第4話 焦燥
亜希は三人の中で一番小柄な少年だ。背の高さはシロと同じくらいで、深雪よりも低い。ただ、言動は落ち着き払っていて、妙に達観したような雰囲気すらある。ぱっちりとした、猫のような吊り目が、じっと深雪を見つめている。何だか観察されているような気分になってくる。
しかし亜希はすぐに深雪から視線を外し、それをシロへと向けた。
「久しぶりだね、シロ。元気だった?」
「うん、元気だったよ。亜希、この子ユキっていうの。事務所の新しいメンバーなんだよ」
「知ってるよ。さっきの話、聞いてたから」
亜希は頷くと、再び深雪の方を見る。
「……君が新しい《死刑執行人》?」
「まだ正式にってわけじゃないけど」
「そうなんだ。僕は竜ケ崎亜希。こっちのピンクのモヒカンが鬼塚銀賀で、眼鏡をかけた彼女が皆守静紅っていうんだ」
「……俺は、雨宮深雪」
互いに自己紹介する間も、亜希の瞳は深雪にじっと注がれたままだった。深雪が何者であるか、チームに害をもたらす者なのか、そうではないのか。判断しようとしているようだった。しかしさすがにジロジロ見つめられると居心地が悪い。
すると、横からシロがひょっこりと顔を出し、二人の間に割って入った。
「あのねー、亜希は《ニーズヘッグ》のチームヘッドなんだよ!」
「そ……そうなのか?」
深雪は意外に感じた。亜希はヘッドというには小柄で、喧嘩も強そうには見えない。通常、頭はその集団内でいちばん力を持っている者が務めるものだ。
理由は、ゴーストの年齢層は大抵若く、単純に力で人間関係が決まり易いという事と、力以外に何も持たないゴーストたちにとって、強さが全てであるという事の両方がある。
だから一見すると、銀賀の方が亜希より頭に相応しいように見えたのだ。
だが、実際は亜希がリーダーなのだという事は、先ほどの二人のやり取りを見ていても分かる。
深雪が驚くのを見て、銀賀は嬉しそうに破顔した。
「見えねーだろォ? 初めて会うヤツは、みなそう言うよな」
「うちはそれでいいのよ。武闘派でやってこうってわけでもないんだし、小さい子供や女の子も多いしね」
クールな少女――静紅も、その点は銀賀と同意見なのか、素直に頷いている。
なるほど、と深雪は思った。一口にゴーストのチームと言っても、チームカラーはそれぞれだ。
確かに抗争を好み、年から年中揉め事ばかり起こすチームもある。だが、そういう強硬派ばかりではない。調和や平穏を望むチームもまた、数多く存在する。
人によってそれぞれ性格が違うのと同様に、チームの性格もまたそれぞれなのである。
《ニーズヘッグ》というチームに求められるのは、腕っぷしの強さではなく、例えば子供たちにも気を回すことのできる注意深さや、他のチームと衝突しない賢明さなのだろう。亜希はおそらく頭して、それらの能力を持ち合わせているのだ。
「まあとにかく、僕たち《ニーズヘッグ》は《死刑執行人》と対立する気はこれっぽっちもないからさ。仲良くやろうよ」
亜希はそう言うと右手を差し出し、深雪に握手を求めた。
「あ……いや、こちらこそよろしく」
自分より小ぶりで華奢な手を握り返すと、亜希は初めてニコッと笑った。
「さて、僕たちはそろそろお暇しようか。厄介な連中が徘徊していることだしね」
厄介な連中――深雪はそれを聞き、子供たちの話していたアンデッドの話を思い出す。
「まさか……本当なのか? アンデッドが出るなんて……」
俄かには信じ固い思いでそう尋ねると、亜希は意味深な笑顔を見せた。
「……気を付けた方がいいい。この街で何かが起こり始めている。何か良くないことが……ね」
猫のようにきれいなアーチを描いた瞳が、きらりと瞬く。深雪の頬を冷汗が伝っていった。心臓が我知らず、鼓動を速めている。
それは一体どういうことなのか。しかしそれを問いただす前に、亜希はくるりと背を向けてしまう。それが撤収の合図なのか、銀賀や静紅といった他のメンバーも亜希に続いて身を翻した。
「シロ、またな!」
「うん、バイバイ!」
ちょこちょこと亜希たちの後を追う子供たちは、去り際にこちらに向かって手を振る。シロが手を振り返し、それに応えた。深雪はただ、無言でそれを見つめていた。
