第3話 《リコルヌ》の取引①
やがて《リコルヌ》のメンバーのうち、真ん中にいる若者が見るからに苛々とし始めた。
耳にはゴールドの大きなリング状ピアスをし、それに合わせてか頭髪も金髪だ。眉毛がなく、目つきがやたらと悪いので、妙な迫力のある面立ちをしている。黒いパンツの上には赤いジャージを着用していて、中でも際立って目立っていた。
「……なあ、まだなのかよ。そろそろだろ、指定の時間は」
「あー、まあな」
金髪ピアスの赤ジャージに応えたのは、地味な大学生風の若者だった。縁の細い眼鏡をかけ、チェックのシャツにデニムパンツ。黒い頭髪は、ややぼさぼさ気味だ。口元にほくろがあるが、それ以外は目立って特徴の無い若者だった。
ところが、彼が端末を操作し、上の空で答えたのが気に喰わなかったのか、金髪ピアスは怒気を露わにした。
「こんな時に遅刻しやがってよ、本当に俺たちと取引をする気があるんだろうな!?」
すると、大学生風の若者は、やはり端末に視線を注いだまま淡白な返事を返す。
「焦んなよ、小田。もうすぐ来るって」
「テキトーほざいてんじゃねーよ、篠原! 実際、来ねーじゃねえかよ! もうすぐ来るって保証がどこにあるってんだよ、ああ!?」
金髪ピアス――小田は、巻き舌気味に捲し立てる。すると、端末を凝視していた篠原は、聞こえよがせに鋭く舌打ちをし、わざとらしい口調と共に小田を睨みつけた。
「小田くぅん、ちょっと静かにしてもらえますかねえ? 小田くんのせいで、フンイキ悪くなっちゃってるじゃないですかぁ。すんごいメーワクなんですけどぉ」
「ああ!? 言いたいことがあるならはっきり言えよ‼」
「空気読めっつってんだよ、タコ! てめえのアホみてえに不安定な情緒で、取引を失敗させるつもりか!?」
そう言う篠原の剣幕も、なかなかのものだ。おそらく、彼自身も取引相手の遅刻に、相当に苛ついているのだろう。
小田も篠原を睨み返すが、「けっ!」と唾を吐くと、踵を返す。深雪は離れたところで二人のやり取りを眺めつつ、心底あきれていた。
(見事にばらばらだな。……つっても、結成して一か月も経っていないようなチームなんて、こんなものか)
《リコルヌ》の頭は小田という名の金髪ピアスだが、まだチームをまとめきれていない。それが証拠に、本来部下であるはずの篠原は、事あるごとに小田に楯突いている。
統率力どころか貫禄すらない小田にも問題はあるが、篠原は内心、自分の方がこの《リコルヌ》の頭にふさわしいと考えているのだ。
それもこれも、《リコルヌ》が《Ciel》の取引の為に急遽、結成された、継ぎ接ぎのチームであることに原因があった。
《リコルヌ》には、数か月前、東雲探偵事務所によって壊滅させられたチーム、《タイタン》から逃れてきたチームメンバーがいくらか紛れ込んでいる。
古巣のチームを追われ、別のチームに身を寄せる――そのこと自体は、決して珍しい事ではない。だが《リコルヌ》は他にそういったチームを三つほど吸収しているらしく、一つにまとまりにくい要因となっていた。
これから《リコルヌ》は、《サイトウ》と名乗る運び屋と接触し、《Ciel》の取引を行う予定だった。だがこの様子では、先が思いやられるばかりだ。
小田も篠原も、こういった取引には慣れていない。おそらく、初めての経験なのだ。だから、余裕がないのだろう。
深雪――ここでは、出雲崎と呼ばれている――は、隣に立っている中谷祐司という名の少年に話しかける。
「本当に《Ciel》の運び屋は来るんだろうな?」
「来ますよ、雨宮……じゃなくて、出雲崎さん。連中のよく使う手だそうです。わざと取引場所に遅れてくるんだ。そうやって商売相手を焦らせて、精神的に優位な状態で交渉を始めるんっすよ。《タイタン》にいた時、そう聞いたことがあります」
「……ふうん。相手の運び屋、《サイトウ》ってやつの事、何か知ってるか?」
「いや自分は初めてこういった取引に立ち会うんで……《タイタン》にいた時も、大型の取引は幹部連中が仕切ってたから、ホント、初体験なんす、すみません」
中谷祐司は、《Heaven》という薬物を拡散させていた《タイタン》のメンバーの一人だった。
東雲探偵事務所は中谷を一度は捕えたものの、彼の犯した罪は《リスト入り》するほどの案件ではなく、数日後、すぐに解放となってしまった。
ところが、その時すでに《タイタン》は壊滅していて解散状態に追い込まれていた為、中谷らは帰る場所がない。だからその後、《Ciel》の売買を前提として結成されたばかりの《リコルヌ》に加わったのだ。
《Ciel》は拡散を続けている。もはや、根源を潰す以外に手はない。だから深雪ら東雲探偵事務所は、中谷が《タイタン》で行った悪事のいくつかを不問に付す代わりに、《リコルヌ》への潜入を手伝わせていた。
(神狼は、アニムス抑制剤のおかげで、だいぶ体調が安定してきたみたいだけど、それでもまだ本調子ってほどじゃない。だから、神狼が完全回復するまでの間だけでも、俺が変わりを努めないと……!)
