第1話 《タイタン》
三章です。よろしくお願いします!
(ああ……早く終わんないかな……)
つい、そんな不謹慎なことを考えてしまい、深雪は軽く自己嫌悪に陥った。
一体、何年前に打ち捨てられたのかも知れない、廃墟と化したビルの内部。当時は技術の粋を尽くして建設されたであろう鉄筋は、すっかり変色して床は瓦礫だらけ、天井はひびが入り、今にも崩落しそうだ。
電気系統もショートしているのか、昼間だというのに建物の内部は黄昏時のように薄暗い。
そんな中、深雪はビル内の崩れかけた壁に身を寄せ、その向こうの様子を探る。視界が悪く、姿は確認できないが、すぐに十代から二十代の若者と思しき者たちの、息まく声が聞こえてきた。
「くそっ、《死刑執行人》め! 来るなら来やがれってんだ‼」
「返り討ちにしてやる!」
(……無駄な抵抗なんてせずに、とっとと投降してくれればいいのに)
深雪はそう切に願ったが、逆上した彼らは決してそのような選択はしないだろう。少年たちは《死刑執行人》である深雪たちを内心では恐れている。捕えられたなら、命はないと思っているのだ。故に気迫も凄まじく、まさに死に物狂いなのだった。
少年たちが自ら投降する可能性は、ゼロに限りなく近い。最後の最後まで抵抗を貫き、隙あらば逃げ出そうとするだろう。とどのつまり、やるしかない――その事実が、深雪に重いため息を何度もつかせていた。
(俺は……ゴーストとは、戦いたくないのに……)
東雲探偵事務所に、《タイタン》という名のゴーストギャングを制圧するよう依頼が来たのは、一週間ほど前の事だ。
《タイタン》はここ最近、急激に勢力を伸ばしてきたチームで、他のチームとも度々不和を起こし、問題視されていた。それだけならまだいいのだが、調べていくうちに更に厄介なことが判明した。
彼らは薬物の密売に手を出していたのだ。
《Heaven》と呼ばれるその薬物は、ゴーストにのみ効果のある特殊な成分を含んでおり、特にアニムス値の低いゴーストが摂取すると、実力以上の力を引き出すことができるという。その為、ゴーストギャングの間では、目を見張るような高値で取引されていた。
新興のチームである《タイタン》が急激に勢力を拡大することが出来たのも、どうやらその辺にカラクリがあるらしい。
深雪は、不動王奈落、オリヴィエ=ノアの両名と共に、《タイタン》のメンバーを制圧する任務に駆り出されていた。
しかし勢いづいている《タイタン》がそう簡単に投降する筈もなく、根城である廃ビルに立てこもり、抵抗を始めた。深雪たちは《タイタン》の頭を抑えるためにビルの内部への侵入を決行し、こうやって応戦しているというわけなのだった。
深雪たちは三方に分かれて攻め込んでいるため、奈落とオリヴィエの姿は見えない。だが、深雪と同じように気を伺いながら、頭の居場所を探っている筈だ。
ビルのフロアには、すでに拘束された少年たちの姿もある。ただ、手下たちばかり捕まえてもあまり意味はない。末端がみな、《Heaven》に関する詳細な情報を持っているとは限らないからだ。薬物の密売ルートや製造工場の位置、或いは関係者を引き摺りだすには、詳細な情報を持っているに違いない、頭の身柄拘束が絶対条件だった。
その為にも、決して気の抜けない任務だったのだが。
(同じだ……こいつらは俺達と、《ウロボロス》と同じ……)
深雪の目には、《タイタン》とかつての仲間の姿が重なって見えた。
仲間意識や結束力の強さ、そしてそれと比例するかのような攻撃性と排他性。彼らの年齢が若く、自分に近い事もあって余計にそう感じてしまう。だから、《タイタン》のメンバーが頑なであるのも、必死になって籠城し抵抗するのも、痛いほどよく分かった。
《ウロボロス》も同じ境遇にあったなら、やはり全力で抵抗しただろうと思うからだ。
(確かにクスリに手を出すのはまずいと思うけど)
そんな《ウロボロス》に対する感傷と《タイタン》に対する親近感が、深雪の集中力を削ぎ、判断を鈍らせていたのかもしれない。
気づくと、《タイタン》の戦闘員が、背後に回り込んでいた。
「へっ……ここはな、俺らの城なんだ! お前らに気づかれずに移動するルートなんて、いくらでもあるんだよ‼」
