第17話 ゾンビの正体
誰もが無言だった。
何か言葉を発するには、あまりにも目の前で起こった出来事が唐突で奇妙すぎた。
深雪は混乱した頭を必死で落ち着かせようと努めた。マリアと連絡を取ろうとしていたことを何とか思い出し、頼りない手つきで左腕に嵌めた腕輪を操作し始める。
「ユキ、危ない!」
シロが突然、そう叫んだ。
目にもとまらぬ動きで、鞘に納めていた狗狼丸を再び抜き、閃かせる。
深雪はぎょっとして再び硬直するが、その時にはシロは既に刀を鞘に納めていた。足元にはポトリと小さな物体が落ちてくる。
よく見ると、それは。
「は……蜂……?」
「このハチ、ユキを後ろから刺そうとしてたよ。首の辺り」
「そうだったのか……気づかなかった。ありがと」
どうやら、羽根の部分だけシロが日本刀で斬り取ったようだ。
その蜂を見つめているうちに、ふと気づいた。
先程、九重竜吾の体から無数に出てきた小さな個体は、この蜂だったのだという事に。
あの時、確かにウワーンという耳鳴り音がした。あれは沢山の蜂の立てる羽音が集まることによって、そう聞こえたのだ。
深雪は上から屈んで、恐々とその蜂を見下ろす。
「もう……死んでる、よな……?」
それは奇妙な蜂だった。
胸部と腹部の大きさがアンバランスで、触覚が長い。尾についている針も長く、その長さはスズメバチやミツバチと比べても二倍以上はある。かなり大型の蜂で、大きさはスズメバチに引けを取らない。
体色はメタリックカラーで、一見したところの色は黒だが、光の角度によってはショッキングピンクになるようだ。
深雪は目を見開いた。これと同じものを、つい先日見たことがある。
(これ……命のところで見た……)
命の住処である温室を訪れた時、命は深雪をバルコニーに連れて行った。そして、非常に珍しいのだと言って、この蜂を見せてくれたのだ。
その奇妙な蜂が、ゾンビ化しかけた九重竜吾の体から大量に出てきた。
偶然だろうか。
嫌な予感が胸を掠める。
すると、同じようにしゃがんで蜂を見つめていたシロが不意に口を開いた。
「シロ、これと同じハチさん、見たことあるよ」
「えっ、どこで⁉」
「奈落と一緒にお出かけした時」
「奈落と一緒って……」
深雪は必死に記憶の糸を辿る。そういえば、事務所でミーティングをした時、シロの姿が見えない事があった。オリヴィエが奈落と一緒だと聞いて、大丈夫かと心配していた。
あの時、確か二人が向かった先は―――
(《ブラン・フォルミ》が《メラン・プシュケー》のメンバーに殺された事件現場の、捜索の時じゃないか)
そう、場所は秋葉原だ。そして、あの時もゾンビ化した死体が見つかった。そして、同じ場所で先ほどのピンクの蜂が見つかっていたのだ。
あの珍しいピンクの蜂とゾンビ、そして命。三者は繋がりがあるのだろうか。
それとも、ただの偶然か。
深雪の心臓はバクバクと早鐘を打った。無関係であってほしい、そんな深雪の願いとは裏腹に、後者である可能性は限りなく低い気がした。
「本当? 本当に見たの⁉」深雪はシロに詰め寄る。
「うん。そのハチさんはまだ生きてたよ。ブーンって飛んでっちゃった」
「………。―――まさか…………」
呆然とする深雪。思わず九重竜吾へと視線を向けた。
九重竜吾はすでにピクリとも動かない。もはや絶命しているのは明らかだった。
しかし、彼の遺体は他の《メラン・プシュケー》のメンバーのように崩れることなく、いつまでもそこに残っていた。
東雲探偵事務所の二階にあるミーティングルームには、全メンバーが揃っていた。
相変わらず部屋の中は薄暗く、会議デスクの宅面にあるディスプレイ上にウサギのマスコットが姿を現す。
ウサギのアバターを操っている元・情報屋、乙葉マリアはいつになくテンションが高かった。
「はい、はい、は~~い! みなさん、こないだの事件の続編発生ですよ~! まずは流星からいってみましょー!」
マリアがくるりと回って、ビシッとポーズを決める。みな彼女の言動に免疫があるのか、誰も何も突っ込まない。
流星がタッチパネル式の卓上ディスプレイを操作し、いくつかの画像を引き出しながら説明を始める。
