第32話 黄雷龍②
深雪は転がった先で、どうにか体を起こす。幸い骨折や捻挫は無いようだし、打撲痕も大したことはない。
よろよろとしながらも、再び対峙する深雪に、雷龍は苛立ちの籠った声で怒鳴り声を張り上げた。
「そうであるなら、この俺を満足させてみろ! 戦い、そして勝利して、己の価値を証明してみせろ‼ 逃げ回り、隙あらば逃げ出そうとするような小者など、《死刑執行人》とは絶対に認めねえ……」
――パアン!
しかし、雷龍はそれを最後まで言うことができなかった。足元で大きな爆発音が上がったのだ。雷龍の踏みしめていた石畳のうちの一つが、不意に爆発を起こしたのだった。
「何!?」
異変に気づいた雷龍は、次の行動も迅速だった。青竜刀を担ぎ上げると、深雪から距離を取る形で、数メートル後退したのだ。
ところが、その直後に、雷龍がまさに今、立っている場所の石畳がまたもや爆発を起こす。雷龍はかろうじてそれも避けたものの、野次馬たちを含めたその場は、一瞬、奇妙に静まり返った。
「な……何だ、今の……?」
「地面が爆発したぞ!」
「若、気を付けて下せえ! それがそいつのアニムスだ‼」
野次馬の一人が深雪を指さした。深雪はその顔を覚えていないが、おそらく先ほど深雪が《東京中華街》の街中で《ランドマイン》を使ったところを目撃していたのだろう。
『敵(深雪)』は《アニムス》を有したゴーストである――黄家の野次馬たちも、今更ながらにそのことに気づいたのか、先ほどまで惜しむことなく送っていた雷龍への声援と賛辞を潜め、代わりに警戒と詮索が混ざったような、幾分慎重な視線を深雪へと向ける。
それに調子を合わせたわけでもないだろうが、雷龍もまた腰を落とし、用心深そうな構えを見せる。だが、それはあくまで表面的な変化だ。その証拠に、瞳の奥底では、好戦的な光が一段と輝きを増していた。
「ふん……? 先ほどの爆発系の異能力が、お前のアニムスか」
「そうだよ。でも、まだ終わりじゃない」
静かに立ち上がった深雪は、再び両眼に赤い光を灯らせる。その刹那、雷龍の足元の石畳が再度、乾いた音を立てて爆発した。
「ち……!」
雷龍は舌打ちをし、その場を退避するが、着地した石畳もまた深雪の仕掛けた『地雷』によって爆破を起こす。雷龍は飛び石を踏むが如く、次々と足場を変えるが、その足元は悉く爆破されていく。どれも雷龍からの攻撃を避けつつ、深雪が張り巡らせていたものだ。
「しゃらくせえ‼」
これではきりが無いと踏んだのか、それとも回避し続けるなど性に合わないのか。雷龍は青竜刀を構え、深雪をぎろりと睨みつけた。爆発などものともせず、突っ込んでくるつもりか――深雪はそう直感したが、果たしてその通りの展開となった。
金髪を逆立たせた若者は大きく踏み込むと、《ランドマイン》が付着した石畳など気に掛ける様子もなく、怒涛の如く突っ込んできて、構えた刀を深雪に向かって振り下ろした。
だが、その鋭利な刃先が深雪へと届く直前、それまでとは比べるべくもない大きな爆音が起こった。深雪がそっと転がしたビー玉が数個まとめて、雷龍の足元で破裂したのだ。
爆風が粉塵を巻き上げ、雷龍の姿を瞬時に呑み込んだ。まさか自分たちの親愛なるリーダーがその様な不慮の攻撃を受けるとは、思ってもみなかったのだろう。動揺した野次馬たちから、大きなざわめきが起こった。
「若が……!」
「若‼」
やがて、すぐに粉塵は風に流れ、その向こうから特徴的な金髪頭が姿を現した。雷龍は無傷だ。どこか痛がる様子もなく、無表情でじっと深雪を睨み据えている。
広場に集まった観衆は、主の無事を見て、ほっとしたような安堵の声を上げた。この金髪の青年は、余程慕われているのだろう。彼らは本気で自らのリーダーを心配している。
しかし、雷龍の表情には、そういった野次馬の感情を気にした様子は全く無かった。それどころか、額に青筋を立て、激しい怒りを浮かべている。見ると、青竜刀の刀身には大きな亀裂が入っていた。おそらくその刀を盾にすることで、爆発の直撃を免れたのだろう。だが、亀裂は深く、刃先もひどい刃こぼれを起こしている。かなりの業物と見えるが、刀としての役目は二度と果たせないだろう。
「わ、若の青竜刀にひびが……!」
