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東亰PRISON  作者: 天野地人
生ける屍編
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第25話 覚醒する力

 次に目を覚ました時、後頭部の痛みに呻きつつうっすらと瞼を開くと、目の前には心配そうなシロの顔があった。


「し……シロ……?」


 混乱気味の深雪が裏返った声を上げると、シロは深雪を助け起こした。


「大丈夫? ユキ、ここで倒れてたんだよ」


 深雪はシロに突然殴られたこと、そのシロが意識を失う直前、神狼の姿に変わったことなどを思い出す。


「俺、シロに話しかけられて……殴られて。そしたらシロが神狼の姿になったんだ」


 眩む頭を横に振りつつ、そう言うと、シロは僅かに逡巡したのち、答えた。

「神狼のアニムスはね、《ペルソナ》っていうの。他の人に変身できる力なんだよ」


(そうか、こっちのシロが本物で、さっきのシロは神狼の変装だったのか)


 何故、神狼がわざわざシロの姿をして深雪に話しかけてきたのか。鈍い頭でぼんやりとそう考える。深雪を油断させたかったからか。そして、気絶させることで足止めをしたかったのか。


 そう考えたところで、深雪ははっとする。


 神狼は命の事を尋ねてきた。いくらシロのふりをしていたからとはいえ、知りもしないことを聞きはしないだろう。うまく隠してきたつもりだったが、事務所はすでに命の存在を把握しているのだ。


「まさか……!」


 その予感に深雪は戦慄し、凍り付いた。


 慌てて腕に嵌めた通信機器を起動させ、震える手で警視庁の開設している公式サイトを開く。そして、《リスト》ページを検索(クリック)した。


 そこには加賀谷祐馬と大森翔人、八柳大樹の他に、鵜久森命の名と写真が新たに追加されていた。


「《メラン・プシュケー》の幹部と命が《リスト登録》されてる……⁉ マリアは確か、これから登録作業に入るって……俺の事、騙したのか⁉」


 今や、はっきりと悟っていた。神狼がわざわざ回りくどい手法で深雪を気絶させたのは、深雪の存在が邪魔だったからだ。深雪が意識を失っている間に、命を『排除』してしまおうという腹積もりなのだろう。


 確かに彼らにとって、深雪は仲間とは言えないかもしれない。それどころか、反抗的な役立たずに映っていることだろう。それは自覚していたが、まさか『味方』に背後から刺されるような扱いを受けるとは思っていなかった。


(リストを完遂するためなら、何だってするということか……⁉)


 沸々と激しい怒りが沸き上がってくる。


「ユキ……」


 おろおろとするシロに、深雪は迫った。「シロはこの事、知ってたのか?」

 すると、シロはぶんぶん首を振る。

「し、知らない! シロは、お仕事の事はあまり教えてもらえないから……!」


 その仕草を見て、彼女は本物だ、と深雪は確信した。先ほど感じた違和感が、今はきれいさっぱり消えているからだ。


 そうであるなら、何も知らされていなかったというのも本当の事なのだろう。現に流星は、シロを事務所の仕事にできるだけ関わらせないようにしていた。


「くっ……!」

 ここでシロを責めたところで、埒はあかない。深雪は起き上がって走り出す。


「ユキ、どこへ行くの⁉ 待って!」

 シロは慌てて深雪の後を追ってきた。


 行き先など決まっている。命の住処である温室だ。


 深雪は痛む右半身を抑え、目的地に急いだ。早くしなければ、本当に命が殺されてしまう。本来、歩ける状態ではなかったが、その一心で前進を続けた。


 そして、そこで自分に扮した神狼が、命に押さえつけられているのを目にすることになる。





 普段は穏やかであるはずの温室の中は、似つかわしくない緊迫感で溢れていた。


 神狼は相変わらずテーブルに命を押さえつけたままだ。


 深雪とシロは固唾を呑んでそれを見守った。右手は相変わらず、ひどく痛んだが、この場のあまりにも張り詰めた空気が、深雪から痛みの存在を忘れさせていた。


「そうか……僕が深雪さんだと思って話をしていたのは、全くの別人だったってことですね……?」

 

 ようやく冷静さを取り戻した命が、合点がいったという風にひとりごちた。「だとしても……何で動けるんだ……? 誰だかは知らないが、蜂毒入りのハーブティーは確かに飲んだじゃないか! 動ける筈ないんだ……‼」


