第78話 直接対決
深雪と京極、双方ともすでに武器はなく、それぞれの理由からアニムスも使える状況ではない。
深雪は過去のトラウマにより人に向かって《ランドマイン》を放つことができないし、京極の《ヴァニタス》はそもそも戦闘には不向きなアニムスだ。
それに京極の目的は深雪を同行させることであり、息の根を止めることではない。よって必然的に素手での格闘戦にもつれ込む。
京極は深雪へと間合いを詰めると共に地を蹴った。空中で体を大きくひねり、繰り出されたのは回し蹴り。いわゆる旋風脚だ。
まさか初っ端からそんな大技を繰り出すとは思わなかった。深雪は辛うじてそれを避けるものの、完全に調子を崩されてしまった。
京極は着地すると同時に、さらに身を沈めしゃがんで回転ローキックで深雪の足を狙う。深雪は反射的にジャンプしてそれを避けるものの、体勢を整える頃には京極の追撃が迫っていた。
上段中段下段への、息もつかせぬ連続蹴り。その細身に似合わず、キレのある攻撃だった。京極の蹴りが顔面を掠めるたび、ビュウッと鋭い音がし、びりびりと振動に晒される。
おまけに全く隙が無い。深雪はその迫力に押され、ただひたすら回避と防御に徹するしかなかった。相手の攻撃の隙を突き、左右から回り込んで攻撃の糸口を掴もうとするが、さすがに京極にもその動きは筒抜けで、なかなか良い位置を取らせてくれない。
結果として深雪は、ひたすら両腕を構え回避、または防御に徹することを強いられる。
かなり一方的な展開だった。
京極の攻撃はやたらテンポが速くて苛烈な上、しかも攻撃パターンもかなり不規則だ。もともと激しく攻め込んでくるのに、トリッキーな大技もがんがんぶち込んでくる。目でその動きを追うのも一苦労だ。
深雪はすっかり翻弄され、振り回される。そのため、回避と防御だけでも精一杯というのが実のところだった。
ただ、大きなダメージはなく今のところはどうにか持ち堪えている。アニムスを使わず、体術のみでここまで互角に戦えること自体が深雪にとっては大きな進歩だった。
京極もその点は意外に思ったらしい。
「ふん……少しは粘るじゃないか」
「言っただろ、二十年前とは違う。俺だって何もして来なかったわけじゃない!」
「そうか。それなら、こちらも遠慮なくギアを上げさせてもらうとするか」
その言葉通り、京極はさらに攻撃の威力とスピードをアップさせる。
その上、大技も繰り出してくるのに恐ろしいほど隙が無い。
ジャブやストレート、フックなどのパンチで手堅く攻めていたと思ったら、ろくな予備動作も無く突然、後ろ回し蹴りや上段回し蹴りを放ったりする。筋力は言うまでもなく瞬発力や柔軟性にも優れており、少々、無茶な姿勢を取っても体がぐらつくことがないところを見るに体幹も相当、鍛えているだろう。
そして、相手の不意を突くのに長けた戦略の発想力の豊かさ。戦闘経験そのものも豊富であり、全てが深雪を上回っている。
京極の放った拳や蹴りが容赦なく深雪の手足や胴、腿などにダメージを叩き込んだ。京極は碓氷よりもさらに細身であるように見えるのに、一撃、一撃の衝撃は重く凄まじい威力だ。
おまけにそれだけ激しく動き回っているというのに、大して疲労した様子もない。自分の体を使って最小限の動きで最大限の成果を出す術に長けている。
深雪も今は持ち堪えていても、ダメージが蓄積すればいつかは崩されるだろう。
(このまま防御や回避だけで応戦していたのでは、疲弊し消耗するだけだ! 何とか反撃の糸口を掴まないと……!!)
もっとも、回避や防御に徹し、相手の動きを観察する中で見えてくるものもあった。
(あれ……? 京極の動きも雨宮や碓氷と似ている気がするな。気のせいか……?)
いや、気のせいではない。トリッキーな大技が頻繁に入ってくるせいで、最初は気づかなかった。だが、じっくり観察すると基本の動きは意外にも堅実で、雨宮や碓氷とよく似ている。
スポーツとして魅せるための格闘技ではなく、相手を倒し生き残るための技術。ゆえに効率重視で無駄が少なく、隙も無いのだ。
しかし、そうして最大限に効率化された戦闘は、やがてみな一つの型に集約されていく。
(考えてみたら当然か。京極も斑鳩科学研究センターで作成されたクローンで、陸軍特殊武装戦術群のみなと同じ訓練を受けているんだ。京極自身がどれだけそれを否定しようとも、身体に叩き込まれた訓練内容はそう簡単には消えない……!!)
