第33話 帯刀カスミ②
「ああ……うん。聞いてる。カスミを探してるって」
深雪はどきりとした。
(やっぱり、ここにいるのか……! この子は同居しているっていう《ディナ・シー》の友達かな?)
おそらく、深雪に応対しているこの少女は、アパートの住人の方だろう。帯刀カスミは、その後ろで不安そうに身を縮めているに違いない。
深雪の目には、その光景が鮮やかに浮かぶようだった。
まずは、この応対している少女に信用してもらわなければ。
「カスミさんは今、在宅中なのかな?」
逸る動悸を抑えつつ、深雪は尋ねる。すると、応対する少女は、剣呑に口を開いた。
「その前にこっちも聞きたいんだけど。あんた、一体何なの? 何でカスミを探してるのよ?」
「いや、だから、俺たち《死刑執行人》で……!」
「それは知ってる。でも、カスミは《死刑執行人》に追われる覚えなんてないって言ってるんだけど?」
思った以上に、しっかりした応対をする子だった。それ故に、手強い。少しでも疑われたなら、この扉は二度と開かないだろう。深雪は内心を読み取られないよう努めつつ、それに答える。
「ええと……カスミさんに用があるわけじゃないんだ。いや、用はあるんだけど、何もしない。ただお父さんのことを聞きたいだから」
「お父さん……?」
「帯刀火矛威って人のこと。巷では《イフリート》って呼ばれている」
「……!」
その瞬間、扉の向こうの少女には、心なしか息を呑んだような気配があった。
(あれ、この子……)
深雪は微かな違和感を抱いたが、それを確かめる間もなく、少女が口を開く。
「その……火矛威って人が《イフリート》だっていうのは確かなことなの?」
「え?」
「だ、だから、その……《イフリート》の正体は、みんなにばれちゃってるのかって聞いてるの!」
この子は、どうしてそんな事を知りたがるのか。違和感は、徐々に確信へと姿を変える。でも、まだそれを彼女に悟られるわけにはいかない。だから深雪は、何も気づいていないふりを続ける。
「……。バレては無いよ。俺を含めて、まだ数人しか気づいてない」
「そ……そう。そうなんだ……」
扉の向こうの声は、相変わらず強張ったままだったが、その時だけは安堵したような間があった。深雪が無言で待っていると、案の定、暫くして少女が再び口を開く。
「あの……《イフリート》はどうなるの? 殺……されちゃうの……?」
「このままじゃ、多分ね」
「……っ‼」
ドアノブが、ガチャっと激しい音を立てた。動揺のあまり、少女が手を滑らせてしまったのだろう。深雪は間を置かずして、後を続けた。
「でも俺は、そうしたくない。何とかして、火矛威を助けたいんだ。その為に、ここに来た。だから……扉を開けてくれないかな、カスミちゃん」
「うっ……‼」
扉の向こうで躊躇する気配があった。そしてそれは、深雪の予想が当たっていたという証拠でもあった。この扉のすぐ向こうにいる少女が、帯刀カスミ本人なのだ。友人のふりをして、深雪と接触し、話をしてみることにしたのだろう。
警戒心が強い一方で、豪胆なところもある性格のようだ。
帯刀カスミは、慌てて扉を閉めようとした。だが、その直前、深雪は扉の隙間に右手を差し込み、それを阻止する。すると次の瞬間、扉が逆に、急に勢いよく開け放たれた。
「っだあ!?」
その扉は、思い切り深雪の額に直撃した。したたかに頭を打ち、よろめく深雪を押しのけるようにして、少女が一人飛び出してくる。
野球帽を目深に被り、その上からさらにパーカーのフードを被っているので、顏は分からない。丈の短いスカートの下にはレギンスを履いていて、足には蛍光色のスニーカーを履いている。確かに、以前会った《ディナ・シー》の女の子たちと、格好はよく似ている。
だが、それをしっかり眺める暇もなく、深雪は少女によって容赦なく突き飛ばされてしまった。少女はそのまま、階段へ向かって猛然と走り始める。
「あれは……!?」
「カスミ‼」
部屋にいた別の少女が声を張り上げた。しかし飛び出していった少女は、迷いなく外階段を駆け下りていく。
「やっぱり、あの子が!」
「ユキ、どうする? 追いかける?」
追いかけようとしてよろめく深雪に、シロが声をかけてくる。
「ああ! ……でも、相手は子どもだ。あまり怪我とかはさせないように頼む!」