 すると神狼は、何だそんなことかとばかりに、口の端に皮肉の色を浮かべる。

「俺には毒、効かない。慣らされてる。ありとあらゆる毒、耐性を持つよう、訓練されている」

 神狼は幼少のころから殺し屋教育の一環として、毒に慣らされている。ありとあらゆる毒物を毎日少量ずつ摂取していくのだ。蜂毒も勿論、例外ではなく、アナフィラシキーショックには強い耐性があるのだった。


 命の目前には、匕首ダガーで刺されたピンクの寄生蜂が、深々とテーブルに縫い付けられていた。それを目にした命は、憎悪で激しく燃え上がった瞳を神狼へと向ける。

「くっ……殺したな、僕の大切な友達を……!」


 しかし、神狼は命の怒りなど意に介した様子もなく、鼻先で笑いとばしたのだった。

「安心しろ、お前が死んだら蜂も全て駆除してやる。虫より自分の心配、したらどうだ?」


 命はなおも神狼を睨みつけていたが、抵抗する無意味さを悟ったのか、苦々しい表情で項垂れた。


「……この蜂は突然変異で生まれた、希少な種なんだ。僕が導いてやった理想の番でないと繁殖しない。だから、殺さないでやってくれ」


「駄目だ。それでも、自然繁殖する確率、ゼロじゃない」

 神狼が冷淡に返すと、命は舌打ちをしつつも説明を続ける。


「この子たちは寄生蜂でありながら、スズメバチやミツバチのような社会性がある。両方の特性を兼ね備えているんだ」


 スズメバチやミツバチは女王蜂を主とした(コロニー)を形成し、集団で子育てをする。一方の寄生蜂は動植物に直に卵を産み付ける為、巣は形成しないし、子育てもしない。命の寄生蜂は、産卵は寄生蜂の形態をとるが、同時にスズメバチやミツバチ等のように集団行動をし、互いの関係が密なのだった。


「――この子たちの中で繁殖能力があるのは女王蜂だけだ。それも僕の『合図』がないと絶対に交尾しない。自然繁殖はあり得ないんだよ。……僕がそう設計し、作ったんだから」


 神狼は命の言葉を吟味するように、冷徹な瞳で見下ろしていたが、やがて静かに口を開いた。

「……つまり、お前が今回の事件を完全に裏からコントロールしていたという事、だナ?」

 

 命は肯定するように目を閉じる。


「そ……そんな……嘘だろ、命……⁉」ショックを受ける深雪。


 神狼は狼狽する深雪の存在は完全に無視し、命に向かってすっと目を細める。


「……言い残しておくことはそれだけか?」

「ああ」命は何かを覚悟したような、決意を秘めた瞳をしていた。


「だったらお前はもう用済みだ」


 命のリスト執行を遂行する上で、残された寄生蜂の対処法を聞き出す事は、神狼にとって必須条件だった。それを聞き出す為にわざわざ雨宮深雪に変化して接近するなどという回りくどい手法をとったのだ。だが、どうやら命がいなくなれば寄生蜂も自然消滅するらしいということが分かった。


 これで、リスト執行を阻害するものは何もない。


 神狼は迷うことなく匕首ダガーを振りかざす。


「ま……待ってくれ、神狼! 命と話をさせてくれ!」

 深雪がそう叫ぶと、神狼は命に向けていた冷淡な視線を上げ、今度はそれを深雪に向けた。


「何を話す? お前もこいつの話を聞いていただろう。こいつは救い難い思想を持った殺人鬼だ」

「お前にとってはそうかもしれない……でも、俺にとっては友達なんだ!」


「ユキ……」

 深雪の背後に立つシロもまた、はっきりと口には出さないが、神狼の判断を支持しているのが伝わってきた。それが余計に深雪を頑なにさせていた。たとえ事務所の人間を全員、敵に回したとしても、深雪は命を守るつもりでいた。命のことを理解しているのは自分だけだと、本気でそう思っていたのだ。


 するとその場に、くくくくく、とせせら笑う声が響いた。


 深雪は思わず言葉を失う。


 あろうことかその嘲笑は、命の口から発せられていたのだ。


「……友達……友達、か」

 命は、馬鹿馬鹿しくて仕方ない、とばかりに、引き攣った嘲笑を放ち続ける。


「命……?」深雪が眉根を寄せると、神狼も「何が可笑しい?」と鋭く囁き、改めて匕首ダガーをその首筋に突きつけた。

 すると、命はふと笑いを引っ込め、今までになく冷ややかな口調で言い放った。

「僕の友達はこの蜂と温室にある植物たちだけですよ。深雪さん、あなたの事を友達だと思ったことは一度もありません。あなたに近づいたのは、単に利用できそうだと思ったからだ」


