第5話 エニグマ
小一時間ほどかけて施設内をぐるりと一巡りし、入り口に戻って来る。
シロは庭で待ち構えていた子どもたちに連れられ、鬼ごっこに加わった。一方の深雪はとてもそんな気にはなれず、庭の隅でそれを眺める役に徹していた。
ある程度、想像はしていた。孤児院なのだから、愉快な事ばかりではないだろう、と。だが、実際に体験した時の衝撃には到底及ばなかった。しばらくは言葉を発することもできず、ただ茫然と庭を走り回る子供たちを見つめていた。
「……。あの子達、みな捨てられたのか」
深雪はようやく、そんな言葉を吐き出した。隣にいたオリヴィエは静かに首肯する。
「……ええ。子供のゴーストは、アニムスを使いこなせず、暴発させてしまう事もよくあります。そういう事が何度か繰り返し起こると、親が育てる自信を失ってしまうのです。両親がゴースト同士の抗争で命を落としてしまい、孤児になってしまう子もいますね」
「それってさ。もし……あの子達がゴーストでなかったら、こういう事にはなってないって事だよな?」
宙を睨むようにして吐き捨てる。自然と語気が荒くなったが、どうしようもなかった。
「……。深雪……」
目を伏せるオリヴィエをよそに、深雪は喋り続ける。
「……俺達の頃もそうだった。ゴーストと言うだけで、悪者決定だ。何もかもが奪われた。そりゃそうだよな? 人間じゃないんだから何をしたっていい。法律で縛られない代わりに人権だって無いんだ。ゴーストと人間……どっちが被害者でどっちが加害者か俺には分からない」
深雪はいつになく自分の言葉が激しいことに気づいていた。どこにもぶつけようのない怒りが、マグマのように湧き上がってくる。それをオリヴィエに訴えても意味はないと分かっていたが、言葉はそれとは裏腹に熱を帯びた。
すると、いつの間にか二人の後ろにいたレオナルドが、口を開く。
「んなこたあ、言ったって仕様の無い事だ。ゴーストは存在する。身寄りのないガキは増える。誰かがやらなきゃ、みんな飢え死にだ」
「レオ……」
「………。ごめん、俺が怒ったって、仕方のないことなのに……」
深雪はすっかり意気消沈して、俯いた。深雪とて、子どもたちのために何かしてやれるわけではない。部外者は何とでも言える。少なくとも、孤児たちのために働いているオリヴィエやレオナルドの前で知ったような口を利くのは、恥ずかしい事だと思ったのだ。
すると、レオナルドは意外なことを口にした。
「いいや、怒りは大切だぞ、少年。人間は誰しもみな、一人では無力だ。それはゴーストとて変わりはないだろう。だがな、無意味だからと言って怒ることさえ諦めてしまったら、それは死んだも同じ事だ。肉体の死じゃない。魂の死だ。俺は、お前さんがあの子たちの為に怒ることのできる人間で安心したぞ。そういう奴は、信用できるからな」
そしてレオナルドは、にかっと破顔する。その風体は相変わらず山賊か海賊のようだったが、先ほどまでと違い妙に愛嬌があるように感じるのは気のせいだろうか。
(この人……ただの酔っぱらいのオッサンじゃなかったんだ……)
神父というのも伊達ではなさそうだ。オリヴィエとタイプは違うが、人の心を開かせる力がある。深雪は心の中でひっそりと、赤ら顔の泥酔した神父を見直したのだった。
その後、オリヴィエは「何もありませんが」と言いつつ、礼拝堂脇にある休憩室で紅茶を淹れてくれた。深雪がシロと共にそれに口をつけると、アールグレイの独特の香りが鼻腔をくすぐる。余計な渋みやえぐみは全く無いのに、香りは驚くほど芳醇だ。きっと、丁寧に淹れてあるのだろう。
(命もお茶が好きだったな……)
深雪はかつて救えなかった温室に住む少年の事を思い出していた。
あの事件で深雪は自分の無力さを嫌というほど思い知らされた。同時に、重要なことにも気づかされたのだ。
この街で何かを為すためには、『力』が必要だと。
それは単純に暴力という意味ではない。現実を捻じ伏せるだけの財力や、同じ志を持った仲間との団結力、そういった血を流さない力だ。
暴力は即効性がある反面、災厄も呼び寄せる。かといって、『力』を否定するばかりでは、何も変えられない。
