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東亰PRISON  作者: 天野地人
《Ciel(シエル)》編
194/752

第38話 二十年の壁②

(火矛威……‼)


 二十年という歳月が、二人の間に重く立ちはだかっていた。まるで二人を遮断している、眼前の病室の扉のように。


 そもそも、深雪は火矛威に何かを言える立場ではないのだ。二十年前、二人は対等だった。少なくとも、深雪はそう思っていた。

 

 でも今は、歩んできた人生経験の質と量、共にかけ離れ、背負っているものも違い過ぎる。三十七歳の子持ちであり、守るべきもののある大人となった火矛威が、二十年前のままである深雪の言葉に苛立ちを覚え、撥ねつけたとしても、無理からぬことだろう。


(俺の言葉では、火矛威は心を動かすことはない……‼)


 深雪はドアの前で立ち尽くす。涙で頬を濡らし、扉に触れた両手を拳にして握り締めながら。


 少しでも、気持ちが通じ合ったかと思った。二十年たっても、変わらぬものがあると、そう信じたかった。

 それは誤りだったのだろうか。深雪の手前勝手な妄想だったのだろうか。


 どんなに相手を大切に想っていても、時間という壁には勝てないのだろうか。


 深雪が肩を震わせ、必死で嗚咽をかみ殺していると、後ろからオリヴィエが肩に手を添え、静かに声をかけてきた。


「……深雪、ここはひとまず出直しましょう」

「でも……!」


「気持ちの整理をする時間が必要です。あなたにも……彼にも」


 深雪は扉を見つめる。扉の向こうは、打って変わって静かだった。まるで深雪を拒絶するかのように重い沈黙が横たわっている。


 無言のうちに、これ以上話す事はないのだと告げられているのが、はっきり分かった。確かにこれ以上、強引に呼びかけても、話は平行線を辿るばかりだろう。


(久しぶりに再会して、こうして実際に話して……火矛威もきっと、動揺しているんだ)


 おまけに、深雪にとって火矛威たちと別れたのは一年くらい前の事だが、火矛威にとっては二十年も前の事なのだ。だから、火矛威の抱いているわだかまりは、深雪のそれよりずっと強いだろう。


 すぐに深雪の言う事を理解してくれというのが、土台、無理な話なのだ。


 火矛威は会話を交わしている間も終始、咳をしたり、呼吸が荒かったりと、具合が悪そうな様子を見せていた。これ以上、興奮させてしまったら、体にも障るだろう。今日のところは出直した方がいいのかもしれない。

 深雪は、後ろ髪を引かれる思いだったが、オリヴィエに言われた通り、一度その場を退くことに決めた。


 深雪は、どうにか涙を拭い、火矛威の病室に向かって話しかける。


「火矛威……今日のところは帰るよ。でも、明日また来る。俺、諦めないからな……‼」


 扉の向こうはやはり、沈黙を保ったままだった。深雪は掌を強く握り締めると、扉の前から体を引き剥がすようにして離れる。


 病院を出ようと入口へ向かうと、オリヴィエがリム医師に向かって英語で何事か話しかけた。リム医師は頷き、返事をする。深雪はオリヴィエに尋ねた。


「……何て言ったの?」

「何かあったら、事務所の方まで連絡をくださいとお願いしたのです。こちらで対処できると断られたのですが、念のため……と」


「そうか……ありがとう」


 オリヴィエたちは深雪に火矛威の説得役を期待していた。だからこそ、こうして外国人街にあるこの病院まで連れてきてくれたのだ。その役目を全うできず、本当に申し訳ないと思う。


