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東亰PRISON  作者: 天野地人
《新八洲特区》胎動編
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第77話 進化と後退

「今は一刻も早く、この世界に巣食っている病魔を取り除き、迅速な処置を施さなければならない。途轍もない大きな手術だ。スピードが必要とされるが、同時に慎重にもならなければならない。でないと、『患者』がショック死する可能性もあるからな。


 手術をより安全に行い成功させようと思うなら、素人ではなく専門の知識と技術を持った医療従事者が必要だ。我々クローンゴーストがその『医療従事者』の役目を負う。そうすればお前の案ずる犠牲は最小限に抑えることができる。全ては人類を導き、より高次の存在へと進化させるため、《原初のヒト》には創造し得なかった新しい希望に満ちた世界を作るためだ」


「そんな方法がうまくいくとはとても思えない……!」


「いくさ。現にそれで大成功している国がある。お前も既に知っているだろう。かつてその国は超大国と呼ばれていた」


「ひょっとして、アメリカか⁉ 確かにアメリカでは国家企業が台頭し勢力を拡大させていると聞いたけど、長引く内戦で国内は疲弊し混乱が続いているとも聞いたぞ。それがお前の理想なのか!?」


「そうだな。理想モデルの一つではあるだろう。優秀な個体はたとえゴーストであろうと、強権を有する企業が『雇用』し、その能力を最大限に生かす。その一方で、優秀でない個体は自ずと内戦に翻弄され憎しみ合って殺し合い、勝手に死んでいく。実に効率的なシステムだろう?」


「どこがだ!? そんなの、あまりにも非人道的すぎる! 人の命はお前が考えるほど軽くはないし、能力の優劣でその価値が変わったりもしない!!」


「何を怒ることがある? この街も既にそうなっているじゃないか」


「何だと……!?」


「この街でもアニムスが強いものが生き残り、弱い者は淘汰される……つまり、優秀な個体ほど生き残りやすく劣った個体から死んでいく。そして秩序を乱す者を《死刑執行人(リーパー)》が殺害することで排除する。……まさに弱肉強食を体現したシステムじゃないか。アメリカではこの一連の選別が内戦という形で自然かつ効率的に行われているというだけだ」


 そう指摘されると、返す言葉もない。もちろん深雪はそれを間違いだと思っているし、どうにかしたくて行動している。だが、現実はなかなかうまくいっていないのが実情だ。


 人間側に起因する問題、ゴーストの側が抱える問題。それらが複雑に絡み合い、抜き差しならない状況に陥っている。それは何も《監獄都市》だけでなく、世界中に蔓延している問題なのかもしれない。


 ある日突然、その複雑で(こじ)れきった問題を解決することのできる存在が現れたなら。労せず最善の結果を与えてくれる存在が出現したなら、ひょっとすると彼らに未来を託してみたいと思う者は意外に多いかもしれない、と深雪は思う。


 もしその存在がおよそ人道的であるとはいえない冷酷非道な手段を用いる者たちであったとしても。


 京極は静かに呟く。


「いずれ《原初のヒト》は内戦や紛争などで互いに殺し合い、絶滅するだろう。むしろそうなるのがヒト全体にとっても望ましい。代わりに台頭するのがゴーストだ。……恐れることはない。進化と淘汰、この地球上で幾度となく繰り返されてきた歴史が再び起こるというだけだ。ホモサピエンスの繁栄の陰で、ネアンデルタール人がひっそりと死に絶えたように」


 彼の言葉には諦めと絶望が色濃く滲んでいた。ヒトの未来には希望など無い。京極の中でそれは揺るぎのない真理と化しているのだろう。


 京極が何を見てきたか深雪は知らない。だからその考えに異議を唱えるつもりは無い。少なくとも《監獄都市》に限って言えば、変えなければならないというのは深雪も完全同意だ。


 だがそれは、京極の言うような破壊という形によってもたらされるべきではない。破壊し、切り捨て、誰かに負担を押し付けて成り立つ改革など、ただの悪化と後退でしかないからだ。


 深雪は低い声で京極に問う。


「……。一つ聞かせろ。お前の言う『冷静冷徹に切り捨てる』ものの中に《ウロボロス》も入っているのか? 《ガロウズ》や《グラン・シャリオ》や逢坂さんの部下たちも入っているのか!?」


「ふ……当たり前だろう。奴らの代わりはいくらでもいる。群れないと何もできやしない、愚かで何の価値もない個体群だ。むしろ、ただの無能にすぎなかった己が未来への礎になることができ、あの世で喜んでいるだろうよ」


