第19話 真実の在り処
「………。偶然じゃないのか」
とりあえずそう返してみるが、オリヴィエは浮かない面持ちで言った。
「そうでしょうか? 送り主がゼラニウムの花言葉を踏まえていたとすれば、当然もう一つの意味も知っていると考えるのが妥当です。それなら色にも拘ると考えるのが妥当でしょう」
そして、さらにその顔を曇らせる。
「深雪に白いゼラニウムを送った事には、明らかに送り主のメッセージが込められています。けれど……そもそも、それは本当に『友達』なのでしょうか?」
奈落は玄関の向こうへと視線を向ける。その先では、深雪とシロが小声で何事か話し込んでいるのが見えた。
あの二人は、白いゼラニウムの意味を知っているのだろうか。ふとそう考える。知った上で、この花の送り主と接しているのか。
答えは否だ。それが分かっていたら、こんな風に後生大事に飾っているはずがない。
「因みにその花言葉、西洋では少々異なりまして……」
説明を続けようとするオリヴィエとの会話を、奈落は、
「その話はもういい」
と言ってバッサリ打ち切った。必要な情報はすでに手に入ったのだ。神父の披露するガーデニングのウンチクなどにはそもそも興味がない。
そして、さっさと玄関に向かって歩きはじめる。
残されたオリヴィエは、奈落のあまりの傍若無人ぶりに、神父にあるまじき表情で眉間に深々としわ入れながら毒づいたのだった。
「―――……。ああ、そうですか。本っ当に自分勝手で傲慢な人ですね。……っていうか、どこへ行くんですか? ちょっと!」
✜✜✜✜ ✜✜✜✜
その日の深雪の予定は、シロと流星の三人で聞き回りをすることになっていた。
しかし、今はそれを覆してでも命のところへ足を運び、そして本当のことを知りたかった。
だから、シロと流星の二人とは別行動する時間が欲しかったが、下手にそれを切り出すと、どこへ行くのかと勘繰られてしまうだろう。深雪は前方を行くシロと流星の後を追いながら、何かいい手立てはないかと思案した。
事務所を出て十分ほどたったころ、深雪は意を決して流星に声をかける。
「……あの、流星!」
「ん? どした?」
「俺、ちょっと忘れ物しちゃって……事務所に戻りたいんだけど。駄目かな?」
「そりゃまーいいけど……一人で大丈夫か?」
「うん、先に行ってて。すぐに追いつくから」
流星は「おー」と言って、承諾した。特に不信感を抱かれた気配はない。
深雪はできるだけ、さり気ない様子を装って、事務所の方へと踵を返し走り始める。もちろん、このまま事務所に戻っても意味はない。流星とシロが見えなくなったところで方向転換し、命の温室へと向かうつもりだった。
(とにかく、命から直に話を聞かなきゃ………!)
推測ばかりで神経をすり減らしていても、埒が明かない。深雪は命の口から直に真実を聞きたいと思っていた。
彼とゾンビ事件とは関係があるのか、或いはメタリックピンクの蜂とは、一体どういう関係なのか――を。
すると、後ろからシロが追いかけてくる。
「ユキ! どこに行くの?」
そう呼び止められ、深雪は内心で冷や汗を流した。何とか誤魔化そうと後ろを振り返ると、シロが心配そうな表情で深雪を見つめている。
彼女の真っ直ぐな瞳を見ていると、何だか嘘をつくのも気が引けて、深雪は溜息を零しつつ小声で答えた。
「ちょっと……命のところに行ってくる」
「ミコっちゃん? どうして?」
「………。会って確かめたい事があるんだ」
「――ミコっちゃんを疑っているの?」
はっきりとそう問われ、深雪の心臓はドクリと跳ねる。こういう時のシロは、妙に察しがいい。深雪は曖昧に笑いながら、慌ててそれを否定した。
「ちょっと確認してくるだけだよ。まだ、はっきりしたことは分からないから……流星や他の奴には命の事、黙っててくれる?」
「うん、分かった。誰にも言わないよ。約束する。でも……シロもユキと一緒に行っていい?」
「いや、一人で行くよ。二人していなくなったら、流星に怪しまれる。先に行ってて。きっと……ただの思い過ごしだから」
シロは一瞬、悲しそうな表情をしたが、すぐに無理矢理、笑顔を作って答えた。
「そっか……うん、分かった。気を付けてね」
深雪は胸の奥がちくりと痛むのを感じた。シロはただの好奇心で同行したがっているのではない。明らかに単独行動をしようとしている深雪の身を案じている。
だが、深雪はそんな彼女をある意味、謀ろうとした。適当な言葉であしらって、うやむやにしようとした。そのことに対して、強い罪悪感が沸き上がっていた。
(シロ……ごめん)
