第21話 囮
シロの背中を見送りつつ、深雪はふと気づく。
(一人じゃない……か)
先ほど感じた奇妙な懐かしさが何であるか。深雪はその正体に心当たりがあった。
二十年前――《ウロボロス》に所属していた時、多くのゴーストの仲間たちと行動を共にした。
その時の感覚に似ているのだ。
《ウロボロス》は絆の強さを結束力に変えているような組織だった為、ありとあらゆるものがバラバラな東雲探偵事務所とは根本的に性質が異なる。
ただ、いずれにせよ相手が普通の人間だったなら、覚えることのない感覚だったかもしれない。
(そうだ……《ウロボロス》での思い出も、辛いものばかりじゃなかった)
苦しい時、楽しい時、嬉しい時。どんな時でも一緒にいて、いろんなことを共有した。
彼らと出会えたから、一番困難な時期が乗り越えられたのだ。そうでなければ、深雪も高山のようになってしまっていたかもしれない。
もし、自分がゴーストでなかったら、彼らと出会うことはなかっただろう。
しかし、ゴーストであったからこそ、あのような最期になってしまった。
楽しかった思い出がたくさんあるからこそ、結末があまりにも辛いのだ。
(もう二度と、あんな思いはしたくない……!)
起きたことを覆すことはできなくとも、同じことを繰り返さないようにすることはできる。
二度とゴーストやアニムスのせいで苦しむ人を出したくない。
その為に何ができるのか――深雪にはまだ分からないが、ともかく今はただ、自分に出来ることをするだけだ。
その場に一人残された深雪は、毅然として工場内――たった今、自分が走って来た方向へと振り向いた。
そして、その向こうにいる筈の高山を睨みつけた。
「……ああ、そんなところにいたんだ?」
高山は深雪の姿を認めるや否や、舌なめずりするような陰湿な笑いを浮かべた。
深雪はそれを横目で見つつ、身を翻すと工場の外壁に沿って走り始める。
(さあ、ついて来い)
しかし、そう念じるまでもなく、高山は深雪を追って《ブラストウェーブ》を放った。
「あはっ、逃がさないよ!」
幾筋もの疾風が、錆びた鉄材ごと深雪を切り刻もうと、牙を剥く。深雪はよろめきながらもそれをかろうじて避け、走り続けた。
「へえ……避けるのだけは一流だね? まあ、それも悪くないけど」
高山は楽しげに後を追いかけてくる。深雪の思惑に気付いた様子はない。
どうやら流星らとの会話は全く聞かれていないようだ。
そのことに安堵し、高山との距離に気を配りながら、深雪は全速力で駆けた。
先ほど、ひとりで逃げていた時にはひたすら必死だったが、今は流星やシロが傍にいるのだという安心感が余裕へと繋がっていた。
もし彼らが深雪を見失ったとしても、白い腕輪型端末を持っていさえすればマリアが所在を把握してくれる。
ただ、それを表に出してはいけない。
高山に囮作戦を悟られるわけにはいかないのだ。深雪の演技次第で、作戦が成功するかどうかが決まると言っても過言ではない。
そう考えると、それなりに責任は重大だ。
(安請け合いしすぎたかな……)
そんな事をごちゃごちゃと考えながら走っていたせいだろうか。深雪の足の甲が、草の合間に這っていた金属ケーブルを拾い上げる。
「しまった……!」
何とか踏ん張ろうとしたが、それも叶わなかった。
ケーブルに足を引っかけ、派手にバランスを崩した深雪は、地面に両手と片膝をつく。
背中に冷たいものが走った。
離れているとはいえ十分、深雪は高山の風の射程圏内にいる。
そして当然、静止しているものの方が、動いているものよりも狙いやすくなるだろう。
しかし、高山は止めを刺してこなかった。それどころか、
「あはは、ほうら! 早く逃げないとバラバラに切り刻んじゃうよおおぉぉ‼」
と更にはしゃいだ声を上げる。
深雪はある可能性を思いつき、ぞっとした。
(あいつ、まさか……俺を少しずついたぶって楽しんでいるのか……?)
