第29話 告白②
「それで、お前がその『オトモダチ』探しに加わることに、どんなメリットがある?」
今度は奈落が、若干、皮肉交じりの口調でそう言った。奈落にとっては、深雪の過去など興味の対象外で、重要なのはあくまで損益の部分なのだろう。
深雪は右手を掲げ、それに答える。
「俺が、この右手の力で火矛威を人間に戻す。そしたら、《臨界危険領域者(レッドゾーン=ディザスター)》として周囲に危害を加えることも無くなるし、《Ciel》の元売り組織に関する情報も得られるかもしれない。薬物汚染を解決する一助にもなると思うんだ」
「確かに……我々が《イフリート》を追う目的とも合致しますね」
オリヴィエはそう相槌を打つ。
「火矛威は《臨界危険領域者(レッドゾーン=ディザスター)》だ。しかもそう指定されたのは二年前……いよいよ時間が押し迫っていると考えて間違いない。でも、俺は火矛威を死なせたくないんだ。自分勝手に見えるかもしれないし、《ウロボロス》を皆殺しにしたくせに今さらって思うかもしれない。でも、火矛威は唯一、生き残った《ウロボロス》の仲間だから、どうしても助けたいんだ」
すると、流星が怒りの未だ滲んだ、低く鋭い声で詰問する。
「……個人的な都合を事務所の仕事に持ち込む気か。自分の過去を洗い流すために、配置を変えろと……そういうことか?」
「それで自分のやったことが帳消しになるなんて思ってない! でも……我が儘を言っている自覚はあるよ。事務所の仕事の足は絶対に引っ張らないって約束する! 俺は……俺は火矛威の力になりたいんだ‼ 今、火矛威から逃げたら、きっとこれから先ずっと後悔する……! 俺に、チャンスを……過去を償うチャンスを与えて欲しいんだ……‼」
事務所の仕事を引っ掻き回しているのは分かっている。おまけにその上、頼みごとをするなんて、流星たちから見れば厚かましい事この上ないだろう。
それに、右手に宿る《二番目の力》を使って火矛威を人間に戻すという方法が、必ず成功するとも限らない。事実、《サイトウ》はあともう一歩というところで死なせてしまった。
それでも、チャンスが欲しい。深雪には、そう頼みこむことしかできない。
誰も、一言も発しなかった。会議室の中に、重く長い沈黙が横たわる。深雪は鳩尾の辺りが、激しく締め付けられるのを感じた。心拍数が上がり、背中を冷たい汗が濡らす。このまま、永遠に沈黙が続くのではないか。錯覚だと自覚しつつも、そんな感覚に陥りそうになる。
やがて、沈黙は唐突に破られた。まず、声を上げたのは神狼だ。
「俺ハ、別にそれデ構わナイ。敵ハ手強イ……切れる手札ハ、できるダケ多い方がイイ」
すると、それに続くようにして、オリヴィエと奈落が発言した。
「私も特に異論はありません。深雪が闇サイトの調査と《イフリート》の捜索、どちらに付こうと、事務所全体で目指すべき地点は変わりないのですから」
「六道の決定なら、逆らう理由は無い」
「ま、そんなわけだけど、流星どうする?」
マリアが水を向けると、流星は小さく溜息した。いくらか時間が経過して落ち着いてきたのか、先ほどまで見せていた激昂は、幾分、収まっているように見える。
「まあ……俺も反対はしねえよ。……基本的にはな。《サイトウ》に続き《カオナシ》を死なせたことを考えると、この先、何が起こるか予測がつかない。帯刀火矛威から情報を引き出せるなら、その可能性を潰さない方がいいだろうからな」
「まあ、それも深雪っちがちゃーんと帯刀火矛威を人間に戻すことができたら、の話だけどね~」
ジト目を向けてくるウサギのマスコットに対し、深雪は殊更に力強く頷いた。
「今まで、三回この力を使っていて、いずれも力を行使した対象をゴーストから人間に戻すことに成功しているんだ。だから、それに関してはそこそこ自信はあるよ」
《サイトウ》の時のように、想定外の事態さえ起きなければ、成功させる自信はある。最近では、痛みや違和感を感じることもないし、ほぼ、コントロールすることができている。新しいこの力が、自分の体に馴染んできたのだろう。
「ふーん? ならいいけど。……っていうか、深雪っちの二番目の能力、まだ名前、決まって無かったよね?」
