第48話 違和感②
「その可能性も考えタ。だガ、裏口からこそこそ出入りする奴にハそれなりの事情があるものだろウ。その店を利用していることヲ、他の者に知られたくないとカ……ナ。入る時は裏口デ、出る時は表から堂々ト……何だか筋が通らなイような気がするんダ」
ウサギのアバターに扮したマリアは腕組みをする。
「まあねー。気になると言えば気になるけどさ、逆に気にしすぎって言われるとそんな気もしてくるし……なーんかこう、微妙な線よね」
「……」
深雪は考え込んだ。
神狼の言うことは確かに一理ある。だが人間は、常に論理的な行動をするとは限らない。また、他者から見て非合理的に感じることが本人にとっては合理的であるといったことも、往々にしてよくあることだ。
そうでなくとも、《アラハバキ》構成員だって人間なのだし、たまには迂闊な行動をすることもあるだろう。神狼の情報はそこまで深刻に受け取るべきなのだろうか。
(いや、神狼がここまで違和感を訴えているんだ。きっと何かあるんだろう)
情報収集に関しては神狼に一日の長がある。その神狼がここまで気にしているのだから、謙虚に話を聞くべきだ。深雪はそう考え直し、神狼に質問した。
「その《アラハバキ》構成員ってどういう奴らだったんだ?」
「残念だガ、俺の担当したテーブルからハ顔が見えなかっタ。全員、スーツ姿をした五人の集団デ、年齢ハ二十代から三十代ほどダ。ストリートのゴーストはスーツなど着ないかラ、《アラハバキ》構成員と見テまず間違いなイ」
「確かに……ストリートではスーツ姿はまず見ないな」
「……そういえバ、女が一人、混じっていたゾ」
「女……? 女性の構成員……!?」
《アラハバキ》は非常に旧態依然とした男性社会だ。おまけに排他的であり、「異分子」を極端に嫌う傾向がある。
外国人や若者がその矢面に立ちがちだが、異性――つまり女性に対しても同様に閉鎖的だ。
女性の構成員は滅多におらず、深雪が知る限りでも二人だけ。轟組の朝比奈小春ともう一人、下桜井組にいる逢坂の部下、椎奈青葉だ。
そこまで考え、深雪は固唾を呑む。神狼が《エスペランサ》で見た五人組が、逢坂の部下――《彼岸桜》である可能性はないだろうか。
朝比奈は常に寧々のそばにいる。彼女の寧々に対する忠誠心を考えると、主人 (寧々)を一人置いてカジノ店へ向かうなどとても考えられない。
だから、神狼がカジノ店で見かけた『女性の《アラハバキ》構成員』に該当するのは、《彼岸桜》の椎奈青葉くらいしか思い当たらない。
(逢坂さんの部下……大槻さんたちも全部で五人だし、一人だけ女性が混じっていたという神狼の話にもぴったり合致する。でも……どういう事なんだ? 本当に大槻さんたちが《エスペランサ》に出入りしているなら、京極とも繋がっているという事になる。ビップルームから出て来たのなら間違いない。でも……大槻さんたちは京極を嫌っていたし、実際、長いこと会っていないとも言っていた。嘘を言っているようには見えなかったけど……)
大槻たちも下桜井組に属しているのだから、京極と接点があってもおかしくはない。
だが、京極のアニムス、《ヴァニタス》が人の心を操る能力であることを考えると、どうにも落ち着かなかった。
《ヴァニタス》は、洗脳を受けた本人にそうと察知させない。つまり、大槻たちが京極と接触しているなら、本人たちも無自覚のうちに操られている可能性がある。
(何だか嫌な感じだな……大槻さんたちは嘘を言っていたのか? 本当は京極と繋がっているのか? 逢坂さんもそのことは承知の上なのか? いや、そもそも神狼が目撃したのは本当に大槻さんたちだったのだろうか? 真実はどこにあるんだろう……!?)
何か重大な点を見落としているのではないか。気づいていないところで大きな過ちを犯してしまっているのではないか。深雪は突如、強い焦燥に駆られた。つい先ほどまで全てが順風満帆に運んでいると思ったのに、急に先行きに暗雲が立ち込め始めたように感じる。
このまま事を進めるのは危険なのではないか、取り返しのつかないことになるのではないかと、直感がしきりと警告音を発している。
とはいえ、ここまで調整に調整を重ねて多くの人を巻き込んで来たのに、今さら根拠の乏しい個人的な不安を理由に計画を止められない。
(《エスペランサ》にいたのが大槻さんたちだとは限らない。《アラハバキ》は大所帯だし、他にも女性の構成員はいるだろう。それに、大槻さんたちは《死刑執行人》である俺に、京極に対抗するため手を組もうとすらしていたんだ。そこに嘘があったとはどうしても思えない。何より、五人とも心から逢坂さんを慕っていた。その逢坂さんを裏切ってまで京極に近づくとは思えない……!!)