 京極の声にはやはり後悔や反省など微塵もなく、逡巡することも無ければ憐れだと感じている気配すらなかった。


 これでよく分かった。京極は他者に対し、対等で同じ人間だという考えを抱いていないということが。


 京極の張り巡らせた陰謀の犠牲となった《ウロボロス》や《ガロウズ》、《グラン・シャリオ》のメンバー、そして逢坂と彼の部下・《彼岸桜》。彼らだけではない。京極にとっては、世界中で生きる他の大勢の人間とゴーストも、みな全て等しく自分と違う下等な種にすぎないのだ。つまり人間にとっての犬や猫以下の存在と捉えているのだろう。


 そして自らをヒトの上位種であると本気で信じ込んでいて、『下等種』に対しては何をしてもかまわないと思っているのだ。だからこそ、他者を平気で自分の目的のために利用し、使い潰し、そして切り捨てることができる。


 象がなにげなく蟻を踏み潰すように。


 そこに深雪が思うほどの悪意はないのかもしれない。いや、悪意すらないからこそ、ここまで恐ろしく冷淡で残酷になれるのかもしれなかった。だが、深雪はその考えを共有することはできない。


「それがお前の理想だというなら……弱肉強食をシステムとして組み込み、お前にとって不必要なものは全て叩き潰す、そんな地獄みたいな世界を作るというのなら、俺は徹底的にその理想とやらに抵抗してやる!! 人間を優劣の選別に賭けるだけならまだしも、劣った大勢を切り捨てゴミか何かみたいに排除してしまうなんて、そんなやり方を許してたまるものか!! 《原初のヒト》だか何だか知らないが、人間をナメるなよ!!」


 深雪は毅然と言い放った。京極の恐ろしさはよく分かっている。たとえ将来待ち受けているのが敗北だとしても、それでも深雪は最後まで徹底抗戦の意志を貫くだろう。


 どちらの言い分が正しいとか利があるとか、そんな事は関係ない。これは信念の戦いだ。


 深雪の主義主張は京極とは決して相容れることはない。だから、京極がこの《監獄都市》を脅かすというのなら一貫して戦ってやる。


 それを聞いた京極は一瞬、無表情になった。


 しかし次の瞬間にはニイ、と口の端を吊り上げ、大きく仰け反ると笑い声をあげる。そこには先ほどまでの、深雪に歩み寄り説き伏せようとする姿勢はない。挑発的で敵意を剥き出しにした、いつもの京極に戻っていた。


「ふ……ははは! お前ならそう言うと思っていたぞ、雨宮! やはりお前はそうでなくてはな!!」


「何……!?」


「お前や東雲六道のような『敵』はむしろこちらとしても大歓迎だ! お前たちはもはや執念の如き覚悟をもって俺の前に立ちはだかり、行く手を阻もうとする。だが、そんなお前たちの存在が逆に俺の思考を研ぎ澄ませ、手法を洗練させてくれる! そして俺自身をより高みへと押し上げてくれる!! お前たちの悪あがきの全てが却って俺の糧となるんだ、滑稽なことにな!! 俺にとってこれ以上、楽しいことは他にない!!」


「楽しい……? 楽しいだと!?」


「ああ、そうだ。お前たちをどうやって絶望させ、叩き潰すか。そして何より、どのように克服し、理念に向かって前進するか。それを考えるだけで楽しくてたまらない!」


 京極の表情はその言葉通り、愉悦に満ちていた。ゲームにのめり込む子供さながらに純真で、それ故にひどく猟奇的な笑み。深雪はカッとし、声を荒げた。


「それの一体、何が楽しいんだ! そんなくだらないことのために大勢の人の命を犠牲にして、彼らの人生を踏みにじって!! それが『楽しい』なんてどう考えても正気の沙汰じゃない!!」


「おいおい、勘違いしてもらっては困る。俺にとっての『楽しい』という言葉の意味は、《原初のヒト》における低俗な本能的快楽とは根本的に次元の異なるものだ。『ポストヒューマン時代における新しい指導者』になるという己の存在意義を再確認し、自分自身が世界でうまく機能していると実感すること、お前たちの言葉で表現するなら、『自分の命の使い道を自分で決め、なおかつそれを実行すること』――そういう、より高次に位置している神聖で崇高な欲求を満たしてこそ得られる、真の充実感のことをそう呼ぶのだ!」 


「お前の中の定義など知ったことか! 一つだけはっきりしているのは、お前と俺は決して相容れないということ、そして俺は『そちら側』には絶対に行かないということだ!!」


