第17話 それぞれの思惑
東雲六道は、待っていた。
彼の部下が、報告を上げるのを。
己の執務室の事務机の上で両腕を組み、ただ、じっと待つ。
二十年前、左腕と右足の膝から下を失ってから、六道が現場に出るのは不可能になってしまった。今では、現場の指揮は赤神に任せてある。
実際、ゴーストの制圧には臨機応変さが求められる。現場に立つことのできない六道が執務室からあれこれと口を出しても、余計な混乱を生み出すだけだろう。
東雲六道にできるのは、ただ待つことだけだ。
そう、今のところ――は。
やがて、待ち望んでいたものはすぐさま訪れた。事務机に取り付けられたディスプレイのランプが点灯し、画面上に『Sound only』の文字が浮かび上がる。
声の主は予想通り、赤神流星だった。
「……雨宮が連れ去られたそうだな?」
六道は単刀直入に切り出した。回りくどい口上や前置きを並べ立てるのは、好きではない。
「すみません。俺の判断ミスです」
「過ぎたことをとやかく言っても始まらん。それより、現在の状況を報告してくれ」
流星は「はい」と答えると、澱みのない口調で説明し始めた。
「きょう未明に発生した、恵比寿と日本橋の連続性が疑われる一連の大量殺人事件ですが、マリアとシロ、深雪の三名が日本橋の事件の被害者の生き残りと思われる、琴原海を保護しました。
その直後、犯人と思われる男複数と接触。
その後、渋谷、台場、中目黒、三軒茶屋の四か所でも同様の大量殺人事件が起こっている事実が新たに分かりました」
「容疑者の行方は把握しているのか」
「そっちはマリアと神狼が当たっています」
「そうか。被害が拡大する前に急がせろ」
そこまでやり取りを終えた時だった。机上のディスプレイのランプがまたもや点灯し、今度は寸胴のウサギのマスコットが威勢よく飛び出してくる。同時に、底抜けに能天気な声が、会話に割り込んできた。
「所っ長、お疲れ様です~!」
「マリアか」
「容疑者の所在はいまだ不明ですが、特定はできました。
囚人護送船の乗船名簿及び、東京特別収容区収監者名簿によると、容疑者は高山尚樹、大石瑛太、酒井匠、小西健太郎の四名と判明。こちらがそのデータです。
因みに、犯行の証拠映像も添付しておきました。監視カメラのものですが、画質にも問題はありません。
これで、《警視庁指定ゴースト第一級特別指名手配書》への登録は可能な筈ですよん」
ウサギは得意げにひらひらと舞いながら報告する。すると同時に、監視カメラの映像が添付された必要書類が複数浮かんだ。
通常であれば、膨大な人員と時間が必要となる作業を彼女はたった一人、わずか小一時間でこなすことができる。見たところ、書類の不備も無いようだ。
六道はそれにざっと目を通すと、重々しく頷いた。
「よし……分かった、ご苦労」
「ただ、これから実際に《死刑執行対象者リスト》に登録するとなると、最低二週間はかかっちゃうんじゃないですかね~、お役所って超ー頭固いですし」
「関係各所には私から働きかける。そちらも準備を進めてくれ」
「了解です」
「あーそれとぉ、風間武装探偵所ってとこから連絡が入ってますよー。日本橋に本拠地がある《死刑執行人》の事務所ですね~。要約すると、『こっちの縄張りで起こった事件だ、うちに死刑執行権を寄越せ!』……だそうです」
「同業者ですか。この手の事件は、小遣い稼ぎにはうってつけですからね」
六道とマリアのやり取りをきいていた流星が、そう口を挟んだ。
《死刑執行対象者リスト》にはそれぞれ賞金が課せられている。その金額は、大事件を起こしたゴーストほど高い。
当然、高額でランクの低いゴーストはすでに粗方狩られ尽くしいて、残っているのはランクも値段も低い雑魚か、値段は高いがランクも高く、狩るのが容易でない危険なゴーストばかりだ。
