第42話 『見えざる攻撃』の正体
それは、今までのような鬱屈とした怒りでもなければ、黄家の若者たちが見せていたような単純な高揚でもなかった。
黒家の若者たちの中で、何かが芽生え始めている。それは、おそらく己の存在意義だ。
今までは、ただ弾圧を受けても、どうしたら良いのか、対抗手段さえ分からなかった。誰のせいで、何のために自分たちが過分にひどい仕打ちを受けているのか、それすらも理解していなかったのだ。
だが、今や彼らは変わり始めている。妬みや僻み、鬱憤、或いは自暴自棄や諦念といった心の澱をぶち壊し、未来をこの手で掴み取る――その可能性を信じ始めているのだ。そして、黒家が再興してこそ、その大願が叶えられると信じ始めている。
それは、ただ身を寄せ合っていただけのばらばらな集団が、意志ある共同体へと目覚めた瞬間でもあった。
「……下を向く必要は無い! 負け犬などと自虐する必要もまた、既に皆無なのだ‼ 何故なら、我々には今や、果たすべき大義があるからだ! それが何か……我々は既に知っている筈だ‼」
彩水の言葉に、更に熱がこもる。黒家の若者たちもまた、それに同調し、興奮交じりの上擦った声を上げる。
「ああ……そうだ! 本来なら、俺たち黒家が《レッド=ドラゴン》の長になるべきだ!」
「紅家や黄家の奴らは当てにならねえ! 俺たちが代わりにこの街を、外の敵から守るんだ‼」
「これからは、俺たちの時代だ‼」
「恐れるな、誇りを持て! そして戦うのだ! 自分の為に、家族のために……そして愛する者、信じた者の為に勝利を掴むのだ‼ 奪われたものは、奪い返す! 我々の偉大な時代を再び取り戻す‼ それを阻むものは全て、悉くうち滅ぼしてやる‼ 共に一つとなって、大願を果たすべき時が来たのだ‼」
「うおおおおお!」
「黒家に力を!」
「黒家に力を‼」
再び、地割れのような歓声が沸き上がった。鈴華は、彼らの放つ野次が、少しずつ変化していることに気づいた。最初は欲求不満をぶちまけているだけの無秩序だったそれが、徐々に一つにまとまってきているのだ。そう、あの黒彩水の手によって。
確かに彩水は、黒家の若者たちと強い絆で結ばれているわけではないかもしれない。少なくとも、この決闘が始まった当初は、彩水はただの選手にすぎなかった筈だ。
黄家の配下から『若』と呼び慕われている黄雷龍とは、雲泥の差だったが、しかしだからと言って、侮ることはできないのかもしれない。
実際、彩水は集まった観客に黒家への帰属意識を植え付け、彼らの中に眠っている、現状に対する不満や危機感、或いは自尊心や使命感といったものを上手くくすぐることによって、一つに統率し支配しようとしている。
そして、おそらく彼にはそれを成功させる自信があるのだ。《レッド=ドラゴン》の暗殺部隊である《紫蝙蝠》を、長として率いていたというのも、伊達ではないという事か。
そしておそらく、それこそが黒彩水の真の狙いなのではないか。
広場に吹き荒れる興奮は最高潮に達し、並々ならぬ盛り上がりとなった。その迫力に、さすがの影剣や雷龍も圧倒されたようだった。
「これは……いくら黒家や白家の者ばかりとはいえ……!」
戸惑いと危機感を募らせる影剣の姿からも、彼らにとってこの光景が大きな脅威なのだということが分かる。いい気味よ――鈴華は薄暗い満足感を覚えつつ、雷龍へと冷ややかな視線を向けた。
「……どうやら、呑気に傍観し続けるわけにもいかないみたいね?」
黄雷龍はむっとしたようだったが、それをそのまま返すのはさすがに子供じみていると思ったのか、鈴華の嫌味には直接答えなかった。代わりに影剣に向かって、動揺を窘めるような口調で言った。
