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東亰PRISON  作者: 天野地人
生ける屍編
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第23話 暗躍①

 しかし、命が何を言おうとも、深雪の心は揺るがなかった。


「本当は命を信じたかった。命は虫や植物が好きな、心の優しい奴だって……こんな、人を人とも思わないような事、する奴じゃないって、そう信じたかった。


 ――確かに加賀谷祐馬はサイテーな奴かもしれない。でも、俺は見たんだ。寄生蜂に寄生された九重竜吾の姿を。自分の中に何かが巣食っている恐怖感、このまま食い尽くされるのを待つしかない絶望感……俺はあれが相当の報いだったとは、到底思えないんだ」


「………っ!」


「命の思い描いている理想は、俺の理想とは違う。逆らう者はみな寄生蜂に寄生させて従わせるなんて……そんな世界は地獄だよ。


 だから……俺は、命とは一緒に行けない」


 命は黙って決別の言葉を聞いていた。


 その顔には憤怒や失望、苛立ちがない交ぜになった色が浮かんでいる。


 深雪もまた、静かに命を見つめ返した。己の出した結論を、変える気はこれっぽっちも無かった。


 静寂が辺りを包み込み、温室は元の穏やかな空気を取り戻していた。温室のどこかにいるのだろう、シジュウカラの鳴く声が微かに聞こえてくる。

 

 それでも命はしばらくの間、何か言いたげだったが、やがて諦めたのか小さく呟いた。


「……そうですか。深雪さん、残念です」

「俺も……」


「残念だよ」――そう返事をしようとした時だった。


 深雪の体がぐらりと傾ぐ。


「な……⁉」

 

 突然のことに、自分自身が激しく驚いていた。

 慌てて体勢を整えようとするが、体に力が入らない。深雪はそのままテーブルに突っ伏した。ガチャン、とティーカップが倒れ、注いであったピンクの液体がぶちまけられる。


 しまった、と思ったが、それに構う余裕すらもなくなってきた。


 全身が気味の悪い汗をかき、誰が触れているわけでもないのに咽喉がきつく締め付けられる。何とか眼球だけ動かし、命のほうに視線をやると、命は気味の悪い凶悪な笑みを顔いっぱいに広げていた。


「深雪さん……蜂毒ってご存知ですか? アピトキシンといって、アナフィラキーショックの原因ともなる物質です。

 アナフィラキーショックは全身性のアレルギー反応で、重篤になると血圧低下、循環不全、意識障害や呼吸困難を引き起こし、死亡に至るケースもある。深雪さんが摂取したのは、蜂毒の成分を何倍にも濃くし、更に調整を加えたものです。

 まあ分かりやすく言うと、このまま放っておいたら深雪さんは中毒症状で死んでしまう……という事ですよ」


 命の愉悦の籠った耳障りな声を聞きながら、深雪は目の前にぶちまけられたピンク色の液体に視線を落とす。


「まさか……さっきのハーブティーに……⁉」


「はい。念のため、混入させてもらいました。もし深雪さんが僕の考えに賛同してくれたら、解毒剤を渡すつもりだったんですが……本当に残念です」


 言葉とは裏腹に、命はくつくつと、満足げな笑いを喉の奥から漏らした。


 そんなバカな、命も同じ茶を口にしていた筈――そこまで考えて、すぐに気づいた。毒は液体に直接混入されていたのではない。おそらくカップに塗られていたのだろう。命も同じティーカップで茶を飲めば、毒が入っているのではないかと疑われ難くなる。相手を油断させる、毒殺のごく初歩的な手法だ。


「こ……ん、な……!」


 深雪はぱくぱくと口を開くが、気道が詰まって声が出ない。両手足がしびれ、酷い耳鳴りや目眩もしてくる。両足ががくがくと痙攣さえし始めた。


 命はそんな深雪を冷徹に見下ろし、テーブルの向かいに座ると、己のティーカップに注がれた茶を優雅に啜り始める。


「……本当はね、寄生蜂なんて使わなくても、この蜂毒さえあれば、祐馬を殺すことはできたんだ。でもそれじゃ苦しむ時間はほんの僅かで、あっという間に死の瞬間を迎えてしまう。そんなの許せなかった。僕が苦しんだ時間はもっともっと長大なんだ! 祐馬も同じくらい苦しむべきなんだ‼ ……だから、寄生蜂という方法を選んだんです。

