第7話 アーケード街の激戦②
「……‼」
神狼は目を見開いた。神狼は以前に一度、深雪が《第二の能力》を使うところを目撃している。だから、深雪が何をするつもりなのか、すぐに思い当たったようだ。
「一瞬だけでもいい、あいつを覆っている重力障壁さえ、解除させられたら……!」
「……分かっタ。援護スル!」
神狼の返事は早かった。こういう時の神狼はまさに阿吽の呼吸で、こちらの意図を素早く汲み取ってくれる。こうして味方になってみると、実に頼もしい存在だ。
以前は事あるごとに深雪を無視し、或いは敵対的な行動を取ってきた神狼だが、《東京中華街》での一軒があって以降、少しずつその態度に変化が見られるようになった。敢えてべたべたと仲良くなることは無いが、少なくとも意味もなく突っかかって来ることはなくなった。
多少は信頼してくれているのだろうかと思うと、やはり嬉しい。
「うごおおおおああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼‼‼」
一方の《サイトウ》は、何度目かの咆哮をあげ、周囲に重力波を叩きこんだ。轟音が響き渡り、地が月面のクレーターのように、次々と激しく抉れていく。その衝撃で多くの瓦礫が宙に舞い、砲弾のように周囲へと降り注ぐと、近隣住人を襲い始める。
「うわああああああああっ!」
「きゃあああっっっ‼」
住民たちはかなり遠巻きにしてこちらの様子を窺っていた。距離は十分あったが、《サイトウ》の《グラビティ》の威力がそれを上回ったのだ。
「くっ………! これは、いけない……!」
オリヴィエが《スティグマ》を発動させつつ、そう呟くのが聞こえてきた。
《サイトウ》のアニムスは、一向に弱まる気配がない。このまま好き放題に暴れさせ続ければ、どれだけオリヴィエたちが奮闘しようとも、人命に被害が出るのは免れないだろう。
いつかは《サイトウ》も力尽きるだろうが、それを悠長に待ってはいられない状況となりつつある。
相手は薬物の効果に任せ、全力以上の力で攻撃してくる。それに対しオリヴィエたちは常に周りの環境に配慮しながらの応戦になる。その為、《サイトウ》を引き付けるだけで精いっぱいになりがちだ。
おまけに、一応の相棒であるはずの不動王奈落は、そういったことには全く注意を払わない性格だ。それどころか、面と向かってオリヴィエに罵声を飛ばしている。
「おい、悠長によそ見をするな!」
「そういうあなたは、もう少し周囲に気を配ってください! あの球体に弾かれた、あなたの銃弾のフォローも、大変なのですよ!?」
オリヴィエがここぞとばかりにくぎを刺すと、奈落は畳みかけるように怒声を飛ばす。
「アホか、そんな余裕があるなら攻撃に回せ! 奴を沈黙させられれば、どの道、終わる! その方が断然、手っ取り早いだろーが‼」
「それはあなたの理屈でしょう? すでにこれだけ被害が拡大しているというのに、それを目にしても何も感じないというのですか!?」
「フン……御高説、傷み入るな! さすが「救う」側の人間は言う事が違う」
「そうですか? あなたこそ、その脳筋思考を、そろそろ本格的に矯正すべきですね!」
奈落の皮肉に、皮肉で応酬するオリヴィエ。互いに、《サイトウ》への攻撃は続けたままだ。とてもそんな言い合いをしている場合ではないように思うが、二人ともどうにも張り合ってしまうらしい。まったく、仲が良いのか悪いのか分からない。
「う……うるっせーんだよ、お前ら……俺を無視して、盛り上がってんじゃねぇぇぇえええええ‼」
重力波の嵐が吹き荒び、ひとしきり爆発を起こすと、《サイトウ》はがくりと前屈みになった。そして、荒々しい呼吸を始める。
「グッ……ぜーっ、はーっ……! ぜーっ、はーっ……‼」
《サイトウ》を守る球体はまだなくなってはいないものの、その中にいる《サイトウ》自身はぐったりとし、肩を荒々しく上下させている。顔色も心なしか青い。オリヴィエはそれを認め、すっとスカイブルーの目を細めた。
「……だいぶ弱ってきましたね」
すると、奈落も《サイトウ》へ鋭利な視線を向ける。
「広範囲に展開するアニムスは、集中力を維持できるかどうかが要となる。精神的に追い詰め続ければ、大抵はやがて自滅する」
どうやら二人とも、このタイミングを待っていたようだ。直接ダメージを与えられないなら、《サイトウ》がアニムスの展開を持続できなくなる状況に追い込むしかない。何の勝算も無く、やたら無闇に攻撃を加え続けていたわけではないのだろう。
そしてそれは、深雪にとってもチャンスだった。深雪は、見るからに弱っている《サイトウ》の眼前へと歩を進める。
「お疲れだね、《サイトウ》さん。そろそろ降参したらどう? 今ならまだ、痛い目には遭わずに済むよ?」