しかしそれでも、深雪は足を止めることはできなかった。真実を突き止めなければ――その強い使命感が、深雪を突き動かしていた。
シロをその場に残し、深雪は全速力で走り始めた。
✜✜✜✜ ✜✜✜✜
一方のシロはその場に立ち尽くし、深雪の背中を見つめていた。
深雪が何か危ないことをしようとしているのではないか――事務所の会議室を出たあたりから、シロは直感でそのことを察していた。
理由はない。ただ、何となくそう感じたのだ。
シロにとって、深雪は仲間だ。お互いに知らないこともまだまだ多いけれど、六道がそう決めた。だから、『仲間』なのだろう、と思っている。六道が決めたことは絶対だからだ。
仲間が危ない領域に足を踏み入れようとしている。シロは、それを助けなければならないと判断した。
だから本当は深雪と一緒に行きたかったのだが、何故だか駄目だと断られてしまった。こっそり追いかけることもできるが、それはしない。しないと約束してしまった。約束は守らなければならない。
それでも追いかけたい気持ちに変わりはなかった。膝の裏がウズウズするのを何とか堪えながら、流星の方へ向かわなければ、と思う。
すると、背後から突然、低い声がした。
「何を話していた?」
シロが振り返ると、そこには奈落が立っていた。
「えっ……な、何でもないよ!」
シロはすかさずそう答えたが、頭の獣耳が、ひょこひょこと忙しなく動く。『目は口程に物を言う』という言葉があるが、シロの耳はまさにその状態だった。奈落もそれを悟ったのか、鋭い目をさらに眇める。
「何か知っているな? どうした、話せない事か」
「黙ってるって……誰にも言わないって、約束したから……!」
「……どうしても、か」
「ご、ごめんね……」
いつもはピンと張ったシロの耳が、しょぼんと垂れる。奈落は無表情でそれを見ていたが、やがてシロの頭をくしゃりと撫でた。シロはびくりと身を竦ませるが、奈落の手つきは思いのほか優しい。まるで、気にするな――とでも言っているかのようだった。
「いい。直接、奴を追う」
「あっ、ま……待って!」
シロは慌てて奈落を呼び止める。そしてその大きな背中に、質問を投げかけた。
「奈落は……ユキの事、信じてないの? ユキはシロたちの『仲間』だよ!」
「………。そうなるかどうかは、奴次第だ」
奈落は乾いた声でそう言った。先ほどシロの頭を撫でた時の柔らかさは消え失せている。
それはまるで刃のような、冷たく鋭利な声音だった。
✜✜✜✜ ✜✜✜✜
命の住処である商業施設は、今日も沈鬱に佇んでいる。その姿は、まさに巨大な幽霊屋敷だ。屋上を見上げると、そこだけは別世界のように緑が輝いているのが見えた。
深雪は肩を上下させながら、何とかその商業施設の入り口までたどり着く。吹きさらしとなった鉄階段を登ろうとするが、そこで体力が尽きて座り込んでしまった。
ここに向かう途中から、右手が激しく痛み出し、体力を著しく消耗してしまったのだ。
手の平から発生した痛みは腕や肘まで到り、今や肩やわき腹、肩甲骨にまで広がっていた。それらの部位を巡る血管が、気味の悪いほど浮かび上がり、どくどくと収縮している。
皮膚は内側から発せられる熱のためか、焼けたように真っ赤になり、熱気が蒸気となって宙に放たれていた。
深雪は階段の上にうつぶせで倒れこむ。右手の様子を確認したいが、あまりの痛みに動かすことさえできない。
おまけに、腕が赤く腫れ始めたからだろうか。特に手首から肘のあたりまでの腕の太さが異常に太くなっている。
深雪の体に何らかの異常が起こり始めているのは、今や明白な事実となっていた。
(この痛み、何だか変だ)
激痛で朦朧とし始めた意識の底で、深雪はそう考えた。
深雪は今までこの痛みが不定期に訪れるのだと思っていた。しかし最近、痛みが現れるタイミングに共通点があることに気付いたのだ。
自分はこのままでいいのかと不安になるとき、或いは将来に対してどうしていいのかと迷うとき。主にそういった時、この痛みは牙を剝き、襲い掛かってくる。
現に今も、命にどう対処したらいいのか、自分はどうすべきかと考えながら走っていた時に痛みがやってきた。深雪のそういったセンシティブな感情に、この痛みは反応するのではないか。
おまけに、この現象が不可解なのはそれだけではない。最近、右の手の平が僅かに発光していることに気付いたのだ。
日の光の下では気づかないような微かな光だが、夜になるとよく分かる。時おり、掌の真ん中を中心に、ドーム型の光が浮かび上がるのだ。
(そんな病気って、何かあったっけ……?)
