第3話 《ニーズヘッグ》
翌日も深雪はシロと共に外出した。
午後には朝の喧騒もだいぶ落ち着き、通りは穏やかな空気に包まれていた。
街中のゴーストたちは攻撃意思を持つ者もなく、特にトラブルを起こすわけでもない。パッと見は、ごく普通の一般市民だ。
こうしてみると、監獄都市と言えども、普通の街と何ら変わりがない。それが表面的なものでしかない事は分かっているが、つい、心のどこかで安心してしまう。
(アニムスさえ無ければ、ゴーストは人と何の違いも無いんだよな……)
人通りも一時よりは減り、露店の見物もしやすくなった。深雪はついきょろきょろとしてしまい、気づけばシロと離れ離れになっていた。
「あれ……シロ……?」
前にも後ろにも、獣耳の少女の姿はない。どうやら完全にはぐれてしまったようだった。
深雪はしまった、と後悔した。できるだけシロと一緒に行動するよう細心の注意を払っていたつもりだったが、ちょっと気が逸れた隙に離れ離れになってしまった。
こんなことになるなら、手でも繋いでおくべきだったか――そう持ったが、しかしよく考えればそれもそれで何だか恥ずかしい。
マリアから事前に渡されていた腕輪型の携帯端末も持ってはいたが、案外操作がややこしく、深雪はそれを未だに使いこなせていなかった。
とにかくシロと合流しなければ。まだ近くにいるだろうと判断し、深雪は視線を巡らせる。
今いる露店の多い通りには、シロの姿はない。そこで深雪は、更に人通りの少ない細い路地へと足を踏み入れた。
崩れかけたビルとビルの間に伸びる、細長い路地に入り込むと、周囲は途端に人影が少なくなる。シロの言った通り、人口密度が高い場所は一部の通りに限られているようだった。辺りはしん、と静まり返り、何だか不気味なほどだった。肝心のシロの姿も見えない。
「こっちじゃなかったか……?」
深雪は露店の多いメインストリートに引き返そうと、身を翻す。
すると、不意に頭上から黒い影が三つ降ってきた。
「何だ……⁉」
深雪は慌てて身構えるが、相手の動きの方が早かった。その小さな三つの影は、手にした棒切れで容赦なく深雪に殴りかかってきた。
「やいやい! オマエ、誰の許しを得てここをうろついてるんだ⁉」
小さな影たちは、ぶんぶんと手にした棒切れを振り回し、勇ましく怒鳴り声をあげる。
それは、三人の子供たちだった。男の子が二人に、女の子が一人。いかにもやんちゃそうな真ん中のが、ガキ大将だろう。
監獄都市になった東京で生まれたゴーストの子供たちを《ストリート・ダスト》と呼ぶのだと、つい最近マリアに教えてもらって深雪は知った。
「いてっ……こら、何するんだ! 危ないだろ!」
深雪が怒った素振りを見せると、子供たちも厳めしい顔を作って応戦してくる。
「うるせえ! ここは俺たち《ニーズヘッグ》の縄張りだぞ!」
「お前、見ない顔だな……? 言え! どこのチームの所属だ⁉」
集団という安心感もあってか、相手は全く怯む様子がない。まさに元気の塊だ。深雪は最初、それを忌々しく思うが、すぐに彼らの腕に刻まれた入れ墨に気づき、ぎょっとした。
《ニーズヘッグ》――真っ黒い、蛇のような形状の龍をかたどった紋様だ。
ゴーストにとって入れ墨は、所属する組織に絶対の忠誠を誓う証だ。
それは東京がむかし、首都であった時にもそうだったし、二十年が過ぎた後の現在の東京における《ストリート・ダスト》たちにとっても、同じ意味を持つものであるらしい。
「入れ墨 ……まだ小さいのに……」
深雪は表情を曇らせる。
組織のために忠誠を誓うという事は、どんな汚れ仕事であってもやってのけるという事だ。アニムスを使って外敵を排除したり、裏切った仲間を制裁することもある。どれも生半可な覚悟でできる『仕事』ではない。
勿論、チームに所属するゴーストは、自ら進んで入れ墨を入れる。それは即ち、そういう生き方を自分で選び取っているともいえる。だから自己責任には違いないのだが、それでもこんな子供がそんなことをするなんて、いくら何でも度を越している――深雪はそう思ったのだ。
