第21話 急転
中にはすっかり居住区画と化している駅もあった。そこにはある程度の賑わいがあったが、力なく倒れている者も多く見受けられる。
怪我をしているのかそれとも既に息がないのか。しかし、それを助けようとか看病しようというものは皆無で、放置したままにしている。
どうやら地下の治安も、地上と同じかそれ以上に劣悪な状態にあるようだった。どうやら、《死刑執行人》も滅多なことでは地下に立ち入ることがなく、完全に無法地帯と化しているらしい。
「おそらく本能的に、そこが安全だと嗅ぎ付けたんだろうな。もしくは、寄生した蜂がそういう指令を出したか、だ」
流星がそう解説すると、マリアが後を引き継ぐ。
「《メラン・プシュケー》の幹部、八柳大樹や大森翔人も同じように地下に潜んでいることが分かったわ。画像も手に入ったの。これを見て」
浮かび上がったのは一本の動画だった。地上を斜め上から撮影したもので、そのアングルから監視カメラの映像だと分かる。
全体的にモノクロの色調のためか、細部は分からない。じっと見つめていると、不意に人影が写った。
一人、二人――全部で三人。
顔立ちまではよく分からなかったが、体格からするに男だろう。その男たちは、うろうろと覚束ない足取りで徘徊している。
「ここを見て」
マリアがその動画を突然静止させた。動画は、男たちの中の一人が背を向けたところを映し出している。マリアはその男の背中、首の付け根のあたりを指して言った。
「ほら、彼らの後ろ首のあたり。虫こぶができてる。しかも、かなり大きいでしょ?」
彼女の言うとおりだった。確かに不自然なほど、背中が腫れ上がっている。それは白黒動画でもはっきり分かるほど、歪な形状をしていた。
「……おそらく、寄生されてからだいぶ経っているんだと思うわ。しかも、蜂の羽化も間近よ。九重竜吾の解剖で分かったんだけど、この段階に来ると宿主の神経系はずたずたに食い荒らされて、元に戻る可能性はほぼ無いわ」
マリアは心なしか、声のトーンを落とす。
「……やるしかないってことか」流星も厳しい表情でそう呟いた。
「そんな……」
深雪は納得のいかない気持ちを思わず声に出していた。
もともと、《死刑執行対象者リスト》とは、凶悪犯罪を裁くためのものだったはずだ。《メラン・プシュケー》のメンバーが善良だったとは言えないかもしれない。だが、凶悪犯罪に手を染めたかというと、それも微妙に違う、と思う。
確かに彼らは無作為に人を襲っていたが、それはゾンビ化した故、寄生蜂に寄生されたが故、だ。《メラン・プシュケー》のメンバーが自らの意志で襲ったわけではない。むしろある意味、彼らも被害者なのではないか。
しかしマリアは、無情にもその場の全員に、リストの遂行を告知した。
「彼らは夜になると街へ出てきて徘徊するの。だから……狙うなら夜よ。これからリスト登録申請するから、全員、向こう一週間は夜間の予定を空けとていてよね」
「まさか……《リスト入り》させるのですか? 彼らは何も悪くはないのですよ。ただ、奇怪な蜂に寄生されたというだけで……」
オリヴィエも深雪と同じことを考えたらしく、そう声を荒げた。しかし、奈落の冷ややかな声がそれを一掃する。
「フン……相も変わらず、おめでたい奴だ」
「どういうことですか」
オリヴィエは、きっと奈落を睨むが、当の奈落はいたって冷静に言葉を返す。
「連中を放っておいても碌なことはない。どのみち殺るなら、早い方がいいに決まっているだろう」
「そうね。確かに彼らに罪はないけど、こうなってしまった以上、腹を括るしかないわね」
マリアがさして同情もしていない様子でそう付け加える。
「俺たちは俺たちのすべきことを為すだけだ。スケジュールが決まり次第、追って連絡する。とりあえず今日のところは解散だ」
深雪は流星の決定にショックを受ける。目の前が真っ暗になり、まるで自分が『死刑宣告』を受けたかのような感覚に陥った。
マリアの口ぶりからするに、おそらく《メラン・プシュケー》の面々を救う手立てがないのは事実なのだろう。かろうじて自我を取り戻した九重竜吾でさえ、助からなかったのだ。完全に寄生されたと思われる頭の加賀谷や、その幹部が助かるとは到底思えない。
頭ではそれを理解してはいたが、現実として突きつけられると、さすがに怯まざるを得なかった。
(《メラン・プシュケー》のメンバーは、加害者であると同時に被害者でもあるんだ。普段は大人しいチームだったという話を考えると、寄生蜂に関わりさえしなければ、今もきっと平穏無事に生きていた……そんな奴らなんだ。
もし、彼らが人為的に蜂に寄生されたんだとしたら……そんな事は、絶対に赦されないし、放っておいてもいけない)
そう考えたところで、なぜか脳裏に命の姿がよぎった。瞳をキラキラと煌かせ、蜂を指先に留まらせていた命の姿。深雪はそのことにひどく動揺した。
(何でこのタイミングで……あいつは関係ないはずだろ……!)
