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東亰PRISON  作者: 天野地人
トウキョウ・ジャック・ザ・リッパー編
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第3話 孤児院

「――あ、深雪さん! お出かけですか?」

 

 深雪に気づいたのは琴原海だった。屈託のない笑顔で、後ろから声をかけられた。 


 海は深雪と同じ日に《東京》に収監された少女だ。凶悪事件に巻き込まれ、一時期は見るのも痛々しい様子だったが、東雲探偵事務所で過ごすうちに、だいぶ元気を取り戻したようだった。頬には赤みが差し、いつも事務所の中を行ったり来たり、忙しく動き回っている。


「その……ちょっと孤児院に行ってみようかと思って」

 深雪がそう答えると、海は小首をかしげる。


「孤児院って、オリヴィエさんの……ですか?」

「うん。誘われたんだ。この近くだって言ってたからすぐに戻るよ」


「分かりました。楽しんできてくださいね!」 

「……え?」

「深雪さん、何だかここの処、元気がなかったから……心配してたんです。いい気分転換になるといいですね!」

 そう言って、海ははにかんだ。


 どうやら海は深雪を気にかけ、殊更に明るくふるまっていたようだ。海とは逆に、深雪はここ数週間、ずっと落ち込んでいた。彼女なりに励まそうとしてくれていたのだろう。


 申し訳ない気持ちでいると、海は不思議そうな表情になって尋ねてきた。

「でも……一人で、ですか? シロちゃんは……」


 深雪は大抵、シロと共に行動している。だから、単独行動をとる深雪を海は不思議に思ったのだろう。すると、シロが慌てた様子で二階から顔を出した。


「ユキ、お出かけ? シロも……一緒に行っていい?」


 どうも、シロは階段の踊り場で身を潜め、こちらの様子を窺っていたらしい。自分の話題が出てきたので、急いで声を上げたのだろう。深雪は躊躇したが、すぐに首を横に振った。


「いや、一人で行くよ。大した用事じゃないからさ。……琴原さん、それじゃ」

「ゆ……ユキ!」


 シロは悲しげに顔を歪めた。彼女は尚も何か言いたげだったが、深雪はそれを振り切るようにして事務所を出てきたのだった。


(シロは何も悪くない。むしろ俺の方がちゃんと謝らなくちゃいけないのに……)


 屋上でのことを思い返すと、つくづく自分が恥ずかしくなる。あの時、確かに深雪はシロの信頼を勝ち取っている六道に対し、嫉妬したのだ。おまけにその感情をよりにもよってシロ本人にぶつけてしまった。もはや殆ど八つ当たりだ。


 あのようなことを言うべきではなかったと、今では後悔している。


 しかし、謝らなくてはならないと頭では理解しつつ、深雪はシロに謝れずにいた。謝れば、六道のしたことを認めてしまうことになる気がした。嫉妬だとかそういった個人的感情を抜きにしても、六道の判断は絶対に許せない。


 深雪はまだ、事件に対する感情の整理がついていなかった。

 平然と残酷な決定を下す六道も、何の力もない無力な自分も、両方が許せなかった。

 

 鵜久森命が深雪に毒を盛ったのは本当だ。そして、従わねば解毒剤を渡さないと、凶暴性を剝き出しにして脅して来た。結果として実際の被害に遭ったのは、深雪の姿に扮した紅神狼だったわけだが、鵜久森命が深雪を殺そうとしたのは偽りようのない事実だろう。


 しかし、深雪はどうしてもそれが、命の百%の本音だとは思えなかった。命は深雪と友達になりたいと言った。屋上の温室に行けば、何度も出迎え、茶や菓子を振舞ってくれた。あれも全て噓だったとは、どうしても思えない。


 命のやった事は、決して許されることではない。だが深雪は、あのふわりとした少年が完全な悪だとは思えないのだった。そのせいか、それを思い出すと、余計に六道へのわだかまりが増す。他に何か別のやり方があったのではないかと――六道であれば、それが可能だったのではないかと、そう思わずにはいられないのだった。


 その時、不意に右手がずきりと痛む。

「痛って……!」


 寄生鉢の事件以降、右手が痛む回数は劇的に減っていた。それでも時々、こうやって痛むことがある。

 

 右の手の平を広げると、中心部から放射状に赤い亀裂のようなものが走っていた。それは手の甲や手首、二の腕にまで広がり、肩の方まで伸びている。ただ、痣だけならさして気にも留めないが、手の平の中心部が時折ぼんやりと発光するのは不気味だった。今もそれは弱々しく光を放ち、筋肉や血管が透けて、手の平全体が真っ赤に染まっている。


(どうなってんだ、俺の腕……?)