しかし子供たちは、そんな深雪の懸念を明るく笑い飛ばした。
「小さいとか関係ねーやい!」
「おいらたちだって、チームのために働けるんだ。エンブレムを付ける資格がある!」
「……って言っても、油性ペンで描いてあるだけだけどな、コレ」
「バカ、余計なこと言うんじゃねーよ、タツ!」
ぎゃあぎゃあと、ど突き合いを始める子鬼たち。深雪は何だかおかしくなってきた。どうやら、彼らは深雪が思っているより、ずっと逞しいようだ。
子供たちは各々、好き勝手なことを口にし、なかなか収拾がつかない。深雪はすっかり彼らを持て余してしまった。小学校の先生にでもなった気分だ。
すると、そのバカ騒ぎを聞きつけたのか、シロが通りの端からひょっこりと顔を出した。
「あーっ、ユキ見っけ! 探したよー」
シロは深雪の顔を見ると、嬉しそうに顔を綻ばせて駆け寄ってくる。頭上の獣耳が示している通り、彼女は耳がいい。まるで犬のように、普通の人間では聞き取れない音も拾う事ができる。おそらく、子供たちの喧騒のおかげで深雪の居場所が分かったのだろう。
一方の子供たちは、シロに気づくと嬉しそうに声を張り上げた。
「……あれ? シロじゃん!」
「みんな、久しぶりだね!」
シロもニコニコと子供たちに返事を返す。どうやら両者は知り合いのようだった。深雪が意外に思っていると、子鬼たちは揃ってニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。
「ふーん……オマエ、シロの連れだったのか」
「おいシロ、もしかしてコイツ……シロのオトコか⁉」
「ばっ……! コドモのくせに生意気だぞ!」
深雪は再び怒った素振りを見せるが、子鬼たちはそれを屁とも思っていない。それどころか、怒れば怒るほど、つけ上がってくる。
「わーい、赤くなった、赤くなった~!」
そう言って、何故だかくるくると踊り始める始末だ。それはまるで、獲物を獲った後の喜びに湧く、原始人のようだった。調子に乗ったお子様ほど怖いものはない――深雪はまざまざとそれを思い知らされる。
逞しさも度を超すと、可愛げがなくなるというものだ。
ところがシロはといえば、そんな子供たちのノリには慣れているのか、呆れた様子で腰に手を当てた。
「もう、みんな違うよ。ユキはシロたちの新しい仲間なの!」
それを聞いた子供たちの表情が、ぎょっと一変した。
「仲間って……じゃ、もしかしてお前も《死刑執行人》か⁉」
「見えねー! 全っ然見えねーぞ、兄ちゃん!」
「何だか、ショック……」
小さな三人組は、それぞれ驚愕とも悲鳴ともつかぬ叫び声をあげる。それほど、深雪が《死刑執行人》に似つかわしくないという事なのだろう。
それは深雪自身、自覚しているので構わないのだが、目の前で露骨にがっかりされると、どうにも腑に落ちない気もする。
「シロ、この子たちとはどういう……?」
こっそり尋ねると、シロは嬉しそうに説明する。
「あのね、シロは昔にいたことがあるんだ」
「えっ、そうなのか?」
「ほんのちょっとだけだったけどね。いろいろあって……今は違うけど、でも今でも《ニーズヘッグ》のみんなとは仲良しだよ!」
「そ……そうなんだ……」
シロの言い方だと、どうやら何かあったようだが、シロはそれ以上説明することはなかった。それで、深雪もあえてそれ以上聞かなかった。その様子を見ていた子供たちは、再びニヤニヤと笑い出す。
「気をつけろよー、シロ」
「そうだぞ、悪い男は多いからな」
「シロは可愛いからなあ」
三人組は、うひひひ、と嫌らしい笑みを顔面に張り付けながら、中腰で深雪の反応を窺っている。またもや、勝利のダンスを踊られては堪らない。子鬼たちのニヤニヤ顔にはムカついたが、深雪はジト目でそれをやり過ごした。それでも思わず、
「何だよ、悪い男って……」
と突っ込むと、シロはクスクスと笑い声をたてる。
「ユキは悪い人じゃないよ。ただ、ちょっとだけ繊細なだけだよ」
「えっ……」
深雪は思わずシロの方を振り返った。
