第4話 《リコルヌ》の取引②
深雪の視界が、真っ白に弾けた。
ただでさえ、地下駐車場は薄暗い。そんな中で、突然、それほどまでに凄まじい光量を放たれては、とてもではないが水晶体が対応できず、目を開けてはいられない。
「ぎゃっ!?」
「っがああああああ‼」
小田を始めとする《リコルヌ》のメンバーたちは、篠原の発した閃光を直に眼球に受けてしまったのだろう。口々に悲鳴をあげているのが聞こえてくる。
「こ……これ、篠原サンのアニムスっす! 《ルミネセンス》っていって、とにかく眼にくる能力なんスよ!」
そう解説を加える中谷も、ダメージは免れなかったのか、言葉の合間に呻き声が聞こえる。
《ルミネセンス》――その発光を意味する名称から察するに、人間の視覚を光で一時的に奪うアニムスなのだろう。命を奪われるほど危険なアニムスではないが、視覚が遮断されるので身動きが取れない。
そう言えば篠原は平時、一度もアニムスを使わなかった。篠原にとって、いざという時の隠し玉だったのだろう。
実際、その場で動いているのはアニムス《ルミネセンス》の保持者である篠原と、シールドが黒いヘルメットを被っていたおかげで《ルミネセンス》の直撃を免れた《サイトウ》だけだ。
そして二人は、ほぼ同時に動き出す。
《サイトウ》はバイクに飛び乗ると、すぐにそれを発進させた。篠原も駐車場の隅に停めてあったバイクに乗り、躊躇なくそこを立ち去る。
「くそっ、逃がすか……!」
やはり《ルミネセンス》のせいで視界が朧げなのだろう、流星は目元を歪めつつ、二人に向かって咄嗟に銃口を向けた。ようやく視界が戻って来て、走り出しつつあった深雪は、それに気づいて叫ぶ。
「流星はここの奴らを抑えてて! あいつらは俺が追う!」
「深雪……よし、頼む!」
《レギオン》は一斉に、《リコルヌ》のメンバーを捕らえ始める。篠原の《ルミネセンス》を受けて悶絶しているとはいえ、彼らも皆ゴーストだ。油断は厳禁だし、一斉に捕えるには《レギオン》が最も適任だ。流星も、すぐにその深雪の意図に気づいたのだろう。
一方、まだ視界が定かでない為、時おり瓦礫に足を取られてよろけつつも、深雪は何とか走り続けた。そして地下駐車場の入り口に向かう。
曲がりくねったスロープを登りきったところで、明るい陽光が目に飛び込んできて、深雪は再び目を細める。眼前には左右に路地が伸びていたが、既に《サイトウ》や篠原の姿は見えなくなっていた。
「くそっ……どっちだ!?」
するとちょうどその時、右腕に嵌めた腕輪型の携帯端末に、軽快な音で通信が入る。
「は~い、深雪っち。そろそろあたしの情報が必要なんじゃないの~?」
「マリア!」
「《サイトウ》がただいま絶賛逃亡中のルート、送っとくわ。確認してね~ん!」
空中に浮かび上がったウサギのマスコットは、右足を軸にくるくる回転する。それと同時に、周辺地図が浮かび上がった。その中で二つの赤いアイコンがゆっくりと移動している。《サイトウ》と篠原だ。
「ありがと、恩に着るよ!」
深雪が弾んだ声を出すと、マリアはニタリと邪悪な笑みを浮かべる。
「お礼はいいのよ、お礼は。強いて言うなら……《サイトウ》逃がしたら、超絶恥ずかしい映像、大拡散の刑! ……だからね?」
「……。俺の超絶恥ずかしい映像って……何?」
深雪はドン引きしつつも、気になって尋ねずにはいられなかった。
「ふふ~ん、気になる?」
「まさか……盗撮?」
「何であたしが隠れてこそこそ深雪っちを撮らなきゃいけないのよ!? っていうか、何でもいいのよそういうのは。いくらでも創ることができるんだから。クソコラ・フェイク画像、バンザ~イ!」
ご機嫌ではしゃぐウサギの姿に、ついムカッとする深雪だったが、ここで同じ土俵に上がっては、ますますマリアを勢いづかせてしまうだけだ。今はそんな事に付き合っている場合ではない。そう思って、ここは敢えてスルーすることにした。