「うん、分かった!」
シロは答えると同時に、外階段の手すりに手をかけそれを軽々と飛び降りると、ひらりと音もなく地面に降り立った。そしてそのまま、路上を走るカスミを追う。
深雪もすぐに階段を駆け下り、二人の後を追った。ところが、カスミは思いの外、走るスピードが速い。シロは民家の塀に駆けあがると、空中を飛んで鮮やかに身を翻し、カスミの頭上を飛び越して彼女の目の前に着地した。
「ヒッ……!」
カスミは慌てて立ち止り、体を強張らせる。その緊張が伝わったのか、シロはくすぐったそうに獣耳を小刻みに動かすと、カスミに告げる。
「逃げないで。シロたちは何もしないよ」
しかしカスミは、とてもその言葉が信じられないのか、後ずさりをした。そして、身を翻し、来た道を戻ろうとする。
ところが今度は、後ろを追いかけてきた深雪と、ばったり鉢合わせてしまった。
「ま……待ってくれ、カスミちゃん! 話を聞いてくれ! 俺たちは怪しい者じゃないんだ!」
前には深雪、背後にはシロ。二人に挟まれたカスミは、それでも気丈に声を上げた。
「し……証拠は!?」
「へ……?」
「あんたたちが《死刑執行人》だっていう証拠はどこにあるの? あいつらの仲間じゃないって、どうして言い切れるの!?」
(『あいつら』……?)
一体、何のことか。深雪は疑問に思うが、それを尋ねる間もなく、カスミは捲し立てる。
「あんたの話だって、本当かどうか分からない……! あいつらは、あたしからみんな奪った! お父さんも、普通の生活も、居場所も全部‼ とても信じられない……本当はあたしの事、連れ去りに来たんでしょ!?」
いまいち話が見えないが、取り敢えず今は、カスミを落ち着かせなければならない。おそらくカスミは、深雪たちを別の何かと誤解しているのだ。深雪は、慎重に質問を選んだ。
「お父さんって、火矛威のことだよね? 『あいつら』ってもしかして《アラハバキ》のこと?」
「……!」
火矛威の背後には、しきりに《アラハバキ》の影がちらついていた。だから、あてずっぽうで尋ねてみたが、カスミが息を呑んだところを見ると、どうやら正解らしい。彼女が友人宅に居候しているのも、《アラハバキ》に追われているからか。
何があったかは分からないが、とにかく今はカスミの警戒を解かなければ。深雪は必死に笑顔を作る。
「大丈夫。俺は火矛威の友達だよ。君が生まれるずっと前から、火矛威のこと知ってたんだ。あいつの不器用なとこ、いつも明るく振舞っているけど本当はすごく周囲に気を使ってること、みんなよく知ってる。だから、警戒しないで。本当に、ちょっと話を聞きたいだけなんだ」
カスミはじっと深雪を見つめる。分かってくれたのだろうか。そう期待したのも束の間、カスミは泥棒でも見るかのような敵意ある視線を深雪へと向けた。
「な……何言ってるの? あたしが生まれたのは十四年前だよ!? それよりずっと前って……その時にお父さんと友達だったって、あなた……今、何歳なの?」
「あっ……」
――しまった。深雪は胸の内で迂闊な発言をしたことを後悔した。
常識的に考えたら、カスミの疑問はしごく妥当だろう。それを解こうと思ったら、《冷凍睡眠》の事から説明しなければならないが、今は時間的にもそんな余裕はない。おまけにカスミは深雪の顔色が悪くなったのを見て取り、不信の色を強めてしまった。
「やっぱり、嘘ついてんじゃん!」
「ま、待って! 嘘じゃない!」
しかし深雪の言葉など聞く耳も持たず、カスミは身を翻した。そして、シロを突き飛ばし、走り始める。シロは軽やかにそれを避け、反射的に日本刀の柄に手をやった。だがそこで、深雪が「怪我はさせないで欲しい」と頼んだことを思い出したのか、刀を抜く直前に手を止める。
カスミはその隙を突くようにして、猛然と駆けていった。
ここでカスミを逃がしてはならない。深雪もまた駆け出し、カスミを追った。今度は先ほどのように不意を突かれることも無かったので、すぐにその小さな背中に追いついた。深雪は手を伸ばし、カスミの肩を掴む。
――その瞬間。
「触るなッ‼」
カスミは怒声と共に、こちらに向かって身を翻した。そして、右手に隠し持っていた小型の機械を深雪の腹部に押し当てた。そのまま躊躇なくスイッチを入れる。その刹那、強い衝撃が深雪の全身に走った。