 結果は思った以上に上々でした。祐馬が苦しみ、のた打ち回る姿が、目の前に見えるようですよ」

 

 命はもはや誰憚ることもなく、あははははは、と哄笑を放つ。


 深雪はただ、テーブルに這いつくばってそれを見上げることしかできなかった。


「み……こ……!」


 何とか声を肺の奥から絞り出すと、命はまるで初めてそこに深雪がいることに気付いたとでも言わんばかりに、こちらに視線を落とす。そして体を屈めて深雪の耳元に口を近づけると、甘い声で囁いた。


「深雪さんはいい人だ。だから最後にもう一度チャンスをあげます。僕の力になると誓ってください。そうすれば、解毒剤を差し上げますよ」


「くっ……‼」


 それは、深雪にはまるで悪魔の誘惑のようだった。全身に蜂毒が回り、もはや指一本動かすことすらかなわない。呼吸はどんどん細くなり、ヒュウヒュウと咽喉からおかしな音が出る。しかしが暗くなりはじめ、耳もまるで膜が張ったようになり、音が聞き取りにくくなっていた。


 このままいけば、一時間後には間違いなく死んでいるだろう。うんと言いさえすれば、それが助かる。この苦しみから解放されるのだ。

 

 それでも深雪は、首を縦に振るわけにはいかない、と思った。命の条件を受け入れたとしたら、彼のしたことを認めることになるどころか、これから永遠に片棒を担がされることになる。


 それは決して受け入れられなかった。


 命はそんな深雪の思いを馬鹿にしたかのように、嘲りの声を出す。

「どうして意地を張るんですか? 僕は決して悪い条件を出しているつもりはありません。深雪さんさえ納得してくれれば、全てが丸く収まるんだ。いいんですか、このまま死んでしまっても?」

 

 命はそう言うと、懐からガラスの小瓶を取り出し、深雪の目の前で振って見せる。中には透明な液体が軽やかに揺れていた。おそらくそれが解毒剤なのだろう。 


「お……れ……絶対に……お前の、思い……通りに、は……なら……ない……‼」

 深雪は呼吸困難に喘ぎつつも、命を見上げ、睨んだ。


 その反抗的な態度に、命は苛々し始める。そして深雪の髪の毛を乱暴に掴んで持ち上げると、激しくテーブルに打ち付けた。


「本当に強情だな……そんなに僕に従うのが嫌なのか! 言え、いう事を聞くと! そうしたら、すぐに楽になれるんだぞ‼」


「…………っ‼」

 深雪は抵抗するように口を引き結ぶ。


 解毒剤は欲しい。欲しいが、命に従うわけにはいかない。深雪の心はぎりぎりのところを振り子のように激しく揺れ動いた。だが、最後には己の信条が誘惑に勝った。


 すると、命は痺れを切らし、とうとう爆発する。


「そうか……そんなに嫌か! ……だったら、そのまま死ね‼」

 感情も露わに、命がそう叫んだ時だった。


 背後から別の叫び声が響き渡った。



「命、駄目だ! そいつから離れろ‼」




「……⁉」


 それは、よく聞き慣れた声だった。

 そして、命の背後からは決して聞こえる筈のない声でもあった。


 何故ならその声の持ち主は、命によって目の前で押さえつけられていたからだ。


 ――何故。どうして。


 動揺した命が背後を振り向くと、部屋の入口の方角、植物と植物との間に、肩を上下させた深雪の姿があった。右肩を抑え顔色は悪いものの、毒に侵された気配はない。そのすぐ後ろにはシロの姿も見える。


 命は混乱した。どうしてそこに深雪がいるのか。


 目の前で蜂毒に苦しんでいるのも深雪なら、部屋の入り口に立っているのも深雪だ。


「ど……どういう事だ? 深雪さんが二人……⁉」


 しかし、命が驚いてその場に立ち尽くすのも束の間だった。


 蜂毒に悶絶している筈の深雪の体が、何事もなかったかのように、するりとしなやかな動きで起き上がったのだ。そしていとも簡単に命の拘束を解くと、逆に命の頭を掴んでテーブルに叩き付けた。全てが一瞬で、命は反撃する隙が全く無い。