「……へえ、そうなんだ。それじゃ、後でね!」
「ちょっ……深雪っちのくせに、何スルーしちゃってくれてんのよ!? ちょっと!?」
マリアの最後の断末魔をきれいに無視し、深雪は容赦なく通信を打ち切る。
(マリアって、意外と『かまってちゃん』なとこあるよな。無視されるのを一番嫌うっていうか)
ともかく、《サイトウ》と篠原の行方を知ることができたのは助かった。それぞれのアイコンの下には、《サイトウ》と篠原の文字が入っている。《サイトウ》は目の前の路地を右に曲がっていったようだ。
(篠原も気にはなるけど…………ここはまず《サイトウ》を押さえないとだよな)
「……深雪!」
ところが、走り出そうとした深雪の目の前に、真上から何かが降ってくる。深雪は「うわっ!?」と仰け反ったが、それがチャイナ服をまとった少年――紅神狼であることを悟り、ほっと胸を撫で下ろす。おそらく、この上の廃ホテルで、深雪が出てくるのを待ち構えていたのだろう。
「神狼!? ……急に降ってくんなよ、びっくりするだろ!」
「お前ガ、ぼやぼやしているからダ。それよリ、お前ハ《サイトウ》を追エ! ……俺ハもう一人の方を追ウ!」
「分かった。無理すんなよ!」
そう声をかけると、神狼はニッと笑顔を見せる。
「……誰に言ってんダ!?」
そして、ワイヤー状の暗器を上空に放つと、向かいのビルの屋上にそれを引っ掛け、信じられない跳躍力で跳び上がり、あっという間に建物の向こうに姿を消してしまった。深雪は目を瞠り、ぽかんとそれを見送っていたが、やがて自然と笑みが零れた。
「神狼、すっかり調子良さそうだな……って、俺もこうしてる場合じゃない。《サイトウ》を追いかけないと……‼」
普通に考えたなら、《サイトウ》には簡単に追い付けないだろう。ただでさえこちらは徒歩で、向こうは二輪なのだ。
だが、おそらく奈落やオリヴィエも既に動いている。彼らの姿が周辺にないのが、何よりの証拠だ。
篠原の《ルミネセンス》によって奪われた視界も、完全に戻ってきた。深雪は、通信機器の地図で《サイトウ》の位置を確認しつつ、後を追って走り出した。
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「ちくしょう、《死刑執行人》だと……!? 冗談じゃねーぞ、だから出来立てほやほやのチームと取引するのは反対だったんだよ、くそっ!」
《サイトウ》はひたすらバイクを走らせ続けていた。
ここまで来たら、さすがの《死刑執行人》も追っては来れないだろう。だが、連中もゴーストだから決して油断はできない。念のため、距離は稼いでおいた方がいい。
入り組んだ路地を抜け、障害物の少ないアーケード街を爆走する。
立ち並ぶ店はどれもシャッターが閉まり、破壊されたり、どぎつい色のスプレーで落書きを施されたりしている。《サイトウ》の目から見ても完全に寂れきっていて、物騒な雰囲気だ。
おまけにところどころに薬物中毒の男性が数人、横たわっている。みな、《Ciel》の餌食になったのだろう。濁った虚ろな目を宙に投げ、ぶつぶつ呟いたり、半開きになった口から涎を垂らしていたりしており、どれも生きることを放棄してしまっているような有様だ。
中にはこちらに向かって手を伸ばす者もいるが、《サイトウ》はバイクなので実際に危害を加えられることはなかった。とは言え、相手はゴーストだと思うとやはり肝が冷える。手が届かなくとも、アニムスで攻撃される可能性は十分あるからだ。
「《カオナシ》の奴……今回の仕事、多少の増給じゃ済まさねーぞ‼」
そんなことを吐き捨てていると、ふとバイクの前方に人影が現れた。黒い軍服を着た長身の男だ。頭髪は白銀色で、右目に黒い眼帯をしている。体格といい、顔つきといい、日本人には見えない。男はアーケード街の脇から悠然と真ん中に向かって歩いて来ると、そこでピタリと止まった。
「何だ、あいつ……!?」
