第1話 火矛威と真澄①
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雨宮深雪が《ウロボロス》に思いを馳せる時、二人の少年少女のことを思い出さずにはいられない。
一人は同い年の少年、帯刀 火矛威。
もう一人は、式部真澄だ。
火矛威と真澄は、深雪と最も仲の良かった《ウロボロス》のメンバーだ。
二人とも、結成当初から《ウロボロス》に所属していたこともあり、いつも深雪を含めた三人で行動していた。嬉しい時、悲しい時、或いはゴーストであることを理由に迫害を受け、苦しい時や、街中でわいわい遊ぶ時。いつも三人一緒だった。
十代の人間関係にありがちだが、理屈や論理ではなく、とにかくよく気が合ったのだ。一緒にいると、時間を忘れるほど楽しかった。
真澄は体が生まれつき弱く、そのせいか、どちらかと言うと大人しい少女だった。少し人見知りをするところもあったが、打ち解けると結構おしゃべりで、誰にでも思いやりを持って接する、心の優しい娘だった。
対する火矛威は、単純で喧嘩っ早く、外見も髪を染めていたりいくつもピアスをしていたりと、やんちゃ坊主丸出しだった。一昔前で言う、不良みたいなルックスだったが、それでもそんな格好があまり気にならなかったのは、とても仲間思いで情の厚い、いい奴だったからだろう。
あれは二十一年前、真澄の誕生日の数日前だった。
いつもは竹を割ったように何でもはっきり言う火矛威が、その日はやけにごにょごにょと言葉を濁す。何があったのかと理由を話すようを促してみるが、なかなか口を割ろうとしない。ただ、朝から晩まで不自然なほどそわそわしている。
仕方ないので放置していたら、やっと火矛威の方から話しかけてきた。
「な、なあ……深雪……い、いや、何でもない! 忘れてくれ‼」
火矛威は顔を真っ赤にし、しきりと両手をバタバタと振り回しながら、一人、身悶えていた。深雪はその様子をジト目で見つつ、ぼそりと突っ込む。
「あのさあ、火矛威。俺の気のせいじゃなかったら、そのセリフ、昨日あたりから阿保みたいに何度も耳にしてるような気がするんだけど……気のせいか?」
「だ、だってよう……こんな話……ああくそ、マジ死ぬる!」
火矛威は尚も両手で顔を覆い、奇声を発している。何か深雪に相談したいことがあるようだが、恥ずかしさのあまり言い出せないようだ。
「もう、良いから言ってみろって。そのセリフをエンドレスで聞かされ続ける、俺の精神の方が死ぬるわ」
深雪がややうんざりした口調で言うと、悪かったと思ったのか、火矛威はしゅんと、しおらしくなった。それでも相談の件は諦めきれないらしく、深雪の方へ身を乗り出してくる。顔は相変わらず、茹でだこのように赤い。
「あ、あのさあ……お、お、女へのプレゼントって……何買ったらいいと思う?」
「ああ……真澄の誕生日、三日後だっけ」
深雪がさらりと答えると、火矛威は「ひっ!」と叫んで跳び上がり、弾みで数歩、仰け反った。その顔には、雷に打たれたような驚愕が克明に刻まれている。
「なぁっ!? な……何でそのこと、知ってんだよ!?」
「何でって……《ウロボロス》の他の奴らも、みんな知ってるぞ。多分」
「マジか! 知らんかったのは俺だけか‼」
「っていうか、女の子に何贈るかを、男の俺に聞かれてもなあ……」
「だったら俺、どうすりゃいいんだよ~!?」
火矛威は悩ましげに頭を抱える。
確かに多少、鬱陶しくはあるが、火矛威が真澄を喜ばせたいという気持ち自体は喜ばしいものだし、応援もすべきだ。あまり邪険にしても可哀想だと思い、深雪も真剣に考えてみた。
「真澄は編み物が好きだろ。だから、そういうのがいいんじゃないか? 編み棒とか毛糸とか……」
「手芸か! うああ、何が何だか、さっぱりだぜー‼」
そう言われてみると、深雪もどの糸がいいとか、細かいことはさっぱり分からない。そもそも、女子へのプレゼントを男二人でいくら考えても、いい案が出てくるとは思えない。ここはやはり、本人の意見を参照するのが妥当ではないのか。
「えっと……それなら取り敢えず、真澄本人に聞いてみりゃいいんじゃないかな?」
すると火矛威は、ごにょごにょと言葉を濁し、頬を掻く。
「いやでもよ、こういうのって、サプライズ性が重要ってよく言うだろ?」