「え? うん」
「《レナトゥス》っていうのはどう? 『生まれ変わる』って意味があるの。ゴーストのアニムスを消滅させて、人間に生まれ変わらせる……深雪っちの力にぴったりでしょ?」
「別にいいけど……」
深雪が僅かに口籠ると、マリアは途端にムスッとして睨んでくる。
「何よ、文句あるの!?」
「い、いや……そういうわけじゃないけど、何か中二病っぽいっていうか……」
ちょっと大袈裟というか、もう少し普通でもいい様な気がする。それではまるで、他にはない特別な力なのだと、自ら誇示しているかのように感じてしまうからだ。
するとマリアは人差し指を立て、チッチ、と説教モードに入る。
「深雪っちは分かってないわね~。……いい? 《死刑執行人》の存在意義は、半分は抑止力なの。相手に恐怖と畏怖を与えるのも、仕事の一環なのよ。だから、いかにも強そうでそれらしい名称の方がいいの。『何か知らんけど、俺の右腕が光ってる件』とかじゃ、緊張感皆無でしょ!?」
「な……なるほど……」
そう考えると、確かに名前も重要かもしれない。もっとも、一番大切なのは、その力をどう使うか、だが。
六道の《タナトス》には深雪の《レナトゥス》をほぼ同等の作用があり、それ故に《監獄都市》の中で恐れられ、一目置かれる存在となっている。東雲探偵事務所としては、深雪の《レナトゥス》も同じように最大限、利用したいという事なのだろう。
深雪としてもそれに異論はない。その力を使うことで無益な争いが減らせるなら、それに越したことは無いからだ。
話が一段落したのを見てとって、流星は口を開いた。さすがに、決定事項を覆すような気はないらしく、わだかまりは一切、捨て去っている。
「……それじゃ、確認するぞ。深雪が帯刀火矛威の捜索に加わる代役として、俺とオリヴィエ、奈落のうち誰かが闇サイトの調査に回る必要があるんだが……」
すると、すぐさま奈落がそれに応じた。
「俺が代わる。人探しより脅して吐かせる方が、いろいろと手慣れているからな」
「よし、それでいこう。薬物汚染をこれ以上長引かせるわけにはいかないし、帯刀火矛威に残された命にもタイムリミットが迫っている。ここ何日かが勝負になるだろう! 気を引き締めて行くぞ‼」
「うい~っす!」
最初にマリアがそう答え、姿を消すと、神狼やオリヴィエもそれに続く。
「了解シタ」
「気を付けていきましょう」
そうと決まれば、少しでも時間が惜しいのだろう。ミーティングが終了となるや否や、みな散開して部屋を退出していく。ただ、シロと深雪、そして流星だけが部屋に残された。
シロは、深雪を気遣うように顔を覗き込んでくる。
「ユキ、大丈夫?」
「……うん」
「良かったね。絶対にお友達のこと、見つけなきゃだね!」
深雪はシロに微笑み返し、次いで会議室の片づけをしている流星に声をかける。
「流星……ごめん。俺の都合で勝手に変えてもらって……でも、ありがとう。火矛威のことは、どうしても俺が自分の手でけりを付けたかったから……」
「いや……俺もちっとばかし感情的になってた。今は、細かいことにこだわってる場合じゃないしな」
流星の声は、打って変わって静かだった。いつも通りとはいかないが、殺気にも似た激憤は影を潜めている。
深雪の主張に納得してくれたのか、それとも強引に感情を殺しているのかは分からない。ただ、いずれにせよ、虚勢を張ることなく自然体でそれを認めることができるのは、流星のすごいところだと深雪は思う。
「……。流星でも、感情的になることがあるんだね」
すると、流星は苦笑を漏らした。
「そりゃあ、あるだろ。お前ん中で俺は一体、どうなってんだ?」
「えっ? ええと……見かけより真面目っていうか……苦労人っていうか、不憫属性っていうか……」
「……。何かどんどん、切なくて胸が苦しくなってくるのは、気のせいか……?」
「胃薬が手放せないとことか、全てを物語ってるわよね~」
半眼でごちる流星に、マリアが再び現れて合いの手を入れる。どうやら、深雪たちの会話を聞いていたらしい。
「それを言うんじゃねーよ……そもそも誰が元凶だと思ってんだ!?」
