第31話 うごめく者たち
(火矛威たち親子は、何者かに狙われていた……? 若しくは、誰かに素性がばれるとまずい立場にいたんだ。だから、多分、周囲を警戒し、それが習慣化していた。
それなのに、その一方で、火矛威は――《イフリート》は《Ciel》の元売り組織に関与している人間を殺している。その点においてだけは、妙に大胆なんだよな。火矛威の警戒心が強かったことと《Ciel》の元売り、二つは何か関係しているのか……?)
今のところ、その繋がりは分からない。繋がっているかどうかも定かではない。
だが、《サイトウ》や《カオナシ》を焼き殺した時の《イフリート》はとても大胆で、深雪たちは完全に不意を突かれてしまった。常日頃から周囲を過剰に警戒していたという火矛威と、大胆な犯行を繰り返した《イフリート》のイメージが、どうにも噛み合わない。
シロは深雪が考え込んでいる間、ずっと大人しく待っていたが、日が落ちてきたのが気になったのか、とうとう話しかけてきた。
「ユキ、これからどうする?」
「まずは《ディナ・シー》に関して情報を集めないとな……」
エニグマが折角、情報をくれたのだ。それを生かさない手はない。するとシロは、人差し指を顎に当てて、呟いた。
「《ディナ・シー》かあ……《ニーズヘッグ》の静紅なら、何か知ってるかも」
「そうか……《ニーズヘッグ》も新宿の東側に拠点があるし、《ディナ・シー》のことを知っていてもおかしくはない。でも、《カオナシ》の時もかなり手伝ってもらったし、これ以上迷惑をかけるのも……」
それは深雪にとって悩みどころだった。火矛威の娘とは、できるだけ穏便に接触したい。いらぬ警戒心を抱かれると、話が面倒になるからだ。それを回避するには、知り合いに紹介してもらうのが一番無難だろう。
だが、深雪が《死刑執行人》として接する以上、《ニーズヘッグ》の皆を危険に晒す可能性は、完全には拭い切れない。《カオナシ》の時も、かなり強引に付き合ってもらった。本来なら、これ以上、迷惑をかけるべきではない。
(何より、亜希たちとこれ以上、険悪な仲になりたくないし……)
深雪はしばらく悩んだが、結局、首を振って考え直した。
「いや、今はそんな形振り構ってる場合じゃない、か。……行くだけ、行ってみよう!」
「うん!」
シロは《ニーズヘッグ》のメンバーと会えることが、純粋に嬉しいようだ。にっこりと笑顔になる。彼女が一緒なら、亜希たちも追い出しはしないだろうと、打算的な考えが浮かぶが、深雪はすぐにその考えを打ち消した。シロ頼みになったとして、上手くいくはずなどない。深雪が自分の力で、説得しなければ。
とにかく、亜希に会ってみよう。それも、できるだけ早い方がいい。深雪とシロは、赤く染まる路地を急ぎ、《ニーズヘッグ》の事務所へと向かう。
「こんにちは~! 亜希、いる?」
《ニーズヘッグ》の事務所が見えてくると、シロは真っ先にその中へ飛び込んだ。事務所の中にはいつものように、様々な年代の大勢の子どもたちがいて、一斉に入口に現れたシロと深雪の傍に集まってくる。そして、口々に歓迎の言葉を浴びせてきた。
「あ、シロだ!」
「シロ、久しぶりー!」
「おっす!」
「えへへ……みんな、久しぶりだね!」
シロはとても嬉しそうだ。それに対し、ゴンやタクミ、エリの三人組が、世話焼き口調で声をかける。
「元気にしてたか? ちゃんと食べてるか?」
「うん。シロ、元気だよ!」
相変わらず、シロは子供たちに大人気だ。シロは《ニーズヘッグ》のメンバーに追い出されるようにしてチームを去ったと聞いていたが、全てのメンバーと確執があったわけではないのだろう。むしろ、だからこそチームを離れるのが辛かったのかもしれないが。
すると騒ぎを聞きつけたのか、亜希や静紅、銀賀が顔を覗かせた。亜希は深雪も一緒であるのに気づくと、微笑を浮かべる。静紅も、いつものようにクールで無表情だったが、深雪に対して不快な感情は抱いていないようだ。
「あら、いらっしゃい」
「やあ。《カオナシ》のことは聞いたよ。……残念だったね」
亜希にそう気遣われ、深雪は頭を下げる。
「本当に……ごめん。弁解のしようも無いよ。あんなに手伝ってもらったのに」
