第45話 試練
流星の知るこれまでの六道は、どんな時でも微塵もぶれず判断を下してきた。それが正しいかどうかはさておき、全く揺らぐことなく自らの信念を貫いてきた。
その彼が今回、これほどまでに迷いを見せているのは、間違いなく深雪の存在がある。深雪が今やろうとしている「今までにない手段」に六道も振り回されてしまっているのではないか。
たとえば、これまでの六道であれば、何があろうとも《アラハバキ》と協力しようなどとは考えなかったはずだ。
手を結ぶ価値があるかどうか分からない、もし仮に手を握ったとしてもいつ裏切られるか分からない。六道であれば、そんな不確定要素に《監獄都市》の命運を賭けるなどという真似は絶対にしない。
より確実により強固に《監獄都市》の秩序を維持するための選択をする。それが《中立地帯の死神》に求められる役割だからだ。
その点において六道の行動はいつ何時も極めて明快であり、故に彼の判断も全く揺るぎがなく常に一貫していた。そして実際、その強靭で堅固な意志がこの街を守って来た。
その点からすると、今回の六道の「迷い」は大きな不安材料だと言える。
しかしこれは避けられないことでもあるのだろう、と流星は思う。
六道はいずれ所長のポジションを深雪へ継がせるつもりでいる。彼は自分がいなくなった時のことを考え、敢えて深雪のやり方を試し、受け入れようとしているのではないか。
だが、変化とはすぐに成功するものではなく、特に最初は壁にぶち当たりやすい。そこから幾度も気の遠くなるようなトライ&エラーを繰り返すことで、ようやく軌道に乗る。
(……試練だな)
流星は強く思う。深雪と逢坂の接触がうまくいくかどうかは分からない。だが、結果がどちらに転んだとしても、この街は大きな変化を余儀なくされる。
深雪の計画が失敗したなら、当然のことながら上松組の内部抗争は激化の一途を辿り、《監獄都市》の不安定化を止めることは一段と難しくなるだろう。
だがもし仮に成功を収めたとしてもリスクはある。《死刑執行人》と《アラハバキ》構成員が手を組む、それは即ち、これまで単純に敵対さえしていれば良かった両者の関係性に大きな揺らぎが生じるという事になるからだ。
その先に何が待ち受けているのか。流星でさえ想像がつかない。
だから、これは大きな試練だ。
深雪にとっても、六道にとっても、そして流星やこの東雲探偵事務所、ひいては《監獄都市》全体にとっても。
乗り越えなければならない、大きな大きな試練なのだ。
✜✜✜
その頃、深雪は自室にいた。
階段を二段飛ばしで駆け上がって来たので、小さく息が上がっている。
逸る気持ちを抑え呼吸を整えると、さっそく腕輪型端末を操作した。逢坂に連絡を入れるためだ。
呼び出し音が数度、鳴ったあと、逢坂は通信に応じた。急な連絡だったせいか声がひどく訝しげだ。
「……雨宮か。どうした、約束の日までまだ三日あるだろう? それとも、お嬢に何かあったか!?」
「いえ、そうではありません」
「じゃあ、何だよ?」
「《グラン・シャリオ》というチームをご存知ですか?」
「ああ、知ってるぜ。《中立地帯》のチームの中でもかなり威勢の良い奴らだって話じゃねえか」
「実は……」
深雪は《グラン・シャリオ》の置かれた状況を逢坂に説明する。上松組の兄派と弟派、両方から加入を迫られていること、どちらの派閥に与するかでチームが割れていること。
「……ほーん? まあ、上松組の奴らは戦力になりそうなストリートの連中に片端から声をかけてるって話だからな。《グラン・シャリオ》ほど知名度の高いチームなら、真っ先に目を付けられるだろうよ。……それで? それがどうしたっていうんだ?」
「こちらでは《グラン・シャリオ》を上松組に入れるべきではないと考えています。兄派と弟派の対立はヒートアップするばかりで、当人たちも相手に負けまいと躍起になり、完全に冷静さを失っています。
おまけに兄派と弟派、双方とも急激に人員を増やしすぎた結果、組織としても統制が全く取れておらず、ばらばらの烏合の衆と化しているとか。そんな中で新たなチームを加入させたりなどしたら、組もろとも瓦解してしまいます。既に破裂しそうな風船に、さらに空気を送り込むようなものです。
それに《グラン・シャリオ》ほど知名度のあるチームが上松組に入ったら、他の様子見しているチームも『《グラン・シャリオ》が入るなら』と雪崩を打ったように上松組に流れるかもしれない。そんなことになったら、余計に混迷が深まるばかりです。あなた達、下桜井組も無関係ではいられないでしょう。