深雪の腕や足、頬などに《ブラストウェーブ》によっていくつも裂傷ができている。致命傷に至っていないのは自分が高山の放つ風を避けたからだと思っていたが、もしかするとそれだけではなかったのかもしれない。
おそらく高山は、わざと致命傷を避けているのだろう。そして、深雪がじわじわと弱るのを楽しんでいるのだ。
それに気付いた深雪は、更なる違和感に眉をひそめた。
そういえば、高山はあまりにもアニムスを使い慣れて過ぎている。コントロールが完璧で、どんなに風を操っても当て損じがないし、力の加減も絶妙だ。そのレベルに達するまでに相当な修練が必要だったであろう。
ここ数日、始めてアニムスを使い始めたという様子ではない。
(何かおかしい……あいつ、もしかして……!)
そこまで考えた時、行き止まりに突き当たった。
目の前には崩れかけた倉庫がある。どうやら工場にいくつか併設されたものの一つであるらしく、壁面に取り付けられた巨大なシャッター扉が壊れて半開きになり、途中でぶら下がっている。
ここからどう動くべきか――一瞬の逡巡が命取りになった。運悪く高山の放ったアニムスの風が近くの廃屋に直撃してしまったのだ。
工場は見るからに支える鉄骨が古く、烈風を受けると粉塵を派手に撒き散らしながら、あっという間に崩れ落ちた。しかも破損を受けた場所が悪かったのか、ガラガラと横倒しに倒れていく。
そしてその倒壊した壁や柱が、あっという間に深雪の行く手を塞いでいった。
「しまった……!」
前方は倒れた工場で塞がり、左右も資材やらコンテナが積み上がって障壁となっている。
深雪は袋小路に追い込められた格好となってしまった。かろうじて開いているのは、後方のみだ。
慌てて踵を返すが、その後方から高山が姿を現すのが見えた。高山は立ち上がる砂埃の向こう側から、悠々とした足取りで歩み寄って来る。そして右腕を上空に掲げ、勝ち誇った笑みを頬に張り付けていた。
「……残念だったね。もう、逃げられない」
確かにその通りだ。このままでは逃げ場がない。
深雪は観念し、背後を振り返って高山と対峙する。高山は相変わらず軽薄な笑みをその唇に浮かべていた。しばらく睨み合うが、やがて深雪は躊躇いがちに口を開く。
「お前……アニムスを使うのに妙に慣れてるよな」
「まあね。東京に入ってから、ずーっと使ってたら、嫌でも慣れるよ。……だから何?」
高山はどうでも良さそうに肩を竦めた。
「……本当にそうか? 使い始めたのは東京に入ってから? それにしては慣れ過ぎてる。今まで一度も的を外さなかったし、力の加減も絶妙だ。昨日今日使い始めたって奴の芸当じゃない」
「………。何が言いたいの?」
その時、高山の態度に変化があった。ふっと蝋燭の火が消えるように、それまでのわざとらしい演技臭さが消えたのだ。しかし、深雪は慎重な態度を崩さず、重ねて問う。
「……もしかしてそれを使って人を殺すの、始めてじゃないんじゃないか? ひょっとして……東京に来るよりずっと前から………」
高山の瞳が驚いたように大きく見開かれた。深雪の指摘があまりにも意外だったのか、その瞳孔はありありと驚愕を浮かべていた。
高山はそれから一度、無表情になって俯くが、やがて小さく肩を小刻みに震わせ、低い笑い声をあげ始める。
そして次に顔を上げた時には、その両目は更なる狂喜で満たされていた。
「ふ……ふふふふ、あはははははは! よく分かったね! その事に気付いたの、君だけだよ! だから君のことは気に入ってたんだ! 君は他の愚かなゴーストとは違う……僕と同じだって‼」
「……‼」
高山は先ほど以上に陽気に笑ってみせる。
しかし目は爛々と光り、開いた口は飢えた肉食獣のように凶暴だった。そこには先ほどまでには無かった獰猛さが、はっきりと顔を覗かせていた。
深雪は息を呑んでそれを見つめた。嫌な汗が背を濡らしていく。
やがて高山は哄笑をひっこめると、猛禽類じみた目つきで食い入るように深雪を見つめた。
「……そう、君の言う通りさ。僕は東京に収監される前から頻繁にアニムスを使っていた。だってある日突然、不思議能力に目覚めたらさ。使ってみたくなるでしょ、フツー?
