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東亰PRISON  作者: 天野地人
監獄都市収監編
13/752

第12話 ウサギと女子高生

 早朝、まだ早いうちに深雪は起き出した。


 手早く身支度をし、ベッドメイキングをして、部屋を適度に整えてから廊下へ出る。


 東雲探偵事務所の建物内はしんと静まり返っていている。できるだけ物音をたてないように足音を忍ばせながら、一階まで降りた。


 無人の廊下に降り立つと、無意識のうちに東雲六道の執務室の方へ視線を向けていた。昨日のスカウトの話――その時の状況が、鮮明に脳裏に甦る。


(やっぱりこのまま、ここにいるわけにはいかない)


 深雪はこの事務所を出る決心を固めていた。東雲にスカウトの話を受けてから、よりその決意が強まったと言っていい。ゴースト同士で戦い合い、殺し合う――どうにもそこに納得する事ができない。


 ゴーストを止められるのはゴーストしかいないというのは、理解はできる。力のあるゴーストほど人間を怖れないからだ。だから、この事務所のような存在は、確かに必要なのだろう。


 しかし、深雪は知っている。ゴーストとゴーストがぶつかり合うという事がいかに危険な事か、

 そして、どれだけの深刻な被害が出るか。

 血と炎の海。こだまする悲鳴と、肉の焼き焦げる異常な臭気。《ウロボロス》のメンバーが最後にどうなってしまったか――知っている以上、ここにいることはできない。


 所長である東雲六道も、得体の知れない男だ。深雪を見据える黒々とした洞のような瞳には、どこか冷たさがある。まるで憎い敵にでも出会ったかのような冷徹さだ。尤も、それは彼の異様な人相がそう見せているだけかもしれないが。


 とにかく、この事務所とは関わり合いになりたくない――それが正直なところだった。


 どこへ行けばいいのか、自分が何をすべきなのか。目の前が靄に包まれたかのようで、何も見通せない。でもとりあえず、ここには居続けるべきではないのではないか。

 そんな思いと共に玄関の扉を開けようとした、その時。


「ユキ、どこか行くの?」

 背後からかけられた声に慌てて振り向く。すると、シロが階段途中で立ち止まり、じっとこちらを見ていた。深雪の決心を察してか、昨日と違い、こちらを探るような視線だった。

「お出かけ? シロも一緒に行っていい?」

「いやっ……シロ、俺……!」


 深雪はしどろもどろになる。決して悪いことをしているわけではないが、何となく後ろめたい。

 しかし真剣な表情を崩さない彼女を前に、誤魔化しきれないと判断した。それに、このままうやむやにして出てきたりしたら、親身に接してくれたシロを裏切ってしまうことになる。


「シロ、俺、やっぱりここを出て行くことにするよ」

「ユキ……」

「多分……俺はここのやり方には合わないから……。いろいろ、親切にしてくれてありがとう」

 シロは一瞬困ったような悲しそうな表情になったが、すぐに気を取り直したように耳をピンと立てる。そして階段を下り、こちらに近づいてきた。


「これからどうするの?」

「………。まだ、何も決めてない」

「シロも一緒について行っていい?」

「えっ……でも」

「途中まででいいよ。……駄目、かな?」  


 深雪はシロを見つめる。駄目な理由など、ない。シロとはせっかく仲良くなれたのだ。深雪としても、それを無駄にしたくはない。ありがたく申し出を受けることにした。

「分かった。一緒に行こう」


 深雪はシロに対しては好感を抱いていた。確かに、彼女の事はまだまだ知らないことだらけだ。それでも、シロが深雪を信用しているのは分かる。それを裏切りたくはなかった。


 深雪の返答を聞き、シロは嬉しそうに、こくりと頷く。それを確かめると、深雪は音を立てないように気を付けながら、重厚な木製の玄関扉を開いた。


 清涼な朝の空気が一斉になだれ込んでくる。それを深く吸い込み、外への一歩を踏み出した。





 街はまだ早いという事もあって静まり返っている。幸い、まだ人気もない。監獄都市・東京に不慣れな深雪が自由に動けるのは今のうちだろう。深雪とシロは、まず東京駅の方へ向かって歩くことにした。二人して並んで歩いていると、シロが話しかけてくる。