「本日、正午過ぎ、集団暴行事件が発生。死者九名、重軽傷者二名。うち、一名は病院に搬送された後、出血多量で死亡している。被害者はみな、アーケード商店街の住人ばかりだ。加害者は《メラン・プシュケー》に所属していた下部構成員、三名」
「一方、同時刻、幹部の九重竜吾が深雪っちとシロの方にも攻撃を加えてきたのであった! ……そうだよね、深雪っち?」
「…………」
「深雪っち? おーい。」
「あ……ああ、うん。そうだよ」
九重竜吾の事件を脳内で反芻していたため、話を振られたことに全く気付かなかった深雪は、慌てて顔を上げて頷いた。その反応を見て、マリアは肩を竦める。
流星もまた、深雪の方を見て少し怪訝な表情をしたが、事件の説明を続けた。
「目撃者の情報によると、商店街側と《メラン・プシュケー》との間には、特に目立ったトラブルもなく、《メラン・プシュケー》のメンバーが一方的にアニムスを用いて暴力を振るって来たという事だ」
「《ブラン・フォルミ》を襲った片桐泰造や、立花蓮二による襲撃事件の時と、同じですね」
オリヴィエの言葉に、マリアは頷く。
「そう。そして加害者である《メラン・プシュケー》のチームメンバーが事件後にみな死亡しているというのも、これまで通りね。でも、今回はひとつ収穫があったわ。何と! 九重竜吾の遺体が崩れずに残っていたのよ‼」
「……何故、そいつだけ死体、残った?」
神狼腕組みをし、九重竜吾の遺体の画像を睨みながら問う。
確かに、深雪もそこは気になっていた。今までのゾンビ事件では、《メラン・プシュケー》のメンバーの体はもれなく砂となり、崩れ去っていたはずだ。
それなのに何故、九重竜吾の体は残ったのか。
ところがマリアはすぐにはそれに答えず、にんまりと気味の悪い笑みを浮かべると、肩を揺らして含み笑いをする。
「んふ~ん、それは後のお楽しみよ~ん。とりあえず九重竜吾の死亡解剖の結果だけ先に言うと、とっても興味深いことが分かったの。これを見て。脳が穴ぼこだらけになってるでしょ?」
解剖の映像がディスプレイ上に上がる。
それは脳を切り開いた画像だった。確かに、ピンクの塊がまるでチーズのように穴だらけになっている。
ただ、あまりにもグロテスクで深雪はとても正視できず、途中で目を背けてしまったが。
「まるで、エメンタールチーズのようですね……」
オリヴィエは画像を見ながら冷静にそう言った。
マリアや他の面々も何食わぬ様子だ。
「そうね。ただ、チーズの穴ぼこは炭酸ガスの仕業だけど、これは違う。さあ、ここで問題です。この穴は一体何が原因でしょーか?」
「能書きはいいから、さっさと本題に入れ」
奈落が半眼で吐き捨てると、ウサギはぷうっと頬を膨らませ、手足をばたつかせて怒ったジェスチャーを繰り出す。
「何よ、つっまんない奴ね~! まあ、いいわ。それじゃ、ご期待にお応えしてさっそく行ってみましょー! じゃ~ん、これでーす‼」
ディスプレイの中に、ショッキングピンクの蜂が現れる。
触角と尾が妙に長く、体の凹凸が激しくて、まるで誰かがメタリックピンクのスプレーでも吹きかけたかのような、毒々し色をした蜂。
九重竜吾の中から出てきたものや、命の温室で目にしたものと全く同じものだ。
「これは……」神狼は眉をひそめて蜂に鋭い眼差しを送る。
「蜂、ですか?」
オリヴィの声にも、戸惑いが滲む。
みな、その蜂のアンバランスな体つきと、自然発生したとは考えにくい珍妙な体色に驚き、それと一連のゾンビ事件との関係に当惑しているようだ。
「はい! シロ、このハチさん見たことあるよ!」
シロが片手を上げて言った。
「聞いてるわ。立花蓮二の殺害現場にいたそうね?」
「あの……ただの蜂じゃないの? 尻尾が妙に長いけど……」
深雪が尋ねると、マリアは嬉しそうに目を光らせた。
「深雪っち、ご明察ぅ! この蜂は、スズメバチやらミツバチとはちょっと違う種類の蜂なの。
これは寄生蜂よ。それも、動物に寄生して食べちゃうタイプね」
「寄生……⁉」
深雪が短く息を呑むと、オリヴィエも驚きを露わにした。「まさか……人間の脳に蜂が寄生していたという事ですか⁉」
「そのまさかよ。尻尾――産卵管っていうんだけど、この管が長いのもそのため。一般的に寄生蜂は、植物とか他の昆虫に卵を産み付けるの。カミキリムシとかコガネムシとか、チョウといった昆虫の幼虫や卵に、ね。
