第74話 服従因子①
(そういえば、大槻さんたちが《グラン・シャリオ》の拠点を襲撃した時、車を動かした気配が全く無かった。彼らがどうやって《グラン・シャリオ》の拠点まで移動したのか不思議だったけど、ひょっとするとあれも月城の仕業だったのかもしれない。月城が大槻さんたちを拠点まで運んだんだ)
となると、月城と京極は東雲探偵事務所のみならず、逢坂忍の二代目桜龍会事務所にも堂々と乗り込んだということになる。
しかもあの時は《グラン・シャリオ》の代表三人と逢坂忍の両者が、深雪も交えた面会をしている真っ最中で、《彼岸桜》の面々は廊下に隔離されていた。あの時、あの瞬間だけは《彼岸桜》の身に何が起ころうとも、深雪も逢坂も動くことができなかったのだ。
京極はそれを知っていて、確実にあのタイミングを狙ったのだろう。それを可能にするだけのアニムスがあるとはいえ、なんと大胆不敵で悪辣なことか。
戦慄する深雪を京極はせせら笑った。
「今さらそれを確認して何になる? 『さすが名探偵!』とでも言って褒め讃えて欲しいのか?」
だが深雪はその挑発も無視し、京極の為した所業を暴き続ける。
「動画配信チャンネルの《突撃☆ぺこチャンネル》を運営しているスタッフに案件動画の依頼を持ち込んだ上で、月城の《ドゥンケルハイト》で《グラン・シャリオ》の拠点へ潜り込んでカメラを仕かけ、ぺこたん達にあの胸糞の悪い殺戮動画を撮らせたのもお前だ! 大槻さんたちの時と同様に《ヴァニタス》をかけ、気味の悪い陰謀論まで吹き込んで、彼らの正常な思考力を奪ったんだ!!」
京極は深雪の言葉を否定しなかった。やはり、こいつがぺこたん達を。深雪が確信を抱いた次の瞬間、京極はあろうことかプッと噴き出す。愚か者たちの相手など、馬鹿馬鹿しくてやっていられるかという風に。
「……不思議だろう? 遺伝子に何ら手の加えられていない、《自然体》の人間というのは。奴らは客観的な数字や科学的根拠を並べ立てると、何故か異常なまでに警戒心や不信感を抱くんだ。その数字は嘘だ、科学なんて嘘臭いとな。だが逆に、フワッとしたおとぎ話をしてやると、途端にコロッとそれを信じる。奴らが求めているのは事実や科学や理論ではなく、自分が共感できさえすれば何でも良い、ありもしないファンタジーなのさ」
「もしそれが事実だったとしても、ぺこたん達を洗脳して良い理由にはならないだろ!!」
「相変わらずお前は何も分かっていないな、雨宮。俺が奴らを操ったんじゃない。奴らが操られることを望んだんだ。奴らは承認欲求が強い。それを満たすのに陰謀論はうってつけというわけだ。
何せ世界の真実を知っているという万能感に浸り、その秘められた真実を何も知らない『間抜け』な大衆へと拡散することで、自分は特別であるという優越感に酔いしれることができるからな。おまけにそれで一儲けできるとなれば、連中にとってこれほどおいしい話はないだろう」
「……つまり、逢坂さんの部下に《グラン・シャリオ》のメンバーを皆殺しにさせたことも、その殺戮現場の一部始終をぺこたんに撮らせて生配信させたのも! 京極鷹臣、全部お前が仕組んだことだったんだ!!」
深雪が叫ぶと、京極は何を今さらとばかりに目を細める。
「ああ、そうだ。……と言っても、それなりにヒントは与えてやったつもりだったんだがな。《グラン・シャリオ》の名でピンと来なかったか? 『北斗』の奴は自分の本名すらも忘れてしまったか?」
九鬼聖夜から相談を受けた時に嫌な予感はあった。やはり、京極が《グラン・シャリオ》を狙ったのにはちゃんと理由があったのだ。
そして、殺戮現場に見せつけるかのようにして残された《ウロボロス》のチームエンブレム。深雪は声を荒げる。
「……やはりそのためか! 俺たちに自分の方が上手だと見せつける、ただそのためだけに『北斗』の意味を持つ《グラン・シャリオ》を二度も襲わせたのか!! 一度目の時も、何の関係もない《ガロウズ》を操って巻き込んだ……彼らが最後どうなったのか、お前も知っているだろう!? 全く身に覚えのない殺人の罪を背負わされ、みな《リスト執行》されたんだ!!」
すると、京極はやれやれと呆れたように両手を上げる。
「おいおい、そんなことまで俺のせいにされても困るぞ。俺が《ヴァニタス》を行使しようがすまいが、《リスト執行》されるべきでない者が《リスト執行》されてしまうという問題はこの街で常に発生し得る。何故なら、全ては《死刑執行人》制度の杜撰さと矛盾によって端を発しているのだからな。
