第5話 崩れる死体
だが、その胴体はズタボロで、服装すら分からないほどだった。もはや肉塊といっても過言ではないほどの損傷ぶりだ。
今までそれなりに死というものに接してきたつもりだったが、そんな流星でも目を背けたくなるほど、酷い有様だった。
「お前らが殺ったのか」
流星は《ブラン・フォルミ》のゴーストたちに向かい、温度のない低い声で鋭く問うた。
「えらく徹底したもんだな」
「だって……他に方法がなかったんだ!」
「仕方なかったんだよ‼ 俺らのアニムスはそこまで強いもんじゃないし、そいつはすげえ喧嘩とか慣れてて……!」
「手加減できなかったんだ! やらなきゃこっちが死んでたよ……‼」
そう言って恐怖を思い出したのか、若いゴーストたちはぶるぶると震え始める。男のゴーストたちは何とか口を開く元気が残っているようだが、女や幼い子供たちはそれすらも無いようで、ひたすら肩を震わせ、嗚咽を漏らしている。
他に点々と散在しているゴーストたちも、みな一様に憔悴しきっていた。その様子からも、いかに激しい戦闘だったかが分かる。
やらなければ逆にやられていたという彼らの主張は、あながち間違いでもないのだろう。だからと言って、流星の中の言い表しようのない怒りや、やり切れなさが消えてなくなるわけではなかったが。
流星は死んだ抗争相手のゴーストに近づく。確かに全身はボロボロだが、近くにしゃがんでのぞき込むと、顔面は比較的きれいだった。その瞬間、イヤホンの向こうからマリアの前のめりになった声が飛んでくる。
「流星、画像お願い!」
「はいよ」
流星は腕の端末を操作し、すぐにカメラ画像を取り始める。
辺りは暗闇に包まれ、時折、流星の端末のカメラ機能がパシャリと光を発する他は、誰も微動だにしなかった。《ブラン・フォルミ》の若者たちは、死体になってもそのゴーストが恐ろしいのか、こちらを遠巻きに見つめたまま近寄ろうとしない。
「……おい、本当に誰もこいつの事、知らないのか? 名前すらも?」
流星は立ち上がり、念を押すように再び声をかけるが、彼らの反応は鈍い。
「いや、本当にうちとは全く接触のなかったゴーストなんだ」
そう言って、力無くゆるゆると首を横に振った。流星は辛抱強く問いかける。
「そうは言っても、どこかにトラブルの原因がある筈だろ」
「知らねーよ」
「例えば、知らないうちに恨みをかっていたとか」
「悪いけど、うちはさほど強硬派ってわけじゃない。他のチームと揉めたことは確かにあるけど、みな話し合いで何とかしてきた」
「こんな事、滅多にないんだ。うちのチームの抗争歴、調べてもらったら分かる筈ですよ」
《ブラン・フォルミ》のメンバーたちは、流星との問答もだんだん億劫になってきたのか、辟易した様子を隠しもせず声に疲労感を滲ませ、投げやり気味にそう説明した。
「なるほど……?」
流星は頷いた。
何度尋ねても彼らの主張は一貫し、ブレがない。どうやら嘘はついていないようだと判断する。
というより、嘘をつくような気力や体力がすでに残っていないのだろう。
一方、両者のやり取りを聞いていたマリアは、腑に落ちないといった様子で呟いた。
「つまりこの死んだゴーストは、見ず知らずのチームに喧嘩吹っかけた挙句、返り討ちにあって死んだおまぬけさんってこと?」
確かに、と流星は内心で相槌を打つ。
《ブラン・フォルミ》の証言によると、この死んだピアスのゴーストの攻撃も相当なものだったらしい。それこそ、生半可な反撃をする余裕など無くなるくらいには熾烈であったという。
しかし、特に面識のない相手をそのように攻撃できるものだろうか。
例えばこれが、東京以外の街で起こった事件であったなら、血気に溢れた若者たちの若さと未熟さが引き起こした嘆かわしい騒動と片付けることもできただろう。だが、東京に住み慣れたゴーストがそんな軽率なことをするとも思えない。
そもそも、東京の一般的なゴーストは、意外とみな慎重だ。それは、自分の浅はかな行動が死に直結することを熟知しているからでもある。
このピアスのゴーストの目的は、一体何だったのか。