「怒られちったー、テヘ!」
流星に怒鳴られたウサギは、変顔と変なポーズを同時に決めると、再びそのまま消えていった。一体、何しに出てきたんだと、さすがに深雪も内心で突っこんだ。
再び三人だけとなった会議室の中で、流星は長い溜息をつくと、深雪へと向き直る。
「ったく……まあ、あれだ。取り敢えず、行くとするか」
「うん。一刻も早く火矛威と接触して、この薬物事件を終わらせよう……!」
「シロも頑張る!」
ともかく、これで心置きなく火矛威を探しに行ける。そして火矛威を見つけ出し、《天国系薬物》の元売りを抑えることができれば、長かったこの事件も終わらせることができる。
全ては、ここからが勝負だ。深雪はそう自分に気合を入れ、会議室を後にするのだった。
✜✜✜ ✜✜✜
一方、先に会議室を後にした奈落とオリヴィエ、そして神狼は、階段へと差し掛かっていた。オリヴィエがいつもと変わらぬ穏やかな表情であるのに比べ、奈落は無言だった。いつもの悪態をつくこともなく、煙草を取り出して吸う事も無い。ただ、どこか一点を見つめている。
「深雪が帯刀火矛威と知り合いだったとは……驚きですね。これが薬物事件を解決する契機となれば良いのですが」
「闇サイトの調査モ、今ノところ目立った当たりはナイ……時間ガかかりそうダ」
「………」
オリヴィエと神狼は、そこでようやく奈落が不気味なほど静かであることに気づいた。返ってくる筈の返答がない。二人ともほぼ同時に、何かあったのかと背後を振り返る。
「……奈落? どうかしましたか?」
オリヴィエが声をかけると、奈落はようやく口を開いた。
「……話がある。お前らは奴の話を聞いてどう思った?」
その瞬間、オリヴィエと神狼はガタガタと派手な音を立て、大きく仰け反った。二人とも、宇宙人の降臨にでも遭遇したかのような目で、奈落をまじまじと見る。
「あなたが私たちに意見を求めるだなんて……一体どうしたというのですか!? ええ、深雪の話がショックだというのはよく分かります。私も同じように衝撃を受けましたから。けれど、我を忘れるなんてあなたらしくもない……‼」
オリヴィエが、やたらオロオロと奈落を宥めにかかると、神狼も茫然自失の表情で呟く。
「まさしク驚天動地、天変地異……‼」
二人のなかなかの扱いに、さすがの奈落も顔を顰め、舌打ちをした。
「御託はいい、どう思ったかと聞いている。あまりにも荒唐無稽だとは思わなかったか?」
深雪の過去話の事だ。
オリヴィエと神狼は顔を見合わせ、すぐに真剣さを取り戻す。
「そうですね……真偽のほどは確かではありませんが……ただ、深雪が嘘を言っているようには思いません。彼にはあのタイミングで嘘を言う利点がない」
「それニ、嘘にしては何というカ……辻褄が合い過ぎてイル」
「確かに、あの環境で大法螺を吹くほど、度胸のある奴じゃないな」
奈落も二人の意見に同調した。嘘をつくなら、他につける嘘はいくらでもある。中でも、深雪が火矛威と知り合いだったというのは本当だろう。現に、《イフリート》が深雪の名を呼ぶところを、奈落やオリヴィエも聞いている。
「本当に帯刀火矛威と友人だというのであれば……《冷凍睡眠》で眠っていたというのも本当なのではないでしょうか。そうでなければ、深雪の年齢を考えても、時間軸が合わなくなってしまう」
オリヴィエは慎重に口を開くが、奈落はそれに反論を唱える。
「だが、金がかかるだろう、《冷凍睡眠》は。冷凍・解凍にかかる費用はもちろん、二十年もの間、冷凍状態を維持管理し続けなければならないんだ」
「実験……だったのではないですか? あまりそういう考え方をしたくはありませんが……深雪の過去を考えると、あり得ない話ではありません」
「確かに、ゴーストで尚且つ派手に事件を起こしたとなると、モルモットにされてもおかしくはない。だが、ただのガキをそうまでして生かしておくか? 実験だったとして、何故、あいつは今更のようにこの《東京》に戻されたんだ?」
「……何が言いたいのですか?」
オリヴィエは、探るような視線を奈落へと向けた。奈落もまた、隻眼を鋭利に細める。
「あいつには地雷系のアニムスとは別の能力がある。……知っているだろう?」
