第38話 秘密の会合
「ああ、さっそく頼むよ」
「ふふ……では、行ってまいります」
返答があるや否や、深雪の足元から黒い影が離れ、するすると音もなく地面を移動していく。
そして、あちこちに点在する建物などの物陰を縫うように進んでいき、焼き肉店へと近づいていった。
指摘されないと気づかないほど、静かで目立たない動きだ。現に、店の戸口に立った《コキュートス》のメンバーは店の中へエニグマが入っていったことに全く気づかなかった。
深雪は息を潜め、引き続きその場で待機を続ける。
しばらくすると、エニグマが戻って来た。行きと同じく、怖ろしく静かな動きで。
「エニグマ、どうだった?」
深雪は小声で尋ねる。
「店内にいるのは《コキュートス》と上松組の兄派の構成員だけでした。どうやら貸し切りのようですね。会話の内容は他愛の無いものばかりでしたが、上松組の構成員は《コキュートス》の面々に対してかなり親身に接しているようでした。これは《アラハバキ》の《ストリート=ダスト》に対する扱いとしては破格ですね」
「そうか……《コキュートス》は中規模チームではあるけど、《グラン・シャリオ》と違って特に戦績が良いわけじゃない。むしろ、できるだけ抗争を避けることで生き残って来たタイプのチームだ。
上松組兄派の狙いは《コキュートス》の戦力そのものというより、むしろそうやって彼らに兄派に対する良い印象を植え付け、評判をストリートに広めることじゃないかな。そうすれば、ひとりでに兵(手下)が増えるから」
こんな、ストリートのゴーストでは足を踏み入れる事さえ叶わない高級焼き肉店を会合場所に選んだのも、それが狙いなのではないか。
《コキュートス》を介し、兄派は羽振りが良いとストリート中に広めるためだ。
もっとも、どれだけ温かい接待を受けたとしても、それは上松組の本音ではない。エニグマも言っていた通り、基本的に《アラハバキ》はストリートのゴーストなど搾取する対象か家畜くらいにしか思っていないからだ。
ストリートから《アラハバキ》に入るゴーストが厚遇されることは基本的に無いと言っていい。生き残りたければ、過酷な生存競争の壁を自らの力で這い上がらなければならない。
(《コキュートス》はその事に気づいているんだろうか? 新たなチームが上松組に取り込まれないようにすることも重要だけど、同じくらい上松組の配下に下ったチームを離脱させることも大事だな……)
深雪は焼き肉店を見つめ、呟いた。
「《コキュートス》の頭、各務と話をしないと」
「しかし、ああも身辺をがっちり固められたら近づくのは難しいですね」
「俺に考えがある」
できるなら、頭と一対一で話がしたい。深雪は焼き肉店の向かいで辛抱強くチャンスが来るのを待ち続ける。
やがて《コキュートス》と上松組兄派の構成員が店の中から出てきた。
《コキュートス》のメンバーは揃って深々と頭を下げ、上松組構成員を見送った後、もと来た道を戻って行く。
「……追いかけよう」
深雪はフードを被ったまま、《コキュートス》の面々の後をつける。
焼き肉店から充分に離れ、閑散としたエリアに差しかかった時、深雪は事前に立てていた計画を実行に移した。
まず、《コキュートス》の進行方向を確認しながら、裏路地などを利用して《ランドマイン》を付着させたビー玉を四方八方に仕込んでいく。
人通りの少ない道端や側溝の中など、爆発が起きてもできるだけ巻き込むものが少ない場所を選んだ。ビー玉を仕込んだ地点を全て繋ぐと、ちょうど円の形となる。まるで水中に投げられた投網のように。
何も知らない《コキュートス》の面々は、その『投網』の中心に向かって着々と進んでいく。
彼らが罠にかかったその瞬間、深雪は《ランドマイン》つきのビー玉を爆発させた。
パアンという大きな破裂音が轟く。《コキュートス》のメンバーは血相を変えて立ち止まった。
「な……何だ!?」
「どっかのチームが俺たちを待ち伏せして、仕掛けてきたんじゃねえか!?」
「落ち着けよ、俺たちが標的とは限らない。何かその辺で抗争でもしているって可能性もあるだろ」
《コキュートス》は警戒しつつも動揺し、どよめいている。
深雪はさらにビー玉を一つ放り投げ、爆発を起こした。同時にそれぞれ《コキュートス》を囲む位置に仕込んでおいた四つのビー玉も次々と破裂させる。