その日の夜に事は起こった。
東雲探偵事務所の《死刑執行人》、赤神流星とオリヴィエ、奈落の三人は、マリアからゴーストのチームの抗争有りと情報を得て、仲裁のために現場に急行した。
もう一人の《死刑執行人》、紅神狼はこの場にいない。神狼は別件の方にかかりきりになっているからだ。
夜の秋葉原は不気味な街だ。かつて犇めいていたビルはその大半が半壊し、まるで地面にぼとりと落とした豆腐のように崩れ落ちてしまっている。
元の形を保っているものはひとつとして無い。
足元には大小の瓦礫が散乱し、びっしりと地を埋め尽くしてあちこちに小高い丘を作っていた。それらはもはや、あらたな地形を生み出すまでになっている。
まるで空爆攻撃を受けたかのような、徹底した破壊ぶりだった。それらのビルの残骸が、夜闇の中に浮かび上がるさまを見ていると、流星は何となく亡者行列を連想してしまうのだった。
この辺りは、ちょうど複数の勢力がぶつかる境界でもある。その為、年中血なまぐさい争いが絶えない。ゴーストが徒党を組み、利益や縄張りをかけて命がけで衝突し合うのだ。毎日、当たり前のように怪我人が続出するし、死者が出ることも珍しくはない。
その結果、秋葉原一帯は東京の中でも最も荒れ果てた場所に成り果ててしまった。
かつて電気機器やサブカルチャーを売りに名を馳せた街の痕跡は、見る影も無い。
それどころか、あまりにも危険であるため、他の《死刑執行人》さえ寄り付かない魔のスポットと化しているくらいだった。
昼間でもそんな状態だったから、秋葉原の夜は更に危険地帯と化す。
視界も悪化するため、不慮の事故による衝突の発生率が格段に増えるためだ。
当然、仲裁に入る方もそれに巻き込まれる可能性が出てくる。最初は何度も背筋の寒くなる思いをしたものだが、毎晩のように通ううちに、すっかりそれも慣れてしまった。
今では目を瞑っていても、廃墟となった秋葉原の地理を思い浮かべることができる。
時刻は午前二時を回った頃だろうか。
雲一つない夜空には、地上のいざこざなど嘲笑うかのように、ぽっかりと呑気な月が一つ浮かんでいる。
流星はそれを見上げつつ、イヤホンから伸びる口元のマイクに向かって溜め息をつく。
「……それで? どこのどいつなんだ、こんな夜更けにドンパチかまして人の安眠妨害しやがるバカ野郎どもは?」
するとすぐに腕に嵌めた携帯端末から、二頭身のウサギのマスコットが浮かび上がった。次いで若い女性の音声が入る。事務所の元・情報屋、乙葉マリアだ。
「詳細は確認中よ。ただ、複数のストリートマフィアが衝突してるのは確かね。エンブレムの形を照合したところ、もっとも多いのは《ブラン・フォルミ》っていうチームの連中みたい。特に暴力沙汰を起こすこともない、大人しいチームだったみたいだけど」
「……ということは、その《ブラン・フォルミ》というグループが他のグループから攻撃されている……ということでしょうか?」
今度は、澄んだ青年の声が聞こえてきた。事務所に所属する《死刑執行人》の一人、オリヴィエ=ノアの声だ。
すると、それに応えて今度は低いハスキーな声が聞こえて来る。声の主である不動王奈落は、大したことでもないとばかりに鼻を鳴らし、事も無げに言った。
「さあな。ただそいつらの気が変わったってだけじゃないか? 盛ったガキがキレるなんてよくある事だろう」
「まあ確かに、あるっちゃあるが……」
流星は何となく腑に落ちない。
確かに、ここ秋葉原においてはゴーストのチームが偶然に衝突するなど珍しくもないが、普段そんなに大人しいチームであれば、そもそもこんな時間帯にこんな場所へ近づいたりはしないのではないか――そう思ったのだ。
何か心変わりをするきっかけでもあったのか、それともオリヴィエの言うように一方的に巻き込まれたか。
どんな事情があるにせよ、このまま好きにさせておくわけにはいかない。
流星は、手の中にあるハンドガンの銃把を握りしめた。対ゴーストの制圧に於いては、拳銃レベルの銃器では何の役にも立たないというケースも多い。それでもこうやって持ち歩いているのは、警官時代の名残なのだろうか。