そもそも病気なのかもわからない、不可思議な現象だ。あまり健康問題で悩んだことのない深雪だったが、これから自分の体は一体どうなってしまうのだろうと、不安を感じずにはいられない。
おまけに、痛みのスパンが長くなっているし、次に来る痛みの周期も短くなり始めている。最初は数日に一度の割合で起こっていたが、今や一日に何度もうずくまるほどの痛みに襲われるのだ。
深雪が独力でそれを治すのは不可能な段階であるように思われた。
(今度、流星に相談してみよう。でも今は……命を何とかしなければ……!)
深雪は階段に身を預け、目を閉じる。そして何とか体力を回復しようと努めた。右手はまだ、マグマでも塗りたくられたかのような熱さと痛みを伴っていたが、深雪が深呼吸を始めると、僅かではあるが収まってくるような気がする。
しばらくすると、本当に痛みが引いてきて、深雪は、ほっと胸をなでおろす。痛みに耐えるので疲れ切っていたが、先ほどよりはうまく動けそうだった。
身を起こし、命の住処に向かうため、鉄階段を登り始める。すると、そこで上から降りてきた命とばったり出くわした。
命はちょうどこれから鉄屑拾いに出かけるところらしく、背にはいつもの大きなかごを背負い、軍手をした手には火箸を持っている。
「あれ……深雪さん?」
きょとんと眼を見開く命に、深雪は駆け寄っていく。
「命! 良かった……探してたんだ!」
「わざわざ僕に会いに来てくれたんですか? わあ、うれしいな! 何か御用ですか? 家に上がっていきます?」
喜びを満面に表し、階段のほうを指す命に、深雪は言葉を濁す。
「あ、いや。ちょっと急いでて……ここでいいかな?」
「構いませんけど……何かあったんですか?」
命は深雪の様子からただ事でないことを察したらしく、神妙な面持ちになった。深雪は素早く頭を巡らせる。
(命が蜂と関係してるなら……きっと、《メラン・プシュケー》とも接点があったはずだ……!)
しかし、真っ向からはっきりとそう尋ねるのは、何となく憚られた。命に疑っていると思われたくなかったし、明確な答えを聞くのも怖かった。
そこで深雪は、まず無難な質問をぶつけてみることにした。
「突然で悪いんだけど……命、もしかして以前どこかのチームに入ってなかった?」
それは、ほとんど勘だった。
命は監獄都市での生活が長いようだった。どのくらいになるのかは知らないが、少なくとも深雪より長いことに間違いはない。
そうであるなら、生き延びるために一度や二度はいずれかのチームや組織に属したことがあるはずだ――と、そう思った。一人でいるより集団でいるほうが安全で安心だというのは、多くの生き物に共通する本能のようなものだからだ。
すると、命は不思議そうに首を傾げる。
「え……どうしてそれを?」
「前に会った時、『友達に合わせて、何となく笑って……そういう自分はニセモノみたいで、あんまり好きじゃなかった』って言ってただろ? だから、そういう……チームとかに入ってた経験があるんじゃないかと思って」
すると、命は無邪気に笑いながら答えた。
「すごいな、深雪さん、まるで探偵みたいだ。その通りですよ。《メラン・プシュケー》っていうチームに入ってました」
(やっぱり……!)
