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東亰PRISON  作者: 天野地人
《新八洲特区》胎動編
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第44話 逢坂忍という男②

「俺は上松組だったから……と言っても、下っ端中の下っ端だったから下桜井組のことはそこまで詳しいわけじゃない。


 でも、逢坂忍という名は聞いたことがあるよ。上松組は競争が熾烈なこともあって、目的を達成するのになりふり構わない構成員も多い。必然的に他の組とのいざこざも頻繁にあった。


 特に余裕のない下部構成員ほど喧嘩っ早く、力にものを言わせる傾向がある。そのため、上松組と下桜井組の下部構成員が衝突する例は珍しくなかった」


「同じ御三家なのに? 特に組長である上松(うえまつ)将悟(しょうご)下桜井(しもさくらい)(ぜん)は、戦友と言っていい間柄だったんだろ?」


「上層部はそうでも、下にはあまり関係が無いよ。下っ端は若いのがほとんどだし。昔のことは知らない、そもそも興味もないって奴が多数派だ。上松組も下桜井組も共に構成員が多いし、上松組に至っては上松将悟の息子兄弟による跡目争いのせいで統率がしっかり取れていない。だからなおさらだ」


「そうだったのか……」 


 《アラハバキ》はもともと、上層部と下部構成員の間に大きな経済的格差が横たわっている組織だ。上層部は貴族みたいな豊かな生活をしているが、下になればなるほど生活は苦しく、金策に奔走させられる。


 厳しいノルマを達成するためには、義理だ人情だなどと悠長なことは言っていられない。そのため、経済力の格差がそのまま、組織に対する忠誠や愛着の差にも繋がっているのだろう。


 結果として、下っ端構成員ほど問題を起こしやすくなる。


 火矛威(かむい)は続けた。


「上松組と下桜井組の下部構成員が問題を起こし、本人たちではどうにもならなくなった場合は、大抵それぞれの親分や兄貴分が仲裁に入る。逢坂忍は下桜井組側の調整役として有名だった。まだ若い事もあり一見すると温厚で与しやすそうだが、存外、粘り強く、おまけに締める時はしっかり締める。上松組の上の方は逢坂忍のことを煙たがって厄介者扱いしつつも、一方では一目置いているみたいだった。どんな懸案も『逢坂に話を通せば何とかなるだろう』みたいなかんじで」


「そう……あの上松組すらも信頼している人なんだな」


「ああ。逢坂忍は下桜井組の若手構成員の面倒もよく見ていて、彼らからも頼りにされていると聞いたよ。俺は直接、合って話したことはないけど……ああいう人がいるからこそ、さまざまな組がばらばらになることなく《アラハバキ》という一つの組織としてまとまっていけるのかもな」


 火矛威の逢坂に対する印象も悪くないようだった。


 部下に信頼され、組長からも頼りにされ、ライバルともいえる上松組の構成員すらもその実力を認めている。おまけに、轟組である寧々や朝比奈までもが逢坂のことを高く評価しているのだ。


 彼が《アラハバキ》の構成員であることを考えると、異例の評判である。


 深雪自身も逢坂にはそれほど否定的な印象を抱かなかった。逢坂が自らの身を削り、リスクを承知で寧々の願いを聞き入れたのを目にしたからだ。


 保身や打算だけでそんなことはできない。逢坂は人として信じるに値する、誠実さを持っている。


(《グラン・シャリオ》のことを逢坂さんに相談して解決するかどうかは分からない。でもこのままじゃ手詰まりだし、時間にも余裕は無い。聖夜たちとの約束の日まであと三日しか残されていない中、試してみる価値はあると思う。失敗しても、何かこの停滞した状況を突破する手掛かりが得られるかもしれない……!!)


 深雪は火矛威に情報提供の礼を言って別れると、まず事務所に戻って六道に相談してみることにした。


 逢坂忍と協力するか否か。これだけの大問題をさすがに独断では決められない。


 東雲探偵事務所の所長であり上司でもある六道の判断を仰がねば。


 所長室には深雪の他に流星も同席した。


「下桜井組の逢坂忍……か。名前は知っている。下桜井組の最年少幹部だったな」


 六道が呟くと、流星がすぐに補足を入れる。


「そうですね。年齢は35歳、現在の序列は153位。下桜井組若中であると同時に、二代目(にだいめ)桜龍会(おうりゅうかい)の会長でもあります。もっとも特筆すべきはその交渉力と対応力で、情報収集能力も高い。どこで何が起きたかおよそのことは把握しているため、話が通しやすいというのはありますね。


