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東亰PRISON  作者: 天野地人
生ける屍編
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第12話 秘密の温室

 温室内には清涼な空気が満ち、日の光が筋となって差し込んでいる。

 

 植物と植物の間に設けられた小道を歩いていると、不思議と心が穏やかになってくる。深雪とシロは呆気にとられ、部屋を眺めた。


「冬とかはちょっと寒いんですけど……何だかここが気に入っちゃって。他に人もいないし、僕の家にしているんです」

 

 命はちょっと気恥ずかしそうに頭を掻く。深雪は、近くにあるサンスベリアの葉先に触れながら言った。

「でも……こんなにたくさんの植物、世話するの大変だろ」

「あ、けっこう大丈夫ですよ。天井のアクリル板、穴が開いているので。雨が降れば、勝手に水が入って来るんです」


 確かに天井のドームを形成しているガラス板は、ところどころが破けている。


「その代わり僕もずぶ濡れになるので、そこは大変なんですけどね」

 命は朗らかに笑う。

 大変だと口では言っているが、本人はあまりそう思っていない様子だった。むしろ、心の底からこの生活を楽しんでいるのだろう。どの植物も生き生きとし、枯れたり萎れたりしているものは一つもない。その事からも、命がいかにこの植物たちを大切にし、可愛がっているかが分かる。


「奥にどうぞ。おいしいハーブティーがあるんです!」

 命は部屋の奥を指し示した。深雪とシロは、命に促されるままについて行く。


 曲がりくねった植物の小道を抜けると、その奥にこじんまりとしたテーブルと椅子のセットが置いてあった。そばに簡易かまどが作ってあり、ベッドや棚なども置いてある。雨が落ちて来ないようにだろう、そこだけ天井がテント張りされていた。


「すみません、今ちょっとガスが無くて……ちょっと時間がかかるかもしれません」

 命はそう言いながらも慌ただしく竈に向かい、木切れやマッチを取り出して火を熾す準備を始める。傍には木箱を改良したような簡素な棚があり、中にはアウトドアで用いるようなアルミ製の鍋や食器、マグカップ、ランタンなどが並べられている。


 そのまた隣の木箱には、瓶詰めされたハーブがずらりと並んでいた。全部で三十種類はあるだろうか。摘んだばかりの青々とした葉っぱが詰められた瓶もあれば、乾燥してくすんだ色の葉が詰められている瓶もある。それを眺めつつ、深雪は命に声をかけた。


「大変だな。何か手伝おうか?」

「そんな! お客様にそんな事させるわけにはいきませんよ。深雪さんとシロちゃんは、テーブルに座っていてください! こういう生活には慣れてるんで……こう見ても火を熾すのは得意なんですよ。任せてください、バッチリです!」


 深雪とシロは、顔を見合わせて笑う。どうも、「任せてください、バッチリです!」と言うのが命の口癖らしい。命の言葉に甘えさせてもらい、二人向かい合ってテーブルに着くことにした。


 落ちついて部屋の中を見回すと、ハーブが束になり、あちこちで逆さに吊り下げられているのにも気づいた。あまり植物には詳しくないが、ラベンダーやカモミール、ミントなど屋上で自家栽培している模様だ。命は育てている植物の中でも、特にハーブが好きなのかもしれない。


 やがて、命はハーブティーを淹れたマグカップと、焼き菓子(クッキー)を持ってきた。

「お待たせしました。……どうぞ」


「何だか……ヘンな匂い」

 シロは薄黄緑色の液体が入ったアルミのマグカップを口元に持っていき、匂いを嗅いで困惑した表情を浮かべる。命は椅子に座りながら、微笑んで言った。


「最初はちょっと抵抗あるかもだけど、慣れるとクセになりますよ。ハーブティには様々な効能があるんです。鎮静作用をもたらすものや、消化を助けるもの、眠気をもたらすものなど……内容はハーブの種類によって様々ですね。それぞれのハーブにそれぞれの効果があって、それをまた組み合わせることで新しい効果を得ることもできます。だからなかなか奥が深いんですよ」


「詳しいんだな」

 深雪が感嘆交じりにそう答える。


「いやあ、それほどでも」

 命はそう言って照れ笑いを浮かべたが、表情は嬉しそうだった。

 確かに、ハーブティの匂いには少し慣れないが、健康には良さそうだと深雪は思った。甘くてほろ苦い焼き菓子(クッキー)にも合う。焼き菓子は、形がややいびつで、それもまた手作りであることを窺わせた。


(まさか……これも命の手作りか……?)