「……事務所はイヤ?」

「俺は、東雲六道って人の言っていることが、正しいとは思えないから……」

「六道のお顔、怖いもんね……」

 妙にしみじみとしたシロの口調に、深雪は思わず苦笑を漏らす。

「いや、顏が怖いとか、そういうんじゃなくて……まあ、怖いけど。それに、事務所の他の人達の事もよく知らないし……」


 すると、犬耳の少女はきょとんと眼を瞬かせた。

「シロもみんなの事、あんまり詳しくは知らないよ」

「……。よく、それで一緒にいられるね?」

 深雪が驚き半分、呆れ半分で応じると、シロは深雪から視線を逸らし、俯き加減に答えた。

「シロはシロの事、よく分からないから……。だから、他の人の事が分からなくてもヘーキなんだ」

「えっ……?」


「でも、ちょっとは知ってるよ! りゅーせいは元・警察官で、オルは神父でしょ? 奈落は《外》で傭兵をしてたんだって」

「傭兵? ああ……」

 なんかいかにもそれっぽいな、と思ったが、口にはしなかった。

「ゴーストをやっつけるお仕事を、ずっとしてるって言ってたよ」

「……」

(じゃあ、ゴーストを殺すとか、そういう事に慣れてんだ……) 


 心臓のあたりが冷やりとした。自ずと、隻眼の男の冷徹にこちらを観察するような眼差しが思い出される。その手の仕事に慣れているということは、それを可能にするだけのアニムスを所有しているということだ。間違っても、近づきたくはない。


「あのチャイナ服の子は?」

「神狼は、コロシヤだったって、りゅーせいが言ってた」

「え……殺し屋⁉ だって、まだ子供だよね? 俺より年下でしょ?」

「うん。でも、今は違うよ。今は事務所のお仕事しながら、中華料理のお店でアルバイトしてるの。杏仁豆腐がすっごくおいしいんだよ!」

「そ……そう……」

 

 未成年の殺し屋。深雪はまたもや戸惑いを隠せない。そういう者たちがいるのだと理解はできる。だが、深雪にとってはどこか遠い存在だ。


 そもそも傭兵や殺し屋といった者たちは本来、表の社会に出て来ることはない。それが何故、元警官や神父である赤神やオリヴィエと共に動いているのか。一体どういった基準で、このメンバーが集められたのだろうか。

 そして何故、東雲六道は自分をその中に加えたのだろう。

 どうにも謎だらけだった。


 謎といえばシロの存在もそうだ。

 初めて会った際に目にした彼女の身のこなしを考えると、普通の女子中学生というのは絶対にあり得ない。現に今も彼女は腰に日本刀を提げている。普通の女子中学生は、刀をまるで自分の手足のように軽々と振り回したりしない。

 頭頂部の獣耳を見るに、ゴーストであるのは間違いないだろうが、その無邪気なキャラクターは事務所の中でも明らかに浮いていた。


 一体、何者なのだろう。


 今までは何となく遠慮があった。しかし、仲良くなればなるほど、そういったことは気になるものだ。誘惑に負け、彼女自身のことを聞いてみたくなった。

「……シロは? 聞いてもいい?」 


 先ほども、シロはさりげなく自分の事から話題を逸らしていた。深雪にとってそうであるように、己の過去を話すことに抵抗があるのかもしれない。シロが拒んだらそれ以上、根掘り葉掘り聞くつもりはなかった。

 すると案の定というべきか、シロは悲しげに瞳を曇らせる。


 しかし、やがて何かを決心したような強い光を浮かべた。

「シロはね、ずっと一人だったんだ」

「一人って……え、親とか兄弟は?」

「分からない。生まれたときからこの街にいて、気付いたら一人ぼっちだったから……。そういう子、いっぱいいるよ。ゴーストの子供はキケンだから……捨てられちゃうの」

「そんな……!」


「でもね、その時はそれが当たり前で、寂しいとか悲しいとかは無かったよ。ただ、いつもお腹空いてて汚くて……名前すらなくて、まるでノラ猫みたいだった。そしたら、六道が拾ってくれたの。それで、シロって名前をくれたんだ」


 深雪はその時、何故シロがセーラー服を着ているのかという事に思い至った。

 他にもっと動きやすい服はいくらでもあるだろう。だがシロはおそらく、敢えて拘って制服を着用しているのだ。そこには、通ったことがないと言っていた「学校」というものに対する、強い憧憬の念が感じ取れた。