 すると、京極は瞳に鋭利な瞳を宿し、それを細めた。


「そうか、好きにすればいい。だが、何と言おうとお前には俺たちと共に来てもらう」


「な……!?」


「言っただろう、お前に会いたがっている人がいると。それが『彼』の望みである以上、俺はお前を連れて行かねばならない。……力尽くでもな。観念しろ、雨宮。お前に拒否権はない」


 京極はそう言うと、深雪に向かってさらに踏み出す。その場が一気に緊迫感に包まれた。深雪は腰を落とし、身構える。


「やれるものならやってみろ! こっちも遠慮はしない、全力でお前らを退けてやる!!」


「ふん……無駄なことを。お前、戦闘の方はさっぱりだろう。それとも、アニムスを使うか? 殺傷能力の高い《ランドマイン》を人に向かって放てるのか!? 二十年前の《ウロボロス》と同じことを、今ここで繰り返すのか!!」


 京極は、やれるならやってみろと言わんばかりに両手を広げて見せる。


(京極……こいつは俺が『殺せない』ことを知っている……!)


 二十年前、《ウロボロス》のみなを《ランドマイン》で殺したことのトラウマが、深雪をそうさせている。現に深雪はこれまで一度も《リスト執行》をしたことがない。はっきり言って、戦闘そのものが苦手だ。


 だが、それでも今は戦わなければならない。そもそも、多大な犠牲をもってそのトラウマを深雪に植え付けたのは京極なのだから。


「お前がそれを言うか! ふざけるな、虫唾が走る!! ……来いよ、どうせお前とは話すだけ時間の無駄なんだ。これまでもずっとそうだった……!」


 深雪が吐き捨てると、京極は苦笑する。


「確かにな。その点だけは俺も同感だ」


「俺はお前と同じ道は行かない。必ず東雲探偵事務所へ戻る! お前がそれを妨げるというなら、戦ってでも自分の意思を貫き通す!!」


 そう叫び、深雪はパーカーのポケットに手を突っ込んだ。そこにはいつも愛用しているビー玉がいくつか忍ばせてある。


 ただ、所長である六道から事務所での待機を命じられていたため戦闘になることを全く想定しておらず、いつもよりもずっと数が少ない。慎重に計算して使わねばすぐに弾切れを起こしてしまうだろう。


 深雪が戦闘態勢に入ったのを悟り、京極もまた腰を落とした。気負いがなく、その仕草だけで彼が戦闘慣れしていることが分かる。


「やれやれ、強情な奴だな。まあいい、ここなら無粋な邪魔も入らないだろう。付き合ってやる。気が済むまでな!!」


 そして京極は深雪へ向かって踏み込んだ。しかし深雪もそう簡単に近づかせるつもりは無い。ポケットの中から《ランドマイン》を付着させたビー玉を二つ取り出すと、前面に放つ。


 もっともそれは京極に命中させるためではなく、あくまで京極の進撃を阻止するためだ。


 二つのビー玉はビルの屋上でパアンと大きな音を立てて破裂した。爆発は屋上のコンクリートを抉り、粉塵がもうもうと立ち込める。全ては深雪の想定通りだ。この弾幕効果を利用し、うまく京極の優位に立つつもりだった。


 ――しかし。


「……甘い!」


 京極は爆煙などものともせず、自らその中へ飛び込んだ。そして深雪へと肉迫する。


 驚きに目を見開いた深雪はさらにどきりとした。京極の右手にナイフが握られているのに気づいたからだ。研ぎ澄まされた刃はビルの照明を反射し、冷たい光を放つ。


(落ち着け! 毎日、雨宮(マコト)にトレーニングや訓練をしてもらってきたんだ! 少しは実力がついているはず……!! 日々の訓練内容を思い出すんだ!!)


 エニグマは今もなお月城と戦闘を繰り広げている。姿こそ見えるものの、やはり深雪から遠く離れてしまっている。あちらはあちらで熾烈な攻防戦を繰り広げており、救援は望めないだろう。相手がナイフで武装していようとも、ここは深雪一人で対処するしかない。


「シッ!」


 京極はナイフを縦横無尽に振るう。ストリートの子どもがノリと雰囲気で振り回すのとは違う、訓練された効率的な動きだ。


 最小の動きで相手を追い詰め、確実に息の根を止める。わずかでも隙を見せれば、そこから突き崩されるだろう。


 深雪はひたすら距離を取り、紙一重でそれをかわし続ける。しかしそれも長くは続かない。とうとう至近距離まで詰められてしまった。


(やられる……!!)