既に上松組と下桜井組それぞれの下部組織が衝突を始めています。統制もとれていないのに勢いだけはある上松組がさらに暴走し、下桜井組を脅かす……そんな未来も十分あり得ることです」
上松組が分裂し、内部抗争を起こしていることで迷惑を被るのは《中立地帯》だけではない。同じ《アラハバキ》である下桜井組も被害を免れないはずだ。
決してこのまま見過ごしてはおけないに違いない。深雪がそう指摘すると、逢坂は苦々しげに答える。
「……。ああ、言われなくても分かってる」
「上松組の内部抗争による影響をできる限り抑え、《監獄都市》の秩序を守っていくためにも、《グラン・シャリオ》が上松組に取り込まれないで済む方法を探したいんです」
「なるほどな。しかし何故その話を俺のところへ持ってきた? そっちで面倒を見てやりゃあいいじゃねえか」
「俺たち《死刑執行人》が前面に出ると、ただでさえ興奮している上松組をさらに刺激してしまいます。それに《死刑執行人》があまり特定のチームや勢力に肩入れしすぎると、《リスト執行》の際に公平さが欠けるのではないかと疑心を抱かれ、信用を失う危険性もある」
「まあそうだな。普通は依怙贔屓してんじゃねえかって疑うわな。……それで? こっちに何をしろって?」
ここからが勝負だ。深雪は慎重に本題に入る。
「確か、下桜井組は今、カジノやホテルといった大型観光開発事業に着手しているんですよね? そのため、《監獄都市》中の物資や資材をかき集めているとか」
「おう、よく知ってるな。それが何だ?」
「ひょっとして人手不足で困っているんじゃないですか? 中でも特に、若い労働力を必要としているはずです」
「……!」
逢坂も深雪の言わんとしている事を察したらしい。
「……つまり、その《グラン・シャリオ》って奴らをうちで雇えってことか?」
「はい。ただ、先ほどもお伝えした通り、《グラン・シャリオ》は影響力の大きなチームです。大々的に彼らが下桜井組に加入したという印象を周囲に与えるのも困るんです。また、《グラン・シャリオ》のメンバー達も《アラハバキ》に与することを望んでいません」
「ハッ……何だそりゃ。うちの組には入りたくねえってのに、世話だけはしてくれってことか? そいつはあまりにも虫が良すぎるってもんじゃねえか、《死神》さんよ?」
「ご迷惑なのは承知しています。ただ、寧々さんにしろ朝比奈にしろ、逢坂さんは義理や人情に厚く信頼が置け、尚且つ対応力も高いと非常に評価していたので、ひょっとしたら……と」
「ケッ、調子のいい事を言いやがって。適当ふかして利用だけしようったってそうはいかねーぞ!」
「それに……この件には京極が関与しています」
「……!!」
逢坂が息を呑むのがはっきりと伝わって来た。深雪の想像通り――いやそれ以上に、京極の存在は逢坂にとっての脅威となりつつあるらしい。
だがそれは、深雪にとってはまたとない好都合だった。共通の敵の存在があれば、よりスムーズに結束することができる。
「上松兄弟の闘争を裏で煽っているのは京極だという事に、逢坂さんも既にお気づきでしょう? 奴の動きを牽制する意味でも、《グラン・シャリオ》の問題は俺と逢坂さんで解決したいんです。協力してもらえませんか?」
「……。大槻たちから話は聞いている。対京極協力戦線ってやつか」
逢坂は黙り込んだ。その間、背後で誰かと相談している気配が伝わってくる。おそらく、逢坂の右腕である須賀黒鉄と話し合っているのだろう。深雪の提案にのるべきか否か、と。
彼らがどう判断するか、それ次第で全てが決まる。深雪は緊張と共に逢坂の返事を待つ。
議論が紛糾したのか、長いこと応答はなかった。暫くしてから、ようやく逢坂は口を開いた。
「……まあいいだろう」
「本当ですか!?」
「ああ。うちが今、若い労働力を必要としているのは事実だ。《中立地帯》の大規模チームなら体格的には恵まれた奴が多いだろうし、統率もとれているだろう。こっちが探している条件にもピッタリの人材だ。ただ、ウチは《グラン・シャリオ》って奴らと直接の面識はない。数百人もの武闘派ゴーストを突然抱えて、上松組のように内部崩壊する危険は避けたい。要するにこちらとしても、様子見する期間が欲しいってこった」
「それは……よく分かります」
「そこで、だ。まずは《グラン・シャリオ》を事業所として独立開業させる。そして、うちの手掛ける大型観光事業の下請けをさせるってのはどうだ?
