第61話 最後まで自分らしく
《瓦礫地帯》は殺伐としており、周囲には他に人影もない。全てが薄暮に呑み込まれつつある中、ともすれば五人の姿は闇に沈みそうになる。
しばらくして、再び杉原が口を開いた。
「……僕たち、これからどうなるんだろう?」
椎奈はやはり上の空で、「さあな」と素っ気なく呟く。
「今ごろ、《リスト登録》されてんのかな、僕たち。《リスト執行》だけは何が何でも避けて生き延びてきたけど……こんなこともあるもんですね。ホント、人生って何があるか分からないなあ」
「……」
杉原の言葉に返事をする者はいない。あれだけ威勢の良かった椎奈でさえ、悄然とうな垂れている。元もと小柄な体が、余計に小さくなったように見えた。杉原は黙ってその背中を見つめていたが、不意に立ち止まった。
「椎奈さん、どうしたんですか? 怒ってくださいよ」
「何……?」
「弱音を吐くな、シャキッとしろって……いつもの椎奈さんなら絶対に怒ってくれるじゃないですか。どうして怒ってくれないんですか?」
椎奈もまた足を止めると、杉原の方を冷ややかに振り返る。
「もうすぐ死ぬ人間が怒ったところで、何の意味がある?」
それを聞いた杉原は顔を歪め、声を荒げた。
「どうして……そんなっ……! そんなの、椎奈さんらしくないですよ!! いつもの椎奈さんに戻ってください! 椎奈さんのおかげで僕も頑張れたのに!!」
抑えつけていた感情が爆発し、溢れ出たかのようだった。常に先輩である椎奈や大槻、細谷、高瀬の背中を追いかけ、並び立つことを自らの目標としてきた杉原にとって、この停滞し鬱屈とした空気は耐えられないものだったのだ。
「だからもう、全部何もかも無駄なんだ! どうせ私たちは、これから《リスト執行》で殺されるんだからな!!」
椎奈も負けじと怒鳴り返す。破れかぶれになって、当たり散らすように。
「青葉、迅太……」
大槻と細谷、高瀬の三人は、ぼんやりと二人のやり取りを見つめていた。
いつもであれば、三人のうちのいずれかが即座に椎奈と杉原の間に割って入って、争いを収めていただろう。だが、今は誰一人動かない。全員この、性質の悪い悪夢でも見せられているかのような展開に振り回され、疲れ切っているのだ。だから、どこにもそんな気力は残っていない。
それを目の当たりにした杉原は、顔をくしゃくしゃにしてみなに訴えた。
「分かってます! でも、だからこそ……これが最後になるかもしれないからこそ、いつも通りに行きましょうよ! ……ね? 最後まで僕たちらしく……その方が格好いいじゃないですか!!」
このまま悲嘆に暮れるばかりでは、生き残るものも生き残れない。試合をする前に、どうせ勝てるわけがないと放り出すようなものだ。それだけは何があっても耐えられなかった。
あの虐殺を行ったのは本当に自分たち《彼岸桜》なのか。この《リスト執行》は本当に妥当だと言えるのか。真実は何一つ分からない。
だが、たとえこのまま殺されるしかない運命だったとしても、最後まで誇りを失わず自分らしくありたい。これまで、そう在ろうと努力してきたように。
すると、大槻や細谷たちの表情にも少しずつ生気が戻って来た。《彼岸桜》で最も若く経験も浅い杉原迅太に、ここまで盛大に発破をかけられたのだ。仮にも先輩である自分たちが、これ以上、情けない姿を晒し続けるわけにはいかないではないか。
「……確かに、それもそうね。《死刑執行人》に怯えまくって死んだなんて、二代目桜龍会の構成員としての面目が立たないものね」
細谷は投げやりな口調で言いつつも、その顔には笑みが戻っていた。
「ああ、こちとらいくつもの修羅場をくぐってきた。これしきの事でへこたれてはいられんわ!」
先ほどまで抜け殻のようだった大槻も、今は唇を引き結び、眼に強い光を宿している。これまで幾多もの死線を掻い潜ってきた、百戦錬磨の兵の顔だ。
「うむ、とどのつまり平常心が一番だな」
高瀬も力強く頷く。彼もまた、先ほどまでとは打って変わって戦闘意欲を漲らせている。手を後ろ手に回し、背負った大太刀の柄を握り締めているのが何よりの証拠だ。いつでも太刀が抜けるよう、戦闘前はその位置を確認するのが高瀬の癖になっているのだ。
次々と奮起する仲間の姿を目にし、椎奈もまた厳しい現実に対抗する意欲が湧き上がってきたらしい。自らを奮い立たせるようにして両手の拳を握り締める。
「そう……ですね。確かにこのままでは、女の名が廃る……! おい、迅太! お前、たまにはいいこと言うじゃないか!!」
「あざっす! ただ俺、椎奈さんに怒ってもらいたかっただけなんですけど……」
