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東亰PRISON  作者: 天野地人
監獄都市収監編
23/752

第22話 《死刑執行人(リーパー)》①

「すごい爆発……!」

 物陰に身を潜めていたシロが、緊張した面持ちで呟いた。


「おーお、やってんなあ」

 流星もハンドガンの銃把(グリップ)を握が手に力を込める。口調はこそ軽いものの、眉間には内心の焦りが滲み出ていた。


 流星とシロ――二人のいる場所からでも、廃屋の向こう側にもうもうと立ち込めている黒い煙がはっきりと見て取れた。位置から考えても、雨宮深雪の《ランドマイン》であるに違いない。

 深雪はアニムスを使用するのを殊更に嫌がっていた。それなのに爆発が起きたという事は、おそらく使わざるを得ない、深刻な状況になっているのだろう。


(まずいな……)


 流星は胸中で呟いた。

 深雪に渡した腕輪型端末で事の詳細を質したい衝動に駆られるが、敵方にこちらの狙いを察知されるわけにはいかないので、すぐに行動には移すわけにもいかない。

 

 シロも耳を小刻みに動かしながら注意深く様子を探っている。その真剣な表情から察するに、やはり情勢は良いとは言えないようだ。

 出来ることなら、今すぐ深雪のサポートをしてやりたい――そう思うが、ターゲットがリスト未登録の状態ではこれ以上動きようがない。

 

 満足に動けない状態で下手に行動を起こし、相手にこちらの存在を感づかれれば、逃げられてしまう恐れもある。


「マリア、リスト登録はまだなのか⁉」

 端末に向かって鋭く問うが、マリアの返答はやはり芳しくない。


「所長が今、法務省の上層部(お偉いさん)にかけあってるわ。でも、登録はまだみたい……」

 焦りを隠せない声音でそう答える。もともと二週間かかるものを僅か一時間弱でクリアしようというのだ。無理があるのは当然だが、こういった状況に置かれると、これだからお役所仕事は、と愚痴の一つも吐きたくなる。


 腕輪型端末の向こうからも、仲間のじりじりとした空気が伝わって来る。だが、今のところ打つ手がない。


(どうする……?)

 流星の心は揺れていた。マニュアル通りなら動くべきではないが、ターゲットがいつ次の行動を起こすか分からない。高山は深雪が引きつけてくれているが、残りの三名はノーマークだ。

 

 それに、当の深雪も決して余裕があるわけではない。ただでさえ《東京》での経験が浅いのだ。いくら自ら囮役を受けて出たとはいえ、長期間、孤立状態にあるのは危険だった。

 あの派手な爆発を見る限り一方的にやり込められてはいないようだが、いつ危機的な状況に陥ってもおかしくはない。


 いくら場数を踏んでいても、難しい判断を迫られる案件は容赦なくやって来る。動くべきか、動かざるべきなのか。迷いを断ち切れず、奥歯を噛み締める。


 ――その時。

「俺が出る」

 端末の向こうで、唐突に神狼が短くそう言った。

 流星は、「待て!」と声を上げたが、すでに返事はない。マリアが、「……通信、切れちゃった」と答える声が聞こえるのみだ。

 

 流星は舌打ちをしたい衝動に駆られた。神狼が何をするつもりなのかは見当がつく。流星は決してそれを望ましいとは思っていないが、今のところ他に有効な手段がないのも確かだ。


 リスト登録していないゴーストに、決して手を出すわけにはいかない。《死刑執行人(リーパー)》は《東京》内部の秩序の、最後の砦だ。

 その《死刑執行人(リーパー)》が秩序を無視したなら、この閉鎖的な監獄都市はあっという間に混沌の底に引きずり込まれてしまう。

 それだけに、軽率な行動は厳として慎まねばならなかった。


(くそ……待つしかない、か)

 結局のところ、この膠着した事態を打開できるのは、所長の六道がもたらすリスト登録完了の一報だけだ。流星は自らも飛び出したい心境を抑え、腕の通信端末に待機続行を告げた。





 一方、深雪の引き起こした爆発は大石らも目にしていた。

 

