第55話 追憶【紅神獄サイド】
《九尾狐》は他にはない、ある大きな特色を持ったチームだった。それは、他のチームでは敬遠されがちな人々を多く受け入れていたという事だ。
もちろん一般の若い男性戦闘員も多く所属していたが、女性や子ども、お年寄り、或いは外国人といった面々も、多く受け入れていた。特に紅神獄が中華系移民だったためか、中華系の国々にルーツを持つ人々が多かった気がする。
しかし、国籍や性別、年齢が原因でチーム内に対立が起こったことはない。頭である神獄がそういった差別や分断を何より嫌っていたからだ。
むしろ彼女はそういったいざこざを憎み、決して許さなかった。それを煙たがってチームを離れる者も中にはいたが、強力なアニムスを持っているわけではなかったり、真澄のように体が弱かったりして自力で生きていけない者にとっては、神獄の存在はとても頼もしかったし、救いだった。
『男とか女とか老人とか子供とか、どこの国の人間だとか、そんなことは関係ない! あたしたちはどんな困難だって打ち破ることができる! みんなで一緒に生き残るよ!!』
生前の紅神獄は、よくそう口にしていた。その言葉に、どれだけの者が勇気づけられ、励まされたか分からない。
真澄にとって、神獄は憧れのヒーローだった。自分とほぼ同じくらいの年齢で、背丈も同じ。顔も目の位置や鼻の形など造形がどことなく似ている。だが、醸し出す雰囲気はまるで違った。
いつもおどおどしていて他人の機嫌を窺い、自分に自信のない真澄に対し、神獄は常に堂々としていて自分の意見もはっきり口にする。強靭な意志を持っていて、そのせいで誰かと意見が対立することがあっても、尻込みしたり卑屈になったりすることはない。
おまけに、自分より一回りも二回りも年上の、鋼炎や天若とも対等に接している。神獄が年長者である彼らの信頼を得ていたのは、彼女が自己主張の強いだけの女性ではなかったからだろう。
神獄は一見すると、豪胆で粗暴なだけに見えるが、その実、とても細やかに気を配る。公平性を何より重んじ、弱い者いじめは絶対に許さない。《九尾狐》のみなが神獄を信頼していたし、神獄もまたチームの皆を何より大事にしていた。ああいう女性になりたい――神獄は真澄が憧れる全ての要素を兼ね備えていた。
やがて真澄は、何とかして神獄へ近づきたいと思うようになった。みなから信頼され、唯一無二の特別な存在であった神獄に対し、真澄はあくまで大勢いる《九尾狐》のメンバーの一人でしかなかった。真澄が神獄のようになるのは難しいが、それでも、少しでも彼女の力になりたかった。
戦闘力でチームや神獄に貢献するわけにはいかないけれど、他の面で何か彼女の役に立てないか。そこで真澄が思いついたのは、神獄を生活面で支えるという事だった。
例えば神獄がせめて風呂の中でもリラックスできるようにと、ハーブを自ら育て手作りの入浴剤を作ったり、或いは彼女が龍井茶を好むと聞けば、何とか手に入れられないかと《監獄都市》の中を奔走したり。少しずつ、自分のできることを探して実行していった。
たとえ神獄が真澄の気遣いに気づかなくてもいい。いつもチームのみなのために頑張っている神獄のために、少しでも彼女の負担が減るなら、と。そして神獄は、真澄のそういった行動をちゃんと見てくれていたのだ。
『真澄、いつもありがとね。あんたのおかげで、最近、本当によく眠れるよ。おかげで疲れもよく取れる。あんたの気遣いのおかげだよ』
神獄からそう声をかけられた時は、飛び上がるほど嬉しかった。彼女は気づいてくれていたのだ。真澄の心遣いを、努力の数々を見ていてくれたのだ。従順なだけが取り柄の、目立たない大人しい少女だった真澄にとって、それがどれだけ嬉しかったことか。生まれて初めて、誰かに自分の存在を認めて貰えたような気さえした。
やがて真澄は神獄のお世話係に抜擢される。いつも忙しい神獄に代わって、部屋を掃除したり洗濯をしたり。そして彼女が疲れて戻って来た時には、必ず龍井茶を淹れるのだ。そうして徐々に神獄の信頼を勝ち取った真澄は、やがて秘書の仕事も任されるようになっていく。
神獄のそばで組織の運営方法や人心掌握術、《九尾狐》の幹部の人柄やクセといった数々の人物情報、そして敵組織の情報を含めた《監獄都市》の情勢などを少しずつ学び覚えていったのだ。