しかし何故だか命の事が、深雪の頭から離れなかった。
あいつはいい奴だ、そんな残酷なことする筈がない――そう思う一方で、無邪気にピンクの蜂と戯れていた命の姿が脳裏に焼き付いて離れない。
《ニーズヘッグ》の頭、竜ケ崎亜希の言葉がはっきりと思い出される。
『あいつの周りでは、不自然なほどによく人がいなくなるからだよ。特に鵜久森命に危害を加えた奴は、必ずと言っていいほどいなくなるらしい』
『僕はこの監獄都市のストリートで生まれ育ったから、何となく分かるんだ。勘っていうのかな。あいつはヤバい、絶対に関わらない方がいい……ってね。』
『不快に思ったらごめん。でも……本当は君も薄々感じているんじゃないかな?』
(―――……そうか。俺も心のどこかで、命を疑っているんだ)
命が蜂を操ったかどうかではない。命の言動の中には『嘘』があるのではないか。もうずいぶん前から自分がそれを感じ取っていたことに気付いたのだ。
どれがどう、というのではない。中には『真実』も数多くあっただろう。しかし、少なくとも亜希の証言を信じるなら、命は見かけ通りの人物ではない、ということになる。
もちろん亜希の方が嘘を言っている可能性もなくはないが、実際にはそれはないという気がしていた。亜希に嘘をつくメリットがないからだ。亜希は一貫して命を警戒していたが、それは頭としての責任感からであって、私情を交えているわけではない。それは《ウロボロス》の幹部だった深雪にもよく分かる。
客観的に見れば、亜希の言うことをもっと考慮に入れるべきだったろう。しかし、それでも深雪は命のことを信じたかった。「友達になりたい」と――そう言ってくれた命の言葉に嘘はないと信じたかった。
だから今まで彼の疑わしい部分は、見ないふりをしてきたのだ。
そう気づいた途端、深雪は再び命に会いに行きたくてたまらなくなった。直接会って、もう一度真相を確かめたかった。そして、命の本当の気持ちを知りたかった。
それに、気がかりなこともある。おそらく、奈落は深雪が事務所のメンバーに何かを隠しているという事に気づいている。やがて命の存在に辿り着くのも時間の問題だろう。
命がもし、寄生蜂を操っていた犯人だとしたら。
事件の大きさや罪の重さを考えると、決して事務所は――六道は彼を見逃さないだろう。
(おそらく、《リスト入り》は免れない……!)
それはゴーストにとって、死刑宣告にも等しい。何の抵抗も弁明も許されず、気づいた時には生命を奪われているのだ。命がどれだけ事件に関わっているかは分からないが、そうなってしまったらひとたまりもないだろう。
(《リスト登録》なんて、ただの人殺しだろ……!)