 高山の後を追っていた大石らは突然の出来事にぎょっとし、移動の足を止める。


「ナオキの奴、調子に乗りやがって……大丈夫なんだろうな?」

 大石は思わず小さな声で毒づいていた。

 二手に別れる前、高山が不気味なほど嬉々とした表情をしていたのを思い出し、渋面を作る。


 すると、小西がおずおずと声をかけてきた。

「あ、あのさ。イッシ―はナオキのこと、どう思ってんの?」

「何だよ、急に?」

「いや、イッシ―ってさ、ナオキの事すんげー信頼してんじゃん。俺らは時々ついて行けねーって言うかさ」


「別に……信頼してるって訳じゃねーけど。あいつにも問題があるのは確かだし……。でも、頭はキレんだろ。あいつがいなきゃ、今頃俺たち全滅してたかもしれねえ」

「それはそうだけどよ……」 


 小西はいまいち釈然としない様子だ。酒井も同様のようで、互いに顔を見合わせている。

 大石とて、本当は高山などに頼りたくない。ああいう利己的で幼稚で周囲を振り回す性格は苦手だ。それでも、生き残るためには数も必要と割り切ってきた。

 まさか、あそこまで問題児だったとは。


 高山と手を組んだのは間違いだったかもしれない――大石が微かな不安と後悔を覚えていた、その時だった。

 

 不意に背後でガタッと物音がする。

 はっとし、身構える面々。場の空気があっという間に温度を失い、静まりかえった。


 そこに現れたのは、小汚い恰好をしたホームレスの老人だった。全体的に灰色の襤褸をまとい、穴の開いた傷だらけの革靴を履いている。見るとすぐそばに段ボールハウスが建ててあった。おそらく、ここをねぐらにしているのだろう。  


 老人もまた、大石らの存在に気づいた。小さな体を更に縮め、びくびくと肩を痙攣させながら、一人ずつその顔を順番に認める。


 その卑屈な視線が、小西にとまった。皺だらけの老人は、一度大きく目を見開くと、みるみる蒼白になる。

「お、お前ら、さっきの……⁉ な……何でこんなところに……‼」

 老人は悲鳴じみた声を上げた。どうやら小西に見覚えがあるらしい。小西の方もあっと声を上げ、老人を指差す。大石は眉根を寄せ、尋ねた。

「何だよこの小汚ェ爺さん?」

「こいつだよ、さっき言ってたホームレスって」


 小西は老人に向かってにやりと笑い、ずかずかと歩み寄っていく。

「おい、爺さん。てめえのツラ拝んだせいで、こっちは気分悪いんだよ。分かってんの、あん?」

「ケンタ、放っとけって。今、それどころじゃねーだろ」

「いいじゃん、どうせこんな老いぼれ、何もできやしねーよ。それにゴミ掃除は悪い事じゃねえだ

ろ? ほら、早く逃げろよ‼」


 歪んだ笑みを浮かべながら、小西はアニムスを発動させた。すると、周辺に散らばっている瓦礫の欠片がひとりでにふわりと宙に浮く。小西のアニムス、《サイコキネシス》だ。

 老人はそれを目にし、震えあがった。

「ヒッ……ひいいいいいいっ‼」


 小西は舌なめずりを一つすると、老人の小さな背中目がけ、浮かべた瓦礫を勢いよく飛ばした。パンと破裂音が響き渡ると共に、数多の破片が老人の体に的中し、めり込んでいく。一つ一つの弾は小さいものの、当たれば十分殺傷能力がある。

 老人の襤褸に点々と赤いものが滲み始めた。


「あっ……あひぃっ! あひゃあああああ‼」

 老人は情けない悲鳴を上げ、足を縺れさせながらも逃げ惑った。そもそも足腰があまり丈夫でないらしく、よたよたと間抜けな盆踊りを踊り始める。

 小西は陰湿な嘲笑を頬の端に浮かべると、老人を執拗に狙い続けた。悪いことに、弾は無限に地上に転がっている。


 老人はよろめきながらも、何とか礫の嵐から逃れようと走り続けたが、すぐに工場の外壁にぶつかり逃げ場を失った。そのままその場にへたり込み、蹲って頭を抱えて亀のように丸まってしまう。


「ホント、弱ェなあ! 汚ねーし、みすぼらしいし、仕方ねーから俺がゴミ掃除してやるよ!」


 小西は歪んだ優越感を浮かべ、今度は嬉々として老人を蹴り始めた。その行為に正当性は一切なく、明らかにただの憂さ晴らしだ。

 老人は悲鳴をあげながら、抵抗もできずにその場に蹲り続ける。


 大石は顔をしかめた。弱い者いじめは小西の悪い癖だ。注意するとますます悪化するので下手に口出しもできない。酒井の方を見ると、同じように老人の醜態を鼻先でせせら笑っている。こちらも小西と似たようなもので、やはり当てにはならない。


