第66話 含光
鮮やかな紅色に輝く刀身がわずかに脇腹を掠め血が噴き出したが、許容の範囲内だ。
杉原を仕留めそこなった環首刀の刀身は、そのままあらぬ方向へと逸れていく。
(よし、かわしきった!!)
あとは手の中にある三日月刀で神狼の喉笛を掻き切ったら全て終わり。
彼はもう目の前だった。杉原の顔に笑みが浮かぶ。
自分は賭けに勝ったのだ。生き残ることができたのだ。いや、それだけではない。この《監獄都市》で最強と噂される東雲の《死刑執行人》を打ち負かすことさえできた。
「そっちも脇が、がら空きだよ!」
「……」
「今度こそ、もらった!!」
ところが、三日月刀を大きく振り上げたその時。後ろから何かが杉原の心臓を一突きに突き刺した。杉原の体はがくんと傾き、ごぼっと口から血が溢れる。
「な……何で……!?」
見下ろすと、禍々しく赤く光る環首刀の刃が杉原の胸を串刺しにしていた。
先ほどかわしたはずの光剣が何故ここに。疑問が脳裏を駆け巡ったが、首を捻り背後へ視線をやってすぐにその理由を知る。杉原を捕らえそこなった刀身はヘアピンのように空中でかくっと鋭角に折れ曲がると、再び杉原めがけて背後から襲いかかったのだ。
この赤く光る不気味な刀がそんな動きをするとは思いもしなかった。伸びたり湾曲したりするのは分かっていたが、まさかそれほどの鋭利な角度で折れ曲がることもできるとは。さすがにそこまでは想定していなかった。
まさに変幻自在。この刀に不可能は存在しないのではないかと思えるほどに。
「は……はは……、マジかよ……?」
神狼は無言で剣を振るう。すると赤く光る刃は杉原の体からずぶりと抜け、身にまとった血を撒き散らしながら元の形へと戻っていく。その動きはやはり生き物かと見紛うほどに滑らかだった。
一方の杉原は、がくりと膝をつき、そのまま俯せに倒れる。心臓から溢れ出た血が瓦礫野原に大きな血溜まりを作っていく。
(あ……これ、もう駄目なヤツだ……)
意識が朦朧とする中、杉原の脳裏に浮かんだのは逢坂や須賀、そして大槻、細谷、高瀬の笑顔だった。みな杉原を地獄から救い出してくれた恩人だ。彼らは杉原にとっての本当の家族。かけがえのない、大切なもの。
(ああ……クソみたいな人生だと思った時もあったけど……僕、幸せだったんだな……)
そして最後に浮かんだのは椎奈青葉の姿だった。
気難しく、やたらと負けん気が強くてプライドも高く、けれど彼女は誰より優しかった。どれだけ怒られたか分からない。『寧々お嬢見守り隊』の時のように訳の分からないトラブルに巻き込まれたこともしばしばだ。
でも杉原の面倒を一番よく見てくれたのも椎奈だった。
(椎奈さん……僕が負けたと知ったら、怒るかな……?)
つい先ほどまで一緒に《瓦礫地帯》を歩いていたことが、遠い昔のことのように感じる。
このまま、彼女と二度と会うことはないのか。
椎奈に会いたい。会って話して、いつものように喝を入れて欲しい。組では人目が憚られ、手を握る事さえできなかった。
最後の瞬間くらい彼女と触れていたかった。
『さすがに、誰にでも怒られたいわけじゃありませんって。椎奈さんがいいんです』
あれは杉原の精一杯の告白だった。椎奈にそれが伝わったかどうかは分からない。本当はきちんと序列を上げ、一人前になった時に改めて椎奈に告白するつもりだった。椎奈に認められる男になる、それが杉原にとってのモチベーションの源だったからだ。
けれど、そんな日はもう永遠にやって来ない。
あの時、最後になる予感があった。でも、自分の気持ちをはっきりと口にすることはできなかった。そうしてしまったら、本当に二度と会えなくなってしまうような気がして。
(はは……こんなことになるなら、ちゃんと……告白しておけば良かったな……。見栄なんて張らずに……ありのままの気持ちを、椎奈さんに伝えておけば……良かっ……)
そして杉原は息絶えた。
最後の最後まで、椎奈青葉のことを想いながら。
杉原が完全に動かなくなってから、神狼は慎重に彼へと近づく。その死を確認すると、ようやく手にしていた環首刀の切っ先を下ろした。
戦闘の終了を察したのだろうか。それと同時に環首刀に灯っていた赤い光も消え、元の真っ黒な刀身へと戻る。そしてその途端、神狼の全身に圧し掛かるような疲労が襲いかかってきた。
