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東亰PRISON  作者: 天野地人
監獄都市収監編
17/752

第16話 獲物と猟犬

 足元の瓦礫を拾おうと、腰を屈めたその時。

 ひょろりとした長髪の男の、瞳孔の縁が赤く光る。


 次の瞬間、それまでの霧より殊更に濃い霧が、ぶわりと膨れ上がり視界を覆っていく。すでに霞んでいた視界はますます悪化し、一歩先も見渡せない状況になった。


「くそ……どこにいる? 何も見えない!」


 深雪が中腰のまま周囲の気配を探っていると、死角から無数の小さい何かが飛んできた。

 突然のことで避けきれず、そのうちのいくつかは体を掠めていく。

 鋭い痛みが走り、血が滲んだ。


「いってえ……‼」

 何か、硬いものがすさまじい勢いで皮膚を抉っていったようだった。しかしその固いものが何なのか、己の傷の具合を確かめる間すら無く、背後から殺気を伴った何者かの気配が放たれる。


「あれれ、いいのかなー? 背後、ガラガラだけど」

「うっ……!」

 こちらをからかう様な楽しげな声に慌てて振り返ると、真後ろにミリタリージャケットのニヤニヤと酷薄に笑う顔があった。

 深雪は「く……!」と奥歯を噛み締め、身構える。

 ――しかし。


「……なあんて、ね」

「なっ……⁉」


(しまった……こいつは囮だ!)


 背後を振り向いた深雪の、更にその後ろに、イッシ―と呼ばれていた体格の良い男が回り込んでいた。

 男の胴体は今まで通りだったが、右の二の腕から先はモンスターか何かのように歪に膨らんでいる。まるで腕だけ巨人のものになったかのようだ。

 しかし、その異様な姿を深雪が直視することはなかった。しっかり確認する前に、男がその巨大な腕を振り回し、深雪の後頭部を殴りつけたのだ。


「う……あ……!」

 衝撃に耐えられず、深雪はそのまま昏倒する。そして、そのままピクリとも動くことはなかった。

一部始終を見ていたミリタリージャケットの男は呆れ返り、次いで唇を尖らせる。


「ちょっとイッシ―、力入れすぎ。気い失っちゃったじゃん」

「……悪イ。まだ慣れてねえんだよ」

 巨大化した右腕を不器用に開閉させながら、体格の良い男は答える。


 彼のアニムスは肉体強化のアニムスだ。巨大化するだけでなく、腕力も倍増する。

 ただ、ナオキと呼ばれたリーダー格と違い、男はまだアニムスを自在に操れていないようだった。リーダー格は、うんうん、と妙な相槌を打つ。


「まあ、仕方ないよね。《東京》以外じゃ、ゴーストだと知られたら即アウトだし。それを考えると、ここは天国だよね~。アニムス使い放題の殺し放題! ホント、もっと早く来ればよかったよ~!」


