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東亰PRISON  作者: 天野地人
《東京中華街》・動乱編
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第62話 藍家邸②【深雪サイド】

 光鶯(クワンオウ)はよほど家人たちから慕われているのだろう。それが証拠に、家人たちはどれだけうるさそうに追い払われても、一心に光鶯を守ろうとしている。


 けれど、光鶯は頑として命令を曲げなかった。家人たちは尚も納得がいかないようだったが、光鶯に追い払われ、渋々、引き下がる。広々とした中庭には、深雪と光鶯の二人だけが残された。


「やれやれ、ようやく本題に入れるな。して、そちらの用件とは?」


「その前に、お話しておくことがあります。俺と現・六華主人――(ホン)神獄(シェンユエ)との関係について、です。彼女が本物の紅神獄でないという話は既にご存知ですか?」


「うむ」


「今の紅神獄の本当の名は、式部真澄といいます。俺と真澄はかつて友人だったんです」


 そして深雪は《ウロボロス》のことを手短に説明する。と言っても、あまり込み入ったことを説明している暇はない。深雪がかつて真澄と親しくしていたこと、いまでは連絡を取り合っていないが深雪は今でも彼女のことを親友だと思っている事などを、手短に説明する。


 もっとも、深雪と紅神獄とでは、親友というにはあまりにも年齢に差があり過ぎる。そうなってしまった経緯を説明しなければならないが、複雑である上に《雨宮=シリーズ》にまつわる情報まで明かさなければならなくなってしまう。だからそれを避けるため、「アニムスの治療のため、二十年間《冷凍睡眠・(コールド・スリープ)》されていた」と適度にぼかしておいた。


「ううむ……そんな事が……」


 全てを聞き終えた光鶯は、何やら考えを巡らせるような瞳をし、しきりとその白い髭を手で撫でている。どうやらそれが、彼のくせであるらしい。深雪は更に説明を続ける。


「俺は真澄を助けたいと思っています。彼女がたとえ何になろうとも、今も友人であることに変わりはない。その為にも、彼女の娘……轟鶴治との間に儲けた(くだん)の子どもを、《中立地帯》に連れ戻したいと考えています」


「……」


「真澄の娘には、他に家族がいます。期せずして、《東京中華街》を呑み込むこの動乱の引き金となってしまいましたが、彼女はこれまで何も知らず、ずっと穏やかに暮らしてきたんです。彼女だって、決して自分が『火種』となることを望んでいるわけではない。《東京中華街》の混乱を鎮めるために、そして真澄や隠し子自身のためにも、彼女は《中立地帯》に戻るべきです」


 それを聞いた光鶯は、ふと髭を撫でる手を止め、深雪に問う。


「……それで、我々に何をしろと?」


「真澄は……紅神獄は今、《黄龍太楼》の中にいると聞いています。俺は彼女に会うため、仲間の手を借り、ここまで来ました。でも、《黄龍太楼》の周囲には街の人々が集結し、とても近づける状態ではありません。それでも、何とかして彼女に接触したいんです。そして、隠し子がどこにいるか、詳しい情報を得たい。ですから、藍家の方に取り次ぎ役をお願いしたいのです」


 深雪は身を乗り出して訴えた。しかし、光鶯はあっさりと首を横に振る。


「残念だが、それはできない相談じゃな」


「な……何故ですか!」


「今や神獄さまの失脚は濃厚と見られている。これからどうなるか……情勢は更に混迷を極め、一寸先すら見通すことが難しい。そんな不安定な状況下で、紅家へ肩入れでもしたらどうなるか。言わずとも分かるだろう? 


 ……儂は藍家の当主じゃ。一族が生き残るためにも、藍家を危険に晒すわけにはいかん。この争いには、最期まで無関係を装うのが賢明というものだ」


「お気持ちは分かります。でもあなた達だって、このままいつまでも他人事ではいられないでしょう。紅神獄が本当に失脚してしまったら、あなた達も多大な影響を被るのです。家人の方々を守りたいと仰るなら、なおさら協力してください。お願いします!」


 藍家から協力を拒まれてしまったら、何のためにわざわざ《東京中華街》へ乗り込んで来たのか。どうやって神獄と接触すれば良いのか。このままでは、全ての苦労が水の泡と化してしまう。現状では、他に火澄を救出する方策があるわけでもなく、その糸口すら掴めないというのに。