「何、貴様さてはドMとかいうやつか!?」
「さすがに、誰にでも怒られたいわけじゃありませんって。椎奈さんがいいんです」
「そうか、つまり杉原は私専属のドMということか! ……うん、フツーにキモいな!! キモすぎる!!」
「そうそう、椎奈さんはやっぱりそのノリじゃないと!」
若い二人のやり取りを見て、他の三人も笑い声をあげる。
《彼岸桜》の面々はすっかりいつもの明るさを取り戻していた。状況は相変わらず絶望的だ。東雲の《死刑執行人》が相手であることを考えると、万に一つも助かる見込みなどない。それは言わずとも皆が心得ている。
だが、最後まで明るく平常心でいること。逆境に打ちのめされず、自分らしさを貫くこと。それが彼らにとって、この不条理な状況に対するせめてもの抵抗だった。
ひとしきり笑ってから、ふと杉原は口にする。
「それにしても……つくづく思い返しても謎だらけなんですけど。僕たち、何でこんなことになってしまったんでしょうね?」
高瀬は苦虫を噛み潰したような顔をし、それに答えた。
「聞きたいのはこっちの方だ。俺には未だに《グラン・シャリオ》の若造らを斬り捨てた記憶はない」
細谷も憤りを露わにして吐き捨てる。
「それはアタシだって同じですよ。例の動画みたいに、誰かをアニムスで喰い殺した覚えなどありません。今でもあの動画はタチの悪いフェイクじゃないかと思えてなりませんよ」
それは大槻とて同じだった。《グラン・シャリオ》の拠点で経験したことの全てに、あまりにも現実感が無さすぎる。何もかもまやかしじみていて、狐につままれたかのようだとしか言いようがない。
確かに最初、惨たらしく殺されている《グラン・シャリオ》の若者たちを目にした時は、何て傷ましいのだろうと同情した。誰がこんなことをと、眉もひそめた。
だがそれは、あくまで非当事者だからこそ抱くことのできた感想だ。目の前の惨劇は自分とは無関係であると信じていたからこそ、他者を思いやる余裕があったのだ。
それなのに、みな大槻たちがその殺戮を行った張本人なのだという。そして、全く身に覚えのない動画まで公然と拡散されている。
「誰かが我らを陥れたのではないか!? そうとしか考えられん!!」
高瀬が鼻息を荒くしつつそう口にすると、椎奈は腕組みをして考え込む。
「しかし、それなら一体、誰が何のために……? どのような手段を用いてこれほどの大掛かりな仕掛けを施したのでしょうか!?」
確かにその点は大槻も疑問に感じているところだった。
今回の事件は大槻たちの意思によるものではない。それは自信を持って断言できる。しかしそれなら、誰が何のために、どうやって。その点がさっぱり分からない。
もちろん、《彼岸桜》にも敵はいる。心当たりのある者も全くいないわけではない。ただ、実際にその連中にこれだけの犯行が可能かと言うと、それは難しいのではないかと言わざるを得なかった。
いくら《アラハバキ》でも、ここまでの殺戮をやってのける手腕や度胸があり、尚且つ倫理観やモラルも見事に欠如した者などそうはいない。
「それは分からないけれど……何者かの手が介在しているのは確かでしょうね。そうでなけりゃ、あまりにも不自然すぎます」
細谷は唇に親指を当て、乱暴にそれを噛む。苛立っている時によく見せる細谷の習癖だ。
実際のところはまだ何も分からない。だが、細谷の言う通り『何者かの手が介在している』のなら、少なくともその事実を証明しなければ《彼岸桜》への疑いを晴らすことはできないだろう。
(しかしそれにしたって……この事件を起こした奴の狙いは何なんだ? 単に俺たち《彼岸桜》を貶めるためなら、《グラン・シャリオ》のメンバーを数百人も犠牲にする必要は無かったはずだ。一人当たり五人も殺せば、十分に《リスト登録》対象になる。他に何か目的があるのか、それとも望んだ結果さえ得られれば、その過程で発生する犠牲はどうでもいいと思ってやがるのか……)
それを考えると、大槻は背筋がうっすらと寒くなってくる。
この街のどこかにいる真の犯人はこれだけの人命を代償にし、一体何を得ようとしているのか。そして、この《監獄都市》で何を成し遂げようとしているのだろう。
もし仮にこのまま大槻たちが殺戮犯として《リスト執行》されてしまったら、この真犯人はのうのうと無罪放免で生き残ることになるのではないか。そして今回と同じかそれ以上の殺戮をこの街で繰り返すのではないか。
(このクソッたれな街がどうなろうと知ったことじゃない。だが、逢坂さんは……二代目桜龍会のみなはどうなる……!?)