だから今回のような仕事は『お得』なのだ。
《東京》にやってきたばかりの未熟な新参者が起こした、陰惨な事件――《リスト登録》されれば間違いなく、おいしい値が付く。手口にも小賢しさがなく、狩るのにさして苦労はすまい。狩る側にとってはまさにボーナスのようだった。
おそらく他にも、この仕事を狙っている《死刑執行人》たちはいるだろう。
《リスト登録》されたゴーストを、誰がいつ狩るか――実際にはそこに決められたルールはない。端的に言ってしまえば、早いもの勝ち、仕留めたもの勝ちだ。
だがそれは時に競争過多を生み、最悪の場合、《死刑執行人》同士が争うことにもなりかねない。だから、暗黙のルールがいくつか存在する。
《死刑執行人》の縄張り意識が強いのもその一つだ。通常であれば、風間武装探偵所の主張していることに分があるだろう。だが今回はこちらも、はいそうですかと諦めるわけにはいかない理由がある。
「うちの者が人質に取られている。退く気はないと伝えろ」
六道は鋭い眼光と共にそう言い放った。雨宮深雪を見捨てるわけにはいかない。深雪本人がどう思っていようと、雇ったからにはこの事務所の人員なのだ。
「ラジャーで~す」
マリアはくるりと一回転すると、姿を消す。そして数分後、再びポンと現れた。
「返信来ました。『そちらがそのつもりなら、こっちも好きにさせてもらう』……だそうです。あらら……深雪っち、大丈夫ですかね? 他社の《死刑執行人》に《リスト》対象者と間違われて攻撃されちゃう可能性もありますねぇ」
「続けて返信。こちらも手加減はしない。御社と正面衝突した際、発生する人的被害について、当社は一切の責任は負わない――そう伝えろ」
「やっだー、所長ってば。喧嘩売る気マンマンじゃないですか」
そう言うマリアもやたらと嬉しそうに身をくねらせる。
「ただの牽制だ」
六道はすました声でそう答えた。するとそれを聞いていた流星が、苦笑しながら口を開く。
「どちらにしろ、敵が増えるって事でしょう。もうちょっと穏便にいきましょうよ」
「話し合って済む相手なら、最初からそうしている。ハッタリは通用しているうちが華だぞ。箔がついて良かろう?」
「そんな、地方の暴走族が出身校で張り合うみたいな真似して、どうするんすか」
「……まあ、大差はあるまい」
すっかり呆れ気味の流星。
六道はフンと笑い、ぎこちない動作で書斎の椅子から立ちあがった。
マリアの言った通り、通常であればリスト登録には二週間はかかる。
それを如何に短縮できるか。――ここからは、自分の仕事だ。
《死刑執行人》に縄張り意識があるのと同様に、ごろつきゴーストたちの世界にもそれぞれ縄張りがある。
みな表通りには姿を現さないが、裏通りに一歩踏み込めばあちこちで蝙蝠のごとく闇に紛れ、目をぎらぎらと光らせている。
そういった裏路地は、今や東京中に無数に存在していた。
水道橋の一角。そこもまた、よくある崩れかけた、小汚い路地裏だ。
体臭とアンモニア、何らかの腐臭を何層にも積み重ねたような据えた臭いの漂う薄暗い路地には、柄の悪い男達や身なりの粗末なホームレスなどの姿が点々としている。
その中央で数人のゴーストの男たちが固まってたむろしていた。年齢は十代から二十代の若者ばかりで、首筋や腕、肩には溶けかかった髑髏の刺青が黒々と刻まれている。
そのごろつきの集団に、似たような恰好をした仲間とみられる別の男が一人、合流する。
「……よう。そっちはどうよ?」
「どうもこうもねえ。あちこちピリピリしてやがるぜ、鬱陶しい……。どうやら新入りで殺しまくってる奴らがいるらしい」
「バカな連中だよな。一体ここをどこだと思ってんだ? この調子だと、いずれ間違いなく『奴ら』がお出ましになるぞ」