「気にするな、影剣。口先で批判するだけの奴らには、どうせ何もできるわけねえ……!」
しかし、その言葉には先ほどまでの自信や余裕は感じられない。どちらかと言うと、自分自身にそう言い聞かせているようにも聞こえる。やはり、黒家の者たちが一致団結し、沸き立つさまは、彼らにとっては歓迎すべき事態ではないのだろう。
黄家の者たちが窮地に陥るのは、鈴華にしてみれば自業自得でしかない。だが、このまま黒彩水の優位が続くのは、鈴華や神狼にとっても好ましくない状況だ。
鈴華は神狼の顔を再び覗き込む。
「神狼、お兄さんは……黒彩水はどういう手を使っているの?」
それが分かれば、深雪もずいぶん楽になるだろう。だが、神狼は表情を曇らせたままだった。
「見当はつくガ…………それヲあいつニ教えても、あまり意味は無イ」
「え……どうして……?」
「《導師》の攻撃ハ、万物ヲ呑み込ミ、いくらでも変化スル……武器や手法、アニムスが分かったくらいでハ、防げないんダ……‼」
それがどういう意味なのか。鈴華には武術の心得が無いのでよく分からない。だが、神狼の口ぶりだと、黒彩水はいくつも手の内を隠していて、それらのうち一つや二つを暴いたところで効果は無い、ということなのだろうか。
「雨宮くん……!」
鈴華は両手を握りしめ、固唾を呑んで広場の中央を見つめる。そこでは既に黒彩水の演説は終わり、戦闘が再開されていた。
と言っても、彩水が攻め込み、深雪がその攻撃を避ける構図は変化していない。深雪が勝つには、彩水に降参だと言わせるか、殺すしかないが、このままではどちらも実現しそうにはなかった。
鈴華は、暴れ出しそうになる心の臓を胸の上から抑えつつ、ただ成り行きを見守る他ないのだった。
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野次馬の空気が一変したことは、深雪も敏感に感じ取っていた。
先ほどまで暴徒となる一歩手前だった観衆が、今では黒彩水にすっかり感情移入し、その動きを食い入るように見つめている。
きっかけは、先ほどの彩水が放った演説だ。
虐げられ、不当に弾圧されて斜陽の只中にある黒家。絶望に喘ぐ没落家から生まれたのは、新しい英雄、黒彩水だ。そこに、街を侵そうとしている邪悪なる外敵の手先が現れる。そう、深雪という飛んで火にいる夏の虫が。
黒家の新英雄はその外敵と勇敢に戦い、見事にうち滅ぼすだろう。みな、彩水の編み上げたそのシナリオに、完全に酔いしれている。
(そうか……黒彩水はこれを待っていたのか)
彩水の攻撃は相変わらず単調だ。それでもって、時おり、見えない斬撃を繰り出し、着実に深雪へとダメージを与え続けている。
このままでは、敗北は必至だ。僅かな勝機は、「目に見えるものだけが全てだと思うな」という雷龍の助言に隠されているが、その目に見えない武器というのが何なのか、深雪は未だ掴めずじまいだった。
その間にも、裂傷だけが着実にその数を増していく。
(傷も多いし、血も結構、見た目には派手に出てるけど、動けないほどじゃない……多分、わざとそうしてるんだろうな。このままじわじわとなぶり殺しにするつもりなんだ)
その様を想像すると、焦燥と不安が湧き上がり、大きく膨らんで精神的に圧し掛かってくる。ネガティブなイメージは、それだけで手足の動きを鈍らせ、余計に裂傷の数を増やしていく。深雪は必死で思考の転換を図った。
(これは確かにショーだ。残酷で理不尽で、容赦のない公開処刑。でも、そこに勝機がある……!)