 奈落も深雪が火矛威と会話している間、一言も発しなかった。態度は冷淡だが、深雪に気を使ってくれたのだろう。


「奈落も……付き合ってくれて、ありがと。今日はちょっとうまくいかなかったけど……明日は絶対に火矛威を説得してみせるから」


 すると奈落は、無表情に深雪を見下ろし、素っ気なく呟いた。

「……。あれは、説得に失敗したんじゃない」

「え……どういう事……?」


「自分で考えろ」


 奈落はそれだけ言い残すと、さっさと病院を出て行ってしまう。一体、どういう意味なのか。呆けてそれを見つめる深雪に、オリヴィエが声をかけてくる。


「明日、また来てみましょう」


 深雪は小さく頷いた。どうしたら火矛威に話を聞いてもらえるのか、どうしたら信じてもらえるのか、全く分からない。そもそも、あまり時間も残されていない。


 だが、今の自分にできるのは、とにかく粘り強く訴え続ける事だけだ。深雪はそう思うのだった。






 外国人街から東雲探偵事務所に戻り、その足でミーティングルームに直行する。

 会議室には流星と神狼、マリアが集まって、何やら話をしていた。シロは火澄についているため、会議室にはいない。ただ、事務所の中にはいる筈だ。


「流星」

「戻ってたんだ」

 オリヴィエと深雪が声をかけると、流星はこちらに視線を向けた。心なしか、表情が明るい気がする。何か収穫があったのだろうか。


「ああ……そっちはどうだった?」

「火矛威とは話せたよ。でも……面会はできなかった」


 深雪はリム医師の病院であったことを一通り説明する。火矛威に面会を拒絶されたこと、火矛威は火澄の為に、《Ciel(シエル)》の元売りを皆殺しにするつもりであること。

 

 すると、流星は腕組みをした。

「成る程……二十年の歳月が二人の間に壁をってワケか」

「……難しいナ。深雪、大丈夫カ?」

 神狼は気遣うように、深雪へと声をかけてくる。


「ああ。どれだけ拒まれようと、俺は火矛威の為に動くだけだ」


 無理を言って、本来の仕事を変えてもらったのだ。一度や二度、火矛威に拒まれたくらいで、くよくよしてはいられない。

 ところが、神狼を押しのけるようにして、ウサギの立体映像が深雪へと身を乗り出して来た。


「それより何より重要なのは、帯刀火澄を追っている《アラハバキ》の構成員が本当に《Ciel(シエル)》の元売りかっていうことよ! 深雪っちの勘だけじゃ危なっかしくて断定できないし! 帯刀火矛威がそうだって証言してくれりゃ、こっちも随分、動きやすくなるんだけど……」


 すると、深雪たちの会話を聞いていた奈落とオリヴィエが、立て続けに答える。

「可能性は、五分五分だな」

「帯刀火矛威は否定も肯定もしませんでしたね」


 確かに、深雪は会話に没頭していて、その辺りの詳細を火矛威から聞き出せなかった。今思い返すと、火矛威は《Ciel(シエル)》の元売りに関して、明言を避けているようでもあった。

 

 もっとしっかり聞いておきたかったが、火矛威の様子だと、聞き出すのは難しかったかもしれない。どうすればいいのか。悄然とする深雪だったが、流星はニッと笑い、その肩を叩く。


「そっちの方は《Ciel(シエル)》の製造工場を叩けばはっきりする。その工場を取り仕切っているという太城って奴から情報を引き出すことができれば、な」


「製造工場……?」

 深雪は、あっ、と目を見開いた。《Ciel(シエル)》の元売りが口にしていたという、『タシロ』と『工場』――それは、《Ciel(シエル)》の製造工場を指していたのだ。


「場所の特定は済んでいるのか」

 奈落が目を眇め、薬物製造工場の場所を詰問すると、神狼がそれに答える。


「あア。筧とイウ男から聞き出しタ。《Ciel(シエル)》ノ倉庫番ヲしている奴ダ。……もっとも、闇サイトを使って《Ciel(シエル)》を横流しシ、稼いだ金で昼間からキャバクラに入り浸ル、どうしようもナイ無能だがナ」


 神狼によると、流星と二人の調査していた闇サイトの書き込み主の中に、『太城義高』という名が含まれていたらしい。流星はそこから、『工場』という言葉が薬物の精製工場を指しているのではないかと推測したようだ。

 だが、太城義高という男は存在を確認できるものの、なかなか居場所を特定できない。その為、マリアが更に集中的に調べると、太城は複数のアドレスを使い分けているのが分かった。しかもその他のアドレスのいくつかは、名義人が太城義高ではなく筧征充という男だったという。


 つまり、筧征充という男がアドレスを作る際に、太城義高の名を騙っていたようだ。


 筧はおそらく、闇サイトで堂々と《Ciel(シエル)》の横流しをする一方で、その事実が仲間に露見するのを恐れていたのだろう。だから何かあった時の為に、わざわざ太城義高の名義でアドレスを作ったのだ。悪事が発覚した際に、太城へ罪を擦り付けることができるように。