死者にそれを聞き質すわけにもいかず、生者は残された僅かな手掛かりからそれらを推測するしかない。
流星はその手掛かりを得ようと、再び死んだゴーストに近寄っていく。すると、背後から
若いゴーストたち の低い呟きが聞こえてきた。
「こいつ……なんか様子が変だった。話しかけても通じないっていうか……動きも緩慢で目の焦点が合ってなくて……。何ていうか、ゾンビ……みたいな……」
それは、流星に説明し聞かせているというよりは、口に出すことで自ら思い出すかのようだった。
そこで、流星の方も敢えてそれに答えることなく、死体のそばにしゃがみ込む。オリヴィエと奈落は口を挟むことなく、流星の行動をじっと見つめている。
そして、流星がピアスのゴーストの肩に触れようとした、次の瞬間だった。
死体がボロッと砂のように崩れた。
「うわっ!」
流星は思わず、伸ばした手を引っ込める。しかし、それでも崩壊が止むことはなかった。ピアスのゴーストの体は、肩の辺りから頭部、腕から腿、足の先と順にサラサラと砕けていく。
やがて男の全身はすっかり塵となって風に舞い、その場には砂と化した肉体の名残が、僅かな山となって残っているのみとなってしまった。
「……!」
「これは……!」
その場にいる誰もがその光景に息を呑み、一言も発することが出来なかった。
人体の六、七割は水分でできていると言われている。死んで間もない人間の遺体が、砂上の城のように崩れ果てるなど、どう考えても異常事態だ。
一体何が起こっているのか。しかし、その疑問に答えを出せる者は一人としていなかった。
驚愕と困惑、そして疑懼。
そんな張り詰めた沈黙をぶち破ったのは、マリアの怒気を含んだ叫び声だった。
「ちょっとぉ、これじゃ解剖できないじゃない! どーしてくれんのよ⁉」
「黙れ、ギャーギャー喚くな。消えたものを今更どうしろと言うんだ」
苛ただしそうに吐き捨てる奈落の声は、流星が聞いていてもかなり凄みがあるが、マリアはその程度で黙り込むような可愛らしい性格をしていない。先ほどよりも更に激しい剣幕でもって、反撃に出たのだった。
「あれっぽっちの映像じゃ、解析するのに不十分なのよ! さっさと回収してりゃ、何とかなったかもしれないのに……ホンっとに役立たずなんだから!」
しかし、その悪態に反応したのは、奈落ではなくオリヴィエの方だった。
「マリア、そのように言われると、とても悲しいです……」
砂金のように美しい金髪と、森の奥の湖面を連想させる淡いブルーの瞳を持つオリヴィエは、それだけで何か神聖さのようなものを感じさせる。それが、この世の終わりとでも言わんばかりの悲愴感を浮かべるのだ。
さすがのマリアも、ぎょっとし、慌てて弁明を始めた。
「やだ、違いますって! 役立たずっていうのは神父様のことじゃなくて、でかい図体してるくせに碌に働かないどっかの脳筋のことを言ってるんですぅ~!」
さりげなく、ちくりと皮肉を混ぜることも忘れない。
「他人のことをどうこう言う前に、自分で動いたらどうだ、引きこもり」
ところが、奈落は涼しい顔で言い放つ。この男は、マリアのアキレス腱をよく知っているのだ。引きこもり呼ばわりされたマリアは、案の定、
「うっせータコ、殺すぞ!」
と殺気立つのだった。
一方の流星は、やいのやいのと言い合うメンバーを他所に、深刻な表情で眉間にしわを寄せ、考え込んでいた。
「……また、か」
ここ数週間で、似たような事件が立て続けに起こっていた。その内容は、どれも何の脈絡もない突発的な抗争で、被害に遭ったゴーストたちは口を揃えて、全く面識のない者からの襲撃だったと証言している。
おまけにどの事件も決まって、加害者の死体が崩れて消え去っているのだ。
加害者の意識が曖昧で、顔色も悪く、まるで死体が動いているように見える事から、巷ではゾンビとも呼ばれているようだ。
そして、それらの事件はこれで三件目なのだった。
流星が深雪に告げた『問題』とは、まさにこのことを指していた。
偶然、似たような事件が重なって起きているだけの可能性もある――最初はそう思っていた。だが、三件目となればそれは立派な連続事件だった。