最初は草木や看板を切り刻んで遊んでいただけだったんだけどね、そのうち鳥や犬、猫を斬りつけて殺すようになった。
その標的が人間に変わるまで、さして時間はかからなかった。
でも、派手にやったら見つかっちゃうし、僕がゴーストであることも分かってしまう。ゴーストだと周囲にばれたら、東京送りになって人生一発でアウトだ。当時はそう思い込んでいたから、行動には細心の注意を払ったよ」
高山はまるで大切な思い出話をするかのように、うっとりと両目を細めた。
「特に大変だったのは後片付けかな。なるたけ人目につかない県境の山奥で殺して捨てるんだ。そして徹底的に切り刻み、証拠を隠滅する。ほら、マグロのたたきってあるでしょ。あの要領ね。
――ターゲットの選出はね、意外と簡単なんだよ。現代社会は孤独な人間が溢れているからね。
でも、死体が見つかったらいけない。警察とかマスコミとかいろいろ動き出して面倒臭い事になってしまう。
でも、それも楽しかったけどね。バレるかバレないか……ぎりぎりのスリルが堪能できるんだ」
そして当時の興奮を思い出したのか、束の間、喉の奥で不気味な笑いを洩らす。
「でもそれも続けているうちにだんだん飽きてきた。そして、ふと気づいたんだ。
今までずっと東京収容を避けてきたけど、そういえば東京ってどんなところなんだろう……って。
そして思ったんだ。東京に行った方が、もっと自由に殺せるんじゃないか? もっと好き放題に切り刻めるんじゃないか――ってね。
それに何より、東京にはゴーストが溢れている。そんなに沢山いるなら、一人や二人切り刻んでも構わないんじゃないか……そう思いついたんだ。
無機物や動物、人間は斬り飽きた。あとは……ゴーストしか残ってないじゃないか、ってね」
そう言うと、今度は芝居がかった仕草で両手を空中に掲げて見せた。その表情は不気味なほど、深い恍惚に染まっている。
「それで実際来てみたら、どうだよ? まさにビンゴだ! アニムス使い放題じゃないか!
どうしてもっと早くここに来なかったのか……過去に戻って自分に助言したいくらいだ。
ここは僕にとって、天国そのものだよ‼」
深雪は我が耳を疑った。もはや怒りなどといった感情は飛び越えてしまって、目の前に人ではない異物が立っているようにしか見えない。
その存在に、吐き気すら覚えていた。
いくらゴーストとはいえ、殺人を娯楽と捉えるなど、あまりにも常軌を逸している。
「狂ってる……! ゴーストとか人間とか関係ない――お前はただの人殺しだ‼」
「ふふ、そうかもね」
ところが高山は動じることなく、逆に挑むような強い視線を深雪に投げつけてきた。
「でも、君はどうなの? 君だって、アニムスを使い慣れてるじゃないか」
「……!」
「確かに、僕のように何度も使ってるってわけじゃない。でも、君は『ここぞ』という使いどころをよく心得てる。そして使用回数を最低限度に抑える事で、相手に極力自分の情報を与えないようにしているんだ。
そういうのって下手に使いまくるより難易度高いよね?」
深雪は高山の目つきが、それまでとは全く性質を異にしていることに気付く。
無邪気な陽気さはすっかり鳴りを潜め、狡猾な冷徹さに取って代わられている。
確かに深雪がアニムスの使用を嫌うのは、傷つけあいたくないという事もあるが、相手に自分のことを知られたくないという理由もある。それが自分の弱点を曝け出す事にもなるからだ。
出会って僅かである筈なのに、高山はそれに見抜いた。
(こいつ……ただの人殺しだと思ってたけど、よく見てる……!)
この男はおそらく、思った以上に頭が切れる。今までの幼稚かつ陽気な言動はあくまでカモフラージュで、こちらが男の本性なのだ。
こいつはヤバい――高山に対する嫌悪感とともに、突如強い警戒心が沸き上がってきて、深雪は思わず一歩後ずさりした。高山は目聡くそれを認め、ゆっくりと狡猾さに満ちた笑みを浮かべる。
「ねえ、誤解しないで欲しいんだけど、僕はそれを非難する気はないんだよ。ゴーストは、人間とは違う。同じ部分も確かにあるけど、違う部分があるのもまた事実だ。君もそれは感じた事があるんじゃないかな?」
「………」
「ところが悲しい事に、この世のルールは全部が人間のルールでできている。殺しちゃいけない、奪っちゃいけない、優しくなくちゃいけない……全部人間が仲良く生きていくためのルールだ。
それがゴーストである僕たちに合ってないのは、いわば必然じゃないかな?
