第76話 天賦の才能
「いえ……そういえば、我々、《暁星=シリーズ》の仲間たちが不安的になったのも、ちょうどあの頃からでした。ひょっとして、《京極=シリーズ》の六番目の調査に関わったから、彼らもまた《ヴァニタス》にかけられて……!?」
エニグマがそこまで口にした時、とうとう月城が動いた。
月城は突如、こちらに向かって駆け出し、同時にエニグマへ向かって右手をかざす。その腕は肘から先が瞬時に影化すると、びゅるんと不規則な動きをして伸び、エニグマへと襲い掛かる。
「むっ……!?」
エニグマも同じように右腕のみを影化させ、月城の攻撃を防ぐ。しかしその時には、月城はエニグマの至近距離に肉迫していた。驚くべき俊足だ。
「こいつらの話の邪魔をするな。……来い、《月城=シリーズ》の下位互換が。俺が相手をしてやる」
月城は影化した右腕を剣の形に変形させると、エニグマに向かって斬りかかる。
エニグマもまた影化した腕でそれを防いでいるが、何度も何度も振り下ろされる激しい斬撃に為す術が無い。
それでも何とか反撃しようと、影化させた左腕を槍の形に変形し、それを月城に向かって勢いよく突き出した。
しかしその動きは月城に読まれていた。月城は肩から下を全て影化させると、エニグマの繰り出した槍を跳ね返す。そしてそのまま影化した身体をエニグマにぶつけ体当たりした。エニグマはその衝撃で弾き飛ばされていく。
二つの影は空中で激突した。
時には体の一部を影化させ、時には剣や鞭、槍といったさまざまな武器に変形し、そして時には体ごとぶつかり合う。あまりの目まぐるしさに、深雪でさえ、どちらがどちらか分からなくなるほどだ。
月城の猛攻に晒されつつも、エニグマは深雪へ訴える。
「雨宮さん、その者の言葉に耳を貸してはなりません! その男は人間の持つ共感能力や同情心、感受性といった性質につけ込み、悪魔のように操って徹底的にそれを利用するのです!! 良心の呵責など無く、罪悪感も抱かず、反省すらもしない……そして自分の利益のために平気で他者を破滅させる!! そんな悪魔の言うことに騙されてはいけません! あなたはあの男の本質をよく知っているはず……自分の目で見たものだけを信じるのです!!」
「……黙れ、口を出すなと言っている!」
月城の執拗な攻撃がエニグマの言葉を阻む。エニグマはそれに対処するので手一杯だ。しかも月城の勢いに押され、深雪から遠く引き離されてしまった。その場に残されたのは深雪と京極の二人だけだ。
深雪は警戒したまま、じっと京極を睨む。
「……。京極、エニグマの言ったことは本当か?」
すると先ほどまでのしおらしい態度はどこへやら、京極は悪戯がばれた子どものように、くくく、と肩を揺らして笑った。
「それを聞いてどうする? どうせ俺が何を言ったところで、お前はそれを信じやしないだろう」
やはりあれは嘘だったのか。深雪を油断させるための演技だったのか。深雪は沸き上がる怒りを堪え、京極を問い詰める。
「斑鳩科学研究センターを恨んでいたのか? だから彼らを破滅寸前まで追い込んだのか!」
「ふ……連中を恨んだところで何になる? お前は認めたくないだろうが、俺はもっと有益で意味のあることのために動いているつもりだ。感情など一時のもの……そんなものに時間を費やすなど、愚か者のすることだ」
「何が『有益で意味のあること』だ! だったらどうして、他の《京極=シリーズ》にまで《ヴァニタス》をかけたんだ!? 彼らはお前にとって、兄弟のようなものじゃないか!!」
深雪が身を乗り出すと、京極は鼻白んで冷ややかに失笑した。
「そういう発想が出てくるのは、お前が《京極=シリーズ》を全く理解していないからだ。俺たちにとって他の《京極=シリーズ》は蹴落とすべき敵でしかなかった。『船頭多くして舟山に登る』という言葉にもある通り、世の中に指導者は四人も五人も必要ないだろう? 俺たちの中で生き残るのはただ一人。最初からそう決まっていたんだ」
「だからって、何も殺し合いをさせなくても……!」
「何か勘違いをしているようだが、俺以外の《京極=シリーズ》にもみな《ヴァニタス》と同じかそれに準じたアニムスが備わっていた。《雨宮=シリーズ》の十一番も一応、《レナトゥス》を持つのと同じようにな。それはつまり、俺が《ヴァニタス》にかけられ殺される可能性も十分にあったという事だ」