「……六道は他にも、シロに沢山のものをくれたよ。お家をくれたし、《死刑執行人(リーパー)》っていう〈役目〉も与えてくれた。六道はね、お顔は怖いけど、とっても優しいんだ」


「……」


 どうやらシロは、東雲六道のことを心の底から慕っているようだった。彼女にとって六道は恩人なのだ。無理もないだろう。

 しかし、深雪はそれを簡単に受け入れることができないのだった。


「うう……ゴメンね、うまく言えなくて」

 申し訳なさそうなシロに、深雪は慌てて首を振る。  

「そんな事ないよ。こっちこそ……辛い話させてごめん」

「あのね、シロはユキにずっと事務所にいて欲しいよ。抵抗はあるかもだけど……その方が、ユキにとってもいいと思うし」

「ごめん。俺は……もう、誰も傷つけたくないんだ」


 事務所にいて欲しいというシロの言葉は、素直にうれしい。だが、あそこに戻るという事には、やはり抵抗があった。シロもまた、深雪の決意が固いことを悟ったのだろう。じっと深雪を見つめていたが、やがてぽつりと呟いた。


「………。ユキはやさしいんだね。でも……この街では、やさしいだけじゃ駄目だよ」

「シロ……?」


「ユキには〈力〉がある。それがある限り……逃げられないよ。街からも、自分からも」


 シロの透明な瞳が、じっとこちらを見つめる。深雪はそれに射竦められ、微動だにすることができなかった。

 いつもの無邪気な獣耳の少女の姿は、そこには無かった。あるのは、まるでこちらを試すかのような強い眼差しだ。

 きらきらと煌めくそれは、まるで挑発しているかのようでもある。


 深雪はそれにすっかり気圧されてしまっていた。まるで全てを見透かされているような心地になり、心臓が忙しなく鼓動を打つ。


 何も間違ったことはしていない――その筈なのに、何故だかシロの目を直視することができなかった。

 何かを言わなければならない。こんな沈黙は不自然だ。

 しかし、湧き上がる焦燥感に反して、なかなか言葉が出てこない。 


 だが、静寂は突然、破られる。

 

 路地の端から見知らぬ人影が飛び出してきたのだ。

 小さな影は、こちらに向かって一心不乱の様子で走ってきた。よほど慌てていたのか、そこに深雪がいることが目に入らなかったらしい。あまりの勢いに避ける間もなく、深雪は人影と派手にぶつかってしまう。


「わっと……あれ……?」


 驚いて見下ろすと、それは小柄な女の子だった。しかも、学生だ。制服を着ているからそうだと分かる。おそらく高校生だろう。

 女子高生は、深雪とぶつかると、反動ですてんと尻餅をつく。

 深雪は彼女を助け起こそうとしゃがみ込み、ぎょっと目を瞠った。


 彼女は全身、血まみれだったのだ。


 ライトグレーのブレザーに、えんじ色のチェックのスカートとリボンタイ。いかにもお嬢様学校といった感じの上品な制服は、しかし赤黒い染みがべったりと付いていて、無残な有様になっている。

また、彼女の華奢な体やほっそりとした腕や顔も、同様にまんべんなく血糊で赤黒く染められていた。まるで上からペンキでもぶっかけられたみたいだ。

 耳の下あたりで切り揃えられた彼女の髪も、乱れてばさばさになってしまっている。恐怖を浮かべた大きな瞳は、きょろきょろとせわしなく動き、焦点を結んでいない。彼女の全身が、明らかな異常事態を告げていた。


「君、大丈夫⁉」

 深雪は慌てて助け起こそうと手を伸ばしたが、女子学生は「ヒッ!」と更に顔を引き攣らせ、全身を小刻みに震わせた。そして、いやいやと首を左右に振り、尻餅をついたまま後退りをした。