嫌われたりしているわけではないようで、そこは一安心だが、繊細だというコメントには喜んでいいものなのかどうか。
(それっていいことなのか? 悪いことじゃなさそうだけど……何か、ビミョーだな……)
《ニーズヘッグ》の子供たちも同じことを感じ取ったらしく、なぞなぞを吹っかけられたような難しい顔をしている。
「ふうん……? よく分かんねーな」
「まあ、シロがいいならいいけどさ。最近、物騒なことが多いしな」
「物騒な事……?」
深雪とシロが首をかしげると、子供たちは得意満面に胸をそらせた。
「うん、知らねーか? アンデッドの噂!」
「アンデッドって……いわゆる、ゾンビのことか?」
「そうさ!」
子供たちは頷くと、一斉にお化けのジェスチャーをし始める。
「こう……土気色の肌して目はうつろ、全身血だらけでフラフラと歩くアンデッドの姿が何度も目撃されているんだ」
「しかもそいつら、すっげえ凶暴で、生きてる者を見ると無差別に襲い掛かってくるんだぞ。人間とかゴーストとか、お構いなしにな!」
「へえ……?」
盛り上がる子供たちとは対照的に、深雪のリアクションは冷めていた。
いくらここが監獄都市とはいえ、今は現代社会だ。ゾンビなどというフィクション極まりない存在を素直に信じるには、どうにも無理がある。
もともと、幽霊の存在などは信じない方だ。だからつい、子どもの好きなお化け話の類だろうと思ったのだった。
子供たちもそのニュアンスを敏感に感じ取ったらしく、一様に不服そうな表情を浮かべる。
「何だよ、そのリアクション⁉ ぜってー信じてないだろ!」
「おいらたちもまだ実際には見たことないけど……襲われたって奴、何人も知ってるんだ!」
「ホントだぞ‼」
深雪は戸惑う。子供たちの様子は真剣そのもので、うわさ話の域を超えていた。まるで本当に自分が見てきたかのように、ゾンビの出現した場所や襲われた人間の状況を説明し始める。
しかしだからと言って、アンデッドなど簡単に信じるわけにもいかない。すると、黙ってやり取りを聞いていたシロが、突然口を開いた。
「ユキ、ゾンビって見たことある?」
「な、ないよ。さすがに」
「シロもよく知らないけど、映画とかで見たことあるよ。ゾンビに咬まれたら、ゾンビになっちゃうんだよね?」
「ああ……確かによくあるよな。アンデッドを放っておくと、どんどん数が増えていくってヤツ。ウイルスに感染するんだ」
深雪は頷いた。
ある日、突然ゾンビが現れて、平穏な日常が一変する。主人公たちはショッピングセンターなどに逃げ込んで自衛し、ゾンビと戦う。ところが、一人、また一人と命を落とし、或いはゾンビに咬まれる事で同じゾンビと化してしまう。
ゾンビになった者は二度と元には戻らないし、生き返らない。それどころか、ゾンビたちと一緒になって、味方であった筈の主人公たちを容赦なく襲い始める。映画などではお決まりの展開だ。
「ほら見ろ! 大変なんだぞ⁉」
「このままじゃ《東京》はゾンビだらけになっちまう!」
「そんで、おいらたちもみんなゾンビになっちゃうんだぁ‼」
先ほどまであれほど勇ましかった子供たちは、その顔に恐怖を浮かべ、大騒ぎを始めた。
「そんな、大げさな……」
――まさか。そう思いつつも深雪の胸に一抹の不安が過った。
ここは監獄都市であり、ゴーストの巣窟だ。そして、ゴーストにはアニムスがある。
アニムスは『魂の具現化』とも呼ばれており、その属性や形状はゴーストによって事細かに違う。
例えば、水や火を操る能力は最も一般的で数も多いが、威力の強さ、扱える力の範囲など、細かい部分はゴーストによって全く違う。同じ水を操る能力でも、雨として降らせる能力もあれば、蒸発させて水蒸気にしたり、空気中の水分を凍らせる能力もあったりする。
そしてさらに厄介なことに、今までほとんど発見されていないような、珍しい能力もまた多数存在するのだ。
もし、何らかの方法で他人をゾンビ化させるアニムスが存在するとしたら―――
その時、通りの向こうから、子供たちとは別の三人の人影が現れた。大きい影が一つに、小柄な影が一つ。女性と思しき影もある。