その責を問われるべきはこの俺ではなく、《死刑執行人》や《中立地帯の死神》、《リスト執行》などという数々の愚かなシステムを創り上げた東雲六道であるべきだろう」
「な……!?」
「あいつは人を信じられない小心者だ。昔からそうだった。人を信じられないから手っ取り早く殺そうという発想になる。小心者だから恐怖で他者を支配しようとする。弱い人間が下手に権力を握ると世の中が歪むということを示す格好の例だな。
……雨宮、本当はお前もとっくに気づいているんだろう? 《死刑執行人》という存在がいかに歪で不完全か」
「それは……」
深雪は思わず京極から目を逸らす。この《監獄都市》に来た時から一貫して、深雪は《リスト執行》に違和感を抱いて来た。もちろん、それを執行する《死刑執行人》に対してもだ。
今それを口にしないのは、それらが存在する必要性だけは理解しているからだ。
だが京極は深雪の動揺を逃さなかった。獲物を仕留める猛禽類のごとく瞳を炯々(けいけい)とさせる。
「いや、気づいてもらわねば困る。そのために、わざわざここまで手の込んだ事件を起こしたんだ。それも、二度も……な」
一段と低くなる声。深雪は目を見開く。
「何だと……!? やはりお前、全てわざと……!!」
「ああ、そうだ。お前の考えている通りさ、雨宮。お前が指摘した通り、《ガロウズ》の《リスト執行》と逢坂忍の部下五人の《リスト執行》、二つの事件の構造は全く同じだ。わざわざ同じことを繰り返したのは、お前に証明してみるためだ。この《監獄都市》を縛る《死刑執行人》制度と《リスト執行》がいかに異常で歪んでいるか、いかに間違っているかを!
一度ならただ不運なだけだったという可能性も否定できないかもしれない。だが同じことが二度続けばそれはもはや偶然とは言えないだろう? お前も認めざるを得ないはずだ! 東雲六道の築き上げたシステムは根本的に大きな欠陥を抱えていると!!」
深雪の心は揺れ動いた。京極のやったことは明らかに間違っている。だが、京極の言うことはある意味で正しいと思うからだ。
深雪も何度、考えたか分からない。《死刑執行人》さえいなければ、《リスト執行》などという仕組みさえなければこんな悲劇は起こらなかったのではないか、と。
だからこそ、《死刑執行人》や《リスト執行》に頼らざるを得ないこの《監獄都市》を変えたいと強く思った。その点においては、確かに深雪の考えは京極に近いと言えるだろう。
だがそれでも、京極の言葉を全て信じる気にはとてもなれない。六道も言っていた。今回の件は「故意に仕掛けられた罠」だと。そして深雪や六道が迷い、怯むよう全てが用意周到に仕掛けられているのだと。
これまでの京極の言動から考えても、これが卑劣な策略である可能性は高い。
「……。それで? それを俺に突き付けて、お前は何がしたいんだ!」
深雪は冷静になるよう努め、京極に問う。すると京極は、不意にふわりと微笑んだ。これまでの挑発的な態度からは考えられないほど、柔らかくて人間らしい笑みだった。
「……なあ、雨宮。お前、『こっち側』へ来る気はないか?」
「……!? どういうことだ!!」
思いもしないその誘いに、深雪は一層、警戒を強める。これまで京極は、あの手この手で深雪を苦しめてきた。これも何かの罠に違いないと思ったからだ。
だが京極は、そんな深雪の疑心暗鬼を解きほぐそうとするかのように、一歩こちらへ踏み出してくる。
「東雲六道の創り上げた巨大な欠陥を抱える秩序と、それによって支配されている破綻しかかったコミュニティを維持するために、むざむざとお前が犠牲になることはない。
お前は本当にこのまま《中立地帯の死神》という名をした歯車となって、未来も可能性もない閉じられた《監獄都市》の中で生きていくつもりか? そんな自分に心の底から納得しているか? 俺が知るお前はそんな愚かな選択を良しとする人間じゃなかったはずだが?」
「お前が俺のことをどう考えていたかは知らないが……この街へ来て俺は変わったんだ! もう、二十年前の俺じゃない!! 全部、自分の意思で受け入れると決めたんだ!!」
「そうか? それは本当にお前の意思か? 東雲六道の口車にうまく乗せられただけじゃないのか?