自分にどういった力が必要で、何をしたらそれを手にできるのか。それはまだ分からなかったが、それを判断するためにも、まずはこの監獄都市の事をもっと詳しく知らなければならないと思った。
間違っていると否定するばかりでは、何も前進はしないのだ。
(俺はもう二度と、目の前で誰かを失いたくない)
このまま生きていたくないと、大空に身を躍らせた少年。今もきっとストリートのどこかで、同じような思いをしている者は大勢いることだろう。この街が、彼らに少しでも生きやすい環境になればいい。その願いこそが深雪の『正義』だった。
深雪の右手がじわりと熱を持つ。視線を落とすと、赤く走った亀裂の中心が光を放ち、手の平を鮮烈な赤に染めていた。
それはいつもの様な不快な痛みを伴うものではなく、胸の内から鼓舞するような、穏やかで心強い熱だった。
「……孤児院、びっくりした?」
孤児院を後にし、深雪はシロと共に東雲探偵事務所へ戻ろうと街中を歩いていた。その道中で、シロが深雪にそう話しかけてきた。
「うんまあ、ちょっとはね」
日が暮れかかり、ひび割れたアスファルトの通りは、すっかり茜色だ。荒廃した街並みは、やけに物悲しく見えた。
深雪の前を歩いていたシロは、くるりと振り返った。それに合わせて、セーラー服のスカートがひらりと舞う。
「そっか……でも、シロはみんなと会えて楽しかったよ。また一緒に来ようね!」
そう言って笑うシロの笑顔は、やけに眩しい。
「シロは誰とでも友達になっちゃうんだな」
「えへへ……」
照れるシロに、深雪は思い切って気になっていたことを尋ねてみた。
「……あのさ、シロは何で俺と親しくしてくれるの?」
「え?」
「もしかして、六道……所長に言われたから?」
するとシロは、人差し指を当て、考え込む仕草をした。
「うーん、それもあるけど……」
(あるんだ)
自分で言いだしたことながら、深雪は微妙にショックを受ける。ただ、それはある程度、予想していた事でもあった。先日、事務所の廊下で、シロと六道が二人きりで会話している姿を目撃したのだ。
その時のシロは、いつもよりぐっと大人びて見えた。まるで、六道には自分が子供だと思われたくないのだというように。それは、深雪の前では絶対に見せない表情だった。
六道の方も、深雪に背を向けていたためはっきりとした表情は分からなかったが、いつもよりは砕けているように感じた。二人の醸し出す濃密な雰囲気に、深雪は離れたところでこそこそと隠れながら、ただひたすら様子を窺うしかなかったのだった。
(あの時の俺、マジでヤバいストーカーみたいだったな……)
深雪は自嘲気味にそう思った。あまり自分を卑下したくないが、事実は認めざるを得ない。それに何より、用も無いのに六道へ自分から声をかけるなど、逆立ちで新宿を一周するより無理な話だ。
すると、シロは意外なことを口にした。
「シロがユキと仲良くしたいのはね、ユキはいつも一生懸命だから、かな?」
「一生懸命……?」
思いも寄らぬ答えに、深雪は目を瞬かせる。シロは「うん、そう」、と答えた。
「ユキはいつだって、誰かのために何かしようとしてるでしょ? 自分の為じゃない時だって、すごく一生懸命。だから応援したくなっちゃうんだ」
「そ……そう……?」
深雪の頬が熱を帯びた。シロにそのように見られていたことが意外でもあり、嬉しくもあった。《東京》に来てから何一つ満足に果たせず、すっかり自分に自信を無くしていた。しかし、シロは一生懸命に足掻く深雪の姿を好ましいと思ってくれていたのだ。そう考えると、どこか面映ゆい心地になる。
しかし、それもすぐに吹っ飛んでしまった。シロが、優しく微笑んで付け加えたのだ。
「……そういうところ、すごく六道に似てるよ」
咄嗟に何と答えていいかわからず、深雪は黙り込む。数秒して、戸惑いがちに口を開いた。
「そう……かな」
シロは「そうだよ」と言って、再び微笑む。
その笑顔はあまりにも優しくて、同時に妙に大人びていた。六道の前で見せた、あの顔だ。
シロは時々こういう表情をする。いつもは無邪気で子供っぽいのに、こういう時のシロは、何か覚悟を決め、達観したような空気を纏っているのだ。まるでいつもそばにいる筈の彼女が、どこか手の届かない遠くに行ってしまったかのように感じて、深雪は胸がざわつくのを抑えることが出来なかった。