深雪はどうしてもそこに抵抗を覚えてしまう。この街にも少しずつ慣れているつもりではあるが、そのシステムだけは、慣れることができない。
もちろん、寄生蜂で《メラン・プシュケー》のメンバーを苦しめたことは、決して赦されるようなことではない。
もし命が犯人であるなら、罪を償わせなければならない。死ねばすべて終わり、めでたしめでたし――などという単純な話にしてしまってはいけないのではないかと思うのだ。
そう思うと、すぐにでも行動を起こさなければならないような気がしてきた。
実際、もう時間はない。命がリスト登録されれば、その瞬間に全てが動き出してしまう。
そうなったら、もはや流れを止めることは不可能だ。
深雪は事務所のメンバーやシロに感づかれないように、ひっそりと事務所を抜け出した。右手の奥で、痛みが目を覚まし、身じろぎを始める。深雪は左手でそれを宥めるように、右手をさすりながら、路地と路地の間をすり抜けるようにして走る。
そしてその足で、命の住処である商業施設へと向かった。
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カン、カン、カン………
深雪はさびれた商業施設の中にかろうじて残っている、剝き出しの鉄階段を上っていた。乾いた金属音が荒れ果てた建物内に響き渡る。
やがて、頭上に光が差し始め、屋上の温室にたどり着いた。
命の隠れ家である温室は、いつものように穏やかな空気に包まれていた。今日は曇天であるせいか、いつも生き生きしている植物たちも大人しい印象を受ける。姿は見えないが、どこかから鴉や野鳥の鳴き声が聞こえてきた。
深雪は生い茂る植物の間に作られた小道を、掻き分けるようにして進む。その先に、命の居住スペースがあった。簡素なテントの下に作られた、小さなキッチンとダイニング。
そこに命はいた。
「いらっしゃい、深雪さん。……そろそろここに来ると思ってました」
命は深雪に気づくと、そう言って薄く微笑んだ。そこにはいつもの、わざとらしい明るさはない。静謐な空気が彼を包んでいた。深雪もまた、静かに口を開いた。
「命、お前に聞きたいことがあるんだ」
「いいですよ。とりあえず、座りませんか?」
「急ぎの話なんだ」
「ハーブティーを入れたんです。折角じゃないですか。座ってゆっくり話しましょう」
命の口調は柔らかいが、頑として譲らない雰囲気があった。深雪は仕方なく、テーブルに座ることにする。命は白磁のポットとティーカップを二つ棚から出し、深雪の向かいに座ってハーブティーを入れ始める。鼻歌を歌い、妙に機嫌がいい。
命がポットを傾けると、鮮やかなピンク色の液体がカップに注がれた。
「綺麗な色でしょう? ハイビスカスとローズヒップのブレンドです。ちょっと酸っぱいけど、慣れたら病みつきになりますよ」
深雪は事務所からここまで走ってきたのと、強い緊張にさらされ、ひどく喉が渇いていた。命の出したローズヒップのハーブティーを受け取ると、それに口をつける。命は自分のティーカップにもハーブティーを淹れながら歌うように言った。
「ローズヒップやハイビスカスは美容にいいと言われているので、女性に人気があるんですよ。……まあ、僕は効能よりはこの色が気に入っているんですけどね」
「……鮮やかなピンク色だな」深雪がぽつりと感想を漏らすと、命はゆっくりと笑む。
「ええ。人間の……肉の色です」
思わず顔を上げると、命の視線とかち合った。そこには邪悪な感情は何一つなく、命は最初と同じように穏やかな微笑を浮かべている。それがかえって恐ろしかった。
「……命。寄生蜂を操っているのは命なのか?」
気づいた時には、そう尋ねていた。命はじっと深雪を見つめる。あどけない顔には相変わらず微笑を浮かべてはいるが、その瞳は深く、暗い。そこから命の感情を読み取るのは難しかった。
深雪は仕方なく、事件のあらましを話し始めた。《メラン・プシュケー》のメンバーが寄生蜂に刺され、寄生されたこと。そのせいでゾンビのようになり、ほかのチームや商店街の人々を襲ったこと。
「――寄生蜂によって、《メラン・プシュケー》は頭や幹部に至るまでゾンビ化し、壊滅状態だ。それだけじゃない。《ブラン・フォルミ》や《ニーズヘッグ》のように、ゾンビ化した《メラン・プシュケー》によって傷つけられた奴らも大勢いる。
……命なのか?
全部、命が仕組んだことなのか?」