 うちも《アラハバキ》――特に下桜井組絡みで何か問題が発生した時には、まず逢坂の事務所へ行きます。とはいえ、決して侮れない相手ではありますが」


 流星は端末のデータを確認することなく、流れるようにそう説明した。《監獄都市》の主要メンバーの個人情報は頭に叩き込んでいるのだろう。


(そういえば、《紅龍芸術劇院》の歌姫だったKiRIの殺害事件の時も、流星と一緒に逢坂さんの事務所へ話を聞きに行ったっけ。そして、そこで名刺を渡されたんだ)


 つまり逢坂忍は、部下や兄貴分、下桜井組組長、或いは上松組上層部といった《アラハバキ》の構成員だけでなく、《死刑執行人(リーパー)》からもその存在を認められ、頼りにされているということだ。


 思えば、歌姫殺害事件の容疑者は下桜井組の構成員だった。だから流星はあの時、二代目桜龍会の事務所へ向かったのだろう。


「その逢坂忍がどうした?」


 六道に問われ、深雪はさっそく意気込んで答える。


「はい。例の上松組加入することを強要されている《グラン・シャリオ》というチームのことについて、逢坂さんに相談してみようと思うんです」


「つまり、《グラン・シャリオ》と下桜井組を何らかの形で紐づけることで、上松組の脅威から守ろうってことか」


 さすが流星は話が早い。深雪も更に身を乗り出した。


「上松組は跡目争いの激化によって著しく闘争心を煽られ、前後の見境がなくなりつつあります。《監獄都市》全体を巻き込んだ大きな衝突を起こすのはもはや時間の問題です。そんな組にストリート最大規模とも言えるチームを加入させるわけにはいきません。火に油を注ぐようなものです。


 それに《グラン・シャリオ》が上松組に入ってしまったら、《中立地帯》の他のチームも雪崩を打ったように上松組への加入を希望するでしょう。それを阻止するためにもう《グラン・シャリオ》の上松組入りは絶対に止めさせたいんです」


 上松組は何としてでも《グラン・シャリオ》を手に入れたがっているようだが、深雪には当の上松組がそれに耐えられるようには思えなかった。既に人員過剰でパンク寸前なのだ。どう考えても彼らに《グラン・シャリオ》のような大規模チームを吸収するような余裕はない。


「……しかし、上松組の勧誘を断ったら断ったで、キツい報復が待っているってわけか。連中の報復は分かりやすい暴力によるものとは限らない。チームメンバーが働いている事業所に圧力をかけたり、わざと物流を滞らせたり、《グラン・シャリオ》の敵対チームを焚きつけたり……あの手この手で嫌がらせや報復をしてくる。いろいろと街が不安定になっているこんな時にそんなことをされちゃ、心身ともにたまったもんじゃないだろう。それを避けるために下桜井組の奴らの手を借りるってワケか」


 まさに流星の言う通りだ。


 深雪たち《死刑執行人(リーパー)》が四六時中張り付いて《グラン・シャリオ》を守るわけにはいかない。現実的に不可能だし、そもそも《グラン・シャリオ》もそんな方法は望んでいない。


 ならば、別の盾が必要だ。上松組の魔手から《グラン・シャリオ》を守る強力な盾が。


 下桜井組はそれにうってつけなのだ。


 だが、六道は難しい表情で考え込んでいる。さすがに快く容認してもらえるなどとは思っていなかったが、想像していた以上に反応が厳しい。


 もっとも、六道が判断を躊躇うその気持ちは深雪もよく理解できた。二代目桜龍会会長直属護衛隊・《彼岸桜》のリーダー、大槻凱が言っていた通り、今まで《死刑執行人(リーパー)》は《アラハバキ》の天敵で、警戒し合い忌避し合っているのが当たり前だったからだ。


 《死刑執行人(リーパー)》にとってもまた《アラハバキ》は強大な敵であり、両者は対立するものというのがこれまでの《監獄都市》での常識だった。双方が信頼関係を築いた例はこれまでに皆無だという。


 しかし深雪はこの方法に賭けてみたかった。成功すれば、上松組の内部抗争を外から封じ込めることができるかもしれない。また、街そのものが大きく変わるチャンスにもなるだろう。


「お願いします、所長! 《グラン・シャリオ》は規模をとっても知名度をとっても必ず守らなければならない重要なチームです。彼らを守ることが上松組の跡目争いの激化を抑止することに繋がります。逆にここで《グラン・シャリオ》を守れなかったら、上松組の混乱は一気に拡大し、加速していくことになるでしょう。《グラン・シャリオ》を守れるか否かがこの街の未来を決める分水嶺(ぶんんすいれい)だと思うんです! 