「……おい」
話し込んでいる集団の一人が、剣呑な様子で通りの奥に向かい、顎をしゃくる。
そこには二人の男が立っていた。琴原海を襲った四人の集団、その中にいた二人のゴーストだ。長髪の痩身痩躯と野球帽をかぶったチビ――酒井匠と小西健太郎の二人組だった。
二人はごろつきの集団に臆することがないどころか、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながらゆっくりと近づいていく。
「……邪魔だぞ。そこどけよ」
「ああ? てめえらこそ、何なんだよ⁉ 俺ら《ディアブロ》、ナメてんじゃねぇ!」
その路地界隈を縄張りとしている男たち――《ディアブロ》たちは、酒井と小西の挑発的な態度に俄かに殺気立つ。
ところがそれを聞いた小西と酒井は、更に表情を歪めて男たちを嘲い飛ばした。
「うひゃはははははは!」
「《ディアブロ》だあ⁉ ダッセ! マジ、ダッセ‼」
「何だと⁉」――《ディアブロ》たちの顔に激しい怒りが浮かぶ。身を乗り出し、笑い転げる二人に今にもとびかからんばかりだ。
すると小西と酒井はまるでそれを待っていたと言わんばかりに笑いを引っ込め、すっと目を細めた。
「おいおい、やるってんなら受けて立つぞ……‼」
そして小西は両の眼の瞳孔の縁を赤く光らせる。
次の瞬間、地べたに転がっていた無数の瓦礫片が音も無く浮かび上がった。そしてそれがパアンと言う破裂音と共に《ディアブロ》の面々に向かって放たれる。
その様はまさしく銃弾だ。瓦礫片は《ディアブロ》のメンバーに直撃する事こそなかったものの、体を掠め、背後にあるコンクリートのビルの壁面に鋭い音を立ててめり込む。
そして、その表面を深々と抉った。
「アニムス……⁉」
「こいつ……ミドルかハイクラスのゴーストだ……‼」
強力な異能の力を目の当たりにした《ディアブロ》のメンバーは、みな一様に表情を強張らせる。この一瞬で、己が不利な状況に立たされているのを悟ったのだ。
一方、背後で、成り行きを遠くで見つめていたホームレスたちは、巻き添えを食うまいとそそくさと退散し始めた。
ただ、鉄屑広いをしていた小柄な老人だけが、逃げ損ねた挙句に腰を抜かしたらしい。「ひェい!」と情けない悲鳴を上げると、その場に座り込んで、ぶるぶると震え始める。
「何だ、びびったのかよ? かかって来いよ!」
その場にいる全ての者達の浮かべた驚きと畏怖の表情は、小西に優越感に浸らせるのに十分だった。悦に入った小西は、歪んだ笑みを浮かべる。
対する《ディアブロ》の男たちは、誰もそれに対抗しうるだけのアニムスを所有していない。
「くそ、こいつ……!」
歯噛みをして悔しがる男達。このままではチームの沽券に関わるどころか、縄張りを奪われて追われかねない。
しかし、男たちの焦りが頂点に達したその時、劣勢を覆す人物が姿を現した。一際大きな体躯に、特徴的なスキンヘッド。ぎょろりと射るような、鋭い眼光。
「坂本さん!」
ごろつきたちは嬉しそうに自らの頂くヘッドの名を呼んだ。彼らの誰もがこの禿頭の巨漢に、目の前の生意気な二人組に向かって厳しい制裁を加えてくれることを期待していた。
しかし、坂本は彼らの予期せぬ反応を示す。二人組に威嚇をしないどころか、彼らの挑発もさして興味なさそうに受け流したのだ。
そして自らの手下に対し、どこか冷ややかに命令を下した。
「やめろ、お前ら」
「坂本さん……?」
「そいつらに手を出すんじゃねーぞ」
「で、でも……!」
「俺の命令が聞けねえのか? いいから行くぞ!」
坂本は路地の向こう側へと顎を軽くしゃくりながら、踵を返す。その態度はあくまで淡白で、二人組に対抗しようという意思は微塵も感じられない。