襲い掛かってきたのは、金髪の巨躯の男だった。肉体強化のアニムスを持っているらしく、怪物のような強大な体躯をしている。
もう一人はやはり肉体強化のアニムスで俊敏性を著しく上げた少女だった。
確かに、ビル内部の構造はそれほど難解ではないが、あちこち倒壊し、身を隠すことのできる障害物となっている。ダクトの排気口などを含めると、移動ルートは存外に多いのかもしれない。完全に隙を突かれてしまった。
深雪はしかし、慌てることはなかった。彼らと冷静に距離を取ると、羽織っていたコートのポケットに手を突っ込んだ。
するとすぐに、ガラス玉の冷たい感触が指先に伝わってくる。
深雪はそれを迷わず掴むと、振り向きざまに掴んだビー玉を放った。《ランドマイン》を発動させるためだ。
《ランドマイン》――それは地雷の名の意味する通り、爆発の効果を持つ深雪のアニムスだった。触れた物質を好きなタイミングで爆発させることが出来る。
「うらああっ‼」
金髪の男は腕を振り上げた。大きな肩が、更に小山のように盛り上がる。そして男はその拳を、重力に任せて思いきり振り下ろした。
一方の深雪は、男の拳が完全に振り下ろされる寸前で、先ほど放ったビー玉を破裂させた。床を転がり、男の足元まで移動していた小さなビー玉は、《ランドマイン》によってパアン、と甲高い音を立てて爆発する。
媒体がビー玉だということもあって、さほど大きな爆発ではなかったが、男の重たげな拳を弾くのには十分だった。
「……なあっ⁉」
爆発の反動で男の巨体が大きく仰け反った。筋肉ダルマと化している男の体は、かなりの重量があるのだろう、一度バランスを崩してしまうと、すぐには体勢を整えられない。尻餅をつき、わたわたと上半身を動かしている。
見たところ、金髪の男はさして酷い怪我もしていないようだ。深雪は、ほっと胸をなでおろす。
こちらが攻撃されるのは御免だが、かといって重症を負わせるのも本意ではない。
しかし、悠長にしている暇はなかった。間髪入れず、もう一人の《タイタン》――栗鼠のように俊敏性を高めた少女が、小ぶりなバタフライナイフを振りかざしてきたのだ。深雪は身を捩ってそれをかわすと、後退して再び彼らと距離をとる。
「きゃはっ! 遅い、遅~い!」
少女は甲高い声を上げ、手の内でくるりとナイフを構え直す。そして、そのあどけなさの残る顔に、狂喜の笑みを浮かべた。深雪は、ぎょっとする。彼女は明らかに正気ではない。おそらく、《Heaven》を打っているのだろう。
その少女を、金髪の曲の男が慌てた様子で窘めた。
「おい、マユ。あんま調子乗んなよ」
「何でよ、こいつら大したことないじゃん!」
「いや……変だぞ。さっきから俺たち、こいつらに掠り傷一つ負わせてねえ……!」
金髪の男の方は、少女よりも若干年上だ。おそらく、二十歳前半といったところだろう。そのせいか、幾分か冷静に状況を捉えられているようだった。
そして実際、男の言った通りだった。捕獲が望ましい事から、深雪やオリヴィエは防御に徹して戦っていた。奈落も今のところは積極的に攻撃には回っていない。《タイタン》のメンバーは果敢に攻撃を繰り出しているが、深雪たちはその殆どを避けたりかわしたりしていたのだ。
ただ、それもいつまでも継続できるわけではないし、いつかは終止符を打たねばならない。
(傷つけたくない……。無傷で捕獲するなら、気絶させるのが最善だ)
《ランドマイン》は一歩間違えれば相手を爆死させかねない、攻撃性の強いアニムスだ。ただ、深雪はその扱いにかけては自信があった。《ウロボロス》にいた頃は、この力で何度も窮地を切り抜けてきた。罠に陥れようとする輩や危害を加えようとする敵チームを排除し、一方で大切な人々を守ってきた。
ただ、全てを破壊し、狂わせたのもまた、この力だったが。
それはともかく、任務の性質の上でも、相手の無力化は必須だ。いつかやらねばならないのなら、早い方がいい。相手が深雪たちの狙いに気づいてしまったのなら、余計に、だ。
深雪は大きく息を吐きだすと、初めて能動的に動いた。ぐっと地を蹴ると、金髪の男に向かって踏み込み、肉薄した。
「こいつ……‼」
深雪を狙い、金髪の拳が空を裂く。轟、とすさまじい音がするが、動き自体は単調だった。男の肉体は筋肉がつきすぎ、複雑な動きが出来ないのだ。