「気にしなくていいよ。一番悔しかったのは、君たちだろうからね」
「まあ、走行中の車の真上からじゃなあ……いろいろ難しかったってのも分かるぜ。《イフリート》もそれを狙って待ち伏せてたんだろうしよ」
銀賀もそう言って、深雪を励ました。それが彼らの本心かどうかは分からない。あれほど手間取らせたのだ。ひょっとしたら深雪たちに、怒りや失望を感じているのかもしれない。それでも、それを表に出さない亜希たちの姿勢には、助けられるような思いだった。
「……それで? 今日は何の用なの?」
静紅にそう尋ねられ、深雪はさっそく用件を切り出すことにする。
「実は、もう一つ手伝って欲しいことがあるんだ。《ディナ・シー》ってチームのことなんだけど」
「《ディナ・シー》……?」亜希は眉根を寄せる。
「ああ、あの女ばっかのチームだよな。知ってるぜ」
銀賀もすぐにそう答えた。それなら、深雪としても話が早い。
「その《ディナ・シー》のメンバーの中で、探している子がいるんだ」
すると、静紅は少し警戒した気配を覗かせながら、口を開いた。
「……どうして、探しているの?」
「その……詳細は説明できないんだけど、その子はもしかしたら、《イフリート》や《Ciel》の元売りに関係しているかもしれないんだ。その子と接触することができたら、事件が一気に進展するかもしれない。だから、情報を得たいんだ」
「なるほど……要するに、新たな手掛かりってわけか」
まさに銀賀の言う通りだ。そして深雪たちに残された、数少ない貴重な手掛かりでもある。
「《カオナシ》の時も随分、無茶を言って協力してもらったし、迷惑をかけてしまうのは重々承知だ。でも……一刻を争うんだ! できれば、協力して欲しい。お願いできるかな?」
深雪は《ニーズヘッグ》のメンバーへと身を乗り出し、そう頼み込んだ。勿論、深雪が《ディナ・シー》へと直接乗り込むこともできなくはない。だが、深雪は《死刑執行人》だし、ストリートにはストリートの人間関係がある。だから、《ニーズヘッグ》に紹介してもらった方が、穏便に事が進むのではないかと思うのだ。
ただでさえ、火矛威の娘は周囲を警戒しているという。下手な行動を取って悪い印象を与えたなら、会って話せる確率が減るばかりだ。
《ニーズヘッグ》の協力を仰ぐと言っても、今回は前回とは違い、危険性はかなり低い。そのせいか、亜希も特に反対することは無かった。静紅に向かって、静かに尋ねる。
「……静紅。静紅は《ディナ・シー》に友人がいたよね?」
「親しくしている子は何人かいるわ。何ていう名前なの、その子?」
「帯刀カスミっていう名前なんだけど」
「知ってっか?」
銀賀がそう聞くと、静紅は首を横に振る。
「いいえ……私は知らないわ。でも、一応、聞いてみる」
「……‼ ありがとう!」
深雪は心からほっとし、我知らず破顔していた。《ニーズヘッグ》には借りを作ってばかりだ。おまけに、夕方になって突然押しかけた深雪たちを、拒むこともしないのだから、本当に頭が下がる。
静紅はそんな深雪の様子が可笑しかったのか、少しだけ微苦笑を浮かべたが、クールな性格の彼女らしく、すぐにそれを引っ込めた。
「いいわよ、気にしなくて。その代わり、こうなったら、何が何でも《Ciel》の元売りをやっつけてよね」
「ああ。今度こそ、約束するよ!」
ともあれ、静紅に《ディナ・シー》のメンバーとコンタクトを取ってもらい、帯刀カスミの居場所を探ってもらう算段はついた。男の深雪が近づくより、同性である静紅の方が、そういった情報も得やすいだろう。
接触が取れ次第、深雪に連絡を入れてもらう事にし、深雪とシロは事務所を後にする。
既に日は遅く、深雪はそのまま白と共に東雲探偵事務所に戻るつもりだった。ところが、シロと《ニーズヘッグ》の事務所を出た途端、通信機器にメールで連絡が入る。履歴を確認すると、石蕗診療所の医師、石蕗麗からだった。
「あれ……石蕗先生からだ。今から来れるかって」
「はにゃ」
「俺、ちょっと行ってくる。シロはどうする? もう遅くなるし、先に帰ってた方がいいかも……」
しかし、シロはふるふると首を振った。
「ううん、シロも一緒に行く」