もっとも、当時は何か確たる野心があったわけではない。神獄と共に過ごすうち、どれも自然と覚えていったのだった。
天若と共に神獄を支える日々は、本当に充実していて楽しかった。目が回るほど忙しかったけれど、それを苦に感じたことはない。神獄のことも、そして《九尾狐》のことも、真澄は大好きだった。まるで家族みたいに大切だった。
実際、真澄にとって《九尾狐》は《ウロボロス》に次ぐ第三の家族だったと思う。そして、真澄も居心地がいいと思えるほど良いチームだったからこそ、徐々にメンバーが増え、それに伴って組織も巨大化もしていった。そして《九尾狐》はその後、いくつかのチームや組織を吸収し、《レッド=ドラゴン》として生まれ変わるのだ。
その一方で、真澄は轟鶴治と知り合い、恋に落ちる。轟鶴治は当時、巨大勢力となって《アラハバキ》を支配しつつあった轟組の若頭だった。《九尾狐》――その頃には既に《レッド=ドラゴン》となっていたが、とにかく真澄たちにとっては仇敵と言っても差し支えない相手だ。
そのような相手と本当に交際を続けて良いものか。チームのみなを裏切ることにはならないだろうか。実際のところ随分と悩んだが、意外なことに神獄はそれを知っても反対しなかった。それどころか、いろいろと相談に乗ってくれてアドバイスさえしてくれたのだ。神獄の協力もあり、真澄は轟鶴治との交際を周囲に隠し通すことができた。
『でも……どうして私と鶴治さんの交際を応援してくれるの? 私が《レッド=ドラゴン》の情報を鶴治さんに漏らすかもしれないって、不安にならない?』
真澄は一度、神獄に尋ねたことがある。すると神獄は笑ってこう答えた。
『何を言ってるんだい、あたしは自分の好きで《九尾狐》の頭を張ってるんだ。いわばこれは、あたしのワガママなのさ。だからね、真澄がその犠牲になることはないんだよ。あんたにはあんたの人生があるんだから、好きな人と結ばれればいい』
神獄は真澄を信用してくれていたのだろう。だがそれにしたって、普通はそう簡単に看過できる事ではない。真澄も神獄と同じ立場を経験しているからこそよく分かる。組織全体の利益や自分の身の安全を考えれば、敵側組織と通じている者を身近に置こうなどという心境になるはずもない。普通は責任ある立場に立てば立つほど、それほどまでに豪胆にも、無謀にもなれないのだ。
けれど神獄は違った。神獄は真澄を徹底して信頼し、疑う素振りも見せなかった。だから真澄も神獄を決して裏切らなかった。轟鶴治に神獄や《九尾狐》のことを話したことは一度もない。
もっとも、轟鶴治もまたそういった情報の提供を真澄に求めることはなかった。彼が真澄に望んだのは、最期に一緒にいて欲しいという事だけだった。だが、真澄は轟鶴治を愛しつつも、その願いを叶えることはできなかった。何故なら、その時ちょうど、紅神獄が暗殺されてしまったから。
『真……澄……。《九尾狐》の……こと……頼……』
毒を盛られ、腕の中で冷たくなっていく神獄。
しかし真澄は何もできなかった。暗殺に用いられた毒がどのようなものか分からないし、分かったところで解毒処置などできはしない。彼女を救う術など何もなく、ただ神獄の命の火が消えていくのをそばで見つめているしかなかった。
やがて神獄は静かに瞳を閉じる。そして、その瞼が開かれることは、二度となかった。
紅神獄の死を目の当たりにし、真澄は怒り狂った。悲しみや絶望が全くなかったわけではない。だがそれよりも、激しい怒りの炎が真澄の体の奥底から噴き上がった。どうして、何故、神獄が殺されなければならないのか。こんな非道が許されていいのか。
――戦わなければ。真澄は思った。このような不条理に屈してたまるか、神獄の作り上げた《九尾狐》を、そしてその後身である《レッド=ドラゴン》を――真澄自身も何より愛したあのチームをこの手で守るのだ、と。
ここでめそめそと泣き崩れていたら、全て敵の思う壺だ。そして愛するチームを乗っ取られ、奪われた挙句に、みな荒野と化した《監獄都市》へ追い払われるだろう。戦闘能力があるものはまだいい。だがそのような力を持たない者はどうなるか。身ぐるみ剥がされ、人としての尊厳も全て奪われ、ボロ雑巾のようにして無残に捨てられるのがオチだ。