 今どき、料理のできる男は珍しくないが、お菓子まで作ってしまう者は珍しいのではないか。しかし、命には何故だかそういった事がよく似合っている気もした。この部屋にある家具や小道具も、どれも手作り感が満載だ。何でも自分で作ってしまうのが命の生活の基本なのだろう。


 ティータイムを終え、深雪とシロはゆっくりと温室の中を見て回ることにした。


「あ、お花咲いてる。 きれい!」

 それは色とりどりの鮮やかな花が咲き誇っている区画だった。小さな花がいくつか集まって塊を作っている花だ。ひだのついた濃い緑の葉が、花の色をより鮮烈に浮かび上がらせている。どれも同じ種類の色違いであるらしく、真っ赤な花の株もあれば、白や黄、ピンクもあった。派手な色味のものだけでなく、薄紅色のような儚げな色合いのものもある。


 命は、ああ、と頷いて言った。

「ゼラニウムですよ。派手な花だけど、あんまり手間がかからないんで、育てやすいんです」


「見て来てもいい?」

 深雪が頷くと、シロは花の方へ駆けっていった。それを見送りつつ、深雪は命に話しかける。


「……命は、本当に植物が好きなんだな。俺、小学生の時、朝顔育てたけど芽が出なかったよ」

「ははは、それは災難だ。こんなとこで育っているのに、みんな元気でしょう? ここの植物たちは、ちょっとした僕の自慢なんです」


「確かに……好きな人が育てないと、こんなにはならない」

 深雪は心の底からそう思った。植物は種類によって、好む日差しの具合や水加減が全て違う。オリヴィエもそう言っていた。


 だが、この温室にある植物たちはみな生き生きとしていた。それは命がそれぞれの植物の特性をみな把握し、それぞれに合わせた育て方をしているという事だ。

 よほどの情熱がないと、できる事ではない――植物を上手に育てたことのない深雪には、そう思えてならないのだった。 


 命は、「そんなことないですよ」と謙遜しつつも、

「あいにく、それを分かってくれる人があまりいなくて」

 と、淋しそうに付け加える。


 確かに、と深雪も思った。

 ここは監獄都市――力がものをいう世界だ。ここでは暴力が全てを支配し、決定する。いくら植物を育てるのが上手くても、それを評価する者や顧みる者はいない。それどころか、この温室を見ても感動すらせず、土足で踏み荒らし破壊して去っていくような連中が大半なのだ。


 しかし、命はすぐに嬉しそうに顔を上げると、言った。

「……でも、シロちゃんと深雪さんにはきっと分かってもらえると思っていました!」

「命……」


 命はポットほどの大きさの、ブリキのじょうろを取り出すと、植物たちに丁寧に水を遣りながら話し始めた。


「僕、昔から動物や植物にとても興味があったんです。人と付き合うより、土を触ったり昆虫採集したりする方が好きだった。その方が落ち着くっていうか……自分らしい感じがするんですよね。友達に合わせて、何となく笑って……そういう自分はニセモノみたいで、あんまり好きじゃなかった。植物や動物は嘘をつかない。こっちが誠意をもって接すれば、ちゃんと形になって返って来る。人間みたいに、意味も無く裏切ったりしない。だから彼らといる時は、僕もありのままの自分でいられる気がする」


「……そっか」


「……なんて、ヘンですよね。まるでオタクみたい」

「別に変じゃないだろ。世の中、植物が好きな人はいっぱいいるし」


 そもそも、その熱意がこのすばらしい温室を作り上げ、維持する原動力となっているのだ。オタクなどと揶揄する気が起きよう筈もなかった。


 一方の命は、そんな答えが返ってくるとは思いもしなかったのだろう。驚いたように深雪をじっと見つめ、次いでぱっと笑顔になった。


「そう言ってもらえると、嬉しいです。やっぱり深雪さんは僕の思った通りの人だ……!」

 そして、いたずらっぽい光を両目に浮かべた。


「そうだ……深雪さんに、見てもらいたいものがあるんです!」


 命は深雪を屋上の一角へと誘う。

 その周辺はどうやら、元は展望台だった場所のようだった。床が外側に、アーチ状にせり出している。もともと天井はあったようだが、壊れて無くなってしまったらしい。今は吹きさらしとなって、バルコニーのようになっていた。眼下には荒れた東京の街が広がっている。 