何が本当かは分からない。だが、ここで怖じ気づいて逢坂との連携をやめてしまったら、それこそ京極の思うツボにはまってしまう気もする。
それにここまで来て逢坂や《彼岸桜》と手を切ってしまったら、彼らは深雪に対し不信感を抱き、二度と協力関係を築くことは出来なくなるだろう。
計画の中止はあまりにも損失が大きすぎる。
「深雪っち、どうする? 上松兄弟に《中立地帯》のチームを斡旋していたりするし、どうも臭うわよねー、その《エスペランサ》ってカジノ店」
「……。まずは明日のことに集中しよう。《エスペランサ》はその後だ。……神狼も情報ありがとう」
「あまり役ニ立てなくて悪いナ」
「謝ることないよ。調査期間があんなに短かったんだ。むしろ限られた条件でよく調べてくれたよ」
「また何かあれバ、遠慮なく言ってくレ」
そう言って神狼は通信を切った。
全ては明日にかかっている。どれだけ懸念や不安があってもやるしかない。何としてでも《グラン・シャリオ》と逢坂の面会を成功させ、その上で寧々と朝比奈を大槻たちに引き渡さなくては。
改めて気合いを入れる深雪だったが、マリアは新たな話題を口にする。
「ああ、そうそう。こっちは割かし、どーでもいい話なんだけどさー」
「なに?」
「ぺこたんとかいう胡散臭い動画配信者がいたじゃん。あいつら最近、妙な陰謀論もどきにはまってるみたいなんだよねー」
「《突撃☆ぺこチャンネル》だっけ? マリア、あのチャンネル好きだよね」
「そういうわけじゃないけど……まあ、面白いオモチャだしね」
「でも……そういえば、この間たまたま会った時もなんか様子がおかしかったな。もっとも、ぺこたん達がおかしいのはいつものことだけど」
「まあね。でも今回は桁外れなのよ。実際にチャンネルを見てみる?」
深雪はマリアの表示した《突撃☆ぺこチャンネル》のホーム画面に目を向ける。そこには多数の動画のサムネイルがずらりと並んでいた。
食レポなどのお店紹介動画から始まり、解説系、インタビュー動画や生配信、実況など、とにかく様々なジャンルが節操なく並んでいる。ただ、そのどれもが《監獄都市》内に関連したもので、深雪たちにとっては身近な話題ばかりだ。
再生リストを見てみると《中立地帯》で起きた抗争などを扱った刺激的な動画もあるにはあるが、《ムーンバーガー》の新メニューを紹介した動画など、平和的なものもかなりある。
一番人気なのは、《壁》の外から取り寄せたと思われるグッズや食品、書籍、ゲームの内容などを紹介したり、実際に試した様子を実況する動画だ。
《壁》の中に閉じ込められているゴーストにとってそれらは目新しく映るらしく、再生回数も他のジャンルに比べ特に多い。外の世界に対する関心の高さが垣間見える数字だ。
ところが、新しい再生リストはがらりと打って変わり、異様な雰囲気だった。
『〈スクープ!〉 全てのことに意味がある! 誰も知らない《関東大外殻》の秘密!! 『ゴーストは囚人』は政府の捏造だった!? 背後で蠢く闇の組織の正体!!』
大仰なタイトルを際立たせるためか、サムネイルも赤や紫、黒、灰色など、不安を駆り立てる色が多用されている。
(そういえば、次は《関東大外殻》関連の動画を作るって言ってたっけ。かなりオカルト寄りっていうか……むしろ陰謀論みたいなノリだな。マリアの言う通りだ)
だが、それはまだほんの序の口だった。
『〈続報!!〉 政府を操る影の組織!! 《監獄都市》の安全が狙われている!? 意識を乗っ取る恐怖の手口!! 防御手段をあなたにだけこっそり教えます!! 全ての支配からの脱却と解放!!』
『〈超スクープ!!〉 驚愕!!!! 《アニムス抑制剤》の大きなウソ!!! 知らず知らずのうちにあなたのDNAが組み替えられている!?!? 闇の支配者に騙される前に、今そこにある本当の危機に気づこう!!! 必要なのは魂の浄化!!!!』
『〈拡散希望!!!!〉 目覚めよう!! 真実を知る時が来た!!! 僕たちは闇の勢力と戦う光の戦士!!! 世界を変えるために共に立ち上がろう!!!! 今こそ力と破壊による革命の時だ!!!!!!』
最新の動画になればなるほど、サムネイルもタイトルもどんどん禍々しくなっていく。やたらと不安や恐怖を煽るその文言は、同時に自分だけは真実を知っているのだという興奮や自己陶酔、或いは自己顕示欲に満ちており、もはや狂気すら感じさせる。
それらをどう受け止めて良いのか。深雪は戸惑うばかりだった。
「な……何だこれ……?」
「ね、マジでヤバいっしょ?」
「ヤバいし、完全に別人のチャンネルみたいになってるな」
深雪は先日、街中でぺこたんとその仲間たちに出会ったことを思い出した。
いつもうざったいくらいに能天気で軽薄なノリなのに、あの時のぺこたんは妙に深刻で表情も険しく、気味が悪いほどだった。まるで、完全に中身が別人に入れ替わったかのようで。
(本当に……ぺこたん達に何があったんだ? 《関東大外殻》の近くで話した時は、意外とちゃんと考えてるんだなって見直したのに……これじゃ逆戻りどころか、ダメな方に悪化してるぞ……!!)