みな、腕や首筋に《ニーズヘッグ》を模した黒龍の入れ墨を入れているのが見てとれた。子供たちのように油彩ペンで描いたものではなく、本物の入れ墨だ。
一体、彼らは何者か――しかし、深雪が警戒する間もなく、一番大きい影がのしのしと歩いて、こちらに歩み寄ってきた。
「お前ら、こんなところにいたのかよ!」
影の主は、声に多分の怒りを含んでいたが、子供たちには怖がったり、反省したりする様子はない。それどころか、嬉しそうに影の方へと走り寄っていく。
「あ、銀賀だ!」
「ぎんが~!」
「静紅さんや亜希さんもいる!」
「どうしたの、三人揃って?」
銀賀と呼ばれたのは、三人の中で最も大柄な青年だった。深雪よりも背が高く、体も引き締まっている。
彼の表情や身振り手振りから、相当に喧嘩慣れしていると、深雪は瞬時に察した。危険な男には違いないが、子供たちを見つめるその目には、どこか柔らかいものがある。根っから凶悪な性格というわけではないのだろう。おそらく彼は、《ニーズヘッグ》を他のチームの脅威から守る戦闘員なのだ。
しかし何といっても、目に付くのは彼の頭髪だった。これでもかというほど鮮やかなショッキングピンクで、おまけにモヒカンだったのだ。立派な体格と相まって、一度見たら決して忘れらない、個性的な風貌だ。
銀賀は子供たちを見て眦を吊り上げる。
「バーカ、お前らを探しに来たに決まってんだろ! この物騒な時期にガキ共だけで出歩くんじゃねえ!」
「えー、だってぇ~……」
巨漢に頭上から睨まれ、さすがに恐ろしいのだろう。子鬼たちはしゅんとなってしまった。それでも完全に大人しくなったわけではないようで、唇を尖らせてぶつくさと文句を垂れている。
するとその瞬間、銀賀が子供たちの頭に、ガン・ゴン・ゲン、とゲンコツを落とした。
「おう、おう! だってもクソもねーんだよ! 分かったか⁉」
「くうぅ~、いってぇ~!」
「何も殴ることないじゃないかよ、バカ銀賀‼」
「んだと⁉ もう一発殴ったろか、クソガキ!」
頭を押さえてのた打ち回りながらも、きっちり悪態をつく子鬼たちに、銀賀は更なる鉄拳を加えようと拳を振り上げる。
すると、銀賀と共に現れた少女が間に割って入った。
「やめなさいよ、銀賀」
前髪を額で分けており、理知的な表情で、眼鏡のよく似合う少女だ。声もどこか大人びている。顔立ちの整った少女だが、銀賀とは対照的にどこか冷たさを孕んでいた。決して攻撃的なわけではないが、深雪は彼女に対して人形のような印象を受ける。
「……子供相手にムキになってどーするっての、このトリ頭」
少女がすっとした目を更に細め、冷ややかに言い放つと、銀賀は怒りもあらわに今度は少女に向かって食って掛かった。
「ああん⁉ この冷血アマ、誰がトリ頭だと⁉」
「そのピンクのモサモサ、ちょうど鶏のトサカみたいじゃない。……狙ったんじゃないの?」
「んなわけねーだろ!」
思いきりそう突っ込むが、すぐに気を取り直し、銀賀は得意そうに人差し指の先をちっちと横に振る。
「分かってねえな。これはなあ、俺のほとばしる魂が具現化したものなんだよ! ただの飾りでもなけりゃトサカでもねえ、もっとこう……崇高なもんなんだよ‼」
ビシッとポーズを決める銀賀。よほど自分のスタイルに思い入れがあるらしい。
ところが、この場にその美学を理解できるものはいなかった。深雪とシロはぽかんとし、少女は、バカみたい、と肩を竦める。
子供たちに至っては大ウケで、ひっくり返ってゲラゲラと笑い出してしまった。
「何じゃそら⁉」
「全っ然、意味わかんねーぞ!」
その中で銀賀ひとりが面白くなさそうにムッとしていた。
「いいんだよ! 崇高な精神ってのはいつの世も理解されねーもんなんだ」
すると、それまで黙っていた三人目の人影が口を開いた。
「はいはい、崇高でもトサカでも、何でもいいけどさ。銀賀一人で盛り上がりすぎ」
「亜希……! けどよう……」
亜希と呼ばれた少年の一瞥を受け、あれほど騒がしかった銀賀はすぐさま静かになってしまった。