「……!!」
「《京極=シリーズ》である以上、俺たちの戦いは避けられないものだった。結果として俺が他の個体を下し勝ち残った……ただそれだけの話だ」
京極は抑揚のない口調で淡々と説明した。
そこにはもはや葛藤も後悔も、罪悪感も無い。それどころか、同じ《京極=シリーズ》や斑鳩科学研究センターに対する恨みや憎しみさえ無かった。
深雪は混乱するばかりだった。では先ほど見せた京極の苦悶の表情は何だというのか。あれは本当に深雪の油断を誘うためだけのパフォーマンスだったのだろうか。
京極が何を考えているのか分からない。いや、最初からこの男のことはよく分からなかった。異常なまでに弁が立ち、するりと相手の心に潜り込むが、自らは本当に心を開くことはない。《ウロボロス》時代からそうだった。
分かっているのは、京極が災厄並みの惨事を引き起こすという事だけだ。そして深雪は必ずそれを止めなければならない。
離れたところではエニグマが月城と戦っている。今のところ、どうにか持ち堪えているようだが、エニグマが若干不利なように見える。
(エニグマの言う通りだ。惑わされるな……こいつは《ウロボロス》も同じようにして壊滅させたんだ!!)
感情任せの対応をすべきでない。そんなことをしたところで、ただ京極を利するだけだ。
本来ならこうして一対一で対話するだけでも危険なのだろう。だがそれでも、絶対に確認しておかねばならないことがある。
それは京極の真意だ。これから具体的に何をしようというのか。それをできる限り把握しておきたかった。――『次』に繋げるためにも。
深雪はさり気なく右手で左手の手首を覆い、端末が動作し続けているのを確認しながら口を開いた。
「……そういえば、京極。お前、最近ストリートのゴーストを集めているんだってな?」
「どうした、急に?」
京極はおかしそうに言う。深雪はそれを無視して続ける。
「そして集まった若いゴーストをそれぞれ上松組の兄派と弟派へ送り込むことで、対立と混乱を煽っているんだろう? 既に兄派・弟派とも人員が増えすぎて破裂寸前、コントロールできなくなりつつある。お前の狙いはそこだろう? 《ウロボロス》の時と同じことを上松組で繰り返そうとしているんだ!」
「正面きって上松組を潰すより、内部から崩壊させた方がいろいろと効率が良く、手っ取り早いからな」
「何故、お前がそんなことをするのか……俺なりに考えてみた。お前は以前、言っていたな。必ず《関東大外殻》を破壊すると。お前は《関東大外殻》を破壊するために、まずは《壁》の中から壊そうと考えたんじゃないか!?」
「そうだな。繰り返すが、内部崩壊させるのが最も効率が良いからな」
「そうか……だからお前は逢坂さんと《グラン・シャリオ》を狙ったんだ」
京極はわずかに目を見開く。
「ほう……?」
「ずっと不思議だった。何故、他にも数多くのチームがある中で《グラン・シャリオ》が殲滅対象に選ばれたのか。そして何故、わざわざ逢坂さんの部下に《グラン・シャリオ》を襲わせたのか。俺たちの計画を利用しただけかと思ったけど、そうじゃない。京極、お前は《グラン・シャリオ》と逢坂さんが結びつくように、以前から手を回していたんだ!」
《ヴァニタス》は効果を発揮するのに時間がかかるのが難点だ。それまで何度もターゲットに接触し、入念に洗脳をかけねばならない。
一方、深雪が《グラン・シャリオ》と逢坂忍を引き合わせる計画を立てたのはここ二、三日の事だ。それに合わせて《彼岸桜》の面々と接触し《ヴァニタス》をかけたのでは明らかに時間的に間に合わない。
つまり京極はずいぶん前から今回の事件を起こす準備をしていたと考えられる。そしてむしろ、京極の構想した計画に深雪が知らず知らずのうちに巻き込まれ、駒の一つにされていたのではないか。
そう考えた方がずっと自然だ。いろいろと腑に落ちる。
それに気づくと、腹立たしさを覚えると共に戦慄も走るのだった。
深雪は常に自分の意思によって能動的に動いているつもりだった。それが他の誰かに誘導されていた可能性があるなんて。
(あり得ない話じゃない。俺が京極のことをよく知っているのと同じように、京極は俺のことを熟知しているんだから。やろうと思えば、操れなくもないのかもしれない……!!)