「なあ、それよりどーするよ? こいつ、起こさないと肝心な情報聞きだせないじゃん」

 一番背の低い野球帽が深雪に近づいて行って、スニーカーの先で深雪の頭部を小突いた。深雪は完全に気を失っており、その程度では意識が戻ることもない。


 すると、リーダー格のマッシュルームヘアは視線を斜め上に投げ、何事か思案する。

「うーん、そうだね。でも、とりあえずここは移動した方がいいよ」

「はあ? 何でそんな面倒な事……こいつはどうすんだよ?」

 今度は一番背の高い長髪が、深雪を指し示しながら顔をしかめる。痩せすぎているため筋肉が全くと言っていいほどなく、重労働が苦手なのだ。


 それでも、リーダー格のナオキは機嫌を悪くすることもなく、にこにこと答えた。

「僕の勘が告げているんだよ。このままここにいた方が、もっと面倒な事になるって、ね。呑気に寝てるそこの彼は僕たちで運べばいいのさ」

「マジかよ……」


「……。お前さあ、妙なところで慎重っつーか……注意深いよな」

 二人の会話を聞いていた体格の良い男は、巨大化した腕をもとの大きさに戻しながら、苦笑とも感心ともつかぬ調子で言った。しかし、一方の野球帽のチビは肩を竦める。

「どうせ、いつもの気まぐれじゃん?」

「ははは、ケンタが正解かもね」

「ったく……。おい、運ぶぞ」


 それは相変わらず、まるでコンビニの前でたむろしている若者のような軽いノリだった。


 男たちは不平を漏らしつつ、深雪を運ぶ作業にとりかかった。





 その頃。


 深雪たちのもとへと移動していた流星は、思わず足を止めて自分の耳を疑った。すかさず端末上に浮かび上がるウサギのマスコットを問い詰める。


「――襲撃された? どういう事だよ、マリア⁉」

「そんなの、こっちが聞きたいわよ! とにかく、シロが琴原海っていう女の子を連れてそっちに向かってるわ。あと、深雪っちが足止めの為に一人で残って、敵と交戦中!」


「……おい。散々偉そうなことを言って、任せろだとかぬかしていたのは、どこのどいつだ?」

 後ろから追いついてきた奈落が冷やかにそう突っ込むと、ウサギはプライドをいたく傷つけられたのか、怒りに燃えて殺気立った。 


「うっさいわね、ブッ飛んだ脳筋に言われたくないわよ! あいつら、シロたちを一切追って来なかった……最初から狙いは深雪っちだったのかも!」


「でも、どうして深雪が狙われたのでしょうか?」

 今度はオリヴィエが疑問を口にする。流星はそれに心当たりがあった。深雪は初日に出会った際、銀行のカードと通帳を持ち歩いていた。流星は中身を改めはしなかったが、マリアによるとそれなりの金額が記載されていたらしい。


「おそらく、金銭目的だ。……一見バカなガキ共の仕業に見えるが、動きが早い。判断力は案外あるのかもな。神狼、先に深雪の援護に向かってくれ。マリアは神狼のサポートだ」

「分かったわ。行きましょ、神狼!」


 マリアの言葉に対し、神狼は頷く。そしてひらりと空高く宙を舞うと、瞬く間にビルとビルの向こうへ姿を消した。まるで仙人か何かのような重力を無視した動きだが、実際は服の袖からワイヤーを射出し、先端に取り付けた鉤爪のような器具でビルの壁にひっかけ、体を支えているようだ。

 しかし神狼の動きは、一目見てそうだとは気が付かないほど流麗なものだった。


 流星たちもまた移動を再開しようと踏み出した時、ビル群の向こう側からシロが走って来るのが見える。

 シロは一人の少女を連れていた。今回の事件の被害者の一人である、琴原海だろう。


「りゅーせい! 連れてきたよ‼」

「シロ、無事だったか?」

「無事だよ。でも、ユキが残って戦ってる。あと、刀が――狗朧丸が折れちゃった」

 シロは悲しそうな顔で愛用の日本刀を差し出す。


「所長に頼んで、新調してもらいな」

「うん。 ……こっちが海ちゃんだよ!」

 指し示された少女は、小柄で大人しそうだった。制服に血の跡がこびりついている。


(こいつは……)


 いくらか拭われたようだが、流星はそれを見逃さなかった。彼女の血痕は、むごたらしい惨劇が確かに現実にあったことを如実に物語っていた。

 詳細を尋ねようと口を開くが、それより先に他の者が集まって来る。流星の他、奈落にオリヴィエ――その場に近づいてきた者の視線がすっと少女に集まった。


「あ、あの……えっと……。よろしく……お願い、しま、す………」

 海は、どう見ても堅気ではない格好の流星や奈落を前に、すっかり萎縮し固まってしまった。いかにも育ちが良さそうな彼女からしてみれば、ここにいる面々は到底まともではないのだろう。

 そんなリアクションになるのも多少は仕方ない、とは思ったが。とりあえず、青くなって一時停止するのはやめて欲しい。すると、やり取りを聞いていたマリアが半眼で偉そうにふんぞり返った。


「ほーら、だから言ったじゃない」

「あー……大丈夫。俺ら見た目ほどヤバくないから」

「そお? けっこー見た目通りだと思うけど」

「おい、フォロー入れろって」


 ついこめかみにヒビを入れさせながら毒づくと、何故だか大きく仰け反ったのは海だった。当のウサギはといえば、どこ吹く風で涼しい顔をしている。

 海にとっては、こちらのちょっとしたどつきあいも、刺激が強すぎるらしい。どうしたものかと頭を悩ませていると、そばで様子を見ていたオリヴィエが前に進み出た。


「流星、私が変わりましょうか?」

 そして天使像のように整った顔に、天上のものと見紛うほどの笑顔を浮かべ、海に微笑みかける。海がはっと息を呑むのが、傍目で見ていても分かった。少しは警戒心を解いてくれたらと思ったが、どうやら効果はそれ以上にあったらしく、真っ赤になって俯いてしまった。