 手の平を開いたり閉じたりしていると、自然と光は収まっていった。手の平の光は大抵、こうやって数分もたつと消えてしまうのだ。気にはなったが、それ以上何か異変があるわけでもない。赤い亀裂の痣は残っているが、それ以外は何も問題は無い。


 ――その刹那。


『君だろう、僕からアニムスを奪ったのは! 何てことをしてくれたんだ? ……戻してくれ! 人間なんて醜い存在になり下がるのなんて、まっぴらだ‼ 今すぐ、ゴーストに戻してくれ‼』


 不意に命の絶叫が耳の裏に戻ってきて、深雪はびくりと体を竦ませた。


 あの時、深雪の右腕は確かに今まで感じたことの無いような激しい光を発した。そして一人の少年のアニムスを完全に消滅させたのだ。そうすれば――命を人にさえ戻せば、全てが解決すると思っていた。哀れなストリートダストの少年を救えると、心の底から信じていた。


 しかし、それは深雪の傲慢な自惚れでしかなかった。命からアニムスを奪った結果、命は深雪の目の前で、屋上から身を躍らせたのだった。アニムスのない自分には、価値などないのだと絶叫を挙げて。命の、全身をずたずたに引き裂くような悲痛な叫び声が、今も耳の奥にこびりついている。

 

 だがその力は、深雪自身、それまで存在すら知らなかった力だった。


(あれは何だったんだろう……? アニムス……だったのか……?)


 深雪自身、あの光の奔流が何だったのかは分からない。今までそのような現象が起きたことはなかったし、深雪にはもともと《ランド・マイン》という別のアニムスがある。一人のゴーストに現れるアニムスは一つだというのが、世界的な通説だ。何故、自分にそれとは別のアニムスが現れたのだろう。


(あの力は、ぽんぽん使うべきじゃないかもしれない……)


 第二のアニムスを使ったがために、命を死に追いやってしまったことを考えると、この力は簡単に使っていい能力ではないのではないかという気がする。深雪は命を救いたいと思ってその力を使った。しかし、結果はその真逆になってしまった。間接的にとはいえ、人を殺してしまう力はやはり恐ろしい。使い方は十分に留意すべきだ。


 ただ、そもそも頻発して使える力なのかどうかも、まだ分からないが。


 あの、全てを焼き尽くしそうなほどの巨大な熱の塊。第二の力が発動した時のことを思い出すと、今でも背筋がぞくりとする。強い恐怖と困惑、そして僅かばかりの興奮。


 一方で、自分自身の体に、取り返しのつかない異常が起きているような気がして、不安にもなる。誰か他の者に相談するべきかもしれない――そう思うが、他方で今はまだそうするべきでないようにも思う。

 もし、あの力が本当にゴーストからアニムスを奪う力だとしたら。ゴーストだらけのこの街では、悪戯に敵意と警戒を招くだけのような気がしたからだ。


 この力で、一人の少年が自ら命を絶った。その重い事実を考えると、余計に軽々しく力の存在を口にする気になれなかった。知られた相手によっては、余計な警戒や摩擦、そして過度の好奇心を生んでしまうかもしれない。みな、この《監獄都市》にぶち込まれた経緯はそれぞれ違う。人間に戻りたいと考えるゴーストばかりではないだろうからだ。


 それは、事務所の面々も決して例外ではない。信用していない、というわけではないが、彼らのことをまだ十分に知らないというのも事実だ。


(オリヴィエとの待ち合わせの時間に遅れたら悪いし……今は先を急ごう)


 そして深雪は雑踏の中を再び歩き出した。





「ここが……教会、だよな……?」


 たどり着いたのは古い一軒家が数多く残る区画だった。古い民家やアパートが、かろうじて倒壊することもなく、残っている。ここで生活している者も多いらしく、軒先には布団や洗濯物が干してあったりするのも多く見受けられる。《東京》の中にしては珍しく、生活感の強く残っている場所だった。


 オリヴィエに教えられた道を進むと、やがて屋根に十字架を戴いた赤褐色の建造物が見えてきた。近づいてみると、絵本に出てくるような可愛らしい教会が姿を現す。決して巨大でも派手でもなく、簡素なレンガ造りだ。それとは別に三階建ての建物がいくつか併設してある。そちらはどちらかというと、小学校のような雰囲気だった。


