第11話 亜希たちの過去①
深雪がそう言い返すと、奈落は芯から呆れ果てたようにすっと目を細めた。そして、何ら感情を差し挟まない乾ききった口調で突きつける。
「……。お前、本当に《死刑執行人》だという自覚はあるんだろうな?」
「ど……どういう意味だよ?」
「時と場合によっては、お前はその『オトモダチ』を自らの手で屠らねばならない。それを理解しているのかと言っているんだ」
「……‼ それは……!」
どれだけ深雪がその人物を好こうとも、《リスト登録》されてしまったなら、《死刑執行人》として狩らねばならない。相手が亜希や銀賀、静紅――或いは、例え真澄や火矛威であったとしても。
その事実が頭になかったわけではない。ただ、正直に言って、実感には乏しかった。奈落は深雪のそういった本心を、見透かしたかのように付け加える。
「人脈づくりはいい。だが、深入りはするな。でなければ、裏切られるか壊れるかの、どちらかだ」
「……」
(『壊れる』って……友人関係が? いや……)
――自分自身が、か。
ゴーストを専門に狩る傭兵だった奈落の言うことだけに、その言葉には重みがあった。奈落本人がそういった思いをしたことがあるのかどうかは、分からない。だが少なくとも、精神を病み、再起不能になった者は何人も見てきたのだろう。
それが奈落の忠告であることは、さすがの深雪にも分かった。いつもの皮肉や揶揄ではない。深雪の身を案じての言葉だろう。そんな忠告に噛みつくほど、深雪も子供ではない。
反論する言葉を失い、悄然としていると、そんな深雪を庇おうとするかのように、シロが口を開いた。
「シロ……亜希にお話ししてみるよ。ちゃんとお話ししたら、亜希も分かってくれると思うから」
シロが行けば、さすがに亜希も邪険にはしないかもしれない。だが、深雪にとってそれが嫌な役目であるのと同様に、シロにとっても苦痛を伴う役目だろう。ただでさえ、シロは《ニーズヘッグ》から追い出されたことを今でも引き摺っているのだ。そんな酷な仕事を押し付けるような真似をするわけにはいかない。そう思った深雪は、すぐに顔を上げて言った。
「いや、俺が行く」
「ユキ、でも……!」
「俺が……俺が、自分で行きたいんだ」
そうして、深雪は、喫茶店に向かう事となったのだった。そこでバイトをしているという、竜ケ崎亜希に会うために。
シロは事務所に置いてきた為、深雪は一人だ。歩いている間に、何度も脳内で用件を切り出す前口上を考えてみた。だが、結局なにも思いつかずに、途轍もなく気が重いままだった。
(どんなに言葉を尽くしたところで、《ニーズヘッグ》を巻き込むことに変わりはない。どう納得してもらえばいいのか……)
しかし、もしここで深雪が行かなければ、流星やマリアが乗り出してくるだろう。彼らがどういった手段を用いるか。全ては、「あたしたちが脅して命令するより」という、マリアの言葉が表す通りだ。
相手の弱みを見つけ、それをネタに強請り、思いのままに操る。それが彼女の常套手段だ。そんな事になるよりは、深雪が言って話をした方が幾分かマシであるような気がした。
――そう、例え結果が変わらずとも。
冗談じゃないという反発も、何を考えているんだ、ふざけるなという批判も、深雪は甘んじて受けるつもりだった。
やがて辿り着いた、喫茶店は、昭和テイストの濃く残る、古き良き喫茶店だった。レンガの壁には蔦が這わせてあり、スモークのかかったガラス窓の扉からは、暖色系の明かりが漏れ出している。建物自体はそれほど古くは無く、築二十年くらいだろうから、そういう趣向の店なのだろう。
聞くところによると、亜希は週に何日か、そこでバイトをしているという。
スモークガラスの扉を開くと、からんからん、と音がし、珈琲の匂いが漂ってきた。
顔を覗かせたのは、口元にひげを蓄えた強面の壮年男性と、猫のような吊り上がり気味の瞳をした小柄な少年、竜ケ崎亜希だ。
「いらっしゃいませー」
「あれ……深雪?」
亜希はどうしてここに深雪がいるのかと、驚いた様子だ。しかし、大きな目元には、すぐに微笑が浮かぶ。亜希に歓迎されている――その事実に一瞬ほっとしたものの、これから話さねばならないことを考えると、それが逆に胸に鋭く突き刺さるようだった。