「……どうでもいいが、ここは俺たちの管轄外じゃないのか」
ふと疑問に思ったのか、奈落がそう口にする。流星は、どっと疲れを覚えつつ、げんなりと答えた。
「仕方ねえだろ。俺たち以外に、誰がこんな物騒な場所に来るってんだよ?」
本来、秋葉原は東雲探偵事務所の『縄張り』ではない。ないのだが、いつの間にかこの街で何か起こると事務所に出動要請が来るようになってしまった。
他に仲裁に入ろうという《死刑執行人》がいないのだ。
そもそも、《死刑執行人》とはいわば賞金稼ぎのようなもので、職務として治安維持を担っているわけではない。無責任極まりないと、流星などは思うが、自分の命が可愛いのは誰しもみな同じだ。
彼らを責めるわけにもいかない。
だからといって抗争を放っておくと、どんどん悪化して取り返しのつかないことになる。その為、とりあえずの応急処置として東雲探偵事務所に通告が来るのだ。丸投げとはまさにこのことだった。
確かに、そのように利用されることは、こちらとしては迷惑ではある。文句を言いたくなる奈落の気持ちも分かるというものだ。
だが、事務所の所長である東雲六道はそういった要請を無視するという選択をするつもりは毛頭ないようで、結局、今晩もこうやって駆り出される羽目になっている。
「どうでもいいけど、この時間帯はやめて欲しいわよねー。夜更かしはお肌の天敵なんだから」
マリアの声にも少々うんざりしたような色が混じっている。ここのところ、連日のように深夜の出動が続いている。どんな時でも『仕事』を楽しんでしまうのが、良くも悪くも彼女の特技だが、さすがに疲れてきているのだろう。
その時だった。
廃墟の向こう側、南東の方角で、一際大きな爆炎が上がるのが見えた。
爆発音がそのまま衝撃となって、周囲一帯を激しく揺さぶっている。
流星の表情は一変した。
緊張感と攻撃性、そしてそれらをコントロールする冷徹さ。それらを瞳に浮かべ、移動を始める。
流星のもう一つの面――《死刑執行人》としての顔だ。
「……始まってしまいましたね」
同じく緊張感の滲んだ声でオリヴィエが呟くのが聞こえて来る。流星はマイクに向かって鋭く怒鳴った。
「抑えるぞ! マリア、バックアップ頼む!」
「ほいきた!」
マリアの返答からも、先ほどまでのような倦怠感は一掃されていた。
周囲の気配を探りながら移動し続ける間にも、立て続けに大きな爆発音が響く。一体、何が起こっているのか。緊迫感に追い立てられるようにして、流星は移動し続ける。
とはいえ、決して平坦な道程ではない。足元に転がる大小の礫塵に足を取られバランスを崩すこともしばしばだ。不意に現れる人影にも注意を払わなければならないし、それが敵であるか味方であるかも重要な問題だ。
おまけに、現場に近づくにつれ、爆発による粉塵が霞となり、視界を覆い始めた。流星は舌打ちした。夜闇は腕の携帯端末から発している光で照らすことができるが、粉塵はどうにもし難い。
視界が開けないと、判断が困難になり、身動きが取れなくなる。
「大丈夫、周囲に敵影なし。そのまま真っ直ぐ移動して」
イヤホンから聞こえて来るマリアの誘導に従い、更に南下した。
やがて、粉塵の霞が濃くなり、焦げ臭いと共に、多数の人間による怒声や悲鳴が聞こえて来るようになる。
それらは爆音の合間から途切れ途切れにではあるが、徐々にはっきりと大きくなっていく。
連続する発砲音まで聞こえてくるが、奈落のものだろうか。
「おいおい、あんま暴れまわってくれるなよ……!」
流星は口の端で軽口を叩きつつも、立ち止まることなくそのまま走り続けた。
未だ、視界は悪い。爆発時に放たれる鮮烈な閃光が時折瞬くだけだ。
それでも周囲の喧騒から窺うに、相当な混乱が起こっていると判断できる。
流星は、湧き上がる焦りを押さえつけた。思うように身動きが取れないのが、どうにももどかしい。
数分後、ようやく現場に到着する。
しかし、その時には全てが終わっていた。
「あーあ、やっちゃったわね……」
イヤホンの向こうから聞こえて来るマリアの声からは、お手上げをするポーズが目に浮かぶようだった。流星は自身も両手を上げたいのを堪え、目の前の現実を注視する。