他の昆虫の体内で卵からかえった寄生蜂の幼虫は、宿主を内側から食べてすくすくと成長する。そして蛹になって羽化し、はい巣立ちってワケ。もちろんその頃には、宿主の中身はボロボロに食い荒らされているから死んでしまう」
「だから、脳が穴だらけだったってわけか」
流星もまた深刻な様子で腕組みをし、九重竜吾の解剖画像を凝視する。
「そんな……寄生蜂の幼虫に、く……喰われたって事……?」
深雪は衝撃のあまり呟いた。もし、自分の中に蜂の幼虫が寄生しているとしたら。あまりのおぞましさに、鳥肌が立ってくる。
しかし、それが現実として、《メラン・プシュケー》のメンバーたちに襲い掛かったのだ。
マリアは淡々と説明を続ける。
「この寄生蜂は特殊な毒腺を持っているわ。それによって寄生された宿主は半死人――いわゆるゾンビ状態になってしまうのよ。それだけじゃなく、宿主はやたら食事を食べたり、攻撃的になったり……本来とは違った行動をとるようになってしまう。おそらく、宿主の生育を促進させ、寄生蜂が身を守りやすくするためでしょうね。宿主は寄生体にとって都合のいいお家であり、手足なのよ」
「成る程……《メラン・プシュケー》メンバーの一連の行動とも辻褄が合うな。連中はやたらと気が短くなって、周囲と数多くのトラブルを起こしていた。頭の加賀谷は以前と比べて明らかに太っていたという話もあったな」
流星が呻くように吐き出すと、オリヴィエも憂いを浮かべ、それに続く。
「つまり……《メラン・プシュケー》のメンバーは、みなこの寄生蜂によって寄生され、操られていたという事ですか?」
「そーゆーこと。立花蓮二や他の《メラン・プシュケー》のメンバーの死体がボロボロになって崩れたことも、これで説明がいくわ。彼らの体は、羽化したばかりの蜂の子供に食い尽くされていたのよ」
生物の発育に必要なものが二つある。一つは水、もう一つは栄養となるもの――タンパク質だ。
蜂たちは、最初は宿主の脳を食い破っていったのだろう。しかし、その大きさには限りがある。そこで足りなくなった水分と栄養を、宿主の体の方から吸い上げていったのだ。
内部から食い荒らされた宿主の体は一部が壊死を起こし、ほとんど死体と化す。しかし、そこで宿主が完全に活動を止め、寄生している蜂たちが外部の敵に生命を脅かされることがあってはならない。
だから寄生蜂たちは宿主の脳を毒腺で支配し、その体を操っていたのだ。
つまり、立花蓮二や片桐泰造といった《メラン・プシュケー》のメンバーは、自らの意思で周囲に攻撃を加えていたわけではない。彼らの脳はとうに支配され、正常な機能を失っていた。
ゾンビ化した《メラン・プシュケー》が見ず知らずの者に襲撃をかけたのは、寄生している蜂たちによる防衛行動だったのだ。
「しかし……蜂が人に寄生するなんて……そんな事が、本当にあるのですか?」
オリヴィエは、俄かには信じがたいと言いたげな様子で、そう言った。
「脳や眼球に寄生虫が湧くことは、決してありえない事じゃないわ。例えば、サナダムシに似た有鉤嚢虫とかね。九重竜吾の遺体の解剖の中で、それを裏付けるような結果も出てる。
まず一つ目。九重竜吾の背中の首筋に、虫刺されの痕が残っていたわ。そして、そこが膨れ上がって瘤になってた。いわゆる虫こぶってやつね」
マリアの説明と共に、九重竜吾の背部が映し出される。深雪も、九重竜吾の背中が奇妙な感じで膨らんでいたことを思い出す。
「……そして、二つ目。血液検査を行った結果、腹部の大動脈に小さな蜂の卵が残っていた。大きさは大体、0.5から1ミリほど。これは推測だけど、首筋によって産み付けられた卵が血流によって脳まで運ばれ、そこで栄養を得て成長していたんじゃないかしら。現に、脳の中に羽化する前の蜂の幼虫が残っていたわ」
「それ、生きていたのか?」神狼が尋ねると、マリアは小さく首を振る。
「いいえ、死骸よ。何らかの原因でたまたま幼虫の段階で死んでしまって、羽化できなかったものが残っていたのね。……どうして脳だったのか。理由は研究家あたりに聞くしかないけど、一つは人間の体内から出る時に、一番脱出しやすかったから、っていうのが考えられると思うわ。脳は眼球に近い。眼球は人体の他の箇所よりも破壊しやすいでしょう? それに脳は、頭蓋骨でしっかり守られている。蜂の幼虫にとっても、外部から守られやすいでしょうしね」
