第15話 遭遇
「……そして、東京が日本である限り、ゴースト関連法もまた、実態如何に関わらず適用されてしまう……?」
「大せいかーい! ……まあ、そんなこんなでともかくも、警視庁は《リスト》を発行することはできても、それを実行する事はできない。だから、彼らの代わりに刑を執行するものの存在が必要だった」
「それが《死刑執行人》……」
「その通りよ。要するに、人間じゃ法律上ゴーストに手出しできないし、実際に殺すのもタイヘンだから、この際ゴーストの始末はゴーストにさせちゃおうってわけね。
実際、今回もこれだけの事が起きているにも拘らず、警視庁は殆ど動いていない。加害者も被害者もゴーストだから、動けないのよ。
そんな時こそ、《死刑執行人》の出番ってワケ」
「………」
深雪は呆れて言葉も出なかった。
これは、誰かを守るためのシステムではない。どうやったら責任を逃れられるか――ただそれだけを追求した結果、出来上がった仕組みなのだ。
そして無理矢理《死刑執行人》なる存在を生み出すことで、責任逃れの結果生じた〈歪み〉を都合よく解消しようとしている。
説明を聞けば聞くほど、そう思わざるを得ない。
そもそも、その《リスト》とやらは、確かにアニムス値の低いゴースト達に対しては、一定の威嚇効果があるかもしれない。実際、街中で出会った若いゴースト達は、《死刑執行人》の存在を怖れているようだった。
しかし力のあるゴーストに対する効果も、同様に見込めるのだろうか。アニムス値の高いゴーストほど、他のゴーストや人間を恐れなくなる傾向がある。
問題は他にもある。
本来裁く側の《死刑執行人》にも罪を犯す者はいるだろう。私利私欲に走る者もいるだろうし、悪意はなくとも誤った判断をすることもあるだろう。
その場合、一体誰がそれを裁くのか。
《リスト》や《死刑執行人》といった存在が、東京の中で一定の秩序を形成しているとして、それは公正かつ公平であり、誰もが納得でき得るものなのか。
ある種の人々の欺瞞と欲望のために、簡単に捻じ曲げられてしまう類の、脆弱なシステムではないのか。
強い者が正義、弱者は毟り取られ搾取されるだけ――そんな構図が容易に脳裏に浮かぶ。
「まあ、警察もある意味、被害者なんだけどね。《壁》の外の、無知で無責任で無神経な人たちの被害者」
マリアは事も無げにそう言う。それもまた、どこか他人事であると感じるのは、深雪の思い過ごしだろうか。
その時、深雪とマリアの問答をじっと俯いて聞いていた海が、初めて口を開いた。その小動物を思わせるか弱げな双眸には、強い不安と恐怖がくっきりと浮かび上がっている。
「私たち……どうなるんだろ……?」
「海ちゃん……」
胸のあたりで両腕を抱え込む海の背中を、シロがゆっくりと擦る。しかし海は心細くて仕方ないのか、目の端に大きな涙の粒を溜めた。
「自己責任って言われたって、私のアニムスじゃ逃げるのが精いっぱいで、抵抗する力なんて無い……逃げられたのだって、私がたまたま一番前を歩いていて、襲って来た人たちと離れていたから……運が良かっただけ……!