「亜希……」ぎこちない笑顔を返す深雪に、亜希は近づいてくる。
「どうしたの、わざわざこんなところに」
「ちょっと話があって……まだバイト?」
「うん。あともうちょっとで終わるけど……」
そんな会話を交わしていると、カウンターの向こうにある厨房の壮年男性――おそらく、この店のマスターだろう――が、亜希に声をかけてきた。
「……おーい、亜希。今日はもう上がっていいぞ。客もいねえし、あと十分ちょいだろ」
マスターは、深雪と亜希に気を使ってくれたのだろう。深雪の様子から、込み入った話であると察したのかもしれない。無愛想だったが、人の良い人物だと深雪は感じた。
「分かったよ、マスター。……ちょっと待ってて」
微笑んでそう言い残すと、亜希はいったん店の奥へ引っ込んでいく。そして身支度を終えると、再び店内へと戻ってきた。それからマスターに挨拶をしてから、深雪と共に《タム・リン》を後にする。
深雪と亜希は二人並んで、街の中を歩いた。亜希はこれから《ニーズヘッグ》がいつもたむろしている拠点に戻るという。そこで深雪もそれに同行することにした。
「よく《タム・リン》でバイトしてるって分かったね」
亜希は不思議そうな顔をする。深雪は数度、瞬きをすると、ポツリと答えた。
「……シロから聞いたんだ」
「そう言えば……シロはどうしたの? いつも一緒なのに」
「うん……今日はちょっと」
深雪はこれから《カオナシ》との協力を亜希に打診しなければならないが、それはシロにとっては、辛い話題になるかもしれない。だから、連れてこなかったのだ。
気まずくなって言葉を詰まらせる深雪の顔を、亜希の猫のように吊り上がった瞳がじっと見つめる。その目に見つめられていると、何だか何もかも見透かされているような感覚になって、深雪は慌てて話題を変更した。
「いつもあそこで……《タム・リン》でバイトしてるのか。店長さんは人間だよね?」
「うん。息子さんがゴーストで、何年か前に抗争に巻き込まれて死んだんだって。だからゴーストにはある程度、免疫のある人なんだ。……と言っても、俺のことを受け入れてもらうには何年もかかったし、結構苦労したけど」
「そんなにまでして、どうして……無理しなくても、人間と接しない仕事は他にもあるんじゃないの?」
おまけに《タム・リン》はお世辞にも流行っているとは言い難く、どちらかと言うと地元密着型の喫茶店であるようだし、割のいい仕事は他にいくらでもあるだろう。深雪はそう思ったのだが、亜希には亜希の思惑があるらしく、静かに微笑んで言った。
「情報を得るためだよ。あの店の客は殆どアニムスの無い普通の人ばかりで、いろんな噂が入ってくるんだ。彼らには彼らの情報網みたいなのがある。この街にいるのはゴーストだけじゃないからね。うちのチームは人数の割に戦闘人員が少ない。……っていうより、小さな子どもが他所より多いんだけど。とにかく、僅かな判断ミスが致命傷になる。だから、情報が何より大事なんだ。正確な判断は、正確な情報の上でしか成り立たないものだから」
深雪は成る程、と相槌を打つ。《ニーズヘッグ》は武闘派ではない。銀賀のような戦闘員もいるようだが、抗争にも消極的で、薬物売買にも手を出していない。だからこそ、別の強みが必要となるのだろう。
「そうか……。でも、その間はどうしてるんだ?」
「副頭の銀賀に任せてるよ。その方が……僕に何かあった時、みんなも困らないだろうしね」
深雪はそれを黙って聞きつつ、僅かな焦りを覚えていた。
(……。これは……かなり手強いんじゃないかな……)
《ニーズヘッグ》はかなり慎重だ。情報収集を疎かにせず、危険な仕事には決して手を出さず、頭に何かあった時のことまで常に考えている。武闘派でないからこそ、常に周囲を警戒し、賢く立ち回らねばならないという思いが強いのだろう。
そんな彼らに、どうやって《Ciel》調査の協力を切り出せばよいのだろう。
悩んでいると、ふと、道端で蹲っている少年少女の姿が目に入った。四肢を投げ出し、傍目にも無気力な様子が見てとれる。明らかに様子がおかしい。虚ろな目で痩せこけ、顔色も悪く、何事かぶつぶつと呟いている者もいる。だらりと地面に下ろした手には、空になった錠剤の包装シートが握られていた。
「……《Ciel》の中毒者か」