あくまで観光事業の下請けに限定し、いくつもの参加企業を経由した末端に置く。直接、下桜井組の影響を受けるわけじゃないが、無関係でもないという絶妙なポジションにな。そうすりゃ、《グラン・シャリオ》が大手を振って下桜井組に入ってもらっちゃ困るというそっちの要望も満たせるだろう?
また、観光事業に関わっている間は、俺も陰日向になり面倒を見る。こっちの影がちらつけば、上松組の奴らは必然的に《グラン・シャリオ》に対して手を出しにくくなるってわけだ。
……ただしそれ以降はこっちの好きにさせてもらう。もし仮に《グラン・シャリオ》の奴らが下桜井組に加わって組の戦力になることを選んだとしても、手出しはしないでもらおう。その条件でどうだ?」
確かにそれなら、当面の危機は凌げるだろう。むしろ《グラン・シャリオ》が事業所として独立開業するのを手厚く支援してもらえることを考えると、破格の条件であると言えた。
もっとも、未来のことを考えると不安が残るのも事実だ。
(焦点は、もし開業したとして、《グラン・シャリオ》が下桜井組に与することなく独立を貫く事ができるかどうかだな……未来がどうなるかは分からないし、《グラン・シャリオ》にとっては問題を先送りにしたに過ぎないのかもしれない。でも、猶予期間を得ることは決して無駄じゃないと思う。それに、逢坂さんたちの側にも何らかのメリットが無ければ、交渉は成立しない……!)
《アラハバキ》がストリートのチームをこれほど手厚く遇するなど、《監獄都市》の常識ではあり得ないことだった。にもかかわらず、逢坂たちがそのような好条件を提示した理由はただ一つ。この話を持ち込んだのが次期・《中立地帯の死神》である深雪だからだ。
つまり逢坂たちは、これから東雲探偵事務所と長い付き合いをしていきたいと思っているのだろう。《グラン・シャリオ》に対する厚遇はその挨拶代わりの品というわけだ。
深雪は逡巡したものの、すぐに口を開く。
「……分かりました。ただ、この件に関しては《グラン・シャリオ》の意思を尊重したいんです。一度、彼らと相談させてください」
「ふん……徹底してんな。いいぜ、好きなだけ話し合おうといい。期限は三日後……お嬢の迎えの日までだ。……他に何かあるか?」
「いえ……十分です。それより、一つ聞いても良いですか?」
「何だよ?」
「話を持ちかけておいてなんですが、どうして俺の相談を受けてくれたんですか? 《アラハバキ》の構成員にとって《死刑執行人》は天敵で、手を組むような相手ではないはずです」
すると逢坂は呆れ返ったような、素っ頓狂な声で言った。
「はあ!? いまさらそんな話かよ」
「すみません、何だか気になって」
「ったく……つくづく調子の狂う奴だな。……まあ、一つは鶴治さんへの恩義に報いるためだ」
「……え?」
「前にも言ったが、俺は若い頃、鶴治さんに大変世話になった。鶴治さんがいてくれたからこそ、今の俺があると言っても過言じゃねえ。……それだけ瓜二つなんだ、お前さんは鶴治さんの身内だろう? 恩人の身内となりゃ、多少の融通を利かせるのは当然ってもんだ」
「……。逢坂さんにそれほど恩を感じさせるくらいだから、鶴治さんはよほど立派な人だったんですね」
「ああ。あの人は今でも、俺の目標でありヒーローさ」
逢坂の声は故人を慕い、ありし日々を偲ぶ想いで溢れていた。彼が轟鶴治に対し、強い憧れと感謝の念を抱いているのは事実であるらしい。
確かに深雪はある意味で轟鶴治の身内だ。轟鶴治の本名は雨宮御幸といい、《雨宮=シリーズ》の一人であったことが明らかとなっている。
深雪にとって、轟鶴治は雨宮と同じで、血の繋がった兄弟だと言っていい。深雪は轟鶴治がどういう人物であったか殆ど知らないが、彼のおかげで逢坂が協力してくれたのだとしたら、知らず知らずのうちに深雪もまた轟鶴治から恩恵を受けていたことになる。
(轟鶴治には感謝しなければならないな……)
深雪が心からそう実感する一方で、逢坂は再び口を開く。