だが、深雪にとってはむしろ好都合だった。日々、訓練を重ねてきたおかげで、雨宮と碓氷の動きは頭に叩き込んである。だからトリッキーな大技にさえ気を付けていれば京極に対処できるのではないか。そう考えれば、精神的にもぐんと楽になる。
(諦めるな、まだ勝ち目はある!)
一方の京極は子どもが玩具に飽きたみたいに、すっと目を細めた。深雪がまったく反撃してこないので、これ以上は時間の無駄だと判断したのだろう。しかしそれは、深雪にとっては絶好のチャンスだった。
(……来る!! 京極は次で決着をつけようとするはず……そこが反撃のチャンスだ!!)
案の定、京極は大きく踏み込んで来た。そして右フックと左フック、掌底打ちの連続技を繰り出した後、中段蹴りを放つ。
深雪は慎重にステップを踏み、それらを全て回避した。
だが、京極の攻撃はそれに止まらない。最後に待ち受けていたのは、頭部狙いの大技・右足による上段回し蹴りだ。京極はそのために大きく体を捻って勢いをつける。
直後、そのしなやかな右足が深雪を狙い、凄まじい速度で大きく弧を描いた。深雪には辛うじてその残像が捉えられるだけだ。
全ての攻撃を回避と防御で耐えきった深雪は、最後の上段回し蹴りを避けるために紙一重で体を沈める。
これで、完璧のはず――しかし予想したタイミングで上段回し蹴りは来なかった。一泊遅れて、かかと落としが真上から放たれる。ちょうど身を沈めた深雪のその肩を狙って。
京極は深雪の動きを読んでいたのだろう、絶妙な位置だった。
(上段回し蹴りはフェイントか!!)
深雪は驚愕に目を見開いた。京極は上段回し蹴りを放った後、途中でそれをキャンセルし空中で姿勢を制御してから、かかと落としへと変更したのだ。
言うは易しだが並みの身体能力でそんな事ができるはずもない。驚くほどの柔軟性とバランス能力、そして姿勢制御能力。滞空時間も長い。何もかもが神懸っている。
だが、ここで怯んではいられない。
今までの深雪なら間違いなくそこで後退していた。しかし深雪は危険を承知で、京極の軸足側、深雪から見て右手にスライディングし、勢いよく身を起こす。
そのバネを利用し渾身の力を込め、京極の頭部めがけて下からアッパーカットを食らわせた。京極は驚異的なバランス能力でそれを避けるものの、深雪の拳は彼の左耳を掠める。
(入った! ……行ける!!)
深雪はここぞとばかりに追撃を加えた。京極が着地し、体勢を整える前に脇腹に拳をぶち込む。初めての反撃だ。
二発目も狙いたいところだが、京極もそう簡単にはやられない。深雪の振るった左のフックを避け、肩と胸倉を掴むと軽々と背負い投げを仕かけてくる。
深雪は空中へ投げ飛ばされるが、受け身を取ったので床に叩きつけられることはなかった。すぐに起き上がると、再び身構える。ここでは陸軍特殊武装戦術群の一員、剣崎玲緒との訓練が役立った。
しかしその時には、京極が目前に迫っていた。その瞳には冷徹な光が浮かんでいる。どうやら脇腹に一発喰らって手加減するのはやめたらしい。今度は確実に仕留めに来るだろう。
(でもその分、トリッキーな技や大技は使わないはずだ!)
深雪の読みは的中した。京極の攻撃から、それまでの何か弄ぶような動きは消え去った。蹴りにしろ殴打による打撃技にしろ、最小限の動きで確実に相手の動きを封じる実践的な戦法に変化している。
そしてそれは、深雪にとって最も馴染み深い、雨宮や碓氷の動きそのものだった。
――相手の動きが手に取るように分かる。深雪は京極の攻撃に臆することなく、どんどん攻撃を仕掛けていく。
もはや一方的な展開ではない、完全に互角の戦いだ。京極は無表情だが、内心ではさぞ戸惑っているに違いない。仕留めに行くつもりが、逆にこうして追い詰められているのだから。
そして――
(ここだ!!)