 深雪はそれらが物珍しく、ついきょろきょろと辺りを見回してしまう。そしてふと、あるものに気づいた。


「あれ……もしかして、《関東大外殻》か」 


 教会のずっと奥に、ダムのような長大な壁が横たわっているのが微かに見えた。目を走らせると、それは延々と東西に延びている。あれが噂に聞く、監獄都市・《東京》を外界から隔てている外壁――《関東大外殻》なのだろう。


 だが、その姿は深雪の創造としていたものとは少々違った。深雪はてっきり、《関東大外殻》はコンクリート製だろうと思っていた。根拠はないが、深雪の時代の公共物は殆どコンクリート製だったからかもしれない。


 だが、実際には《関東大外殻》は、赤黒い金属のような光沢を放っていたのだ。


「何だあれ……? 一体、何でできてるんだ……?」


 それは遠目で見ると、まるで血を塗り固めたようにも見える。二十年前にはなかった、新しい素材を使っているのだろうか。それにしても、都の外周を囲うくらいだから、相当な体積が必要なはずだ。


 一体、どれほどの人手と資源と金をつぎ込んだのか。

 どれほどの大型事業だったのだろうか。

 その執念じみた規模に、驚きを通り越してうすら寒ささえ覚える。


 それほどまでにゴーストを隔離したかったのか。


 そう考えると、何だか教会の向こうに霞む壁が、何かの呪いのように思えてきた。つい、あんな壁、誰かがぶち壊してやればいいのに――と思ってしまうが、どのゴーストのどんなアニムスでも、あの壁には傷一つつけられないのだそうだ。

 深雪は忌々しい想いと共に顔をしかめると、視線を壁から引きはがし、目の前の教会へと足を向けることにした。


 オリヴィエの話によると、孤児院は教会に併設されているらしい。目を向けると、確かに十字架を戴いた建物の向こうに、同じくレンガ造りの建物が見える。三階建ての、小学校を思わせる建物群だ。そちらに近づいていくと、たくさんの子供たちの楽しげな声が聞こえてきた。


 教会の前を横切り、奥へと進む。すると、教会の建物と孤児院との間に、こじんまりとした庭があった。それもまさに、小学校の校庭のようだ。そこには、下は四、五歳ほどから上は十四、五歳まで、いろんな年齢層の子供が犇めいていた。

 たくさんのたらいや洗濯板、物干し竿も見受けられる。どうやら皆で洗濯物を洗ったり干したりしているらしい。一生懸命、作業に打ち込む子どもや、水を掛け合って遊んでいる子ども、洗濯など放ったらかしで鬼ごっこを始めてしまう子どもたち。てんでばらばらで、大騒ぎだ。


「すごいな。幼稚園か小学校みたいだ」


 唖然として呟いていると、その中にすらりとした金髪の青年が混じっているのに気付いた。間違いない、オリヴィエ=ノアだ。オリヴィエの方も深雪に気づき、近寄ってきた。 


「賑やかでしょう?」

 そして、いつもの柔和な笑みを、その端正な顔に浮かべる。オリヴィエはいつもの神父服は脱ぎ、白いシャツは腕まくりしていた。どうやら、彼も洗濯に参加していたらしい。


 オリヴィエは背後を振り返り、子どもたちを見守りつつ、深雪に説明してくれた。

「ここでは、身寄りのないゴーストの子供たちを保護しているんです」


「ゴーストの……? あの子達、みんなゴーストなのか?」

 驚いて聞き返すと、オリヴィエはふわりとほほ笑む。

「人間の子もいます。半々くらいですね」


「その……一緒にして……大丈夫、なのか?」


 ゴーストの子どもにはアニムスがあるのに対し、普通の子どもには己の腕力しかない。喧嘩になった時に大丈夫なのか。おかしな上下関係が出来たりはしまいか。子どもは素直で、それゆえに残酷だ。アニムスの有無で仲間外れにしたりすることもあるだろう。余計なお世話とは思いつつも、あれこれと考えてしまう。


 オリヴィエも深雪の言わんとするところを悟ったようだったが、笑みは崩さなかった。

「何も問題が無いわけではありませんが……《東京》ではゴーストと人が入り混じって生活をしています。あの子たちはここで一生を過ごすのです。隔絶させる方が不自然ですよ」