「命……!」


「僕はゴーストになって気づいたんだ! 人間がいかに醜く汚らわしい存在であるかという事に。人間でなくなって……蜂や植物たちにより近づくことで、ようやく気付いたんだ‼」

 命が叫んだのと同時だった。どこからともなく飛んできたピンクの寄生蜂が三匹、神狼に襲いかかる。


「……⁉」


 神狼はすかさず、それを片手で払い除けた。さすがに刺されることはなかったが、蜂にすっかり気が逸れてしまった。その一瞬の隙を狙っていたのだろう、命は神狼の手を跳ね除け、逃れることに成功する。


「……残念だったね、僕の友達は他にもいるんだよ」

 優美に微笑んで見せる命に、神狼は「ちっ……!」と毒づいて匕首ダガーを構え直す。


 しかし、もはや自由を得た命は、何者をも恐れていないようだった。大きく仰け反って両手を広げると、くわっと目を見開いて叫んだ。


「自然は神……神そのものだ。彼らに極限まで近づいたこの僕が、不完全で醜悪な人間など本気で友人だと思うはずがないだろう‼」


 自分が正しいと信じて疑わない、自信に満ちた高らかな嗤い声。命の姿は、まるで本当に己が神か何かにでもなったかのようだった。自分以外の全ての人間を見下し、侮蔑して、憐れんでさえいる。命の口から溢れているのは、そういった、途轍もなくおぞましい嗤いだった。


 東京の中には本物の化け物がいる――数日前、流星に告げられた言葉が蘇る。人間でもゴーストでもない、人の皮を被ったおぞましい化け物。目の前の命の姿は、まさにそれだった。


 深雪は己の目にしている光景が信じられなかった。


 完全に顔から血の気が引き、あまりの恐ろしさに、震えさえ走った。


 命は一体、どうしてしまったのか。周囲の人間にいたぶられ過ぎたために、とうとうおかしくなってしまったのか。いや、そもそも目の前で哄笑を放っているのは本当に命なのだろうか。誰か全くの別人が、彼に成りすましているのではないか。


 あらゆる問いを、何度も自分の中で繰り返す。しかし、命の高笑いは止まらない。


 ドクリ、ドクリと、右腕の血管が激しく脈打つ。


 やがて嗤い狂う命を見つめているうちに、深雪は自分の中で、それまでとは全く違う感情が沸き上がってくるのに気付いた。


 それは憤怒だった。


 命に裏切られたことに対する怒りではない。この少年を、このまま野放しにしていてはいけない、殺すのではなく、自分自身の犯した罪を分からせねばならない――そういった、使命感と義憤が織り交ぜになった強い感情だった。


 それが、彼を友人だと信じた自分の、果たすべき役割だと思ったのだ。


 深雪は俯いて呟いた。

「……アニムスがお前をそんな風にしたのか」

「……何だって?」

 命はぴたりと哄笑をやめ、訝しげにこちらに視線をやる。深雪は、今度は顔をあげ、まっすぐに命を見据えた。


(アニムス)が……ゴーストになった事が、お前をそんな風に狂わせてしまったのか⁉」

「ふ……狂った、か。僕は何も変わってないつもりだけど。でも、だったらどうだって言うんだ?」


「だったら……

 (アニムス)なんてなくなってしまえばいい‼」


 深雪はありったけの力を込めて叫んだ。


 自分の中で、押さえ付けていた何かが爆発するのを感じながら。


 同時に、右の腕に異変が起こる。激しく脈打っていた右腕は、今や沸騰しそうなほど熱を帯びていた。それが内側から光を発し始めたのだ。腕の血管や筋肉の鮮やかな赤が、光を受けて浮かび上がる。


 しかし、変化はそれにとどまらなかった。腕が発する光はどんどん強くなっていき、ほとんどその立体を感じさせないほどになっていったのだ。


 やがて深雪の腕は純白の光に包まれ、かろうじて輪郭が窺えるのみになった。

そして肩のあたりがぶわりと膨らんだかと思うと、そこから幾筋もの光が伸び、天に向かって広がっていく。


 それはまるで、白鳥が今にも大空へ飛び立たんと、翼を広げたかのようだった。


 その翼の先端は、細かな光の粒子を凄まじい勢いで放出していた。真っ白い粒子は奔流となって周囲の植物の葉を搔き乱す。温室のガラスはビリビリと音を立てて振動し、驚いた鴉たちが慌てた様子で天井の裂け目から逃げ出していった。