中には運悪く、水道管を破裂させてしまった玉があるらしく、水が上空へと勢いよく噴出した。朽ち果てたアスファルトはその衝撃で瞬く間に木っ端微塵になり、細かい水滴と粉塵で視界が悪化する。
《コキュートス》の面々は何が起こっているか全く分からず、混乱に陥った。顔に激しい怒りと若干の恐怖を浮かべて喚き散らす。
「やっぱ、俺たち攻撃を受けてますって、これ!」
「くっ……四方八方から爆発だと!? 一体、敵はどこにいやがる!?」
「櫛田と吉川、森永それから各務はここに残れ! 他の奴は俺と共に周囲を探るぞ! 櫛田と吉川、森永は何があっても各務を守れよ!!」
「ああ、分かった!」
「気をつけろよ!」
《コキュートス》は即座に二手に分かれた。中規模チームを率いるだけあり、さすがに判断は早い。
各務の元に残ったのは特に体格が良く強そうな三人だった。頭の護衛役だ。
他のゴーストを率いて周囲の様子を探りに行ったのはおそらく副頭だろう。
目標は分断され、おまけに粒子の細かい水と粉塵で辺りはもうもうとして、適度に視界が悪い。奇襲をかけるのにはまさにうってつけの環境だ。
深雪は改めてパーカーのフードを目深に被ると、素早く移動し、再び《コキュートス》の面々の背後へと回り込む。
(……四人相手なら何とかなるか)
深雪の待ち望んだ絶好のチャンスの到来だった。
まずは、背を向け立っている手前の青年に狙いを定める。仲間から櫛田と呼ばれていた人物だ。
視界を遮る粉塵と、水道管から噴霧された水。それらによって発生した靄を切り裂くようにして一気に踏み込むと、櫛田の背後からがしっと肩を掴んだ。
櫛田はぎょっとして振り返る。その振り向きざまに、深雪は櫛田の顎を狙ってストレートの拳を叩き込んだ。
彼がよろめいたところを、さらに鳩尾に向かって膝蹴りを放つ。櫛田は呻き声を発しながら、突っ伏して倒れた。
「なっ……後ろに誰かいやがる!?」
残りの三人も異変に気付いた。
しかし、彼らが気付いた時にはもう遅い。深雪は足を止めることなく櫛田の奥にいた青年――吉川に肉迫する。
吉川もその意図を察したのか。深雪と吉川、互いの視線が交差した。その瞬間、吉川は身構え、瞳を赤く光らせる。
――アニムスを使う隙を与えてはならない。深雪は後退することなく吉川との距離を詰めた。そして大きく体を捻ると、彼の側頭部めがけて上段後ろ回し蹴りを放つ。
吉川はアニムスを使う間もなくそのまま吹き飛ばされ、壁に激突して意識を失った。
「櫛田、吉川!? ……ちくしょう、この野郎!!」
二人の仲間が倒され、最後の護衛――森永はパニックに陥った。深雪めがけて、無茶苦茶に拳を振り回す。
雨宮や碓氷の攻撃に比べれば、児戯にも等しいパンチだった。まるで子猫が戯れているかのようだ。
深雪はジャブを交えそれを適度にあしらうと、一瞬の隙を突いて大きく踏み込み、斜め上から頭部めがけて右オーバーハンドブローをぶち込んだ。
「……ぐあっ!!」
最後の森永もほぼ瞬殺だった。残ったのは頭の各務だけだ。
自分で想定していたよりも、圧倒的優位を保ちスムーズに制圧することができた。何よりアニムスを使わなかったので、相手に与えるダメージも比較的軽い。
毎日、陸軍特殊武装戦術群の雨宮から訓練を受けていて、その成果が出たのだろう。不意を突いたということもあるが、自分でも驚くくらい成長していると実感する。
唯一、残った頭の各務は、震える声で叫んだ。
「お……お前、誰だ……!?」
深雪は頭に被っていたフードを脱いで見せる。
「くっ……次代の《中立地帯の死神》!!」
各務は怯んだが、すぐに気持ちを立て直し、腰を落とし両目に赤光を灯した。頭を務めるだけあり、度胸が据わっている。
「ふざけやがって、なめんなっ!!」
だが、ここでアニムスを使わせるわけにはいかない。深雪は躊躇せずに距離を詰め、各務の顎に掌底を叩き込む。
その衝撃で各務はよろけ、瞳の赤い光も輝きを失った。だが、各務もやられてばかりではない。
上着のポケットに手を突っ込むと、折り畳みナイフを取り出しパチリと片手で開く。そして、深雪めがけてナイフを勢いよく振り下ろした。
