第53話 惨劇の始まり
「いい奴らじゃねえか。想像していたよりずっと見込みがある。正直なところ、事業所をやらせるにゃ惜しい。ただ腕っぷしが強いだけなら探せばそれなりにいるが、中身が伴っている奴らってのはそうはいねえからな。できれば今すぐうちの組に欲しいくらいだ」
「ええと、それは冗談……ですよね、逢坂さん?」
深雪は思わず頬が引き攣る。逢坂が《グラン・シャリオ》の面々のことを見込みがあると気に入ってくれたのは良かったが、だからといって桜龍会に引き抜かれるのは困る。
「ははは、もちろん約束は守る。適度な距離で良好な関係を、当面は維持するように努力しよう。だが、完全に諦めたわけじゃねえ。うちも貴重な人材は是非とも押さえておきたいんでな。それが嫌なら、せいぜい奴らの独立開業がうまくいくよう支援してやることだ」
「……。ええ、そうします」
逢坂に忠告されるまでもなく、深雪はそうするつもりだった。《グラン・シャリオ》にとっての最大の試練はこれからだ。
知識はもちろん経験も技術もない、全くのゼロからのスタートなのだ。全てが上手く運ぶわけがない。さまざまな困難にぶち当たり、苦境に立たされることもあれば挫折を味わうこともあるだろう。
もしそんな状況に陥っても、《グラン・シャリオ》が躓くことなく前に進めるよう支えるのが深雪の役割だ。
一方、《グラン・シャリオ》のメンバーも深雪へ感謝を込めた視線を向ける。
「ありがとよ、深雪。これで何とかチームを守れそうだ」
聖夜が嬉しそうに言うと、豊もそれに頷いた。
「ああ、そうだな。不安もあったが、前に踏み出してみて良かった」
豊はいつになく穏やかな顔をしていた。
これまではずっと、頭としての責任を背負い重圧に耐えてきたのだろう。チームの未来を考えると、不安で夜も眠れない日だってあったはずだ。だが今この瞬間だけは、その重荷から解放されたようだった。
深雪は思わず笑みを零す。かつて《ウロボロス》の№3だった経験上、その気持ちは痛いほどよく分かったからだ。
「俺も安心したよ。これで無事に事業所開業を進められる。乗り越えなきゃならない関門はまだまだあるだろうけど……諦めず一つ一つ進めていこう!」
「ああ」
すると、涼太郎も横から口を挟む。
「豊さんも毅然としていて、格好良かったっす! やっぱうちのチームの頭は豊さんしかあり得ないですね!」
「涼太郎……」
豊は俄かに瞳を潤ませた。責任感の強い豊にとって、それはきっと何よりも嬉しい言葉だったに違いない。聖夜も快活に笑って豊の肩に手を回す。
「何言ってんだ、涼太郎。んなこたあ、最初から当たり前だろ!」
《グラン・シャリオ》の三人はみな、かつてないほど晴れ晴れとしていた。一時は意見が完全に割れたこともあったが、今はみなの想いが一つにまとまっている。
むしろ、いざこざがあったからこそ、より結束力が高まったのかもしれない。まさに、『雨降って地固まる』だ。
この流れを《中立地帯》全体へ波及させることができたら、と深雪は思わずにはいられなかった。
確かに《中立地帯》は今、大きく揺れている。けれどそんな時だからこそ、普段はばらばらに活動している者たちも一つにまとまれるのではないか。
現実問題として、一つ一つのチームが単独で《アラハバキ》に対抗するのは不可能に近い。だが、《中立地帯》全体が一致団結すれば、無理に《アラハバキ》に屈服しなくても生き残ることのできる方法を編み出せるのではないか。
《グラン・シャリオ》の独立事業所開業が上手くいけば、他のチームにも良い影響を及ぼすだろう。中には考えを変える者たちも出てくるかもしれない。長いものに巻かれるだけが唯一の生存方法ではないのだと。
壁際に立っていたシロが深雪のそばにやって来る。
「良かったね、ユキ!」
「うん。ここ数日いろいろあったけど、《グラン・シャリオ》のみんなが喜んでくれて本当に良かった」
そろそろ本当に時間が差し迫っているのだろう。須賀は部屋の扉を開ける。だが、すぐ戸惑った様子で廊下を見渡した。
「……ん?」
「どうした、黒鉄?」
須賀の異変に気付いた逢坂が声をかける。
「いえ、それが……大槻たちの姿が見当たらないんです。待機するよう命じておいたのですが」
「凱が……? 史文や照門もいないのか?」
「はい。青葉と迅太の姿もありませんね」
「どういうことだ? 五人とも命令に背く奴じゃねえのに……任務を放っぽり投げてどこへ行ったんだ?」
深雪たちも廊下へ出てみたが、本当に人っ子一人いない。廊下はもぬけの殻で、不気味なほど静まり返っていた。