そこはぽっかりと開けた場所だった。もはやビルの残骸すらも、跡形もない。あるのは足元を埋め尽くす大小の瓦礫だけだ。かろうじて残っていたコンクリの塊も、先ほどの爆発で木っ端微塵になってしまったのだろう。
流星はまだうっすらと残る塵の霞を手で払いながら、ゆっくりと歩を進める。
現場は悲惨な状況だった。足元には瓦礫に交じり、たくさんのゴーストの遺体があちこちに転がって大きな血溜まりを作っている。
夜という事もあってか、見かけは真っ黒なインクをぶちまけたようでもあるが、生々しい臭気が凄惨な状況をごまかしようのないものにしている。
それらが広場一杯に点々と広がっているのだった。
命はかろうじてあるものの、酷い負傷を負っている者もそこかしこに見受けられる。それら生き残った者たちは、何人かで集まって身を寄せ合い、為す術もなく震えている。
すぐに奈落とオリヴィエの姿が見えた。二人の背は高く、風貌も日本人とは違う。おまけにオリヴィエは神父だし、奈落は傭兵でごつい軍服を纏っているため、否が応でも目立った。二人の待機場所は現場と近かったせいか、流星より先に現場に到着していたようだ。
流星は周囲の負傷者を見渡しながら肩を竦め、二人に声をかける。
「おいおい、ちょっとやり過ぎじゃねーか?」
すると、オリヴィエは心外だというように反論した。
「まさか、私たちではありませんよ。……もっとも、そこの彼は愉快そうに発砲して現場の混乱に盛大に火を注いでいましたがね」
「狂乱状態に陥った集団に説得など無意味だ。おかげで静かになっただろう」
奈落はいつも通り、どこまでも尊大な態度でうそぶいた。流星は苦笑しつつ、生き残ったゴーストたちの方へと視線を向ける。
オリヴィエや奈落ではないとしたら、一体誰がこの地獄を作り出した首謀者なのか。それを探らなければならない。
「……お前ら、《ブラン・フォルミ》か?」
近づいて行って声をかけると、若いゴーストたちは小さく頷く。
顔色は蒼白で、精神状態もすっかり参っているようだが、会話はできるようだ。そこで流星は重ねて尋ねた。
「何があった? 抗争か?」
「……関係ないだろ。何なんだよ、アンタ?」
「東雲探偵事務所って知ってるか。そこの《死刑執行人》だよ」
明らかに非協力的な様子の《ブラン・フォルミ》のメンバーにそう告げると、若いゴーストたちは弾かれたように顔をあげ、一斉に視線をこちらに送ってきた。
どの顔にも、不安と恐怖が色濃く浮かんでいる。
流星はあくまで冷静を務め、問いかけた。
「もう一度聞くぞ。一体何があった?」
すると、二十代前半ごろの若者が、激しく首を横に振る。
「ち、違う! あいつが一方的に仕掛けてきやがったんだ‼ 俺たちはテリトリーから追い出そうとしたけど、しつこく攻撃してきて……!」
「すげえ強いゴーストでさ、チームの仲間もたくさんやられちまった……‼」
「ちくしょう、俺らが何やったって言うんだよ……⁉」
別の若者たちも、口々にそう言い始める。流星は口火を切った若者に向かって尋ねた。
「相手のチームは誰だ?」
「し、知らない……あんな奴、会ったことなんてない……少なくとも、ウチとは何の関係も無い奴だったよ!」
すると、流星たちの会話を聞いていたオリヴィエが眉をひそめる。
「『奴』……? 複数じゃないのですか?」
「一人だったよ。たった一人であんな事……マトモじゃねえ……‼」
「そいつはどこに行った?」
今度は奈落が聞き質す。すると、若者たちはこぞって一か所を指し示した。折り重なって倒れている死体の一つだ。
「あ……あそこに……」
「もう死んでるよ」
「こいつは……」
流星は思わず呻った。そこでは多数のゴーストが命を落とし、目を覆うばかりの光景を作り上げていたが、彼らが示したのは中でも一際、損傷のひどい遺体だった。
べったりと血糊に染まっていて分かりにくいが、頭髪をほとんど金髪に近い明るい茶色に染め、耳たぶにたくさんのピアスを付けているのが特徴として見て取れた。
うつ伏せになっている為、顔立ちは殆ど分からない。ただその体格から、男だという事は分かる。