 耳の奥がドクドクと脈打ち、全身が熱い。足のつま先から頭の芯に至るまで沸騰し、蒸気を発するかのようだった。 


 莫大なエネルギーが深雪を中心にし、轟、と音を立て、爆発した。





 シロや神狼、命――その場にいる全員が、驚愕を顔に浮かべ、その光景に見入っていた。


「な……何だ、これは……⁉」

 常に冷然としている神狼だが、さすがに動揺を隠せず、唖然となって呟いた。


「ユキ‼」

 シロは深雪に向かって呼びかけるが、深雪はシロのほうを振り向かなかった。深雪の意識はただ一点、命のみに注がれていた。


 その命は後ずさりし、何か恐ろしいものでも見るかのような視線を深雪に送る。


「まさか、これもアニムスなのか……? いやでも、深雪さんのアニムスは……!」

 深雪のアニムスは《ランドマイン》…………『地雷』だ。実際にそれを用いているところを見たことはないが、その情報は命も得ていた。命の友人――寄生蜂に、深雪の情報を集めさせていたからだ。


 しかし、今の深雪はそれとは全く様子が違う。《ランドマイン》は操る者の肉体に、変化を起こさないアニムスだった筈だ。だとするなら、眩いばかりの白光を放っている深雪の右腕は、いったい何に起因するものなのか。


 また、深雪の放つ圧倒的な威圧感も命を激しく混乱させていた。


 命にとって、雨宮深雪は強いアニムスを持ってはいるが、ただされだけの存在だった。その筈なのだ。正義感が強く、ガラの悪いゴーストたちにも敢然と立ち向かう度胸があるが、その一方でどこか自分に自信のないところがあり、そこに付け入る隙がある筈だった。


 しかし、今の深雪はどうだ。気弱な素振りは微塵もなく、今までには考えられないほど強い感情をその両目に秘め、のし歩いている。腕から放つ白光は、荒々しくもどこか神がかっていて、悪鬼を組み敷く仁王像を彷彿とさせた。


 命は深雪の雰囲気に圧倒され、動けない。まさに蛇に睨まれた蛙だった。

 深雪はそんな命にゆっくりと近づいていく。

 腕はなおも神々しい光を放ったままだ。


「う……あ……!」


 金縛りにでもあったかのように、直立不動でその場に立ち尽くし、ただ口だけをパクパクとさせる。はたから見れば、さぞ間抜けな光景に移るだろう。それでも命は微動だにできずにいた。


 ただ、深雪の怒り狂った目を見返すことしかできない。


「お前のアニムス、俺が消滅させてやる……‼」


 深雪は命の目の前まで来ると、そう告げた。それはまるで、断頭台で突きつけられる死刑宣告のようだった。


 やめてくれ、これ以上僕に近寄るな―――命はそう叫びたかったが、もはや声を出すことすら叶わない。

ただ、がくがくと体が震えるだけだった。

 それが恐怖から来る震えなのか、それとも深雪の放つ光の奔流を真正面から受けているからなのか、どちらかは分からない。

 いずれにしろ、命は枝にしがみつく木の葉のように、されるが儘に身を揺らす事しかできなかった。


 やがて深雪は、泰然とした仕草で右腕を持ち上げると、強烈な光を放つ右の手の平で、そのまま命の顔を掴む。


 すると次の瞬間、深雪の腕がひときわ強い閃光を放った。


 その光は命の顔を掴んだ手の平から腕へと上昇していき、肩から広がった翼をたどって空中に放出される。


 かつてないほどの凄まじいエネルギーが一気に大気中に放出された。

 

 白い光は渦を巻き、荒れ狂って周囲の植物や家具を薙ぎ払っていく。


 温室のガラスにひびが入り、つんざくような音をたてて一斉に割れていく。



「う……うわあああああああああああっ‼」



 命の口から、絶叫が迸った。何が起こっているのか分からない。ただ、自分の中の何かが吸い取られ、根こそぎ奪われていくのを感じていた。


 それは命にとって、自分の生命よりも大切なものだ。全ての拠り所であり、決して他人に奪われてはならないもの。


 だが、今や指一本抵抗することすらできず、深雪によって一方的に毟り取られようとしている。


 やめてくれ、誰か助けてくれ! 


 誰か、だれか―――――

 


 しかし、やがて命の意識もまた、白光に呑み込まれていった。


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