深雪は男の拳を難なくかわすと、再び指先でビー玉を宙に弾く。小さなガラス玉は美しく弧を描くと、金髪の男の頭部ぎりぎり横に命中した。深雪はその瞬間に《ランドマイン》を発動させる。
すると、パンと先ほどより小さな破裂音がし、ビー玉は砕け散った。
たったそれだけだったが、金髪の男を気絶させるには十分だった。金髪の頭部は軽々と吹き飛ばされ、背後にあったコンクリの壁に激突した。ズンと、肉のぶつかる嫌な音がする。
「があっ‼」
「ジュン⁉」
轟音と埃を巻き上げて、壁のコンクリが男ごとその場に崩れ落ちた。深雪の《ランドマイン》のせいというより、金髪の体の重量によって壁が耐え切れず、崩落したのだろう。金髪の男は頭を強かに壁に打ち付け、その衝撃で完全に気を失っている。
「ジュン! しっかりしてよ、ジュン‼」
少女の悲鳴が響き渡る。その中で、深雪は淡々と呟いた。
「やっぱり……。《Heaven》で筋肉増強はできたとしても、脳や神経は強化できない」
深雪が起こしたのはごく小さな爆発だったが、それでも耳元で衝撃を受けたなら、意識を保ち続けるのは難しいだろう。どれだけ肉体を強化できても、聴覚器官を強化することはできない。現に金髪は、一撃で気を失ってしまった。
逆に言うと、《Heaven》は気分を高揚させ、自分は強くなった、何でもできると錯覚させる効果はあるものの、実質的に構造そのものを強化するものではないということだろう。
「あ……あんた……!」
マユと呼ばれていた少女は、唇を嚙み締め深雪を睨みつける。
まだ抵抗するつもりか――深雪もまた、ポケットに手を突っ込んでビー玉を握りしめ、身構えた。ただ、彼女はそれ以上こちらに向かってくる気は無いようだった。顔はすっかり蒼白になり、足は小刻みに震えている。もしかすると、クスリの効き目が切れたのかもしれない。
深雪は気絶した少年と、蹲っている少女の両腕に、黒い金属でできた大型の手錠をかけた。それは深雪が囚人護送戦で《東京》に収監されるときに嵌められていたものと同じものだ。もちろん、無理に外したり破壊したりしようとしたら、数千ワットの電流が流れる仕組みも健在だ。
《タイタン》のメンバーたちもそれを知っているのか、それ以上の抵抗を見せることはなかった。
「これで二人……か」
深雪は一つ息をつくと、改めて周囲を見回す。
崩れかけた壁の向こうに目をやると、オリヴィエの姿が見えた。オリヴィエはどうやら、既に五人の少年を捕獲しているようだった。彼のアニムス――《スティグマ》を発動させて、己の血をロープの様に操り、少年たちを雁字搦めにしている。《タイタン》の少年たちは大した抵抗も出来ずに、がっくりと項垂れていた。
オリヴィエのアニムスはこういった作業には向いているのだろう、実際、手際もいい。暴徒を捕縛するのには慣れているのか、動揺した素振りもなく、着々と《タイタン》のメンバーを制圧していく。
一方、奈落はと目を転ずると、彼は三人の《タイタン》メンバーを相手にしていた。金髪の男と同じように筋肉を増強した少年が一人。体の皮膚にびっしりと爬虫類のような鱗が生えている、ドレッドヘアの男が一人。もう一人は二の腕の先が金属化し、刃物の様になっている少女だった。
「いゃっはああぁぁ‼」
筋肉を強化した男が豪風を巻き上げつつ、巌のような拳をふり振り下ろす。その体は異常なまでに巨大化し、背の高い奈落が見上げるほどだった。しかし奈落は、表情も変えずにその拳を避けると、ついでのように男の膝をハンドガンで打ち抜く。
「うぐっ……お………!」
男は堪らず片膝をついた。山のような巨体が、ぐらりと傾ぐ。奈落はすかさず手に持っていた銃のグリップで男のこめかみを殴打する。すると、男はもんどりうって、その場に倒れた。ズシン、と、岩が崩れるような重低音が、ビルの内部に響き渡る。
男はそのまま地に付すと、ピクリとも動かなくなってしまった。
(……随分と、手慣れてるんだな)
深雪は奈落の鮮やかな身のこなしを目の当たりにし、冷やりとしながらそう思った。オリヴィエとはまた違って意味で、奈落の動きや判断には無駄が無い。《タイタン》たちにの攻撃に対し、的確に対処している。奈落にとって、こういった作業は朝飯前なのだろう。ゴースト殺しを専門とした傭兵だったというのも、決して伊達ではなさそうだった。