もともと不平等にできてるルール、守る必要なんて本当にあるのかな?
常識にとらわれずにもっと自由になろうよ。もう、自分を偽る必要はないんだよ」
高山は両手を広げ、深雪に歩み寄ってくる。あくまでゆっくりと、まるで誘い込むかのように。
そこには、先ほどまであった攻撃性や凶暴性はきれいに消え失せていた。深雪を敵としてではなく、味方として引き入れようとしているからだろう。
深雪はそこに妙な威圧感を感じ取り、後ずさりする。そして抵抗する意を込めて再び高山を睨みつけた。
「お……お前らが命を奪った人たちはどうなるんだ! 彼らはたまたま隔離政策に巻き込まれ、居合わせただけの人たちだ! 何の罪もないんだぞ‼」
「まあ、巻き込まれる人は出るよね。災害でも事故でもさ。無力な人、守ってもらうばかりの人はどうしたってそうなる。自分の身は自分で守らないと……ほらあれだよ。自己責任ってヤツ?」
「ふざけるのも大概にしろ! 自分勝手な理論ばかり並べたてて、残虐非道な行為を正当化して……そんな事が本当に赦されると思っているのか⁉ 全部お前がでっち上げた、ただの屁理屈だろ!」
「でもその屁理屈に、君は反論できないよね? 僕の言っている事が正論だからだよ。
そして、そこに魅力を感じるからだ。
そうさ、誰も逆らえないんだよ。ゴーストの本能からは、ね。
でもそれは決して間違った事じゃない。君自身がそれを受け入れる勇気を持てるかかどうか、さ……!」
高山はこちらを見つめた。
まるで全てを見通し、包み込むような瞳。どこか悟りきったようなその視線は、一部の人間には、魅力的にすら映るだろう。
それは、これまで高山が見せていた幼稚さも残虐性も、全ては仮の姿だったのではないかとすら思わせるほど、理知的で神秘性を伴った表情だった。
深雪は恐怖にぞっと背中を粟立たせる。
そしてそれは次の瞬間、激しい反発に変わった。
高山はおそらく、人心を掴む術にも長けている。どう振る舞えば、相手の心を動かせるか――それを熟知しているのだ。
確かに普段は子供っぽく顰蹙を買いやすいが、肝心なところでは決して外さない。その悪いイメージすらも、ギャップとしてうまく利用してしまう。
大石や小西、酒井らもそうして抱き込まれたのだろう。
高山がその気になれば、いくらでも『信者』を増やせるに違いない。それだけの知能と話術が、この男にはあるのだ。放っておけば、一大殺人者集団の出来上がりだ。
「違う……一緒にするな! お前のような奴がいるから、何もかもおかしくなるんだ‼」
気付いた時には怒鳴っていた。
高山は深雪が思っていたよりも数倍、危険な男だ。世の中には説得や対話による解決法が通じない輩がいる。高山がそう言う連中の一人であることはもはや明白であるように思われた。
下手に会話を試みれば、逆に高山のペースに乗せられ、引き摺り込まれてしまう。
このままアニムスを使わずに、無難に事を収めようというのは甘すぎる考えだったかもしれない。
――そう思った時には、体は既に動いていた。
深雪は背後に積まれていた鉄柱の山に触れ、それを派手に爆発させる。
高山を止めるためには囮役だけでは不十分だと、そういった一種の義務感があったのは確かだが、或いは自分が自覚するよりずっと感情的になっていたのかもしれない。
同じゴーストとして或いは人として、高山の思想や行いは到底、看過できるものではなかった。
(こいつだけは、許さない!)
大きな爆炎が吹き上がり、ドン、と下から突き上げるような重い爆発音が周囲に響き渡る。
黒々とした煙は唸りを上げて天を突き、その掌を広げると、全てを覆い尽くしていった。