「っが‼」
「ユキ!」
それはスタンガンだった。全身を秒速で駆け巡る電流は、神経系に作用し身体の自由を奪っていく。まるで、ぶつりと照明がきれたように。
深雪はすぐには動き出すことができず、声も出なかった。
(ここで諦めてたまるか……! ようやく……ようやくここまで辿り着いたんだ……‼)
やっと見つけた火矛威への手掛かりを、ここで逃がすわけにはいかない。深雪は力と気力を振り絞り、何とか手を伸ばす。そして、カスミの手を握りしめる。
「や……やだ、ちょっと放してよ!?」
カスミは深雪の動きが予想外だったのだろう、悲鳴じみた声を上げた。まるで通り魔か何かのような扱いを受け、悲しくなってくるが、それでも深雪はカスミの手を放さなかった。
「ちょ……頼む……から、話……聞いて……! 証拠、ある……から……‼」
「え……?」
深雪は上から羽織っているパーカーを脱ぎ、シャツをめくった。そして、その下にある傷跡を見せる。大部分は剥げかかっているものの、そこには、《ウロボロス》の刺青が僅かに残っていた。
「これと、同じもの……お父さんの、右腕にも無かった……?」
尋ねると、刺青の一部が視界に入ったのだろう、カスミは大きく目を見開いた。
「あ……し、知ってる……! 蛇の模様……輪っかになってる……‼」
「……そ、そう! これが証拠だよ。お父さんと俺が、同じチームの仲間だったっていう証……《ディナ・シー》の君たちにも、仲間の証があるだろ……?」
「……うん」
カスミは、完全に警戒を解いたわけではなかったようだったが、小さくそう答えた。思えば、二十年前にもストリートで生きるゴーストには、チームエンブレムを刺青として体に刻む習慣があった。今の《中立地帯》で生きるストリート=ダストが刺青を入れるのは、その名残だろう。 《監獄都市》と東京が繋がっている、数少ない証の一つだ。
「お父さんと俺は、昔、《ウロボロス》っていうチームに所属していた。俺たちは、その時の仲間なんだ。だから……俺は《アラハバキ》の人間じゃない。信じて……くれた、かな?」
ストリートで生きるゴーストにとって、チームエンブレムはただのカッコいい模様ではない。仲間であることを誓い証明する、印鑑のようなものだ。だから、この《ウロボロス》の刺青が、深雪と火矛威が仲間だったことを証明する、何よりの証拠になる。
カスミは少し考えこむ。そして、ようやく納得してくれたのか、小さく頷いた。
「はは……良かっ……!」
「ユキ、大丈夫!?」
シロが心配そうに、深雪に駆け寄ってくる。深雪はカスミの反応に心から安堵したが、とうとう力尽き、その場にへたり込んでしまったのだった。
一行はアパートの近所にある小さな公園へと移動した。公園といっても、入口にある柱に刻まれている文字からそうだと分かっただけだ。
遊具はみな破壊され、どぎつい色で落書きがしてあり、地面からは雑草が伸び放題になっている。しかもその向こうは、街路樹が伸び放題になっていて、最早ちょっとしたジャングルだ。それでもその場所を選んだのは、カスミが居候させてもらっている《ディナ・シー》の友人を、これ以上、巻き込みたくないと主張したためだ。
深雪はカスミを公園の端に残っていたベンチに座らせた。シロがどこからかアルミ缶に入った飲み物を買ってきて、カスミに手渡す。
「はい、これ。追いかけてごめんね」
「あ……あり……がとう……。こっちこそ、スタンガン使ってごめんなさい……」
カスミは戸惑った様子を見せながらも、シロから缶ジュースを受け取った。彼女の口調は未だぎこちないものの、取り敢えず話だけは聞いてみようという姿勢が見て取れる。
「ああ、いいよ。俺たちも急いでて、突然押しかけちゃったし。びっくりさせちゃったね」
いろいろ誤解はあったが、彼女の置かれた状況を考えると、それも致し方ない事だろう。こうやって会話をする気になってくれて、本当に良かった。
こうして改めて見ると、帯刀カスミは十四歳とは思えないほど大人びていた。友人のふりをして深雪と会話をしたり、スタンガンを隠し持っていたり。驚くほど大胆なところがあり、口調もしっかりしているのは、ストリート生きてきた故だろうか。