「あのガキ、何てことしやがる‼」
「殺せ! ぶっ殺せ‼」
野次馬たちは口々に吠えた。重低音の罵声に、敵意と殺気が色濃く混じり、広場は騒然とする。黄家の男たちの怒りは凄まじく、大きく身を乗り出すと、今にも深雪に飛びかかりそうなほどの剣幕だ。
だが、雷龍はそれを一喝し、押し止めたのだった。
「お前らは手を出すな! こいつは俺の獲物だ‼」
「若……!」
その一声で、野次馬たちはすっかり意気消沈し、再び大人しくなってしまった。その忠誠心の強さや、雷龍の彼らに対する影響力の大きさは、深雪にとって、深刻な脅威だ。今でこそ雷龍の人並外れた闘争心のおかげで、野次馬たちの感情や行動は押さえつけられているが、この金髪頭の青年が一声でも命令を違えれば、彼らは一糸乱れず、一斉に深雪へと襲い掛かってくるだろう。そうなったら、いくら《ランドマイン》を使っても、逃げきることはできないかもしれない。
そう考えると、高所で綱渡りをするような、ひどく落ち着かない心境になる。
「ふん……ちったあ、やるようじゃねえか。クソガキ……!」
黄雷龍はしっかり反撃を食らい、刀も完全に使い物にならなくなってしまったというのに、全く動じた気配が無かった。むしろ瞳の奥で光る闘志は、ますますその勢いを強めている。そして、さらなる闘争を重ねようと、激しく火花を散らし、深雪へと挑発を繰り返す。
それに安易に触発されることなく、深雪はあくまで静かに雷龍を睨み返した。
「……仕掛けて来たのはそっちだろ」
「ああ!? 不法侵入者を始末して何が悪い‼」
「そうだ!」
「日本人は出て行け!」
「さもなくば、ぶっ殺せ‼」
黄雷龍の履き捨てた言葉に呼応するように、野次馬たちも再び怒声を上げ、殺気立ち始める。俄かに騒然とし始める広場の真ん中で、深雪も大声を張り上げた。
「そっちこそ、鈴華を連れ去ったくせに!」
「何……?」
雷龍は訝しげに表情を顰める。「今、何て言った……!?」
「鈴華を誘拐したのは、お前ら黄家の方だろ! 俺はただ、彼女を連れ戻しに来ただけだ‼」
野次馬は、またもや沸き立った。「何、わけの分かんねえこと言ってやがる!」だの、「くだらない言いがかりで逃げられると思うなよ‼」だのと、好き勝手なことを喚き散らしている。
だがその中で唯一、黄雷龍だけは沈黙し、深雪へと冷静な視線を注いでいた。そして、観衆が一通り騒ぎ終えたところを見計らい、彼らに向かって良く通る大声で問いかけた。
「……おい、お前ら! 今、こいつの言った事は本当か?」
すると、野次馬たちは戸惑ったようにさざめき始めた。その反応を見るに、彼らの大半は誘拐など覚えも無いし、鈴華という名の娘の顔すら知らないようだ。鈴華を連れ去ったのは黄家の者で間違いないようだが、そいつらが必ずしもこの中にいるとは限らない。
深雪は周囲を取り囲む人だかりを改めて見回した。ざっと目を通しただけであるが、《龍々亭》の裏で見た三人の顔は、その中には見当たらない。
これは駄目か――こんなところで騒ぎを起こしたのは、完全にしくじりだったかと、深雪が内心で焦りを覚えた時だった。
重なり合う野次馬を掻き分け、数人の男が広場へと進み出た。深雪が《龍々亭》の裏ではっきりと見た顔――頬に傷のある男とその仲間たちだ。
「お前ら……‼」
深雪は声を荒げるが、頬に十字傷のある男は深雪の方など見向きもせず、黄雷龍に向かって妙にへりくだった笑みを見せながら、すり寄っていく。
「ほ、本当です、若!」
「そいつが言っているのは、俺たちの事です!」
それに対し、雷龍は特に目立った表情を見せず、いかにも支配者然とした鷹揚な態度で応じた。
「お前……確か万武とか言ったな?」
「へ、へえっ! 俺の事、覚えててもらえるなんて、光栄ですぜ!」
十字傷のある角刈りの男は、いかにも感極まったような表情を見せる。深雪からすると、演技臭いことこの上ない。後ろに控えている瓢箪顔の男や漬物石のような顔をした男も、角刈りの男と調子を合わせている。それに気づいているのかいないのか、雷龍の口調は淡々としたままだ。
「俺の記憶が正しけりゃ、鈴華ってのは確か、茶家の一人娘だったよな?」