「だったら、俺が探ってみるよ。それとなく」
深雪がため息交じりに言うと、火矛威は満面に喜びの笑みを浮かべた。どうやら、深雪がそう言いだすのを待っていたものらしい。
「サンキュー、助かるぜ! 心の友よ‼」
「ったく……そうならそうと、早く言えよな……」
真澄を喜ばせたいのはいいが、あまりにも回りくどすぎる。喜ぶあまり、暑苦しく抱きついてくる火矛威を何とか両手で引き剥がしながら、深雪はそう苦笑したのだった。
(あの時の火矛威、それはもう、トマトみたいに真っ赤な顔してたっけな……。火矛威は真澄のことが好きだったんだ。本人は隠してるみたいだったけど、周囲にはバレバレだった)
真澄が火矛威の事をどう思っていたかは分からない。ただでさえ、女の子の気持ちは深雪には把握し辛いし、深雪も年頃だったから、進んで恋愛の話をしたりはしなかった。
でも、少なくとも真澄が火矛威に悪感情を抱いていないのは確かだった。もしかしたら、真澄も火矛威のことが好きだったのかもしれない。
どちらにしろ、深雪は二人のことを応援するつもりだった。火矛威と真澄は深雪にとって大切な仲間で、二人の幸せが深雪の幸せでもあったのだ。
そして、いよいよ真澄の誕生日の当日。
その日は朝から分厚い雲が空を覆い、しとしとと小雨が降り続いていた。
深雪は羽織ったパーカーのフードを目深に被ると、古びた雑居ビルの狭い階段を降り、地下へと向かった。階段を降りたところにスチール製の厚みのある扉が待ち構えており、そこには赤いスプレー缶で《ウロボロス》とアルファベットで殴り書きされている。
そこは元、カラオケボックスだった場所で、その後、《ウロボロス》のたまり場となった。そのカラオケボックスを経営していたオーナーの息子が、《ウロボロス》の頭だったのだ。もっとも近隣住民は、そのビルにゴーストが入り浸っていることを快く思っていなかったようだったが。
深雪が扉を押して中に入ると、そこには近未来的な空間が広がっていた。内装はカラオケボックスだった時のままだ。
すぐ目の前に今では使われていないカウンターがあり、その左奥には待合席があって、液晶テレビやソファーなど、カラオケボックスの時のまま残されている。もっとも、室内は音楽プレーヤーやスケートボード、バスケットボール、飲みかけのペットボトルなど、《ウロボロス》のメンバーの私物が雑然と置かれていて、近未来な空間の中に生活感を色濃く滲ませていた。
そこで深雪を待ち構えていたのは、真澄と火矛威の二人だ。《ウロボロス》の他のメンバーは出払っているのか、姿が見当たらない。
「ごめん、待った?」
深雪がそう声をかけつつ真澄と火矛威に近づくと、火矛威は露骨に安心した表情をし、頬を緩めた。一方の真澄も笑顔を見せたが、どこか不思議そうな顔をして尋ねてくる。
「……深雪、火矛威、用って何?」
火矛威の奴、真澄を呼び出した理由を説明していなかったのか。深雪は、ほら言えよ、とばかりに火矛威の脇腹をつつく。火矛威はもごもごと口籠っていたが、深雪がさらにつつくと、観念したように口を開いた。
「え、えっとさ……真澄。今日、誕生日だろ?」
「そうだけど……」
「あ、あああああ……あんま気に入らないかもしれねーけどよ、よ、良かったらこれ……!」
そうして火矛威がぶっきらぼうに取り出したのは、三十センチ四方のお洒落な紙袋だった。淡いピンク色をしていて、赤いリボンがついている、ギフトバッグ。一目でプレゼント用と分かる仕様だ。真澄は目を見開いた。
「もしかして、誕生日プレゼント? ありがとう!」
すると、火矛威は顔を真っ赤にして、ぶんぶんと首を横に振る。
「お……おおおお、俺からだけじゃねーし! あくまで、俺と深雪からな!」
深雪は呆れてそれに突っ込んだ。
「何言ってんだよ、俺は選ぶの手伝っただけだし、実質的には火矛威からのプレゼントだろー?」
「ち、違ッ……違うっつーの!」
「違わねーよ。ってか、そこで照れてどーすんだよ!」
火矛威は、見かけはいかにも不良なのに、妙に純情なところがあった。しかもそれがはっきりと顔に出るから、余計におかしい。けれど深雪は、火矛威のそういうところが決して嫌いではなかった。
「ふふ……二人とも、ありがと。すごく嬉しい……!」