石蕗診療所は《ニーズヘッグ》の事務所からそう遠くない場所にあるし、西新宿は東側や北側と違って、それほど治安も悪くない。シロと一緒でも、それほど危険はないだろう。深雪はそう判断し、シロに声をかけた。
「じゃあ、真っ暗になる前に早いとこ用事を済ませてしまおう」
深雪とシロは、すぐにその足で石蕗診療所へと向かった。
診療所に到着した頃には、茜色だった夕焼け空は、すっかり群青色になってしまっていた。空には夜の気配が漂い始めている。
診療所の入っている雑居ビルにはエレベーターがあり、深雪はそこへ向かう。その途中、ビルの一階に入っている怪しげなドラッグストアが目に入った。
ドラッグストアは店じまいをする時間なのか、よくレジで店番をしている中年男性がワゴンを片付け、シャッターを閉めている。
「あそこの薬屋も、一応、店じまいはするんだな」
深雪は思わず呟いた。
「お店の中、いつも真っ暗だもんね」
シロもそう相槌を打つ。ここのドラッグストアはいつも雰囲気が悪く、利用客もあまり見ない。とてもはやっているようには見えないし、店主は年中、店をほったらかしにしているのではないかと思うほど、静まり返っているからだ。
すると、深雪とシロの会話が聞こえたのか、店主がじろりとこちらを睨む。
「……睨まれちゃった」
悲しそうな顔をするシロの背中を、深雪は軽くたたいた。
「気にすることないよ。目つきの悪い人なんだよ、きっと。……それより、先生の所へ行こう」
「うん!」
深雪はシロと共にエレベーターに乗り、二階へ向かう。診療所に入ると、独特の消毒薬の匂いが鼻先を掠めた。受付の女性に声をかけると、石蕗が診察室から顔を出し、笑顔で二人を出迎える。
「よく来たな。シロも一緒だったのか」
「こんにちは。用事って何ですか?」
「これが届いたんで、早いうちに手渡しておこうと思ってな」
石蕗麗から手渡されたのは、小さな紙袋だった。中に、ペンケースほどの大きさの箱が入っている。
「これは……?」
深雪が怪訝な顔をして石蕗医師を見つめると、麗はマスカラで塗り固めた目元を、ふと緩める。
「頼まれていた《アニムス抑制剤》だよ。かなり純度が高く、質もいい。お前たちのような《死刑執行人》は、こういったものが手元にあった方がいいだろう」
「《アニムス抑制剤》……」
そういえば以前から麗に、《アニムス抑制剤》を常備しておいた方がいいと言われていた。深雪の為に、わざわざ取り寄せてくれたのだろう。
「ただ、この街では生半可な金塊より、ずっと価値のあるものだ。襲われて奪われたりしないように、気を付けて持って帰れよ」
深雪は紙袋を受け取りつつ、「ありがとうございます」と、頭を下げた。そして、僅かに逡巡した後、気になっている疑問をぶつけてみた。
ゴーストのアニムスに詳しい麗にだからこそ、尋ねられることだ。
「あの……先生。《臨界危険領域者(レッドゾーン=ディザスター)》に指定されるほど容体が悪化したゴーストに、《アニムス抑制剤》は効きますか?」
深雪の唐突な質問に、麗は瞳を瞬いた。だが、深雪が真剣にそのことを知りたがっているのだと悟ると、難しい顔をして考え込む。
「ふむ……それには個人差があるな。実際に診断してみなければ何とも言えないが、ただ、そこまで深刻化すると、《アニムス抑制剤》ですら効き目がないことが殆どだ」
「これを火矛威に……いえ、《臨界危険領域者(レッドゾーン=ディザスター)》に投与しても、意味はないということですか?」
「《アニムス抑制剤》も決して万全ではない。万人に等しく、完全な効能が保証されている薬、副作用の無い完璧な薬がこの世には存在しないのと同じだ。……もっとも、絶対に効果がないとも言い切れない。実際に投与してみなければ分からないが……希望的観測は持たない方がいいだろうな」
「そう……ですか……」
麗の返答は、それほど想定外ではなかった。深雪は以前にも《臨界危険領域者(レッドゾーン=ディザスター)》となりかかった少女と接したことがある。オリヴィエの孤児院で育ったという、花凛という少女だ。
花凛も火矛威に負けず劣らずの深刻な状態になっていて、《アニムス抑制剤》は一切、効き目が無くなってしまっていた。あの時は深雪が《レナトゥス》を使う事で花凛を人間に戻し、彼女はどうにか一命を取り留めたのだ。