 何とか事態を打開しなければ――そう思えば思うほど深雪の言葉にも熱が籠るが、依然として光鶯の意思は固いようだった。


「できんものはできん。紅神獄は我々を偽り、裏切った。まさか(とどろき)家と通じていたどころか、本物ですらなかったとは! 《東京中華街》のこの混乱は、その裏切りの報いなのじゃ。我々にはかかる火の粉を紅家と共に浴び、彼らと運命を同じくするつもりはない。もはや、そんな義理も無いしのう」


「そんな……!」


「全ては紅神獄の裏切りと欺瞞から始まったのじゃ。もはや彼女の命をもってでしか、みなの怒りは鎮められんよ。まったく……紅家にしても黄家にしても、もう少しうまくやってくれるかと思っておったがのう」


 そう言って、光鶯は微かに肩を揺らした。その表情にも、はっきりと揶揄するような色が浮かんでいる。


 それを目にした深雪は、カッとした。今や《東京中華街》は満身創痍だ。にもかかわらず混乱の収束がいつになるか見当もつかない。街の人々は今もなお、互いに傷つけあい、攻撃し合っている。だがどのような立場にあれど、みなが傷つき苦しんでいるのは同じなのだ。


 それなのに、何故それを嘲笑うことができるのか。気づけば深雪は叫んでいた。


「何故ですか! 何故、そんなにも冷笑的になれるのですか! あなたたちの街のことでしょう!? いずれは全部、自分たちに跳ね返ってくることだ!! ……神獄の裏切りが何だというんです? 真澄があなた達を偽ってきたから、それが何だと!! 彼女がこの街のために犠牲にしてきたものの数々に比べれば、ほんの些細なことだと、あなた方も本当は知っているはずだ!!」


「……」


 光鶯はすうっと目を細め、深雪を睨んだ。それまでには無かった、明らかな警戒と反感だ。交渉を成功させるためには、余計なことは口にすべきでないと分かっていた。だが、深雪は言わずにはいられなかった。


「……人には戦わなければならない時があるのだと思います。例えば権力があまりにも横暴で、人々の権利や生命、財産を脅かし平気で蹂躙する時。或いは権力そのものが腐敗して健全に機能しなくなった時。全てを懸けてでも抗い、戦わねばならない時がある。


 でも、真澄なら……神獄なら、そうなる前に対話をしようとしたはずです。話し合い、互いに理解を深め合って解決策を見つけ出そうとしたはずです。そしてきっと今も、何とかしてこの混乱を収めたいと願っているはず……! 俺の知る彼女は、そういう子です! 


 だから……お願いします、俺たちに力を貸してください! あなた達、藍家には決して迷惑をかけません。全てが手遅れになってしまう前に、隠し子を……真澄の子どもを取り戻したいんです!!」


 しかし、光鶯の返答はやはり冷ややかだった。


「何をしようと、もう無駄だ。この街は崩壊へ向かって走り出してしまった。誰もそれを止めることはできない。もう、行きつくところまで行きつくしかないのだ」


「それでは、諦めるというのですか!? このまま何もせず傍観に徹し、それで本当に未来を切り拓くことができますか!? 誰にも屈しないという事と、無責任という事は全く違うはずだ!!」


「では、どうするというのだね? それで君に何ができると? 隠し子を《中立地帯》に戻したくらいで、街が元通りになると、本当にそう信じているのか? 馬鹿な、あり得んよ。元通りになれるのは君たち《中立地帯》の人間だけだ」


「……!」


「君には帰る場所がある。《中立地帯》に戻りさえすれば、いつもの日常が待っている。しかし、我々にはどこにも逃げ場などないのだよ。どれほどの惨事が起ころうとも、我々はこの街で生きるしかない。《監獄都市》の中の、更に狭い《東京中華街》というこの街で、我ら藍家は生き抜いていかねばならないのだ。


 君と我々とでは、置かれた状況が似ているようで全く違う。そんな我らに生きるか死ぬかの選択を強要する権利が、君にあるとでも言うのか? ……誰しも安全な場所からなら何とでも言える。だが、それこそを無責任と言うのではないかね?」


「で、でも……!!」


「帰りなさい、若き《死刑執行人(リーパー)》よ。今ならまだ、黙って見逃してやることもできる」


 光鶯の意思は鋼のように固い。もはやどんな条件を提示することができたとしても、その決定を覆させることはできないだろう。その気配を敏感に感じ取り、深雪は唇を噛みしめる。