「シロにとって、六道は特別なんだな」
胸に奇妙なしこりを抱えつつそう言うと、シロは嬉しそうに頷く。
「うん! 六道の為なら、シロ何だってするよ。その為に、シロはここにいるの」
シロは透明な瞳で答える。その瞳は、六道を信じ、彼の言う通りにすることが最善なのだという事に一分の疑問も抱いていない。深雪はまざまざと思い知らされる。シロは六道に対して、おそらく彼女が持ちうる限りの最大限の信頼――それを全て捧げているのだ、と。
そして、深雪には両者の間に入り込むことすら許されない。
(駄目だ、やっぱり嫉妬してしまうな……)
二人の間に何があったのか、詳しくは知らない。だが、シロの口ぶりだと、六道が彼女を救ったことから全てが始まっているのだろう。そうであるなら、シロの絶大なる信頼は六道が自ら勝ち取ったものなのだ。
流星やオリヴィエはもちろん、奈落や神狼といった荒くれ者も、六道には一目置いているようだ。一体、東雲六道とは、どういった人物なのだろうか。
癖の強い事務所のメンバーのことだ。彼らの信頼を勝ち取るのは、並大抵の苦労ではなかっただろう。何が六道をそうまでさせるのだろうか。
「……事務所に戻ろうか」
様々な疑問や反発、羨望が沸き上がってきて、ぐるぐると渦を巻く。それを何とか自制しつつ、深雪はシロに声をかけた。するとシロは、「うん」と、こくりと頷く。
夕日を背にした彼女は、とても美しかった。
黄昏に染まる空は、赤から紫、そして濃紺へと美しいグラデーションを描いている。
その中をシロと共に歩いていると、胸を搔き毟られるような苦しさを覚えるのだった。
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シロと共に、近くのパン屋で買ってきたサンドイッチを夕食とした。
ここ最近は《東京》を揺るがすような大きな事件もなく、事務所は静かな日々が続いていた。
夜も更け、深雪は二階の自室のベッドに寝転がる。
「焦ることはない……か」
オリヴィエには全てお見通しだったのかもしれないな――彼の透明な瞳を思い出すと、そう考えずにはいられない。確かにここ最近、身の回りに起こったことは衝撃的なことばかりで、深雪は何もできない自分に対し、激しい焦りと苛立ちを感じていた。
そして、監獄都市である《東京》を、心のどこかで疎み始めていた。
確かに《東京》はゴーストだらけの異常な街だ。しかし、そこに住むのは、特別なゴーストばかりではない。むしろ、何の力もなく、ささやかな事で笑ったり泣いたり――その様な者が大半を占めるのだ。いくつもの喜怒哀楽のドラマの上に、この都市は成り立っている。それはごく普通の人の社会と何ら変わらないだろう。
そういった意味では、ゴーストだからと言って過剰に反応したり警戒する必要はないのかもしれない。おそらくそれを教えるのがオリヴィエの目論見の一つだったのだろう。
一方で、しかし――とも思う。
《ウロボロス》のメンバーも最初はそうだった。それがいつの間にか歯車が狂い出し、おかしいと気づいた時には手遅れになっていた。自分の居場所とまで思ったチームは、あっという間に殺戮集団と化してしまった。そして、深雪は全てを破滅へと追いやってしまったのだ。
「どうして……何であんな事になったんだ……!」
何度となく繰り返した疑問を再び呟く。しかしやはり、確かな答えは分からないままだった。
それからすぐには眠りにつくことが出来ず、深雪はベッドに寝転がったまま天井を見つめていた。数十分ほど経っただろうか。喉の渇きを覚え、階下に降りることにした。
キッチンは客間と一続きになっている。どちらも人けは無く、暗闇に包まれている。深雪はキッチンへ行くと、蛇口をひねって、コップで水を口に運んだ。
その時だった。
チリチリ、と足元でくすぐられたような音がした。視線を落とすと、いつの間にか小さな黒猫が入り込んでいる。黒猫はイエローとレッドのオッドアイで、円らな瞳を一心に深雪へと注いでいた。
首には、紅い首輪を着けていて、ゴールドの鈴がついている。どうやらその鈴が鳴ったらしい。どこかの飼い猫が迷い込んでしまったのだろうか。