「ここは?」

 深雪は命に尋ねた。バルコニー上には手摺がなく、風もけっこう強い。ここには植物も置いていないようだ。一体何があるのかと不思議に思っていると、命はいたずらを仕掛ける子供のような表情で笑って答えた。


「実は僕、植物も好きだけど、昆虫も大好きなんです。東京には、とても珍しい虫がいるんですよ。僕の、友達なんです」

「へえ……?」


 命はそう言うと、宙に向かって人差し指を差し出す。すると、どこからともなく一匹の虫が飛んできた。そして、ブンと羽音を立てると、命の指に留まる。


 それが何の虫か――特徴的な形状からすぐに分かった。深雪は驚き、思わず仰け反っていた。


「す……スズメバチ⁉」


「大丈夫、この子は彼らほど攻撃的ではありませんから」

 

 よく見ると、確かにスズメバチとは若干姿が違う。触覚が長いし、腹部が胸部に比べて小さい。そして何よりスズメバチと違うのは、尾の長さだ。尾の針が、スズメバチの倍以上ある。一見したところ黒い色をしているが、日の光を受けると鮮やかな色合いになる。


 強烈な色の、ショッキングピンクだ。


「何か……変わった色の蜂だね。光に当たると、色がピンクに見える」

 深雪は驚きと共にそう呟いた。ピンクに輝く蜂など、今まで見たことはない。それも、生半可な色合いではなく、毒々しいまでの鮮烈なピンクなのだ。新種なのだろうか。それとも、深雪が知らなかっただけでそういう蜂が存在するのか。

 

 深雪の衝撃を知ってか知らずか、命は淡く微笑んだ。

「知っていますか? 蜂ってすごいんですよ。人間のように脳が発達しているわけではないのに、どの子もみな自分の役割を理解しているんです。例えば、さっきのスズメバチなどが有名ですけど、子育てをするし、みんなで協力して餌を探してきたり、芸術品のような精巧な巣も作る。ちゃんと社会があるんです。こんな小さな生き物なのに……ね、驚きですよね?」


 命は片手で、ピンクの蜂の体をそっと撫でる。蜂は逃げることも抗う事もせず、大人しくされるがままになっている。深雪はそのことに驚くが、命は構わず話を続けた。


「――しかも、彼らの社会は人の社会とは違う。他の者の顔色を窺ったり、無闇に自分と比べて心の中で優劣をつけたり……そんなくだらない事はしない。みな平等に、一心不乱に働くんですよ。

 リーダーも同じです。

 スズメバチの女王は、必要とされなくなったら自ら巣を去るんです。居座って自分の私腹を肥やしたり、次世代の富を奪ったりしない。一見無情にも見えるけれど、でも誰かの都合や欺瞞、欲望に左右されない、公平で完璧なシステムなんです。彼らの事を知れば知るほど、人の世界がいかに不完全で不公平かを思い知らされる。僕たちはもっと彼らを尊敬すべきなんです。……そう思いませんか?」

 

 命は捲し立てるように、一気にそう言った。その瞳には、いつの間にか奇妙な熱が籠っている。深雪は一瞬、その熱に圧倒させられた。蜂の話をする命の姿は、《ディアブロ》に暴行を受けひたすら謝っていた命とはまるで雰囲気が違う。明るさや陽気さは消え、冷徹でどこか攻撃的な空気を纏っている。全くの別人とすり替わったのではないかとすら思えてくるほどだ。


 だが、深雪は命の言葉を否定する気にはならなかった。蜂の世界の事は分からない。ただ、命が惹かれ、のめり込む理由は、何となく理解できるような気がしたからだ。


「……本当に好きなんだな。でも、気持ちは何となく分かるよ。何が正しくて、何が間違っているのか……グチャグチャな場所で生きていると、そういうのがはっきりしている世界が羨ましくなる」


 深雪がそう答えると、命は満足そうに頷いた。

「……深雪さんなら、そう言ってくれると思っていました」


 命の人差し指に留まっていた蜂が羽ばたき、大空へと飛んでいく。すると命はいつの間に摘んでいたのか、一本の真っ白なゼラニウムの花を取り出した。 


「ゼラニウムの花言葉、何だか知っていますか?」


「……いや。どういう意味?」

 深雪がかぶりを振ると、命はうっすらと微笑む。


「《尊敬》・《信頼》……《真の友情》。僕は……深雪さんと友達になりたい」


 そして、深雪に向かって、その一輪の白の花を差し出した。


 緊張しているのか、命の手は僅かに震えていた。ほんのりと頬を染め、恥じらう姿を目の前にしていると、まるで女の子の告白を受けているような感覚に陥る。命が華奢な体格で、見かけも中性的なので、余計にそう感じるのかもしれない。