 事実、これ以上の説得に意味はない。何故なら、実際には協力したくとも難しいというのが、藍家の実情だろうからだ。


 《東京中華街》の混乱状況は悪化するばかり、先行きは不透明で混乱の収束がいつになるかも分からない。紅家や黄家がこの危機をうまく乗り越えられれば良いが、その可能性はどんどん遠ざかるばかりだ。そんな不安定な状況下では、藍家が特定の勢力に肩入れするなどあまりにも危険が大きすぎる。


 家を守るためには正義や信念を捨て、傍観に徹し、身を守る他にない。藍光鶯は当主として、至極まっとうで賢明な判断をしているだけなのだ。


 《東京中華街》の部外者である深雪に、その生き方を罵る権利などあろうはずもない。ましてや深雪の何倍もの時を生き抜いてきたこの老人を、容易に説得するなどできるはずもなく、それを期待すること自体がそもそもの間違いなのかもしれなかった。


「……分かりました、残念です」


 深雪は光鶯に一礼した後、藍家を後にするため踵を返す。こうなったら、やはり藍光霧を探し出すしかないのだろうか。だが、彼がどこにいるかも分からない。これからどうしたらいいのか。それを考えると、足が鉛のように重かった。


 ともかく、次の手を考えなければ――思考を巡らせつつ視線を転じると、ふと正房の右手にひとりの少女が立っているのに気づいた。年齢は十歳くらいだろうか。ぱっちりとした澄んだ瞳が真っ直ぐ深雪を見つめていた。


 二つのお団子頭(シニョン)が可愛らしく、水色のチャイナ服も初々しくて良く似合っている。しかし、どうしてこんな小さい子が。深雪が不思議に思っていると、少女はおもむろに口を開く。


「神獄さまは紅龍芸術劇院へと向かわれたそうです。おそらく……お探しになっている隠し子も、そこへ姿を現す可能性が高いかと」


 軽やかな鈴の音を思わせるその声が教えてくれたのは、思いも寄らぬ情報だった。深雪は驚いて目を見開く。


「君は……?」


 一方、それまで殆ど感情を表に出すことが無かった藍光鶯は、少女に気づいた途端、顔色を一変させ声を荒げた。


朱光(シュクワン)! 何故、出てきた!?」


「ごめんなさい、おじいさま。でも、せっかくこうして来ていただいたんだもの。このまま追い返すのはかわいそうだわ」


「しかし……!」


「手を貸すのは難しくとも、口を出すくらいなら構わないでしょう?」


 朱光(シュクワン)と呼ばれた少女は、そう言ってにっこりと笑う。光鶯を『おじいさま』と呼んだことを考えると、彼女は光鶯の孫と見て間違いないだろう。だがその笑顔は落ち着き払っていて、とても祖父と孫娘のやり取りには見えない。朱光の実年齢を考えると、びっくりするほど言動が大人びている。


(でも、なぜ素性も確かでない俺に、力を貸してくれたんだろう……?)


 現に当主である光鶯には、深雪に協力するつもりが無いようだった。それなのに、どうしてこの少女は貴重な情報を教えてくれたのだろう。深雪は疑問に思ったものの、今はそれを脇に置いておくことにした。ゆっくりと落ち着いて話をしてみたいが、今は時間がない。


「ありがとう。俺は雨宮深雪と言います。君の名前を聞いても?」


「朱光。私の名前は、藍朱光です。……劇場には黒家の配下も待ち受けている事でしょう。どうか、お気をつけて」


「本当にありがとう。このご恩は決して忘れません。今は先を急ぐので……このまま失礼します」


 深雪は光鶯と朱光の二人に深々と頭を下げ、すぐに藍家から飛び出していく。それを見届けた後、光鶯はすっかり呆れた顔で朱光の元へと歩み寄った。


「これ、朱光。正房(母屋)から出るなと、あれほど言っておっただろう!」


「だって興味があったのですもの。あの方でしょう、《中立地帯の死神》の跡を継ぐ者というのは? 『世の中というのは何があるか分からんし、人脈は築いておいて損はない』と、おじいさまも常々、口になさっているではありませんか」


「だからあの若造に、紅神獄の行き先を教えてやったのか? まだ敵か味方かも分からんどころか、海のものとも山のものともつかぬ輩だというのに……。我が孫ながら肝が太いというか何というか……。いろいろな意味で末恐ろしいわい」