「考えてみりゃ、よくできてるってわけか……」
流星は顎に手を当て、難しい顔で考え込む。
誰もが、言葉少なだった。理屈は理解できる。理解はできるが、ただ、あまりにも突拍子もない話で、現実として受け入れるのが困難なのだろう。みな、難しい表情をして考え込んでいる。
「えっと……質問があるんだけど」
深雪は小さく手を上げた。
「なあに、深雪っち?」マリアがくるりと半回転し、こちらの方を向く。
「九重竜吾は途中で正気に戻ったみたいだったんだ。他の《メラン・プシュケー》のメンバーには無かったことが、どうして九重には起こったのかなって……」
すると流星も口を挟む。
「それに、何でそもそも九重の遺体だけ崩れずに残ったんだ? 遺体は蜂に食われ、崩れるんじゃなかったのか」
マリアは、「はっきりとしたことは言えないけれど……」と前置きをし、話し始めた。
「例えば、寄生蜂が他の蜂に寄生した時に、稀に巣離れを起こす宿主がいるらしいわ。自分が属する社会に留まると、仲間にも危害が及ぶ――それを本能で察知して、宿主がわざと仲間から離れる行動をとるの。理性がわずかに残っているのね。
これは推測でしかないけれど……九重竜吾は完全に寄生されていなかったんじゃないかしら。だからちょっとした衝撃がきっかけで正気に戻ったし、体も食い尽くされずに残った」
深雪は九重竜吾と対峙した時の事を思い出す。
最初、《ニーズヘッグ》を襲いシロと戦っていた時には、九重竜吾に自我は無いように見えた。ただ、目についた者を手当たり次第に襲っている――そんな様子だった。
しかし、深雪がビー玉を破裂させ、シロの一撃を受けた後は、こちらの質問にも素直に答えて助けを求めてきた。おそらく、あの時の衝撃で、自我が戻ったのだ。
「確かに……自然界では寄生虫が羽化できずに、宿主の中で死んでしまうことも、珍しくはないでしょうからね……。十分その可能性は考えられます」
オリヴィエも納得したように頷く。
「もう少し手掛かりが欲しいところだけど……そんなことも言ってられないしね」
マリアはそう言うと、唇を尖らせた。確かに、はっきりとした証拠はない。今まで詳しく調べられたのは九重竜吾の体だけで、他にマリアの説を裏付けるものは何も無い。その為どうしても推測の範疇になってしまう事が、情報屋の彼女には不満なのだろう。
「……問題は、これが自然現象なのかどうかという事だ」
奈落が低い声で言い、みながはっとして顔を上げた。
「確かに……蜂に刺されたのが原因なら、殺人ではない――という事になります」
オリヴィエは、何とも言えない怪訝そうな表情をする。
「そう、問題はここから」マリアもまた、眼光をさらに強めた。
「寄生蜂は単体で行動し、餌を得るの。スズメバチやミツバチのように、社会を作らないのよ。考えてみればもっともで、寄生という方法を取るなら、大掛かりな巣は必要ないでしょう? 要らないものは、作らない。子育てをする必要もない。
でもその場合――もしこれが本当に自然現象であるなら、宿主はばらける筈なのよ。でも、この寄生蜂は、違う。誰彼かまわず寄生しているわけではないわ。何故か《メラン・プシュケー》のメンバーしか被害にあっていないのよ」
「誰かが、故意に寄生させた……?」
神狼が呟くと、マリアはその通りと言わんばかりに首肯した。
「その可能性はあるわ。尤も、私達もこの寄生蜂の生態を全て知っているわけではないから、断定できないのが歯痒いとこだけど、ね」
「……気づかないだけで、過去にも同じ被害に遭ってる奴がいるのかもな」
流星が発した言葉に、マリアは再び同意を示す。
「それも十分考えられると思うわ。薬物中毒死や銃殺と判断されたものの中に、紛れてしまっている可能性はある。でも、どの道今すぐにはデータは揃えられないわ。調べるにしても、長期に及ぶことは間違いない」
「あてにはできない、か」
「手掛かりは何も無いのでしょうか……?」
オリヴィエは表情を曇らせる。
しかし、その問いに答えられる者はいなかった。ピンクの蜂の存在が判明したばかりなのだ。
その蜂の生態や刺された後の経過など、詳細はまだ何一つ分かっていない。