いや、別にそれを責めようというわけじゃない。だが、誰かから与えられた地位や人脈に満足し、そいつの敷いたレールの上をただ走り続ける生半可な人生で事足りるというのなら、別に東雲六道にこだわる必要もない。俺の誘いに乗っても構わないということだろう、違うか?」
一歩、また一歩。京極は深雪へと歩み寄ってくる。それに対し月城は何もしない。ただ黙って成り行きを見守っている。
つまり、京極には戦闘の意思はないのだろう。だから月城も敢えて動かないのだ。
とはいえ、この期に及んで京極を信用できるわけがなかった。深雪は身構えると、京極を睨み付ける。
「お前……何を企んでいるんだ? わざわざそんな寝言を言うために、東雲探偵事務所の屋上へ乗り込んできたのか!?」
「ふ……寝言か。俺は本気なんだがな。……厳密に言うと、お前に直接会わせたい人がいる。彼はお前に興味を持ち、その能力を必要としているんだ」
「誰だ、そいつは?」
「俺の口からは言えないな。言っただろう、『直接会わせたい』と。彼がそう望んでいるんだ」
深雪は内心でひどく訝しんだ。京極が何を企んでいるのか、想像もつかない。今さらこんな話をして何のつもりなのか。そんな安い罠に深雪が引っかかると本当に思っているのか。
だが一方で、京極の口にする『直接会わせたい人』というのは気になった。京極には月城の他にも仲間がいるのだ。深雪は慎重にそれを探る。
「……。必要としている俺の能力とは、《レナトゥス》のことか?」
京極は、首を横に振った。
「もちろんそれも含まれているが、それだけじゃない。お前は自分が思っているよりずっと『特別』だということだ。何せお前には、《服従因子》が組み込まれていないんだからな」
「《服従因子》……何だそれは?」
深雪は眉根を寄せる。聞いたことがない言葉だ。ただ、京極は先ほども雨宮や碓氷に対してその単語を用いていた。『《服従因子》に縛られた連中』だと。それは一体どういう意味なのか。
京極は深雪の疑問に答えるようにして口を開く。
「雨宮、お前は他の斑鳩科学研究センターで作成されたクローンゴーストと接していて、疑問に思ったことはないか? 何故、奴らはこれほどまで、非クローンの一般人類――いわゆる《自然体》の命令に対し、痛々しいほど従順なのか。何故、頑なに遵奉精神を曲げようとしないのかと。
お前は連中が上からの命令に逆らっているところを見たことがあるか? こんな指令には従えないと抗議をしているところを目にしたことがあるか?
……考えてもみろ。ゴーストは法の秩序の外にある存在だ。それは陸軍特殊武装戦術群のゴースト兵とて変わらない。連中が必死で《自然体》の命令を遂行し、お行儀よく法を順守したところで、何も見返りはないんだ。それなのに何故、奴らはああも盲目的でいられる? 雨宮、奴らと同じ生き方をしろと言われたら、お前はそれを実行できるか?」
「それは……多分、できない。でもそれは、雨宮や碓氷を始めとした陸軍特殊武装戦術群のみなが、きっと厳しい訓練を受けてきているからだ。だから、自制心や忍耐力が俺たちよりはずっと鍛えられていて優れているんだ」
最近、共に訓練をするからよく分かる。彼らはありとあらゆる面が深雪より優れている。特に雨宮は深雪と全く同じ遺伝子を持つはずなのに、実際の能力は桁違いだ。その違いは育った環境によるものが大きいのだろう。
確かに雨宮や碓氷たちは深雪と全く価値観が違う。深雪は彼らのようになれないし、彼らが深雪のようになることもまた無いのかもしれない。でもそれでも、深雪は陸軍特殊武装戦術群のみなのことを尊敬している。
京極は深雪の言葉を否定せず頷いた。
「なるほど、訓練や教育は重要だな。だが、それだけでは説明がつかない。よく考えろ、不自然じゃないか? クローンはあらゆる面で《自然体》より優れている。それも当然だ。そうなるように作られているのだからな。
特に高度な教育と訓練を受け、優秀な兵士となるクローン兵は、下手をするとただの人間にすぎない上官たちより知識、戦闘力、経験値、全ての面において大きく上回るという状態になりかねない。