「ふふ。だって、おじいさまの孫ですもの。仕方ありませんわね」


 朱光は光鶯のお小言にも何食わぬ顔だ。ただでさえ大人びているのに、頭の回転が速く口達者なものだから、最近は光鶯でさえ手を焼く始末だ。


 光鶯は困り果てて溜息をついた。果たして先ほど飛び出していった東雲探偵事務所の《死刑執行人(リーパー)》に、本当に手を貸して良かったのか。今はまだ光鶯にも判断がつかない。


「……さて、あの若造はどこまでやってくれるかのう?」


 こちらもリスクを冒して情報を与えたのだ。せっかくなら、それを最大限に有効活用してもらいた

かった。混迷は深まるばかり、藍家は完全に身動きが取れない状況に追いやられている。だから他力本願は好ましくないと分かってはいても、余計にそう願わずにはいられなかった。


 ただ一つ気がかりなのは、どうにもあの《死刑執行人(リーパー)》は若すぎるのではないかという事だ。特に齢八十を越えようかという光鶯にとって、雨宮深雪と名乗ったあの少年はオムツの取れない赤子も同然だった。それに対し、朱光はふわりと微笑む。


「さあ……でも、私はあの方が気に入りましたわ。《死神》の名を継ぐには随分と青臭いことを仰るので、正直、驚きましたけれど。可愛らしい方だったではありませんか」


 光鶯は肩を竦めた。朱光の言う通り、先ほどの少年は《死刑執行人(リーパー)》とは思えないほど青臭かった。まさかこの《監獄都市》で、あんな理想論を正面切って口にする馬鹿者が存在するのかと、驚き呆れたほどだ。


 だが――と、光鶯は思う。ひょっとすると、陰謀と策略まみれの世界しか知らない朱光には、その青臭さが新鮮に映ったのかもしれない。だからこそ、あの雨宮深雪とやらに惹かれ、情報を明かす気になったのかもしれない、と。



 

 一方、深雪は藍家邸の大門を潜って外に出ると、速やかに屋敷から離れた。門の前には例の守衛たちが守りを固めており、ピリピリした様子で警戒に当たっている。深雪がその場に留まれば、彼らを余計に刺激することになるだろう。


 藍家の守衛たちも、「さっさと行け」とばかりに深雪を睨む。どう考えても長居は無用だ。


 それから高級住宅街を抜け、小さな広場に出た。かつては美しい植木が周囲を取り囲み、街灯やベンチ、自販機、ゴミ箱などが配してある休憩所だったのだろう。もっとも今はどれも徹底的に破壊され尽くし、煤けてまっ黒になっているが。


 ただ有難いことに、周囲は殆ど人がいない。みな《黄龍太楼》へ向かったのだろう、辺り一帯は静まり返っている。ここならエニグマと会話しても不審に思う者はいないだろう。すると、エニグマもそれを察したのか、脳内で話しかけてくる。


『さて、紅神獄の居所は分かりましたが……これからどうなさいますか、雨宮さん?』


「そうだな……できれば雨宮(マコト)や碓氷と合流したい。でも、二人がどこにいるのか分からないし……」


『探しに行きますか?』


「そうしたいところだけど、下手に俺が動いたら行き違いになる可能性もある。こういう時に通信機器が使えないって、本当に不便だな……」


 本来なら、待ち合わせ場所でも決めておくべきだったのだろうが、あの時は黄雷龍の率いる黄龍部隊に追いかけ回され、そんな余裕など全く無かった。念のために腕輪型端末を操作してみるが、やはり通信環境は復旧していない。


 せっかく神獄や火澄(かすみ)の居場所が掴めたのだ。一刻も早く紅龍芸術劇院へ向かいたいが、単独で行動するのはまずい気もする。どうすべきだろうか――そう悩んでいたところ、突然、視界が明るくなった。深雪はどきりとし、何が起こったのか、誰かに見つかったのだろうかと、慌てて周囲を見回す。


 すると意外なことに、原因は自分自身にあった。深雪の右手の甲に白光が灯り、《レナトゥス》が発動していたのだ。


「!! これは……!」


『おや、その光は一体……?』


 深雪は思わず、白光の漏れる右手の甲を左手で覆った。周囲は以前にもまして薄暗くなっている。

時計がないからはっきりとした時間は分からないが、黄昏時に差し掛かっているのだろう。その中で発光するものがあれば、否応なしに目立ってしまう。


(俺は何もしていないのに、《レナトゥス》がひとりでに発動した……共鳴反応を起こしているんだ! 何に反応している……? ひょっとして、火澄(かすみ)ちゃんか? 火澄ちゃんが近くにいるのか!?)


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