だから真澄は、自らが紅神獄となることを選んだ。鋼炎と相談し、真澄が神獄に成り代わることへ協力するという約束を取り付けると、轟鶴治へ別れを告げ、生まれたばかりの我が子でさえ火矛威に預けた。自分の持つすべてを投げうってでも、神獄の名誉を――そして彼女の愛した《九尾狐》を守り抜きたかったのだ。
紅神獄として姿を現した真澄を目にした時の、黒蛇水とその一派の顔は、今でも忘れない。殺したと思った相手が目の前に現れたのだから、さすがの彼らも幽霊か何かかと度肝を抜かれたことだろう。その時から、真澄は『式部真澄』ではなく、『紅神獄』となったのだ。
もっとも、全てが順風満帆だったわけではない。ちょっとやそっと決心したくらいでは紅神獄の代わりなど務まるはずもなく、様々な困難が真澄たちの行く手を塞いでいた。
《アラハバキ》との抗争激化はもちろん、誕生したばかりの《レッド=ドラゴン》内にもまだ様々な問題や課題が山積していた。おまけに《レッド=ドラゴン》が力を持てば持つほど《収管庁》の干渉も執拗さを増し、《中立地帯》では《死刑執行人》などという厄介な存在まで誕生するという有様だ。
しかし真澄は決して困難に屈することなく、それらの課題に取り組んでいった。神獄が生きていたら、どういう判断を下しただろうか。神獄なら、何を選択するだろうか。真澄は常に神獄の傍にいて彼女を支えてきたから、紅神獄の考え方を熟知している。迷った時、悩んだ時は、真澄の中にある紅神獄の記憶が全ての指標となった。
奮闘する真澄を認めてくれたのだろう。やがて、心強い味方も増えていく。黄鋼炎のみならず彼の甥っ子の黄雷龍。天若も紅神獄としての真澄を陰に日向に支えてくれ、藍家や緑家、白家からも一目置かれるようになった。
更に《休戦協定》を結んだことで、ようやく《東京中華街》は安定的に発展することができるようになり、一方で真澄は六華主人として大きな権勢を誇るようになった。そして名実ともに、《レッド=ドラゴン》のリーダーとなったのだ。
今まで対立していた緑家や白家の取り込みも、概ね上手くいっている。過去の確執を水に流し、《レッド=ドラゴン》が一つとなって結束すれば、更に大きく発展することもできるだろう。
これできっと、全てがうまくいく――そう思っていたのに。どうにかして、《東京中華街》の混乱を収束させたかったのに。そう考えると、真澄の両目に涙が溢れる。気づけば真澄は、真正面に座る神獄に頭を下げていた。
「ごめん……ごめんね、神獄。私、失敗しちゃった。どうにかしてみんなの信頼を取り戻したかったのに。どうにかして《九尾狐》を……《レッド=ドラゴン》を守りたかったのに……! 私……何ひとつ守れなかった……!!」
すると神獄は席を立ち、真澄の隣までやって来て再び腰を下ろすと、震えるその肩をそっと抱きしめた。
「謝ることはないよ。あんたはよく頑張った。ただ、敵の方が一枚、上手だったんだ。あたしが毒を盛られた時と同じで……ね」
真澄は涙に濡れる顔を上げ、間近にやって来た神獄の顔を見つめる。
「神獄……私、どうしたらいい? どうしたらもう一度、みんなに信じてもらえるんだろう? あたしは確かに『紅神獄』じゃない。どんなに真似をしようとも、永遠に神獄になることなんてできない。でもそれなら、どうやってみんなに信じてもらえばいいんだろう!?」
「それは……あたしにも分からないね。騒乱を収束させるには、あまりにも多くの血が流れ過ぎてしまった。《レッド=ドラゴン》の皆を、そしてこれまであんたが《東京中華街》に貢献してきた実績を信じろ……と言ってあげたいところだけど、現実はそう甘くない。ただ一つ言えるのは、あんたはよくやったという事だけさ。これまでよく頑張ったし、よく戦った。それでも、どうしようもないことがこの世にはあるんだよ」
「でも……神獄……私、諦めたくない……!!」
嗚咽と共に、そう漏らす真澄。神獄は変わらずその肩を抱きしめながら、ゆるゆると静かに首を振る。
「……真澄、もういいんだよ。あんたはしっかり、あたしの代わりを務めてくれた。そして、《九尾狐》を守るどころか《東京中華街》なんて巨大な街まで築いちまった。あんたはね、もうとっくにこのあたしを越えているんだ。だから……もう十分だよ。あたしはそれでもう、心から満足しているんだから」