「なっ……⁉」


 命は驚いて目を見開き、蜂毒に侵されたはずの深雪を見上げた。すると、深雪の姿が僅かに横にぶれ、次の瞬間、全くの別人の姿となる。


 それはチャイナ服をまとった、見慣れぬ少年だった。妖しさを感じさせる切れ長の瞳に、林檎のような赤い唇。蜂毒の影響など微塵も感じさせず、けろりとした表情をしている。

 それどころか痙攣や呼吸困難の症状もなく、冷ややかに命を見下ろしていた。


「だ……誰だ……⁉」命はすっかり裏返った声で、茫然と呟いた。


「やめろ、神狼!」


 深雪が前のめりに身を乗り出して叫ぶが、神狼は命から手を放す様子はない。それどころか匕首ダガーを取り出し、命の首筋に突きつける。


 命は身を捩って神狼から逃れようと試みるが、どういうわけだか似たような体格であるのに、びくともしない。


「くっ……! 一体いつの間に、すり替わっていたんだ……⁉」

 歯軋りをして悔しがる命に、神狼は鼻を鳴らして言った。


「フン……最初から、だ」





 ――小一時間ほど前のことだった。


 深雪は誰にも内緒で事務所を飛び出し、命のもとへと急ごうとしていた。


 まだ、誰にもばれていない――深雪はそう考えていたが、事務所の二階からその姿は丸見えだった。神狼が事務所の柱の陰に身を隠し、気配をすっかり消した上で、深雪の行動を見張っていたのだ。

 もちろん神狼に見つめられていることなど、深雪は全く気付かない。


「あいつ、動き出したゾ」

 神狼は背後を振り返ってそう告げた。


「そう……思ったより早かったわね。それじゃ、そろそろこっちも動きますか」

 ウサギのマスコット、マリアが鼻息も荒くそれに答える。


 その部屋は、二階のミーティングルームに隣接した控室だった。会議室に比べると設備がずいぶん簡素で、広さもミーティングルームの半分ほどの部屋だ。その中に流星やオリヴィエ、奈落といった他のメンバーも待機していた。


 ただ一人、シロの姿だけがその中にはない。


 部屋の一番奥に設えられた、アンティークの重厚な椅子には、東雲六道が腰を掛けていた。六道は体の前にいつも愛用している杖を立て、その頭に両手を添えている。


「やれやれ……これでようやく片が付くな」

 六道は目を閉じ、チェロを思わせる重低音の声音で、ため息と共にそう吐き出した。しかしそれで部屋の空気が弛緩することはない。それどころかより緊迫し、冷気を帯びていく。部屋の者の放つ殺気が、部屋の空気を凍らせているのだ。


 その中で流星は一人、渋面を作る。

「……こういうやり方は、何か味方を騙してるみたいで、どうもしっくり来ねえな」


 深雪を泳がせ、その間に片を付ける――それが六道の下した決断だった。だが、あのいかにも繊細そうな少年は、この作戦を知ったらひどく傷つくだろう。流星はそのことが気がかりだった。

 

 しかし、その言葉はすぐに奈落の嘲笑によって否定される。

「お優しい事だな。あのクソガキの心配をするより、他に優先すべき事があるだろう」


「それに~、先に隠し事をしたのは深雪っちの方だもの。おあいこよ。どうせなら、この状況を利用させてもらわなくっちゃ」

 マリアもこういうときばかりは奈落の肩を持つらしい。流星は調子のいい奴、と、マリアを睨むが、当のウサギはどこ吹く風だ。


 すると六道は瞼を開き、その奥にある暗くも激しい熱を帯びた眼光を、その場の面々に向けた。

「……雨宮が《死刑執行人(リーパー)》の何たるかを理解するにはまだ時間が掛かるだろう。今は《メラン・プシュケー》と鵜久森命を制圧がすることが先決だ」

 