最初は薬物中毒で正気を失ったのかと思ったが、そうではないことにすぐに気づいた。眼帯の男は、《サイトウ》の行く手を遮るかのように立ち塞がり、まるで挑発するかのような隻眼を、じっとこちらに向かって注いでいたからだ。
男はあくまで正気だ。だが、一体、何のつもりなのか。このままでは自身がバイクに轢かれるのは明白なのに。
《サイトウ》は一瞬、眉根を寄せるが、すぐに再びバイクのスピードを上げた。
「誰だか知らねーが、馬鹿な奴だぜ……!」
《サイトウ》はこのまま突っこめば、目の前の軍服の男が、恐れて自分のバイクを避けるだろうと想像していた。だが、その意に反し、男はすっと右手を上げる。その手の中には黒々としたハンドガンが握られており、銃口が凶悪な光を湛えていた。
「なっ……!?」
《サイトウ》が、あっ、と息を呑む間もなく、男は躊躇なく引き金を引いた。《サイトウ》はヘルメットの中で、目を剥くが、両手がハンドルに取られているため、対応できない。
男の放った銃弾は、容赦なく且つ的確にバイクの前輪に命中し、タイヤは、いやに乾いた破裂音を立ててパンクした。そしてその反動を受け、バイクは瞬く間にバランスを失って転倒する。《サイトウ》もまた、その弾みで投げ出された。
「ぐあっ!?」
二百キロ以上ある筈の《サイトウ》のバイクは、まるでその重量が嘘のように、勢いよく回転しつつアーケード街のタイルの上を滑ると、シャッターに激突して派手にクラッシュした。
前輪がねじ曲がり、バッテリーや燃料タンクも変形している。もう二輪車として役には立たないだろう。
だが、それに構う余裕も無く、《サイトウ》も同様にごろごろと床を転がった。その衝撃でヘルメットが吹っ飛んでいく。尖った顎にオールバック、小さな吊り目。《サイトウ》の顔が露わになる。
「ぐ……うう……!」
体の節々が痛んだが、奇跡的に骨折や捻挫といった大怪我はしておらず、何とか身を起こすことができた。顔を上げると、眼帯をした軍服の男は、先ほど立っていた場所から一歩も動かず、冷徹に《サイトウ》の方を眺めている。
(何だ、こいつ……? 何で俺を撃った? 《死刑執行人》の一味か!?)
《サイトウ》は必死で思考を巡らせ、男を観察する。ところが当の男は、煙草を一本取り出し、口に咥えると、悠々と火をつけるではないか。《サイトウ》がむっとしていると、眼帯の男は紫煙を燻らせつつ、口を開く。
「てめえが《サイトウ》か?」
「へ……へへ、さあな……?」
そもそも、《サイトウ》というのは運び屋としての偽名だ。本名は三橋平太という。もっとも、本名は今の仕事仲間には教えていない。《サイトウ》に指示を寄越してくる《カオナシ》すら知らないだろう。だから、自分が黙っていれば素性がばれることはない。
そう考えると、何だか目の前の眼帯より精神的優位に立てたような気がして、《サイトウ》――三橋平太は薄ら笑いを浮かべる。馬鹿め、誰が大人しく答えるものか。
すると眼帯は、さして興味も無さそうに銃を持った右手を持ち上げると、呆気なく引き金を引き、三橋平太の腿に銃弾を撃ち込んだ。
「っっぎゃあッ‼ ッくしょう! 痛え……痛ェよう……‼」
三橋平太は腿を抑え悶絶した。問答無用で突然発砲してくるとは、さすがに想像していなかった。そのせいか、全身を形容しがたい衝撃が貫き、それに伴う怒りも余計に増幅する。
銃弾の穿った傷から血が溢れ、両手の間から滴り落ちていく。歯を食いしばって痛みに耐えていると、眼帯の男とは別の男が路地の向こうから姿を現した。
やけに呼吸が荒いのは、慌てて眼帯の男を追ってきたからだろうか。こいつも眼帯の仲間か――だが、その男の容姿を実際に目にし、三橋平太は驚いて息を呑む。近寄ってきたのは、金髪青眼の、異国の聖職者だったのだ。
神父もまた軍服と同じく長身で、澄み切った透明なスカイブルーの瞳が、この荒れ果てたアーケード街には妙に不釣り合いだった。
(な……何だ……? 今度は神父……!?)