深雪は静かにそう告げるが、《サイトウ》はそれを侮辱、或いは挑発と受け取ったようだ。悔しそうに顔を歪め、唾を吐き捨てる。
「ふ、ふざけんな! てめえら……次から次へと湧いて出やがって……! ざけんじゃねーぞ、誰が降参なんざするかよぉぉぉおおお‼」
《サイトウ》は、くわっと眼を見開き、語気を荒げた。だが、どれだけ叫んでも、先ほどまでのように重力波が発生することはない。それどころか、瞳孔の放つ赤い光量も、徐々に少なくなっている。これまで感情任せにアニムスを使用しいていたが、それは叶わなくなってきているのだ。
《サイトウ》もそれに気づいたのか、初めて不安げな表情を覗かせた。
そして更に追い打ちをかけるかのように、《サイトウ》の背後から声が掛けられる。
「そうか、残念だよ。……一応、忠告はしたからな」
いつの間に背後に人がいたのかと、《サイトウ》はぎょっとして振り向く。そして、そこに立っている人物の顔を見て、更に驚愕の表情を浮かべた。そこに立っている者は、自分の真ん前に立っている人物と全く同じ顔、同じ姿をしていたからだ。
「なっ……!?」
《サイトウ》は、はっきりと狼狽の色を見せた。自分の前方にも後方にも、全く同じ姿をした人間――深雪の姿がある。
もちろん、本物は《サイトウ》の前方にいる深雪だけで、背後にいる深雪は、《ペルソナ》で変身した神狼のものだ。だが、《サイトウ》はそのような事など、知る由もない。
「ど……どうなってんだ? 何で同じ人間が二人もいるんだ……!? ひょっとして、《Heaven》の効果がきれたせいか!?」
俄かに情けない顔になり、《サイトウ》は泣き出しそうなほど顔を歪める。先ほどまで自分の力に酔い痴れていた小さな両眼には、今は恐怖にも似た激しい不安が浮かんでいた。
おそらく《サイトウ》は、《天国系薬物》を心の拠り所にしていたのだろう。それで物理的にアニムスを強化していただけでなく、精神的な安定や自信をも得ていたのだ。
しかし今や、《サイトウ》は明らかに弱体化していた。薬物を用いてアニムスを増強させたことの反動も勿論あるだろう。だが、何より影響しているのは精神状態だ。ゴーストの精神活動は、アニムスの強弱に大きく関わってくる。
見えるはずの無い幻が、薬物から得た自信を損なわせ、それがさらにアニムスを弱めるという悪循環だ。
実際に、幻の存在が更に《サイトウ》の精神へ負荷をかけたのか、重力障壁となっていた球体の膜が、いよいよ薄くなっていく。膨らみ過ぎて弾ける間際のシャボン玉のようだ。
そして、それは深雪たちが待ち焦がれた瞬間でもあった。
「奈落!」
叫ぶオリヴィエに奈落は、「指図すんじゃねえ!」と悪態をつきながら、ハンドガンの引き金を引く。
「く……く……来るなああああああああっ‼」
オリヴィエの《スティグマ》による鞭は、容赦なく《サイトウ》の球体を攻撃した。球体は風船みたいに呆気なくパンと音を立てて弾け、霧散する。
鉄壁の防御壁が消え去ってしまい、《サイトウ》は慌てふためいた。だが間髪置かずに、奈落の放った弾丸が《サイトウ》の肩を抉る。《サイトウ》はその弾みで後方に吹っ飛び、転倒した。そして、背後にいた深雪の足元に倒れ込んできた。
「ぐぎゃぁっ!?」
《サイトウ》は肩を抑え、身を捩った。どうやら薬物の効果が消え去ると共に、痛覚も正常に戻ってきたようだ。目に涙をため、呻いている。
「う……ぐうぅ……!」
最早には抵抗する気力すら残っていないようにも見えたが、油断はできない。いつ再び逆上するか分からないし、他にも薬物を隠し持っているかもしれない。
だから、深雪は当初の予定通り、《第二の能力》を使うことにした。深雪の右の掌に白光が灯り、腕に刻まれた亀裂のような赤い痣に沿って、みるみる広がっていく。そして掌から肩まで達した白い光は、そこで翼のような形状になり、大きく空中に広がった。
「そのアニムスは、お前には過ぎた代物だ。だから……俺が今からそのアニムスを消す」
深雪は腹の底から響く声で、そう宣告した。
「な……何だそれ……何だその光は……? アニムス、なのか……!?」
真っ白い翼の形状をした深雪のアニムスは、煌々と光を放ち、まるで《サイトウ》を断罪するかのように、その姿を照らしている。《サイトウ》もまた畏怖と恐怖、或いは悔恨を含んだ罪人の目で、深雪の発現させたアニムスを見つめていた。完全に圧倒されている様子だ。
オリヴィエと奈落も目を見開いた。
「《サイトウ》を人間に戻そうというわけですか……!」
「確かに……その方がいろいろと情報を引き出しやすいだろうがな」