「えっ……」

「……構いませんか?」


「あ、うん。……いいよ。こちらこそ……っていうのも何だか変だけど」

 深雪は驚いて目を見開くが、笑って、ゼラニウムを受け取る。

 よく考えてみれば、男から花をもらうというのも妙な話だ。だが、もともと出会った時から命はちょっと変わっていた。そういう子なんだろうと、思う事にした。


「良かった。僕、嬉しいです!」

 命は半ば、ほっとしたように微笑む。その笑顔はとても嬉しそうだった。


 深雪としても、好意を寄せられて悪い気はしない。東京に来てから友人と呼べる存在はまだなかった。命は年齢も近く、自ら暴力沙汰を起こすタイプでもない。友達になりたいと言われ、断る理由が無かった。


 深雪は、手渡されたゼラニウムの花を見つめる。摘んだばかりの花は、まだ瑞々しい状態を保っていた。花を見ているだけの時は気づかなかったが、美し色合いに似合わず、癖のある刺激臭のような香りがする。臭い、というほどではないのだが。


「二人とも、ここにいたんだぁ!」

すると、そこにシロがひょっこりと顔のぞかせた。どうやら、温室から姿を消した深雪たちを探していたようだ。


「こんなところで何してるの?」

 シロは深雪と命に気づくと、安堵を浮かべながら駆け寄ってくる。そして、すぐに深雪の持つ白いゼラニウムに気付いた。


「わあ……きれい!」

 目を輝かせて声を上げるシロに、「命にもらったんだよ」と説明する。


「そうなの? いいな」

 シロは分かりやすく羨望の声を上げた。命はその様子を見て苦笑する。


「シロちゃんにもあげますよ。はい、どうぞ」

そして命はピンクのゼラニウムを摘んできて、シロに手渡した。


「わあ、ありがとう! シロのはピンクだ!」

 無邪気に喜ぶシロ。命も楽しげに微笑んだ。


「そんなに喜んでもらえると、僕も嬉しいな。二人とも、またいつでも遊びに来てください。ボロ屋だやし、大したもてなしはできないけど……ハーブティーには自信がありますから」


 命がおどけた様子で笑い、釣られて深雪とシロも笑う。命は謙遜するが、この空間は見かけよりずっと快適だ。おまけに隠れ家的なワクワク感もある。もう一度来たいと思うのには十分すぎるほど魅力的だと、深雪は思った。


 風が強くなってきたので、三人はバルコニーを離れて元の竈やテーブルのあるスペースへと戻る。


 それからしばらくして、深雪とシロは命の家を後にした。深雪は気を使わなくていいと言ったのだが、命は屋上から地上まで見送りに来た。命に別れを告げながら、この高さがなければいい場所なのに、とつい思ってしまう深雪だった。ああいう高い場所だから日光が確保でき、植物も伸び伸びと育つのだろうが。


 命はその商業施設の麓で、いつまでもこちらに手を振っていた。


 一方、シロは事務所に戻ったら、ピンクと白のゼラニウムを花瓶に生け、事務所の一階に飾るのだと張り切っていた。




 その頃、たまたま情報収集に励んでいた神狼は、三人が一緒のところを目撃していた。


 事務所の人間が二人――シロと最近入ってきた役立たずが、見知らぬ子供と一緒にいる。その事に気づいて足を止め、建物の影から様子を窺う。

 二人はその少年とかなり親しくなっているようで、遠目にもずいぶん打ち解けている様子が見て取れる。子供の方は、全く見覚えのない人物だった。


「あいつら……」

 何、遊んでんだ――神狼がそう思ったとき、マリアから通信が入った。


「神狼、聞こえる? 三鷹の辺りでゾンビの目撃情報ありよ。と言っても、いつもみたいに空振りの可能性も高いけど……念のため、急行してくれる?」


「……了解」


「悪いわね」

 マリアは尊大な彼女にしては珍しく、本当に申し訳なさそうな声でそう言った。


 ゾンビの噂は今やあちこちに広まっており、ガセネタも多く出回っている。しかし情報が少ない現在の状況下では、真偽はどうであろうとしらみつぶしに回っていくしかないのだった。


 もはや、深雪とシロの二人に構っている場合などではない。


 神狼はその場から離れ、ビルとビルの間隙を縫って走り出したのだった。



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