さしもの神狼もたまらず肩を上下させ、息を弾ませる。それから俯せで横たわる杉原を見下ろして呟いた。
「こいツ……思ったより随分ト粘ったナ。この環首刀にハ、まだ十分に慣れていなイ。できればもう少シ、早い段階で決着ヲつけたかったガ……」
神狼にこの奇妙な環首刀を授けたのは紅天若だった。
今回の《リスト執行》が行われる一週間ほど前、神狼は紅家当主代理を務める紅天若に呼び出された。場所は《紅龍街》にある天若の邸宅だ。
広々とした客間に天若と神狼の二人きり。何の用だろうかと緊張していると、天若はこの環首刀を取り出し、神狼に差し出したのだった。
「神狼、これを受け取ってちょうだい」
「刀剣……環首刀、ですカ? 変わった形というカ……現代的なデザインですネ」
「ええ。これはね、大陸からもたらされたものなの。《レッド=ドラゴン》が大陸の企業と積極的に取引していたことは知っているわね?」
「ハイ」
「その時、相手方の企業から神獄さまに贈られたものなのよ。何でも、最先端の技術で作られた貴重な品物なのですって」
つまりこの環首刀の元の所有者は紅神獄であり、いわば彼女の遺品のようなものだ。神狼は慌てて身を引いた。
「そのような大事なモノ、いただけませン!」
すると天若は、穏やかに微笑む。
「遠慮しないで。あなたは紅家の一員なのよ。今では《紅龍街》のみなもそれを認めている。そうでなくとも、あなたは神獄さまの養子なのだから、あなたにはこの剣を持つ資格は十分にある」
「しかシ……!」
「それに何より、この剣はあなたが持つのが相応しいと思うの。理由はうまく言えないのだけど……この環首刀は分不相応な者が軽々しく所有すべきではないという気がするのよ」
「天若サン……」
確かに、非戦闘員である天若がこの環首刀を持っていたところで、使い道はほとんど無いだろう。インテリアの一つとして部屋に飾るのがせいぜいだ。それよりは神狼が携えていた方が、大いに役立てそうではある。
「因みにこの剣は名を含光というらしいわ」
「含光……三宝剣の一つト言われていル、あの伝説ノ……?」
「ええ。その含光をイメージして作られたのでしょうね」
「……」
「さあ、神狼。遠慮しないで。この剣を手に取ってみて」
天若のあまりの熱心さに負け、神狼は躊躇いつつも含光を受け取った。そして柄を握り、鞘に納まった刃を少しだけ抜いてみる。
反りの無い真っ直ぐな刀身は不気味なほど黒い。光に透かすと、純粋な黒ではなく少し赤みが差しているのが分かる。
こんな刃はこれまで見たことがない。一体、どういった素材でできているのだろう。心なしか、《関東大外殻》の色に似ている気がする。
そしてさらによく観察すると、刀身全体に奇妙な溝が掘ってあり、幾何学模様を描いていた。神狼は不思議に思い、天若に尋ねる。
「この模様ハ……? それニ、奇妙なほど赤黒イ……この環首刀ハ何でできているのでしょウ?」
すると天若は、不意に真剣な表情になる。
「……神狼、含光について大切なことを伝えておかなければならないわ。含光の材質は私たちにも分からない。けれどその事について、神獄さまは気になることを仰っていたの。この刀剣はアニムスを宿していると」
「……!?」
「つまり含光は、それそのものが一体のゴーストなのよ」
「まさカ……」
神狼は再び含光に視線を落とす。
少々、奇妙な点はあるものの、どこからどう見てもただの剣だ。天若に断って軽くそれを振ってみることにする。適度な重さで使い心地も悪くない。だが、やはりあくまで単なる刀剣にしか見えない。
それがゴーストであるとはどういう意味なのだろう。アニムスを宿しているとは。
「私が含光を所有している間、特におかしなことはなかったわ。私にとってこれはただの剣。でも……神獄さまの言葉が忘れられないの。神狼、もしこれを使うなら、その点にはくれぐれも気を付けてね」
「……分かりましタ」
それから神狼は含光を持ち帰ると、《龍々亭》のバイトや東雲探偵事務所の業務の合間を縫って徹底的に調査した。天若の忠告がどうにも気になったからだ。
やがて神狼は、その黒い刀身に彫られた溝に自分の血を満たすと、含光が不可思議な力を発揮するということを発見した。