――何かおかしい。深雪も確かに、須賀が大槻らへ待機を命じるのを耳にしたのだが。《彼岸桜》の面々はどこへ行ってしまったのだろう。
「……どうしたんですかね? みんなで便所……とか?」
首を傾げてそう呟く涼太郎に、聖夜は呆れた顔をする。
「大の大人が五人揃って連れションか? 小学生じゃあるまいし、あり得ねえだろ」
「……」
聖夜の言う通りだ。仮に席を離れる用事ができたとしても、五人とも一斉にいなくなるなどという事があるだろうか。常識的に考えてあり得ない。
そもそも《彼岸桜》の面々はみな、黙って持ち場を離れるような無責任な性格ではない。ましてや待機を命じたのは彼らの最も信頼する逢坂の右腕、須賀なのだ。
逢坂も不可解な面持ちをしたが、すぐに須賀へ指示を出す。
「ったく……しょうがねえなあ。黒鉄、端末で凱に連絡を取れ」
「は……」
ところがその瞬間、深雪の端末が着信を知らせる。発信者はマリアだ。
突如、鳴り響く着信音に、その場にいる全員の視線が集中した。マリアも深雪の今日の予定は知っているはずだが、何用だろう。みなに断って通話に出ると、マリアが慌てた声で叫んだ。
「ちょっと深雪っち、大変よ!!」
「マリア、どうかした?」
「ネット上で不審な動画が出回ってんのよ!!」
「動画……!?」
ネット上の動画がどうしたというのだろう。他の何を差し置いてでも最優先にしなければならない内容なのか。
深雪はいまいち状況が呑み込めない。《グラン・シャリオ》の面々や逢坂も同様らしく、怪訝そうな表情を浮かべている。
「とにかく、すぐそっちにURLを送るわ。確認して!!」
マリアの剣幕があまりにも凄まじかったので、深雪は言われた通り送られてきたURLを開く。そして、ホログラム機能を用いて、腕輪型端末の上空に大きく浮かび上がらせる。
そこに表示されたのは見覚えのあるチャンネルだった。
「これは、《突撃☆ぺこチャンネル》……!?」
動画には生配信の文字が表示されている。ただし、ぺこたんの姿はない。画面は縦三段、横四段に十二分割されており、どれも均等な大きさだ。そこにはさまざまな場所が映し出されている。まるでリモートワーク画像みたいだ。
だが、視点はみなばらばらで、真横から映したものがあれば上から俯瞰したものや下から仰ぎ見たものもある。その点では、どちらかというと防犯カメラの監視モニターに近い。
場所は全てどこかの建物の中のようだった。時おり、十代から二十代くらいの若者が歩いていくのも映っている。
しかし、画面に映り込んだ少年たちは自分たちが撮影されている事に気づいていないようだ。カメラの方を振り返ることなく、右から左へ、或いは手前から奥へと移動していく。
動画は淡々とそのさまを流している。
――この動画は、一体。ぺこたん達は何をしようとしているのか。
戸惑う深雪だったが、それを横から覗き込んだ涼太郎が声を上げる。
「あれ……これ、うちの拠点じゃないかな?」
「何だって……!?」
涼太郎の言葉に、豊と聖夜はぎょっとする。そして、慌てて深雪の端末に浮かび上がった映像に視線を向けた。
「あ、やっぱそうだ。みんないますよ。こっちは勝広、翔平に慎人に泰道……すげえはっきり映ってる」
涼太郎は無邪気に動画の一角を指さした。確かに、数人の少年が並んで歩いているのが映り込んでいる。映像が非常に高画質であるため、顔立ちどころか表情もはっきりと分かる。
「おい待て、何でうちの拠点の内部映像がネットに流れてんだ!?」
聖夜は危機感を露わにし、豊や涼太郎の方を振り返った。涼太郎は戸惑ったように答える。
「さあ……誰かがカメラを取り付けたんじゃないですか?」
「一体、誰が……そういう話、聞いてるか!?」
「いや、俺は何も聞いてないぞ」
そう言って首を横に振る豊も、ひどく混乱している。
《グラン・シャリオ》のメンバーは騒然とした。つまりこの映像は、当の《グラン・シャリオ》には断りなく撮影され、何の許可も得ず勝手にネット上に流されているのだ。
それだけでも十分に問題だが、気になるのは何故、何のためにぺこたんがそんなことをしているか、だった。
深雪は改めて動画へと視線を向ける。やはり、ぺこたんの姿はない。しかし声は微かに聞こえてきた。何と言っているのだろう。深雪は試しに音量を上げてみる。すると、ぺこたんは気味が悪いほどのハイテンションで、何事かを捲し立てていた。
『……いやホント、これからすごいことが始まるんでね。絶対、歴史的な転換点になるんで、みんなこのままチャンネルを変えずに、周りの人にも是非、拡散してください!