 大石はため息をつき、小西が飽きて自ら暴行を止めるのを、待つことにした。




 工場の外では、シロが大石らの様子を察知していた。耳をぴくぴくと盛んに動かし、工場の方をじっと睨む。かと思うと、激しい怒りを露わにした。

「あいつら、ひどい……‼」


 映像は目にできなくとも、音で何が起きているか、ある程度のことは分かるのだろう。流星も大方のことは予想できるので敢えて詳細は問い質さない。


「リスト登録はまだなのですか⁉」

 オリヴィエの方からは中の様子がはっきりと見えるのだろう。悲痛な声を上げる。

「うう……所長ってば、一体何して……」

 マリアの声にも強い焦燥が滲んだ。ここに至ってもまだ六道からの知らせはないらしい。


 動くしかないか――流星がそう腹を括り始めた時だった。

 

 待ちに待ったその報せが、ようやくマリアの元にもたらされた。


「……マリア、登録が終了した。他の者に執行開始だと伝えろ」

 底冷えのするような、六道の低い声。それと同時に、警視庁のサイトに、新たに高山直輝や大石瑛太、小西健太郎、酒井匠の四名の名前と情報が追加された。

 新しく並んだ四つの証明写真は、どれも冴えない表情だったが、リストに乗った途端、急に凶悪犯めいて見えてくる。


「うおっしゃあ! みんな、所長から連絡があったわ! リスト遂行開始よ‼」

 イヤホン越しに聞こえてくる、マリアのやたらと嬉しそうな声を耳にしつつ、流星はどこか安堵していた。

 ――これで、性質の悪い我慢大会がようやく終わる、と。

 そして同時に殺気を込め、すっと両目を細める。


 これからこそが、本番だ。


「よし……動くぞ、シロ!」

「うん‼」

 シロはそう答えるや否や、地を蹴って大空に身を躍らせた。流星もまた銃を構えつつ身を低くし、大きく翻るセーラー服の残像を追う。


 他の者も皆、同様に動き出した。

 解き放たれた猟犬たちが気配を消し、一斉に目の前の獲物に向かって静かに移動していく。背中を切り裂き、その喉笛を食い千切らんと千切らんと、自らの爪や牙を研ぎ澄ませながら。


 

 マリアによるリスト登録の通知があった、まさにその刹那だった。


 小西によって蹴り続けられ、亀のように丸まって微動だにしなかったホームレスが突如、身を動かす。

 

 丸まった襤褸の両脇から突然両腕を突き出したかと思うと、その細い両腕でしっかりと地を支え、ばねにして上空に舞い上がったのだ。

 痩せこけた体の、どこにそのような力が在るのかと不思議に思うほど、高さのある鮮やかなジャンプ。


 そして宙でひらりと一回転すると、するりと小西の背後に回り込む。


 それもまたやはり、とても老人とは思えないような、俊敏で柔軟な動作だった。一つ一つに無駄がなく、軽やかで美しい舞でも舞っているかのような優美な仕草。高度に洗練された技術がなければ、できない動きだ。


 老人は右手をしならせると、それを鮮やかに翻す。その動きに合わせ、老人のまとった襤褸が美しく弧を描いた。

 そこに先ほどまでのみすぼらしさは皆無だった。

 酒井や大石、小西すらもその動きに魅了され、身動きできなかったほどだ。


「え……?」


 小西は終始、きょとんとした表情をしていた。

 何故、急に老人が動き出したのか、自分の身に何が起ったのか。全く理解することができない――そんな心境がありありと見てとれた。

 

 それは大石や酒井もまた同様で、あまりにも唐突に始まった一連のの出来事に、ぽかんと口を開けたまま成り行きを見つめることしかできない。


 そして老人が右手を閃かせると共に、小西は硬直し、動かなくなった。


 何が起こったか分からず驚いた状態のまま、小西の時間はぶつりと断たれたのだ。


 やがて小西は驚愕に目を見開いた状態のまま、ゆっくりとうつ伏せに倒れる。その首の後ろ側には、奇妙な形状の刃が突き刺さっていた。


 それは三十センチほどの鉄棒で、両端が矢じりのように鋭利に尖らせてあり、柄の真ん中あたりに鉄の輪っかがついている武器だった。中国武術で使用される暗器・峨嵋刺(がびし)で、日本でいう寸鉄だ。