「私はオリヴィエ=ノアと言います」

「し……神父、さん……?」

「ええ、そうです。あなたの名前を聞いてもいいですか?」

「あ、はい……琴原海、です」


 俯きながらも、海は答える。すると、オリヴィエは海に近づいて行き、背中にそっと手を添えると、優しくさすり始めた。それがあまりにも澱みなく、自然体すぎる動きだったので、海は反応する事すら忘れてされるがままになってしまう。


 オリヴィエはそういった身のこなしがうまい。相手の懐に、するりと入ってしまうのだ。どんなに警戒心の強い人間でも拒むのを忘れてしまうほどに。

 それは相手の背後を取ることに長けた奈落や、気配を消すことのうまい神狼とは違った、一つの特技だと、流星は思う。


「……随分汚れていますね。怖い思いをしたのでしょう。ここまで、大変でしたね」

「………! はい……」

 海はみるみる表情を崩し、大粒の涙を両目に浮かべる。唇を噛み締め、何とか嗚咽を呑み込むと、こくりと一つ頷いた。

 オリヴィエはそれを包み込むようにふわりとほほ笑み、言葉を続ける。

「一緒に我々の事務所へ行きましょう。そこなら安全ですよ。シャワー室やキッチンもありますし泊まる事もできるんです。今後の見通しが立つまで、滞在したらいいのではないかと思うのですが……それでも構いませんか?」


 海は再び大人しく頷いた。先ほどまでとは違い、完全に警戒心を解いている。

 流星は何となく、妙な脱力感を覚えた。

「いやー、このコミュ力の差は、いろいろと軽くヘコむなー……」

「放っておけ。あれもどうせ、聖職者の『仕事』の一つだろ」 


 完全に小馬鹿にしたような奈落の声に、オリヴィエは笑顔で凄む。

「そういうあなたは、どうやら初対面の人間を恐怖のどん底に突き落とすのが仕事のようですね?」

「俺はお前と違って、同情の安売りをしたり、いちいち嘆き悲しむパフォーマンスを見せたりする必要がないんでな」


「何ですって? まったく……あのような酷い光景を見て、あなたは何も心が動かされないというのですか⁉」

「くだらねえ。ゴーストの死に興味などない」

「よく言いますね、人間にだってさして興味はないくせに……」

「他人に依存する生き方はしない主義なんでな」

「そうですか。私には、一匹狼の僻みにしか聞こえませんが……気のせいでしょうか?」


 オリヴィエの笑顔は海に向けていたものと全く同じものだが、声には強い皮肉の調子が含まれていた。

対する奈落も、一歩も引く様子はない。

 放っておいたらいつまでも悪口雑言の応酬を繰り広げそうな二人に呆れつつ、マリアと赤神がすぐさま間に割って入る。


「うおーい、そこら辺にしとけよ」

「そーよ、海ちゃんがまた警戒態勢に戻っちゃってんじゃない」

 

 見ると、海は両手を胸元で握りしめ、フルフルと涙目で震えている。まるで雨の日に捨てられた子犬のような悲しい目だ。よほど耐性がないのだろう。気の毒だが、慣れてもらうしかない。


 流星は仕切り直しをするがごとく、指示を出し始めた。

「オリヴィエは彼女を事務所まで連れて行ってやってくれ」

「分かりました」

「シロも一緒に行く!」

 流星は頷く。そして最後に奈落に向かって言った。

「奈落、俺たちは神狼を追うぞ。マリア、ナビを頼む」

「りょーかい!」


 ここで一行は二手に分かれることになった。流星と奈落、シロの三人は神狼を追って深雪の救援に向かう。一方、オリビエたちも流星らとは反対側――事務所に向かって動き出す。


「海ちゃん、行きましょ!」

 マリアが励ますようにくるりと回転し、オリヴィエもそれに頷いた。

「後もう少しで、事務所ですから。そこまで行けば、安全ですよ」

「は、はい……!」

 元の柔和な雰囲気に戻ったオリヴィエに、海はようやく警戒を解く。そして、どうにか歩き出した。


 やっと安全な場所に移動することができそうだという予感が、彼女の唯一の支えだった。《東京》に入ってから歩き詰めの走り詰めで、とうに体力は底を尽きかけている筈だったが、それでも彼女のつぶらな目には安堵と希望の灯が点っていた。