「へえ! あの裏切者の一族を、見つけ出して捕らえたんでさあ! 後は煮るなり焼くなり、どうぞ若のお好きなように……」
「つまりあれか。お前には俺が、卑怯な手段でか弱い女をかどわかすのが大好きな、クソ野郎に見えてたって事か?」
「へ……!?」
万武が間抜けな声を発した、次の瞬間。雷龍は万武の顔面を拳で殴り飛ばしていた。
「ぐへあっ!?」
「わ、万武 !?」
軽々と数メートルほど吹っ飛んでいく万武。一方、その仲間たちは何が起こったのか理解できないらしく、すっかり青ざめ、その場で身を硬くしている。そんな彼らに対し、雷龍は怒りを爆発させて大喝した。
「ふざけんじゃねえ! 俺はな、女子供に平気で手を出すような下種野郎が一番嫌いなんだ!」
先ほどまで騒がしかった広場は、その一斉でしんと静まり返る。それほど、黄雷龍の放った怒気は凄まじいものだった。しかもそれは、深雪に向けられていた好戦的な敵意とはまったく別種のものだ。まるで悪を憎む正義の味方のような、激しい嫌悪と侮蔑、そして間違ったことは絶対に許さないという、強い義憤が見てとれた。
「ひっ……ひい!?」
「ず……ずびばぜ……‼」
万武は殴られた頬を押さえ、あたふたと姿勢を正した。二人の仲間も慌ててそれに倣う。だが、それも黄雷龍の機嫌を直すには到底至らなかった。
「お前らには黄家の人間を名乗る資格はねえ! 即刻、永久追放だ! 二度とそのツラ、俺の前に見せるんじゃねーぞ‼」
無情にも突きつけられた三行半に、男たちは蒼白になる。
「そ……そんな……!」
「俺たちは黄家の為に……‼」
「くどいぞ! 聞こえなかったのか!?」
苛立ちを募らせつつも強固な意志を見せる雷龍に、男たちは泣きべそのような顔を浮かべた。おそらく彼らは最初から黄雷龍に取り入るため、鈴華を誘拐したのだろう。玉宝によると、茶家は《レッド=ドラゴン》の中で裏切者のレッテルを張られているという。逆徒を狩ることで、有力者のご機嫌を取ろうとしたのだ。
だがその目論見は、完全なる徒労に終わったようだった。黄雷龍には『敗者』を執拗に痛めつけるような陰湿な趣味は無く、そのために女子供を痛めつけるなど言語道断だと考えていたからだ。
「許して下せえ、若! 《レッド=ドラゴン》を追い出されたら、どこにも行く当てなんてありゃしねえ……‼」
「二度としません! だからどうぞご容赦を……‼」
男たちは形振り構わず跪き、口々に叫んで黄雷龍に向かって許しを請うた。もしこのまま《レッド=ドラゴン》を追放されたなら、彼らは巨大な後ろ盾を失う事となるだろう。それどころか、この《東京中華街》にもいられなくなる。きらびやかな街に慣れ切った彼らにとって、《中立地帯》の廃墟での生活は地獄そのものだろう。必死にもなろうというものだ。
だが、黄雷龍の答えは一貫していて、最後まで変わらなかった。
「今なら黙って見逃してやる。とっとと行けよ。……俺の機嫌が変わらねえうちにな‼」
「う……うう……!」
言外に、命があるだけでもありがたく思えと冷ややかにあしらわれ、男たちはすっかり言葉を失ってしまった。これから待ち受ける未来に思いを馳せたものの、絶望的な要素の数々にすっかり打ちのめされてしまったのだろう。ワナワナと血の気を失った唇を震わせている。
雷龍の許しを得ることができず、その場に力なく蹲る万武達だったが、さらなる試練が襲い掛かった。一部始終を見守っていた野次馬たちが、一斉に非難の声を上げ始めたのだ。
「おい、いつまでここにいるつもりだ!?」
「部外者は出て行け‼」
「二度と姿を見せるな、この恥さらしどもめ‼」
彼らにとって、主の敵は己の敵であるようだった。つい先ほどまで、万武達を同じ黄家の身内として受け入れていた筈なのに、今では深雪と同じかそれ以上に許し難い存在となってしまったのだ。
万武と二人の仲間たちは、四方八方から容赦なく罵声を浴び、ようやく冷酷なる現実を直視し始めたようだった。もう、この街のどこにも自分たちの居場所はない。それが黄家の不興を買うという事なのだ。三人はがくりと肩を落とすと、大人しく広場を去っていった。野次馬たちは決してそれに同情せず、慰めることもなく、最後まで罵倒と怒声でもって彼らの退場を見送ったのだった。