だが、各務は意識が朦朧としているのだろう、狙いが全く定まっていない。深雪は軽々とそれを避け、手刀でナイフをはたき落とすと逆に各務の手を掴み、後ろ手に捻ってがっちりと固めた。
「くっ……放せ! 放せよ!!」
「来い、話がある」
最初は抵抗する様子を見せた各務だったが、すぐに表情を強張らせ両手を上げた。背中に銃口を突き付けられた感触がしたからだ。
「ちょっと聞きたいことがあるだけだ。すぐ終わる」
深雪はそのまま各務を誘導し、さらに入り組んだ路地の奥へと入った。
かなり薄暗く、おかげで人の気配も全くない。ここなら他の《コキュートス》たちもすぐにはやって来ないだろう。ある程度、余裕をもって話をすることができそうだ。
各務は不快と警戒を露わにする。
「……何の用スか。さっきの爆発はあんたの仕業なんすか?」
「傷つけるつもりは無い。でも、こうでもしなければ二人で話すことができなかった」
深雪はそう言いつつ、手元を明かした。そこにあったのは銃ではなく、《監獄都市》ならそこら中に落ちている廃棄物――ただの金属パイプだ。
各務は騙されたことに気づいて舌打ちをする。
「話……? 《死神》と話すことなんて何も……!」
「そっちにはなくても、こっちにはある」
深雪は眼光を強め、各務に詰め寄った。路地は狭く、おまけにプラスチックのビールケースや発泡スチロール箱が積み上がっていたり、廃棄されて時間の経ったバイクの残骸などが放置されているので、簡単には逃げられない。
また、これだけ狭いと暴発が怖いので、アニムスも互いに使えない。自分を巻き添えにしてしまうからだ。
「各務、先ほど上松組の兄派幹部と会食していただろ。あの幹部とは何回会った? ずいぶん可愛がられているみたいだけど、何を吹き込まれた? さっきの焼き肉店で具体的にどんな話をしたんだ!!」
各務はふてぶてしく口の端を吊り上げた。
「あんた、俺をナメてんスか? そんなこと明かすわけないでしょ、《死刑執行人》なんかに!」
「《アラハバキ》の構成員は、ストリートのゴーストを使い捨ての駒くらいにしか思っていない。今はいろいろと、おいしい事を言ってくるかもしれないが、上松組の御家騒動が収まれば容赦なく切り捨てられるに決まってる! たとえ兄派が弟派に勝ったとしても……内部抗争という戦争が終われば兵は不要になるんだからな!!」
「……!!」
「いざ切り捨てられる段になって後悔しても、もう遅いんだぞ! チームをまとめる頭として本当に責任が取れるのか!?」
すると各務は、すっと無表情になった。だが、決して反省したわけではない。むしろ軽蔑したような目を深雪へ向ける。そして冷ややかな声音で吐き捨てた。
「……本当にあんた、つくづく俺たちを見下ろしてんだな」
「な……!?」
「そんなことはな、百も承知なんだ! ストリートで生きてる俺ら自身が、その事を誰よりも痛感してるんだ!!」
「だったら、何故!」
「仕方ねえだろ、こうして巻き込まれちまったんだから!! 俺たちだって、《アラハバキ》と無関係なままでいられるならそのままの方が良かったよ! でもな、目をつけられた時点で終わりなんだ! 弱くて何の力もない俺たちには、逃げることすら許されないんだ!! それとも、あれか!? あんたら《死刑執行人》が守ってくれるってのか!? んなわけねえよなあ、あんたらができんのは《リスト登録》されたゴーストを殺すことだけだ!!」
深雪は返す言葉もない。《コキュートス》と同じ境遇に置かれた《グラン・シャリオ》でさえどうすることもできず、こうして手をこまねいているのだ。
《死刑執行人》にできるのは殺すことだけ。各務の言葉はこれ以上も無く的を射ている。
もちろん深雪も決してそれを良しとしているわけではない。だからこうして動き続けている。
けれどもし、《グラン・シャリオ》の窮地を救う事ができたとしても、《中立地帯》のチームの全てを《アラハバキ》から守るなどとても現実的ではないだろう。
各務は破れかぶれになって叫ぶ。
「……もう、どうしようもねえんだよ! こうなった以上、腹をくくってのし上がるのみだ!!」
「《アラハバキ》はそんなに甘くないぞ。さっきも言ったけど、一時、優遇されたとしても、それはあくまで上松組の御家騒動が収まるまでだ」
深雪は説得を重ねた。けれど各務は、利かん気の強そうな目で深雪を睨む。