ごろつきたちは戸惑った。まさか自分たちの頼もしいヘッドは、先日の腕を斬り落とされた時の敗北で、すっかり自信を無くしてしまったのだろうか。
誰もがその可能性を想像したが、まさか口に出すわけにもいかず、戸惑いも顕わに互いに顔を見合わせる。
すると坂本の背中に、小西と酒井が更なる嘲笑を浴びせかけた。
「あ~あ、《東京》っつってもマジ大したことねーなあ!」
「ザコばっかだよ、ツマンネ~!」
すると、坂本は顔半分だけ振り返り、静かに言った。
「……せいぜい気を付けるんだな、新入り。ここは普通の街じゃない。『奴ら』はすぐそこにいる。音も無く忍び寄って来て、気づいた時には終わりだ。……それを忘れるな」
「あーはいはい。そういう虚勢はもういいから」
「……さっさと行けよ。てめえが弱えってだけだろ? それが真実なんだよ」
坂本の忠告もどこ吹く風で、二人は再び甲高い笑い声を上げた。しかし坂本は、やはりそれに構うことなく歩き去ってしまう。
手下のごろつきたちは慌ててヘッドの後を追いかけた。その顔は、どれも悔しそうに歪んでいる。恨めしそうに小西と酒井を睨みつけながら、渋々撤収していったのだった。
その場に残った小西と酒井は、満足そうにそれを見送っていたが、逃げ損ないが一人残っているのに気づいた。
それは先ほど腰を抜かした、小汚いホームレスの老人だった。
老人が恐怖を浮かべてこちらを凝視しているのに気づくと、苛ただしげに唾を吐きかける。
「ちっ……見てんじゃねーよ、ジジイ‼」
「ひっ……ヒイイ!」
哀れな老人は、すっかり怯えきって立ち上がれなくなっていた。その場に蹲ってがくがくと震え、頭を抱える。
小西と酒井はその惨めなさまが愉快でならない。その身を大きく仰け反らせて哄笑し、空き缶でも蹴り飛ばすがごとく老人の尻を蹴り上げる。
そしてひとしきり笑い転げて満足すると、また新たな獲物を求めてその場を歩き去った。
一方、《ディアブロ》は街の片隅で荒れ狂っていた。
先ほどの撤退は、どう考えても敗北だ。あんな新参者に虚仮にされたのでは、チームとしての面目が立たない。
ありえない恥辱だった。
「……坂本さん! 待ってくださいよ‼」
「いいんですか、あんな奴らのさばらせて……俺らの縄張りじゃないですか!」
苛ただしそうに唾を飛ばし、坂本にそう詰め寄った。しかし一方の坂本は、特に激高することもなければ、悔しがる様子もない。妙に冷ややかに答えたのだった。
「バカか、お前ら。あんな下らねえ連中とマジで張り合ってどうするんだ?」
「そりゃ……そうですけど……」
そんな表面上のリクツだけでは到底承服できない。ごろつきたちは不満をありありとその顔に浮かべる。
すると坂本は、そんな不満顔の手下たちを振り返り、ニヤリと不遜な笑みを見せた。
「……連中は調子に乗りすぎた。いずれ必ず《死刑執行人》に狩られるだろう。それがここのルールだからな。俺たちはそれを笑って鑑賞するだけだろーが。違うか?」
「坂本さん……」
「お前らだってそうだろ。そっちのがずーっと面白ェだろう? ……真の勝者ってのは、強ェ奴じゃない。最後まで生き残る奴だ。《東京(この街)》では尚更……な」
坂本の言葉に聴き入っていた手下たちは、やがてゆっくりと同じような下卑た笑みを口の端に浮かべ始める。
――そうだ。あの調子では、先ほどの二人組がいずれ自滅するのは目に見えている。わざわざリスクを冒す必要はない。この街には、《死刑執行人》がいるのだ。
おそらくハイエナたちは、すでに動き出しているだろう。「狩り」が 始まるのも時間の問題だ。
二度と会うこともあるまい――全て納得したわけではなかったが、その想像はごろつきたちの留飲を下げさせ、満足させるには十分だった。