じゃあ何が始まるかって言うと、これはね、力と破壊による真の革命なんですよ! 以前、別の動画でも説明したんですけど、闇の政府の陰謀っていうのがあって、それを打ち砕くために光の勢力・《Zアノン》が千年に渡る壮絶な死闘を繰り広げてきたわけです。当然、僕たちも真なる世界を取り戻すため、闇の政府に打ち勝つために《Zアノン》と共に立ち上がらなくてはならないですよね。でないと、この世界が乗っ取られちゃいますから。無くなっちゃいますから、俺らの大事なものが。
つまり、これから起こることは、いわばその反撃の狼煙なんですよ! 世界を救えるのはただ一つ、血と破壊を伴った真の革命だけなんです!! だからね、みんなも怖がらず絶対に最後まで見て欲しいです!!』
聖夜は眉根を寄せた。
「……何言ってんだ、こいつ?」
「さあ……?」
涼太郎も首を捻る。深雪もわけが分からない。
『闇の政府』とか『真なる世界』とか『《Zアノン》』とか『革命』とか。ただでさえ意味不明なことばかりなのに、それと《グラン・シャリオ》と何の関係があるというのか。ぺこたんの言葉と実際の映像との乖離にどうもついて行けない。
他のみなもその異様さに不快感を催したらしく、涼太郎ですら顔をしかめている。
やがて、実況するぺこたんのテンションが一際、大きく跳ね上がった。
『あ、どうやら始まったようですよ! きたきたきた!! 革命の始まりだーっ!!』
ぺこたんが叫んだその瞬間、十二分割されていた画面の一つがクローズアップされる。
そこには一人の少年が映っていた。年齢はちょうど神狼と同じくらいか。まだ肩幅が狭く、体も全体的に細い。顔立ちにもどこか幼さが残る。彼の姿を目にし、涼太郎は息を呑んだ。
「ま……慎人?」
そして、突如。その若者の胴体が真っ二つになった。
「……っ!!」
少年の華奢な身体は血しぶきを上げ、吹き飛ばされていく。そしてあっという間にフレームアウトし、見えなくなってしまった。
カメラは固定であるらしく、その後どうなったのか何も分からない。また、動画はぺこたんの声以外に音源がなく、物音によって判断することもできない。
深雪はもちろん、その場にいる《グラン・シャリオ》のメンバー全員が硬直した。
何が起きているのか分からなかった。あまりにも現実感に欠けた映像に、理解が追い付かない。一瞬、何か見間違いをしたのかと思ったくらいだ。
だが、呆気に取られる深雪たちを嘲笑うかのように、ヒートアップしたぺこたんの歓声が動画から聞こえてくる。
『すげえっ! すげえ、すげえ、すげえ!! どんどんいきますよ、どんどん!!』
その言葉通り、次は別の画面に切り替わった。
そこには二人の少年が斜め上から映し出されている。やはり、二人とも若い。先ほどの少年より年齢は上だが、二十歳は越えていないだろう。
二人は向かい合って何やら楽しげに談笑している。片方が肩を揺らし、もう片方は腹を抱えて笑い転げる。そんな詳細な仕草まで、はっきりと手に取るようによく分かる。
「し……翔平! 勝広!!」
それが二人の名なのだろう。涼太郎の声は震えていた。これから彼らの身に何が起こるか、うすうす察しているからだ。深雪の額にも冷や汗が浮かぶ。まさか――まさか。
その刹那、少年二人は画面外にいる何者かの容赦ない攻撃に晒された。一人は見るも無残に斬り刻まれ、もう一人は何か圧力を咥えられたかのように上下左右から圧縮される。まるで絞ったオレンジから果汁が溢れるみたいに血が飛び散り、巻き散らかされ、画面の端に現れた黒い球体がそれを呑み込んだ。やがて黒い球体も姿を消し、後は何も残らなかった。残ったのは大量の血と僅かばかりの肉片のみ。
聖夜は青ざめ、動揺を露わにして叫ぶ。
「な……何だこいつは!? どうなってやがる!!」
涼太郎の顔も血の気が引いて真っ青になっていた。
「え、これウソですよね? フェイク動画か何かですよね!?」
祈るような声でそう繰り返す。
(いや……これは生配信だ。偽物じゃない! そもそも、ぺこたん達にはそんな高度な映像加工技術はない。だから本物と見てまず間違いない!! 何者かが《グラン・シャリオ》の拠点を襲撃しているんだ!! でも、一体誰が……!?)