「それも分かってんだよ。逆に言うと、上松組の御家騒動が収まるまでは、俺らにもそれなりの価値があるってことだろ!?」
「……!」
「《アラハバキ》は序列を重視する。幹部クラスだといろいろメンドくさい決まりがあるみてえだけど……少なくとも下の方は関係ねえ。序列を上げさえすれば、中堅にはのし上がれる。全てはその結果次第だ! 上松組の内部抗争が終わるまでに結果を出しさえすれば、俺らにも生き残れる可能性がある! チームのみんなと話し合って決めたんだ!!」
「各務……!!」
「そもそも、ストリートのチームのままだと、たとえ今回のいざこざを切り抜けられたとしても、いつかは『強者』に潰される……! いつまでたってもナメられ、振り回され続けるだけだ!! だったら力をつけて誰にも脅かされないようになりたい……そう考えることの何が悪いんだ!? 『強者』に喰われないためには、自らが『強者』になるしかないんだ!!」
「……。そして今度は、君たちが弱い者いじめをするのか?」
深雪は静かに指摘した。《アラハバキ》の構成員となって『強者』になる。それは即ち、奪われる側から奪う側に回るという事でもある。どんなに目を背けようとも誤魔化せない、それが事実だ。
各務はぐっと言葉を詰まらせる。そして、気まずげに視線を逸らす。
――良かった。彼にもまだ多少は良心が残っているのだろう。ただ、今は冷静な判断力を失っているだけだ。
今ならまだ間に合う。深雪はさらに畳みかける。
「そんなやり方、何の解決にもならない。君たちがそれを誰より理解しているはずだろ! それに……上松組の兄派幹部だって君たちの思惑にはとっくに気づいてるはずだ。手を噛まれないよう、うまく服従させるよう、あらゆる手を使ってくる。目の前に餌をぶら下げ、働かせるだけ働かせて、用済みだと判断したら冷酷に突き放すんだ! 『全部、お前らが自分で望んだことだろう?』、と……!!」
「う……うるさい、黙れ! 俺たちはそんな間抜けじゃない!! 俺たちなら絶対に成功を掴める!! 現に俺の知り合いにはストリートからのし上がって《アラハバキ》で成功し、自分の店を持ったっていう人がいるんだ!!」
「そりゃ、そういう奴もいるだろうけど……あくまで運と実力に恵まれた一握りだ! 今、上松組は兄派弟派とも、手当たり次第に戦えるゴーストを集めてる。君たち《コキュートス》よりずっと小規模のチームも見境なく取り込んでいるんだ! その動きを考えても、奴らが求めているのが『選ばれた一握り』じゃなく、いくらでも使い捨てられる捨て駒だということは明白じゃないか!!」
「う、うるせえよ! もう放っとけよ!! 俺たちも《ユルルングル》みたいになるんだ!! チームで話し合って、もう決めたんだよ!!」
「《ユルルングル》……?」
馴染みの無い名を耳にし、深雪は眉を顰めた。すると、エニグマが深雪にのみ聞こえる声で、即座に説明をしてくれる。
「かつてストリートに存在したチームですね。当時、《ユルルングル》の頭とその一派は下桜井組の下部組織と衝突を起こしました。当然、下桜井組は《ユルルングル》への報復へと動きます。ところが《ユルルングル》の副頭が頭一派を大粛清した上、それを手土産として下桜井組への組入りを志願したのです。
その度胸と心意気が気に入られ、《ユルルングル》は見事、下桜井組への加入が認められました。彼らは今やカジノ店を経営するまで上り詰めています。……因みに、その副頭というのが京極鷹臣ですね」
(京極……? 京極、だと!?)
不意に京極の顔が脳裏に浮かんだ。京極の人を見下したような冷徹な目。深雪を腰抜けと嘲笑い、高笑いをする声が聞こえたような気がした。
(各務は京極のことを知っているのか……!?)
いや、そうであっても何ら不思議ではない。京極の経営するカジノ店・《エスペランサ》は上松組とストリートのチームの仲介をしていると聞いた。《コキュートス》もその一つだったとしてもおかしくはないではないか。
深雪は各務の肩を力いっぱいにがしっと掴む。
「各務、お前……京極に会ったのか!?」
「は……?」
「《エスペランサ》へ行ったのか、どうなんだ!?」
各務は訝しげな顔をしつつも答えた。。