幾度にも渡る攻防戦の後、京極は深雪の肩口を狙って手刀を振り下ろす。
深雪は瞬時に、雨宮から教えられたことを思い出した。人体にはいくつか急所があり、肩関節を痛めつけられたら腕が満足に動かせなくなると。
つまり京極はこれで勝負をつけるつもりなのだ。
そうはさせるものか。深雪は上半身を捻って京極の手刀をかわしつつ、その腕をがちっと押さえる。そしてその腕の死角から京極の首を狙い、下から上に腕を滑らせ京極の顎を真下から押さえる。雨宮が深雪にやって見せてくれた技だ。
「……!?」
ポストヒューマンとやらを自称する京極も、首を押さえられたら一瞬、身体が硬直してしまうのは普通の人間と同じらしい。そこを深雪は見逃さなかった。
京極の足を引っかけ、俯せに組み伏せるとその右肩を膝で押さえ、右手を後ろ手に捻って抑えつける。そして京極の背中に馬乗りになり、全体重をかけ上から押さえつける。それも雨宮がやっていた方法を真似た。
肩で息をしながら深雪は京極に告げる。
「一瞬の油断が命取りになったな、京極!」
「……」
地に抑えつけられた京極は首を真横に捻り、片目だけで忌々しげに深雪を見上げた。その顔には同時に、大きな驚きが浮かんでいる。まさか自分が深雪に制圧されるとは思ってもみなかったのだろう。
一方、離れたところで戦いを繰り広げていた二つの影、エニグマと月城もこちらの勝敗についたことに気づいた。
「まさか……京極が組み伏せられただと!?」
「あ、雨宮さん!? 一体どんな方法で奇跡を起こしたというのです!?」
二人とも揃って信じられないという表情をしている。月城はもちろん、エニグマもだ。
(月城はともかくエニグマまで……なにげに失礼な奴だな)
もっとも、エニグマの気持ちもよく分かる。京極は強い。もし京極が美唯を殺すつもりでいたなら、もっと手こずっただろう。
二十年前の深雪にとって、京極は『ただ喧嘩の強いだけの気取った嫌な奴』だった。だが剣崎玲緒や雨宮、碓氷と稽古をつけてもらって何度も何度も投げ飛ばされ、叩き伏せられた今ではよく分かる。京極は格闘戦に限って言えば、異例の強さを誇るのだということを。
もともと類まれなる戦闘センスが備わっていたのか、それとも血の滲むような努力を重ねたか。もっとも、どちらであっても強敵であることに違いはないが。
「京極!」
月城は京極を援護しなければと考えたのだろう。一度、地に潜ると、エニグマのそばをすり抜け深雪と京極の元へやって来る。ここで京極に逃げられたら、全ての労力が水の泡だ。深雪はエニグマに向かって叫んだ。
「エニグマ、月城をこっちへ近づけさせないでくれ!」
「了解しました!」
エニグマは一度、霧散すると、すぐに深雪の近くで再び姿を現す。その様は、まるで瞬間移動したかのようだった。
位置もちょうど良い。まさに月城と深雪たちの中間地点だ。そして月城の前に立ちはだかり、両手を広げて深雪たちへの接近を阻止する。
それを目にした月城は怪訝な表情をした。
「何だ、今のは……瞬間移動!? 《月城=シリーズ》はおろか、《暁星=シリーズ》にもそんな機能は備わっていなかったはずだが……?」
「あいつ、一体何を驚いているんだ?」
深雪が眉根を寄せると、すぐにエニグマが説明してくれる。
「私は彼と違い、ほぼ肉体が残っていません。そのため、動作の自由度に関しては私の方がアドバンテージが高いのかもしれませんね。それが彼には驚きだったのでしょう。例えるなら幽霊とゾンビの違いとでも言いましょうか」
「何か、分かったような分からないような……微妙なたとえだな」
幽霊とゾンビはともかく、要約すると月城の方が全体的な性能は上だが、エニグマには月城ができない特技があるという事だろう。それがエニグマにとって幸いであるのかどうかは分からない。だが、その特性をうまく利用すれば、戦況に有利に働くかもしれない。
思索に耽っていると、京極が口を開いた。
「おい、何を呑気に話している? 俺の存在を忘れてもらっては困るな」
「安心しろ、忘れてなんかいないさ」
「これからどうする? 俺を殺すか? 雨宮、お前にそれができるのか?」
「……!!」
深雪は小さく息を呑んだ。そうだ、ここで京極を抑えて終わりではない。決着をつけなければならないのだ。
この場で確実に京極を仕留める。それ以外に、京極の齎す災厄から《監獄都市》を守る術はない。