深雪は禍々しい動画の中から無造作に一本を選んで視聴してみる。どこかの密室の中、やけに白い壁を背にし、鬼気迫る形相をしたぺこたんが一人で熱弁を振るっていた。
「つまりですね、この世界はその闇の政府によって操られているんですよ! そして、そいつらは真実を歪め、ありもしない嘘を捏造し続けているんです!! 俺たちゴーストが《監獄都市》の中に閉じ込められているのも、本当はそれが原因なんですよ!
今、街中はいろいろ物が不足してるじゃないですか。それも全て闇の政府がわざとそう仕向けてますからね、俺らゴーストを口減らしするために!! このままじゃ世界が終わっちゃうと思いません? ぺこたんは、かなりの確率で終末が来ちゃうと思います! このままだとね。
……いや、ホント怖いですよねー。どうやって戦ったらいいんですかね、俺たち? だってこのまま洗脳され続けたら、ヤバいじゃないですか、世界が。でも、どうしようもないですもんね。普通の人は何も知らされてない状態ですもん。知らないですから、危機が存在してるってことに。ぶっちゃけね、この動画もかなりヤバいです。闇側に存在を知られると本気で消されかねないんで。でもね、それでもぺこたんはこうやって動画を配信します。みんなに真実を知って欲しいんで!」
早口でそう捲し立てると、ぺこたんはカラーサングラスの縁を指で押し上げる。
「……っていうのも、実はこの闇の政府と戦っている光の勢力がいるんですよ! 《Zアノン》っていうんですけど、その人たちがホント一生懸命、闇の奴らと戦ってくれてるんで、そのおかげでどうにか世界はまだ滅亡せずに済んでます。
いやー、マジで頑張って欲しいですよね、《Zアノン》の皆さんには! 体に気を付けて無理をしないで欲しいですよね、ほんと《Zアノン》だけが俺たち人類の希望なんで!! 視聴者のみんなも是非、《Zアノン》を応援しましょう!! 次回の動画ではその《Zアノン》について、くわしく解説したいと思います!!」
そこで動画は終了した。
「……。ぺこたん……一体、何と戦ってるんだ……?」
「そりゃ、世界を巡る大いなる陰謀と壮大な戦いを繰り広げているんでしょーよ。自分の脳内で。……どうする? 今んとこ害はないみたいだし、放っとく?」
「うーん……」
確かに異様な動画だ。《アニムス抑制剤》など、ゴーストにとって繊細な話題を扱っているのも気になる。
《監獄都市》で生まれ育った子どもは、迷信や陰謀論に弱い。そういった情報に慣れていないから、ころりと信じてしまうのだ。
かつて《ブギーマン》に関するおまじないが流行った時には、その耐性の無さゆえに大きな犠牲を出した。だからこの動画も、内容が馬鹿馬鹿しいからと言って軽視はできない。
それに何故、ぺこたん達が最近になって急にチャンネルの趣向を変化させたのかも気になる。
(再生回数は少しずつだけど、確実に伸びてるな。放ってはおけないけど……緊急性があるって程じゃない)
今はとにかく、明日を乗り越えることに注力したかった。《突撃☆ぺこチャンネル》への対処は、それが終わってからでも十分に間に合うだろう。深雪はマリアに告げる。
「今度、街中でぺこたんに会ったら、直接、問い質してみるよ」
「オッケー。そんじゃよろしく~」
そしてマリアは姿を消した。ミーティングルームの中に一人残された深雪は、ふと先ほどの動画のタイトルを思い出す。
(力と破壊による革命……か)
それが何を指すのか、具体的な説明はやはりない。《Zアノン》という者たちについても、彼らがどこで何をしている集団なのか、動画を見ただけではさっぱり分からない。
全てがぼんやりとしていて幻のように曖昧なのに、それを信じ込んでひとり熱狂しているぺこたんが不気味で仕方なかった。