たとえば、神狼が《エスペランサ》に潜入した際、大槻たちの姿を目撃したと言っていたが、それは決して偶然ではなく京極がわざと見せたのではないか。敢えて深雪に計画の一端を知らせることで動揺を与えたかったのだ。
また、《中立地帯》に何度も京極に関する好ましい噂を流したのも同様の理由からだろう。やはり深雪を過度に焦らせ、冷静な判断力を奪いたかったのだ。
そして結果的には、何もかもが京極の思い通りに進んでしまった。深雪は京極によって、いつの間にか自らの行動を制限され操られていたのだ。
とはいえ、《ウロボロス》時代に深雪にかけられた《ヴァニタス》を発動させられたわけではない。それは確かだった。その証拠に深雪の負の感情は暴走していない。
それだけに余計にぞっとする。正気であるにもかかわらず、深雪の行動はコントロールされていたのだと。
だが、こんな風に出し抜かれたままで終わるものか。深雪は京極の言葉を引き出すため、再び詰問する。
「改めて問う。逢坂さんと《グラン・シャリオ》、両者をターゲットに選んだのは何故だ?」
「わざわざ俺に聞かなくとも、ある程度の予測は立っているのだろう?」
「逢坂さんの部下を利用したのは、逢坂さんの力を削ぎ、今の地位から引き摺り下ろすためか」
すると京極は口の端を吊り上げて笑う。
「ああ、その通りだ。逢坂忍のように人と人を繋ぐ人間は厄介だからな。特に奴は下桜井組の高齢層やベテランと若手の間を取り持ってきた。下桜井組が上松組より強い結束力で固められているのは、奴の存在によるところが大きい。逆に言うと、そういう『繋ぎ役』がいなくなれば、組織は一気に脆くなるということだ。
部下の不始末、そして自身に対する《死刑執行人》との内通疑惑。逢坂忍は重要な手駒を失い、同時に組での信頼をも失墜させた。これで奴は完全に影響力を失う。それは即ち下桜井組、ひいては《アラハバキ》そのものが弱体化するという事だ」
逢坂忍は京極にとって兄貴分であり、いわば目付け役のようなものだ。さぞかし邪魔くさいと思っていたに違いない。その逢坂忍を排除することができれば、目の上の瘤を取り除けるだけでなく下桜井組の脆弱化をも招くことができるのだ。京極にとって、まさに一石二鳥というわけだ。
深雪は唇を噛み、続ける。
「一方、《グラン・シャリオ》を選んだのは《中立地帯》を不安定化させるためか。《中立地帯》で最も知られた大規模チームが《アラハバキ》の手によって惨殺された……しかもその様子が動画の生配信によってつぶさにライブ放送されたんだ。ストリートはもちろん、《収管庁》ですら動揺し、いつもは渋る《リスト執行》を催促すらして来た。
これから《中立地帯》――特に《収管庁》は《アラハバキ》に対して今以上に警戒の目を向けるだろう。お前の目的は逢坂さんと《グラン・シャリオ》をそれぞれ潰すことだけじゃなく、あの殺戮動画を流すことで《アラハバキ》と《中立地帯》の間に楔を打ち込んで敵対関係にさせ、互いに不信感を抱かせるようにすることだったんだ! 全ては《監獄都市》を破壊するために……!!」
逢坂忍を失脚させることで下桜井組の力を削ぎ、さらに《グラン・シャリオ》を壊滅させることで《中立地帯》の不安定化も促進させる。
そしてさらには、《アラハバキ》と《中立地帯》の連携に水を差し、その芽をも完全に潰してしまう。
京極の恐ろしいところは、それらを全て最小限の手間で果たしてしまったことだ。たった一本の動画が、それまで深雪が積み上げたものの全てを押し流し、滅茶苦茶に破壊してまっさらな更地へと戻してしまった。
これが京極の真の実力か。深雪の全身にぞくりと鳥肌が立つ。
もはや狡猾とか悪賢いなどという域を超えている。天賦の才能――そんな言葉さえ頭をよぎる。深雪は、そして東雲探偵事務所は、こんな神のごとき才能と悪魔の如き魂を宿した恐るべき怪物と戦い、打ち勝たねばならないのか。
「くく……さすがよく分かっているじゃないか、雨宮。だが、惜しかったな。今になって俺の目的を暴いたところで全てが手遅れだ。今ごろ、逢坂の部下は全員、《リスト執行》され終えているだろう。お前は二十年前の《ウロボロス》の時と同じ、何もできなかったという事だ!!」