 神狼は薬を盛って、筧征充からそのことを聞き出したのだという。高級クラブで早い時間帯とはいえ、店内には他のホステスもいたことから、《ペルソナ》が使用できなかったそうだ。

 また、神狼は更に筧征充に対し、他の元売りの事も尋問してみたが、さすがに情報を漏らしたら殺されるという恐怖心が勝ったのか、筧はそれ以上、口を割らなかったという。


 神狼の説明が終わると、今度は流星が口を開く。

「工場場所は荒川の河口だ。あの辺りは《アラハバキ》と《レッド=ドラゴン》、《中立地帯》の支配域が重なり合う、緩衝地帯だ。抗争が多い分、どちらの勢力も深入りはしない。だからこそ、隠れてことを進めるにはうってつけだったんろう。

 それにこの時期、東京湾は頻繁に濃霧に包まれる。連中はその地理的要因をうまく利用したってわけだ」


「《監獄都市》は江戸時代からの名残で、水路も発達しているでしょ? 新宿への輸送も陸路よりは楽でしょうしね」


 マリアの言うように、地上は《中立地帯》と《東京中華街》、《新八洲特区》という三つの街に大きく分かれており、更に外国人街なども存在するため、容易に足を踏み入れられない場所もある。だが水路を使えば、それを解決できる上に、場所によっては時短にもなる。


「しかし……どうして筧というゴーストに《Ciel(シエル)》の管理を任せたのでしょうか? その男は昼間から呑んだくれているのでしょう?」


 オリヴィエは首を傾げる。確かにそう考えると、《Ciel(シエル)》の元売りは、少々迂闊だったのではないかという気がしてくる。すると、マリアは肩を竦めて言った。


「最初はそれなりに真面目に働いてたんじゃないの? でも、簡単に多額の金が懐に入ると分かって慢心しちゃったっていう、典型的なパターンね。《Ciel(シエル)》の元売りも、火澄ちゃんの追っかけに忙しいようだし、目が行き届いていないんじゃない?」


 確かに今まで、深雪たちがどれだけ元売りを追っても、尻尾を捕まえる事さえできなかった。だが深雪には、ここにきて元売り組織の団結が揺らいでいるように、思えてならない。結束が緩んでいるからこそ、神狼が《Ciel(シエル)》の倉庫番に接触することもできたのではないか。

 そして、元売りが緩んでいる原因の一つは、おそらく火澄にある。


「そんなに儲かる情報なのかな……?」

 我知らず呟くと、全員の視線が深雪に集中した。深雪は、「あ、いや」、と言葉を挟み、その意味を説明する。


「《Ciel(シエル)》の拡散状況を考えると、元売りは相当儲かっているはずだろ? 火澄ちゃんの中には、薬物売買で得た利益なんて、比べようもないくらいすごい秘密が眠ってるのかなって……」


 客観的に考えるなら、元売りにとって一番重要なのは、《天国系薬物》の供給によって得た利益であり、それを他者に奪われぬよう独占し続けることだろう。だが現実には、元売りは薬物売買の利権より、一人の少女の方を重要視しているようにも見える。


「確かに……筧という男の放置具合を見ると、《Ciel(シエル)》の元売りはもはや薬物には興味も示していないようにも見えますね」

 オリヴィエが相槌を打つと、マリアはくるくると呑気に回転した。

「ま、それは本人を捕まえて問い質すっきゃないわねー」


「それで……深雪、お前は帯刀火矛威をどうするつもりなんだ?」

 流星は深雪にそう尋ねた。火矛威から薬物に関する情報を得る必要がなくなったとしても、彼が《臨界危険領域者(レッドゾーン=ディザスター)》であることに変わりはない。東雲探偵事務所としては、その存在を看過するわけにはいかないのだろう。


「明日もう一度行って、説得してみる。火矛威の容態はかなり悪化しているようなんだ。《Ciel(シエル)》の元売りだって、二人も仲間を殺されてこのまま沈黙しているとは考えにくい。どう考えても、一人にしておくのは危険だと思う」


