてさえいるようだ。深雪は驚いてエニグマに声をかける。
「エニグマ、大丈夫か!?」
するとエニグマは力なく微笑んだ。
「すみません、雨宮さん。全力は尽くしたのですが、このような有り様になってしまい……お恥ずかしい限りです」
エニグマはとうとう活動の限界を迎えたらしい。あれほど月城や京極の容赦ない攻撃をその身に受けたのだ。無理もない事だった。深雪は首を横に振り、エニグマをねぎらう。
「そんなこと言うなよ。エニグマは俺を十分、助けてくれた。今は休んで回復してくれ」
「しかし、それでは雨宮さんが……!」
「自分のことは自分でやれる。俺にとってはエニグマを失う方がよほど辛いよ」
「ああ、そのようなお言葉をいただけるなんて……! このエニグマ、もう思い残すことは何もありません……!!」
エニグマは今にもこの世から消滅してしまいそうだった。本懐を遂げたと言わんばかりの満ち足りた表情をして。そのあまりにも安らかな表情に、深雪は慌てて付け加える。
「ぜ、前言撤回だ! お前の主として命じる! 勝手にいなくなったら許さないからな!!」
しかし、エニグマはもはや答える余力も残っていないのか、一言も発することはなかった。そしてそのまま蒸発するように消えていく。
妙に幻想的で儚い光景だった。エニグマはまた深雪に元気な姿を見せてくれるだろうか。もしやこのままいなくなってしまうのでは。深雪は強い不安を覚える。
一方、エニグマが消え去ったその向こうで、京極がニヤリと口角を上げるのが見えた。彼は冷たい勝者の顔をして深雪に告げる。
「もう、お前を守ってくれる者は誰もいない。残念だったな、雨宮。そろそろ諦めて投降したらどうだ? これ以上続けても、あの亜人の仲間が傷つくだけだぞ」
「……」
「勝負はついた。お前の負けだ。一時の感情に流されて意地を張るな。このまま全てを失ってもいいのか?」
エニグマの消耗を目にした後だと、京極の言葉は余計にずしりと来る。シロも今のところは月城を圧倒しているが、それもいつまでも続くわけではないだろう。スタミナの限界は必ず来る。深雪の内心の動揺を見透かしたのか、京極はさらに畳みかけた。
「言っただろう、俺たちの目的はあくまでお前を『ある人』に会わせる事だと。それさえ達成できるなら、東雲探偵事務所の連中に用はない。こちらから手を引いてやる。仲間が大切なんだろう? 連中を守れるかどうか、全てはお前次第だ」
京極は深雪が匙を投げるのを待っているのだろう。自ら降参するよう誘導しているのだ。そんな揺さぶりに屈するものか。深雪は京極へ強い眼差しを向ける。
「それはどうかな」
「雨宮」
「お前こそ忘れたのか? 言っただろ、俺の仲間は強いって! みんな、お前相手でも引けを取らない手練ればかりだ! だから、そんな脅しは通用しないぞ!!」
「ふん……だが、その仲間も今は傍にいないだろう。連中はみな、今ごろ《リスト執行》にかかりきりになっているだろうからな。肝心な時に援軍として駆け付けられない味方など、何の意味がある? 友情ごっこに耽るのは勝手だが、ただの自己満足にすぎないという事を覚えておいた方がいい」
「黙れ! それに……俺の仲間は、事務所のみんなだけじゃない!!」
「何……?」
深雪がそう叫んだ瞬間、背後から声が響き渡る。京極と月城に徹底抗戦を貫き、時間を稼ぎに稼いでまで待ち詫びたその声が。
「深雪、伏せろ!!」
自分と寸分、違わぬ声音。深雪は素直にその声の指示に従った。
刹那、四つ這いに伏せたその頭上を《天羽々斬》の凄まじい剣圧が掠め、京極へと襲いかかる。
もっとも、京極もすぐにそれに気づき、《ルーナノヴァ》を発動させて《天羽々斬》を相殺した。その間に深雪は身を起こすと背後を振り返る。
そこには思った通り、雨宮と碓氷の姿があった。二人は深雪の元へ駆け寄ってくると、深雪を庇うようにして前に進み出た。
「……まだ動けるな? よし、お前にしてはよく持ち堪えた!」
雨宮は京極に向かって愛用のサーベルを構えつつも、深雪の安全を目視で確認する。
「ありがとう、二人とも! やっぱり来てくれたんだな!」
深雪は声を弾ませた。雨宮と碓氷なら絶対に後を追ってくると思っていた。陸軍特殊武装戦術群として実力のある二人なら、深雪を見失わず追跡してくれるだろうと。
「うるせえ、まんまと攫われやがって! いいからそこを退きやがれ!!」
碓氷の悪態すらも今は頼もしく思える。深雪は言われた通り、後方に下がることにした。それと同時に、碓氷は地面に両手をつき、さっそく《メルト》のアニムスを発動させる。
《メルト》はその名の通り、物体を高熱で熔解させるアニムスだ。《メルト》の干渉を受け、コンクリートでできた屋上の床が真っ赤に輝いてドロリと溶ける。マグマのようなそれは、大きな波となって真っ直ぐに京極へ向かう。
もうもうと蒸気が上がり、焦げ臭いにおいが立ち込めた。あれに呑まれたら、火傷どころでは済まないだろう。大きなダメージを喰らうはずだ。
けれど京極は横に跳んであっさりとそれを回避してしまった。《メルト》の津波は溶岩と同じで進行速度が遅い。また、動きも単調であるため回避するのは難しくないのだ。
しかし彼が着地したところを狙って、今度は雨宮が《天羽々斬》を放った。《メルト》は最初から陽動で、真の狙いは《天羽々斬》だったのだろう。