 おそらく、深雪が想像したような問題が起こるのは、織り込み済みという事なのだろう。それでもどちらかを隔離したりはしない――この孤児院はそういった選択をしているようだった。深雪は素直に感嘆した。敢えて茨の道を突き進む――口で言うのは簡単だが、実行するのは至難の業だ。


「何人くらいいるの?」

「大きくなった子どもは孤児院を出て働きますから、数の変動はありますが……大体、百人から百五十人ほどでしょうか」

「そんなに……」

「彼らはまだ幸運な方ですよ。ストリートには、寝る場所すらない子どもが大勢いる」


 オリヴィエは表情を曇らせた。力を持たず、ストリートを徘徊するしかない彼らは、路地裏の塵――《ストリートダスト》と呼ばれている。

 深雪は先日知り合った一人の少年のことを思い出し、沈鬱な気分になった。《ストリートダスト》は剝き出しの暴力に晒されて生きる。それは、まさに獣の世界と同じだ。その殺伐とした世界ゆえに、本来どれだけ善良であっても、容赦なく精神は腐食され、魂も摩耗していく。その中で生き抜くのは、決して生半可な事ではない。


 そんなことを考えていると、洗濯に励んでいた子どもたちが一斉にこちらへ視線を送ってきた。

「神父様―! その人だれー⁉」

「彼は雨宮深雪です。孤児院の見学に来てくれたのですよ」

 オリヴィエは子どもたちに向かって大声を返す。すると、チビッ子たちは互いに顔を見合わせ、弾けた様な笑い声を上げた。


「ミユキだって」

「その人、男―? 女ぁ?」

「男ですよ」


 ズバズバと質問を投げかける彼らに、深雪は「うっ」、と言葉を詰まらせる。

(名前のこと、結構、気にしてんだけどな……俺)

 がくりと肩を落とし、脱力していると、お子様たちが意外なことを口にした。


「あれ、シロもいる!」

「ホントだ。こっちに来ればいいのにー」


「えっ、シロ⁉」

 驚いて振り返ると、確かにシロはそこにいた。


「うにゅー……」

 などと呻きながら、教会の入り口のあたりに生えていた大きな銀杏の木の幹に隠れるようにして、こちらを窺っている。自分ではすっかり身を隠しているつもりのようだが、三角の獣耳がひょっこり顔を覗かせていた。何だかいじけた雰囲気が滲み出ているのが、妙に可愛らしい。構ってほしいのに構ってくれない、そんな子猫みたいな様子だ。


「シロも一緒だったのですか?」

 尋ねるオリヴィエに、深雪は半笑いで答える。

「あ、いや……一人で来るつもりだったんだけど。ついて来ちゃったのかな」


「彼女は子ども達と仲が良いですからね。でも、どうしてあそこに隠れているんでしょう?」

「それはその……いろいろと……」


 深雪は言葉を濁した。シロがああやっておかしな行動をとっているのは、深雪がシロを避けているのが原因なのは明らかだった。それでもシロは深雪と一緒に行きたくて、ああやって隠れてついてきたのだろう。深雪はシロに対して、猛烈に申し訳ない気持ちになる。確かに六道の事はまだわだかまりがある。だが、それとシロを結びつけるのはどう考えても筋違いだ。

 

 オリヴィエも敏感にそれを察知したのか、ずばりと質問を繰り出してくる。

「喧嘩をしたのですか?」

「分かる?」

「あなたたちはとても仲が良かったですから」

 オリヴィエはそう言って微笑むが、深雪は俯いて小さく呟く。


「仲が良い……のかな。俺が一方的に付き合わせてただけかも」


 シロは最初から、何かと深雪に構ってくれていた。深雪のことを可哀想だと思ったのかもしれないし、年が近いので単に親しみがあっただけかもしれない。他に似たような年齢の者に囲まれていたら、一緒にいることもなかったかもしれない――と、少々ネガティブに考えてしまう。


「シロは好き嫌いのはっきりしている子です。嫌いな相手と一緒に過ごしたりしませんよ」

「でも……」


「ねえ深雪? 自分が悪いと思っているのなら早く謝るべきですよ。特に相手が女性の場合は……ね?」

 オリヴィエはそう言うと、悪戯っぽい笑顔を浮かべ、ウインクをした。


 この清廉で敬虔な神父からそのような言葉を聞くとは思っていなかった。深雪は何だか可笑しくなって、頬が緩む。慈愛に満ちたアイスブルーの瞳に見つめられると、不動王奈落とはまた違った意味で、全てを見透かされているような気分になる。

 でも、それは決して恐ろしいことでもなければ、不快でもない。


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