 ……下桜井組と手を組むことに関しては全く前例がなく、成否の判断が難しいことは理解しています。でも今回の件は以毒制毒(毒を以って毒を制す)くらいの思い切った方法を取らないと、《グラン・シャリオ》を守り切れないのではないかと思うんです!!」


「……」


「それに……《中立地帯》は今、深刻な物資不足に陥っています! その物資不足は下桜井組の大型観光開発が原因であるとか……! もしここで逢坂さんと繋がりを作っておけば、将来的に物流の偏りを改善させることができるかもしれません! もしこちらから観光開発に対して干渉することができなかった際のことを考えても、今のうちに《中立地帯》の物資不足を解決するためのルートを築いておいて何ら損はないはずです!!」


 深雪は敢えて、京極がこの件の裏で糸を引いていることを口には出さなかった。流星が同席しているため、意図的に控えたのだ。


 だが、六道もその事は既に知っている。事前に提出した報告書にそれとなく《エスペランサ》のことを書いておいたからだ。


 また、六道も独自にカジノ店・《エスペランサ》のことを調べていたと、マリアが言っていた。そうであるなら、この件を放置するという選択はしないはずだ。


 深雪は六道を信じ、彼の言葉を待つ。暫くしてから六道はようやく重い口を開いた。


「……分かった。お前の思う通りにやってみろ」


「あ……ありがとうございます!! これからすぐに、逢坂さんに連絡をしてみます!」


 深雪は深々と一礼した。《グラン・シャリオ》を救う光が見えてきたのを実感し、俄かにやる気が漲ってきた。


 だが、気分が高揚しているのはそれだけが原因ではない。


 六道は深雪を信じてくれた。リスクを承知の上でお前の思う通りにやってみろと、任せてくれた。それが何より嬉しい。


 喜びを噛みしめ、執務室を飛び出す。 


(せっかく無理を押して許可してもらったんだ、絶対に良い方向へ持ってきたい! 《グラン・シャリオ》のためにも、《監獄都市》全体のためにも……!! そして絶対に、京極の目論見を阻止するんだ!!)



✜✜✜ 



 一方、執務室に残った六道は浮かない表情をしていた。


 深雪が部屋を飛び出して行ったあとも、執務机の上に肘をつき、口元に手を当てて考え込んでいる。


 あまり感情が表に出ない上司だが、流星も六道の下についてそれなりに経つので、彼が悩んでいるのは分かった。おそらく、先ほど深雪が主張していた『《アラハバキ》との協力体制』の是非について、確信が持てないでいるのだろう。


(珍しいな。所長がここまで迷いを見せるなんて。……いや、それも当然か。《アラハバキ》と《死刑執行人(リーパー)》が手を組むなんて、《収管庁》は絶対にいい顔はしないだろうからな) 


 《収管庁》の長官、九曜計都と《中立地帯の死神》である東雲六道は一蓮托生であり、コインの表と裏のように切っても切れない関係だ。


 《中立地帯の死神》という切り札があるからこそ、九曜は腐敗した《収管庁》の組織改革に大鉈(おおなた)を振るい《レッド=ドラゴン》や《アラハバキ》との癒着関係を断ち切る事ができたし、さらには彼らと《休戦協定》を結ぶこともできた。


 一方、六道も《収管庁》という後ろ盾を得ることで《中立地帯の死神》という本来非公認であるはずの『役職』に一定の権威と正当性を持たせることができた。


 どちらが欠けてもうまくは回らない。まさに車の両輪と言っていい。


 故に、どちらかが外れたら車はたちまち走らなくなる。互いに互いをどう思っているかなど関係がない、それが厳然たる事実だ。


 問題はその構造が次期・《死神》である深雪の代でも受け継がれるであろうことだ。


 だから今ここで《収管庁》長官である九曜の機嫌を損なうようなことはすべきでない。九曜は手強い性格をしているからなおさらだ。


 本来であれば六道は、深雪の言う《アラハバキ》と手を結ぶべきという提案を「あり得ない」と退けるべきだったのだ。


(だが、所長は今回、深雪の選択や行動を否定しなかった。むしろ『お前の思う通りにやってみろ』と背中を押した。……そう判断した理由も分からなくはない。


 これまで《アラハバキ》は総組長である(とそろき)虎郎治(ころうじ)の強力なリーダーシップを御三家が支えることによって強固な組織体制を築いてきた。


 しかし今、その御三家一角・上松組が崩壊の危機に瀕している。要は《アラハバキ》を支えてきた三本柱のうちの一本にガタがき始めたという状況だ。


 原因である上松組の跡目争いがすぐに片付けばいいが、今のところ残念ながらその気配はない。もし上松組の骨肉の争いがこのまま拡大し、他の御三家……下桜井組や藤中組まで巻き込むようなことがあれば、《アラハバキ》は下手をすると分裂しちまう可能性すらある。