「黒猫……どっから入ったんだ?」
首を捻っていると、黒猫はみゃあ、と一声鳴いて小走りに走り出す。深雪が呆気にとられてそれを見つめていると、こちらを振り返って再びにゃあ、と鳴いた。まるで、こちらに話しかけているようだ。
「もしかして……ついて来い、って言ってるのか………?」
深雪は黒猫のあとをついていってみることにした。何となく、興味を惹かれたのだ。勿論、今は夜更けで、監獄都市である《東京》の街中を出歩くのは男といえど危険極まりない。あまり深追いはしないつもりだったし、見失ったらすぐに戻ってくるつもりだった。
黒猫は事務所の玄関から外に出ると、向かいの通りに姿を消した。深雪も小走りにそれを追いかける。そしてそのまま入り組んだ路地を入っていった。
外は既に濃い闇に包まれていて、小さな黒猫の体など、簡単に飲み込んでしまう。時々見失いそうになるが、その度に黒猫はにゃあと鳴いて後ろを振り返り、深雪を待つのだった。
「飼い猫……か? 随分人に慣れているんだな……」
何度か路地を曲がった後だった。
暗がりに、ふと人がいるのが見えた。
深雪は、はっとして立ち止まる。
一方黒猫は、にゃあんと嬉しそうに泣くと、その人物に走り寄って行った。
「これは、これは……。雨宮深雪さん……ですよね? 奇遇ですねえ、こんなところで出会うなんて。これはそう……まさに運命だ! 神が天地を創造したもうた時に零れ落ちた、奇跡‼ ……そうは思いませんか?」
おどけたような、芝居がかった、けれどやけに良く通る低い声。
暗闇の中から現れたのは、ひょろりとした痩せぎすの男だった。大きな真っ黒いサングラスをかけ、ハンチング帽を目深に被っているため、顔や年齢がよく分からない。声や体格からかろうじて男だと分かるだけだ。
男は黒が好きなのだろう、タートルネックのニットも、上にはおったジャケット、パンツ、革靴に至るまで、色は全て黒だった。やや長めの頭髪は激しくカールし、口の周りから顎にかけて口髭を蓄えている。
肉付きの薄い肩には、先ほどの赤い首輪の黒猫がちょこんと乗っていた。
その時、ようやく深雪は悟った。自分はここまで誘い出されたのだと。
「あんた……誰?」
僅かに後ずさりしながら尋ねると、男はニヤリと頬を緩める。
「おっと……警戒させてしまったようですね。私の名はエニグマ。この《東京》で、情報屋をやらせていただいています」
そう言うと、男はやはりどこか芝居がかった仕草で近づいて来て、深雪にピッと名刺を差し出す。深雪はそれを受け取りつつ疑問を浮かべた。
(情報、屋……?)
その名の通り、情報を売買することを生業としているのだろうと、推測はできる。だが、その情報屋が一体何故、深雪に接触してきたのか。心当たりがないし、身に覚えもない。
「俺に……何の用だ?」
「営業、ですよ。東雲探偵事務所に在籍される事になったんでしょう? 《死刑執行人》には情報がいる。勿論、個人でのご依頼も受け付けておりますよ」
「俺はまだ、あの事務所で《死刑執行人》として働くと決めたわけじゃ………」
言葉を濁すと、黒づくめの情報屋は、「おや? そうなんですか」と大仰に驚いた仕草をして見せた。
「《死刑執行人》とか……。他に手段はないのは分かるけど、自分がなるのは何か違うって言うか……」
深雪が《死刑執行人》として、所長の東雲六道のスカウトを受けたのは事実だ。だが深雪には、未だ《死刑執行人》として生きることに抵抗があった。有り体に言えば、アニムスを使ってゴーストと戦う事が怖いのだ。
この街で戦うという事は、そのまま命のやり取りを意味する。深雪は誰かを殺すのも、殺されるのも、両方嫌だった。
このまま、東雲探偵事務所から――あるいは東雲六道の元から逃げ出すつもりはない。だが、従来通りの《死刑執行人》になるつもりもない。今の深雪はそういう、謂わば半熟卵のような状態だった。
すると、それを聞いていたエニグマの口元が不意に、にい、と歪んだ。そして、サングラスのせいで表情の全く読めない顔を深雪に近づけて、嬉しそうに囁く。
「意外ですねえ。《ウロボロス》の元幹部から、その様な台詞が聞けるだなんて」
深雪は、全身がぞっと総毛立つのを感じる。
――何故、それを。