京極は哄笑を上げた。それは自らの勝利宣言であり、同時に深雪へ突きつけた降伏勧告でもあった。それには深雪もさすがに激昂を押さえられない。京極に向かって怒号を上げる。
「お前っ……!! 何故なんだ、京極!? なぜ昔も今も、お前はそんなに何もかもを破壊しようとするんだ!!」
「決まっている。今の世界が間違いだからだ」
「いつまでそんな子どもじみた幼稚な妄想を……!」
「いや、『間違っている』というのは少しずれているな。正しくは、『間違った選択を続けた結果、停滞し続けている』、か」
「……!?」
眉根を寄せる深雪に対し、京極は好戦的な目を向ける。その言動は揺るぎのない自信と信念に満ち溢れていた。
「お前がどう思おうと、俺たちは間違いなくポストヒューマンの一形態だ。アニムスという無限の拡張能力を得、そして発達したクローン技術と選別されたDNAによって構成された高度な器を持つ、ヒトの進化種なんだ。我々の理念は、ポストヒューマンたるクローンゴーストがこの混沌とした世界をヒトに代わって統治すること、それを可能とするシステムの構築を目指すことだ」
「そんなこと……できるわけがない! ゴーストは増加しているとはいえ、普通の人間に比べればまだ圧倒的に少数派だ。クローンゴーストとなればさらにごくごく少数派……それでどうやって世界を統べるというんだ!」
「だからこその『破壊』だよ。全てのものに脆弱性は存在する。そこを突き崩すなり内部から崩壊させるなりすれば、いくらでも主導権を握る余地が生まれる。《ウロボロス》、《ガロウズ》そして《グラン・シャリオ》……お前は実際、幾度となくそれを目撃してきただろう?」
「くっ……!!」
確かに、京極ならそれが可能なのかもしれない。その事実は深雪も認めざるを得なかった。
深雪や他の人間がそれを口にすれば、それはただの妄想じみた夢物語でしかないだろう。しかし京極であれば話は違う。今回の事件によってその実力をまざまざと見せつけられてきただけに、彼の主張を決してただの妄言と侮ることはできなかった。
深雪の体に震えが走る。京極は――こいつはただの自信過剰な自惚れ屋ではない。京極が本気になれば、いつだって世界を破壊することができるのだ。そしてもちろん、この《監獄都市》も。
一方、京極はふと遠くを見る目つきになって言った。
「……《ウロボロス》を破壊した後、俺は初めてこの国を出た。あちこちの国や地域を回ったよ。だが外も結局、同じ地獄だという事を思い知らされただけだった。分断、格差、差別、戦争、環境破壊……それらを何一つ解決できぬまま新たな問題が発生し積み上げられていく。
このままじっと待っていても、旧人類である《自然体》……いや、ここでは敢えて《原初のヒト》と呼ぶが、彼らにはそれらを解決することはできない。怠惰、無能、強欲、傲慢、無責任、そして優柔不断。《原初のヒト》が持つ特性が全ての問題解決を困難にしているんだ。
だから《原初のヒト》とは異なる種である我々クローンゴーストが改革を肩代わりする。俺たちなら《原初のヒト》と違って本当に必要な分野にリソースを割き、或いは効率的に投資を行う事ができる。目的のために手段を選ばず一切の私情を挟むことも無く、より良い世界のために不必要なものを冷静冷徹に切り捨てることもできるだろう」
「そんなやり方こそ間違ってる! 『選択と集中』は一歩、間違えたら、取り返しのつかないことになるぞ! 必ず取りこぼされる人が出るし、自分の財産や権利が不当に奪われたと感じる人も出る! 当然、それを『力尽く』で取り戻そうとする人も!! そうなったら大きな犠牲を生むことになるのに!!」
そう反論する深雪だったが、京極は憐れむような視線を向け、首を横に振る。
「……お前は何も分かっていないな。犠牲は既にどうしようもないほど出ているんだよ。《原初のヒト》の犯してきた数えきれないほどの膨大な過ちによってな」
「……!!」