今のところ、計画はうまくいっている。
小田や篠原は、深雪の事を、元のメンバーだった出雲崎だという男だと思っている。
もともと深雪の容姿はこれと言って特徴がなく、「薄らぼんやりして」おり、まさに一般人のそれだ。だから、《リコルヌ》の面々はその設定を信じ切っている。まさか深雪が《死刑執行人》であるなどとは夢にも思っていないだろう。
神狼が潜入の時のポイントや心構えを、いろいろと教えてくれたので、それがだいぶ役に立っている。
「あ、でも……ちょっとうわさは聞いたことありますよ。《Ciel》の運び屋は、顔がないって」
思い出したように口を開く中谷に、深雪は眉を顰める。
「顔が、無い……?」
「いや、顔はあるんですけど、みんなすぐ見たことを忘れるらしいです。そんで、どういう顔だったか誰も思い出せない。だから、《カオナシ》とも呼ばれてますね」
「《カオナシ》……《サイトウ》がそうなのか?」
これから会う予定の《サイトウ》とかいう男がそうなのか。すると中谷は、小さく肩を竦めて見せた。
「あ、いや……《サイトウ》さんのずっと上にいる運び屋じゃないですかね。大物はこういう、継ぎ接ぎだらけの急ごしらえなチームとの取引には、姿を現しませんよ。それに、取引に出てきたとしても、『客』と会うのは一度だけ……後の取引は、下の人間に任せるそうです。やっぱ大物は違いますよね~、やることが」
中谷はしみじみと、憧れの入り混じった感嘆の声を出すが、深雪はそれとは全く別のことを考えていた。
(『客』とすら会うのは一度だけ、か。ずいぶんと警戒心の強い奴だな……。でも、これから会う《サイトウ》ってやつをうまく捕らえることができたら、上にいる《カオナシ》って奴の詳しい情報を、聞き出すことが出来るかもしれない……!)
そして更に《カオナシ》に情報を吐かせることが出れば、《Ciel》の保管役や密輸入者、製造者、そして、それら全部を取り仕切っている黒幕――と言った、元売り組織の深部まで食い込めるきっかけになるかもしれないのだ。
それを考えると、今回深雪が任された、《リコルヌ》への潜入任務は責任重大だった。
(まあ、ここにいるのは俺一人じゃないけど……)
事前の計画通りであるならば、この地下駐車場は既に、東雲探偵事務所の面々によって、ぐるりと包囲されている筈だ。
神狼や奈落を始め、みな気配を決して悟らせない事には長けている。だから、みなの存在は、小田や篠原はおろか、協力させている中谷すら知らない。
もちろん、この場に来る予定の《サイトウ》も知りはしないだろう。
あとは役者が揃うのを待つのみだ。
やがて、地下駐車場に新たなエンジン音が加わった。
微かだが間違いなく聞こえてくるそれに、《リコルヌ》のメンバーは、はっと顔を強張らせた。そして、一斉に入口のスロープへ視線を向ける。
エンジン音は徐々に大きくなり、やがて入口の方から悠然と黒いバイクが入って来た。乗っているのは、全身黒づくめで、更に黒いヘルメットをした男だ。
フルフェイスヘルメットでシールドも黒いので、顔は全く分からない。ただ、全身真っ黒なのに、足元のスポーツシューズだけ、鮮烈に赤かった。
肩から斜めがけにして、妙に膨らんだスポーツバックを提げている。
「あれは……」
「ようやく、来たようだな」
小田と篠原が順に呟いた。一方、深雪も緊張を帯びた視線をヘルメットの男に向ける。
(一人か……不用心だな。これもゴーストならでは、か)
《リコルヌ》と《サイトウ》は、互いに初対面らしい。こういう時、本来なら運び屋も複数で組織だって動くだろう。《リコルヌ》に襲撃され、《Ciel》を力尽くで奪われるリスクを避けるため、ボディガードとなる『兵隊』を連れて動くはずだ。
だが、《サイトウ》はゴーストだからその必要がないのだろう。《リコルヌ》も《サイトウ》のアニムスが何であるか分からない以上、下手に襲い掛かったりはしない。