深雪は眉根を寄せた。最近は、路上であのような中毒者を見かけることが増えた。この《監獄都市》にやって来たばかりの頃には見なかった光景だ。それだけ、薬物汚染が拡散し深刻化していることの証左だろう。亜希も、表情を曇らせる。
「あれ、かなり出回ってるね。うちのメンバーも何人か手を出していて……僕や銀賀、静紅で注意喚起を徹底しているんだけど、大所帯なだけに目が行き届かなくてね。苦労させられてるよ」
「それは……深刻だな」
「あれで随分、稼いでるチームもいるみたいだね。それと並行して、《監獄都市》内部で重火器の密輸や売買が活発になってる。《Ciel》で潤っているところが、それを戦力増強に回しているんだ。ゴーストと言えども、銃撃を受けたら、さすがに無傷ではいられないからね。まあ、そういうのが平気なアニムスもあるけど……でも、皆がみな、そういう能力に恵まれているわけじゃない」
「亜希……」
それは初耳だった。確かに薬物も怖いが、銃器の蔓延も十分に怖い。アニムスでさえ苦労させられているというのに、この状況に重火器が加わったら、《監獄都市》がまさに血みどろの地獄と化してしまう。そしてそれに対する恐怖や危機感は、ストリートで生きる亜希たちの方が、ずっと深刻なのだろう。
「……資金力の差は容易に戦力格差につながる。うちは今まで何とか平穏にやって来れたけど、これからはどうなるか……」
亜希はそう言って溜息をついた。それを見た深雪は、強い不安に襲われる。
(この事態は、他人事じゃないな……)
《中立地帯》が不安定化すれば、《死刑執行人》である深雪たちも、決して無関係ではいられない。この閉鎖された《監獄都市》は、さまざまな勢力による微妙なパワーバランスの上に成り立っており、どこかでそのバランスが崩れれば、すぐに大きな波紋となって全体に広がっていくからだ。
そして、今まさに深雪は、今まで保たれていた平衡が足元から少しずつ崩れ始めているような、心もとない感覚に襲われているのだった。
深雪が黙り込むと、亜希は空気を悪くしてしまったと思ったのか、気を利かせて話題を転換させた。
「ところで……話って何?」
「ああ、うん。それが……」
言いかけた深雪は、途中で黙り込む。先ほどの話を聞いた後では、尚更、協力を切り出しにくかった。亜希は言葉を濁す深雪を、じっと見つめる。
「……。言いにくい事なんだ?」
「……ごめん」
「いや、いいよ。うちの事務所、もうすぐだし、良かったらそこで話そう」
十分ほど歩いただろうか。《ニーズヘッグ》の拠点は、路地から少し入ったところにある四階建て雑居ビルの一階にあった。元は何かの事務所が入っていたのを、改装したらしい。そのビルの二階や三階にある部屋も、殆どが《ニーズヘッグ》のものなのだという。
亜希と共にその事務所の扉を潜ると、すぐそこにはパテーションで区切られた応接室があり、さらに奥は広々としていた。壁際に事務机や電話、パソコンなどがあるが、あくまで必要最低限だ。冷蔵庫や台所、簡易キッチン、食器棚まであり、ちょうど事務所と学童保育所の中間みたいな作りになっている。
学童保育所に似た印象を受けるのは、子供の姿が多くみられるせいもあるだろう。上は高校生から下は小学校低学年くらいまで、女の子の数も多い。ゴン、タクミ、エリの悪ガキ三人組の姿もある。子供たちは深雪と亜希の姿に気づくと、口々に声を上げて出迎えた。
「あ、亜希だ!」
「おかえりっ!」
「おかえりー‼」
「誰かいる!」
「あいつ、知ってるぞ! シロのオトコだ!」
「だから違うっての!」
深雪が反論すると、ゴンとタクミ、エリたち三人組は、嬉しそうに、うししししし、と笑う。からかわれているのは分かっているが、かと言って黙っていると何を言われるか分からない。まったく、困った悪ガキ三人組だ。
次いで二人に近寄ってきたのは、クールな眼鏡少女、皆森静紅だった。
「おかえり、亜希」
「ただいま」
すると、ピンクのモヒカン頭がトレードマークの、鬼塚銀賀も亜希の元へやって来る。銀賀は「よう、お疲れ」と亜希に声をかけると、次に意外そうな表情になり、深雪にも声をかけてきた。
「お、深雪も一緒だったのか。っつか、シロはどうしたよ? いつも二人くっついて動いてんのに」