だが、深雪にそれができるだろうか。これだけ人の死を恐れている自分が、本当にそれを成し遂げることができるだろうか。
考えれば考えるほど、恐怖で手が震えそうになる。
だが、深雪はすぐに気を引き締めると、京極を抑えつける腕に力を込めた。京極の魂胆は分かっている。深雪の弱点を突き、動揺を誘うのが目的なのだ。この期に及んでも京極は慌てふためくことも無く、深雪に揺さぶりをかける余裕すらある。そしてその強靭な精神力もまた、京極の大きな武器の一つなのだろう。
「京極、お前は確かにすごい奴だよ。人を惹きつける才能があるし、頭脳明晰で戦闘力も高い。お前がどれほど強いか、二十年前は理解することもできなかった」
「ふ……この状況でそれは何の皮肉だ? お前こそ陸軍特殊武装戦術群の連中と訓練ごっこを始めて一か月ほどしか経っていないだろうに、これほどまで戦えるようになるとは大した成長速度だ。お前自身は無自覚なのだろうが、誰もがその能力を手に入れられるわけじゃない。やはりお前も俺たちと同じ選ばれしDNAを持つ、クローンゴーストだということだ!」
「黙れ!! なのに……何故なんだ!? 何故、その能力をもっと健全なことのために使わないんだ!! お前なら人類の進化とか血と破壊による革命だとか、わけの分からないことじゃなく、俺なんかよりよほど世の中に貢献することができただろ! 大勢の人に希望を与えたり、困っている人を助けたりすることもできたはずだ!! それこそが『指導者』に求められる役割じゃないか!!」
そもそも『指導者』は一人ではなれない。『指導者』が『指導者』としてあり続けるには、多くの人にその考えに賛同し、支持してもらわなければならない。京極はその支えてくれるであろう賛同者を自らの手で屠ろうとしている。そこに論理的な矛盾があることに、なぜ気付かないのか。
すると京極はふと遠い目をし、小さく笑みを漏らした。
「……なるほど、俺がただの人だったなら、そういう選択肢もあり得たかもな」
「何……!?」
「だが、俺は奴らとは異なる種だ。共存という道は最初から無い。言っただろう、これは進化とそれによる淘汰だと。いずれ《原初のヒト》は滅び、ゴーストが彼らに代わってこの世界の支配者となる。俺たちにできるのは可能な限り損失を減らし、能率的かつ合理的に自然淘汰を促すことだけだ」
つまり、京極はこれからも破壊を齎し続けるという事だ。彼が《原初のヒト》と呼ぶ人々が、この世から一人残らず死に絶えるまで。深雪は奥歯を噛みしめる。
「……。そうか、何があろうとその考えは変わらないんだな?」
「ああ。そのためにクローンゴーストは存在するんだからな」
「だったら……俺はここでお前を殺さなければならない」
それを聞いた京極は、上から抑えつけられているにもかかわらず、笑い声をあげた。
「ふふ……ははは! 殺す……? お前が俺を殺すだと!? 笑わせる! トラウマで《リスト執行》もできないお前が、一体どうやって俺を殺すというんだ!?」
「決まってる、《ランドマイン》を使うんだ!!」
「この至近距離でそんなことをしたら、当然のことながらお前も爆発の巻き添えだぞ。文字通り自爆するというわけか?」
「お前の凶行をここで止められるのなら、俺はそれでも構わない」
「《中立地帯の死神》になるとかいう話はどうする? 自ら公言しておきながら中途半端に放り出すつもりか? あまりにも無責任だと思わないか?」
「そうかもな。でも、今ここでお前の企みを阻止できるのなら、何も悔いはない」
六道は深雪に言った。この街の未来のため、誰も殺すなと。だが京極を止めるにはそれしか方法がない。そしておそらく、六道もその事を承知している。きっと深雪の選択を理解してくれるだろう。
深雪がここで京極の命を奪い、その結果として《リスト執行》となったとしても悔いはない。それで京極の悪事を阻止することができるのなら。
深雪が本気であることを悟ったのか、京極もさすがに笑みを引っ込める。そして今度は、脅しを含んだ声音で言った。
「……。お前が《ランドマイン》を使う前に、俺が二十年前、お前に仕掛けた《ヴァニタス》を発動させるぞ」
「……!」
「《ヴァニタス》はお前の精神を粉々に破壊するだろう。下手をすると、お前は再びこの街の人間を大勢その手で殺すことになるかもな。《ウロボロス》を皆殺しにした時と同じように」
深雪は首を横に振る。