だが、いくら危機感を抱いても、大槻にはどうすることもできない。《リスト登録》された大槻たちにできるのは、逢坂の迷惑にならないよう《リスト執行》される事だけ。
それさえも真犯人の狙い通りであるなら、何て狡猾で恐ろしい奴なのだろうか。大槻は憤りを通り越して戦慄すら覚えるのだった。
一方、杉原も細谷と同様にだんだん腹が立ってきたのか、目の前の瓦礫を派手に蹴り上げた。
「……本当、何なんですかねこの状況? こっちにも言い分はあるのにそれを主張することもできない、真相すら究明されずひたすら問答無用で『排除』なんて……今さらですけど、《リスト執行》って控えめに言ってもクソじゃないですか?」
杉原の怒りの矛先は、どうやら《収管庁》や東雲の《死刑執行人》に向いているらしい。現在の《監獄都市》の秩序を形成してきたのは彼らなのだから、そこに何かしらの不備があれば責を問われるのは当然のことだろう。
「確かにな! 今まで当たり前だと思って生きてきたが、間違いなくクソだ!!」
椎奈も杉原と同じく、憤懣やるかたないといった様子で大声を張り上げ、瓦礫に幾度も蹴りを入れる。その仕草は完全にその辺の田舎のヤンキーだ。細谷は呆れ顔で突っ込んだ。
「あんた達……急にえらく威勢がいいわね?」
「これで最後かもしれないんです。言いたいことは言っておかねば損というものでしょう!?」
椎奈はいたって真剣な表情をし、振り上げた拳を握りしめた。
彼らの言う通り、このまま大槻らを《リスト執行》し、本来裁かれるべき真犯人を取り逃がすというなら、《収管庁》や東雲の《死刑執行人》の責任はあまりに重い。大槻とて、とても割り切ることなどできない。
「お前らの言うことにゃ俺も概ね同意だ。だからこそ、最後まで正々堂々と戦い抜いてやろうじゃねえか! あの動画が事実だとしても、俺たちにその記憶は全く残っていない。あれは俺たちの意思じゃねえんだ。徹底的に抗って、それを証明してやろう!!」
非常に些細な、抵抗とも呼べぬ抵抗かもしれない。だが、このまま黙って死んでなるものか。《アラハバキ》構成員として、二代目桜龍会・《彼岸桜》の一員として、きっちり後始末をつけてやる。
その言葉に高瀬も頷く。
「うむ、《リスト登録》ごときで逃げ惑ったとあれば、この狭い街では瞬く間にみなに知れ渡る。これ以上、無様を晒して逢坂さんに恥をかかせるわけにはいかんな!」
「はい!!」
「そうですね!」
《彼岸桜》の五人は頷き合うと、再び歩き出した。先ほどまで意気消沈し、トボトボと歩いていたのとは打って変わって、力強さに溢れた足取りだった。
希望はない。輝かしい未来もない。だがそれでも、一歩一歩を踏みしめ、確実に前へと進んでいく。諦めず最後まで歩き続ける。
けれどその時、椎奈がふとあるものに気づき、ぎくりとして身を強張らせた。
「あれは……!」
椎奈が視線を向けたその先を大槻も追った。
一面に広がる《瓦礫地帯》、その中に築かれた山のてっぺんに突如として真っ黒い人影が姿を現していた。
いつからそこに立っていたのかも分からない。ずっとそこにいて大槻たちを監視していたのかもしれないし、たった今、出現したばかりなのかもしれない。それほど、かの人影には気配が無かった。
黄昏に沈む瓦礫の山々より更に濃い闇色をした大男。顔には不気味なガスマスクを装着している。杉原はごくりと喉を鳴らすと、緊張した声で呟いた。
「あのガスマスク……確か東雲探偵事務所の《死刑執行人》、赤神流星のアニムス……ですよね? 確か、《レギオン》とかっていう……」
「……へっ、ついに来やがったか!」
大槻は冷や汗を額に浮かべつつ、口の端を歪める。
「後ろにもいるぞ!!」
高瀬は中腰になり、背中に担いだ大太刀に手を伸ばしつつ叫んだ。
「あっちにも……完全に囲まれています!!」
細谷も即座に身構える。彼の視線の先にもまた、二体のガスマスク。
気付けば五体の《レギオン》がぐるりと大槻たちを包囲していた。特に何をするわけでも無い、ただそこに佇んでいるだけだけだというのに凄まじい圧迫感だ。
しまった、いつの間に――胸中で毒づいたその瞬間、不意に《瓦礫地帯》の間を風が吹き荒れる。
大気が、そして瓦礫の山々が激しく揺さぶられ、重々しい振動音を発する。
だが《レギオン》はびくともしない。まるでこの世の支配者であるかのごとく、凄然と構えている。大槻の耳には、まるで《レギオン》たちが一斉に咆哮を上げたようにも聞こえた。そのあまりの峻厳たるさまに体の芯から震えが走った。
(くそ……これが東雲の《死刑執行人》の実力ってわけか。この凄味……直接、拳を交えなくとも分かる! こいつは他のゴーストとは段違いでヤバいってことがな……!!)