そもそも深雪は、『力と破壊による革命』というのが、ぺこたんの言うように魅力的なものだとはとても思えない。それはテロや殺戮と何が違うのか。そんなものを軽々しく崇め、持て囃して本当に良いのだろうか。
冷静になって考えれば考えるほど、引っ掛かる事ばかりだ。釈然とせずモヤモヤする。だが今は明日のことがあるので、無理やり気持ちを切り替えることにした。
そしていよいよ翌日。
深雪はいつものように、真っ先に六道の所長室へと向かった。そして、六道へ今日の予定を報告する。
《グラン・シャリオ》のメンバーと逢坂忍の面会を実現するため、二代目桜龍会の事務所に向かうこと。その後、逢坂の部下である《彼岸桜》の面々に轟寧々と朝比奈小春を引き渡すこと。
もちろん六道も既にその事は知っているが、確認も兼ねて再度、報告する。
深雪が全てを説明し終わると、六道は口を開いた。
「……そうか、今日だと言っていたな。下桜井組の逢坂忍と《グラン・シャリオ》を引き合わせる日は」
「はい。ここを乗り越えることができたら、あとはほぼ、うまく運ぶかと思います」
「そうだな……」
しかし、六道の反応は芳しくない。いつもは執務机に就いているのに、今日は杖を突いて立ち上がり、窓の外へと視線を向けている。落ち着かないのだろうか。表情も何かを考え込んでいるように見える。
にもかかわらず、何故かそれを口にはしない。六道が態度をはっきりさせないなんて、これまで一度も無かったことだ。
深雪は困惑しつつ尋ねた。
「……所長? それで問題ありませんか?」
「ああ、そのまま進めていい。だが、途中で何が起こるか分からん。十分に気をつけろ」
「はい、分かりました。必ず無事に、逢坂さんと《グラン・シャリオ》の面会を終わらせます!」
深雪は大きく頷く、六道は尚も何か言いたそうだったが、結局、口を開くことはなかった。所長室を退出しつつ、深雪は思う。
(所長……迷っているみたいだったな)
確かに深雪のやろうとしている事は、六道がこれまでやって来た方法とは全く違う。《収管庁》を介さず《アラハバキ》の構成員と協力関係を結ぶなど、六道の目には危なっかしく映って仕方ないのだろう。
だがそれでも彼は深雪を信頼し、全面的に任せてくれた。きっと試す価値があると判断してもらえたのだ。
大きな抵抗があっただろうに、それでも深雪を信頼してくれた。
(所長を始め、いろんな人がリスクを負ってくれている。きっとみな変化の必要性を感じ取っているんだ。絶対にこの面会を成功させて、みんなの期待に応えないと……!!)
十三時にシロと共に東雲探偵事務所を出た。
深雪は正装、シロはいつもの濃紺色のセーラー服に身を包んでいる。そして腰にはいつもの日本刀・《狗狼丸》。シロにも今日の予定を事前に説明してある。
昼間とはいえ寒さの厳しい日だった。シロは息を白々とさせながら言う。
「もう寧々ちゃんや朝比奈とお別れかあ……寂しくなっちゃうね、ユキ」
「ああ。あの二人がいる間、事務所は賑やかだったもんな。お別れはした?」
「うん。通信端末のアドレスを交換したんだ。だから簡単に合うことはできなくても、お話しすることはできるよ!」
「寧々も自分の端末を持ってるんだ。知らなかったよ」
「位置情報とかで家出がばれるといけないから、おうちに置いてきたんだって。シロが教えてもらったのは、そのおうちにある端末アドレスだよ」
「そっか。俺もあとで寧々に教えてもらおうかな」
そんな会話をしながら《グラン・シャリオ》の拠点へ向かう。
ビルのエントランスには頭である綾瀬豊と副頭の九鬼聖夜、そして№3の今井涼太郎、三人の姿が揃っていた。