「ああうん、ちょっと……今日は一緒じゃないんだ」
歯切れの悪い返答に、銀賀と静紅は疑問符を浮かべ、互いに顔を見合わせる。
「そうなの。深雪はここに来るの、初めてよね?」
静紅に声をかけられた深雪が、躊躇しつつ頷いていると、亜希がさりげなくフォローする。
「《タム・リン》まで来てくれたんだ。……はい、チビたち。これおみやげ」
亜希は店で残ったというピザを子供たちに手渡した。アルミ箔に包んで、ビニール袋に入れ、《タム・リン》から持ち帰ったのだ。子供たちは《タム・リン》のピザが好物らしく、口々に歓声を上げる。
「わーい!」
「やったあ!」
「えーじ、お皿お皿! お皿持ってきて!」
「あーはいはい、ちょっと待っててねーっと」
子どもたちに服を引っ張られ、少々、困ったように立ち尽くしているのは、二十とそこらの青年だった。誰かと思えば、久藤だ。《監獄都市》へと収監される際、囚人護送船で同じ部屋に居合わせ、それ以降、何かと縁のある青年だ。久藤衛士というのがフルネームらしい。
久藤は壁際にある木製の食器棚から皿を数枚取り出すと、それを子供たちに手渡す。そして深雪の視線に気づいて会釈をしてきた。
「あ、ども。お久しぶりっス!」
「やあ。調子はどう?」
深雪が尋ねると、久藤は嬉しそうに破顔した。「ええ、何とか。銀賀さんや静紅さんにも良くしてもらって……それもこれも雨宮さんのおかげっす……!」
久藤に《ニーズヘッグ》を紹介したのは深雪だった。久藤はゴーストだが、《監獄都市》に収監されたばかりでどのチームにも属しておらず、心細い思いをしていたという。《ニーズヘッグ》なら健全なチーム運営をしているし、犯罪に巻き込まれたり、或いは身を危険に晒すようなことも無いだろうと判断して、亜希と相談した上で紹介したのだ。
よほど嬉しかったのか、涙すら滲ませる久藤に、深雪もつい苦笑してしまう。
「大袈裟だな。……でも、力になれたみたいで良かった」
久藤も慣れない《監獄都市》で不安な思いをしているようだった。だから、それが払拭できたのなら、深雪としても喜ばしい限りだ。
やがて子供たちの興奮が一段落ついたころを見計らい、亜希が声を上げた。
「チビたちは向こうに行ってな。ちょっとお話があるから」
亜希はそう言うと、静紅に目配せを送る。静紅はその意を汲み取ったのか、小さく頷く。そして、手を叩いて小さな子どもたちを誘導し始めた。
「ほーら、行くよ」
「はーい!」
「あ、それ俺のぶんだぞ‼」
「はいはい、喧嘩しないの」
一行は、奥の扉から廊下へと出て行く。どうやらそこから上の階に上がることができるらしい。賑やかな話声が、徐々に上へと移動していく。一階の事務所に残ったのは、深雪と副頭の銀賀、そして亜希の三人だけだ。
亜希は深雪を応接スペースへと誘った。亜希と銀賀が隣り合って座り、テーブルを挟んで反対側に深雪が座る。
「……それで? 話って何?」
亜希は深雪に向かって身を乗り出すと、単刀直入に尋ねてきた。いよいよ話すしかない――深雪は覚悟し、口を開く。
「……実は、協力して欲しいことがあるんだ」
「協力? 何をだよ?」
そう返す銀河の表情は、実に不思議そうだ。深雪が彼らを厄介事に巻き込もうとしているなどとは思いもしないのだろう。深雪は今更の如く、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「それは……」
「《死刑執行人》の仕事に協力して欲しい……そういう事だよね?」
亜希はある程度、予測を立てていたのか、さらりとそう指摘した。深雪は、気まずい表情で頷きを返す。一方、銀賀はやはり想定外の事らしく、素っ頓狂な声で叫んだ。
「は……《死刑執行人》? 俺たちが!?」
深雪は《Ciel》に関する調査の進捗具合を二人に説明した。《サイトウ》の件や《カオナシ》のこと、《イフリート》の存在も全て包み隠さず打ち明ける。すると、銀賀は更に驚いたような声を上げた。
「《イフリート》って……あの全身火に包まれてるって奴のことかぁ!?」
「知ってるの?」
深雪が尋ねると、銀賀は「ああ」、と返事をする。「実際に見たことはねーけど……スゲー噂になってんぞ! あいつ、《Ciel》の関係者だったのか!?」