深雪はごくりと喉を鳴らす。命が《メラン・プシュケー》と関係があるなら、《メラン・プシュケー》がゾンビと化した原因である寄生蜂とも、何か関係がある可能性がある。深雪は逸る鼓動を抑え、慎重に口を開いた。
「そこで何かトラブルとか……無かった?」
「トラブル……ですか。そうですね……。実は、僕がチームに入っていたのは、ほんの僅かな期
間だったんです。入ってから何か月かして、チームが空中分解しちゃって……」
その話は、確かに他のゴーストも証言していた。おそらく空中分解した原因は、頭や幹部が寄生蜂に刺されて操られ、組織を統率する者がいなくなったからだろう。
「そうなんだ……。何が原因なのかな?」
深雪は勿論その原因を把握していたが、命から更なる情報を引き出すために、敢えて素知らぬふりをして尋ねた。
「僕は下っ端だったので、何とも……。でも、上の人達が何か揉めてたみたいですよ。あの……それがどうしたんですか?」
おずおずと上目遣いに聞いてくる命に、深雪は静かに答える。「《メラン・プシュケー》のメンバーが何人か死んだんだよ」
「えっ……? そんな……⁉」
命の瞳は、驚きに大きく見開かれた。どうやら、初めてそのことを知ったらしい。相当な衝撃を受けたようで、激しく取り乱している。
次いで命は悲嘆を浮かべ、苦しそうに両目を伏せた。
「知りませんでした……僕は《メラン・プシュケー》を抜けてから、誰とも連絡を取り合っていなかったから……」
そして、大きな瞳が激しく揺れたかと思うと、大粒の雫が滴り始める。
命の表情は沈み込み、強いショックを受けているようだった。本当に今まで何も知らなかったのかもしれないと、そう思わせる反応だった。とても演技であるようには見えない。
(嘘をついているようには見えないけど……)
深雪は僅かに躊躇した後、本題を切り出した。
「あの……話は変わるけどさ。この間、ピンクの蜂を見せてくれたよね? それが今、どこにいるか分かる?」
すると、突然話題が変わったことに面食らったのか、命は未だ濡れた瞳を瞬かせ、不意を突かれたような表情をした。
「え、蜂ですか? そうですね……実は彼らの事はまだ完全には知らないんです。図鑑にも載ってないし、僕の家にも来る時と来ない時があるから……」
「あの蜂ってさ、例えばその……操ったりとかできるのかな?」
「どうでしょう……? あんまりそういう事は考えた事ないです。彼らは……ただの友達ですから」
命の口調は柔らかかったが、その中には強い芯があった。
植物や鉢の話題になると命の瞳がきらきらと輝くことに、深雪は気づく。それらに対する愛情が抑えきれず、滲み出ているのだろう。蜂は友達――命の主張はバルコニーでのものと変わらない。そこには一切の揺らぎはなかった。
「そっか……」
蜂と友達というのが実際どういうものを指すのか、深雪には分からない。深雪は昆虫との間に友情を感じたことがないからだ。それは命のみが知る感覚だった。
だが一方で、そこをあれこれと突くのは、何となく憚られた。命は他の人とはちょっと違った感受性を持っている。温室で会った時も、スズメバチについて熱心に持論を展開していた。「虫と友達」だというのも、彼特有の感性による表現だろう。
そして、おそらくそれは、他人があれこれと詮索しても意味のない部分なのではないか。――そう思ったのだ。
或いは、命の静かではあるが毅然とした態度に、納得せざるを得なかったという事もある。
そこだけが引っ掛かったものの、命の答えには他に怪しいところはないし、表情や素振りにも疑わしい部分はない。
それに、そろそろ流星たちと合流しなければ、さすがに怪しまれる。
流星には忘れ物を取りに戻ると伝えてあるのだ。あまり遅くなるわけにはいかなかった。
深雪が時計を気にすると、それを察した命が口を開く。
「また彼らが姿を現したら、連絡しましょうか?」
「あ、うん。助かるよ。もう行かなきゃ。ゴメンな、突然いろいろと」
「いえ、また来てください。次はシロちゃんも是非一緒に」
命はいつもの嬉しそうな笑顔を浮かべ、そう答えた。深雪はそこで命と別れ、走り始める。その足取りが、事務所を出る時と比べるとずいぶん軽快になっていることに、自分でも気づいた。命にあれこれと直に確かめることができて、ほっとしたのだ。
(命、特に怪しいところは無かったな……。きっと事件とは無関係なんだ。命は昆虫が好きだから、偶然蜂の存在を知ってただけだ)
気になることが、ないではない。
だが、命の一連の反応は、深雪を安心させるには十分だった。
それに、《ディアブロ》に痛めつけられていた時の弱弱しい命の姿を思い返せば、寄生蜂を操るなどという恐ろしい事が彼にできるわけがない、とも思えてくる。
(気にしすぎだ。命はいい奴なんだ。俺が信じてやらなきゃ……!)
深雪は自分にそう言い聞かせ、走り続けた。