一方、雷龍は若干の怒りを引き摺りつつも、野次馬たちに次なる命令を下す。
「おい! 誰か、茶鈴華をここに連れて来い!」
「は、はい!」
鈴華の居所を知っているのだろうか。数人の男が顔色を変え、転がるように広場の外へと駆け出して行った。自分たちも万武のように追放されてはたまらないと考えたのだろう。やがて十分ほどして、彼らに連れられた鈴華が姿を現した。
「若、連れて来やした!」
「ちょっと、もう痛いってば! 離しなさいよ‼」
いつもの元気な声が聞こえてきて、はっとして目をやると、鈴華が男たちに連れられて広場にやって来るところだった。見たところ、《龍々亭》のユニフォームのままだ。鈴華に外傷は見当たらない。気の強い彼女らしく、果敢に周囲の者へと啖呵を切っている。だが、彼女の瞳が金髪の若者――黄雷龍を捕らえた途端、その目の色が激変した。
「あんた、黄雷龍……!?」
鈴華の目に浮かんだのは、明るくて快活な彼女に似つかわしくない、どす黒い憎悪だった。まるで敵にでも出会ったかのようだ。だが、雷龍は鈴華からあからさまな憎しみを向けられても、全く動じた気配がない。目を合わせようともせず、鈴華を連れてきた男たちに淡々と命じる。
「放してやれ」
「へ……へい!」
自由の身になった鈴華は、雷龍をきつく睨みつつも、深雪のところへ駆け寄って来た。深雪は鈴華を自分の背後へと庇いつつ、声をかける。
「鈴華、大丈夫!?」
すると鈴華は申し訳なさそうに項垂れた。そこには、先ほど雷龍に見せた激しい憎悪はない。いつもの朗らかな鈴華だ。
「雨宮くん……助けに来てくれてありがとう。ごめんね、私のせいで……」
「いいよ、気にしなくて。鈴華のせいじゃない」
「……神狼は? 一緒じゃないの?」
「一緒だったんだけど、はぐれたんだ。あいつ、体調が悪くて……早く探し出さないと」
「そう……。神狼に限っては大丈夫だと思うけど……!」
言葉とは裏腹に、鈴華は神狼の事が心配でならないようだった。いつもはふっくらして赤みを帯びた唇が、真っ白になるほど、強く噛み締めている。ただ、その気持ちは深雪もよく分かった。神狼はあまりにも自分自身に無頓着だ。特に鈴華が絡むと、平気で自分の命を差し出してしまう。
こうしている間にも、この街のどこかで相当な無理をしているのではないか。そう思うと、一刻も早く合流しなければと危機感を感じられてならなかった。
ところが黄家の次期当主は、深雪たちをこのまま逃すつもりはさらさら無いようだった。今までより更に凄みの利いた声で、ゆっくりと口を開いた。
「おい、話は済んだか、てめえら?」
「……!?」
はっとした深雪は、慌てて鈴華を後方に押しやった。
「鈴華、下がってて!」
「そっちの要望通り、女は返したんだ。心置きなく続きといこうぜ‼」
雷龍は嬉々として大破した青竜刀を担いだ。どう見ても盛大に刃こぼれしているようにしか思えないが、どうやら金髪の青年にとってそれは些末な問題であるらしい。
確かに刃物としては役に立たないだろうが、鈍器と割り切れば問題はなさそうだ。そのせいもあってか、万武ら三人組のおかげで一度は逸れた雷龍の好戦的な気配が、今また完全に深雪へと戻ってしまっている。
深雪は、背中にじっとりと冷たいものが流れ落ちるのを感じた。雷龍はおそらく、鈴華に手を出すつもりは無い。そして雷龍にその気がない限り、野次馬たちも彼女には危害を加えないだろう。そこは安心できるが、かと言って深雪はその限りではなく、大人しく逃すつもりも毛頭無いようだ。
「悪いけど、こっちにはもう、あんたとやり合う理由は無くなった。 だから、戦うつもりもない」
「ハッ……てめえの都合なんざ、知ったこっちゃねーよ! ここに迷い込んだのが運の尽きってこった! 己の間抜けさ加減を後悔しながら、念仏でも唱えるんだな‼」
雷龍はこれまで以上に生き生きとし、凶悪な笑みを浮かべた。そして、獰猛な獣じみた瞳に、深紅の光を灯す。その瞬間、周辺の空気がびりびりと激しく振動した。深雪が息を呑む間もなく、広場全体の大気が凄まじい勢いで帯電し、スパークを放ち始める。
(これは……雷撃……?)
黄雷龍のアニムスは、その名に関する通り、雷撃系のアニムスなのか。