「い、いやぁ! 触らないで‼」

「ちょっ……待って、何もしないよ!」


「来ないで……! 近寄らないで……‼」


 女子高生は全身で深雪を拒絶する。すっかり恐慌状態に陥っていて、こちらの言うことなど耳にも入らない様子だ。深雪はすっかり途方に暮れてしまった。 


「どうしよ……俺、何かしたかな?」 

「何か、すごく怖がってるね、この子……」

 シロも困惑した表情だ。

 女子高生はすっかり縮こまり、がくがくと震えている。深雪が何かを聞き質したところで、まともな返答は期待できないだろう。


 このままでは埒が明かないし、何があったのかを探ることもできない。しかしだからと言って、この場に放置しておくわけにもいかなかった。確かに彼女からは強烈なトラブルの臭いが漂っている。関われば、きっと厄介なことになるだろう。

 だが、こんなに震えている女の子を放ったらかしにしておくなんて選択肢は、あり得ない。


(どうしたもんかな……)


 するとその時、絶妙なタイミングで、ピロリロリーンという間の抜けた機械音が響く。

「……何、今の音……?」

「あ、これかな」


 シロが周囲を見回す深雪に向かって、右腕を差し出してくる。そこには腕時計のような白いブレスレットが嵌められていた。表面は硬質なプラスチック製で、ちょうど真ん中にランプのようなものがついている。何かの端末のようだが、深雪には分からない。見たことのないものだった。


 しばらくして、ブレスレットのランプが数度、点滅する。すると、パカパーンと派手な効果音と共に、空中にウサギのマスコットが浮かび上がった。


「諸君! 何やら、お困りのようだね‼」 


 三等身の、黒いウサギのマスコットはそう言って、ビシッと万歳のポーズを決めた。

 全長は十センチほどで寸胴と、かわいらしい容姿をしているが、目つきは妙に悪い。声は少々芝居がかっているものの、若い女性のものだ。


 突然の珍客の登場に、座り込んだ女子学生を含め、全員が呆気にとられる。しかし、ウサギはそれに構わずくるくると回転し、深雪に気づくとヒューンと飛んで近寄って来た。そして、じゃれつくように周囲を飛び回り始める。


「ふうん? 君が新入り君、ね。へえ……かっわい~~い!」

「か……かわ……?」

 深雪は思い切り顔を顰める。一般的に、「かわいい」という言葉は男にとって褒め言葉ではない。


「っていうか、君、何なの?」

 深雪は試しに指先でウサギを突いてみるが、感触は無い。指先はウサギの体をスカスカとすり抜けてしまう。ウサギはくねくねと体をくねらせた。

「やぁん、深雪くんったら、エッチ~! ……なんちて~」

「あ……ごめん……」


「あたしは乙葉マリア。東雲探偵事務所の情報収集担当でっす。よろぴく~~!」

「よ、よろしく……」


「因みにこれは3Dの立体ホログラムだから、お触りは禁止なのよ~ん」

「立体ホロ⁉ こんなに滑らかに動くんだ。すげえ……!」

 そう言えば二十年前、確かにそのような技術が話題になっていたような気がする。ただその頃は3Dも粗く、ここまで滑らかな動きはしなかった。

 東京はすっかり寂れてしまい、かつての繁栄の面影は微塵も残っていないが、外の世界では技術革新が続いているのだろう。


 乙葉マリアと名乗った白黒のウサギは、かわいらしく小首を傾げ、言った。

「ところでみんな、ここで何をしてるのかな~?」

「えっとね……この子がユキとぶつかったの」


 シロのその言葉で、女子高生もはっと我に返る。どうやらマリアの登場がいい具合にショック療法となったようだ。顔色はまだ悪いものの、錯乱状態は脱していた。


「あ、わ……私……びっくりしちゃって。ごめんなさい……」


 女子高生は謝るものの、深雪とは決して目を合わせようとしない。まだ完全に立ち直ったというわけではないのだろう。マリアは、今度は女子高生の周囲を飛び回り始める。


「あらあら、すごいカッコね。怪我は?」 

「あ、私は大丈夫です。でも……。友達が、一緒にいて……その子達が……!」

 青ざめた顔はみるみる歪み、悲しそうな表情になる。今にも泣きだしそうだ。よほど辛いことがあったのだろうか。

 ウサギは励ますように、彼女の周囲をくるりと舞う。


「何かあったのね? ここじゃ何だから場所を変えましょーか。立てる?」


 女子高生は弱々しく頷き、立ち上がろうとする。しかし足に力が入らないのか再び膝を折り、座り込んでしまった。シロが駆け寄っていって、それを助け起こす。


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