真っ先に思い浮かんだのが上松組による襲撃という可能性だ。《グラン・シャリオ》が下桜井組に接触したことを知り、報復に乗り出したのか。
だが、その証拠はどこにもなかった。この時点で決めつけることは出来ない。
その間も、動画では次々と別の画面がクローズアップされていく。廊下や階段、ホールなど、カメラは《グラン・シャリオ》の拠点のあちこちに仕掛けられているらしい。そして、豊や聖夜が「《グラン・シャリオ》のメンバーが総出で拠点を守っている」と言っていただけあり、そこかしこに人の姿がある。
だが、それが却って惨劇を招く結果となってしまった。
画面に映り込んだ少年たちは次々と何者かによって惨殺されていく。廊下を歩いている三人の少年は、画面に映っていない前方の何かに気づき、ぎょっと身構えた瞬間に縦横に切り刻まれ、その際に飛び散った血肉が床や壁、天井に至るまで真っ赤に濡らした。
異変に気付いて階段の踊り場から下の方へと身を乗り出した二人の少年は、一階の方から伸びてきた何か毛深い太い腕のようなものに首元を掴まれ、体ごと下の階へと引き摺り込まれる。しかしカメラがその行方を追うことはない。ただ彼らのものと思しき切断された腕や足が、真っ赤な血を滴らせながら画面の下方から吹き飛んで来て、無造作に踊り場の床へ転がった。
全てがあまりにも唐突で、どっきり動画のようだった。だが、これは決して虚構ではない。現実に起こっている事なのだ。
殺戮はそれだけにとどまらない。何かに追われ、部屋に逃げ込んだ少年は扉ごとズタズタに引き裂かれた。ある少年は青ざめながらも何者かに立ち向かっていくが、フレームアウトするや否や彼の進行方向とは逆方向に大量の血がぶちまけられる。まるで赤いペンキの入ったバケツをひっくり返したかのように。
だが、これだけ派手で残酷な凶行が白昼堂々と行われているにもかかわらず、まだ襲撃者の姿は映らない。
《グラン・シャリオ》の面々はこれだけ異様な殺され方をしているのだ。相手は間違いなくアニムスを持ったゴーストだろう。一体誰がこんな酷い事を。何の恨みがあってここまでするのか。深雪は憤りを抑えられなかった。
一方、聖夜と豊はそれぞれ端末を操作し、拠点に待機しているはずの《グラン・シャリオ》のメンバーに連絡を取る。頭として、或いは副頭として、とても黙って見ていることなどできなかったのだろう。相手はすぐに通話に出た。
「あれ、聖夜さん? どうしたんですか、急に。下桜井組との話はうまくいきそうですか?」
拠点にいると思しき《グラン・シャリオ》のメンバーの声は驚くほど呑気だった。深雪はすぐに気づく。《グラン・シャリオ》は五階以上ある大型の雑居ビルを拠点としている。それゆえに、上層階にいる者はまだ気づいていないのかもしれない。自分たちが何者かによって襲われ、命を狙われているのだという事を。
聖夜は声を張り上げる。
「こっちの事はいい! それよりお前ら、拠点の方はどうなってる!? 守りはしっかり固めてるか!?」
「こっちですか? そういえば、下の階が何か騒がしいような……」
聖夜は苛立ちを浮かべた。危機が迫っているのに、一分一秒を争うのに、それが相手に伝わらないもどかしさ。
他方で豊の方もようやく連絡が繋がったようだ。大声で仲間に警告をする。
「ああ、刀馬か! 慎人と翔平、勝広はそこにいるか!? ……いない!? 至急、三人の安否を確認してくれ!! いや、妙な動画が出回ってるんだ!! 《突撃☆ぺこチャンネル》とかっていう……」
「あ、すいません、豊さん。ちょっと待って下さい、どうも何かあったみたいで……おい、どうした!? ……は!? 襲撃!?」
しかし、その間も動画の画面は再び切り替わる。
それと共に、ぺこたんが甲高い声で喚き散らすのも聞こえてきた。