オリヴィエはともかく、奈落は深雪の《二番目の力》を実際に目にするのは初めてだ。だが、その顔にはそれほど大きな驚きは見られない。おそらく、マリアからすでに情報を仕入れていたのだろう。
肩から広がる光の翼が、最大の大きさに達した。アーケード街の天蓋に届きそうなほどだ。深雪は、かっと両目を見開くと、《サイトウ》に向かって、大きく一歩、踏み込んだ。
「……ゴーストとしてのお前を、俺が殺す。そしてお前は、人間に戻るんだ‼」
「あっ……ひ……! あひゃぁぁぁあああああああっ‼」
その威容に恐怖した《サイトウ》は、尻を地面につけたまま手足をばたつかせ、後ずさりした。そして、ばっと身を翻すと、転げるようにして走りだす。
その先には、アーケード街から路地裏へと延びる細い路地があり、《サイトウ》はその路地へと逃げ込んでいく。
「あいツ……往生際ノ悪い奴メ!」
深雪の変身を解き、元の自分の姿に戻った神狼は、舌打ちをした。
「逃がさない!」
《サイトウ》は《天国系薬物》に関する重要な情報を握っている可能性が高く、絶対に逃すわけにはいかない。深雪は《二番目の能力》を発動させたまま、神狼と共に《サイトウ》の後を追う。
だがその時、《サイトウ》の逃げ込んだ路地の奥から、突如として凄絶な絶叫が上がった。
「ぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼‼」
尋常ではない悲鳴だった。
「何ダ……!?」
「くっ……‼」
深雪と神狼は顔を見合わせると、急いで路地の奥に向かった。すると、そこには信じられない光景が広がっていた。
《サイトウ》は両膝をつき、全身が真っ赤に燃え上がっていた。その《サイトウ》の顔面を右手で掴んでいるのは、同じく全身が火に包まれている男だ。
その男には見覚えがあった。《東京中華街》に潜入した帰りに出くわした《イフリート》だ。
「何ダ、あいツ……?」
「《イフリート》……!?」
どうしてここに《イフリート》が現れたのか。その登場があまりにも唐突で、わけが分からない。混乱しつつも《サイトウ》に目をやるが、既にピクリとも動かず、その体は黒焦げになっている。到底生きているとは思えない。
生きたまま、《イフリート》に焼き殺されたのだ。
ただ、赤いスポーツシューズだけが炎を免れ、その両膝をついた焼死体が、間違いなく《サイトウ》であることを証明していた。
「……やられタ!」
神狼は即座に暗器を取り出し、それを構える。その瞬間、《イフリート》の目が《サイトウ》を離れ、こちらへ向いた。
(何だ……?)
《イフリート》は深雪を見て、僅かに後ずさった。深雪にはそれが、動揺したように見えたような気がしたが、気のせいだろうか。《イフリート》は何も言わず、《サイトウ》の頭部から手を離すと、そのまま身を翻す。
「……オイ、待テ‼」
神狼はすぐさま暗器を投擲したが、《イフリート》の体も炎を噴き上げた。激しい火炎は炎風を生み、それが暗器の勢いをすっかり削いでしまう。
よほど火炎温度が高いのか、地面に落下した金属の暗器は、真っ赤になって煙を上げていた。
《イフリート》はそのまま跳び上がると、忍者のように壁を蹴っていき、ビルとビルの合間に姿を消した。後には、すっかり燃え尽き、横転して煙を上げている、《サイトウ》の焼死体が残されたのみだ。
「クソ! 貴重ナ手掛かりガ……‼」
「……」
神狼は、心の底から悔しそうだった。それは深雪も同じだ。もしアーケード街で《サイトウ》を逃さなかったら、このような形で死なせることもなく、今ごろ作戦通りに捕らえられていたかもしれない。そう思うと、後悔が胸の内に押し寄せる。
だが、それと同じくらい、深雪の中で大きな疑問が湧き上がっていた。
(《イフリート》が《サイトウ》を殺した……? 何故だ……!?)
シロによれば、《イフリート》の存在は少し前から噂になっていたらしい。だがその時は、ただ街中をうろうろするだけで、誰かに危害を加えるような危険な存在ではなかったそうだ。
だから、完全に不意を突かれてしまった。
《イフリート》が《サイトウ》を殺害した理由は分からない。個人的な怨恨か、通り魔的犯行か。それとも、《サイトウ》がそうであるように、《イフリート》も薬物売買と関係があるのか。
そして、気になることがもう一つ。
《東京中華街》の帰りに遭遇した時、《イフリート》は深雪たちの方をじっと見つめていた。たった今、再び出くわした際も、深雪を見て後退りしたような気がする。《イフリート》は深雪を知っているのではないだろうか。
(あれは……ひょっとして、火矛威じゃないのか……?)
今の時点でそれを指し示す証拠は何もない。だが、どうしてもそう思えて仕方ないのだ。
心臓の鼓動が速くなる。深雪は激しい胸騒ぎを感じていた。