 そうなればほぼ自動的に、《休戦協定》も廃棄へと追い込まれるだろう。そもそも《休戦協定》を成立へと漕ぎつけることができたのは、総組長である轟虎郎治のリーダーシップの元、《アラハバキ》が一つにまとまっていたからこそだからな。


 《東京中華街》とも接触が取れない今、そんなことにでもなればこの街は殺戮や略奪、弱肉強食が支配する真の無法状態に逆戻りだ。所長がそうなる前に手を打つべきだと考えるのも当然のことだ)

 

 《アラハバキ》は《監獄都市》最大の犯罪シンジケートだ。その規模の巨大さや影響力の強さを考えると、いかに闇組織といえどもその存在を無視することはできない。


 《休戦協定》の存在がその何よりの証拠だ。


 《中立地帯の死神》である東雲六道が《収管庁》長官の九曜計都を巻き込み、《レッド=ドラゴン》の六華主人である紅神獄や《アラハバキ》総組長である轟虎郎治に働きかけて《休戦協定》を結んだからこそ、《監獄都市》の地獄のような混乱が収まったのだ。


 そして《収管庁》は(ホン)神獄(シェンユエ)と轟虎郎治に対し《特別看守(アルコーン)》という特権まで与えた。そうまでしなければ、この《監獄都市》を統治することはできなかったからだ。


 この街に於いて、《アラハバキ》の存在は決して無視できない。むしろ重要なのは、その勢力をいかに封じ込めるか、或いはどのように利用するかだ。


(……深雪は人と人の繋がりを作るのが上手い。おそらく逢坂とも一定の信頼関係を築くだろう。《収管庁》は嫌がるだろうが、それでも今は《アラハバキ》の内部にコネクションを作っておいた方がいいのかもしれない)


 それは六道や流星には出来ないことだった。


 六道にしろ流星にしろ、この街の『常識』が身に沁みついてしまっている。また、それぞれに期待されている『役割』もある。


 《アラハバキ》や《レッド=ドラゴン》の力をいかに削ぎ牽制するか。これまでの《死刑執行人(リーパー)》や《中立地帯の死神》には、その抑止力としての役割が強く求められてきた。


 そして流星や六道もまた、その役割を当然のこととして負ってきた。


 しかし深雪はそのどちらも、まだがっちりと固まっていない。『常識』に欠けていて、背負うべき『役割』の意識もまだ足りていない。


 マリアはその点を指し、「ふんわりしている」と言って怒るが、それは柔軟で何ものかに染まりきっていないという事でもあり、だからこそできることもあると流星は思っている。


 先の見通せない現在の情勢下で、前例に縛られない深雪の行動が未来を照らす一条の光になってくれるのではないか、と。


 ところが、それまで考え込んでいた六道がふと口を開く。


「……赤神。お前、《リスト執行》は行けそうか?」


 流星に緊張が走った。


「はい、問題はありません。石蕗先生からもアニムスの使用許可は得ています」


「そうか……」


(所長は《リスト執行》になるほどの事態も考慮しているという事か……!)


 何が起きているのか流星には分からない。だが、こういった時の六道の判断は常に正確で、過去に発生した数々の問題も見事に予測し、的確に対処してきた。


 とすれば、これから《リスト執行》になるほどの何かが起きる。


 ――原因は深雪の行動か。そう察し、流星は六道へ提案した。


「……俺の方から深雪に話をしましょうか? 今ならまだ逢坂との接触をやめさせることができるかと思いますが」


「いや……いろいろと先行きが不透明な中、確かに今までにない手段を模索する必要性はある。雨宮のやろうとしていることが間違いだと決めつけるのはまだ早い。だが……万一の時のためにみなにも準備させておいてくれ」


「……。分かりました」


 六道の言葉は流星に向けたものというより、どちらかというと自分で自分に言い聞かせているかのようだった。


(やはり、所長は悩んでいる……)


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