《サイトウ》は《リコルヌ》の元までバイクを走らせて来ると、数メートル離れたところで止まった。《リコルヌ》のメンバーに、一斉に緊張が走るのが深雪にも伝わってくる。男はそれを知ってか知らずか、バイクに跨ったまま鷹揚に口を開いた。
「お前らが《リコルヌ》だな?」
「そういうてめえは何なんだ? ああ!?」短気な小田が早速噛みつくが、《サイトウ》はそういった事に慣れているらしく、気分を害した様子もない。
「俺が《サイトウ》だ」
「……証拠は?」
「こいつを見ろ」
篠原に問われ、《サイトウ》は肩から下げているスポーツバックを抱え上げて見せた。そしてバッグのジッパーを開け、中身を見せる。
そこには袋詰めされた錠剤が大量に詰め込まれていた。五、六キログラムほどはあるだろうか。それを見た篠原は、鋭利に瞳を光らせる。
「確かなのか? まさかニセもんじゃねーよな?」
「フン……好きなだけ確認しろよ」
《サイトウ》は錠剤の束から一つを取り出すと、篠原に投げて寄越す。篠原はそれをキャッチすると、親しい手下の一人にそれを手渡した。手下は錠剤を一つ取り出し、口に含む。
「篠原さん、間違いありません」
《Ciel》の特徴の一つは、《アニムス抑制剤》が含まれている事だ。それによって、ゴーストが薬物を使用した際、吸収率や即効性が著しく上昇する。だからゴーストであれば、口に含んだだけですぐに真贋が分かるらしい。
確信を得た篠原は、《リコルヌ》のメンバーに頷きを見せるが、唯一、小田のみが、それに激しく食ってかかった。
「ちっ……てめえ、仕切ってんじゃねーよ! 篠原ぁ!」
「黙ってろ、低知能ゴリラが」
「んだとぉ!?」
事ここに至っても、小田と篠原の仲は相変わらずだ。一方の《サイトウ》は、《リコルヌ》の仲間割れに付き合う気は毛頭ないのか、淡々と話しを進める。
「それより、そっちの金は? ちゃんと用意してるんだろうな?」
「当然だ。……おい」
歯を剥きだす小田を押しのけると、篠原は先ほどの手下に指示を飛ばした。手下が小型のジェラルミンケースを取り出し、《サイトウ》へそれを開いて見せる。中には映画かドラマみたいに、札束がぎっしりと並んでいた。
《リコルヌ》が用意した金額は総額三千万だ。薬物の取引額としては、決して大規模とは言えない。だが、彼らが殆ど十代や二十代の若者であり、ここが物理的にも経済的にも閉鎖された《監獄都市》であることを考えると、破格の金額だと言えた。
その資金の多くは、《タイタン》を始めとした前身のチームに残されたものをそれぞれ搔き集め、流用しているものらしい。《リコルヌ》にとっては、まさに現時点での全財産と言っていいだろう。
それを全てこの取引につぎ込もうというのだ。まるで博打だが、それでも《Ciel》は蔓延し続けているし、このところ価格も急騰している。その実態を鑑みて、すぐに取引につぎ込んだ資金を回収できると踏んでいるのだろう。
いや、むしろ成功すれば、二倍、三倍となって返ってくる可能性すらある。
ヘルメットで顔は見えないが、《サイトウ》もジュラルミンケースの中身をしっかりと確認したのだろう。《Ciel》の詰まったスポーツバッグを体の前に回し、膝の上に乗せる。
「……いいだろう。まず、互いの荷物を同時に床に置く。こっちが合図をするから、そうしたら金の入ったケースをこっちに滑らせろ。こっちもブツをそっちへ滑らせる。同時交換だ。いいか?」
「ああ」
「くれぐれも妙な気を起こすなよ。俺の他にも仲間は大勢いるんだぞ」
「分かっている。こっちとしても、あんたらとは末永く取引を続けていきたいからな。早まった行動を取って、それを台無しにしたりはしないさ」
篠原が肩を竦めて答えると、《サイトウ》はバイクから降り、スポーツバックを肩から外す。ヘルメットに遮られて分からないが、その目が注意深く《リコルヌ》のメンバーを見据えているのが、感触で伝わってくる。