神狼の血を湛えた含光は、高温に熱された金属のように真っ赤に輝く。まるでアニムスを発動させる時、ゴーストがその瞳に赤い光を灯すように。そして、その状態になった含光は持ち主である神狼の思い描いた通りの動きをするのだ。伸びたり湾曲したり、鞭のようにしなったり、或いは鋭角に折れ曲がったり。
ひょっとしたら、まだ他にも大きな可能性を秘めているかもしれない。
これは使いこなせば、大きな武器になる。そう判断した神狼は、今回、初めて含光を実戦で使用した。おかげで、一つ気づいたことがある。それは、含光は使用主の体力を著しく奪うということだ。
神狼にこれといって目立った外傷はない。だが、いま既に疲労困憊で、立っているのがやっとという具合だ。これは体力の配分をうまく考えて使用しないと、戦闘中に体力が尽きて倒れる可能性も大いにあり得る。
「杉原迅太ガ、もう少しでモ粘っていたラ、危なかったかもしれないナ……」
再び天若の言葉が脳裏をよぎる。
「含光を開発したのは間違いなく大陸企業よ。どういう技術を用いたのかは分からないけど……これからはこういった品が当たり前になっていくのかもしれないわね」
神狼もまだ含光の全てを突き止めたわけではない。未だ謎が多く、正直言って気味の悪さもある。含光を使い続けていると、時おり自分がこの刀に支配されているような感覚に陥るのだ。
今では神狼にもよく分かる。この環首刀は明らかにただの刀剣ではない。おそらく一筋縄では使いこなせないだろう。
ただ、戦力になるのは間違いない。きな臭さを増すこの《監獄都市》で、鈴華や鈴梅、或いは《紅龍街》のみなを守るためには大きな力が必要だ。
「この化け物メ……だが必ずお前ヲ使いこなしてみせル!」
神狼は大きく息を吐き呼吸を整えると、完全に沈黙した含光を鞘へ納めた。
✜✜✜
椎奈青葉と高瀬照門は息を潜め、《瓦礫地帯》の中を進んでいた。
不気味なガスマスクに襲われ大混乱に見舞われる中、他の《彼岸桜》の面々とは散り散りになって別れた。
気づけば椎奈は高瀬と二人きりになっていた。遠距離型のアニムスを持つ椎奈は、近接戦型のアニムスを持つ高瀬と相性がいい。
とはいえ、相手はあの東雲探偵事務所の《死刑執行人》だ。二人がかりでも勝てるかどうか。それを考えると、まったく楽観できない状況だった。
既に日は落ち、辺りは濃い闇の中だ。瓦礫に足を取られないよう、そして追っ手に追いつかれないよう、全方位に神経を張り巡らせて駆け続けた。
もともと低かった気温は日が落ちたためにさらに下がり、容赦なく体力を削っていく。呼吸をするだけで体の芯から凍えるかのようだ。
極度の寒さと緊張状態に晒され、おまけに足場も非常に悪い。その中を休みなく走り続けてきたせいで完全に息が上がっている。体力には自信がある椎奈もさすがに疲れ切っていた。
高瀬も椎奈が肩を上下させていることに気づいたらしい。ちょうど目の前に崩れかかったビルの土台が残っているのが見える。コンクリートの大きな塊が規則的に並んでおり、身を隠すのにはうってつけだ。二人揃ってその陰に身を寄せ、一息つくことになった。
とはいえ、水を打ったような静寂はどうにも落ち着かない。椎奈は小声で高瀬に話しかけた。
「……静かですね」
「うむ」
「他のみなはどうなったのでしょうか?」
「分からんが……凱さんや細谷さんがそう簡単にやられるとも思えん。必ずや再会できると信じよう」
「そうですね。……問題は杉原だ! あいつ、何かヘマをやらかしていなければ良いが……!!」
椎奈の口調はついつい荒っぽくなる。それを聞いた高瀬は小さく笑った。
「椎奈は迅太のことをいつもよく気にかけているのだな」
「そ、そういうわけでは……!」
椎奈は慌てて弁明する。
「ただ……年齢のせいか、それともそういう性格なのか、杉原は妙におっちょこちょいなところがある。だからどうにも放っておけなくて……。私はあいつを、いびりたいわけではありません。つい、きつい口調になってしまうこともあるが、杉原が嫌いなわけでも無い。ただただひとえに生き残って欲しいだけなのです」
「そうだな。その気持ちはよく分かる。俺もみなに対し、同じ感情を持っているからな」
高瀬はしみじみとそう言ってから、ふと真顔になる。
「……椎奈、よく聞け。このようなところで無為に命を散らす必要は無い。お前だけでもここから逃げろ」