もしこれが額面通りのただのタイマン勝負なら、とっくの昔に彩水の勝利という形で決着がついているだろう。
そうなっていないのは、彩水がこの決闘を通して何かを得、成し遂げようとしているからだ。
黒彩水はこのショーを自分の為に、余すところなく利用している。そうであるなら、深雪も最大限、己の目的を果たすために状況を利用すべきだ。例えば、この場所。彼がこの公園を決闘の舞台に指定したのは、必ず意味がある筈だ。そして、時間。深雪の睨んだ通りであるなら、彩水は決着をつけるタイミングをもう少し先だと考えている筈だ。その間に、傾向と対策を練る。
やるべきことが見えてくると、自ずと顔も引き締まってくる。すると彩水は、深雪の意気を削ごうと思ったのか、さっそく挑発を仕掛けてきた。
「クク……どうした、反撃しないのか? まさか正真正銘の丸腰だというわけでもあるまい? それとも、もはや反撃する気力すら残っていないか? 《中立地帯》の生ぬるい空気を吸って豚にでもなったか?」
深雪はその挑発をバッサリと無視した。彩水がこちらを煽っているのは明白だ。そんな見え透いた手に乗るほど、深雪もお人好しではない。
(まずは隠された武器を暴かないと……こちらから仕掛けるしかないか)
出来るならこちらから攻撃するのは避けたいが、相手の力量を考えると、そうも言っていられない。深雪はさりげなくズボンのポケットに右手を滑り込ませた。指先に、冷たいガラス玉が数個、触れる。
それを握りしめ、再び彩水の攻撃を避け始める。
彩水は直刀で何度目かの攻撃を繰り出した。右から左への、横一閃だ。刀のサイズは五十センチ強と比較的、小ぶりなせいか、片手で器用に扱っている。深雪もまた今まで通りにそれをかわすが、その際に彩水の足元をめがけて、ビー玉を数個、落とした。
そして鮮やかなガラス玉が石畳にバウンドするや否や、ビー玉に付着させた《ランドマイン》を発動させる。
「……何!?」
彩水は深雪がビー玉を転がした時点で、既に不審を抱いていたのだろう。僅かに瞳を見開いたものの、危なげなく後退して爆発を避ける。その時、彩水の周囲で、爆風に煽られて何かきらりと光るものが宙を舞った。
「……見えた! あれか、『見えない武器』の正体は!?」
それは極細の金属ワイヤ―だった。素材の性質なのか、金属なのに光を受けても反射せず、糸のように細いのに千切れることもない。
先端には、小さな鏢が括りつけてある。特殊な塗料が塗ってあるらしく、やはり周囲の景色に溶け込んで目立たない。そのワイヤー付きの鏢は、爆発によって多少軌道がずれたものの、美しく空中に弧を描いて彩水の元に戻っていく。
鈴華はすかさず神狼を問い質した。
「神狼、あれは何なの?」
「……あれハ縄鏢ダ。《導師》ノ得意武器の一ツ……!」
神狼は、やはり、という表情をしながら説明した。彩水の操る直刀は、ただの囮だという事を、神狼は気づいていたのだろう。相手が直刀に気を取られている隙に、縄鏢を操って致命傷を与える。それが彩水の得意とする先方の一つだ。
普段は鏢の部分に毒が塗ってあるが、動き回っている深雪を見るに、今はさすがにそこまではしていないらしい、とのことだ。
(ただでさえ小さくて見えにくいあの縄鏢を、俺の死角から投擲することによって、完全に『見えない武器』と化していたのか。俺はうまく直刀を避けていたつもりだったけど、本当はそうすることによって、うまく動かされ、死角を作らされていたんだ……!)
深雪がどのように直刀を避けるか、彩水には全てお見通しだったに違いない。そうして自在に深雪を走らせ、上手い具合に死角を作り出し、そこを陰湿に攻撃していたのだ。
原理は簡単だが、それを成功させるには気の遠くなるような日々の修練と、並外れた戦闘センスが必要になるだろう。縄鏢は縄によって結わえられていて、動きがどうしても不規則性を帯びる。その軌道も計算しつくして直刀と併用し、狙ったところを攻撃するとなると、もはやその技は熟練の技術工レベルだ。
おまけにその傷の程度も、自在にコントロールしているようだった。それだけでも、彩水がいかに只者でないかが分かる。
「でも、取り敢えずネタは分かったんだ。後はどうにかして、あの縄鏢を防ぐだけだ……!」
実力差があるのは、神狼にも指摘されていたし、事前に分かっていたことだ。彩水の神業に大きな驚愕は覚えたが、衝撃で手も足も出ないというほどではない。後はただ、あの縄鏢をどうにかして無効化する方法を考え出すだけだ。
しかし、彩水には戦法を見破られたことに対する焦りは見受けられない。慣れた仕種で縄鏢をヒュンヒュンと手元で回転させ、冷ややかな視線を寄越す。
「馬鹿め……本当にそう思っているのか? 仕組みが分かったからといって、それを避けられるかどうかは別問題だろう?」
しかし次の瞬間、その鋼のような顔に、にやりと嗜虐性を帯びた笑みを浮かべた。
「……しかしまあ、素人の分際で縄鏢の存在を見破ったのは見事だ。それを評して、こちらも少々本気を出すとしよう」
彩水はそう言うと、縄鏢とは別に、もう一つのワイヤーを袖から垂らす。そちらの二本目のワイヤーの先端には、無花果ほどの大きさと形の、重そうな金属の飛礫が括りつけられている。
鈴華はそれを見て、またもや神狼に疑問を発する。
「今度は何……?」
「あれは流星錘ダ。使い方ハ縄鏢と同ジ……でモ、《導師》の流星錘ハ、普通じゃなイ。とても厄介なんダ」
「厄介……?」
何がどう、厄介なのか。しかし、神狼がその質問に答える前に、彩水は新たに取り出した流星錘を宙に放った。無花果の形をした金属のつぶては、そのまま彩水の背後にある噴水の池の中にぽちゃんと落ちる。
「……?」
深雪は眉根を寄せた。
(何をやっているんだ……?)