「マリアが《レナティス》と名付けた能力のことですね?」
すると、神狼も頷きながら口を挟んだ。
「俺モこの眼で見タ。ゴーストを、アニムスを一切持たナイ人間ニ戻してしまウ、とても強力な力ダ」
「あいつが《冷凍睡眠》で眠らされ、二十年たって解凍されて《監獄都市》に戻されたのは、おそらくその能力が関係している」
裏を返すと、雨宮深雪には莫大な費用をかけ、《冷凍睡眠》を施しても尚、守る価値があるという事になる。それは何か。あの《レナトゥス》という能力意外に考えられない。むしろ、あの能力が深雪の中にあると分かっていたからこそ、《冷凍睡眠》で眠らされていたのではないか。
奈落の意図を、すぐにオリヴィエと神狼も悟ったようだ。
「確かに……今まで聞いたことのないアニムスですからね。その作用を考えても、相当に価値はあるでしょう」
「少なくとモ、《冷凍睡眠》デ莫大な金を投じるだけノ価値はアル……どこかの誰かガそう判断しタ……?」
「そういう事だ」
「それは、あり得る話ではありますが……。でも一体、どこの誰が?」
オリヴィエは眉根を寄せるが、奈落は肩を竦めて答えた。
「さあな。そこまで分かっていれば、世話はない」
「そうですね……私もあなたも、この土地ではよそ者なわけですし……ね」
「俺モ、《東京中華街》以外の世界ニ詳しいわけじゃナイ……」
奈落、オリヴィエ、そして神狼。三人とも、《監獄都市》の知識はそれなりにある。人名や地理、或いは勢力図やそれぞれの街の特徴。だが、《監獄都市》以外の外部勢力の事となると、それほど詳しいわけではない。
神狼は《紫蝙蝠(ズ―ピエンフ)》を抜けるまで《東京中華街》から殆ど出たことが無かったし、奈落やオリヴィエはそもそも外国人だ。だから、知り得る情報には限りがある。できれば深雪本人から聞き出したいところだが、会議室での話を聞いた限りでは、その辺の事情を知っているようではなさそうだ。
「……問題は、あいつ自身はその価値に殆ど気づいていないという事だ。ゴーストを人間に戻せば、全てが丸く解決する……そのための力だと、正義の味方気取りでいる」
「……」
オリヴィエと神狼は、奈落の言葉を否定しなかった。深雪の力が何をもたらすか。二人ともその可能性をはっきりと認識しているわけではないのだろう。
それは奈落とて同様だった。何せ、今まで世界で一度も発見されたことの無い力なのだ。想像するには限りがある。ただ一つだけ分かっているのは、《レナトゥス》が決して、アニメやコミックのヒーローが使う悪党をやっつけるための、単純な必殺技などではない、という事だ。
「あいつをよく見張っておけ」
「……何故?」
「深雪を疑うのですか?」
神狼とオリヴィエは、訝しげな表情を奈落へと返す。二人とも、深雪が《レナトゥス》を悪用するとは思えないのだろう。しかし、奈落はあくまで冷徹に答える。
「本人にその気がなくとも、厄災を引き寄せる可能性がある。無自覚な分、余計にだ。だから、あのチビに近づいてくる人間には目を光らせておけ。……いいな?」
《レナトゥス》は、ただゴーストを人間に戻すだけの魔法の力ではない。いずれその力を欲する者、特に悪用しようとする者が現れるだろう。そしてその力の特殊性や強大性ゆえに、事務所全体が厄災に巻き込まれかねない。だから、注意しておく必要がある。
オリヴィエと神狼も、心から納得はしていないようだったが、言わんとしている事は伝わったようだ。逡巡は見られたが、大人しく頷いた。
「そういうことなら……いいでしょう。協力します」
「こちらモ、留意スル」
その時、二階の廊下から足音がし、深雪が下りてくる。
「ごめん、お待たせ。……って、どうしたの?」
深雪は階段で団子になって話し込んでいる三人を、不思議そうに見つめている。三人の間に流れている、奇妙に張り詰めた空気に気づいたのだろう。
「いえ、何でもありませんよ。 行きましょうか」
にっこりと微笑むオリヴィエ。一方、神狼と奈落はそのまま何も答えず階段を降りていく。
深雪は若干、首を傾げたが、そのままオリヴィエや流星と共に、事務所の玄関へと向かった。