真澄は嬉しそうにくすくすと笑い、そのピンクの小箱を受け取った。耳の下あたりで切り揃えた黒髪が儚げに揺れ、ほっそりした首筋が際立つようだった。深雪も思わずどきりとするような、可愛らしい仕草だ。火矛威に至っては動揺を隠しきれずに、ただでさえ赤かった顔をさらに赤くして、大きく仰け反った。
するとその時、火矛威の足がソファーに当たり、その弾みでテレビのリモコンが床に落下する。そして偶然、壁に掛けてある大型のテレビにスイッチが入った。
ちょうど情報番組をやっていたらしく、テレビ画面の中では、女性のアナウンサーと男性のコメンテーターが、やり取りを繰り広げていた。
まず口を開いたのは、はきはきとした口調の女性アナウンサーだ。
「ご覧いただいているのは先週起きたゴースト犯罪の映像です。容疑者……と言っていいのでしょうか。事件を起こしたゴーストらしき女性が暴れている様子が鮮明に映し出されていますね。この事件で男女六人が重軽傷、騒ぎに驚いた八十代の女性一人が転倒し骨折するという大変痛ましい結果となってしまいました」
アナウンサーの説明と共に、動画が映し出された。閑静な住宅街で、突然竜巻が起ったかのように建物や電柱が吹っ飛び、薙ぎ倒されていく。
その中心にいるのは、錯乱した様子の大学生くらいの女性だ。髪を振り乱し、何事か喚いている。顔にはモザイクすら掛けられておらず、女性の血走った異様な眼を、カメラは幾度となく捉えていた。
それに続き、いかにも大学の教授といった風貌の男性コメンテーターが、いやにのんびりした口調で解説を加えていく。
「……ええ。正に恐れていた事態が起きてしまったと、言っていいと思います。今までも全国でこういった事例はいくつか報告されていましたが、今回は舞台が東京ですからね。人口密集率も飛びぬけて高く、地方で起きる事件などとは違って被害は相当深刻なものだと思います」
それを聞いた女性アナウンサーは、演技が勝った仕草で、いかにも沈痛そうな、遺憾だと言わんばかりの表情をして見せた。
「先生はゴースト研究の専門家でいらっしゃるという事なのですが、ゴーストと呼ばれる人々の何が問題なのでしょうか」
「まずは彼らが人知を超えた現象を起こす、という点ですね。今回の事件では機動隊が速やかに容疑者を制圧し事なきを得まして、奇跡的に死者は出なかった訳ですが、これからは警察の手に負えない事件も当然起こって来ると思います」
「そうですね。すでにアメリカやヨーロッパでは軍隊が出動したという例もありますね。日本もそうした対応をとっていくべきなのでしょうか」
「勿論です。被害が大きくなってしまっては手遅れですからね。……ただ、問題はそれだけではありません。ゴーストには人格形成に深刻な問題がある社会不適応者が非常に多いようのです。だから、こうやって些細なことですぐにキレて、暴れ出してしまうのです。
実際イギリスの某国立大学ではゴーストと指定された人々の脳を調査した結果、およそ七割に前頭葉に何らかの異常が見つかったとの報告もあり………」
ゴーストを扱った番組だからだろうか。深雪たちは気づけば、食い入るようにしてその番組を見つめていた。やがて真澄がポツリと呟く。
「……多いよね、最近。こういう番組」
その横顔には、既に笑顔はなく、代わりに濃い不安と脅えの色があった。火矛威も眉間にしわを寄せ、不機嫌そうな表情で吐き捨てる。
「ムカつくぜ……ホントにこのジジイ、専門家なんだろうな!? ゴースト研究してるってんなら、まず俺らに直接会いに来いっての‼」
「……押さえろ、火矛威」
深雪が低い声で宥めると、火矛威は声を荒げて反論する。「だってよ‼」
「こんな番組、見なきゃいいだけだ。マスコミがこうやって不安を煽るのはいつもの事だ。それでメシを食っているんだからな。明日にはどうせ違うネタで騒ぐに決まってる。……いちいち相手にしてたらキリが無い」
折角の楽しい気分を台無しにしたくなくて、深雪はリモコンを持ち上げると、テレビの電源を消した。しかし、一度、重たく沈んでしまった空気が、すぐに払拭できるわけもない。
「何だか嫌な呼び方だね」
悲しそうな顔をしてそう漏らした真澄に、火矛威は「……何がだよ?」と尋ねる。