すると次に彩水はワイヤーを手繰り、流星錘を一気に池の中から引き上げる。錘には小さな穴がたくさん開いており、中に水を含むことができる構造になっているらしい。
彩水はその、水をたっぷりと含んだ錘がついたワイヤーを、ひゅんひゅんと上空で振り回した。すると、錘に含まれた水が、遠心力によりそのまま空中に飛散する。飛散した水は、そのままいくつかの粒をつくり、地に落ちることなく宙に留まった。
「これは……ひょっとして、アニムスか……!?」
水の塊は、一つ一つはサクランボほどの大きさだ。小さな粒にすぎないが、それをどの様に使うのか分からない以上、油断はできない。そう考え、身構えていると、神狼も後方で声を張り上げた。
「気を付けロ! 《導師》のアニムスは水を操るアニムス……《ウオーター・スパウト》ダ!」
「ふ……ではいくぞ!」
彩水はくっと笑みを漏らすと、今まで通り、直刀で斬り込んでくる。
(この直刀はあくまで囮……あの重りのついた二本のワイヤーの軌道を読んで、それをかわさないと……!)
とはいえ、まだ有効な対策は思いつかない。深雪の所持しているのはビー玉だが、それを用いて高速で飛び交う縄鏢と流星錘の動きを阻むのは、どう考えても並大抵の技ではない。
深雪は取り敢えず、彩水に対する距離を、先ほどより大きく取って対応することにする。ところが、全く思いもしなかった方向から攻撃を受けた。背後から水のつぶてが飛んできて、背中を打ち付けられたのだ。
たかが小さな水の粒だが、かなり痛い。まるで高圧洗浄機のノズルから射出される水を正面から浴びたかのような勢いだった。
「これは……!」
深雪は、激痛に耐え、歯を食いしばった。
(彩水って人のアニムス……《ウオーター・スパウト》か!)
水のつぶては空中のいたるところに散らばっている。彩水が流星錘を振り回す度、その数はどんどん増えていく。
(まさか……この周囲に浮いている水が全て、凶器と化すってことか……!?)
彩水は深雪へと攻撃を繰り出す合間を縫って、何度も流星錘を噴水の生けの中へ投擲している。その度に、無花果型の重りには新たな水が補充される。つまり、噴水の池の中に水が満たされている限り、空中の凶器が増え続けるという事だ。
おまけにそれらの浮遊する水の塊は、単純な凶器以外の役割も果たすらしい。絶え間なく動き回り、辛くも彩水の攻撃から逃れ続けている深雪の顔面めがけて、水の塊が飛んできたのだ。
「うわっ!?」
咄嗟に両腕で顔面を覆ったので、水が目に入るのは免れたが、驚いたはずみで思わず足が止まってしまった。
(今度は目くらましか!?)
その隙を逃さず、彩水の放った縄鏢と流星錘が飛んでくる。縄鏢は容赦なく手足を切り刻み、流星錘はそこに痛烈な打撃を加える。錘は小さいものの、金属製でずしりと重い。それに打ち付けられたところは、青あざになるほどの痛みだ。
今はまだ辛うじて動くことができるが、打ち所が悪ければ、即座に行動不能に陥ってしまうだろう。
「くっ……‼」
彩水の攻撃は、それまでの直刀と縄鏢の合わせ技に流星錘が加わっても決して乱れることはなく、むしろその威力や手数を増していた。
対する深雪は、いくつかビー玉を放ってみたものの、どれも巧みに避けられてしまう。どうやら、手の内さえ分かってしまえば、それを回避するのは彩水にとって困難な事ではないらしい。
向こうの攻撃は受けるが、こちらの攻撃は全く通用しない。深雪は着実に追い込まれつつあった。