大槻たちは緊張し、互いに身を寄せ合った。呼吸が浅くなり、心拍数も急激に上昇し、心臓に刺すような痛みさえ走る。
この殺気は己の発するものか、それとも《レギオン》によるものか。ひりひりとした焼けつくような気迫が全身を焦がす。
これほどまでの緊迫感に襲われたのは一体いつぶりだろう。だがそれでも、《彼岸桜》のリーダーとして指示を出すのは忘れない。
「お前ら、月並みだが……死ぬなよ!!」
大槻が呼びかけると、真っ先に杉原が頷いた。
「うっす! 凱さんも……必ず生きて再会しましょう!!」
椎奈も精一杯、笑ってみせる。
「そうだ! 東雲の《死刑執行人》などぶっとばしてやる‼ そうすれば我らが最強、一石二鳥だ!!」
それを聞いた高瀬は不敵な笑みを浮かべ、勢いよく背中の大太刀を抜き放った。
「そいつは面白い! 《監獄都市》の新しい歴史を我らがこの手で作り上げるということか!」
細谷は冷や汗を浮かべつつ、困った顔をして笑う。
「まったく……どんだけ難易度が高いか分かって言ってます?」
「いいじゃないですか。世の中、嘘から誠が出ることもあるみたいだし! ねえ、凱さん?」
「そうだな」
杉原にそう返しつつも、大槻はそれが絵空事に過ぎない事を理解していた。
東雲探偵事務所の《死刑執行人》の力は強大かつ絶対的だ。これまでも《リスト執行》を通し、何人もの《アラハバキ》構成員を屠って来た。その中には現在の大槻より序列が上だった構成員も大勢いる。
他の四人も当然その現実を理解しているだろう。だが、それでもなお戦意を喪失させず、最後まで真正面から抗おうとする彼らを大槻は誇りに思う。
(ありがとよ。お前らに出会えて良かったぜ)
お前らが俺の部下で本当に良かった。《彼岸桜》の一員として共に逢坂忍の元で働けて、これ以上もなく幸せだった。
心の中でそう囁いた、その時。とうとう一体のガスマスクがゆらりと動いた。それを機に他の《レギオン》も動き出し、競うようにして《彼岸桜》へと襲い掛かってくる。
このまま一か所に固まっていたら、ガスマスク達に囲まれ一網打尽にされてしまうだろう。それよりは散開し、一対一に持ち込むべきではないか――大槻はそう考えた。一対一なら、まだ《死刑執行人》の追討を逃れ、生き残れる可能性があるからだ。
「散れ! 散れーっ!!」
大槻の号令で他の四人もばらばらに走り出した。一網打尽にしようとする《レギオン》の攻撃をうまくかわし、四散していく。皆が逃亡に成功したことを見届けてから、大槻もその場を離れた。
――取り敢えず、第一関門は突破か。どこまで逃げ延びることができるか分からないが、やるしかない。
既に日は没し、《瓦礫地帯》は濃厚な夜の気配に包まれつつあった。
時おり瓦礫野原に強風が吹きつけ、びゅうびゅうと鋭い音を立てる。それはまるで、かつてこの街で失われた幾多の魂が発する慟哭のようでもあり、或いはまた逃れられぬ人の業を嘲笑う、幽鬼の哄笑のようでもあった。