ゴーストだからって、戦えるわけじゃないのに……‼」
「………」
深雪はかける言葉が見つからない。
海の顔はすっかり血の気を失くし、体は小さく震えていた。自分の命が危機に晒されているということを、痛いほど感じているのだろう。
深雪はまだいい。襲われても、対抗手段を持っている。相手に敵わなくとも、逃げ出す時間稼ぎをするくらいはできる。
しかし、それすら不可能なゴーストもいるのだ。
持つ者が持たざる者に何を言えばいいというのか。何を言っても、説得力などない。
深雪が言葉を探している間にも、海は再び青ざめた唇を開く。
「……私、子どもの頃から意志が弱くて……女子高も、本当は行きたくなかったんです。本当は、友達と一緒に共学の高校へ行きたかった。でも、両親の勧めに逆らえなくて……。
そんなだから、ゴーストになっちゃったのかな……? 意気地が無くて、自分の意見も言えないような弱い性格だから……だから、ゴーストになったのかも……!」
「そういう言い方、するなよ」
思わず強く言ってしまい、海はびくりと顔を上げる。しまった、つい勢いで――深雪は慌てて言い添える。
「ご、ごめん……。でも、個人の性格とかはゴーストになるかどうかとは関係ないって言うし……。辛い時はネガティブな方向に行きがちだよ。けど、そんなこと言ってたら自分が惨めになるだけだろ。
あんまり悪い方向に考えない方がいいんじゃないかな。落ち込むだけだから……さ」
海は最初ひどく驚いた顔をしていたが、徐々に表情が和らいでいき、最後に弱々しく微笑んだ。
「え、なに? 俺、おかしなこと、言ったかな?」
「あ、いえ。そうじゃないんです。ただ、何だかまるで……深雪さん自身、最近辛い事があったみたいな感じだなって思って」
「……。うん。家が、無くなっちゃった。多分、俺がゴーストになったせいで」
今度は深雪が弱々しく笑う番だった。海はじっと深雪を見つめる。やがて発した声は、先ほどより幾分落ち着いていた。
「そうだったんですか……。そう……ですよね。ごめんなさい。何だか私、自分だけが可哀想みたいになってたかも。ワケの分からない事ばかりで混乱して……しっかりしなきゃ、ですよね……!」
「シロたちが一緒にいるよ。だから、大丈夫」
柔らかく微笑み、シロは海の手を握る。こういう時の彼女の励ましは、わざとらしさがない。海もそれにつられて微かに笑い、こくりと小さく頷いた。
すると、マリアが意を決したように深雪に提案をする。
「深雪っち、いったん事務所に戻りましょ」
「……! でも……!」
「気持ちは分からなくもないわ。私たちのやり方は随分乱暴だったし、簡単には信じられないのも、受け入れられないってのも分かる。でも今は、あなた一人じゃない。そうでしょ? 海ちゃんを安全な所へ連れて行かなきゃ」
深雪は返事に詰まった。マリアの言うことは正論だ。これ以上に意地を張り、海を危険に晒すのは、深雪のエゴでしかない。シロも懇願するように深雪の顔を覗き込む。
「ユキ、戻ろう?」
「……分かった」
すべてを納得したわけではなかったが、確かに恐怖で震えている海をこのままにしてはおけない。東雲探偵事務所なら、彼女を匿う事もできるだろう。内心ではあまり気は進まなかったが、深雪は海を連れて事務所の方角へと戻る事にした。
そうして、みなで歩き始めた時だった。
(ん……?)
深雪は視界がやけにうっすらと霞んでいるのに気付いた。最初は気のせいかと思ったが、周囲を覆う靄はだんだんその濃さを増していく。
「霧……?」
「こんなに急に霧が出てくるなんて、ヘンなの。雨も降ってないのにね」
シロも不思議そうに首をかしげ、きょろきょろと周囲を見回している。しかし、すぐに頭部の耳が何かを捉えたらしく、ピンと反応した。それと同時に、腰の日本刀に手を伸ばす。
「ユキ、誰かいるよ」
「え……?」
「気を付けて! 周囲に複数のゴースト反応!」
シロに続き、マリアの声にも緊張が走った。丸っこい体で両手を構え、シュシュッとボクシングの素振りのポーズをしてみせる。
「あの人たちだ、あの人たちが近くにいる……!」
叫んだ海の方を振り返ると、再び青ざめ、がくがくと震えている。
「あの人たちって……」
そういえば、海は日本橋辺りで襲われた時、最初に霧が出たと言っていた。これがそうなのだろうか。
深雪は周囲の様子を注意深く探るが、そうしている間にも霧はあっという間に濃くなり、視界は乳白色に包まれていく。
「何だこれ、何も見えない……!」
「ユキ! 相手、すぐそばにいるよ!」