 異論を唱える者は、その場にはいなかった。

 

 ゾンビ化した《メラン・プシュケー》のメンバーたちは、誰彼構わずに襲い掛かる傾向がある。それはつまり、新たな被害者が出る可能性があるということだった。それだけは絶対に阻止しなければならない。


 流星もそれは分かっていた。深雪のことは気になったが、六道の命令に従うのに異論はなかった。

誰も、一言も発しない。

 六道は事務所の面々が下した結論に、満足そうに頷いて見せる。


「よし……それでは、予定通り始めよう」

「……了解」


 そして、《狩り》が始まった。





 黄昏どきの監獄都市は、人けが殆どない。


 まともな者であれば、凶悪犯罪やゴーストの抗争に巻き込まれるのを恐れ、とうの昔に安全な場所へ身を隠している。


 つまり日が落ちても街をうろついているのは、まともではない連中だ。


 崩れかけ、すっかりその役目を放棄した地下鉄階段の入り口から、一人、また一人とゾンビたちが姿を現した。ゆらゆらと不規則に体を揺らして階段を昇ってくるその様は、まさに冥界から這い出して来る死霊の姿そのものだった。


 まず姿を現したのは、《メラン・プシュケー》の大森翔人だ。《パイロキネシス》の名の通り、火炎系のアニムスの持ち主だった。


 そして、その後ろに続くのが八柳大樹だった。八柳大樹のアニムスは《ジフィ・ラン(俊足)》。素早い移動を得意とするアニムスだ。


 大森翔人と八柳大樹は覚束ない足取りで、廃墟の中をフラフラとどこへともなく歩いていく。よく見ると、彼らの背中には歪な形のこぶが見えた。寄生蜂の作った虫こぶだ。その奇妙な脹らみは大きさが今やバスケットボールほどくらいもあり、いつ破裂してもおかしくない状況だった。


「……見つけたぜ。まさに歩く時限爆弾だな」


 流星はやれやれと、皮肉交じりの笑みを唇に浮かべた。「成る程、本当に地下を根城にしていたとは……見つからないわけだ」


 大森と八柳は目の前に流星が現れるのを認めると、瞬時に臨戦態勢を取る。

「ウ……ウウ……グルルルル……!」

 大森は流星を警戒して中腰になり、獣じみた体勢をとる。構えた両腕から、真上に向かって炎が吹き上がった。


 一方の流星は、装備の類は何も持たず丸腰だった。腰にハンドガンをぶら下げてはいるが、今日はその銃把を握っていない。


 大森翔人は、武装していない流星を与し易い相手と見て取ったのか、まるで威嚇するかの如く二の腕から勢いよく炎を吹き出した。禍々しい火炎の触手がとぐろを巻き、周囲を赤々と照らす。


 もう一人のゾンビがそれに続くかと思われたが、八柳大樹は予想に反し、大森翔人の頭上を跳躍して飛び越えていった。八柳はそのまま《ジフィ・ラン》を駆使して、その場から逃走を試みる。どうやら二人で協力するという発想はないらしい。


 流星は八柳大樹の方を追わず、大森翔人と対峙した。

「……来い!」


 低く呟くと同時に、流星を取り囲むようにして四体の《レギオン》が出現した。どれも大柄な人影で、全身に黒コートをまとい、顔にはガスマスクのような無機質な仮面をつけている。無駄な動きもなく、彼らの感情は読み取りにくい。


「行け!」


 流星は冷徹にそう命令を下した。間髪置かず、四体の《レギオン》が一斉に大森に襲い掛かる。一方の大森も襲い来る四つの黒い人影を敵と認識したようだ。流星からすぐに関心を無くすと、《レギオン》に応戦を始める。


「グアア!」


 大森は《レギオン》に向かって腕を振り下ろす。すると、腕から吹き上がる炎が鞭のようにしなり、激しく身をくねらせると、うなりをあげて《レギオン》に襲い掛かった。炎の鞭は《レギオン》の体を容赦なく抉り、破壊していく。

 

 腕、足、胴体――鞭を受けた《レギオン》の体の部位は次々と霧状になって空中に散っていく。 


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