だがすぐに、《リコルヌ》がこのまま素直に取引に応じるつもりでいることを察したのか、静かに口を開いた。
「賢明な事だ。……それじゃ、早速いくぞ。いいか? 三、二、一……」
《サイトウ》と篠原たちは睨み合いながら、ゆっくり互いの荷物を地面に下ろす。緊迫感は頂点に達し、凶器となって肌を刺し貫くほどだ。
しかし、篠原たちが鞄を交換しようとした瞬間、鋭い声が響き渡り、《リコルヌ》と《サイトウ》の双方の動きを制した。
「動くな! 全員、両手を上げてその場に伏せろ‼」
「なっ……!?」
「何だあ!?」
《サイトウ》、そして小田や篠原といった《リコルヌ》のメンバーが気付いたときには、周囲を十人近くの真っ黒い人影に囲まれていた。流星のアニムス、《レギオン》だ。
そしてそれと同時に、駐車場の暗がりから流星本人が銃を構え、現れる。まるで瞳を警告灯のように赤く光らせながら。
「誰だてめえ!?」
「《死刑執行人》だ! ……聞こえなかったのか!? 全員手を上げ、その場に伏せろ‼」
流星の警告を聞いた《サイトウ》は、ぎょっとしたように体を強張らせ、次いで《リコルヌ》のメンバーの方を振り返った。
「まさか……てめえら、嵌めやがったな!?」
「ち……違う! 俺たちも知らなかったんだ‼ な……何でこんなところに《死刑執行人》が……!?」
「んなこた、どーでもいいんだよ! 《死刑執行人》だろうと、俺たちの邪魔はさせねえ‼」
おろおろとする篠原の隣で、小田は瞬時に瞳を赤く光らせる。どうやら、瞬発的な判断は小田の方が長けているようだ。
しかし、そのまま暴れさせるわけにはいかない。深雪は死角から小田に掴みかかり、転倒させると、床に押さえつけた。
「てめえ……出雲崎!? 何しやがる‼」
完全に不意打ちだったのだろう。呆気なく転倒し、怒声を放つ小田に、深雪は上から淡々と告げる。
「動くなって言われただろ。言っとくけど、流星にアニムスで抵抗しても無駄だから、諦めた方がいいよ」
「まさか……お前!」驚愕の表情を浮かべる篠原は、及び腰で後退りする。
「俺も《死刑執行人》だよ。悪いけど、潜入してあれこれ調べさせてもらった」
「そうか……てめえが取引の情報を流したのか! この……裏切者がぁぁ‼」
小田は顔を真っ赤にし、喚き散らす。だが、深雪はあくまで冷ややかにそれに応じた。
「裏切者? お前らの仲間になった覚えはないんだけど」
「何だと!?」
「……《Ciel》ありきの組織作りがアダになったな。利害関係の一致だけじゃ、良いチームは作れない。おかげで、こっちは上手く潜り込むことができたよ」
「くっ……‼」
小田は、たいそう悔しそうに歯ぎしりをしたが、逆らっても拘束は解けないと悟り、大人しくなった。それを見た《リコルヌ》の他のメンバーも、次々と戦意を喪失し、項垂れる。
「は~い、それじゃ種明かしが終わったところで、全員、大人しく従ってもらおうか。逆らう奴には容赦しない。お前らもこんな殺風景なところで、真っ赤なトマトみてえに脳天弾けさせたかねえだろう?」
流星は挑発的な笑みを浮かべ、飄々としてそう告げた。一見ふざけているようにも見えるが、やたらと余裕のある態度のせいか、妙な凄みがある。
それを見た《リコルヌ》のメンバーは、一斉にぎくりとした表情をした。完全に場の雰囲気に呑まれてしまっているのだ。
そして、渋々、手を後頭部で組んで、その場にうつ伏せになり始める。
だが、その中で一人だけ警告に従わない者がいた。大学生風の格好をした篠原だ。
「ふ……ふざっけんなよ、冗談じゃねーぞ……! こんなとこで、こんな風に《リスト入り》してたまるかよおおおぉぉ‼」
篠原は狼狽のひどく滲んだ声でそう叫ぶと、瞳を赤く発光させた。
次の瞬間、篠原の全身が眩い光を放つ。深雪たちの視界を照らしているバイクのヘッドライトを、全部合わせて数倍強烈にしたような、途轍もない光量だ。
「な……何だ、この光!?」