シロは霧の向こうの一点を睨み、ピリピリとした緊張感を漂わせて叫ぶ。
その頃になると、さすがの深雪も異常事態をはっきりと認識していた。これは明らかに自然現象ではない。もたもたしていると、完全に囲まれて手遅れになってしまう。
深雪はシロに向かって声を張り上げた。
「シロ、琴原さんを連れて走るんだ‼」
「……分かった。海ちゃん、行こ!」
シロは頷き、海と手を繋ぐ。
そして、揃って走り出そうとした時だった。
二人の行方を阻むかのように、そいつらは現れた。
「――あは、やだなあ、そんな急いで逃げなくてもいいじゃない」
霧の向こうから響く、甲高い男の声。近づいて来るに連れ、相手の徐々に姿がはっきりしてくる。
それは全部で四人ほどの集団だった。真ん中に、先ほどの甲高い声の主の姿が見える。
年齢は大学生ほどの男で、ラフめのマッシュルームヘアはほとんど白に近い金髪に染められており、中性的な顔立ちによく合っている。細身で、身なりもいい。高そうなミリタリー系のジャケットを羽織っている。海の指摘した通りのものだ。
ニヤついた口元には棒付きキャンディが咥えられていた。
「迷彩柄のジャケット……こいつが……!」
「何よ。ただのガキじゃない」
深雪は注意深く身構える。隣でマリアが気に入らないとばかりに、声を尖らせた。
他には体育会系らしき体格のいい若者や、長髪で猫背のひょろっとした者、そして野球帽にスタジャンを羽織った背の低い者もいる。
一見すると、みなどこかにいそうな普通の若者ばかりだ。
やがて真ん中の、マッシュルームヘアにミリタリー系のジャケットの男がこちらに進み出ると、ナンパでもするような軽いノリで、海に微笑みかけた。
「やあ。さっきも会ったよね。こんなとこにいたんだ?」
海はその男と目が合うと、びくりと身を竦ませる。そして悲鳴の混じった叫び声を上げた。
「こ、この人たちです! 間違いありません‼」
「あはは、君……キャンキャン煩いよ」
ミリタリー系ジャケットを羽織った若者は、にこにことした表情のまま、右手を振りかぶる。そして楽しそうに歪めた瞳の、瞳孔の淵がリング状に赤く瞬いた。
「海ちゃん、伏せて!」
「きゃっ……!」
異変を敏感に察したシロは、海をその場に伏せさせ、腰の日本刀を抜く。それと、男が上空に掲げた右手を振り下ろしたのが同時だった。
その直後、男の右手からヒュオ、と風が唸りを上げて巻き上がり、鋭い音と共に、シロと海を目がけて襲い掛かる。
シロは日本刀の斬圧でそれを一刀の元に斬り伏そうとするが、次の刹那、風は日本刀を打ち砕いてしまった。シロは目を見開く。
「……! シロの狗朧丸が……‼」
「シロ‼」
深雪は足元に転がっていた瓦礫の欠片を掴むと、マッシュルームヘアの男の方に向かって投げた。それが男の足元に着地するタイミングに合わせ、《ランドマイン》を起動して爆発させる。
「おっと……⁉」
しかし若者は後方に軽くジャンプし、それを軽々と避けてしまった。タイミングを上手く計ったつもりの深雪は、男の身のこなしに驚愕する。
よく見ると、男の足元で瓦礫の屑が風に撒かれて渦を作っているのが分かる。どうやら、風を操るのが男の能力であるらしかった。「鋭い風のようなものを感じた」という海の証言とも一致するから、間違いないだろう。
瓦礫の屑を避けたのも、風を使って跳躍力を上げることが出来たゆえだ。
「走れ!」
深雪はシロと海に向かって再び叫ぶ。こいつは、手強い――瞬時にそう悟っていた。それは《ウロボロス》時代にたくさんのゴーストと対峙してきた経験による直感だった。
シロは深雪に向かって頷くと、海の手を取って走り始めた。
マリアがすかさず指示を出す。
「シロ、事務所の方向に向かって走って! 流星たちと合流できるから」
「うん、分かった!」
あまりスピードを出しすぎると、海が付いて来られない。かといって、あまりに遅いと今度は犯人たちに追いつかれてしまう。シロはぎりぎりの速度を調整しながら加速する。彼女と一緒に移動していたマリアがふとあることに気づき、後ろを振り返った。
「あいつら、全然追ってこない……? どうして……」
マリアは眉をひそめた。彼女は最初、犯人たちが海を追って姿を現したのだと思っていた。だから、四人のうち二人はこちらを追うだろうと予想していた。
しかし男たちは、海を追ってこないどころか振り返りもしない。興味すらないようだ。
何故か。
マリアは、はっとする。
「まさか……狙いは、深雪っち⁉」