 事務所の面々が一斉に行動を再開したころ、乙葉マリアもまた動き出していた。


 と言っても、深雪や流星らの周囲でちょろまかと動いているウサギのマスコットは、電脳空間を介して操っている彼女のアバター(分身)だ。彼女の『本体』は別にある。


 マリアもまた、東雲六道に雇われたゴーストの一人だった。彼女のアニムス、《ドッペルゲンガー》は電脳空間と親和性が高い。

 それは、電脳空間にAI搭載の情報処理プログラム――つまり、もう一人の自分を創り出すことができる能力だった。


 しかもマリアは、ハッカーとしての長年の経験により、その《ドッペルゲンガー》を増殖させ、最大七体にまで増やすことができる。そしてなお、それらを完全且つ同時に支配することが可能だった。


 その結果、彼女はシロと流星に別々の対応をしつつ、囚人護送船よもつひらさかの乗船名簿及び東京特別収容区収監者名簿や、事件現場近辺に設置された防犯ビデオのメモリを一つ一つ丁寧に漁り、容疑者を割り出す――といった煩雑な作業をこなす事がほぼ同時に可能なのだった。


 マリアの特徴はそれらにスパコンのような巨大な演算装置を必要としない、ということだ。おかげで家庭用のパソコンのような、ごく簡素な装置(デバイス)でそれらを実行することができる。例えば、東雲探偵事務所の地下――といった極小空間でも、十分仕事が成り立つのだった。


 流星とオリヴィエらがそれぞれ移動している間にも、電脳空間ではマリアの可愛いアバター(分身)たちが、甲斐甲斐しくせっせと有用な情報を収集してくる。そしてそれらは分かりやすい報告書としてまとめられ、次々とマリアの脳内に送信された。

 それらを一つ一つ改めながら、マリアはにやりと笑みを漏らす。作業に没頭した時のいつもの癖で、思わず思考をそのまま口にしていた。


「成る程……先ほどの接触からしても、相手の人数は四。霧で霞んじゃってるけど……んふーん、顏はバッチリね。海ちゃんの話から、こないだの囚人船の入港の際に入獄してきた奴らでほぼ間違いないからっと……。あんた達の氏素性なんて、あたしにかかればアソコもココも真っ裸同然よ~! 


 ……ホイ来た! どれどれ……ミリタリージャケットを着たのが高山尚樹、やたらと体格がいいのが大石瑛太、ね。あとは酒井匠に、小西健太郎――と。

 なーんだ、こいつらも囚人船でたまたま同室だったってだけの、寄せ集めじゃない。それぞれのアニムスは、と……ふむふむ、なるほどねえ~。情報さえあれば、大したことない奴らじゃない。

 こんなの楽勝……」


 ぶつぶつと不気味につぶやくマリア。しかし神狼からの通信が、彼女の思考をぶった切る。

「マリア!」

「どう、神狼? いた?」

 神狼には深雪の援護に向かってもらっていた。うまくすれば、犯人たちの足止めも可能な筈だ。しかし、神狼の答えはそれらの期待を裏切るものだった。


「いや、いない」

「……どういう事?」

「指定された場所、誰もいない。敵も、逃げたヘタレも、両方いない」

「深雪っちも? ……ふうん、そう言うコト。

 ――うまくこっちの裏をかいて、立ち回ってるつもりかもしれないけど……甘いわよぉ? 優秀な猟犬は、獲物を走らせて疲労させた後、一気に仕留めにかかるものよ。本当の《狩り》ってのを、教えてあげるわ……‼」


 マリアの声には正義感の他に、まるでゲームに興じる無邪気な少年のような、妙な熱があった。


 彼女は、東雲探偵事務所の情報収集のみならず、作戦立案をも担っている。もちろん、最終的な判断や指示を下すのは流星であり、その上に立つ六道だ。だが、情報収集だけではゲームは面白くならない。


 肝心なのは、それらの情報を用いてどのように勝つか、だ。そして事務所の他のメンバーは、マリアにとって彼女のゲームを成立させるための手駒でしかない。


 これからがまさにマリアにとって真骨頂なのだった。


 彼女の意思を敏感に汲み取り、ウサギのアバター(分身)たちは一斉に電脳空間に散っていく。彼女らに下った指令は、ある複数の端末――そのアドレスと暗証番号を割り出すことだった。




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