「《ゴースト》っていう呼び名のこと。幽霊っていう意味でしょう? 生きてないってことだよね。どうしてそんなひどい名前で私たちの事を呼ぶんだろう……? 私たちは……確かにここで生きているのに………」
「そりゃ、決まってるだろ。あいつら、俺たちを居ない存在にしたいんだよ! 無視して蔑んで、排除したいんだ!」
勿論そういった感情もあるだろう。だが深雪は内心で、それだけではない、と呟いていた。
彼らは――アニムスを持たぬ普通の人間たちは、アニムスを持つゴーストが怖いのだ。ゴーストという存在をどう受け止め、自分たちの世界の中に、どの様に落とし込み、組み込んでいいのかが分からない。そういった恐怖と戸惑いが、《ゴースト》という名前に如実に表れているような気がする。
幽霊という概念はみな知っていて、世界中どこにでもあるが、幽霊の存在を公に認めた社会は存在しない。それと同じなのだ。
真澄は何かを思い出したのか、スマートフォンを取り出すと画面をタップし始めた。
「……知ってる? 最近スマホでゴースト探知アプリっていうのがあるの」
「な……何だそりゃ!?」
素っ頓狂な声を上げ、目を剥く火矛威に、真澄はそのアプリを開いて見せる。
「よく分かんないけど……特定の周波数とか当てて、反応がある人はゴーストの可能性があるんだって。学校ですごく流行ってて、ダウンロード数も急激に増えてるんだって」
深雪と火矛威は半信半疑で、そのスマホアプリを覗き込んだ。画面はいかにも学生ウケしそうなショッキングピンクで、「あなたも実はゴーストかも!? 気になる診断方法はコチラ‼」と、ファンシーなポップアップが表示される。どちらかと言うと、占いや自己診断アプリに近い感覚を抱いた。
「真澄、大丈夫なのか? 学校では誰にも言ってないんだろ」
深雪と火矛威は既に高校は退学状態だったが、真澄はゴーストということを隠し通学していた。もし真澄がこういったアプリのせいでゴーストだと周囲にばれたら、いじめどころの騒ぎではないだろう。深雪がそれを案じると、真澄は困ったように微笑んだ。
「うん。多分、大丈夫。そのアプリ、ニセモノだから。私、そのアプリでゴースト判定出なかったもん。でも、ゴースト判定が出ちゃったっていう子も中にはいるみたい。周りからすごいイジメとかされて、学校に来られなくなったって言ってた」
「何だそりゃ? ニセモノのアプリなんだろ。そいつが本当にゴーストかどうか、分かんねえじゃねえか!」
火矛威はますます憤りを露わにする。そういった陰湿な行為が、何より嫌いなのだ。
「うん……。みんな怖くて不安で……疑心暗鬼になってるんだと思う。ゴーストと普通の人の違いはぱっと見じゃ分からない事が多いから……。ちょっとでも怪しいものはとにかく身の周りから排除したいって……そういう感じ」
「クソッ……!」
「私……怖い。何だかいつも見張られてるような気がして……」
それは深雪も薄々、感じている事だった。何者かによって、狭い箱の中に力尽くで押し込められるような、気味の悪い閉塞感。日常の中で、そういう息の詰まりそうな感覚を覚えることが、増えたような気がする。
だが、それを口にしてしまうと、ぼんやりと感じていたものが実体を持ってしまうような気がして、深雪は殊更に明るく振舞った。
「……心配すんなって、真澄。俺たちが絶対に守るからさ。な、火矛威?」
「そりゃあ……そうだけどよ」
そう答える火矛威は、まだ納得しきれていない様子だ。よほど真澄の話が頭にきたのだろう。深雪は、それを宥めるように、火矛威と真澄の背中を軽い調子で叩く。
「気にするなよ、二人とも。相手が警察でも軍隊でも、そう簡単に負けはしねえよ、俺たちなら。……そうだろ?」
勿論、誰かと対立するつもりなんて、毛頭ない。深雪たちはあくまで、ただひっそりと普通の暮らしをしたいだけだ。でもその時は、そういう風に強がっていないと、得体の知れない不安に押しつぶされそうだった。
挑むように笑う深雪の顔を見て、火矛威もようやく、にっと笑う。
「おう、あったりめーだろ!」
「もう……私は嫌だよ、そんなの」
威勢よく拳を突き出す火矛威を見て、真澄も呆れたように微笑んだ。二人に何とか笑顔が戻って来て、深雪は内心でほっとする。
ゴーストを巡る世の中の動きは、確かに気になるところだった。テレビやネットでは、日増しに不穏な情報が目に付くようになってきている。