だがその清らかな瞳は、蹲る三橋平太を捉えた瞬間、激怒の色に染まったのだった。そして神父は眼帯の男へ猛然と詰め寄っていく。
「奈落! 何てことを……突然、発砲するなんて! 彼が《サイトウ》でなかったら、どうするつもりなのですか‼」
「どうもしやしねーよ。そん時ぁ、ただの人違いだ」
眼帯は心底どうでも良さそうに神父をあしらった。すると神父は、大仰な仕草でいかにも悩ましげなポーズをして見せる。
「おお、ジーザス……! あなたはただの人違いで、他人の腿を撃ち抜くというのですか!?」
「生きてりゃ、よくある事だろ」
「ありませんよ! ここがどこかの戦場だというならいざ知らず……‼」
「うるせーな。男はみな、なにがしかの戦場で戦ってんだよ」
「そんな、いかにもそれらしいことを言って誤魔化そうとしても、私は騙されませんよ! あなた、ただ確認するのが面倒だっただけでしょう‼」
すると、眼帯はニヤリと不遜な笑みを浮かべた。
「分かってんじゃねーか。ついでに言うと、てめえの相手も死ぬほど面倒臭えんだがな?」
「私だって、好きであなたと組んでいるわけではありません。ただ、あなたのような歩く凶器を野放しにするのは、良心が許さないというだけです!」
神父は悪魔崇拝者でも糾弾するかのような口調で、激しく眼帯に詰め寄った。さすがの不遜な眼帯も少々うんざりしてきたのか、面倒臭そうにその隻眼を眇める。
「ぎゃあぎゃあ言わずとも、こいつは《サイトウ》だ。間違いない」
「……どうしてそう言い切れるのですか?」
「よく見ろ。《サイトウ》って顔してんだろ」
「そうですか? 私には《スズキ》や《タカハシ》という名前の方がしっくりくるように見えますが……」
――何だ、《サイトウ》的な顔って。一体どういう面だ、それは。
三橋平太は内心で思わず突っ込むが、純真な神父は三橋平太の顔をまじまじと覗き込んで来る。だが、次の瞬間、さすがに論点はそこじゃないと気づいたのか、はっとして眼帯の方を振りかぶった。
「って、そうじゃないでしょう! なに適当なことを言っているのですか‼」
この微妙にちぐはぐな二人組が何者かは分からないが、どうやら《Ciel》の運び屋である《サイトウ》を探しているらしい。
つまり、こいつらも地下駐車場で待ち伏せをしていた連中の仲間だということか。
「お……お前らも、ひょっとして《死刑執行人》か……?」
「……!」
三橋平太が尋ねると、神父の方が僅かに目を見開いた。それを見て平太はすぐに己の失態を悟る。それではまるで、ついさっき自分が別の《死刑執行人》に会ったばかりだと自己申告するようなものだ。
そしてそれは、自分がまさに《Ciel》の取引現場にいた《サイトウ》だということを証明することでもある。
それを的確に汲み取ったのか、眼帯は神父に向かって鼻を鳴らして見せた。
「だから言っただろう、こいつは《サイトウ》だと」
「えーえ、良かったですね。人違いでなくて、本・当・に!」
三橋平太は自分で自分を思い切り罵倒してやりたい心境だった。だが、こうなってしまったら、押し通すしかない。
「し、質問に答えろ‼」
威勢よく声を荒げた平太はしかし、すぐに眼帯に銃を突き付けられ、「ヒッ!」と悲鳴をあげる羽目になった。
「人にものを尋ねる時は、自己紹介くらいするんだな。……死にてえか?」
眼帯の声音は相変わらず冷ややかで落ち着いている。だが、それは決して口先だけの牽制ではなく、いざという時には躊躇いなく撃ってくるだろう。実際、先程も腿を撃たれたばかりだ。
神父もそれを熟知しているのか、慌てて止めに入ってくる。
「いけません、奈落! いくら彼がゴーストでも、出血多量で死ぬことは十分あり得るのですよ。我々は《サイトウ》から《Ciel》の情報を聞き出さねばならないのです。そんなことをしたら、全てが水泡に帰してしまいますよ!」
やはりこの二人は、《Ciel》の運び屋を探し出し、情報を引き出そうとしている。おそらく、《サイトウ》を始めとした《Ciel》の元売りを《死刑執行人リスト》――《警視庁指定ゴースト第一級特別指名手配書》に登録し、始末するために。
「くっ……やっぱ《死刑執行人》なんじゃねーか……!」
平太は恨めしさをこれでもかと滲ませて呻くが、眼帯はそれがどうしたと、こちらを見下ろしてくる。
「だったら何だ? どの道、その足じゃてめえは逃げられない。思う存分、吐かせてやる。これからじっくりと……な」
氷のように冷徹な光を浮かべていた眼帯の隻眼に、不意に加虐心が付け足されたのを見てとって、平太は内心で震え上がった。
世の中には、他者を痛めつけるのに全く躊躇の無い種類の人間がいる。相手がどれだけ苦しみ、悲鳴をあげ、のた打ち回っても、平然として危害を加え続けられる人間が。そういった人間を何人も見てきたからこそ分かる。目の前の男も間違いなく、その人種の一人だということを。
そして、そこから逃れる手段は一つしかない。とどのつまり、殺られる前に殺れ、だ。先手を取るしか、方法はない。
平太は眼帯を睨みつける。戦えば、相手もアニムスで容赦なく攻撃してくるだろう。勝てるかどうかは分からない。ただでさえ現状で二対一なのだ。
おまけに、この《死刑執行人》たちには他に仲間もいる。