ただ、緊張が抜け切れていないせいか、父親である火矛威とはあまり似ていないような気もする。
「はい、これユキの」
「ありがと、シロ」
深雪は、シロからアルミ缶入りのドリンクを受け取った。すると、カスミは深雪へ、ちらっと視線を走らせる。どうやら、名前が引っかかったものらしい。
「俺、雨宮深雪って言うんだ。だから、ユキ」
説明すると、カスミは少しだけ驚いたようだった。
「ミユキ……? 何か、女の子の名前みたい」
「うっ……それを言われると、痛いんだけど……」
「シロはシロだよ。東雲シロ!」
シロはにっこり笑うと、カスミの隣に腰を掛けた。深雪とシロでカスミを挟む形になってしまい、カスミが圧迫感を感じるのではないかと深雪は心配したが、深雪の懸念に反してカスミは落ち着いていた。彼女が恐れたり抵抗感を示さないのは、シロの天真爛漫さのおかげだろう。二人は年齢的にも近いし、カスミはシロに親近感を抱いているように見える。
それからカスミは、手元のアルミ缶をじっと見つめていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「あの……お父さんの友達だったって、本当?」
「ああ、本当だよ」深雪は静かに答える。
「お父さん……昔はどんなだった?」
「とても明るい奴だったよ。いつも周りのみんなを笑わせて……ムードメーカーだった。辛い時も、火矛威が一緒だとひどく落ち込まずに済んだんだ。火矛威のそういうとこには、何度も助けられたよ」
すると、カスミは少し嬉しそうに、はにかんだ。
「変わらないね。今と一緒。お父さん、いつもあたしを笑わせようとするの。変顔したり、さむい冗談言ったりして……」
「そうなんだ」
《ウロボロス》にいた時の火矛威も、同じだった。いつも明るく振舞って、深雪や真澄が傷ついたり落ち込んだりしている時も、笑わせて励まそうとしてくれた。
「お父さんと仲が良いんだね!」
シロがそう言って笑いかけると、カスミは余計に恥ずかしくなったのか、顔を赤らめた。
「ふ……普通だよ。ちゃんと喧嘩とかもしたりするし」
それがまた、深雪にはとても微笑ましく感じられた。親子仲が良いだけでなく、ちゃんと喧嘩もできる関係だという事だろう。親子喧嘩ができるのは、子供が親を信頼している証だ。
しかし、仲が良かったはずの親子は離れ離れになり、今、カスミは一人ぼっちだ。
「火矛威は今、どこにいるんだ?」
深雪が尋ねると、カスミは俄かに表情を曇らせる。
「知らない……お父さんは、あたしを置いて出て行ったから」
「出て行った……?」
「うん。あたしたち、《新八洲特区》を出て、転々としていたの。お父さんは特に周囲を警戒していて、何かあったらすぐに引っ越ししようって。でも、お父さんの身体もだんだん悪くなってきて、引っ越しもできなくなってきて……古い民家を借りて、ついこの間まで、そこで一緒に暮らしてた。お父さんのことはすごく心配だったけど、ちょっとだけ安心したんだ。ああ、今度こそ、ここでずっと暮らせるんだなって。お父さん、引っ越す度にいつもピリピリしていたし、住む場所がコロコロ変わったせいで、友達……あまりいなかったから」
「そっか……」
カスミと火矛威は、深雪が想像していた以上に、あちこち転々としていたようだ。まるで、何かを恐れるかのように。いくら火矛威が一緒だとは言え、そういった逃亡者のような生活は、子どものカスミには寂しさを感じるものだったのだろう。
「そしたら……お父さん今度は、突然出て行ったの。お前は《ディナ・シー》の友達に匿ってもらいなさい、お父さんはもう帰れないからって。一か月くらい前のことだよ」
(一か月前……? 最近のことだな。ちょうど《Ciel》が本格的にはやり始めて、俺たちが調査に乗り出した頃か)
やはり、火矛威がカスミを置いて家を出たのは、《Ciel》が関係しているのだろうか。そして、カスミはその辺りの事情を何か知っているのだろうか。深雪はできるだけさりげなく、カスミに聞いてみる。
「お父さんが帰れない理由は? 何か聞いてる?」
「分からない。何にも説明してくれなかったから。でも、多分……あたしのためだと思う。お父さんはいつもそう。いつも、あたしの事を守るんだって一生懸命なの」