 京極のナイフが一閃する。しかしそれは深雪の体を傷つけることはなかった。代わりにパーカーの下半分がバッサリと斬りつけられ、ポケットに入れておいたビー玉が全てバラバラと屋上の床に落下していく。それを拾う余裕はとてもない。京極はニッと笑みを浮かべる。


(……!! こいつ……最初からこれが目的だったのか!)


 考えてみれば京極がここで滅多(めった)矢鱈(やたら)に深雪を痛めつけるわけがなかった。京極は深雪を誰かに会わせるため、迎えに来たのだと言っていたからだ。


 深雪がここで死んでしまったら、京極はその目的が果たせなくなってしまう。まずは無力化させ、じわじわと追い詰めて戦意を削ぐつもりなのだろう。


 最初から本気ではない。その証拠に、京極はまるでこちらを挑発するかのように手の内でくるくるとナイフを回す。反撃できるものならやってみろとでも言いたげに。


 深雪はムッとする。


(俺のこと、完全に馬鹿にしているな。必ず後悔させてやる!!)


 深雪は素早く頭の中で計画を立てる。そして斬り付けられ、垂れ下がったパーカーの裾を後ろ手で手繰り寄せた。


 京極は再び深雪へと間合いを詰め、ナイフを振るう。深雪は再びそれを回避する。


 再び追いかけっこが始まった。非効率を嫌う京極にとっては、さぞかし面白くない展開だろう。必ずや、何か仕掛けてくるはず――深雪のその読みは当たった。京極が深雪に向かって真っすぐにナイフを突き出してきたのだ。


 鋭い切っ先が空を裂き、深雪へと迫る。まるでどこにも逃がすまいとするかのように。


 しかし深雪はこのタイミングを待っていた。この時ばかりはナイフを避けず、手繰り寄せたパーカーの下半分で京極のナイフを受け、絡め取る。パーカーはビリビリと破れ、完全に上と下が分離してしまったが、それでも深雪は構わず京極の腕をナイフごとしっかりと巻き込んだ。


 一方、京極も深雪の狙いに気づいたようだった。すぐさまナイフから手を離すが、パーカーで巻き込まれて固定されてしまっており、うまく身動きが取れない。


 そこで深雪の腕に対し、下から膝蹴りをぶち込む。そして、衝撃を受け深雪の手が緩んだのを見て取ると、完全にパーカーの中から手を引き抜いた。


 深雪はナイフを巻き込んだパーカーで両手が塞がっているのに対し、京極は完全に自由だ。このまま京極に攻撃されたら、それを防ぐことすらできない。


 深雪は咄嗟の判断で、相手が攻撃体勢に入る前に踏み込むと、肩を使ってタックルをぶちかます。


 京極は体の角度をずらしその直撃を免れるものの、後退を余儀なくされた。深雪はその間に、パーカーの下半分と京極から奪ったナイフを投げ捨てる。


 距離を取り、再び両者は睨み合った。京極はナイフを握っていた右手を準備体操のように悠々と左右に振ったあと、それを拳にして再び身構える。


「まさか、護身術をかじっていたとはな。陸軍特殊武装戦術群の連中あたりから教えてもらったのか?」


「俺だっていつまでもヘタレのままじゃない! 確かに二十年前、俺は喧嘩が下手だった。それでも《ウロボロス》の№3になれたのは、ひとえに《ランドマイン》という強力なアニムスを持っていたからだ。……でも、今の俺は二十年前とは違う!」


「くく……俺からナイフを奪ったというだけで、えらく威勢がいいじゃないか。まさかその程度で俺に勝ったつもりでいるんじゃないだろうな?」


 そんなつもりなど毛頭ない。忘れもしない二十年前。京極は《ウロボロス》と敵対する数多くのチームを叩きのめし、壊滅させたり服従させたりした。


 驚くべきは京極がアニムスを使わず、素手のみで相手を撃破したことだ。高アニムス値のゴーストすら素手で薙ぎ倒す京極は、二十年前も今以上に有名だったし、その容姿と強さでカリスマ的人気を誇っていた。当時から京極の苦手としていた深雪も、その腕っぷしの強さは認めるざるを得なかったほどだ。


「お前と俺の実力差くらい分かってるさ。だが、それでも俺は諦めない。勝負はここからだ!

来いよ、京極!!」


「良いだろう、相手をしてやる。……お前が絶望するまでな!」


 京極は再び踏み込んでくる。

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