「神獄……」
「本当は……本当はね。あんたはいつだって『紅神獄』を辞めてもいいんだ。そして『式部真澄』として、自分の人生を歩んでもいいんだよ。あたしの夢のために、あんたが犠牲になることなんてない。むしろあたしの我が儘で、重い荷を背負わせちまって……本当にごめんな」
「そんな……そんなことない! 全部、私が望んだの! あなたのようになりたい……あなたのように、何かを、誰かを守ることのできる人間になりたい! 強くなりたいって、私自身がそう望んだの‼ だから……だから私、何も後悔なんてしていない! 神獄が謝る必要なんて無いんだよ! それに、私……私は、まだ……!!」
真澄は、我知らず両手を拳にして握りしめていた。そう、自分はまだ全力を出し切っていない。まだ、やれることがある。やらなければならない事がある。それをやり遂げるまでは、立ち止まるわけにはいかない。困難だからと、諦めるわけにはいかないのだ。
ここでやめるわけにはいかない――今は、まだ。
真澄の強い意志に気づいたのだろうか。神獄はふと寂しげな瞳をし、それから淡く微笑んだ。
「……そうか。あんたにはまだ、やらなきゃならない事が残っているんだね。迎えにはまだ早かったか」
「神獄……?」
「いいかい、真澄。いつでもこっちにおいで。……待ってるからね」
そう言って神獄は優しく微笑むが、彼女の顔はどんどん真澄から遠ざかっていく。すぐそばに座っているはずなのに、少しハスキーな声音も肩を抱く腕の温もりも、遠い世界のものであるかのように微かになっていってしまう。
「神獄! 待って、神獄!!」
――もう少しでいいから、そばにいて。そう叫ぶが、真澄の意識はどんどん遠ざかり、ついに視界が暗転した。
それからどれだけ経ったのか。ふと瞼を開くと、染み一つない真っ白な天井が視界に飛び込んできた。数々の襲撃によって、煤だらけの傷だらけになった《九尾狐》の拠点とは違う。まるで異世界のお城に突然、転移してきたかのような違和感。
(……。ここは……?)
体を起こそうとするものの、腕に上手く力が入らない。体が異様にだるく、おまけに重い。ずっしりとした、疲れにも似た感覚が上から圧しかかってくる。
仕方がないので、真澄は視線だけで周囲を見回した。その頃になると、ようやく自分がどこにいるのかも思い出してくる。
黄家の邸宅、黄龍太楼――通称、黄城の最上階にある客間だ。そしてそのベッドに自分は寝かされている。身に着けているのは、目の覚めるような真っ青のチャイナドレス。紅神獄として、紅龍大酒店(紅龍グラウンドホテル)で釈明会見を行った時に着用していた時のままだった。
もっとも、かつて美しかったその青いドレスには今、不吉な赤黒い染みが点々と付着していしまっている。
(私は……そうだ、動画の釈明をする会見を開いたんだ。何とかみなを説得したくて……。けれど、目の前で白昴の体が破裂して、大混乱になって……それ以降の記憶がない。私、気を失ってしまったんだ)
徐々に記憶が甦って来るものの、あまりにも疲労感が強すぎて思考が上手く働かず、体も思うように動かせない。自分の体が自分のものではないかのような錯覚さえ覚えるほど、何もかもが気だるく億劫だった。
昔の元気だったころの夢を見たせいだろうか。私の体はこんなにも――これほどまでに弱っていたのかと、自分自身でその事に驚愕してしまう。
力なくベッドの上で横たわったまま途方に暮れていると、客間の扉が開く気配がした。そしてすぐに、天若と雨杏が神獄の元へとやって来る。二人は神獄を目にすると、慌てて駆け寄って来た。
「神獄さま! 気が付かれたのですか!?」
「ああ、良かった……! 心配したんですよ、会見場であんなことがあったから……私、すぐに鋼炎さんを呼んできます。雨杏、神獄さまをお願いね」
看護師である雨杏が「ええ、分かりました」と返事をすると、天若は再び部屋を飛び出していった。
そんなに急いで走っては危ないのに。還暦を過ぎているのだから、自分の体をいたわって欲しいと、神獄は自分の体調不良を棚に上げてついそんな心配をしてしまう。