 何としてでも火矛威を説得し、《レナトゥス》で人間に戻さなければ。深雪の決意が固いことを察した流星は、それ以上、止めたりはしなかったが、一言だけ付け加えた。


「そうか。だが、時間はあんま無えぞ」

「……うん、分かってる」


 深雪は頷く。扉越しだったが、火威の容体が想像以上に悪いという事は、深雪もひしひしと感じた。火矛威の命は、タイムリミットが迫っている。急がなければ、救う事すらできなくなるし、深雪も六道との約束を守らなくてはならなくなる。


「それで、製造工場の方はどうするんだ」

 奈落はそう言って、話を元に戻した。すると、流星が口を開く。


「筧によると、元売りは定期的に外部勢力と《Ciel(シエル)》の売買を行っているらしい。粉の状態で仕入れたそれを、連中は『工場』で錠剤に成型し、梱包をしてばら撒いているってわけだ」


「外部勢力とは……?」オリヴィエはすかさず、そう尋ねた。


「さあ? さすがの筧も、そこまでは知らされていなかったみたいだけど」

 マリアの答えは、彼女にしては珍しく曖昧で、どことなく質問の意図をはぐらかしているようにも感じる。奈落もそれを感じ取ったのか、不機嫌そうに言った。


「相手は何でも構わんが、《壁》の外の連中なら、こちらから手は出せねえぞ」


「それに、《Ciel(シエル)》の供給を止めたとしても、また新たに別の薬物を拡散させられる恐れもあります」


 オリヴィエも表情を曇らせる。二人とも、元売り組織の更に背後に、誰か黒幕が存在するのではないかと考えているのだろう。そしてもしそれが事実なら、元売り組織を壊滅することができたとしても、あまり意味がないという事になってしまう。

 黒幕が存在し続ける限り、新たな薬物が蔓延する可能性を完全に払拭することができないからだ。


 すると、流星は眼光を強めた。

「ああ。だが、だからこそ、元売り組織を殲滅することに意味があるんだ。《休戦協定》を犯した者がどうなるか……《監獄都市》のゴーストへ見せしめにするためにもな。どれだけ外部勢力が誘惑して来ようとも、薬物に手を出すことは、この街においてリスクの高い危険行為なのだと、そう知らしめなければならないんだ」


 理屈は分かる。だが、恐怖を抑止力にするのにも限界があるだろう。何故なら、犯罪因子を抑えようとすればするほど、より強い恐怖が必要となるからだ。劇薬が諸刃の剣であるのと同様に、行き過ぎた恐怖は、逆に害になることも考えられる。


 だが、他に有効な手がないのも事実だ。《監獄都市》は極端に閉じられた街であり、外側から内側に働きかけることは容易でも、内側から外側に接触を図ることは非常に難しい。

 それを考えると、外部勢力を捕縛することは基本的に不可能と考えておいた方がいいだろう。だからこそ、この街のゴーストたちは、《休戦協定》を結んでまで、薬物売買を阻止してきたのだ。

 

 今回、外部勢力にはどう対処するつもりなのだろうか。深雪は不思議に思ったが、取り敢えず製造工場の特定と稼働停止を最優先にするらしい。


「次の取引ハ明後日の早朝ダ。場所は荒川の河川敷。外部勢力ハ房総半島の方カラ、濃霧に紛れテ荒川ニ侵入するつもりダ」


「天気予報によると、その日の早朝、霧が出る可能性が高いらしい。その霧に紛れて、俺たちも動く。現行犯で押さえるぞ」


 神狼と流星はそう明言する。確かに、地上は全て、《関東大外殻》によって封鎖され、検問所を通らなければ行き来ができない。壁がないのは、海上だけだ。だから、元売りと外部組織が取引するとしたら、東京湾上が最も妥当だろう。


「因みに、霧が出なければどうなるのですか?」

 オリヴィエはそう尋ねた。霧は自然現象であり、必ず発生する保証はない。霧が出なかった時、取引はどうなってしまうのか。するとマリアが、それに答えた。


「その際は、取引は即日中止で一週間後に延期……だそうよ。そうならないことを祈るしかないわね」


 その後、話は製造工場の制圧に関する打ち合わせへと続いた。誰がどこで、何をするか。見張り・哨戒班、襲撃班。いずこかで保管されている《Ciel(シエル)》の保管場所も押さえなければならない。それぞれが持つアニムスの特性に照らし合わせて、各々の配置を決めていく。

 全ての打ち合わせが終了した時には、日が暮れていた。



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