しかし、《タイタン》の方はおそらく奈落とは違い、こういった事態には慣れていない。ゴーストであるという点を除けば、ちょっとやさぐれた普通の少年少女なのだ。彼らは仲間の一人が奈落によって倒されるのを見せつけられ、かなり動揺したようだった。
「リョウ! てめえ……死ね‼」
腕の先が金属化した少女は、悲鳴交じりの甲高い声を上げた。そして大きく跳躍し、旋回しながら腕の刃を奈落へと向ける。しかし、その刃先が対象を捉えることはなかった。奈落は横に一回転して難なくそれを避けてしまったのだ。
代わりに、傍にあった鉄筋の柱のコンクリートが、少女の刃によって切り刻まれることとなった。
「くそ……逃げんな‼」
少女は身を翻すと、再び奈落へ突進していく。
一方の奈落は、コートの裾からピアノ線のような細いワイヤーを抜き取り、射出していた。かなり長さのあるワイヤーで、先端部分に分銅のような重りがついている。あらかじめ仕込んでいたのだろう。それは一直線に飛んでいくと、少女の脹脛に数回転して捲きついた。彼女がそれに気づく間もなく、奈落はそのピアノ線を容赦なく引っ張る。
「ギャッ‼」
少女はワイヤーに足を取られ、地面に強かに体を打ち付けた。奈落はそのまま、淡々とワイヤーを手繰り続ける。
少女の体は抵抗も空しく、ズルズルと奈落まで引き摺られていった。少女はワイヤーを外そうともがくが、ワイヤーは特殊な素材加工を施したタングステンで、いくら歯を立てても一向に斬ることが出来ない。おまけに少女は両手とも刃物化しているため、ワイヤーを手で解いて取り外すといった器用なことも出来なかった。
「な、何だよこれ! 外れない……⁉」
少女の顔が恐怖で引き攣る。奈落は紅い隻眼でそれを見下ろし、無言で黒い手袋を嵌めた右手を空に掲げた。その手にはいつの間にか、刃渡り十五センチ以上ほどもありそうな、ごついアーミーナイフが握られている。
「い、いや……来ないで………! ゆ、許して、お願い………‼」
少女は見るからに恐ろしげなアーミーナイフを目にし、すっかり戦闘意欲を無くしてしまったのだろう。目に涙を溜めると、ヒステリックに叫んだ。しかし、奈落はワイヤーから手を離さない。
「随分とご都合主義だな。他人には刃を突きつけておいて、自分は命乞いか」
まるで地獄の底から響いてくるかのような、低い声音。何の感情も含んではいないのが、却って恐怖を誘う。
「ヒッ………! た、助けて! 誰か助けてぇぇぇ‼」
少女は狂ったように喚き、泣き叫んだ。いくらなんでもやりすぎだ――そう思った深雪は、慌てて奈落と少女のもとに駆け寄る。そして、ナイフを振り下ろそうとしていた奈落の腕を横から掴んだ。
「な……何やってんだよ!」
しかし、奈落は冷ややかな視線でこちらを一瞥した。
「……。手を離せ」
「離すわけないだろ! 何考えてんだよ⁉ 相手はまだ子供だし、女の子だろ⁉」
すると、赤みがかった瞳に、侮蔑の色が浮かんだ。
「だったら何だ? 女で子供だったら、害が無いと言い切れるのか。……くだらねえ。ゴースト相手にそんな理論が通用するとでも思っているのか」
「あんたは何も分かってない! こいつらは街を一つ軽々と滅ぼすほどの凶悪なゴースト犯とは違う! そういう風に、攻撃するから……追い詰めるから、頑なになるんだ‼」
確かに彼らが薬物の密売などという、看過できない悪事に手を染めたのは確かだ。しかし、深雪には《タイタン》の少年たちが、強引に排除するほど凶悪な存在だとも思えなかった。奈落の対処は明らかに度を越している。
「そこをどけ、クソガキ」
奈落の言葉に殺気が籠る。
「……!」
あまりにも鋭いそれに、深雪は背中が粟立つのを感じた。しかし、奈落の凶行を認めるわけには、絶対にいかない。《タイタン》が子どもばかりのチームだということもあるが、そうしなくとも捕縛は可能だと思うからだ。
過度の暴力は慎むべきだと深雪は思う。《死刑執行人》がこの街で大きな影響力を持つというなら、猶更だ。
深雪は何とか踏みとどまると、奈落の前に立ちはだかった。