一方、深雪は男たちに四方をぐるりと囲まれていた。その中でもリーダー格なのであろう、ミリタリー系ジャケットを着用したマッシュルームヘアの若者は、相変わらずアイドルのような愛嬌のある笑顔を浮かべて、ぐるりと囲まれる深雪を眺めていた。
「あは、逃げられちゃった。ま、いいか。……用があるのは君の方だし」
男はにこにこしたまま、深雪に向かって一歩一歩近づいてくる。他の者達もそれに合わせ、じりじりと深雪を囲う輪を狭めてくる。
「な……何……?」
警戒し、思わず後ずさりする深雪。しかし、慎重になっているのは男たちの方も同様であるらしかった。輪を縮めつつも、用心したように会話を交わし合っている。
「おい、さっき、なんか爆発してたよな……?」
「こいつ、何か投げてたじゃん。ヤバいもの持ってんじゃないの~?」
ひょろりと痩せぎすで背が高く、長髪の男と、逆に野球帽をかぶった背の低い男が、続けてそう言った。それを受け三人目の体格のがっしりとした男が、リーダー格のアイドル顔に警告を飛ばす。
「ナオキ、あんま不用意に近づくなよ」
「だーいじょうぶだって! ……手をもいじゃえば、どんな道具でも使えないよ」
ミリタリー系ジャケットの男は、顔面に屈託のない笑顔を浮かべたまま、さらりとそう答えた。
深雪はその言葉を聞いてぎょっと身構える。体格の良い男もさすがに渋面を作った。
「バーカ。それでショック死でもされちゃ、意味ねーだろ! 手加減できねーくせに……」
「あは、バレた? だって切り刻むのって楽しいし~」
冗談か本気か、緊張感も無く談笑する面々。まるで学校帰りの同級生のような雰囲気だ。
彼らが本当に虐殺を行ったとは、俄かには信じられない。
深雪はあくまで警戒しつつ口を開く。
「………。用って、何だよ?」
「君さ、けっこう持ってるらしいじゃん」
男の咥えた、棒付きキャンディの柄が、忙しなく上下する。
「持ってるって……」
「ふふふ、すっとボケんの? 通帳だよ、通帳! ……ゴ利用アリガトウゴザイマシターってさ。
お金が、引きだせちゃうヤツ~!」
深雪は、ぎょっとする。確かに通帳とカードは持っている。口座には、斑鳩科学研究所から報酬として支払われた一千万が振り込まれている筈だ。
だが、それを知っているのは深雪の他に東雲六道、溶けかかった髑髏の刺青を持つゴロツキたち、そして囚人船で同室だった河原、稲葉、久藤の三人だけの筈だ。
東雲六道が彼らとコンタクトがあったとも思えない。ゴロツキたちとの接触の可能性はあるが、それよりも可能性が高いのは――嫌な予感が胸中で膨らんだ。
まさかという思いと、予想が外れてほしいという思いが交錯し、心臓の鼓動を加速度的に速めていく。僅かな躊躇の後、深雪は恐る恐るそれを口にした。
「……どうしてその事を知っている? それを、誰から聞いたんだ!」
「ええ~と……あれ? 誰から聞いたんだっけ、イッシ―?」
マッシュルームヘアは体格の良い男に向かって、無邪気に問う。
「バカ、忘れたのかよ⁉」
「だあーってェ……殺した奴の顏なんて、いちいち見てないよ」
(やはり……⁉)
眉間に皺を寄せ、目を大きく見開く深雪。
すると、それまであどけない笑みを浮かべていた男の目に、すっと鋭利な光が宿った。
それは男の笑みを冷酷極まりないものに彩っていく。まるで深雪の狼狽える反応を嘲笑うかのように。男は体をくねらせ、人差し指を顎の下へともっていく。
「ああ、そうそう。思い出した! 三人組のオッサンだったっけ? ちょーっと痛めつけたら、ヒイヒイ言って逃げ出しちゃって! だっせぇっつーか、マジウケるし~‼ ……だから、さ。
ウザいし、見苦しいから、殺しちゃった~!」
そして、げらげらと笑い始めた。
他の者も、みな薄ら笑いを浮かべている。
一見すると、その姿は町中でたむろして馬鹿話に興じている学生の集団そのものだった。彼らは、学校で起こった興味深い話や同級生のウケ狙いの言動を笑うのと全く同じノリで、人を殺めた話をしている。
それだけに、深雪は怒りと同時に恐怖を感じた。
(こいつら、まともなのは見た目だけだ! 中身は……狂ってる)
ナオキと呼ばれたミリタリージャケットの若者は、相変わらずの薄笑いを顔面に張り付けたまま、演技ぶった大袈裟な動作で両手を広げ、言った。
「さあ~て、と。そんじゃあ、話をもとに戻そっか」
同時に周囲の仲間へと手振りで合図を送る。
「そろそろ、教えてくれるかな? 通帳とカードの在り処、そして口座番号を、ね」
蛇のように両目をぎらつかせる男たち。深雪はぐっと奥歯を噛みしめた。
(来る……!)