 その鋭利な先端の片方が小西の首の後ろに深々と突き刺さっている。


 残された大石と酒井は息をするのすら忘れ、小西の倒れた体を凝視した。その場は、しん、と静まり、まるで小西の死が他の二人の時をも止めたかのようだった。


 何が起こったのか全く呑み込めていない酒井は、小西がどうして倒れたのかも分かっていないのだろう。訝しげに眉根を寄せ、無防備に小西へと近寄ろうとする。


「え、ケンタ? おい、どうし……」 

「やめとけ、もう死んでる」

 大石が酒井の腕を掴み、低い声で囁いてそれを押し止める。


「へ……ウソだろ……?」


 酒井は言われたことの意味が呑み込めないのか、呆けた表情で大石と小西を交互に見つめた。大石はその呆けた反応に内心で舌打ちしつつ、未だ小西の傍に佇む老人の横顔を鋭く睨みつける。


「お前、何者だ⁉ ただのホームレスのジジイじゃねーだろ‼」


 ホームレスの老人からは、先ほどまでの卑屈さや小西に対する恐れは跡形もなく消え失せている。

 それどころか、彼の表情には何の感情も浮かんではいない。両腕をだらんと両脇に垂らし、ただその場に突っ立っている。


 その様子は明らかに不自然で、まるで老人の中から魂が抜き取られ、体だけが残ったかのようだった。


 酒井も老人の異常な変化に気づき、警戒態勢になった。ようやく小西の死を理解したようで、痩せ窪んだ頬が心なしか青ざめている。


 無言かつ無表情でその場に佇んでいたホームレスが、ゆっくりとこちらを向いた。今までとは全く違う妙にふてぶてしく、且つ冷たい視線を二人に送って来る。

 

 その姿が横に激しくぶれ、僅かに霞み、輪郭を失ったんかと思うと、次には姿形を完全に変えていた。


 ずんぐりむっくりとした猫背の小柄な老人は、すらりとした華奢な体格の少年の姿になっていた。

 チャイナ服をまとい、その細い目鼻立ちは少女かと見紛うほど美しい。一瞬、少年が小西の息の根を止めたのだという事実を忘れ、見惚れてしまうくらいだった。


「なッ……⁉」


 酒井と大石は激しい驚愕に見舞われ、ショックのあまり口々に喚いた。

「……やはりな。爺さんなんかじゃなかったか!」

「そ、そんな馬鹿な……一体、いつの間にすり替わったんだ⁉」


「最初から、だ。お前らの情報、筒抜けだった。他のゴースト達を無闇に敵に回すからだ」

 

 神狼のアニムスは《ペルソナ》だ。他人の容姿や声、記憶の一部に至るまで詳細にコピーする。コピーできないのはそれぞれのゴーストが持つアニムスだけだ。その変身を見破るのは、東雲探偵事務所の者(身内)ですらほぼ不可能なほどだった。



時間は二時間ほど遡る。 


 乙葉マリアは、琴原海から得た情報をもとに高山らの名前を特定した時点で、ちょっとした細工をした。ある特定のSNSアドレスを乗っ取り、高山らの情報提供を募る書き込みをしたのだ。

 そのアドレスは、《東京》湾岸部から東京駅周辺にかけた地域を根城とする、ごろつきゴーストたちのチームヘッドのものだった。

 

 すっかりヘッド直々の命令だと思い込んだ手下たちは、《新参者》に縄張りを荒らされていたのが面白くないこともあって、続々とリアルタイムで情報を書き込み、提供してくれた。マリアはそれをつぶさに検証し、小西と酒井が単独行動をしていることを突き止めた。

 

 そして神狼が《ペルソナ》を使い、ホームレスに変身した状態で《ディアブロ》と小西・酒井が睨み合っていた現場に居合わせたのだ。そして小西と酒井が現場を去った後に、気付かれぬよう二人の後を追い、この廃工場を突き止めた。


「う……うわああああああああああ‼」


 酒井は突然、奇声交じりの悲鳴を上げた。他者を殺し、傷つける事には慣れていても、自分が攻撃されることには全く慣れていないのだ。

 すっかり動転して髪を振り乱し、顔を激しく歪めて後じさる。

 そして、混乱した感情にまかせて己のアニムス――《スチーム》を暴発させた。酒井を中心として濃い水蒸気が勢いよく立ち込める。

 やがて瞬時にして辺り一色、乳白色の霧に包まれていった。


「馬鹿野郎、タクミ落ち着け!」

 大石が止めるのも空しく、視界はみる間に悪化していく。工場や倒れた小西、神狼の姿――あっという間に全てが霧の向こうに掻き消えた。

 酒井の《スチーム》は完全にコントロールを失い、もったりとした重たい霧が周囲を押し包んでいく。


 そして大石と酒井、互いの姿すら見えなくなってしまう。



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