「高瀬さん……!?」
「《新八洲特区》や《中立地帯》にはもう戻れまい。だが《外国人街》や、墨田区・江戸川区・葛飾区といった《アラハバキ》や《レッド=ドラゴン》が勢力争いをしている区域に身を潜めれば生き延びることができる可能性も出よう。《死刑執行人》の手が及ばぬ場所ほど治安は悪くなるが、お前ほどの実力があれば身を守るのは難しくあるまい。俺が時間稼ぎをする。その間にお前は逃げろ。そして、何としてでも生き抜くのだ」
しかし椎奈は、まっすぐに高瀬を見つめ、毅然としてそれを拒んだ。
「高瀬さんの気持ちは有難いです。しかし私は逃げません。最後まで共に戦います。何故なら……私も《アラハバキ》の一員なのですから」
「……。そうか」
高瀬は頷くと、それ以上その話題には言及しなかった。椎奈はその事にほっとしつつも、複雑な感情を抱く。
(高瀬さんにとって私は共に戦う相手ではなく、逃がし守るべき存在なのか。私が女だから……)
いや、高瀬だけではない。ここに大槻凱や細谷史文がいたら、彼らも高瀬と同じ判断を下しただろう。それがみなの優しさによるものだと分かっていても、椎奈は一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。
(私のアニムス・《フェイルノート》であれば、相手がたとえ東雲探偵事務所の《死刑執行人》であったとしても、必ずや射抜いてみせるのに……!!)
椎奈がゴーストであるという理由で《監獄都市》に収監されたのは十七歳の時だった。
強いアニムスをその身に宿す彼女だったが、この街でそれを生かせる場は殆ど無かった。《中立地帯》のチームにしろ《新八洲特区》の《アラハバキ》にしろ、戦闘員は男性がなるものというのが暗黙の了解であったからだ。
その結果、椎奈は風俗嬢という道を選んだ。当時、《監獄都市》の中で女性が最も稼げる職業だったのだ。
もっとも、椎奈は必ずしも金銭的に成功したかったというわけではない。直接的な理由は《監獄都市》に収監される際に詰め込まれた囚人護送船・《よもつひらさか》で、同室であった同い年の少女に誘われたからだった。
彼女は名をメグといった。年齢が近いこと、そして生まれ故郷が同じであったこともあって椎奈はメグとすぐに親しくなった。風俗嬢になった後も、暫く同じ部屋で共に生活をしていたほどだ。互いに自立した後も頻繁に連絡を取り合い、情報交換したり励まし合ったりした。
ところが、椎奈は圧倒的に性格が風俗嬢に向いていなかった。男勝りで短気、おまけに極度の負けず嫌い。しかも小柄で可愛らしい容姿からは想像できないほどガサツでズボラ。何度、お前は気が利かないと怒られたことか。
曲がったことも大嫌いで、セクハラを受けようものなら拳で応戦していたため、しょっちゅう客と揉めていた。
しかしその一方で、正義漢の強さと気っ風の良さで同僚の風俗嬢からは人気があった。椎奈は態度の悪い客にも毅然と立ち向かい、被害に遭っている他の風俗嬢を庇うこともあったため、むしろ慕われ頼りにされていたくらいだ。
店も途中から椎奈の接待力には完全に諦めをつけ、見かけの良い用心棒として割り切り、雇っていた節もある。
事件が起こったのはそんな最中のことだった。椎奈と仲の良かった風俗嬢のメグが突然、惨殺されたのだ。
メグを殺した相手は、風俗界隈では性質が悪い事で有名な、とある《アラハバキ》構成員だった。それまでも多くの女性が被害に遭い殺されてきたという。
その構成員は爪をアイスピックのような鋭い形状に変化させることができるアニムスを持っていた。メグはそのアニムスによってズタズタに引っ掻かれ、そして眼球や口、喉、心臓などをめった刺しにされていたのだ。
その暴力はあまりにも苛烈で、一見しただけでは残された遺体がメグ本人だと分からないほどだった。亡骸の顔形すら判別できないほど、徹底的に嬲られていたのだ。
メグはその頃、椎奈と違って人気№1の風俗嬢になっていた。件の《アラハバキ》構成員はそういう風俗嬢を「女のくせに、目立っていて生意気だ」と痛めつけるのを好んだという。
そこには相手に対する興味や好意などない。あるのはただ、自分の気に食わない女を「躾」と称していたぶりたいという欲望だけ。