だがそれでも、クローン兵は絶対に《自然体》には逆らわない。《自然体》の命令がどれだけ間違っていようとも、その間違った命令で味方兵の大勢が死に自らも敵兵に首を討ち取られようとも、だ。そして死ねと命じられればそれがどれだけ理不尽な命令であっても嬉々としてその命を投げ捨てる。……ここまで説明したらもう分かるだろう?」
「雨宮や碓氷をそうさせているのが《服従因子》ということか」
「そういう事だ」
京極はそう言うと、笑みを引っ込める。そして片手を上げ、噛んで含めるように説明を始めた。まるで生徒に講義をする講師のように。
「……これまでクローンは原始的な方法で生み出されてきた。徐核した卵細胞にドナー細胞から取り出した核を移植し、ドナー側と全く同じ遺伝子情報を持つクローン個体を産出する。ドナー細胞に受精卵を用いるのが胚細胞核移植、体細胞を用いるのが体細胞核移植だ。
だが、それらの方法は安全性の確保に問題がある上、高度な技術を要するため莫大なコストがかかる。『大量生産』には不向きだ。また、クローニングはできても複雑な加工は難しい。そのため、現在は『体細胞核移植をした卵細胞』を一から作成する手法が主流になりつつある」
「一から……?」
「ああそうだ。……人類の宇宙進出が加速し、希少金属を含む多くの《宇宙産金属》が地球へ持ち帰られるようになった。それにより、各分野の科学技術は飛躍的に発展した。
特に著しく進歩したのは半導体関連産業や高度IT(通信技術)産業だ。中でも人工知能の発達はITのみならず他の分野の成長も大きく押し上げた。……生物学の世界も同様だ。特に顕著なのが生物工学だった。
人工知能や高度AIはゲノム解析を容易にし、所要時間を短縮し、染色体の交配パターンやヒト胚の細胞分裂パターンなど一瞬にしてその全てを弾き出す。
また、これまで蓄積された膨大なビッグデータに基づいて構築された信頼性と精度の高いシミュレーションシステムによって、数々の実験結果を高確度で予測することが可能となったため、それらに必要とされていた手間も大幅に省く事ができる。
何より、それらのシミュレートを用いることで反人道的な人体実験を最小限に抑えることができ、倫理的抵抗感も著しく軽減される。
その結果、科学はそれまで不可能だった境地を切り開きつつあるのさ。つまりヒトが自らの手で生命を一から作り出すという技術を確立しつつあるんだ。
わざわざ核移植をしなくとも、DNAの塩基配列を操作し、元の細胞と遺伝的に同一である個体や細胞の集合を生み出すことができたら、それはクローンという定義に十分、当てはまるだろう?」
「それは……そうかもしれないけど……」
「今はまだ元となる細胞を模倣し、模倣卵を作成している段階だが、いずれ完全に自由自在に生命を生み出すことができるようになる。人工子宮の研究も飛躍的に進んでおり、もはやこれまでのように妊娠・出産といったリスクを負う必要は無い。
近い将来、人間は有性生殖に頼ることなく遺伝的多様性を維持したまま、限りなく安全な形で子孫を残すことが可能となるだろう。まさに優秀な人材の大量生産だ! ちまちまと遺伝子操作などするより、よほど効率的で安定的でしかも安上がり……どうだ、俺たちの前には素晴らしい世界が待ち受けていると思わないか?」
京極は両手を広げ、挑むようにして深雪にそう問いかけた。これがいかに偉大で価値あることか、お前にも当然、理解できているだろう、と。むしろ、深雪を含めた全人類がこの崇高なる志を理解するべきであり、できないのであればもはや存在するには値しないとでも言いたげな口ぶりだった。
深雪は相手のペースに呑み込まれないよう、冷ややかに答える。
「それが素晴らしいかどうかは俺には分からない。でも今は、《服従因子》とかいうものの話をしていたんじゃなかったか!?」
京極は頭を振ってそれを受け流す。
「そう焦るな。これからちゃんと説明する。……俺やお前がクローンであることは既知の事実だ。俺たち斑鳩のクローンはみな、最新式のクローン作製方法で生み出されている」
「核移植は使わず、一から卵細胞を作り、その卵細胞のDNAの塩基配列を操作して元となる細胞と同じ遺伝情報を持つ模倣卵細胞を作る方法か」