火矛威を救おうと思ったら、同じ手を使うしか、もはや方法は残されていないだろう。
(やっぱり、この力を……マリアが《レナトゥス》と名付けたこの力を使うしかない……‼)
亀裂のような痣の走る右腕、深雪はその掌を握りしめた。それを見ていた麗は、ふと口を開く。
「そういえば……その力、あれから使ったのか?」
「え?」
「うちの病室で使っていただろう。花凛が運び込まれた時に」
あの時、確か麗も深雪の《レナトゥス》を目撃していた。だから気になったのだろう。
「ああ……いえ。使おうと思ったことは一回あります。でも、その時はいろいろあって……不発に終わってしまって」
「そうか……」
麗は数度、瞬きをした。何か他にも尋ねたいことがあるように見えたが、それ以上は何も聞いて来なかった。気のせいか、何か躊躇している空気も感じる。深雪と麗の間に、ほんの一瞬、奇妙な間が空いたが、すぐにシロが言葉を挟んだ。
「ユキ、お話は終わった?」
すると、石蕗は何事も無かったかのように微笑んで言った。
「もう、随分暗くなってしまったな。二人とも、気をつけて帰りなさい」
「はい。あの……《アニムス抑制剤》、ありがとうございました」
「先生、またね!」
深雪とシロは麗に別れを告げ、診療所を出る。辺りはすっかり闇に包まれ、街並みにはネオンの光が煌々と瞬き始めていた。
一階のドラッグストアも今やシャッターがしっかりと閉じてある。深雪とシロは、大通りを通るように心がげ、東雲探偵事務所へと戻ることにした。
✜✜✜ ✜✜✜
石蕗麗は二人並んで診療所を後にする雨宮深雪と東雲シロを、診察室の窓から無言で見下ろしていた。その瞳は人形のように無表情で無機質であり、先ほど深雪やシロと接していた医師としての石蕗麗とはまるで別人のようだった。
石蕗麗の持つ、もう一つの顔だ。
診察室の中は、石蕗麗の他に人けは無いように見えたが、その時、突然に声が上がった。その声は初老の男性のもので、言葉の端々に英語訛りがある。
「随分と懐かれているようだね、ナツキ?」
石蕗麗が背後から掛けられたその言葉に振り向くと、いつの間に部屋に入って来たのか、診療所の入り口には白人男性の姿があった。
白いひげに生え際の後退した白い頭髪。目元には黒ぶちの眼鏡をかけており、黒いタートルネックに光沢のある黒い高級スーツと、外国人CEOみたいなファッションだ。
初老の白人男性はゆっくり麗の傍に歩み寄ってくると、自身も窓の下に目をやった。その先では、雨宮深雪が路地の曲がり角を曲がるところだった。
「彼が例の観察対象か。アマミヤ・シリーズの六番目……まさか、あんな何の変哲もないアジア人の子供に……。我々が払ってきた代償の大きさを考えると、運命とは実に、そう……実にこれ以上も無く残酷で皮肉なものだな。神の与えたもうた試練にしては過酷に過ぎる。……そうは思わんかね?」
男性は眉を上げ、石蕗麗の顔を覗き込む。年を重ねても尚、知的好奇心に満ちた大きな瞳は、鮮やかなブルー。どこか悪戯を仕掛ける少年のような、純粋さと溌溂さをも持ち合わせている。不思議な瞳だ。
確かに、彼の言う事は一理ある。だが、自分たちには、歩んできた道程を懐かしむ暇などない。石蕗麗――いや、本名・斑鳩夏紀は、男性に淡々と告げる。
「ジョシュア、確かに彼はただの少年です。ただ、例の能力 ……《レナトゥス》は本物です。使用後のアニムス値の変動も、許容範囲内……今のところ、安定しています。これは我々にとっても、チャンスと見るべきです」
「ブラボー‼ まさしく、奇跡の顕現だ。スバラシイよ、ナツキ!」
ジョシュアは英語圏の男性らしく、大仰な仕草で喜びを現した。だが、雨宮深雪を取り巻く状況は、ただ喜ばしいばかりではないことを、斑鳩夏紀は知っている。
「ただ……一つ問題が。雨宮深雪は現在、《死刑執行人》の事務所に所属しています」
ところが、ジョシュアは不思議そうに肩を竦める。「それが何だというんだね?」
「この《監獄都市》で最も恐れられている《死刑執行人》です。彼らを敵に回したなら、さすがに我々もただでは済まないでしょう。それに……斑鳩の本家も、決して雨宮深雪を諦めたわけではないでしょうし」