「あともう一つは、何と言っても寧々お嬢の件だ。お前にゃ、お嬢が世話になった借りがある。俺は貸しを作っておくのが嫌いな性分でな。……それだけだ」
「そう……ですか」
「むしろ、何だと思ってたんだよ? そっちもお嬢の件でこっちに貸しがあるのを承知だったんだろう。だから俺たちの足元を見て話を持ちかけたんじゃねえのか?」
「いえ、俺は純粋に困っていたので……逢坂さんなら他の《アラハバキ》構成員と違って相談を受けてくれるんじゃないかと思ったんです。それに、逢坂さんが話を受けてくれたのは大槻さんたちの協力があったからだと思っていました」
寧々や朝比奈から逢坂の性格は聞いていた。義理人情や仁義を重んじ、貸し借りにこだわると。
だが、深雪が重視したのは貸し借りよりも信頼できるか否かだった。轟鶴治のことはともかく、寧々の家出に関して逢坂に貸しがあるなどとは考えつきもしなかった。
正直に答えると、逢坂はプッと噴き出す。
「はははは! そりゃ、《死神》の後継者になるにはまだまだ修行不足だな! だが……面白え。確かにお前さんはこれまでの《監獄都市》にはいなかったタイプだ。良い返事を期待していると《グラン・シャリオ》の面々に伝えてくれ。……それじゃあな」
そして通信は切れる。
深雪は大きく息を吐き出した。気づけば緊張のあまりか、手の平がじっとりと汗で濡れている。
深雪の交渉次第で《グラン・シャリオ》の命運が決まってしまう。その事に対して自分で自覚する以上に、大きな重圧を感じていたらしい。
(ふう……思っていたよりうまく事が運びそうだ)
おそらくこれまでの《監獄都市》の常識であれば、たとえ限定的とはいえ《アラハバキ》と《死刑執行人》が手を組むなど考えられなかっただろう。今回、その常識を打ち破ることができたのは、いくつかの要因がある。
一つは寧々の家出という難題を通して、あらかじめ深雪と逢坂の部下・《彼岸桜》の面々との間に、信頼関係が醸成されていたこと。
もう一つは深雪と逢坂の年齢が比較的若く、過去に囚われない柔軟な対応が可能だったこと。
だが最大の理由は、何と言っても京極という共通の敵がいることだ。
京極は平然と他者を操り、利用したいだけ利用し尽くすと最後にはゴミのように捨ててしまう。そしてその事に対し、良心の呵責を覚えることも全くない。だがそんな己の冷酷さや傲岸不遜さが《死刑執行人》と《アラハバキ》を繋げ、共闘関係にさせることになるとは夢にも思わなかっただろう。
(正直なところ、《アラハバキ》を信用していいのかまだ確信はない。
逢坂さんや彼の部下である須賀さん、そして大槻さんと細谷さん、高瀬さん、椎名さん、杉原さんの五人は信頼できそうだと俺は思う。逢坂さんは寧々たちから聞いていた通り、物事の筋を通す義理人情に厚い人みたいだし、部下たちはみな、そんな逢坂さんを心から慕っている。傍から見ていても理想的な上司と部下だ。
火矛威は『下桜井組は結束が固い』と言っていたけど、その良い面がすごく出てる。
それに何と言っても、逢坂さんは暴力にものを言わせた強引なやり方はしない。上松組とは大違いだ。その点だけでも評価できる。
これを機に逢坂さんとはしっかり協力関係を結び、それを今後も継続していきたい。そして、できれば将来的には、逢坂さんたちと連携して京極の動きに対抗し、封じ込めることができたら理想的なんだけど……)
《死刑執行人》と《アラハバキ》の未来はともかく、今は《グラン・シャリオ》に降りかかった災難を払わなければ。
深雪は逢坂の提案について再び六道と流星と相談し、事業所開業が現実的に可能であるかどうか、或いは下桜井組の下部組織の運営実態などについて独自に調査することにした。
ただ、東雲探偵事務所がどれだけ準備を整えようとも、《グラン・シャリオ》にその気がなければ意味がない。何より大事なのは彼らの意思だ。
そこで逢坂と話をした翌日、深雪はさっそく聖夜に連絡を取った。
そして《グラン・シャリオ》の幹部――頭の綾瀬豊と副頭 の九鬼聖夜、№3の今井涼太郎の三人と《ムーンバーガー》で再び面会することにする。




